仰せを蒙りて【文字データ編】
京都市下京区・東本願寺の第26代門首が著書出版
大谷派で現役の門首が著書を出すのは珍しい。きっかけは大谷派の執行部に当たる内局からの執筆依頼だった。
「私が門首に就任させていただいたのが2020年です。昨年の25年で5年の節目を迎えたということ、また今月にブラジルで開かれる世界同朋大会に向け、内局から『できたら書籍を執筆してもらえないか』という依頼がありました」
「また親鸞聖人ご誕生850年、立教開宗800年の法要が23年に勤まった際、ブラジルから親族を招いてもらったのですが、来日したおいっ子、めいっ子は私がブラジルで大学教授をしていたことを知っています。だから『今、おじさんはどうして日本のお寺にいるの』と聞かれて話をしたら、『いつかおじさんの人生や生き方を本にしてよ』と言われていたこともあり、皆さんのお力添えで今回の出版に至りました」
暢裕氏は1951年に京都で生まれた。祖父は大谷派第23代門首(当時は法主)の大谷光演氏だ。海外に教えを広める開教使に任命された父暢慶氏(1918~95年)について母と共に1歳でブラジルへ渡った。著書では幼少期の出来事を詳細に記す。
「人間の頭の中は複雑なもので、自分が大事と感じたものは、全部しまってあるようです。特に幼年時代のことははっきりとカラーで記憶に残っています。こういうことがあるから人間は誰しも故郷を懐かしく感じ、思い出せる。これが人間の素晴らしいところだと思います」
日本からブラジルへの移民は1908年に始まった。50年にブラジル南部アサイに初の大谷派寺院・照真寺が開設された。アサイに住んでいた中学生のころ、転機があったという。
「1966年、(第24代の)光暢門首と智子夫人がブラジルを訪問されたのです。これが私の少年時代にとって大きなことでした。住んでいたのは本当に田舎町でしたので、ご門首が来られるとあって大騒ぎになりました。音楽法要をお勤めするので合唱団も来てくださり、ブラジルの国歌を四部合唱で歌われましたが、その歌声が素晴らしかった。ですので私の一生の中でコーラスというものは大事なものとなりました。妻のサチカともコーラスで出会いました」
その後、暢裕氏は大都市サンパウロなどで勉学に励む。後には昼に働いて生計を立て、夜はサンパウロ大で物理学を学んだ。大学時代にサチカさんと結婚。1985年には長男裕氏(現・新門)が生まれた。
応用物理学の教授としてのキャリアを歩んでいた暢裕氏だが、92年に得度を受け僧侶に。2011年、門首を補佐する「鍵役」などの大任に就く。本山との関わりは濃密となり、14年には第25代門首の暢顕氏の「門首後継者」に指名され、15年にブラジルから京都に移り住んだ。
大谷派の門首は宗祖親鸞の直系子孫が継承する。暢裕氏は2020年7月、第26代門首に就任した。
「親鸞聖人は亡くなるまで凡夫としての姿勢を貫かれました。その姿勢にならい、私はご門徒と一緒にお堂で勤行をし、共に教えを聞かせていただいています。これが私が門首として一番大切にしていることであり、前門に教えていただいたことです」
大谷派はいわゆる「お東紛争」を経て、1981年に宗派の憲法「宗憲」を大規模改正した。絶対的な力を持つ「法主」は同派の象徴的な「門首」へと変わった。門首は「僧侶及(およ)び門徒の首位」とされ、ともに教えを聞く存在となった。
「毎朝、勤行の後に15分ほどの法話があります。朝のひととき真宗の教えを聞くことのできるその時間は本当に素晴らしいもので、毎日楽しみに聞いています。宗憲には、当然門首の地位や行為について定められていますが、私は門首としての生き方・在り方で表現できると思っています」
大谷派は約8500の寺院などを有する日本有数の伝統仏教教団だ。国内では「宗教離れ」や「仏教離れ」が進んでいると指摘される。一人の宗教者として何を思うのか。
