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ファイトの系譜 

【 オールラウンド編  含TOKYO2020の記録】

Masters Tournament 2020年4月10日 ·

2021-04-15
先週は梶谷翼が今週は松山英樹がオーガスタナショナルで日本人初の優勝という歴史的快挙を成し遂げた

「岩田禎夫さんにも、天国へ『松山が勝ったよ』という報告を、ここでさせてください」

2021-04-12
「今回、松山選手が優勝したらこのフレーズを言おう、とは特段考えずにいましたが、岩田さんのことは絶対に伝えたいと思っていました。マスターズの歴史を僕に教えてくれたのは岩田さんでした」

マスターズはVTR時代から2011年までTBSでテレビの解説。
2011年連続40年でビル・ペイン・マスターズ委員会会長から特別表彰を受ける。
2003年にはアジアから初めてジャック・ニクラスのメモリアル・ジャーナリズム賞受賞。
メジャーを含み、米国ツアーは900試合以上取材。米国ゴルフ記者協会会員、米国ゴルフ協会、PGAツアー各メディア・メンバー、世界ゴルフ殿堂選考投票委員
1930年代のビッグスリー時代からタイガー・ウッズさらにポスト・タイガーの時代を迎えようとしている。
いままで数えきれないほど有名選手と接してきて素晴らしいチャンピオンほど人間的魅力があるのを実感した。
日本のゴルフも着実に進歩を続け、石川遼、宮里藍をはじめとして世界的なスターも誕生し、前途は明るい。その日本からメジャーを制する真のスーパースターが早く生まれてほしいものだ。どうすればメジャー・チャンピオンを送り出せるのか。すべての面で日本のゴルフはもっともっと魅力的になる。

岩田禎夫さんを悼む

2021-04-13

男子ゴルフの11日付世界ランキングが発表

2021-04-12
1位ダスティン・ジョンソン、2位ジャスティン・トーマス(ともに米国)、3位ジョン・ラーム(スペイン)は変わらなかった。
米ゴルフのマスターズ・トーナメントで、日本男子初のメジャー制覇を果たし、トロフィーを手に笑顔の松山英樹=11日、米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC
優勝セレモニー
松山、世界ランク14位に浮上 男子ゴルフ
左は、2020年度の覇者ダスティン・ジョンソン

【日本男子史上初のメジャー制覇】マスターズ優勝 松山英樹 インタビュー

2021-04-13

Hideki Matsuyama: Sunday interview 

Winner 2021 The Masters Tournament

【 オールラウンド編 】(アーカイブス)

豪球列伝

2021-12-09
金田正一の投球フォーム
金田正一の投球フォーム
江夏豊、投手、阪神タイガース、背番号28
江夏の真骨頂は、ONとの闘いでした。

尾崎行雄投手です。

2021-12-12
Facebook 髙橋彰男さん曰く
尾崎行雄投手です。
大阪浪商高校時代は1年の夏からエースをつとめ、3季連続で甲子園出場。
法政二高の柴田勲氏と名勝負を繰り広げた。高校二年時は1961年夏の甲子園優勝を果たした。
1961年浪商を中退し東映フライヤーズに入団。
当時の契約金は破格の6000万円といわれ大きな話題を呼んだそうである。
尾崎行雄投手の投球フォームは、スリークオーターよりやや下方から投げ込む速球を武器とし、あの時代にスピードガンがあったら160キロを出していたのではないかといわれそのほとんどがストレートだった。一方で制球力はあまりなく、狙ったコースには10球のうち3球だったそうで、そのため、データを集めたりメモを付けたことはなく、せいぜい大づかみに打者の欠点を頭に入れておく程度で、マウンドに登った時の感覚を大切にした。また、投球がどこへいくかわからないので、打者も狙い球を絞りにいくかったらしい。

