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闘いの歴史

データベース

Facebook 闘諍堅固

2021-04-09
とうじょう‐けんご 【闘諍堅固】 〘名〙 仏語。
五種ある堅固のうちの第五。または、五五百年(ごごひゃくねん)の一つ。仏滅後第五の五百年で、諸僧が互に自説の優位を主張し、争うことが多く、邪見のみにて仏法が姿をかくしてしまう時をいう。

「全戦没者追弔法会」の和讃

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

闘いの記録

二人

2021-04-04
三島由紀夫×川端康成 運命の物語 DVD
ぶんきょう浪漫紀行(三島由紀夫の足跡をたどる)12月28日~放送

師と共に

2021-04-04
川端康成氏を囲んで 三島由紀夫 伊藤整
川端康成&三島由紀夫 【2人が出演している対談映像】

没50年が経ちました。

2021-04-04
NHK人物録『三島由紀夫』~NHKアーカイブス~
三島由紀夫・伝説の討論会5/5 50年ぶり秘蔵映像発掘「VS東大全共闘」

三島由紀夫・伝説の討論会1/5 50年ぶり秘蔵映像発掘「VS東大全共闘」#1「近代ゴリラ」





■三島 由紀夫(ミシマ ユキオ)

2021-04-04
1969年、カナダのテレビ局による、三島由紀夫の貴重なインタビュー
https://youtu.be/hkM_1LX4hDI

■1969年、カナダのテレビ局による、三島由紀夫のインタビュー。
 ■三島 由紀夫(ミシマ ユキオ)

 本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、小説家・劇作家。晩年には民兵組織「楯の 会」をつくり右翼活動に傾倒、日本の新右翼・民族派に多大な影響を及ぼした。 
代表作は小説に『仮面の告白』、『禁色』、『潮騒』、『金閣寺』、『豊饒の海』四部作 など。戯曲に『サド侯爵夫人』、『わが友ヒットラー』、『近代能楽集』などがある。
唯 美的な作風が特徴。
1970年、楯の会会長として自衛隊にクーデターを促し失敗、割腹 自殺を遂げ世間を騒然とさせた(三島事件)。
 ■1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の 総 監室を森田必勝ら楯の会メンバー4名とともに訪れ、隙を突いて益田兼利総監を人質に取 り籠城。

バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す演説をした後割腹 自殺した(三島事件)、45歳没。 
■日本語字幕:Hiroyuki Kurotori, Hiroshi Kurotori
三島由紀夫 自決シーン貴重映像 Yukio Mishima[昭和45年11月] 中日ニュース No.880_1


世界を驚愕させた三島由紀夫の割腹自殺/映画『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』予告編

ライトスタッフ〜英雄になった7人の宇宙飛行士と荒野の大空で宇宙を垣間見た独りの男

2021-04-03

闘いの転機

0戦はやと

2021-04-18
https://youtu.be/7ghCzyjmbFg

0戦はやと 第1話 
1964年1月21日から10月27日まで
フジテレビ系で放送された。 全38話。
 ピー・プロダクション制作。 Wikipediaより

【1944年 マリアナ沖海戦】

2021-04-17
多数の航空戦力を喪失。事実上の機動部隊壊滅
開戦当時は無敵を誇った零戦もこの時期にもなると旧式化・陳腐化していた。 後継機「烈風」の配備が遅れていた日本に対して、アメリカは高性能な後継機(F4Fワイルドキャットからの)F6Fヘルキャットを主力に据えており、その性能差は熟練パイロットであっても埋めるのは困難だった

1943年代後半になると、アメリカ軍は中部太平洋での攻勢を本格化。

この状況を受けて空母機動部隊である第一機動艦隊と第一航空艦隊を主力とする基地航空隊によって撃破するという作戦を立てた。この決戦想定作戦を「あ号作戦」といい、あ号の「あ」はアメリカの「あ」である。

 

機動部隊を率いる小沢治三郎中将は、日本海軍の艦載機の特徴である航続距離の長さを活かし、アメリカ軍艦載機の作戦圏外から攻撃部隊を送り出すアウトレンジ戦法を実行した。

しかしレーダーに誘導された戦闘機による迎撃によりそのほとんどが米機動部隊に近づく前に撃墜され、またVT信管を使用した(使用率20%)対空弾幕の増強により、わずかに残った日本の攻撃隊は次々と撃墜された。

さらに当時すでに多くの熟練パイロットを失っており、開戦時のエースパイロットやベテランの熟練者達の持つ技量で行うことを前提にしたアウトレンジ戦法はほぼ不可能に近かった。

こうしてたやすく撃ち落とされる日本側の艦載機をアメリカ側では「マリアナの七面鳥撃ち」と呼んだ。また、日本海軍の空母が相手との距離を縮めないように同じ海域に留まっていたため、次々と敵潜水艦の餌食となってしまった。

この戦いで大鳳翔鶴飛鷹という数少ない正規空母とそれに準ずる空母3隻を失った他、参加航空兵力の3/4以上となる378機もの航空機の損失により第一機動艦隊は事実上壊滅、日本海軍は二度と機動部隊中心の作戦を行う事ができなくなった。

また、この後「絶対国防圏」の要ともいえるサイパン島を失ったことで、戦局の挽回や有利な条件で講和を結ぶ可能性は完全に失われた。

· 【栗田健男VSハルゼー】 レイテ沖海戦の主役ですがどちらに軍配を上げますか?

