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ちょい話【釈尊編】

お釈迦様の生涯と教え

比叡山大阿闍梨が説く 心を整えるための最澄の教え「山家学生式」

2022-12-15
「山家学生式」

2022年もまもなく年の瀬。新しく迎える年がよい年になるよう、静かに振り返る時間をとってみませんか。『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』を出版した比叡山の光永圓道大阿闍梨が、心を整えるため最長の教え「山家学生式(さんげがくしょうしき)」について教えてくれました。

釈迦牟尼仏

2022-12-08
Wikiarc様より転写
Wikiarc様より転写
釈迦牟尼仏
しゃかむにぶつ
釋迦牟尼仏 梵語シャーキヤムニ・ブッダ(Śākyamuni-buddha)の音写。釈迦は種族の名、牟尼は聖者しょうじゃ、釈迦族の聖者の意。釈尊ともいう。仏教の開祖。約二千五百年前、インドのカピラヴァストゥの王、浄飯を父とし、摩耶夫人を母として誕生した。二十九歳の時、道を求めて出家し、多くの師を歴訪したが満足せず、尼連禅河のほとりの山林で六年間にわたり苦行した。三十五歳の時、のちにブッダガヤー(Buddhagayā)と呼ばれる地の菩提樹の下に座って瞑想し、ついにさとりを開いた。成道後、梵天の勧請によって伝道を決意し、鹿野苑(現在のヴァーラーナシ〈ベナレス〉郊外)に赴いて五比丘に初めて説法(初転法輪しょてんぽうりん)をした。以後四十五年間各地を巡って多くの人々を教化し、八十歳の時、クシナガラの沙羅樹のもとに身を横たえて入滅した。

大阿闍梨 塩沼亮潤が死の手前で見つけた「生き方」|極限の世界で見つけた人生の歩み方

2022-09-04
「情熱」を持ち続ける心構えがあれば、人生は必ず開ける~慈眼寺住職・塩沼亮潤氏|1300年の歴史で2人 大峯千日回峰行満行を経て辿り着いた世界とは

修多羅について

2022-08-14

Facebook 江場 琳觀さん曰く


《 修多羅 》

修多羅(しゅたら)は、サンスクリット語の【スートラ】の音写であり、経文、経典、これらを束ねて背負う為の紐のことを指すという。

画像では袈裟の装飾として背面に垂らす華麗な組紐のことで、以前、肖像を制作した折に仔細に研究する機会をいただいた。

実際に経典を背負うわけではないが、お坊様の正装に経典を運ぶ為の紐が残されている事に、目に見えない経典伝播の道のりを僧正の背中に感じたものである。

——— 背中から下へ向かった先は緩やかにカーブし、ばさり。と房が着地する ———

実に複雑な形の修多羅を、彫り進めたら後戻りできない木彫で表現するには実際に組むことができるほど構造を理解せねばならない。
  
工房で若い門弟と技術的な話をするうち、手先の技術より「彫刻する為の眼差し」「彫刻する為の思考」そんな話題へと展開したのでした。

お盆というお坊様の後ろ姿を目にする機会の多い時期に、ご縁を感じた次第です。
 
 
《 智積院 第68世 宮坂宥勝僧正像 》
 
長野県 照光寺蔵
江場琳觀 制作2018年 
総高さ975mm 像高590mm 仏寸(髪際高)一尺八寸
彩色仕上げ
材=檜 顔料 金 漆 (念珠=水晶 絹)

釈尊の最期

2022-06-23
入滅そして、入涅槃の図です。

釈尊の最期  
大谷大学名誉教授 吉 元(よしもと)  信 行(しんぎよう)   
一九四○年大分県生まれ。大谷大学文学部卒業(仏教学)。
大谷大学大学院文学研究科博士課程(仏教学専攻)単位取得。
日本学術振興会奨励研究員などを経て、大谷大学文学部教授。                   
き き て    金 光  寿 郎       
ナレーター:  今日は、大谷大学名誉教授吉元信行さんに、「釈尊の最期」というテーマでお話して頂きます。
聞き手は金光寿郎さんです。

これは、平成二十二年二月二十一日に、NHKラジオ第二の「宗教の時間」で放送されたものである
聞き手の金光氏(右)と吉元先生(左)
聞き手の金光氏と記念撮影

Facebook 吉元 信行さん曰く


拙いインタビューを釈大仁さんにうまくまとめて戴きました。
是非読んで頂きたいと思います。
聞き手の金光氏は既にお浄土に逝かれました。
ほんとに聞き上手の良い方でした。
たくさんの宗教の時間を担当しました。
私も今までに三回担当して戴きました。
惜しい人を失くしたと思います。南无阿彌陀佛。

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