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ちょい話【釈尊編】

お釈迦様の生涯と教え

鑑真来日の想いは、釈尊の想いに通じるのではないのか・・・。

2022-06-19
唐招提寺御影堂の落慶法要 奈良
令和4年度 唐招提寺 開山忌舎利会記念講演会(共催:一般財団法人律宗戒学院)

令和4年度 唐招提寺 開山忌舎利会記念講演会 目次 (0:00:34~)
■ご挨拶:唐招提寺第89世長老・一般財団法人律宗戒学院理事長 岡本元興 (0:02:33~)
■講師紹介 (0:05:30~)
■講義 講師:茨城県近代美術館 館長 尾崎正明 様           
             演題:東山魁夷画伯と唐招提寺
令和4年度 唐招提寺 開山忌舎利会記念講演会
唐招提寺御影堂と鑑真和上像
鑑真和上と戒律のあゆみ 特別映像
6月に特別拝観 唐招提寺 御影堂修理完了
Introduction of Toshodaiji・唐招提寺 (Nara, Japan)
天平の仏たち ~ 奈良 唐招提寺

 医療文化と仏教文化

2022-05-18

Facebook 田畑 正久さん曰く


大分合同新聞医療欄   「今を生きる」第416回
(令和4年 2月21日掲載) 医療文化と仏教文化(242)
     「仏説阿弥陀経」に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という言葉があります。人はそれぞれの個性で輝けばいいという意味ですが、子どもたちが元気で遊んでいる様はまさに、一人一人が輝いています。自我意識が発達してない幼児期には他人と比べるとか、好き嫌い、損得、勝ち負けという思考がないので、お経の言葉のように自由自在に生きています。
     辞書によれば、自由という言葉は①他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っていること②物事が自分の思うままになる様―とあります。
     自由という言葉は、本来は仏教用語で「自らに由(よ)る」と言う意味なので①に近いものです。「思うままになる」という意味は明治以降に加わったものと考えられています。
     明治の初期に、英語のfreedom(フリーダム、権利としての自由)、liberty(リバティー、状態としての自由)の訳語として自由という言葉を使うようになってから、「思うままになる様」という意味が加わったのでしょう。
     フリーダムは「最初から与えられている」、「あって然るべき」、「妨げられるべきでない」自由で、誰でも分け隔てなく与えられているという意味の言葉です。またリバティーは勝ち取って得た自由です。奴隷という身から、植民地という制約から解放・独立するというときなどに使います。両方とも欧米の思想を背景とした自由です。仏教でいうところの自由と共通する部分もありますが、その違いをよく理解して使うべきであると思われます。
     現在の日本では、辞書に示されるように①と②の両方の意味で使われています。しかし、哲学や宗教を学んで見ると、②の「自分の思いのままになる様」というのが気になります。世間的には「思いのままになる様を自由である」と考えられていますが、自由とは自分の欲望の赴くままに生きることではありません。むしろ、それは哲学的な理解では隷属的な生き方で、自我意識の思いや感情の奴隷になっている状態だというのです。
     仏教では、私が存在することの背後に宿されている意味を感得して、そのおのずからしからしめられる役割、使命を演ずることが自由であると言います。人は生まれながらに自由なのではなく、習慣や学習、徳育などによって初めて自立して自由になれるのではないでしょうか。

· 築地本願寺の伽藍の元ネタだ!!!

2022-03-27
Facebook 柳衛 悠平さん曰く
Facebook The British Libraryさん曰く
アジャンタの30の洞窟寺院は、西インドのワゴラ川の馬靴谷にあり、そこに住んでいた仏教共同体のために建てられた祈祷堂と修道院で構成されています。
最初の洞窟群は紀元前200~100年の間に発掘された。 6世紀以上の後、紀元500年ごろの発掘が再開された。
洞窟27は5世紀後半にさかのぼる。 ファサードは、大きな馬の形をした窓と、木材工事を模したチャイティアアーチによって支配されています。 壁には仏様の彫刻があり、側面には大きな立った仏様があります。 柱になったベランダが一部崩壊している。 #PhotoFriday
写真125/1(24)、洞窟27のファサード、アジャンタ©ヘンリー・コウセンズ、1865

もし舎利弗の還りて凡夫と為らんとき、我乃ち阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし。

2022-03-27

Facebook 齋藤 仁之さん曰く


『国訳一切経』「維摩詰所説経」(観衆生品第七)より
舎利弗天に問ふ、「汝いつか当に阿耨多羅三藐三菩提を得べきや。」 天曰く、「もし舎利弗の還りて凡夫と為らんとき、我乃ち阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし。」
舎利弗言く、「我の凡夫と作らんこと是のことわり有ること無し。」 天曰く、「我の阿耨多羅三藐三菩提を得んことも亦是のことわり無し。所以は何ん。菩提は住処無し、是の故に得る者とて有ること無し。」
舎利弗言く、「今諸仏は阿耨多羅三藐三菩提を得、已に得、当に得たまふべきもの恒河沙如しとは、皆何をか謂へるや。」 天曰く、「皆世俗の文字の数を以ての故に三世有りと説くのみ。菩提に去来今有りと謂ふには非ざるなり。」
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超訳【維摩経】より
シャーリプトラ:「貴女は既に、限りなく「究極の悟り」に近づいているように思えるのですが、いったいいつ、「究極の悟り」をゲットするのですか?」
天女:「うふふ・・・(笑)それはね、シャーリプトラのお兄さんが、ただの凡人に戻ることができた時よ!」
シャーリプトラ:「私が「ただの凡人」になるなどということは有り得ません!絶対に!!(怒)」
天女:「そうよね。(笑)私が「究極の悟り」を得る、なんていうのは、それと同じくらい有り得ないことなのよ。「悟り」は決して同じ状態に長いこと留まっていたりはしないわ。だから、「悟りを得た!」なんていう人がいたら、その人はウソつきなの。」
シャーリプトラは言いました。「・・・えーっとですね、貴女はそう言いますが、確かブッダはこうおっしゃったハズですよ。「ガンジス河の砂粒の数ほどの人々が、既に悟りを得た、今まさに悟っている、これから悟ることになるであろう」って。これはいったいどういうことなんですかね?」
天女は答えました。「ああ、それね。それはレベルの低い人たちに説明する便宜上、持ち出しただけの話なのよ。(笑)本来、「悟り」には現在も過去も未来もないわ。」

お釈迦様と国と和国との現在の繋がりについて

2022-03-08
3月3日、
インド海軍主催多国間共同訓練MILAN2022に参加した護衛艦「ゆうだち」が、
インド海軍補給艦「シャクティ」と洋上補給を実施しました。
本補給では、
日印ACSAが自衛隊として初めて適用され、
我が国とインドの更なる連携強化に寄与しました。
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