大関魁傑関です。

2021-10-18
Facebook 髙橋彰男 さん曰く
大関魁傑関です。
現役時代は知りませんが、放駒親方として、横綱大乃国関を育てた師匠でもありました。
輪島関とおなじ花籠部屋の力士でした。
現役時代は休場がなく、幕内優勝は2回。
大関陥落後の翌場所に10勝を挙げられず後に大関に復活したのは、魁傑関と照ノ富士関だけだそうです。

第64代横綱 曙

2021-10-06
大相撲【曙vs若貴】この対戦がとにかくアツかった!
90年代の相撲界は空前の若貴フィーバーにより大いに盛り上がっていました。
その若貴兄弟のライバルとして横綱に君臨していた曙。
この対戦は非常に熱く、当時はわくわくしながらテレビを観ていたものです。

兄弟横綱誕生です。

2021-10-06

【 プロレス編】

ジャイアント馬場展で全日三冠ヘビー級王座ベルトを発見

2021-05-18
PWFへビュー級選手権ベルト
NWAインターナショナル選手権ベルト

ジャイアント馬場展で全日三冠ヘビー級王座ベルトを発見

2021-05-18
UN選手権ベルト

ファイトの足跡

2020-09-07
私は、プロレスといえばG馬場命、ボクシングといえば大場命です。
ジャンボ鶴田の三冠ベルトです。

NWA世界ヘビー級選手権ベルト

2021-05-15
ハーリー・レイスモデルです。
NWAヘルトには、団体加盟傘下国のフラッグが・・・。

大きな壁

2020-10-07
帝王と人間発電所
AWA王者 バーン・ガニア
WWWF王者 サン・マルチノ
馬場の前に立ちはだかった二つの壁 荒法師とテキサスの荒馬
NWA王者 ジン・キニスキー
NWA王者 ドリー・ファンク・Jr

【 ボクシング編 】

伝説は、ここから始まった・・・。

2022-01-20
井上尚弥でも今回は”負ける”と言われたWBO世界王者と対戦した結果…ヤバ過ぎ!?

2団体王者井上尚が防衛 谷口はミニマム級新王座に

2021-12-15
© 産経新聞 【ボクシングダブル世界戦】4回、ディパエン(左)を攻める井上尚弥=東京・両国国技館(代表撮影)
2021/12/14 21:06

ボクシングのダブル世界タイトルマッチ各12回戦は14日、東京・両国国技館で行われ、世界ボクシング協会(WBA)、国際ボクシング連盟(IBF)バンタム級チャンピオンの井上尚弥(大橋)がIBF5位のアラン・ディパエン(タイ)と対戦し、8回TKO勝ちした。2年ぶりの国内試合でスーパー王座のWBAは6度目、IBFは4度目の防衛となった。

世界ボクシング機構(WBO)ミニマム級1位の谷口将隆(ワタナベ)は王者ウィルフレド・メンデス(プエルトリコ)に11回TKO勝ちし、新王者になった。谷口は2度目の世界挑戦だった。

谷口将隆が新王者!猛ラッシュで11回TKO 2度目の挑戦で悲願「2年前の自分よりずっと強くなった」
© スポーツニッポン新聞社 11回TKOでウィルフレッド・メンデスを破った谷口将隆(撮影・島崎 忠彦)
スポーツニッポン新聞社 2021/12/15 05:30

◇WBO世界ミニマム級タイトルマッチ12回戦 〇谷口将隆 TKO11回1分8秒 ●ウィルフレド・メンデス(2021年12月14日 両国国技館)

 WBO世界ミニマム級タイトル戦は同級1位の谷口将隆が王者のウィルフレド・メンデスを11回1分8秒TKOで破り、王座奪取に成功した。

 「まだ夢見心地ですね。2年前の自分よりずっと強くなったと、ようやく自信が持てた」。会心のTKO勝ちが信じられないかのように、ベルトを巻いた谷口が興奮気味につぶやいた。