2021-04-17
Facebook佐藤俊明さん曰く ハルゼーはまんまと罠にはまり栗田はレイテ突入をエスケープどちらも面目を潰しました マッカーサーは日本軍の作戦を評価しました
栗田長官は一時航路を西に取り、引き帰した。しかし、これはハルゼーの目をくらます偽装進路であった。そしてこの策は成功する。ハルゼーはこの日本軍の行動を敗走とみなし、同時に南下しつつある小澤機動部隊を囮と知らずにこれを求めて北上した。「捷一号作戦」はまんまと成功したのである。
囮作戦に成功した小沢中将は栗田艦隊と、当時横浜の日吉の地下壕にあった連合艦隊司令部にむけて囮作戦成功の電報を発信した。  しかし、ここにレイテ海戦最大の謎が発生する。この無電が栗田艦隊司令部に届かなかったのである。  更に、連合艦隊司令部が発信した栗田艦隊宛の激励電報も届かなかった。  外部の状況が全く入らない状態にあった栗田艦隊司令部はレイテ突入をためらう。  それは、 ① 囮作戦の成否が判らず、背後からいつハルゼー機動部隊が襲ってくるかわからない。 ② サマール沖海戦により戦果をあげた。(栗田艦隊が戦果を挙げたと思ったのは実は輸送船団の護衛空母にすぎなかったのだが、この時栗田艦隊はこのことを知るよしもない)この上のリスクを負う必要があるのか ③ このままレイテに侵攻すれば先日の戦闘で半減した艦隊は、米輸送船団と刺し違える形で全滅するに違いない。虎の子の艦隊をこの様な形ですり潰してよいのか。  ということが、栗田司令部の判断を鈍らせた。そして、それは情報が全く入ってこないという不安からおきたことであった。
戦史上最大の謎に満ちた決断を行う。「レイテ突入を断念し、進路を北に取り敵機動部隊を求める」という決断である。
栗田提督がレイテ突入を断念した直接の原因はわからない。栗田自身戦後も一切このことについて語っていないからだ。
戦車、戦闘機、戦艦、などミリタリー 好きな人集まれ!「絆の会」 4月15日 23:43  ·  【栗田健男VSハルゼー】 レイテ沖海戦の主役ですがどちらに軍配を上げますか?

 しかし、この原因の大きな要素に、情報の不足というのが挙げられるであろう。
 先程も述べたとおり、小沢艦隊や、連合艦隊司令部が発信した電報が栗田司令部に届かなかった。なぜこうまでこの時電報が届かなかったのか?これも戦史の謎である。
 栗田司令部が座乗した戦艦「大和」はマストも高く、通信感度が他の艦船に抜きん出て優秀な船であった。その船に乗りながら全く情報が入らないということが考えられるであろうか。
 ここで一つの仮説がある。
 当初、栗田司令部は重巡「愛宕」にあった。しかし、「愛宕」がパラワン水道で米潜水艦の攻撃を受けて沈没すると、旗艦をを戦艦「大和」に移した。
 この時の緊急の司令部移動に司令部付の通信班が完全に移動できなかった。
 艦隊司令部ともなればより高度な暗号で通信される。といことは、通信班が完全でなくては電波が傍受できても解読が不可能になる。事実この時愛宕に移動できたのは通信班の数人の士官しか移動できずしかも暗号表も紛失していたと言われる。
 つまり、「大和」には電波が届いていてもそれを解読することができなかった。以上は一つの仮説であるが大変有力な説だと思う。
 この説によって考えたとき、もし旗艦が最初から「大和」だったら。このような混乱がなく、作戦どおりレイテ突入を果たしたに違いない。

カーチスP-40ウォーホーク

2021-04-18
:こちらとの闘いは、零戦に利がありました。

【零式艦上戦闘機】連合軍が最も恐れた戦闘機「ゼロ戦」

2021-04-18

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)は、三菱重工が設計開発を行った日本海軍の主力戦闘機である。
和14年3月初飛行、翌15年、正式採用を待たず中国(支那)戦線で初陣。
16年12月
の真珠湾攻撃以来、昭和20年8月の終戦までに三菱重工、中島飛行機の両企業により総計1万機以上が生産された。
 
日本国民の総力を注いだこの戦闘機は、西はセイロ
ン島、東はギルバート、ハワイ諸島に至るまで地球のほとんど半分近くを戦域とし連合軍と対峙、あるいは国土防衛に尽くした。
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