当山の「五月の法要」の講師は、2021年から青木玲先生です。
「教えを聞く」青木玲氏

今日の講題を、なぜ「教えを聞く」にしたかと言うと、親鸞聖人が教えを聞くことを大事にされたからです。親鸞聖人は、生涯をとおして師である法然上人の教えを聞き続けられました。
さて、私は普段、九州大谷短期大学で学生たちと一緒に仏教を学んでいます。実は、今日の「教えを聞く」という講題は、学生との会話の中で課題になったものです。授業の中で、「教えを聞くことが大事って言われても、そもそも仏教は難しい」とか「仏教は何を教えているか、なかなか理解できない」などという声をよく耳にします。また、授業ではありませんが、「仏教は何を説いているかさっぱりわからない。そんな教えをなぜ聞かなければならないのか」と問われた経験もあります。
「親鸞聖人は、教えを聞くことを大事にされました」と言うと、「そもそも、なぜ教えを聞かなければならないのか」という疑問が出てくるのは、当然と言えば当然です。なぜ教えを聞かなければならないかと言えば、私たちが日常生活を送っていて、はっきりしないことがあるからです。
では、はっきりしないこととは何なのか。そのことを確かめなければなりません。
私は、ほぼ毎朝パンを食べています。ですから、出張などで京都に来ると、必ずパン屋さんへ寄って、いろんなパンを買って帰ります。
例えば、食パンを食べるとします。食パンはトースターで焼いて食べるのと、焼かずにそのまま食べるのと、どちらが正しいでしょうか。言うまでもなく、どちらも正しいわけです。好き好きです。
しかし、
「私は焼かずにそのまま食べる」
「えー、なんで? このパンは焼いたほうが絶対おいしいよ。普通、焼いて食べるでしょう」
と、お互いの意見を主張し合ったら、どうなるでしょうか。けんかになります。
今、「普通」と言いましたが、皆さんは「普通」という言葉を日常生活で使われますか。「普通はこうでしょう」、「普通はそんなこと言わない」などという会話はよく聞きます。
「普通」という言葉は、漢字を思い浮かべていただくとわかるように、「普く通じる」と書きます。「普く」とは、広く、すべてに、という意味ですから、みんなに通じるというのが「普通」という言葉の意味なのです。
しかし、私たちが日常生活で使う「普通」という言葉は、果たしてみんなに通じるでしょうか。このことは一度考えてみなければなりません。
「普通」ということを考える時に、私はいつもお好み焼きの話をします。食べ物の話ばかりして申し訳ありませんが、皆さんはご自宅でお好み焼きを食べることはありますか。好き嫌いもあるでしょうが、食べたとします。例えば、ホットプレートやフライパンで焼いて、それを切って、お皿に分けて食べます。では、お皿から口に運ぶ時に何を使われますか。箸でしょうか。それともヘラでしょうか。これを聞くと、多くの人が「箸」とおっしゃいます。
では、箸を使ってお好み焼きを食べるのは普通でしょうか。これまでずっとそうしてきた、という人にとっては普通かもしれません。
どうしてこんな話をしたかというと、私は箸やヘラで食べたことがなかったからです。今は箸で食べますが、子どもの頃はナイフとフォークを使って食べていました。こういう話をすると、「へえ、珍しいね」とか「変わっているね」と言う人がほとんどです。ということは、私は普通ではない、ということになります。しかし、私にとっては普通だったのです。
実は、2、3日前の夕食がお好み焼きでした。教えたかどうかは、はっきりと覚えていませんが、3人の子どもの中で、末っ子の息子だけがナイフとフォークを使って食べています。それで息子に聞いてみたんです。
「お好み焼きをナイフとフォークで食べるのは普通なの?」
と。そうしたら息子は、
「うん、普通だよ」
と言いました。
何を言いたいかというと、「普通」と言っても、みんな違うということです。みんな「私」の「普通」を生きています。ですから、私が子どもの頃のお好み焼きの食べ方を聞いて、「それは普通じゃないね」と言われても、私にとっては普通なのです。
「普通」はみんなそれぞれ違いますから、例えば、言い合いになった時に、自分と違う意見の人をどれだけ責めても問題は解決しません。問題はどこにあるかというと、「私は正しい」、「私は普通だ」と囚われている「私」にあるのではないでしょうか。
