本文へ移動

あの人 この人

あの人

妃殿下誕生の道程

2022-08-04

facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1993(h5)年】-2
◎皇太子ご成婚
*1993.1.19/ 皇室会議で皇太子殿下と小和田雅子さんの婚約が決定される。
*1993.6.9/ 皇太子殿下と小和田雅子さんとのご結婚の儀が行われる。
 1993(h5)年1月19日、徳仁親王と小和田雅子さんの婚約が発表され、婚約会見が行われた。テレビで生中継された会見では、事前用意されたマスコミからの質問文書に答えるかたちで、プロポーズの日時や様子、その返事の言葉が詳しく回答された。
 そして1993(h5)年6月9日、皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀が、皇居にある宮中三殿において、国事行為として行われた。本儀式により日本の皇太子徳仁親王(当時33歳)と小和田雅子(当時29歳)は結婚し、雅子さんは皇太子妃となった。
 徳仁親王は第125代天皇明仁と皇后美智子の第1皇男子であり、御称号を浩宮といった。婚約と結婚が進められる間に、父帝 明仁の即位を受けて皇太子となり、31歳で立太子の礼を挙げ、2019年(令和元年)5月1日をもって第126代天皇に即位した。
 皇太子妃となる小和田雅子は、当時外務事務次官だった小和田恆の長女で、幼少時より海外生活が長く、ハーバード大学経済学部を卒業、学士入学で東京大学在学中に外交官試験に合格、中退して外務省に入省し、研修でオックスフォード大学に留学するなど、華麗な経歴と海外経験とをもつ。
 浩宮徳仁親王は将来の天皇として、周辺は早くから「お妃選び」に配慮しており、25歳の頃から、宮内庁内では具体的に妃候補を選ぶ計画が進められていた。それは浩宮自身には内密であったが、ご本人は民間からの相手を望み、人の苦しみや悩みを推し量ることができ、必要な時には自分の意見をしっかり言える女性が理想だと語っていた。
 そんななか、元外交官幹部からの紹介で、当時外務省条約局長だった小和田恆の長女雅子が候補に浮上した。1986(s61)年10月、スペインの王女を迎えた東宮御所でのパーティーに、小和田家一同も招かれたが、お妃候補として招かれているとは知らされていなかった。
 この時さりげなく会話を交わした浩宮は、彼女に強い印象と好感を持ったようで、以降、幾度か縁のある著名人や皇族に招かれて会食する機会がもうけられ、雅子は浩宮自身に強い思いを抱かせる有力候補となった。
  1987(s62)年12月ごろには、雅子が浩宮妃候補であることがスクープとして報じられ、報道が過熱する。しかし、お妃候補として推薦されたと伝えられた小和田家は、お妃候補を固辞し、いったん候補から消えた。
 その後、様々なお妃候補が浮上しては消えていくなか、皇太子の思いはずっと続いていたようで、1992(h4)年1月、皇太子は「小和田雅子さんではだめでしょうか」と東宮大夫に告げ、周囲は再度、小和田雅子周辺にアプローチを始め、10月3日、皇室利用の千葉県市川市の新浜鴨場で、皇太子と雅子を二人きりにする場を設けた。
 その場で皇太子は雅子にプロポーズし、雅子は外交官という仕事と皇室に入るという間で悩んだが、ついに受諾の返事をした。そして、1993(h5)年1月19日婚約会見が行われ、納采の儀など諸儀式を経て、1993(h5)年6月9日の「結婚の儀」を迎える。
(この年の出来事)
*1993.4.23/ 天皇・皇后両陛下が初の沖縄訪問。
*1993.8.4/ 「慰安婦」認める調査結果を公表し、河野内閣官房長官談話が談話を発表。
*1993.10.28/ サッカー日本代表「ドーハの悲劇」。
19930609皇太子殿下結婚の儀-雅子さん皇居へ
平成5年6月9日、皇太子殿下との結婚の儀のため、自宅を出て皇居に向かう小和田雅子さん。
【皇室】雅子さま皇太子妃に 愛のゴール&スタート(1993年)【映像記録 news archive】
【婚約後初の対面】 1993年1月13日。お住まいの小和田邸から出てこられた当時29歳の雅子さまです。 報道陣)あの、これから皇太子さまに会われるわけですが、今のお気持ちはいかがですか? 雅子さま)あの、久しぶりにお目にかかる機会なので色々お話してこようと思います。 報道陣)どうもありがとうございました。 この日皇太子さまのお住まい、東宮仮御所を訪ねます。2人がお会いになるのは婚約内定後初めて。 前の年の12月25日に東宮仮御所を訪ねて以来のご対面です。 

【皇太子さま誕生日夕食会】 2月23日、33歳の誕生日を迎えられた皇太子さまのお祝いの夕食会に向かいます。 4日前に行われた記者会見で、皇太子さまは雅子さまについて「時間を忘れるほど楽しい人。会うごとに思っていた通りの人」と述べられました。 

【納采の儀】 4月12日、「納采の儀」が行われました。 振り袖姿の雅子さまと父恆さんと母優美子さんと向かい合う東宮大夫。 東宮大夫)天皇皇后両陛下のおぼしめしを受け、皇太子徳仁親王殿下には本日小和田雅子嬢に結婚の約を成すため納采を行われます。 雅子さま)謹んでお受けします 東宮大夫から納采の日の目録を手渡されました。 3カ月間に19回のデートを重ねた雅子さまと皇太子さま。 お食事中、最初のころはなかった大きな笑い声がこのころ、よく聞こえてくるようになったそうです。 だんだんと皇太子さまと過ごす時間に慣れてきたのでしょうか。 

