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ファイトの系譜 

【 オールラウンド編  含TOKYO2020の記録】

「おじさんに紛れて練習してます」

2021-12-12
© デイリースポーツ 女子パ-クで初優勝した13歳の草木ひなの
デイリースポーツ 2021/12/12 15:50

「スケートボード・日本選手権」(12日、ムラサキパークかさま)

 女子パーク決勝が行われ、中学1年の草木ひなの(13)が48・67点で初優勝した。女子ストリートを制した12歳の赤間凜音に続く中学1年の新女王が誕生。2位には小川希花(20)、3位には小学5年の長谷川瑞穂(11)が入った。

 頂点に立った草木は、パークの中央で周囲に向かってお辞儀した。「(優勝は)あんまりわかってない。実感が沸いてないです」。初々しく、驚いた様子で喜びをかみしめた。

 予選、準決勝を全て1位で通過。決勝は1本目で、超大技の「バックサイド540」を初めて試合で決め、この日の最高得点をたたき出した。「540を完璧に乗れるようにやってきた。初めて決められて、めちゃくちゃうれしかった」。

 幼少期から運動好きで、水泳、アクロバティック体操、ダンスなどをやってきた。スケートボードは母の影響で小学3年から始めたが、「お母さんに負けるのが悔しくて、スケートボードは大嫌いでした」。それでもめきめきと腕を上げ、競技歴4年ながらトップスケーターの仲間入りを果たした。

 茨城県つくば市の「AXISスケートボードパーク」を拠点に週6回練習に励んでいる。周りは30~40代の男性スケーターが大半だといい、それが生きた教材。「おじさんに紛れて練習しています」と笑わせた。

 この種目では、東京五輪で四十住さくら(ベンヌ)が金メダル、同学年の開心那(WHYDAH GROUP)が史上最年少メダリストとなる銀メダルを獲得し、4位の岡本碧優(MKグループ)も第一人者と、日本勢が世界屈指のレベルを誇っている。24年パリ五輪に向けてアピールした新女王は「目標はパリ五輪までに実力をつけること。私の良さであるスピードを生かして、グラインドや、エアの高さを上げていきたい」と決意を込めた。

東京五輪空手金・喜友名諒が決勝進出、前人未到の10連覇に王手

2021-12-12
© 日刊スポーツ新聞社 喜友名諒(2021年8月6日撮影)
日刊スポーツ新聞社 2021/12/12 14:26

<空手:全日本選手権>◇12日◇日本武道館◇男子形

東京オリンピック(五輪)金メダルの喜友名諒(31=劉衛流龍鳳会)が貫禄の強さを示して決勝進出を決め、前人未到の10連覇に王手をかけた。

予選ラウンド1回目の指定形でセーパイを演武して26・72点、同2回目の自由形はクルルンファで26・96点をたたき出し、文句なしの全体トップ通過。準決勝ラウンドはパイクーで27・86点の高得点をマークすると、場内からどよめきがもれた。

決勝はこの日の午後に行われ、西山走(大分市消防局)と対戦する。喜友名は前年、歴代単独最多優勝回数となる9連覇を達成した。

女子形は前年優勝の大野ひかる(大分市消防局)と大内美里沙(同大)が決勝に進んだ。東京五輪銀メダルの清水希容(ミキハウス)は出場していない。

女子1500mで髙木美帆選手が1分49秒99で開幕から3連勝

2021-12-09
Facebook Team JAPANさん曰く
スピードスケートのW杯第3戦は5日、米ソルトレークシティーで行われ、女子1500mで髙木美帆選手が1分49秒99で開幕から3連勝、佐藤綾乃選手は1分51秒46で2位となりました。男子500mは森重航選手が33秒99で初優勝を果たしました。(写真:AP/アフロ)

引退の斎藤佑樹氏 学生野球の指導に意欲

2021-11-01
北海道日本ハムファイターズ 2019.12.08
日ハム斎藤佑樹「今が1番楽しい」 母校・早大のグラウンドで野球教室

平成の怪物、引退の時を迎えました。

2021-10-20
『讀賣新聞』2021/10/20朝刊です。
最期は、18番で終わりといたしました!!

【 オールラウンド編 】(アーカイブス)

映画「民族の祭典」 “Olympia” 開会式

2021-08-09
1936年にヒトラー政権下で開催されたベルリンオリンピックの記録映画.最初にして最高のオリンピック映画といわれる.
レニー・リフェンシュタール監督.

