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あの人 この人

あの人

ボートハウス着た聖子さん

2021-01-26
Facebook池口晴啓さんより

菊池桃子さん。

2021-01-25
Facebook池口晴啓さんより  · 大学の生協でこのポスターみて、しばし見とれました

子供の頃楽しみだったテレビ、 ザ•ガードマン。

2021-01-25
Facebook津島 謙さんより

南極には、行かないでほしかった・・・。

2021-01-25
Facebook永井由紀夫さんより  マコちゃん笑 和泉雅子さん 

『坂東玉三郎新春特別舞踊公演』

2021-01-20
Facebook松原 忠さんより
幕が上がり深々と下げていました頭を上げ、いつもにも増して美しい、新年のご口上のお姿でございます。
南座より少しばかりこじんまりしておりますが、風格ある佇まいの松竹座正面玄関
玄関を入りますと「暫」の鎌倉権五郎が迎えてくれます。
松竹座は全1,033席、本公演では花道はなく、補助席も一階席後方に一列ございました

この人(縁の下の力持ち的存在・・・)

隠元禅師

2020-11-04
Facebook平野めぐみさんの投稿
今日は黄檗宗の宗祖隠元の誕生日です。
隠元というと、どんなことを思い出されますか?やはり、お野菜のインゲンでしょうか?
【隠元とは】
隠元(いんげん)(1592―1673)
江戸前期に来朝した中国明(みん)代の禅僧。黄檗(おうばく)宗の祖。法諱(ほうき)は隆(りゅうき)。諡号(しごう)は普照(ふしょう)国師など。福建省の生まれ。幼時より行方不明だった父を捜して、21歳のとき旅に出、有名な観音霊場、舟山(しゅうざん)列島の普陀山(ふださん)に至って出家を志した。29歳のとき、福建省黄檗山万福寺(まんぷくじ)(古黄檗)にて剃髪(ていはつ)。勧進(かんじん)の旅をし、また諸寺を訪れ『法華経(ほけきょう)』『楞厳経(りょうごんきょう)』などの講説を聴聞。33歳より臨済(りんざい)宗の密雲円悟(みつうんえんご)に就いて参禅した。42、43歳のころ密雲下の兄弟子費隠通容(ひいんつうよう)に印可されて嗣法(しほう)し、1637年(崇禎10)46歳で古黄檗の住持に請(しょう)ぜられた。ここで一切蔵経(いっさいぞうきょう)を閲読、また1555年倭寇(わこう)の変で焼けて以来宿願であった伽藍(がらん)大復興を完成し、さらに隠元自身の語録も出版している。古黄檗を退院して2年後に再住、この間多数の修行僧を指導した。しかし退院中の1644年祖国の明は事実上滅びた。
出典日本大百科全書(ジャポニカ)
⚫隠元の渡来
1652年(承応1)より長崎・興福寺(こうふくじ)の逸然性融(いつねんしょうゆう)(明僧)や長崎在留の唐人が臨済宗や曹洞宗に代わる新しい禅宗の日本への伝来を熱望していました。そこで多くの唐人や 隠元の渡来を促す逸然らの招請状は1652年(計4回出され、1654年(承応3)ついにその渡来が実現しました。1回目の招請状には老齢を理由に辞退、2回目の招請状は海賊に奪われ届きませんでした。ようやく3回目の招請状に対し監寺の良者(後の大眉)を長崎に遣わし実情を調査した上4回目の招請に最終的に渡来をしたといいます。
一行には慧林など30人もの弟子のほか、仏師や絵師などの工匠も含まれていたので、まさに教団ぐるみの渡来であったといわれています。
⚫ 日本への永住と萬福寺の創建
隠元は、3年後には帰国するつもりでいたが、万治元年(1658)、4代将軍家綱から日本にとどまるようにとの命を受け、日本に永住する決心をしました。
