兵戈無用(ひょがむよう)

「兵戈無用」(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)

平和式典2026 in 広島

2026-08-09
【全文】広島県知事挨拶「核による脅し、先制攻撃も厭わない考え方が核兵器使用のリスクを高めている」 (2026/08/06 08:43)
令和8年8月6日 広島県知事 横田 美香
被爆81年を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊(みたま)に、広島県民を代表して謹んで哀悼の 誠(まこと) を捧げます。そして、今なお、苦しみの絶えない被爆者や御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。 水辺に囲まれた、美しい広島のまち。81年前、原爆投下による凄惨な現実がここにありました。 強烈な威力は、一瞬にして多くの人々を焼き、建物や生活基盤を破壊し、太陽を遮りました。その年のうちに14万人の方が亡くなり、その後も多くの方々が命を落としました。 生き延びた被爆者も、受けた傷や放射線による影響、そして心の傷を抱えながら、苦しみ続けておられます。昨年の被爆80年に、「戦争がどんなに悲惨なものか、子供たちにどうしても知ってほしい」と、初めて言葉を絞り出した被爆者。「生き残ったことも地獄」と多くの方々が、語ろうにも語れない体験をされてきました。 被爆者の言葉、そして声にならない思いに、私達は真摯に耳を傾けなければなりません。 核兵器により全ての人を傷つけ、全てのものを破壊することに、何の意味があるのでしょうか。 核抑止力への依存が、今なお、世界の安全保障政策において大きな位置を占めていることに、悲しみと怒りを感じざるを得ません。核による脅し、先制攻撃も厭わない考え方、それによる核武装の強化が核兵器使用のリスクを高めています。核抑止は核兵器を使用することを前提にしない限り成り立たず、各国の不信や軍拡競争を助長し、世界を不安定化させるという根本的な矛盾をはらんでいます。核抑止力を求める こと自体が新たな戦争を引き起こしている現実を直視し、核抑止から脱却すべきです。 人は皆、平和に安全に生きたい。その願いは人類共通のものです。私たちは対立を超えて助け合い、共に豊かになる道を歩むことはできないのでしょうか。 ある被爆者は「終戦直後、あのときほど人々の優しさ、温かさを感じたことはありません」と語っています。 原爆投下直後から、救援のために多くの人々が広島市内に入り、自ら被爆しながらも廃墟の中にあって、失われた命や九死に一生を得た人々に寄り添い支えました。人間同士が支え合う精神が信頼と希望の灯を点し、復興を前に進め、今のこの広島があります。 今、世界に求められているのも、対立や暴力ではなく、信頼と協力によって平和を築いていく、この精神です。不信と憎悪を乗り越え、国家間だけでなく、人と人とのつながりにより、対話と協力による安全保障を実現し、誰もが人間らしく暮らしていける世界を築いていくために、世界のあらゆる叡智を集めなくてはなりません。  今年亡くなられた被爆者・森重昭さんは、「原爆の悲劇に国境はない」と訴えられました。核兵器が傷つけるのは、特定の国民ではありません。そこに生きるすべての人々、そして未来の世代までも深く傷つけます。 人類と核兵器は、共存できません。 核兵器を無意味なものに変える行動を世界のリーダーに、そして世界の皆さんに求めます。 核兵器を廃絶するために、共に行動していきましょう。広島県は、これからも被爆地の声を世界に届け、核兵器のない平和な世界の実現に向けて行動し続けていく事をここにお誓い申し上げ、平和へのメッセージといたします。  
【全文】国際連合事務総長挨拶「数十年続いた核兵器削減の潮流が逆行しつつある」アントニオ・グテーレス (2026/08/06 08:53)
2026年8月6日  広島 <代読:中満泉 国連事務次長>
81年前の今日、広島は廃墟と化しました。数万人の方々が尊い命を落とされました。 そして、世界は核戦争の恐るべき力に直面しました。 今日、私たちはこの場においてあの日の出来事を振り返り、犠牲となられた方々の魂を偲びます。 そして、被爆者の方々に敬意を表します。被爆者の方々の数は年々減っていますが、彼らの平和へのメッセージは、これまで以上に重要な意味を持っています。 この記念日は、厳粛な追悼の日であるだけでなく、自らに問いかける時でもあります。 81年前、この地が炎に包まれた経験から、私たちは何かを学んだのでしょうか? 人類は平和な未来を選ぶのでしょうか? それとも、核による破滅という暗い影の下で生き続けるのでしょうか? 私たちは今、地政学的な分断が深まり、不信感がつのり、競争が激化する時代にいます。 核による惨禍を未然に防いできた規範と方策は、今、危機に瀕しています。 数十年にわたって続いた核兵器削減の潮流が逆行しつつあります。 核実験禁止という国際規範も脅かされています。 世界の軍事費は急増し2025年に2兆9000億ドルに達しました。 力の誇示と強制のため、核兵器による恫喝も横行しています。  広島の教訓は、核兵器の恐ろしさだけではありません。核兵器の脅威や使用が考えられない世界を築く必要性を教えてくれました。 平和とは恐怖と力によって得られるものではありません。 平和とは信頼によって築かれるものです。 対話、外交、国際協力への継続的な投資によって。 国際法への揺るぎないコミットメントによって。 