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ちょい話【釈尊編】

お釈迦様の生涯と教え

日本仏教史入門 釈迦の教えから新宗教まで…松尾剛次著

2022-03-07
2022年3月7日 09時46分

日本仏教1500年の歴史をたどり、その独自の発展は、僧侶たちがそれぞれの時代において人々の苦悩に応えてきたが故のものだと解き明かす。

鎮護国家のための宗教だった仏教は、鎌倉時代に大きく転換する。著者は「中世仏教の新しさとは何か」の章で法然、日蓮、叡尊らを取り上げ、彼らは個人の救済に動いた遁世僧だったと指摘する。官僧の立場では人々の悩みに応えることはできず、民間の宗教者となって個々人の苦しみと向き合い、葬送にも関わるようになったと説明する。江戸時代には檀家制度が確立し、安定を得た僧侶が堕落したとの見方もあるが、著者は宗学が整備され外来文化だった仏教の日本化が進展したとみる。

近代から現代においては、国の政治にも大きな影響を与えた国柱会、急速に信者を増やした創価学会などに言及。曹洞宗ボランティア会を組織した故有馬実成・原江寺住職の国内外での様々な支援活動は、叡尊や忍性をモデルにしていたことにも触れる。葬式仏教と揶揄されてきた日本仏教だが、東日本大震災以後、悩める人に積極的に寄り添うようになっており、「生活仏教」として発展していくことが期待されると歴史を俯瞰した上で結んでいる。

定価946円、平凡社(電話03・3230・6573)刊。

2月15日は、涅槃会です。

2022-02-13

Facebook 加藤 昭典さん曰く 
2月15日はお釈迦様が入滅された日です。
仏教徒の大事な仏忌です。
各寺では「涅槃図」を掛けてお釈迦様のご遺徳を讃える法要が営まれます。
「万物は移ろいゆく怠らず精進せよ!」との最期の教えです。 
 涅槃図の「阿那律尊者」(あなりつそんじゃ)天上から摩耶夫人を先導している人が、阿那律尊者です。
お釈迦さまの説法中に居眠りをしてしまったことを恥じて「絶対に寝ない!」という誓いを立てます。
結果、視力を失ってしまいますが、智慧の目を開き「天眼第一」と言われます。  
「摩耶夫人」(まやぶにん)お釈迦さまの生母であり、生後7日目に亡くなったと伝えられています。
摩耶夫人は、涅槃に入ろうとしているお釈迦さまに「長寿の妙薬」を与え、もっと長く多くの人にその教えを説いてほしいとの願いからやって来たと言われます。
この「薬袋」は摩耶夫人の願いもむなしく、お釈迦さまに届く前に木に引っかかりお釈迦さまには届きませんでした。  
「沙羅双樹」(さらそうじゅ)お釈迦さまの周りを囲んでいるのは沙羅双樹の木です。
右側の4本は白く枯れていますが、お釈迦さまが入滅されたことを人間や動物だけでなく植物も悲しんだことを示しています。
左側の4本は青々と葉を広げ花を咲かせていますが、お釈迦さまが入滅されてもその教えは枯れることなく連綿と受け継がれていくことを示しています。 
 「お釈迦さまに触れる老女」多くの人々の中で唯一お釈迦さまのお体に触れている人物がいます。
お釈迦さまに乳粥を施したスジャータ、又は、お釈迦さまの教えを聞こうと訪れたが時すでに遅く悲しみに暮れる老女などと言われます。
「阿難尊者」(あなんそんじゃ)お釈迦さまの側で悲しみのあまり卒倒している人物が阿難尊者です。
長くお釈迦さまの身近でそのお世話をした方で、最も多く教えを聞いた人物であることから「多聞第一」と言われます。  
「純陀」(じゅんだ)人々の中で唯一「供物」を持っている人が純陀です。
お釈迦さまはこの純陀から受けた食事が元で亡くなったと伝えられており、一説には「食材の中に入っていた茸による食中毒であった」とされています。
容態が悪化するお釈迦さまを見た阿難尊者は「純陀の食事を受けるべきではなかった」と嘆きますが、お釈迦さまは「私は純陀の食事によって寿命を迎えることができた。
臨終の前に食事を捧げることは最も尊い行いなのだ」と諭されました。
この言葉には「純陀を思いやる慈しみの心と死は厭うべきではない」という仏教の教えが表現されています。  
「阿那楼駄尊者」(あぬるだそんじゃ)倒れた阿難尊者を介抱しているのが、阿楼駄尊者です。
「阿那楼駄尊者」は、最初の「阿那律尊者」と同一人物です。
多くの弟子たちが悲しみに暮れる中、阿那津尊者だけはお釈迦さまの入滅の意味をよく理解され、当惑する人々にその死を伝えました。
お釈迦さまとその教えを聞く人々との間を繋ぐ重要な人物として描かれています。合掌 m(_ _)m

仏教は、人間を大事にするけれども、人間主義ではありません。

2021-10-03
Facebook Yasuda Rizinさん曰く、
1153
釈尊は我々に「仁者(あなた)」と言う。
そこに、教える人と教えを受ける人の区別があるでしょう。
区別はあるけれども、同じ「人」に生まれてきている。
人と人の関係です。
しかし、ただ人と人というだけでは人間主義でしょう。
仏教は人間主義ではない。
仏教は、人間を大事にするけれども、人間主義ではありません。

2021年度夏季企画展 畠中光享 東本願寺御休息所襖絵完成記念 釈尊への憧憬展

2021-07-13
このたび大谷大学博物館では、本学卒業生であり、仏教を題材とした絵画を数多く制作されている日本画家畠中光享先生の展覧会を開催させていただくこととなりました。
 畠中先生は2019年12月、真宗大谷派(東本願寺)御休息所に襖絵および掛軸を寄進されました。一般には公開されることのない御休息所ですが、今回特別に展観させていただくことになったもので、大変に貴重な機会となります。
 浄土真宗正依の経典である『浄土三部経』(仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)の風景を描いた襖絵「霊鷲山五山西方浄土観想」「祇園精舎香堂趾寂静」、ブッダガヤや前正覚山の光景、釈尊ゆかりの植物などを描いた襖絵、さらに屏風など、釈尊の御生涯、仏教の世界と出遇うことのできる多数の作品を、先生ご自身のお言葉とともに紹介させていただきます。
 最後になりましたが、本展開催にあたり多大なご協力を賜りました関係各位に、厚く御礼申し上げます

タイの涅槃寺(ワット・ポー)の巨大涅槃像。

2021-06-02
Facebook 真宗大谷派 東京三組さん曰く、仏足が見事です
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