翌年には京都の近郊に寺地が与えられ、一寺を建立することになりました。その寺地は山城国字治郡大和田(現在の京都府宇治市五ケ庄)にあり、1661年(寛文元)から新しい寺院の建立が行われました。隠元はこの寺院を出身地にちなみ、黄檗山萬福寺(これ以降、中国の黄檗山萬福寺は古黄檗と呼ばれた)と命名しました。これは隠元が中国の黄檗山萬福寺から来たということを忘れないようにということで、同じ命名がなされ、ここにわが国における黄檗宗が誕生しました。
⚫もたらされた中国文化
隠元以後、唐僧は隠元の法統の黄檗僧のみが渡来を許されたが、彼らによって最新の黄檗文化、すなわち南中国の文化がわが国にもたらされました。
隠元が日本にもたらした物には以下のものもあります。
隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹・木魚・もやし・茄子・落花生・胡麻豆腐・胡麻和え・精進揚げ・けんちん汁・印鑑・明朝体文字・普茶料理・円卓・・・・・中国との深いつながりを感じることが出来きます。
*隠元豆のこと
マメ科のつる性一年草。さやは細長く、未熟果をさやのまま、あるいは熟した種子を食用とします。
隠元が来日した際に日本に持ち込んだため、その名が付いたとされる「インゲンマメ」は、中南米原産のマメ科の作物です。ヨーロッパに伝わった後、ユーラシア大陸を横断して中国から日本に伝来しました。
別名は「五月ささげ」「三度豆」などがあります。未熟果をさやごと食べるものは「さやいんげん」と呼びます。
ちなみに、関西地方では隠元豆は藤豆の別称であることから、隠元禅師がもたらしたのは藤豆という説や、二種類の豆をもってきて、関東には五月ささげを、関西には藤豆を広めたとする説もあります。
*普茶料理とは
普茶料理は江戸時代の中国で食べられていた「素菜」(スーツァイ、いわゆる中国式の精進料理)のことです。「普茶」とは「普(あまね)く衆人に茶を施す」や「茶礼に赴く赴茶から」という意味とされています。茶による接待のことです。法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、供えられた季節の野菜や、乾物や豆、特に大豆を調理し、幼長男女の別なく食卓を囲み煎茶や抹茶などと楽しむ食事のことです。
基本的に一つの長方形の座卓(卓袱台、ちゃぶだい)を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという様式が当時、非常に珍しがられました。禁葷食の精進料理であり、薬膳に通じる医食同源の料理でもあります。料理においても中国風のものが多く、巻繊(野菜や乾物の煮物や餡かけ)・油糍(下味をつけた野菜などを唐揚げにしたもの)や雲片(野菜の切れ端を炒め、葛寄せにしたもの)・擬製料理(肉や魚に擬した「もどき」料理です。麻腐、すなわち胡麻豆腐も白身魚の刺身に擬した「もどき」料理です)などがあります。炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めたと言われています。
こうした普茶料理は、異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など、民間でも広く嗜まれ、特に民間で行われた普茶料理は、長崎の卓袱料理とも影響し合いました。
現在も、萬福寺周辺に普茶料理を食べられるお店があります。日本料理の精進料理とは違う味を楽しまれてはいかがでしょうか?
普茶料理が食べられるところ。