「私個人が思うには、子どもたちに『生きていく上で浄土真宗は大事なものなんだよ』ということを伝えてこられなかったのではないかと。浄土真宗は800年前からのものですから、若い人が古臭いイメージを持つのは当たり前です。ですが、800年伝えられてきたお念仏のみの教えだからこそ、子どもたちに届ける方途を工夫していかなければと思います」
著書の中では幼少期、大谷派のアサイ・照真寺で、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)の報恩講が営まれた記憶に触れている。
「『海を渡りブラジルの地までやってきた。ここで西も東もない。この地で親鸞聖人のお念仏の教えをともに聞き伝えていくのみだ』。父はそういう考えを持っていました。親鸞聖人の教えは一つです。宗祖を親鸞聖人と仰ぐ、真宗各派がそれぞれの方法で取り組み、その上で協力していく。同じ方向を向き、共なる歩みを進めていく。これがベストだと思っています」
2024年には門徒が多い石川県で能登半島地震が起きるなど、全国で災害が相次ぐ。門首として被災者や被災地とどう向き合うのか。
著書には平和への思いも込められている。
「戦争ばかりで争いが絶えない。国家や民族の違いを超えて生きとし生けるものが、お互いに敬い合う世界が求められている時です。お互いに違いを認め、真に敬い合う社会に向けて歩んでいけたら、いつかは少しは平和な世界も生まれる。そうした私なりの確信があります」
11月6~8日には東本願寺一帯で日本からブラジルへ渡った人が現地で育んだ文化をともに楽しむ交流型イベント「マツリクロッシング」が開かれる。
「ブラジルから来た日系人、帰ってきた日系人ですよね。日本とは違う文化の中で育った方々と日本の大切な文化『お祭り』の中で交わる。私は、文化と伝統は民族のアイデンティティーの現れだと捉えています。文化は生きる上で大地となる大切なものです。それぞれの文化がクロスすることで、どのような反応が起きるか楽しみにしています」
インタビューの最後、著書のタイトルを用いて来場者にメッセージを送る。
「ブラジルの方も日本の方も皆さんも独自にはぐくまれてきた文化に触れ、その差異や同じところに気づき、共に生き合う人として敬い、認め合っていくことになればありがたいことです。私たち真宗門徒は『同朋』という言葉で受け止めていますが、『ボン・アミーゴ』、ポルトガル語で『よき友』として交流がはぐくまれることを願っています」
浄土真宗の教え
宗祖親鸞聖人は、師である法然上人との出遇いをとおして、阿弥陀仏に帰依して「南無阿弥陀仏」と称えることが、すべての人に開かれた平等な救いの道であるといただかれました。
聖人は、生涯にわたる聞思のなかで『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』を撰述し、その教えを「浄土真宗」と顕かにされました。浄土がまこと(真)のむね(宗)である、浄土こそがほんとうの依りどころであるということです。
浄土は、日ごろのわたしたちの欲望に左右されることなく、どんな状況でも変わらず、失われることのない依りどころです。また「南無阿弥陀仏」のお念仏は、いつでも、どこでも、だれでもできる、普遍の仏道です。
苦しみ、悲しみ、悩むわたしたちは、浄土を願いお念仏を申すことで、人として生まれ生きていく意味、すべての人々とともに今生きているということを知らされるのではないでしょうか。
この列車はどこへゆくのかとあわてだす。
丹那トンネルを過ぎた頃で薄目をあけ、
静岡辺でとつぜん“乗っていること”に気づく、
そして名古屋の五分間停車ぐらいからガラス越しの社会へきょろきょろし初め
『この列車はどこへゆくのか』と慌て出す。
もしそんなお客が一人居たとしたら、辺りの乗客は吹き出すに極っている。
無知を憐れむにちがいない。
ところが人生列車は、全部の乗客がそれなのだ。