ミュンヘンへの道 オープニング 1972年

2021-07-22

「ミュンヘンへの道」

2021-07-22
『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』
『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』に関しては、今振り返っても、本当にバレーボール日本代表チームが優勝したことが凄いと思いますよネ。
オリンピック本番前からの放送で盛り上がっていきましたが、まさか金メダルを獲るとは‥。願望や希望的観測はありましたが、言行一致の快挙でした!
この番組は、1972年4月23日から8月20日、そしてオリンピック終了後に特番として同年9月24日に放送されたドキュメンタリーとアニメーションを一体化させた番組でした。当時のバレーボール男子日本代表が、ミュンヘンオリンピック(1972年8月開幕)開幕へ向けて取り組む様子をチーム全体や個々の選手のエピソードを交えながら紹介していったもので、エピソードの部分がアニメーションで描かれ、競技や練習などの様子は実写映像を使用して放送されました。

松平康隆監督率いる日本代表チームのメンバー、猫田勝敏選手や森田淳悟選手、南将之選手、横田忠義選手、そして大古誠司選手らが登場。特に女子には、甘いマスクの嶋岡健治選手が人気でした。猫田の天井サ-ブや森田のドライブサーブ、更にA・B・Cクイックに時間差攻撃などの「秘密兵器」が出てくるんですが、テレビで取り上げたら秘密じゃなくなることが心配でした‥。また因みに、まだこの頃は戦法としてバックアタックはなかったです。
ちょうど中学に入学してバレーボールに馴れ親しだ頃で、よくこのスポーツをしました。1学期の体育の授業は全部バレーボールだったのですが、私は初めて本格的に接したバレーボールが妙に性に合ったみたいで、楽しくって仕方がありませんでした。小学生までのドッジボールに代わって毎休み時間はバレーボールばかりしていましたネ。

当時の身長は171cmくらいでしたので、もっぱらセッターをしていましたが、それこそ『ミュンヘンへの道』で知ったクイックや移動攻撃を早速取り入れて、ほぼマスターしてセンターのポジションもこなしていました、あと5cmも上背があったらバレーボール部に入部していたかも知れまが、そこは冷静に判断して以降一度もバレー部には近づきませんでしたが、高校でもよくバレー部にまじって遊んだものです。
また自慢じゃないけど、お陰様でこの時(中1・1学期)の体育の成績は10段階で10という好成績でした。本当です!

『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』

2021-07-22
Facebook 木村 潤 さん曰く

【 プロレス編】

幻の「ジャイアント馬場vsアントニオ猪木」~1979 ”1億円

2021-05-15
日本武道館”で実現寸前?の謎に迫る
日本のプロレス界を興した力道山の弟子として育った両雄は袂を分かち、全日本プロレスと新日本プロレスというそれぞれの団体を興して、激しい興行戦争を繰り広げていました。

王座陥落

2021-05-16
ジャイアント馬場vs.ジン・キニスキー(JWA・1970年12月3日)

日本プロレス協会。
 大阪、日本。 1970年12月3日。
 NWAインターナショナル・ヘビー級王座3本勝負。
 ジャイアント馬場(馬場 正平)vs.ジン・キニスキー
王座奪還 ロサンゼルス/オリンピックオーデトリアム

ジン・キニスキーvs.ジャイアント馬場

(NWA・1970年12月18日)

【馬場転落】ジャイアント馬場vsジン・キニスキー70年12月大阪インター選手権

2021-05-16
GIANT BABA VS GINE KINISKI 70' Dec

日本プロレス時代の「ジャイアント馬場」

2021-05-15
日本プロレス時代の「ジャイアント馬場」③~1968-1972
ブルーザーとの決定戦で勝利した馬場はルー テーズ、力道山に続く第3代王者。これは「日本プロレスのエースであり、力道山の正当な王位継承者」という証なのです。

WWWFの系譜

2021-05-15
バックランドカラー
B.サンマルチノ→ P.モラレス→B.バックランド
馬場に32文伝授(デイリースポーツ)「ラテンの魔豹」ペドロ・モラレス、ジャイアント馬場にドロップキックを伝授。少年向けのプロレス書籍に、馬場さんに吊るしたバスケットボールを蹴らせるモラレスのドロップキック指導方法が載っていたものです。

【 ボクシング編 】

井上尚弥 衝撃の3回TKO 1回に勝利確信「弱気な姿勢も見えた。こんなもんかと」

2021-06-21
スポーツニッポン新聞社 2021/06/20 14:48
© スポーツニッポン新聞社 ダスマリナス下し、2本のベルトを肩にかける井上尚弥(AP)