56年前の都電のいる風景 1964(昭和39)年の夏

2020-10-27
Facebook永井由紀夫さんの投稿
センチュリー・クラウン・セドリック・グロリア・ブルーバードetc

ロイヤルファッション♡

2020-10-23
品格とエレガントを 象徴する美智子様の 皇太子妃時代
Facebook永井由紀夫さんの投稿

ゴジラです。

2020-11-10
ゴジラです。
Facebook佐々木信雄さんの投稿
◎怪獣「ゴジラ」誕生
*1954.11.3/ 東宝映画「ゴジラ」が封切られる。以後、怪獣モスラ、ラドンなど怪獣映画が一世を風靡する。
 この年、米国によるビキニ環礁の核実験と第五福竜丸の被爆という事件があり、そこから着想を得て製作された第1作『ゴジラ』は、“水爆大怪獣映画”というサブタイトルが付けられている。実際には、海底深く冬眠していた太古の怪獣が、水爆実験で安住の地から追い出され現れたという設定にされた。
 体長50メートルと設定されたゴジラは、東京湾から品川方面に上陸し、新橋から銀座に向かい、銀座和光ビルの時計台や国会議事堂を破壊し、上野、浅草から隅田川に至り、勝鬨橋から東京湾に消えてゆく。精密に作られたミニチュアセットを踏みにじりながら、ゴジラは東京名所めぐりのようなコースをたどる。いまだ東京タワーも新幹線もなく、ゴジラは特徴ある和光ビルや議事堂の建物を毀し、東海道線の電車を食いちぎって暴れた。
 数々の東宝特撮映画を撮った本多猪四郎本編監督と、特撮の神様と呼ばれた円谷英二特撮監督のコンビで始められた「ゴジラ」の制作は、戦後初の特撮怪獣映画で、様々な未経験の困難に遭遇する。欧米では「キングコング」など人形アニメによる特撮が主流だったが、スケジュールの都合で着ぐるみ方式を採るしかなかった。最初のゴジラの着ぐるみは100キロ近い重さで、大部屋役者でスタントも手掛けていた中島春雄が最初のゴジラ俳優に選ばれた。中島は動物園などでゴジラの歩き方を工夫し、のちのテレビ特撮映画「ウルトラQ」や「ウルトラマン」などでも怪獣を演じている。
 初代『ゴジラ』は、観客動員数961万人を記録する空前の大ヒットとなった。この成功を受けすぐに続編が準備され、翌1955(s30)年第2作『ゴジラの逆襲』が公開された。前回東京で暴れたゴジラは、今回は紀伊水道を遡り大阪に上陸する。そしてゴジラと同時代に生息した凶暴な肉食恐竜「アンギラス」もゴジラを追い、大阪の街を破壊し尽くし大阪城を舞台に世紀の対決を行う。この「怪獣同士の対決」は、以後のゴジラ映画の基本フォーマットとなり、次作ではアメリカからキングコングを迎え『キングコング対ゴジラ』という夢の対決が演じられる。
 この『ゴジラの逆襲』は、小学校に入学したばかりの私も観ている。父の友人グループの家族同伴リクレーションの帰り、映画館に直行して観ることになる。真っ暗な館内でのゴジラの迫力で、危うく失禁しそうになった記憶がある。北極海にゴジラを追い込む場面だったと思うが、放射能の火を吐いて暴れくるうゴジラを指さして、防衛隊の誰かが「北極海の氷が融けて海水面が上がり、日本が海中に沈む!」というシーンがあった。数年後、中学校の理科実験で、「コップに浮かべた氷が融けても水面は上がらない」ということを知った。あれは映画用のウソだったのか(笑)
(この年の出来事)
*1954.2.1/ 女優マリリン・モンローが、夫のMLB野球選手ジョー・ディマジオと新婚旅行で来日する。
*1954.1.2/ 皇居の一般参賀で、二重橋上で群衆が折り重なって倒れ、16人が死亡、65人が重軽傷を負う。(二重橋事故)
*1954.4.21/ 犬養健法相が、検事総長へ指揮権を発動して、造船汚職容疑の佐藤栄作自由党幹事長への逮捕請求を阻止する。
*1954.11.24/ 自由党分派・改進党・日本自由党の3党合同によって「日本民主党」が結成される。(総裁鳩山一郎)
*1954.12.6/ 左右社会党など野党共同で吉田内閣不信任案を提出、7日、吉田内閣が総辞職して長期政権に幕。10日、鳩山一郎内閣が成立する。
*1954.-.-/ 電気洗濯機・電気冷蔵庫・電気掃除機が「三種の神器」と呼ばれる。のち掃除機に代わってテレビジョンが加えられる。

