巨人軍のリジェンド達

巨人軍のリジェンド

巨人軍球団創設50周年の年は・・・

2026-05-13
監督には王貞治が就きましたが・・・
photo by gettyimages © 現代ビジネス
球団創設50周年のプレッシャーは・・・

正力亨は亡父から受け継いだ米国との人脈まで駆使し、ワールドシリーズのチャンピオンチームと、日本シリーズ制覇球団による「世界一決定戦」のプランまでまとめてしまった。初戦と2戦目の開催地は後楽園球場、ワールドシリーズのチャンピオンチームの招聘は亡父の悲願であり、迎え撃つのは巨人軍以外ありえなかった。

球団創設50周年のプレッシャーは新監督に就任した王貞治に重くのしかかった。そのストレスは、我々の想像をゆうに超えるものだったに違いない。

「王さんが監督に就任して雰囲気がガラッと変わったんです。藤田さんのときとまるで違う。特にこの初年度のときはキャンプの時点で相当ピリピリしていた。『絶対に優勝しなきゃならん』という近寄り難い空気です。それが我々記者にも伝わって来るから気が重かった。当然、選手はたまったもんじゃなかったでしょう」(この時期、サンケイスポーツの巨人担当記者だった清水満)

長嶋茂雄さん逝去“永遠のライバル”が語った「ミスタープロ野球」の素顔

2025-06-04
2009年のパーティで © SmartFLASH

6月3日、ミスタープロ野球・長嶋茂雄氏が逝去した。「4番サード」を代名詞とし、3番を務めた世界の本塁打王・王貞治氏とともに「ONコンビ」と親しまれ、引退後は巨人の監督としてリーグ優勝5回、日本一2回を果たした。

現役時代、一身に人気を集める長嶋氏のことを「向日葵(ヒマワリ)」に、自らを「月見草」にたとえて長嶋氏をライバル視していた人物がいる。三冠王を獲得し、ヤクルトをはじめ複数の球団で通算24年の監督生活を送った野村克也氏だ。

野村氏は、長嶋氏と同学年である。野村氏は1935(昭和10)年6月29日生まれ。長嶋氏は1936(昭和11)年2月20日生まれ。ともに昭和を代表する大打者であり、監督としても同じセ・リーグでしのぎを削った。2020年に亡くなった野村氏は生前、長嶋氏のことをよく語っていた。野村氏の言葉から、往年の長嶋氏を回顧する。

【追悼・長嶋茂雄】巨人のドラ1指名を喜べなかった篠塚和典が

2025-06-04

プロ野球・読売巨人軍の選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が逝去した。なぜ長嶋氏は誰からも愛されたのか。スポルティーバでは今回追悼の意を込めて、巨人軍の愛弟子のひとりである篠塚和典さんが、「人生を変えた」という長嶋氏との出会いを振り返ったインタビュー記事(全3回)を再掲載します(2023年4月掲載)。謹んでご冥福をお祈りします。


野球人生を変えた名将の言動(10)

篠塚和典が語る長嶋茂雄 前編

 指導者との出会いが、アスリートの人生を大きく変える。卓越したバットコントロールと華麗なセカンドの守備で、1980年代前後の巨人の主力として活躍した篠塚和典氏は、長嶋茂雄監督との出会いが野球人生を変えたという。

 インタビュー前編では長嶋監督と初めて会った時の印象、運命のドラフト会議、「伝説の伊東キャンプ」のエピソードなどを聞いた。 

川上さんがやめる。球団が後継者は長嶋だと決めている。

2025-05-06
facebook プロ野球ニュース さん曰く
長嶋は落ちるだけ落ちた姿を見せても、決して晩節を汚したとファンは思わなかったはずだ。
1974年、巨人・長嶋茂雄が引退を発表したが、本人のなかには、まだできる自信があった。強く勧めたのは、川上哲治監督だ。73年のオフにも一度、引退勧告をしている。川上には、「長嶋茂雄」のイメージを壊すことなくやめさせ、巨人の指揮官の継がせたいという強い思いがあった。
 最後は、それを長嶋も理解した。
「川上さんがやめる。球団が後継者は長嶋だと決めている。ファンもそう思っている。そこで俺一人、『まだ続ける』と言うなんてガキだろう? 巨人というチームの大きな流れの中で、監督を継がなければならないんだ」
 ただ、川上のように、打撃を突き詰めた選手はそういうやめ方しかないのかもしれないが、長嶋は落ちるだけ落ちた姿を見せても、決して晩節を汚したとファンは思わなかったはずだ。「ガキでもよかった」と思うファンは、決して少なくない。

"球界のご意見番"廣岡達朗さんが選ぶベストナイン!