今、言いましたように、みんなそれぞれの「普通」を生きていますから、考え方や意見が違う人をどれだけ責めても、問題は解決しません。それよりも、「自分は正しい」ということに囚われていること、そして、それを握りしめて放さないこと、そうした「私」の在り方が明らかにならなければ、人間の問題は解決しないのではないでしょうか。
しかし、日常生活を送っていると、この「私」の「正しさ」がなかなか問題になりません。自分の外側のことはよく見えますが、自分の正しさを握りしめていることには気づけないのです。
そのことを、親鸞聖人は「闇」という言葉で教えてくれています。「闇」というのは、真っ暗だということです。私たちが知っている闇は、一日の中でいつでしょうか。夜ですね。夜になると、真っ暗で何も見えなくなります。これが闇ですが、実は親鸞聖人が明らかにしようとする「闇」は、真っ暗で何も見えない、ということではありません。
「自分は正しい」、「自分は普通だ」と握りしめて、そのことを問題にしない。自分のことを棚にあげて一生懸命生きている在り方を、親鸞聖人は「闇」という言葉で教えているのではないかと思います。
実は、その人間の闇を明らかにするのが、仏さまの教えです。今、「闇」と言いましたが、例えば、親鸞聖人の和讃に、
三塗の黒闇ひらくなり
大応供を帰命せよ
(『真宗大谷派勤行集』100頁、『真宗聖典 第二版』571頁)という言葉があります。「三塗の黒闇ひらくなり」の「ひらく」は、教えるとか、知らせるという意味です。人間の「闇」を教えるのです。
そして、「大応供を帰命せよ」と言われます。「大応供」とは、供養を受けるにふさわしいという意味で、阿弥陀仏のことを指しています。「帰命」は「南無」と同じで、敬うという意味です。ですから、「大応供を帰命せよ」とは、「阿弥陀仏を敬いなさい」、つまり、「念仏しなさい」ということです。「日常生活の中で手を合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏しなさい」と呼びかけているのが、「大応供を帰命せよ」という言葉なのです。
今日は「教えを聞く」という講題でお話をしていますが、では、「三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ」という教えを聞くとはどういうことでしょうか。それは、「はい、わかりました。その教えを信じて生きていきます」と言うことではないと思います。「教えを聞く」とは、「はい、わかりました」と言って、その場に座り込んでしまうことではなく、日常生活の中で、人間の闇を明らかにする仏さまの教えを拠り所にして生きていく、つまり、手を合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏する生活が始まるということだろうと思います。
それを言い換えると、「この身が動く」ということです。そこに「教えを聞く」という大切な意味があると思います。
例えば、「明日は早く起きてね」と言われたとします。では、どうすることがその言葉を聞いたことになるでしょうか。「うん、わかった」と返事をすることではありません。次の日に、言われたとおりに早く起きるということが、この言葉を聞いたことになるのです。それが、身が動くという意味です。
私たちは、自分自身がはっきりしないまま生きています。仏教は、そういう私たちに何を教えているかというと、「自分自身の在り方に目を覚ましなさい」ということではないでしょうか。自分自身がはっきりしなければ、何を拠り所にしていったらいいのかもはっきりしないのです。
私はどういう生き方をしているのか、そして、何を拠り所にしていけばいいのか。その私自身の在り方を教え、本当の拠り所を明らかにしているのが、「三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ」という言葉です。
なぜ、教えを聞かなければならないのか。その必然性は、教えを聞かないと自分自身がはっきりしないという私の在り方にあります。決して私の外側に問題があるわけではありません。「私は正しい」、「私は普通だ」ということを握りしめて放さない。その私の在り方を明らかにするのが仏教であり、仏教を拠り所にして生きていくことが「教えを聞く」ということなのです。