プロボクシングWBA&IBF世界バンタム級タイトルマッチ12回戦は19日(日本時間20日)、米ネバダ州ラスベガスのヴァージン・ホテルズ・ラスベガスで行われ、統一王者・井上尚弥(28=大橋)がIBF1位の指名挑戦者マイケル・ダスマリナス(28=フィリピン)に3回2分45秒TKO勝ち。WBA5度目、IBF3度目の防衛に成功した。

 井上は「第1Rの相手の出方見て、相手の出方次第ですけど早い回でいけるのかなと確信を持てました」と序盤で確信をつかんだことを明かした。ダスマリナスについては「思ったより出てこなかった印象なので。わりと自分のやりやすいペースで進められたのかなと思います」と振り返った。

 中継のスタジオゲストでWBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太(34、帝拳)からも「1ラウンド目のファーストコンタクト、ジャブに対して左フック合わせた瞬間に勝つと思いました?」と聞かれ、井上は「読めたかなと。相手のちょっと弱気な姿勢も見えたのでこんなもんかという感じがありました」と語った。

 リングサイドではWBC王者ドネア、WBO王者カシメロが観戦。井上は「今回は相手うんぬんというよりラスベガスの期待感と、ドネア、カシメロが見に来ている中でどう自分を出し切るかというのが一番の課題だった」。試合は「80点くらい」と自己分析。「少し足の運びがいまいちだなというところもあったので、やりながら感覚をつかみたいと思います」とさらなる進化を誓った。

 さらに「自分の中の位置づけは4団体統一に向けてということで挑んだ試合なので勝ったことのうれしさはありますが、手を挙げて喜んでいられるステージではない。この後にドネア、カシメロの勝者と戦う方向に向けてより精進したい」と先を見据えた。

ダスマリナス「息できなかった」尚弥の強烈パンチに白旗

2021-06-21
「ナオヤはとても良い選手。(ボディーは)かわしたり、守ったりができず、インパクトは強烈で息ができなかった」
© スポーツニッポン新聞社 ボディーで3度ダウンを奪われたダスマリナス(AP)
スポーツニッポン新聞社 2021/06/21 05:30

◇WBA&IBF世界バンタム級タイトルマッチ12回戦 〇井上尚弥 KO3回2分45秒 マイケル・ダスマリナス●(2021年6月19日 米ラスベガス)

 左ボディーで3度ダウンを奪われたダスマリナスは「ナオヤはとても良い選手。(ボディーは)かわしたり、守ったりができず、インパクトは強烈で息ができなかった」と白旗。「総合力が高く、スピード、パワーがあり、動きもよく、スキルがあった」と王者を称えた。

 同じフィリピン勢のドネアとカシメロの対戦については「よりコンディションが良い選手が勝つ」とし、その勝者が井上に挑む一戦について「良い試合になるはずで、(井上に対して)勝つチャンスがあるかもしれません」と予想した。

井上尚弥が防衛成功!ダスマリナスを3回TKO バンタム4団体統一へ前進

2021-06-20
日刊スポーツ新聞社 2021/06/20 18:39
© 日刊スポーツ新聞社 ダスマリナスを攻める井上尚弥(AP)

<ボクシング:WBAスーパー、IBF世界バンタム級タイトルマッチ12回戦>◇19日(日本時間20日)◇米ネバダ州ラスベガス

WBAスーパー、IBF世界バンタム級王者井上尚弥(28=大橋)が防衛(WBA5度目、IBF3度目)に成功した。

IBF同級1位マイケル・ダスマリナス(28=フィリピン)を3回TKOで倒し、日本人初となる2戦連続の「聖地」防衛に成功した。

WBC同級王者ノニト・ドネア(38=フィリピン)ら他団体の対抗王者が見守る中、ラスベガスのリングで実力をアピールした。目標に掲げるバンタム級4団体統一へ、大きなステップを踏んだ。

  ◇   ◇

全米生中継、ラスベガスでは自身初の有観客興行という舞台で、井上が白星をつかんだ。日本人初となる2戦連続「聖地」防衛に成功。「試合当日の自分がどのようなパフォーマンスをするのか、ラスベガスにどんな試合をみせられるのか。自分でも楽しみ」。神経質になり、緊張しても良い環境であっても、井上は愛称「モンスター」らしくファイトした。

昨年10月のジェーソン・モロニー(オーストラリア)戦で初めてラスベガスに進出した。米プロモート大手トップランク社と契約後初試合で7回KO勝ちを収めた試合内容は大きな評価を受けた。「間違いなく彼は世界で最高のファイター。誰もが彼のようにはなれない」と絶賛していた同社ボブ・アラムCEOが試合前会見でも「モンスターが米国に戻ってきた」と手放しで歓迎。試合1週間前からラスベガスの掲示板は井上-ダスマリナス戦のPRが増え、中継局の米ESPNでは連日、ゴールデンタイムに井上を特集番組が放送された。