【雅子さまを見送る】 6月9日午前6時半雅子さまが住み慣れた小和田邸を後にします。 妹の節子さん、礼子さんにご挨拶。母優美子さんにも二言三言。 父恆さんも雅子さまと言葉を交わします。 報道陣のカメラに笑顔を見せる雅子さま。 その後ろで双子の妹礼子さんが涙を拭います。 お手伝いの女性が抱いた愛犬ショコラに顔を近づけて別れを告げます。 うつむき気味な両親と涙を流す妹たち。 傘を差さずに整列。 車の窓越しに、東宮仮御所に向かう雅子さまの後ろ姿をじっと見つめます 

【朝見の儀】 午後3時、ローブデコルテの胸に勲一等宝冠章をつけ、皇后さまから譲られたティアラを髪に飾り、皇太子さまと共に「朝見の儀」に臨む雅子さま。
 皇太子さま)本日は結婚の儀を挙げていただき誠にありがとうございます。       これからは、二人して皇族としての責務を果たすよう努力して参る所存です。       ここに謹んでお礼を申し上げます。 
陛下)めでたく、結婚の儀を済ませ、喜ばしく思います。 今後は睦まじく、互いに心を合わせて家庭を築き、国や社会のために。 また、人々のために皇太子、皇太子妃としての務めを立派に果たしていくよう希望します。 
皇太子さま)本日は、結婚の儀が滞りなく行われたことを誠にありがたく存じます。       ここに謹んでお礼を申し上げます。
皇后さま)この度はおめでとう。お二人の幾久しいお幸せと東宮のみ栄を祈ります。 

【結婚パレード】 午後5時前、お二人を乗せた車が進みます。 大勢の人の目がパレードを追います。 雅子さまがプロポーズを最終的に受け入れたのは、東宮御所での初めての出会いから6年2カ月後のことでした。 集まった人たちに笑顔で手を振るおふたり。 ハーバード大学に進学。卒業後は東大法学部に学士入学しましたが、在学中、外務公務員採用一種試験に合格し中退。その後、外務省に入賞しました。 輝かしいキャリアから離れ、皇族の仲間入りを果たす決意。大きな不安もあったこととでしょう。 「住む世界が違いすぎる」「果たしてやっていけるか自信がない」一度はプロポーズを辞退しました。 しかし、考える期間を置いた後、プロポーズを受け入れました。 雅子さまは皇太子さまについて「ユーモアを解するし、わたしがありのままでいられる人」と語りました。 パレード車列の長さは170メートル。 沿道に詰めかけた人は19万人以上に上りました。 警察官3万人が警備にあたりました。 パレードを終え仮御所に帰ってからもお忙しいお二人。 これから世話になる職員と日本酒で乾杯。 ローブデコルテのまま午後6時から「供膳の儀」が行なわれました。 平服に着替え、2人だけのお祝いご膳を囲んだ後、午後9時から「三箇夜餅の儀」を行い、一日の行事を終えました 

【饗宴の儀】 6月15日、結婚披露宴に当たる「宮中饗宴の儀」のため皇居・宮殿の豊明殿に向かいます。 麦藁色のドレス姿の雅子さま。皇太子さまの半歩後ろで止まります。 17日までの3日間、昼夜2回の計6回、各界の代表ら約2700人を招待して国の儀式として催されました。
 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

上皇ご夫妻ご婚約 正田美智子さんと両親の記者会見

2022-08-05
皇室ご一家の懐かしい映像を、TBSの映像ライブラリーよりお届けする「皇室アーカイブ」。今回は上皇ご夫妻の婚約決定を受けて行われた上皇后陛下(正田美智子さん・当時)の記者会見の模様をお届けします。 1958年11月27日、午前10時から皇居仮宮殿東の間で開かれた皇太子明仁親王殿下の婚姻に関する皇室会議で、日清製粉社長・正田英三郎さんの長女、正田美智子さん(24歳)が全員一致でお妃に決まりました。それを受け、正田美智子さんは昭和天皇・香淳皇后両陛下にご挨拶のため皇居に上ったあと、父・正田英三郎さん、母・正田富美子さんとともに宮内庁玄関脇控室で宮内庁担当記者たちとの記者会見に臨まれました。

瓢箪から駒・・・?

2022-08-03

Facebook 北出弘信さん曰く


昭和31年公開の『太陽の季節』です
長門裕之(右から2人目)と南田洋子(中央)が結婚するきっかけになりました
役者が足らず、石原裕次郎(1番右側)も出演しました(デビュー作になる)

映画は低評価であったが関係者が凄い
石原慎太郎(原作•出演)
水の江瀧子(製作)
佐野浅夫•岡田真澄•三島耕(出演)
皆さん既に、鬼籍に入られました
昭和も遠くになりにけり

代理ですが・・・。

2022-08-03

Facebook 野田聖子さん曰く


岸田文雄内閣総理大臣の外国出張に伴い、7月31日より内閣総理大臣臨時代理を拝命しています。
それにより、本日閣議を主宰致しました。
岸田総理が帰国されるまでの間、しっかりと職務に努めて参ります。

夜明け前・・・。

2022-07-26
Facebook 浅見俊彦さん曰く 

昭和の「黒皮の手帳」1982
山本陽子
プライベートでは高校卒業後はいい会社に入って結婚したいという思いが強かったことから卒業後証券会社に就職、証券会社では営業部に配属されて、主に投資信託を担当していました。超美人証券マンですね
TOPへ戻る