すべての国、特に核兵器保有国が、リスクを軽減し、信頼を再構築し、完全なる軍縮に向けての行動をとることによって。 グローバルな軍縮体制を強化することによって。 そして、核兵器こそが究極の安全保障であるというゼロサム思考を断固として拒否することによって――実際核兵器は安全保障の対極に位置するのです。   国連は、世界から戦争という惨禍を根絶するために設立されました。 そして、1946年の第一回国連総会における最初の決議は、核兵器の廃絶でした。 その約束は未だ果たされていません。しかしそれは、決して不可能というわけではありません。 広島は、不屈の精神、復活、そして希望の象徴として、私たちに力強いメッセージを伝えてくれます。 最も暗い時代を経験しても、私たちは異なる未来を選択し、築き上げることができると、広島の人々は世代を超えて、私たちに示してくれるのです。 原爆投下から81周年を迎えるにあたり、確固たる意志と信念を持って行動しましょう。 分断ではなく対話を、対立ではなく協力を、無意味な競争ではなく共通の安全保障を選びましょう。 そして、広島の悲劇が二度と繰り返されない世界へと、一歩一歩歩んでいきましょう。 2026年8月6日 国際連合事務総長 アントニオ・グテーレス
【高市早苗】広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式参列
令和8年(2026年)8月6日 内閣総理大臣 高市早苗
本日、被爆から81年となる朝を迎えるに当たり、内閣総理大臣として、ここ広島の地において、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。  そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からのお見舞いを申し上げます。  81年前の朝、一発の原子爆弾によって、広島の日常は一瞬にして断ち切られ、お一人お一人のかけがえのない命が容赦なく奪われました。  街は焼き尽くされ、多くの方々が積み重ねてきた暮らしや、将来に向けた願いの全てが、一瞬にして失われました。  一命をとりとめた方々にも、目に見える傷だけでなく、長く続く苦しみをもたらし、言葉に言い尽くせない悲しみの記憶が刻まれました。  廃墟となった街が復興を遂げた今日、広島の記憶は、人の命と尊厳がいかにもろく失われ得るかということ、そして平和の尊さを、今を生きる私たちに問い続けています。  広島及び長崎にもたらされた原子爆弾による惨禍、多くの方々の筆舌に尽くしがたい苦しみは、二度と繰り返されてはなりません。  我が国は、『非核三原則』を堅持しており、「唯一の戦争被爆国」として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けていく使命を担っています。  今、世界の安全保障環境は一段と厳しさを増しています。  先般の『核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議』において見られたように、「核兵器のない世界」に向けた道のりは、決して平坦なものではありません。  しかし、だからこそ、我々は、その歩みを止めるわけにはいきません。  「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の取組を主導すべく、『NPT体制』の維持・強化を訴えながら、「ヒロシマ・アクション・プラン」の下で現実的かつ実践的な取組を続けていく決意です。  また、被爆の実相を世代や国境を越えて広く伝えていくことは、核軍縮に向けたあらゆる取組の原点として重要です。  核兵器使用の惨禍や平和への思いを、長年にわたり語り伝えてこられた被爆者の方々、そしてその記憶や思いの継承を担われている若い世代の方々と共に、被爆の実相の理解促進に向けた努力を尽くしてまいります。  被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる「総合的な援護施策」を進め、ご高齢になられた被爆者のお一人お一人に思いを致し、必要な支援が確実に届くよう、対応を重ねてまいります。  特に、「原爆症の認定」について、申請された方々の心情を思い、被爆者の方々に一日も早く結果をお知らせするため、できる限り迅速な審査を行うよう、努めてまいります。  広島の皆様は、被爆により深く傷つきながらも、そこから力強く立ち上がり、平和への思いを発信し続けてこられました。  そしてそれらは、世代を越えて、広がっています。  本日、原爆慰霊碑に奉納されました死没者名簿は、今回初めて、公募により選ばれた若い世代の方々が、被爆者の方々とともに記帳に携わられたと聞いております。  広島の記憶とともに、平和への思いが、しっかりと次の世代へ繋(つな)がれていることは、市民の皆様の不断のご努力の賜です。  その歩みに深く敬意を表するとともに、私もまた、ここ広島において、安全で安心して暮らせる社会を次世代に贈る責任を痛感しつつ、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを、お誓い申し上げます。  結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊の安寧と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念申し上げます。 