井上は言う。「もうプロモーションを含め、かなり期待を感じるので、その期待を裏切らないように、出せるものすべて出して、しっかりと勝ちにつなげたいです」。所属ジムの大橋秀行会長(56)は「米国での対応、評判が前回に比べものにならないぐらい(高い)。本人も比較していて、良い意味でかなり気合が入っている」と口調を強めていた。期待を力に変え、海外オッズでも優位の井上が確実に「聖地」で勝利を手にした。

◆井上尚弥(いのうえ・なおや)1993年(平5)4月10日、神奈川・座間市生まれ。元アマ選手の父真吾さんの影響で小学1年から競技を開始。相模原青陵高時代にアマ7冠。12年7月にプロ転向。国内最速(当時)6戦目で世界王座(WBC世界ライトフライ級)奪取。14年12月にWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し、史上最速(当時)の8戦目で2階級制覇。18年5月にWBA世界バンタム級王座を獲得し、国内最速(当時)の16戦目で3階級制覇。19年5月にWBA、IBF世界バンタム級王者に。同年11月、WBSSバンタム級トーナメント優勝。家族は夫人と1男2女。164・5センチの右ボクサーファイター。

◆世界主要4団体統一王者 過去6人誕生している。世界主要4団体となって以降、04年にバーナード・ホプキンズ(ミドル級)、05年にジャーメイン・テイラー(ミドル級)、17年にテレンス・クロフォード(スーパーライト級=すべて米国)、18年にオレクサンドル・ウシク(クルーザー級=ウクライナ)、20年にテオフィモ・ロペス(ライト級=米国)が達成。そして、階級最強トーナメントのWBSSスーパーライト級覇者ジョシュ・テイラー(英国)が5月23日、ホセ・カルロス・ラミレス(米国)との4団体統一戦を制し、史上6人目の統一王者になった。

井上尚弥・デビューからマロニー戦までの全ダウンシーン35連発

2021-05-23
#井上尚弥・デビューからマロニー戦までの全ダウンシーン35連発
モンスター NAOYA INOUE

WBAスーパー・IBF世界バンタム級王者 井上尚弥(大橋)、ラスベガスデビュー

2021-05-23
挑戦者は、 WBA2位、IBF4位、WBO1位 ジェイソン・マロニー(オーストラリア)



WBAスーパー・IBF世界バンタム級王者
井上尚弥(大橋)

VS
WBA2位、IBF4位、WBO1位
ジェイソン・マロニー(オーストラリア)

 

試合結果は
井上尚弥の7RKO勝ち

 

バンタム級のWBAスーパー王座とIBF王座を持つ井上尚弥(27=大橋)が10月31日(日本時間11月1日)、

アメリカのネバダ州ラスベガスで両王座の防衛戦

挑戦者はWBA2位、IBF4位、WBO1位にランクされるジェイソン・マロニー(29=オーストラリア)。

19戦全勝(16KO)の井上に対し、マロニーも22戦21勝(18KO)1敗。

マロニー健闘も、7R右クロスカウンターで井上尚弥の7RKO勝ちです。

井上尚弥 vs ジェイソン_マロニー 無観客のラスベガスデビュー戦

【 ボクシング編 】(アーカイブス)

ボクシング レジェンド王者伝説 畑山隆則 編【vs 坂本戦、鮮烈KO 6連発】

2021-07-06
■ 2000年10月11日 WBA世界ライト級タイトルマッチ 王者 畑山隆則 vs 挑戦者 坂本博之 ■ 畑山隆則 強さの証明 KO 6連発!

大場政夫

2020-10-07
【 昭和の大ヒーロー ♪ 伝説のボクサー:大場政夫 大特集 ♪ 1998年放送 】
https://youtu.be/07POis-2g2k

1973年1月25日、3週間ほど前に逆転KOで5度目の防衛を果たしたばかりの大場は、首都高速5号線でカーブを曲がり切れずに中央分離帯を乗りこえ対向車のトラックと正面衝突。 愛車のシボレー・コルベットと共にチャンピオン・ベルトを巻いたままあの世へと旅立ちました。23歳でした。

