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ちょい話【et cetera】

ちょっといい話

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『人生列車』 吉川英治作

2022-07-05
『人生列車』 吉川英治作

発車駅の東京も知らず、横浜も覚えがない。

丹那トンネルを過ぎたところで薄目をあける。

静岡あたりで突然乗っていることに気づく。

そして名古屋の五分間停車のあたりから、窓の外を見てきょろきょろしはじめる。

この列車はどこへゆくのかとあわてだす。

もしそんな乗客がいたらみな吹き出すに決まっている。

その無知な乗客を哀れむに違いない。

ところが人生列車は全部の乗客がそれなのだ。

城山三郎

2024-03-24
組織と個人の関係を通して人間の生き方を問い続けた気骨の作家。直木賞を受賞した「総会屋錦城」や「小説 日本銀行」のほか数々の話題作で「経済小説」というジャンルを切り開いた。
昭和2年に生まれ、17歳で海軍の少年兵に志願した。軍隊での体験が小説家・城山三郎の原点だ。戦後企業という組織に個人がつぶされていくさまは、戦時中と何ひとつ変わらないのではないかという思いを城山は小説に込めた。軍隊での体験や、個人個人がそれぞれの生き方をみつけていくことの大切さを語る。
Archived by NHK

大好きだった歌手 藤圭子のお嬢さん

2024-03-24
facebook 正垣 肇 (代表 戸 締役)さん曰く、大好きだった歌手 藤圭子のお嬢さん。 いい感性は、旋律にも言葉にも活きているなぁ。

雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子

2024-03-24
NHKの連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。主人公・常子のモデルとなったのが、雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子。敗戦の翌年、人並み外れた好奇心と度胸を武器に、‘女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい’と出版社を立ち上げ、人々の生活に大きな影響を与えた。また、その豊かな感性から生まれる柔らかなエッセイを数多く記し、多くの女性の‘社会を見る目’を育む一端を担った。大正9年、東京の麹町生まれ。2人の妹も生まれ、家族5人でつつましくも幸せに暮らす。しかし昭和5年、父の結核が悪化、他界。父の最期の言葉「鎭子は一番大きいのだから、母を助けて妹たちの面倒をみてあげなさい」を受け、「とと姉ちゃん=父親代わりの姉として生きていく」と決意する。当時10歳。‘女だけの大橋家がどうやって生き抜くか’が最大課題となる。高女時代から類い希なる行動力と観察眼を発揮し、歯磨き粉を発売するなど、豊かな発想力を具現化する。昭和21年26歳の時に、天才と謳われた名編集者・花森安治とともに、後に『暮しの手帖』となる雑誌『スタイルブック』を創刊。「自分の暮らしを大切にすれば戦争は起きない??」という花森の信念に寄り添い、「つつましくも、おしゃれな生活」を提唱する雑誌を育てる一方で、編集者としての直感も持ち続けた。「自分の知らないことを調べて出版したら、女性が読んでくれるんじゃないか?」‘普通の人々’の視点を忘れることなく、‘等身大に生きる喜び’を伝え続けた大橋鎭子。「女の人を幸せにしたい」と願い続けた。
Archived by NHK

「日にち薬」と呼びます。

2024-03-22
facebook 魂を揺さぶる言葉たちさん曰く
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