博物館で行われる展示情報
石洞美術館
2021-07-10
SPACE FANTASY –透明な宇宙を求めて
2026-05-30
世界のトップアーティストが認めたイラストレーター
1936年長崎市に生まれ、1945年、小学2年の時に長崎県壱岐島に疎開し被爆から逃れる。小、中、高校時代を壱岐で過ごし、模型を作り、構造図を描くことに熱中する少年時代を過ごす。壱岐高校3年生の時に出版社に投稿した「原子力旅客機」が「中学生の友」(小学館)の巻頭グラビアに使用され、プロのイラストレーターとしての第一歩を始める。
高校卒業後、武蔵野美術大学デザイン科入学し1970年、大阪万国博覧会「住友館」のコンセプト作りに参加し、同年、渡米。1973年、カーペンターズ(Carpenters)「ナウ&ゼン(NOW&THEN)」のレコードジャケットに提供した細密な作品が評価され、アメリカ音楽業界のアルバム制作アーティストとして不動の地位を得る。1977年には、長岡秀星の名を世界的に高めたアースウインド&ファイヤー(Earth Wind & Fire)の「太陽神(All ‘N All)」のレコードジャケットを制作。その成功を機にアースウインド&ファイヤー(Earth Wind & Fire)との絆を深める。
1981年、新宿伊勢丹美術館にて初個展を開催し、同美術館の最多動員記録を作った。画集「長岡秀星の世界」(NHK出版)を発売。1984年、画集「迷宮のアンドローラ」(集英社)を出版。
1985年、つくば科学万博の政府出展パビリオン「宇宙コーナー」を担当。画集「長岡秀星の世界PART2」(NHK出版)を発売。この年にスペースシャトル構造図がスミソニアン博物館に所蔵される。
1990年以降は、ライフワークとしての宇宙長編物語「アナバシス」の制作を開始するが、2015年、出版化、映画化を実現することなく逝去。
2020年 代官山ヒルサイドフォーラムにて「長岡秀星回顧展 Space Fantasy - 透明な宇宙を求めて」を開催。画集「長岡秀星 Space Fantasy -透明な宇宙を求めて」を発売。
高校卒業後、武蔵野美術大学デザイン科入学し1970年、大阪万国博覧会「住友館」のコンセプト作りに参加し、同年、渡米。1973年、カーペンターズ(Carpenters)「ナウ&ゼン(NOW&THEN)」のレコードジャケットに提供した細密な作品が評価され、アメリカ音楽業界のアルバム制作アーティストとして不動の地位を得る。1977年には、長岡秀星の名を世界的に高めたアースウインド&ファイヤー(Earth Wind & Fire)の「太陽神(All ‘N All)」のレコードジャケットを制作。その成功を機にアースウインド&ファイヤー(Earth Wind & Fire)との絆を深める。
1981年、新宿伊勢丹美術館にて初個展を開催し、同美術館の最多動員記録を作った。画集「長岡秀星の世界」(NHK出版)を発売。1984年、画集「迷宮のアンドローラ」(集英社)を出版。
1985年、つくば科学万博の政府出展パビリオン「宇宙コーナー」を担当。画集「長岡秀星の世界PART2」(NHK出版)を発売。この年にスペースシャトル構造図がスミソニアン博物館に所蔵される。
1990年以降は、ライフワークとしての宇宙長編物語「アナバシス」の制作を開始するが、2015年、出版化、映画化を実現することなく逝去。
2020年 代官山ヒルサイドフォーラムにて「長岡秀星回顧展 Space Fantasy - 透明な宇宙を求めて」を開催。画集「長岡秀星 Space Fantasy -透明な宇宙を求めて」を発売。

【訃報】長岡秀星(Shusei Nagaoka)さん 2015.06.29
「アース・ウインド&ファイアー」などのLPジャケットのイラストレーションで知られるアーティストの長岡秀星(Shusei Nagaoka)さんがお亡くなりになりました。6月23日にお亡くなりになりました。78歳でした。
長岡秀星さんは長崎県の出身で、昭和45年に渡米し、平成16年までハリウッドを拠点に、レコード・ジャケットや映画広告などの分野で活躍されました。
この間、精密な手法を駆使し、アース・ウインド&ファイアーやエレクトリック・ライト・オーケストラ『アウト・オブ・ザ・ブルー』、カーペンターズ『ナウ・アンド・ゼン』などレコードジャケットを数多く手がけたことで知られています。長岡秀星さんの壮大なアートワークとアース・ウインド&ファイアーのサウンドは、一体のものとしてファンの間に浸透しました。
その偉大な功績を讃え、謹んでご冥福をお祈りいたします。
「アース・ウインド&ファイアー」『太陽神』




