時代と女性

時代・社会の中で女性はいかに生きたか・・・。

NHK和久田麻由子アナ 退社決断させたまさかの“地方転勤”打診

2026-01-07
和久田麻由子アナ(NHK公式サイトより) © 女性自身

和久田アナと言えば、『おはよう日本』『ニュースウオッチ9』といった同局の看板報道番組を担当し、”わくまゆ”の愛称で人気者に。’19年と’21年の『NHK紅白歌合戦』の司会や東京五輪の開会式の中継なども務めるなど、名実ともに”エースアナ”として活躍していた。

私生活では’19年に結婚し、’22年に第1子、昨年に第2子を出産しており、育児休暇を経て10月から復帰したばかりだった。

「和久田さんは『好きな女性アナランキング』でも常に上位に登場しており、好感度も抜群。その知性を感じさせる美貌と高いアナウンス能力で、局からも”絶対エース”と信頼され、骨をうずめると思われていたのですが……」(前出・スポーツ紙記者)

そんななか決別を選んだ和久田アナだが、いったい何があったのか。NHK関係者は言う。

「実は職場復帰から少し経った昨年12月に和久田さんに地方転勤の打診があったのですが、彼女が断ったうえでの退局だと聞いています。

和久田さんほどのエースアナがなぜ地方に?と思うかもしれませんが、この1年ほどNHKの中ですべてのアナウンサーが”東京は2~3年で異動”という内規が厳格化されたといいます。表向きは公平性の徹底だそうですが、実際の思惑はまた別にあります。

というのも、以前から局内では看板番組で名前を売った後、フリーになり他局の裏番組でキャスターとなる現象を上層部は苦々しく思っていました。そうした流れもあって現在の上層部の考えは”エースアナは作らないという方針で、数年で地方異動という仕組みを作ったそうです。

和久田アナは’11年の入局後、岡山放送局を経て’14年に東京のアナウンス室に異動。そこから長きに渡って東京で活躍してきたが――。

「和久田アナにとっては、出産もした後に地方転勤を命じられることに戸惑いの気持ちがあったと思います。そして12月からキャスター委員会という翌年の出演者を決める人事が本格化するので、その前に身を引く覚悟をしたのでしょう。和久田アナなら民放でも引く手あまたでしょうからね。

一方でNHKとしても政治家にも人気が高かった彼女の退社は相当痛いはず。和久田アナの取材なら受ける、という政治家も多かったですから」

エースアナの流出が続くNHK。果たしてこの難局をどう乗り越えるのか。

「黒姫様」と呼ばれた皇后

2026-01-05
Facebook ミラクル全世界さん曰く
貞明皇后の物語
皆様、「黒姫様」と呼ばれた皇后をご存知でしょうか。
表面的な華やかさばかりがもてはやされる現代において、決して忘れ去られてはならない名前があります。明治、大正、昭和という激動の時代を、病弱な天皇を支え抜き、凛として生き抜いた一人の女性。九条節子——のちの貞明皇后の物語です。
名門「五摂家」に生まれながら、その生い立ちはあまりに過酷でした。当時は不吉とされた事情により、幼少期を農家で過ごしたのです。高貴な身分とは裏腹に、泥にまみれ、太陽の下を駆け回り、真っ黒に日焼けした少女。人々は彼女を「黒姫様」と呼びました。しかし、その肌に刻まれた野性と強さこそが、のちに窒息しそうな皇室の空気を変える、唯一の救いとなったのです。
当時の皇室は、どれほど冷徹な場所だったことでしょう。
夫となる嘉仁親王(大正天皇)は、幼い頃から病弱でした。血統と継承がすべてとされるあの冷酷な世界で、「病弱な皇太子」がどれほどの誹謗中傷にさらされたか。想像するだけで胸が締め付けられます。そんな中、節子は持ち前の明るさと、大地で育んだ生命力を携えて、深い宮中へと足を踏み入れたのです。
わずか15歳での婚約。今の時代ならまだ親元で甘えている年齢で、彼女は一国の未来という、あまりに重すぎる荷を背負ったのです。
そして彼女は、今考えても驚くべき改革を成し遂げました。
愛する男を、一人の人間として守り抜くために。彼女は凄まじい逆風の中、それまで当然だった側室制度を事実上廃止し、「一夫一妻制」を貫いたのです。これは単なる嫉妬ではありません。魂と魂が向き合う、究極の覚悟でした。規律を乱すと批判する声もありましたが、結果はどうでしょう。彼女は四人の皇子を授かり、皇位継承問題を完全に解決してみせたのです。公務すら危ぶまれた天皇が、彼女の笑顔に支えられ、全国を巡幸するまでに回復した奇跡。
この「職務」を超えた深い愛こそ、どんな噂話よりも尊い真実ではないでしょうか。
しかし、運命は非情です。大正天皇は、47歳という若さで崩御されました。病床で苦しむ夫を前に、彼女は人前で一度も涙を見せなかったといいます。ただ微笑みを絶やさず、最期まで夫の傍らに寄り添い続けました。それが、彼女なりの「愛の形」だったのです。
私が一番心を打たれたのは、彼女が皇太后となってからの日々です。
毎朝の食事を終えると、彼女は決まって夫の遺影が安置された「御影殿」へと向かいました。そして、まるで主人がまだそこに生きているかのように、静かに、優しく語りかけるのです。
「今日は良いお天気ですよ」
「息子たちは、皆元気にしていますよ」。
その、来る日も来る日も繰り返された独り言。それはもはや習慣などではありません。一生をかけた、終わりのない恋文だったのです。
皆様、この物語を読んでどう思われますか?
今の世の中に溢れる軽い愛が、彼女の「死が二人を分かつまで」という凄絶なまでの献身を前に、いかに脆く見えてしまうことか。
本当の強さとは、家柄ではありません。泥の中にいても、自分だけの花を咲かせる逞しさです。
太陽に愛された「黒姫様」九条節子。彼女が遺した孤独なまでの守護の物語は、今の私たちに「愛することの覚悟」を静かに問いかけている気がしてなりません。

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2025-12-29
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2025-12-08
読売新聞 2025.12.08朝刊
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