親鸞聖人は、「三塗の黒闇ひらくなり大応供を帰命せよ」と言われました。ですから、「大応供を帰命せよ」という言葉は、親鸞聖人から私たちへの呼びかけでしょう。また、親鸞聖人自身もこの呼びかけを法然上人から聞いて生きていかれたのではないかと思います。
今日は、親鸞聖人が生涯をとおして大事にされた「教えを聞く」ということを「三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ」という和讃をとおして、お話しさせていただきました。「教えを聞く」という姿勢を、私たちがともに学んでいく。ここに、親鸞聖人御誕生会という法要の大事な意味があると思います。
法話
あれは、二〇〇九年の十二月も終わりの頃。当時、私は、妻と生後三ヵ月になる娘と京都で生活をしていました。ようやく首がすわった娘を連れて、初めて九州の実家に帰省する準備をしていた日のことです。
その日の午前中から妻は買いものに出掛け、私は娘と留守番をしていました。娘をベビーベッドに寝かせながら、たまたま昼十二時前の短いニュースの映像に目がとまりました。ニュースは、深夜に起こった交通事故を伝えていました。警察官が、車にひかれて亡くなった、と。ニュースの最後に、亡くなられた方の名前と年齢が表示されました。そこに表示されたのは、学生時代の友人と同じ名前だったのです。しかも、同じ年齢。目を疑いました。驚いて別の友人に電話をすると、亡くなったという連絡を受けていたようで、間違いないとのことでした。友人の死を、しかも、テレビを通して知ったのは、あまりにも衝撃的な出来事でした。放心状態になり、言葉もわからない娘に「なぜこんなことになったのか」と何度も話しかけたことを、今でもはっきりと覚えています。
彼とは、大学で四年間同じ部活に所属していました。人懐(ひとなつ)っこく、先輩・後輩を問わず、誰からも好かれていた彼は、いつも会話の中心にいて、みんなを笑顔にしていました。私のことを「れいちゃん」と呼び、事(こと)あるごとに「俺が死んだ時は、れいちゃんに葬式をたのむからよろしく」と冗談半分で言っていました。その彼が、急に亡くなったのです。数ヵ月前に結婚式を挙げ、これからと思っていた矢先の出来事でした。
通夜・葬儀には、たくさんの方が参列されていました。曲がりなりにも仏教を学んでいたため、「僧侶として、ご家族に何か声をかけなければならない」と、どこか力(りき)みながら葬儀場に向かいました。しかし、その思いは、見事に打ちくだかれました。棺に入った彼の姿を見た途端、何も言えなくなってしまったのです。彼の死は、私の学びがどこまでも知識としての学びでしかないということを気づかせてくれました。
お釈迦(しゃか)さまは、老病死を見て出家(しゅっけ)を決意されたと伝えられています。『大無量寿経』というお経の中には、次のように説かれています。
人間として生まれた限り、どんな人も老(お)い、病(や)み、死んでいくことは避けられません。そのことを、「世の非常」という言葉は教えています。他人事(ひとごと)ではなく、私の身の事実です。ただ、老病死を知っていることと、わが身の課題となることは違います。老病死がわが身の課題になった時に、初めてその身をどう生きていくかを問い尋ねていく歩みが始まることを、お釈迦さまの出家は教えているのです。
できるだけ若く、健康で、長生きしたいというのは、多くの人が願っていることでしょう。しかし、誰も老病死を避けては通れません。ですから、私たち一人ひとりには、老病死の身の事実をどのように生きていくかという大きな課題があるのです。そのことを教えているのが、「老いが、病いが、死が、私の生を問いかけている」という言葉ではないでしょうか。
青木 玲(あおき れい)
1980年生まれ。九州大谷短期大学准教授。九州教区三潴組覺圓寺衆徒。
- 東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
- ※ホームページ用に体裁を変更しております。
- ※本文の著作権は作者本人に属しております。