2025-05-13
【博満の部屋4/4】【落合博満のオレ流チャンネル】
【落合×広岡達朗対談】めちゃくちゃ渋い!広岡氏が選ぶプロ野球ベストナイン 落合氏も興味津々

 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(69)が31日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。大好評対談企画「博満の部屋」の第4回目として、現役時代は巨人の遊撃手として活躍、監督としてヤクルト、西武をそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗氏(91)をゲストに招いて対談を行った。

 原爆体験から、早大、巨人時代、そして川上哲治氏との関係性など、さまざまな興味深い話を落合氏とともに振り返ってきた広岡氏。球界のご意見番としてプロ野球界を見続けてきた91歳レジェンドのベストナインとは――。

 落合氏が「現役の時でも、西武時代、ヤクルト時代でもベストナインを挙げるとしたら誰ですか?」と質問。すると「ああ~、神経細かかったのはセカンド千葉(茂)さんだね。川(上哲治)さん、ファーストいいな」とスラスラと名前を挙げ始めた。

 ここで落合氏が「捕らなくても?」と正面に投げない限り「捕ってくれなかった」という秘話を広岡氏が語っていた川上氏の名前が挙がったことに驚きの表情。それに対して広岡氏は「うん、あれ捕るように放りゃいいんだから」と一言。続けて「サードの宇野(光雄)さんはすぐトレードで国鉄行ったけどね。あの人もよかったで。キャッチャーはね、ハワイのカーリー広田(順)。藤尾(茂)は打てて、なんとかあって、森昌彦(祇晶)がなったけど、森は頭はいいけどインチキ」と、ここで広岡節。それでも「森の頭脳は買いたい。見る目はしっかりしてる」と選出した。

 続けて「ショートは…」と広岡氏が思案したところで、落合氏が「広岡さんでしょ」とツッコミ。「えへへ」と笑いながら広岡氏が「俺は自分で言えないから」と遠慮気味に言うと落合氏が「それは広岡さんですよ」ともう一押しして決定した。

 「センターはウォーリー(与那嶺要)、ライトは南村(侑広)さん…」「(ピッチャーで)やっぱり、速かったのは金田(正一)。やっぱり、400勝いうのは」とあまり悩むことなく、広岡氏の現役時代のベストナインが選定された。

広岡氏の考えるベストナイン
投 手・金田正一、大友工 
捕 手・広田順、藤尾茂、森昌彦
一塁手・川上哲治
二塁手・千葉茂
三塁手・宇野光雄
遊撃手・広岡達朗          
外野手・与那嶺要、南村侑広、銭村健四、田宮謙次郎
落合博満
1953年生まれ。秋田県南秋田郡若美町(現・男鹿市)出身。

 79年ドラフト3位でロッテオリオンズ入団。81年打率.326で首位打者になり、以後83年まで3年連続首位打者。82年史上最年少28歳で三冠王を獲得、85年には打率.367、52本塁打、146打点という驚異的な成績で2度目の三冠王とパ・リーグの最優秀選手(MVP)に輝いた。86年には史上初の3度目、2年連続の三冠王を獲得。その後、中日ドラゴンズ(87~93年)、読売ジャイアンツ(94~96年)、日本ハムファイターズ(97、98年)に所属。98年現役を引退。通算成績は2236試合、7627打数2371安打、510本塁打、1564打点、65盗塁、打率.311。

 現役引退後は野球解説者、指導者として活動し、2004年から中日の監督に就任、いきなりリーグ優勝を果たした。07年にはチームを53年ぶりの日本一に導く。11年は球団史上初の2年連続リーグ優勝。任期8年間すべての年でAクラス入りを果たし、リーグ優勝4回、日本一1回の「常勝チーム」を作り上げた。13年10月から17年1月は中日で球団初のゼネラルマネジャー(GM)を務めた。

 07年、プロ野球の発展に大きく貢献した人物に贈られる正力松太郎賞を受賞。11年には競技者として野球殿堂入りを果たした。
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