 「挑戦者らしく」がテーマ。それを貫いた。判定で敗れた19年2月の初の世界挑戦。気負って力を発揮できなかった反省が原点にあった。いかにして相手の中に入って接近戦に持ち込むか――。インサイドワークという王者の持ち味を消す作戦を徹底的に練った陣営の執念が実った。序盤から決して下がらず前に前にと圧力をかけ、2回に左フックでダウンを奪うと、中盤以降も果敢に前へ出る。11回。左の振り下ろしで相手の動きを止め、コーナーに追い詰めて畳みかけるとレフェリーが試合を止めた。

 同じジムには同学年のWBA世界ライトフライ級スーパー王者、京口紘人がいる。アマチュア時代からのライバルに先を越されたが、ようやく同じ「世界」の称号を手にした。青コーナーで励まし続けた盟友は「申し分ない内容。これから2人で引っ張っていこう」と激励。これに谷口も「勝利の女神ならぬ、男の神様」と感謝した。

 「僕は(メインイベントの)井上君のおまけ」と控えめに話していたモンスターの“前座”が、存在感を十分に見せつけた。27歳の新王者は「来年は谷口の試合を見にこようと言われるボクサーになりたい」とさらなる成長を約束していた。

 ◇谷口 将隆(たにぐち・まさたか)1994年(平6)1月19日生まれ、神戸市出身の27歳。中1でボクシングを始め、神戸第一高ではインターハイ8強入り。龍谷大ではボクシング部主将を務め、国体で2度準優勝。アマ戦績は74戦55勝16KO19敗。16年4月プロデビュー。18年11月にWBOアジアパシフィック・ミニマム級王座、20年12月に日本同級王座を獲得。身長1メートル62、リーチ1メートル64の左ボクサーファイター。

PXB WORLD SPIRITS ~井上尚弥 WBA・IBF世界バンタム級タイトルマッチ~ 12.14

2021-12-06

井上尚弥の最も衝撃的な瞬間!

2021-07-06

井上尚弥ラスベガス防衛戦2 2021年6月20日

2021-06-30
【~WBA_IBF世界バンタム級タイトルマッチ:井上尚弥×マイケル_ダスマリナス~】



【 ボクシング編 】(アーカイブス)

ボクシング レジェンド王者伝説 畑山隆則 編【vs 坂本戦、鮮烈KO 6連発】

2021-07-06
■ 2000年10月11日 WBA世界ライト級タイトルマッチ 王者 畑山隆則 vs 挑戦者 坂本博之 ■ 畑山隆則 強さの証明 KO 6連発!

大場政夫

2020-10-07
【 昭和の大ヒーロー ♪ 伝説のボクサー:大場政夫 大特集 ♪ 1998年放送 】
https://youtu.be/07POis-2g2k

1973年1月25日、3週間ほど前に逆転KOで5度目の防衛を果たしたばかりの大場は、首都高速5号線でカーブを曲がり切れずに中央分離帯を乗りこえ対向車のトラックと正面衝突。 愛車のシボレー・コルベットと共にチャンピオン・ベルトを巻いたままあの世へと旅立ちました。23歳でした。

