願正寺の縁起(歴史)
当山の門前風景です。
以来、宗誓禅師、祐心律師、祐圓前大徳、釋永知と法灯は受け継がれる。
以来今日まで、真宗寺院として、その法脈は、15世を数える。
また、真宗大谷派末寺への法灯継承を物語るものとして、大谷本願寺12代教如下付の「六字名号」が今日に伝えられている。
当山創建の頃の社会情勢
当時は、日本史では戦国時代が終わりを告げる安土桃山(本能寺の変~)時代から江戸幕府成立の激動の時代でした。
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)
【老中】
土井利勝(1610年 – 1638年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
松平信綱(1632年 – 1662年)
阿部忠秋(1633年 – 1666年)
堀田正盛(1635年 – 1651年4月20日殉死)
■ 3月
11日(幕府)
柳川一件が起こる。対馬藩主・宗義成と家老・柳川調興が日本と李氏朝鮮の間で交わされた国書の偽造を巡って対立したことが問題となり、柳川調興が南部へと配流れる。
■ 5月
28日(幕府)
幕府が日本人の海外への渡航を全面的に禁止する。
21日(幕府)
武家諸法度を改定して、参勤交代の制度化と500石以上の船の製造の禁止を取り決めた。
■ 8月
(外交)
朝鮮への幕府からの書簡での将軍の称号を『大君』で統一する。
■ 9月
6日(幕府)
キリスト教の禁止令を再度行う。
■ 11月
(幕府)
評定所寄合の条規を定める。
11日(幕府)
幕府が寺社奉行を設置する。
天正19年(1591年)
天正19年(1591年)1月、豊臣秀吉が昨年訪日したヴァリニャーノら使節団との面会を許可する。
秀吉は面会を拒んでいたが、増田長盛が追放令についての嘆願ではなくただの面会と伝え、上洛を許可する。【フロイス日本史】
1月22日、秀吉の弟、豊臣秀長が大和郡山城で病死(52歳)。養子としていた秀保(13歳。秀吉の姉・日秀尼の子、秀次の弟。)が大和郡山城を引き継ぐ。
閏1月、鶴松が発病するが、回復する。
秀吉が京の都市整備を行う。町の各地に点在する寺院を鴨川西岸に移動させる。大坂の本願寺も京の南部へ移転させる。
閏1月、秀吉が京の周囲を土塁と堀で囲む御土居(全長22km、土塁基底部は約20m・堀幅は10m前後)の建築を命じる。4ヶ月後までに完成する。
「この都の町は諸国から移住する人々に伴い、建物は数を増し、その変貌ぶりは以前にこの町を見た者でなければ信じられないほどであった。」
「この町の人口は8千ないし1万だったが、今では戸数3万を超え拡大している。しかもその数は市民だけで、内裏の貴族や関白の城と宮殿を除いてのことである。」
「町には古くから300余りの寺院・僧院があり、関白は町の中心にあった寺院をことごとく取り壊し、城壁に近いところで再建した。」【フロイス日本史】
願正寺のプロファイル
名称 | 真宗大谷派 平野山 願正寺 (九州教区 日田玖珠組) |
所在地 | 〒877-0044 大分県日田市隈2-8-29 |
TEL | 0973-22-2512 |
FAX | 0973-22-1025 |
E-mail | |
代表者 | 住職 南木 仁 |
交通アクセス
〒877-0044 大分県日田市隈2-8-29
- 専念寺様ご門前の願正寺門徒駐車場 第一駐車場 (12台程度)
- ヴァンヴェール寺町通横の願正寺門徒駐車場 第二駐車場 (8台程度)
当山への導線
お気をつけください!
お気をつけください。
亀山町側から寺町通りへお入りになる方の目印となっていた
「くまがえ家具店」さんの店舗が取り壊されました。
左折の際の見晴しはよくなりましたが、
思わず通過の可能性がありますので、
お気をつけください。
当山の在所、大分県日田市です。
当山のチャッチキャラクターです。