〜戦争はもういらない〜

2025-12-21
ローマ教皇 広島へ【特別番組】RCC News6スペシャル
【ドキュメント】ローマ教皇からのメッセージ 〜戦争はもういらない〜【広島
【NNNドキュメント】1000の言葉よりも… ローマ教皇が広島・長崎で語ったこと NNNセレクション

歴史から消された「捕虜第一号」

2025-12-08
捕虜となった兄、酒巻和男の人生について語る松原伸夫さん
真珠湾で捕虜に

 <帝国陸海軍は8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり>

 1941年12月8日、ラジオから臨時ニュースが流れた。海軍の空母部隊が、米ハワイ・真珠湾を奇襲攻撃したことが大々的に報じられた。

 その陰で歴史から消された男がいた。「甲標的」と呼ばれる2人乗りの特殊潜航艇で出撃したが失敗し、「捕虜第一号」となった海軍少尉・酒巻和男だ。「捕虜になるなら死を選べ」と教育されていた時代、軍部は存在をひた隠しにした。

真珠湾攻撃の前夜、甲標的を取り付けた潜水艦5隻がハワイ近海に潜んでいた。酒巻ら10人は、2人1組となって5隻の甲標的に乗り込み、真珠湾に忍び寄った。しかし方位を測るジャイロコンパスが故障していた酒巻艇は現在地点を見失う。「ドドドーン」と敵の爆雷攻撃を受け、サンゴ礁に乗り上げた。不運に涙がこみ上げた。

 艇を放棄し、部下の2等兵曹と海に飛び込む。「がんばれ、岸は近くだ」と叫んだ。波にもまれる中で離ればなれになり、意識は遠のいた。出撃した5隻は1隻も帰らなかった。

高市首相、G20出席のため出発

2025-11-22
日テレNEWS NNN © 日テレNEWS NNN
焦点は中国首相との接触

高市首相は、南アフリカで開かれるG20サミット=主要20か国・地域首脳会議出席のため、先ほど羽田空港を出発しました。中国側との接触があるかが焦点です。

高市首相「中国につきましては先月末、私と習主席との間で戦略的互恵関係の包括的推進と建設的かつ安定的な関係の構築という大きな方向性を確認しました。こうした考えに一切変わりはございません」

南アフリカのヨハネスブルクで開かれるG20サミットには、中国から李強首相が出席する予定です。高市首相の国会答弁に中国側が反発を強める中、首脳会議に合わせて高市首相と李強首相の接触があるかが焦点です。

高市首相は出発前、各国との2国間会談については「調整中」と述べるにとどめました。中国外務省は、日中の接触について「日本側には自重を求める」と拒否する姿勢を示しています。

また、高市首相は、国会答弁で台湾有事について、アメリカ軍が中国から攻撃される例を挙げた上で、日本が集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」になりうるとしたことについて、「安倍総理以来、政府として繰り返し述べてきた通りで、政府の立場は一貫している」と強調しました。

「私も日本とラオスとの架け橋の一端を担うことができれば」

2025-11-21
シェントーン寺院を視察される愛子さま(20日、ラオス・ルアンパバーンで)=代表撮影 © 読売新聞
古都ルアンパバーンを訪問した愛子さま

 【ビエンチャン=戸田貴也】ラオスを訪問中の天皇、皇后両陛下の長女愛子さまは20日、同国北部の古都・ルアンパバーンを日帰りで訪問された。

 午前に首都ビエンチャンを臨時列車で出発した愛子さまは、民族衣装に着替え、同国が王政時代に宮殿だった国立博物館を視察された。王室ゆかりのシェントーン寺院にも足を運ばれた。

 地元の県書記主催の昼食会にも出席。2012年にルアンパバーンを訪れた皇太子時代の天皇陛下が、伝統や人々の優しさに心を動かされたというエピソードを紹介し、「私も、日本とラオスとの架け橋の一端を担うことができれば幸いに存じます」と語られた。

 東京のNPOが共同運営する小児病院を視察後、「ラオス随一の美しさ」とも言われる景勝地・クワンシーの滝に足を運ばれた。同日夜にはビエンチャンに戻られる。

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