ゴジラ誕生

2020-10-23
東宝特撮映画を撮った本多猪四郎本編監督と、特撮の神様と呼ばれた円谷英二特撮監督のコンビで始められた
Facebook佐々木信雄さんの投稿

(「ゴジラ」誕生)

○11.3 東宝映画「ゴジラ」が封切られる。以後、怪獣モスラ、ラドンなど怪獣映画が一世を風靡する。

 

 この年、米国によるビキニ環礁の核実験と第五福竜丸の被爆という事件があり、そこから着想を得て製作された第1作『ゴジラ』は、“水爆大怪獣映画”というサブタイトルが付けられている(ポスター写真参照)。実際、海底深く住んでいた太古の怪獣が、水爆実験で安住の地から追い出され現れたという設定とされた。

 

 体長50メートルと設定されたゴジラは、東京湾から品川方面に上陸し、新橋から銀座に向かい、銀座和光ビルの時計台や国会議事堂を破壊し、上野、浅草から隅田川に至り、勝鬨橋から東京湾に消えてゆく。精密に作られたミニチュアセットを踏みにじりながら、ゴジラは東京名所めぐりのようなコースをたどる。いまだ東京タワーも新幹線もなく、ゴジラは特徴ある和光ビルや議事堂の建物を毀し、東海道線の電車を食いちぎって暴れた。

 

 数々の「ゴジラ」の制作は、戦後初の特撮怪獣映画で、様々な未経験の困難に遭遇する。欧米では「キングコング」など人形アニメによる特撮が主流だったが、スケジュールの都合で着ぐるみ方式を採るしかなかった。最初のゴジラの着ぐるみは100キロ近い重さで、大部屋役者でスタントも手掛けていた中島春雄が最初のゴジラ俳優に選ばれた。中島は動物園などでゴジラの歩き方を工夫し、のちのテレビ特撮映画「ウルトラQ」や「ウルトラマン」などでも怪獣を演じている。

 

 初代『ゴジラ』は、観客動員数961万人を記録する空前の大ヒットとなった。この成功を受けすぐに続編が準備され、翌1955年第2作『ゴジラの逆襲』が公開された。前回東京で暴れたゴジラは、今回は紀伊水道を遡り大阪に上陸する。そしてゴジラと同時代に生息した凶暴な肉食恐竜「アンギラス」もゴジラを追い、大阪の街を破壊し尽くし大阪城を舞台に世紀の対決を行う。この「怪獣同士の対決」は、以後のゴジラ映画の基本フォーマットとなり、次作ではアメリカからキングコングを迎え『キングコング対ゴジラ』という夢の対決が演じられる。

 

 この『ゴジラの逆襲』は、小学校に入学したばかりの私も観ている。父の友人グループの家族同伴リクレーションの帰り、映画館に直行して観ることになる。真っ暗な館内でのゴジラの迫力で、危うく失禁しそうになった記憶がある。北極海にゴジラを追い込む場面だったと思うが、放射能の火を吐いて暴れくるうゴジラを指さして、防衛隊の誰かが「北極海の氷が融けて海水面が上がり、日本が海中に沈む!」というシーンがあった。数年後、中学校の理科実験で、「コップに浮かべた氷が融けても水面は上がらない」ということを知った。あれは映画用のウソだったのか(笑)

 

*この年

朝鮮特需による好景気が終わる/電気洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビ(or掃除機)が「三種の神器」となる/ヘップバーン・カット大流行/東映娯楽映画シリーズで中村(萬家)錦之助・東千代之介などのアイドル誕生

【事物】短波放送/パートタイマー/ラジオの深夜放送

【流行語】死の灰/スポンサー/水爆マグロ/ロマンスグレー

【歌】お富さん(春日八郎)/岸壁の母(菊池章子)/原爆許すまじ

【映画】七人の侍(黒沢明)/二十四の瞳(木下恵介)/ローマの休日(米)

【本】伊藤整「女性に関する12章」/三島由紀夫「潮騒」/ローゼンバーグ夫妻「愛は死を越えて」

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