今、願正寺では? 

2026年の仏事と行事

本廟収骨が行われました。

2026-10-15
お月忌の本日、小野鉄雄前総代の遺骨が、ご家族によって京都の真宗本廟に収骨されました。
第一回の当山グラウンドゴルフ大会での雄姿です。
収骨は、このようにして行われます。
事前に、こちらの参詣用パンフをお渡しいたしました。
本廟に到着し、御影堂門を潜って本廟白洲へ入ります。
両堂を仰ぎ見て、境内の北側にある参拝接待所へ向かいます。
ご家族はこの肩衣を着けて、収骨に臨みました。
こちらの参拝接待所が、収骨事務の受付場所です。
受付窓口にこちらの収骨券を提出し、収骨内容を確認していただきます。
こちらが、接待所の受付です。
ご持参のご遺骨は、こちら(7cm/辺の桐箱)に収められて収骨されます。
収骨受付完了後に、こちらの地下ホールで法話を聴聞いたします。
ご遺骨を御影堂の宗祖御真影下の納骨壇に収めた後に、御影堂にて読経と焼香が行われます。
収骨を終えた後に、宮御殿でお斎のお接待を受けます。
本廟のお斎は、こうした朱色の膳・器で供されます。
宮御殿の畳は赤色縁です。
子日遊
大鷹狩図
襖絵(選虫)
宮御殿の庭園
宮御殿|大宮御所から移築された御殿

宮御殿は明治時代に大宮御所から移築された建物。
つまり天皇、皇室の方々が利用した建物ですので
とても上品な雰囲気が漂う建物になります。

襖絵には宮中行事が描かれた
「大鷹狩図」「子日遊図」「撰虫図」を近くで見ることができました。

また御影堂を山に見立てた池泉式庭園も美しいです。
防火のために築いた石垣を利用した珍しい景色も特徴的。

またガイドさん曰く、
昔はこの庭園用の疎水を運ぶためだけのパイプがあったそうで
東本願寺のVIP対応ぶりに驚きました。

【京の冬の旅巡り】東本願寺の宮御殿&桜下亭の特別公開|京の冬の旅

今月17日の市内での慶讃法要へは副住職が出仕いたします。

2026-10-12
ご覧の衣体と五條袈裟に浅黄緯白 八藤大紋の切袴で出仕いたします。
衣体は本精好地裏紅葉色裳附です。
五条袈裟は第一功章許可五条袈裟です。

今月17~18日に大法要をお迎えの浄満寺様にお祝いの品をお届けいたしました。

2026-10-12
本堂前では、稚児行列が昇るスロープ設置の工事が行われていました。

三連休二日目は、朝から怒涛の日程日となりました。

2026-10-11
朝一で、年回&月忌→祥月&申経/副住職→年回/住職&衆徒
午後からは、葬儀&炉前/住職&副住職→還骨&中陰/住職&衆徒

久しぶりのJR在来線利用でした。

2026-10-10
列車ならではのビューです!!
最初12345

2025年の仏事と行事 & 2024年の仏事と行事((P29以降)

新たな法座(お内仏)が)が設けられて、初盆の座が開かれました。

2025-08-05

鱈胃(たらおさ)です。

2025-08-03
豆田の若野屋さんです。
センターに、日田名物の鱈胃(タラオサ)の煮付けが!!
鱈胃(たらおさ)

蟪蛄春秋を識らず

2025-08-03
白鳥山 西蓮寺様(世田谷区北烏山2-7-1)HPより

蟪蛄春秋を識らず、(けいこしゅんじゅうをしらず)
伊虫あに朱陽の節を知らんや(いちゅう あに しゅようのせつをしらんや)

曇鸞大師『浄土論註』


蟪蛄とはセミのことです。
伊虫とは「この虫」という意味で、ここではセミを指します。

「夏に成虫となるセミは、春や秋があることを知りません。
春や秋を知らないこの虫が、どうして朱陽の節(夏)を知ることができるでしょうか(いえ、できません)」ということを言われています。


残された時間が少ないことを知ってか知らずか、セミはいのちを尽くして鳴き続けます。
セミは、夏に成虫となります。春や秋、もちろん冬がどのような季節か知りません。さて、であるならば夏について詳しいかというと、そういうわけでもありません。
「僕は春や秋のことは知らないけれど、夏のことならまかせてよ」と胸を張れるでしょうか(いえ、そういうわけにはいかないことでしょう)。
「春秋」を識らないということは、自分が必死で鳴いている季節が「夏」だということも分かりません。「季節」と書きましたが、季節のうつろいがあるということも知らないことでしょう。比べることができて初めて「夏だ」「春だ」「秋だ」「冬だ」と知ることができます。夏に成虫となるセミは、春も秋も識らず、夏が来た!ということも知らずに、いのちを終えていきます。
さて、この言葉は、セミのことを語っただけの言葉でしょうか(いえ、そうではありません)。

例えば…そう、私のこと。自我という想いの中を生きている私は、他者(ひと)の想いを知りません。自分を正当化し、自分さえよければいいと思いながら生きている私。他者の声は耳に入らないし、自分の想いとは違う想いに耳を貸すことはありません。
でも、他者を知らないということは、実は自分自身のことも分かっていないのかもしれません。
他者の想いに身を寄せず、他者の悲しみに鈍感な私は、「自我を生きている私だ」という気付きもありません。「私」と書いていますが、「私」ということも知らないことでしょう。他者の想い・悲しみ・いのちを知って初めて「私」を感じるのかもしれません。
(注…本当は、他者の想いや悲しみを知ることなどできません。「あなたのことはよく分かっているよ」などと言うのは傲慢です。でも、他者の想いを感じることに努めることはできるのではないでしょうか。そのような意味で、「他者の想いを知る」と書きました)
南無阿弥陀仏



昨日の総代会で話題になったお米が・・・・

2025-08-02
暑さに強く、何よりも美味しい…、お届けいただいた江田総代曰く!!
こんなオマケも・・・。

玄関の設えを改めました。

2025-08-01
KIMIKO作を掲げました。
玄関は夏の設えとなりました。
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