あの時、この時
芳春院(1547年7月25日-1617年8月17日)
2023-07-25
facebook 井上直哉さん曰く
芳春院(1547年7月25日-1617年8月17日)
戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。
加賀国(石川県)の戦国大名・前田利家の正室。
名はまつ。
篠原一計の娘。
母(竹野氏)が利家の母の姉であるため、
利家とは従兄妹関係。
学問や武芸に通じた女性であったと伝わります。
織田氏の家臣・篠原一計の娘として、
尾張国海東郡沖島(現在の愛知県あま市)で生誕。
天文19年(1550年)、
父・一計が死去し、
母が尾張守護斯波氏の家臣・高畠直吉と再婚すると、
まつは母の妹が嫁いでいる尾張荒子城主・前田利昌に養育されることに。
永禄元年(1558年)、
数え12歳(満11歳)で利昌の子で従兄弟にあたる前田利家に嫁ぐと、
・永禄2年(1559年)、
長女・幸姫(前田長種室)→満11歳11か月で出産
・永禄5年(1562年)、
長男・利長(初代加賀藩主)
・永禄6年(1563年)、
次女・蕭姫(中川光重室)
・元亀3年(1573年)、
三女・摩阿姫(豊臣秀吉側室、後万里小路充房室)
・天正2年(1574年)、
四女・豪姫(秀吉養女、宇喜多秀家室)
・天正5年(1577年)、
五女・与免(浅野幸長婚約者、夭折)
・天正6年(1578年)、 次男・利政
・天正8年(1580年)、
六女・千世(細川忠隆室、のち村井長次室)
など、
11歳から32歳までの約21年間で2男9女を出産。
天正11年(1583年)、
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家方に与した利家が敗走した際、
越前府中城で羽柴秀吉に会って和議を講じて利家の危機を救いました。
慶長4年(1599年)に利家が病死すると出家し、芳春院と号します。
慶長5年(1600年)、
前田家に徳川家康から謀反の嫌疑がかけられた際には、
交戦を主張する利長を宥め、
それを解消させるため自ら人質となって江戸に下り、
14年間をそこで過ごしました。
なお、江戸に護送される手配を
前田玄以、長束正家、増田長盛の年寄が行っており、
家康の大名統制策は内付・五奉行体制に基づいており、
その構成員を動員。
この間、
関ヶ原の戦いで西軍についた次男・前田利政の赦免や
娘婿の宇喜多秀家の助命、
養育していた利孝の大名取り立てを江戸幕府に直訴するなど前田家のために奔走。
ところが、
利政の赦免の約束は土壇場で反故にされ、
ショックから重体となり、
幕府の命により伊勢・京で保養。
金沢へは立ち寄りすら認められず、
慶長19年(1614年)に長男・利長が死去すると、
ようやく金沢へ帰国できました。
なお、
後に江戸幕藩体制において諸大名妻子の江戸居住制が確立、
芳春院はその第一号に。
元和3年(1617年)7月16日、
金沢城内で死去、享年71。
(芳春院)




