あの時、この時
<あのころ>中原時代の幕開け 54年前の6月8日
2026-06-08
1972(昭和47)年6月8日、将棋の第31期名人戦第7局が東京都内で指され、挑戦者の中原誠八段が大山康晴名人(手前)に勝ち、4勝3敗で初の名人位を獲得した。
24歳の名人は当時の史上最年少記録で「幸運としか言いようがありません」。
合計18期続いた大山名人時代が終止符を打ち、中原時代の幕開けとなった。
中原から羽生へと時代は移ります。
「羽生X中原」 決勝戦
昭和の群像 将棋の巨人 大山康晴
昭和の群像 世襲制だった名人制から実力制になり、戦後それらを席巻したのが大山康晴である。主に振り飛車を中心に戦い、当時数は少なかったが、多くの棋戦を制した。
昭和の群像 現在の4冠藤井聡太、国民栄誉賞・永世7冠羽生善治に先駆ける将棋の巨人大山康晴。ライバルの升田との熱戦は日本中を沸かせた。
勲章や賞状が並べられた村山富市元首相のお別れの会の祭壇
2025-12-21
「トンちゃん」しのぶ 村山元総理 お別れの会(2025年12月21日)
自社さ連立 村山元総理死去 「無私の人」が遺したものとは…「村山談話」に込めた思い【サンデーモーニング】|TBS NEWS DIG
史上初の中卒首相として有名な田中角栄
2025-12-09
Facebook いいね!ニュースさん曰く
史上初の中卒首相として有名な田中角栄の名前を思い出せない時の対処法がすごい。
まずは単刀直入に『君の名前は?』と聞いて、それから相手が名前を言うと、それは分かっている下の名前だよと返して、さらに正式な名前を聞く。この方法を使うことで、相手側は下の名前を覚えていた痕跡があると感じ、喜んでくれるのだ。
また、議員になってからは毎晩22時には寝て、2時には起き、午前0時ごろに官僚がポストに入れた資料を朝まで読み込んでいたという。
最年少で財務大臣に任命された田中角栄は、東大卒ばかりの官僚を前にして堂々と『何かあれば上司の許可なしで大臣室に来てくれ』と語り、さらに『責任は全て自分が背負う』とも言った。
総理大臣になってからは、国会答弁の際、官僚には一切頼らず、細かい数字を全て覚えて答えていた。特別に記憶力が天才的に良かったわけではなく、毎晩必死に暗記していたのだ。すごすぎる政策実行力と、政治資金集めの計算高さから、『コンピュータ付きブルドーザー』とも呼ばれていた。
そんな田中角栄は、ロッキード事件で賄賂を受け取ったとして逮捕された。
学歴コンプレックという仏敵
2025-12-05
日蓮正宗との対立と激しい内紛
小川氏によれば、組織の末端の会員でさえ「実際に手を握ってくれた」「お年寄りだと気遣って背負ってくれた」など、池田氏と直接触れ合った経験を持つ人が多かったという。
選挙のたびに全国を飛び回り、幹部たちにも「先生は奥の院にいるわけではなく常に現場に出てくるから、手が抜けない」という緊張感を与えていた。
しかし1990年代に入ると、池田氏の人生最後の巨大な敵となる日蓮正宗との対立が激化し、破門される事態となった。「かつての身内と戦うことになる」状況で、池田氏の側近や右腕だった人材が次々と離れていった。
小川氏は「竹入義勝さんや矢野絢也さんといった大幹部が『仏敵』として排斥され、彼らが暴露本などで反撃する事態になった」と、当時の激しい内紛を振り返る。
後継者問題の根本的な原因として、小川氏は池田氏の「学歴コンプレックス」を指摘する。池田氏自身に学歴があまりなかったことの裏返しで、「側近には東大卒など、高学歴な人を好んで置く傾向があった」と分析した。
現在の創価学会・公明党の指導層を見ると、東大出身の創価学会現会長・原田稔氏や主任副会長の谷川佳樹氏、東工大出身の斉藤鉄夫・公明党代表や、ゴールドマン・サックス出身の岡本三成議員など、エリートが多い。
小川氏は、「池田さんは叩き上げの人なのに、周りに配置したのは育ちが良すぎるエリートばかりだった」と指摘。その結果、「池田さんと同じスタイルで後継者になれる人は誰もいない。優秀ではあっても、カリスマ性を発揮できるタイプではない」という状況が生まれたと述べた。





