本文へ移動

美味求真

美味求真【食事】

凄い職人技!アメリカン鉄板焼き屋 BENIHANAに行ってきた

2022-08-23
サンフランシスコのジャパンセンター(ジャパンタウン)に有る、ジャパニーズアメリカン風鉄板焼きで有名なベニハナに行ってきました。鉄板焼き職人さんの技が凄かった~!
1964年マンハッタンに鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO」を開業しました

紅花の創業者・青木湯之助はタップダンサーでもあり俳優でもあり、多様な事業を手がける昭和のアイディアマンでもありました。


以前よりアメリカ進出を目指していた湯之助は、シェフがリズミカルな動きで肉を焼くパフォーマンスを武器に、1964年マンハッタンに鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO」を開業しました。
 

シェフがミートフォークとナイフ、ターナーを軽快に扱い、塩やペッパーのミルを起用にクルクルと回し、お客様の目の前の鉄板で華麗に焼き上げる。そんなクッキングダンスが、派手好きのアメリカ人に大ウケ。海を渡った鉄板焼きは現地で人気を博し、空前の日本食ブームを巻き起こしました。

 

その鉄板焼きを日本人向けにアレンジしたのが紅花別館の鉄板焼きです。アメリカのような派手なアクションを抑え、素材の良さを引き出す丁寧な調理でご好評いただいております。


ステーキハウス牛車(福岡県久留米市)

2022-08-22

Concept

『半世紀を超え継承される牛車の味』

ステーキハウス牛車では1970年の創業以来、一貫して最上級の黒毛和牛炭火焼きステーキにこだわって参りました。
九州産を中心に全国から最高の黒毛和牛を厳選して取り寄せ、肉専用の熟成庫で長期熟成させ最良の状態でご提供いたします。
上質な空間と深い味わいが織りなす贅沢なひと時を、心ゆくまでご堪能下さい。

【京都グルメ】創業100年を迎える西京漬の老舗で絶品和食ランチ / 京都一の傳 本店

2022-08-09

伝えよう 広めよう ウチナーの食文化

2022-08-05
ラフテー  講師 安次富順子/ 琉球料理伝承人 金城助

究極の「ふわとろオムライス」の作り方【ノーカット完全版】

2022-08-02
ふわとろオムライス(たんぽぽオムライス)は数多く食べて来ましたが、洋食屋キチキチさんのオムライスが日本一だと思います。ナイフ入れたときに広がる卵の半熟加減の"パーフェクトさ"を見てみてください。 撮影協力:ザ・洋食屋 キチキチ(京都・先斗町) http://kichi2.net/
オムライスは、調理済みの米飯を鶏卵でオムレツのように包んだ日本の洋食。英語のomelet(あるいはフランス語のomelette)とriceを組み合わせた和製外来語である。 「オムライス発祥の店」を自称する店はいくつかあるが、大阪心斎橋の「北極星」もしくは東京銀座の「煉瓦亭」が有名である。 「北極星のオムライス」は、ケチャップライスを薄焼き卵で包んだ、現在一般的となっているスタイルのものである。1925年(大正14年)に、大阪市難波の汐見橋にあった大衆洋食屋「パンヤの食堂」(「北極星」の前身)の主人・北橋茂男が、いつも白飯とオムレツを頼んでいた胃の弱い常連客に「くる日もくる日も同じものではかわいそうだ」とケチャップライスを薄焼き卵で包んだものを提供し、「オムライス」と命名したとされる。 それ以前には、煉瓦亭の「オムライス」というものがあった。それは、ご飯を溶き混ぜた卵焼きといった料理であり、現在一般的に認知されているオムライスとは異なるスタイルのものである。溶き卵に白飯とみじん切りの具材、調味料を混ぜ込んで焼いたもので、1900年(明治33年)に賄い料理として誕生した。忙しい厨房でもスプーンひとつで食べられるようにと考案されたものであったが、客が食べたいと所望したため、翌1901年(明治34年)より「ライスオムレツ」としてメニューに載せるようになった。現在も「元祖オムライス」という名前で提供されている。報知新聞に1903年(明治36年)より掲載された村井弦斎の小説『食道楽』には「米のオムレツ」として煉瓦亭のライスオムレツによく似た料理が掲載されており、これを食した上での執筆の可能性が示唆されている。なお、現在の「元祖オムライス」はトマトケチャップをかけた状態で提供されるが、ケチャップが日本で普及するのは1908年(明治41年)以降のことであるため、当時のライスオムレツにケチャップは使用されていない。 また、築地精養軒の料理長であった鈴本敏雄が1920年(大正9年)に著した『仏蘭西料理献立書及調理法解説』には、「味附米飯を詰めて調製し、赤茄子ソースを添へる」オムレツが「Omelette Mireille」として紹介されている。1926年(大正15年)に出版された『手軽においしく誰にも出来る支那料理と西洋料理』にも、トマトソースで調味した炒飯を薄焼き卵で包むレシピが「オム、ライス(卵と肉の飯)」として紹介されており、大正時代には現在と変わらない様式のオムライスが出現していたことがわかる。 小菅桂子は「オムライスはチャブ屋(小規模な庶民向けの洋食屋)から生まれた」とする日比谷の松本楼の料理長であった辻村の証言を紹介している。チャブ屋で誕生したオムライスが、後に西洋料理店に逆移入したものであろうという説である。 その他の説として、煉瓦亭を含む銀座の4軒ほどの洋食屋同士で話し合いながら研究が行われ、現在のオムライスに近いものが作られたという話もある。 映画『タンポポ』で有名になった作り方として、皿に盛ったチキンライスの上に中が半熟のプレーンオムレツを乗せ、食卓でそれに切れ目を入れて全体を包み込むように開くという方法がある。これは伊丹十三が発案し、東京日本橋にある洋食屋の老舗「たいめいけん」が作り出したもので、現在は「タンポポオムライス(伊丹十三風)」という名前で供され、店の名物の一つとなっている。
ザ・洋食屋 キチキチ(京都・先斗町)
 http://kichi2.net/
TOPへ戻る