永遠のチャンプ

2020-06-25
永遠のチャンプ・大場政夫。

私が最も敬愛するボクサーです。

1949年10月21日東京都足立区生まれ。

実父がギャンブル好きで、幼少期の暮らしは相当に貧しかったようです。

その実父がボクシングファンだった影響から、なんと小学校の入る頃には既に、将来は世界チャンピオンになり、両親に家を贈ろうと決めていました。

その後も決意はブレることなく、1965年の中学卒業と同時に帝拳ジムに入門、プロボクサーへの第一歩を踏み出すことに。

翌年には、渡辺和喜に1回KO勝ちでプロデビュー。

以降は、持ち前の負けん気と豊富な練習量で頭角を現し、次々と難敵を退けて世界ランキング上位へと駆け上がりました。

そして、プロ28戦(25勝2敗1分8KO)で、念願の世界タイトル初挑戦の切符を手中にします。

1970年10月22日、タイのベルクレック・チャルバンチャイを13回KOで倒し、WBA世界フライ級王座を獲得。

この時、大場は21歳。

プロキャリア4年で小学生の頃抱いていた夢を叶えました

その後、2年半足らずで王座を4度防衛。

そして1973年1月2日、WBA世界フライ級5度目の防衛戦を迎えます。

相手は「稲妻小僧」の異名を持つ元WBC世界フライ級チャンピオン、タイの英雄チャチャイ・チオノイ。

大場は1Rにチオノイの豪快な右フックを食いダウン。

その際に右足首を捻挫し、以降は足を引きずりながらのファイトを強いられます。

しかし、大場は驚異的な粘りで劣勢を挽回、8Rからは優勢に立ち、12Rを迎えます。

前半は打ちつ打たれつでしたが、中盤に機を見て大場が猛ラッシュ。

ロープ際で連打を浴びせられたチオノイは、遂に崩れ落ちます。

その後、チオノイは半ば戦意喪失状態になり、最後はレフェリーが試合を止め、大場は大逆転で5度目の防衛に成功しました。

1月2日のゴールデン枠に、人気ボクサーの世界戦生中継とあって、祖母の家に集まっていた親戚一堂はTVに釘付け。

終盤は皆が「大場〜っ!」と絶叫するほどの大熱戦でした

小学校3年生だった私も、感動で泣きそうになりました。

決して器用ではなく、打たれて強いわけでもなく、スピードもそれ程ではない……が、

猛練習で培った旺盛なスタミナと折れない心で、ただ愚直に左右のワンツーを繰り出す。

いつまでも、いつまでも、相手が倒れるまで繰り出す。

その闘志を前面に押し出したボクシングスタイルは、観る者の心まで奮い立たせる迫力がありました。

この試合の23日後、1973年1月25日。

大場は愛車シボレー・コルベット・スティングレーで首都高速5号池袋線を走行中、大曲カーブを曲がり切れず中央分離帯を乗り越え、反対車線に出たところを大型トラックと正面衝突。

現役世界チャンピオンのままこの世を去りました。

大場は3度目の防衛戦後に、それまでで得たファイトマネーで埼玉県に一戸建を新築購入し、両親に贈っています。

また、実弟の高校までの学費も全額支払い終えていました

中学卒業後、ボクシングに総てを賭けてきた大場が、4度目の防衛成功後に生涯で初めて自分自身へ贈ったご褒美が、当時日本に2台しかなかったシボレー・コルベット・ステイングレーでした。

大場政夫 
プロボクシング生涯戦績
38戦35勝16KO2敗1分
第25代WBA世界フライ級王座5度防衛

大場政夫  VS  チャチャイ・チオノイ (1973年)

2021-06-30
【昭和45年】大場政夫 vs.ベルクレック・チャルバンチャイ
1970年10月22日 WBA世界フライ級タイトルマッチ

大場政夫・最強の刺客を迎えて予想不利!

2021-06-30
花形 進 (横浜協栄)選手との日本人対決を制すると同時に、3度目の防衛達成、若き日の借りを返した大場選手。

4度目の防衛戦は、”最高の刺客”オーランド・アモレス(パナマ)を迎えて行なわれる事になった。

「最強の相手を選ぶのは、チャンピオンの宿命ではありませんか」

これはチャンピオンとしてのプライドだと説明した長野マネジャー。

パナマの黒ヒョウと異名されたアモレス。戦績28勝(19KO)1敗。

バスケスは、毒グモだ。(~~)
試合は昭和47年(1972年)6月20日、日大講堂で行なわれた。
試合開始早々、アモレスの左フックで大場選手ダウン。会場は静まり返る。前途多難なスタート。
3、4回と激しい打撃戦の中で激しいバッティング。額から流血のチャンピオン。
迎えた5回、右ストレートからチャンスを掴んだ大場選手は怒涛の連打。アモレスはマットに深々と沈んだ。
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