永遠のチャンプ

2020-06-25
永遠のチャンプ・大場政夫。

私が最も敬愛するボクサーです。

1949年10月21日東京都足立区生まれ。

実父がギャンブル好きで、幼少期の暮らしは相当に貧しかったようです。

その実父がボクシングファンだった影響から、なんと小学校の入る頃には既に、将来は世界チャンピオンになり、両親に家を贈ろうと決めていました。

その後も決意はブレることなく、1965年の中学卒業と同時に帝拳ジムに入門、プロボクサーへの第一歩を踏み出すことに。

翌年には、渡辺和喜に1回KO勝ちでプロデビュー。

以降は、持ち前の負けん気と豊富な練習量で頭角を現し、次々と難敵を退けて世界ランキング上位へと駆け上がりました。

そして、プロ28戦(25勝2敗1分8KO)で、念願の世界タイトル初挑戦の切符を手中にします。

1970年10月22日、タイのベルクレック・チャルバンチャイを13回KOで倒し、WBA世界フライ級王座を獲得。

この時、大場は21歳。

プロキャリア4年で小学生の頃抱いていた夢を叶えました

その後、2年半足らずで王座を4度防衛。

そして1973年1月2日、WBA世界フライ級5度目の防衛戦を迎えます。

相手は「稲妻小僧」の異名を持つ元WBC世界フライ級チャンピオン、タイの英雄チャチャイ・チオノイ。

大場は1Rにチオノイの豪快な右フックを食いダウン。

その際に右足首を捻挫し、以降は足を引きずりながらのファイトを強いられます。

しかし、大場は驚異的な粘りで劣勢を挽回、8Rからは優勢に立ち、12Rを迎えます。

前半は打ちつ打たれつでしたが、中盤に機を見て大場が猛ラッシュ。

ロープ際で連打を浴びせられたチオノイは、遂に崩れ落ちます。

その後、チオノイは半ば戦意喪失状態になり、最後はレフェリーが試合を止め、大場は大逆転で5度目の防衛に成功しました。

1月2日のゴールデン枠に、人気ボクサーの世界戦生中継とあって、祖母の家に集まっていた親戚一堂はTVに釘付け。

終盤は皆が「大場〜っ!」と絶叫するほどの大熱戦でした

小学校3年生だった私も、感動で泣きそうになりました。

決して器用ではなく、打たれて強いわけでもなく、スピードもそれ程ではない……が、

猛練習で培った旺盛なスタミナと折れない心で、ただ愚直に左右のワンツーを繰り出す。

いつまでも、いつまでも、相手が倒れるまで繰り出す。

その闘志を前面に押し出したボクシングスタイルは、観る者の心まで奮い立たせる迫力がありました。

この試合の23日後、1973年1月25日。

大場は愛車シボレー・コルベット・スティングレーで首都高速5号池袋線を走行中、大曲カーブを曲がり切れず中央分離帯を乗り越え、反対車線に出たところを大型トラックと正面衝突。

現役世界チャンピオンのままこの世を去りました。

大場は3度目の防衛戦後に、それまでで得たファイトマネーで埼玉県に一戸建を新築購入し、両親に贈っています。

また、実弟の高校までの学費も全額支払い終えていました

中学卒業後、ボクシングに総てを賭けてきた大場が、4度目の防衛成功後に生涯で初めて自分自身へ贈ったご褒美が、当時日本に2台しかなかったシボレー・コルベット・ステイングレーでした。

大場政夫 
プロボクシング生涯戦績
38戦35勝16KO2敗1分
第25代WBA世界フライ級王座5度防衛

大場政夫  VS  チャチャイ・チオノイ (1973年)

2021-06-30
【昭和45年】大場政夫 vs.ベルクレック・チャルバンチャイ
1970年10月22日 WBA世界フライ級タイトルマッチ

大場政夫・最強の刺客を迎えて予想不利!

2021-06-30
花形 進 (横浜協栄)選手との日本人対決を制すると同時に、3度目の防衛達成、若き日の借りを返した大場選手。

4度目の防衛戦は、”最高の刺客”オーランド・アモレス(パナマ)を迎えて行なわれる事になった。

「最強の相手を選ぶのは、チャンピオンの宿命ではありませんか」

これはチャンピオンとしてのプライドだと説明した長野マネジャー。

パナマの黒ヒョウと異名されたアモレス。戦績28勝(19KO)1敗。

バスケスは、毒グモだ。(~~)
試合は昭和47年(1972年)6月20日、日大講堂で行なわれた。
試合開始早々、アモレスの左フックで大場選手ダウン。会場は静まり返る。前途多難なスタート。
3、4回と激しい打撃戦の中で激しいバッティング。額から流血のチャンピオン。
迎えた5回、右ストレートからチャンスを掴んだ大場選手は怒涛の連打。アモレスはマットに深々と沈んだ。
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