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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

『火垂るの墓』野坂昭如さん あとがき

2021-08-04
Facebook 長谷川 正憲さん曰く
『火垂るの墓』野坂昭如さん あとがき
君たちの生まれる前、戦争があった。
Before you were born, there was a war.
たくさんの人が死んだ。
Many people died.
そして、日本は、もう二度と戦争をしないと決めた。
And Japan decided not to engage in war ever again, thereafter.
だが今、戦争を迎え入れつつある。いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状態なのだ。
But now, we are once again on a path to war. We are extremely vulnerable to participating in war these days.
君たちはこれをどう考える。
What do you think about this?
君たちの周りには食べ物が溢れている。
There is food all around you.
けれど、そのほとんどが、輸入の産物。
Such food is mostly imported.
戦争が起きれば、食べ物は入ってこなくなる。
When war is declared, food stops coming in.
そうなれば、たちまち日本国中、餓死して当然。
Then, people will starve to death, all over Japan.
ぼくが子供の頃、この国は農業が盛んだった。
When I was a kid, this country farmed a lot.
身近に、作る人の努力を感じることができた。
We felt the efforts of those who worked hard to produce food.
物を食べる時、作った人や、その収穫物に感謝する気持ちがあったし、大地の恩、水、天の恵みを有難く思っていた。
When we ate back then, we thought of the farmers who cultivated the food and we were thankful to the crop itself – we were grateful to the earth and water, which were gifts from above.
「いただきます」という言葉には、そういった気持ち、すべてが込められていた。
The word “itadakimasu” uttered in Japan before meals captures this precise sentiment of being grateful.
食べ物を大事にしてください。
Please show respect for food.
戦争中、そして戦後、餓えて死ぬ人を何人も見た。
During the war, I saw many people starve to death.
戦争は嫌だ。戦争は決してしてはいけない。
I don’t like war. War should not be an option to us.
君たちに同じ思いをさせたくいない。
I don’t want your generation to experience what we endured.
君たちが大人になる頃、戦争を経験したぼくたちはもういないだろう。
By the time you grow up to be adults, my generation who experienced that war shall be all gone.
この本を読んで、戦争を考えて下さい。
Please read this book and think about war.
戦争について、語りあって下さい。語り合うことが大事です。
Talk about war. It is critical that you talk to each other.
そして、ここに書かれなかった戦争の真実を、君たちの力で自分のものにしてください。
And please reveal the truth about war – own that truth – that I have failed to put down here in this publication.
* 野坂昭如『火垂るの墓』 あとがきより
14歳の少年・清太の死から映画は始まる。
4歳の妹・節子の二人の壮絶とも言えるこの映像を、あなたは、どう捉えるのでしょうか?

火垂るの墓

2021-04-24
Hotaru no Haka HD Ateş Böceklerinin Mezarı

手塚治虫と戦争

2021-08-03
Facebook 手塚治虫(Tezuka Osamu Official)さん曰く
手塚治虫と戦争

手塚治虫の戦争に対する思いを語り継ぐサイトです。

時間の流れに沿って、戦時の出来事と手塚治虫の体験を紹介しています。

手塚治虫の戦争体験を声で聴くこと、文章で読むことができます。

戦争をテーマにした手塚治虫のマンガ作品を電子書籍で読むことができます。

是非ご覧になって、戦争について考えてみてください。

日本のいちばん長い日

2021-08-15

日本のいちばん長い日(1967年版)予告編

岡本喜八監督版の予告編です。

映画『日本のいちばん長い日』特別映像<軌跡編>

映画『日本のいちばん長い日』特別映像<軌跡編>です。 
『日本のいちばん長い日』 8月8日(土)全国ロードショー

中田圭@keinakata
8月15日は終戦の日、今日という日を忘れずに。
今の時代だからこそ、余計に気持ちを正して毎年見る映画。
岡本喜八作品「日本のいちばん長い日」(1967)
豪家俳優陣出演
戦局が次第に不利になってきた日本に無条件降伏を求める米、英、中のポツダム宣言が、海外放送で傍受されたのは昭和二十年七月二十六日午前六時である。直ちに翌二十七日、鈴木総理大臣官邸で緊急閣議が開かれた。その後、八月六日広島に原爆が投下され、八日にはソ連が参戦、日本の敗北は決定的な様相を呈していたのであった。第一回御前会議において天皇陛下が戦争終結を望まれ八月十日、政府は天皇の大権に変更がないことを条件にポツダム宣言を受諾する旨、中立国のスイス、スウェーデンの日本公使に通知した。十二日、連合国側からの回答があったが、天皇の地位に関しての条項にSubject toとあるのが隷属か制限の意味かで、政府首脳の間に大論争が行なわれ、阿南陸相はこの文章ではポツダム宣言は受諾出来ないと反対した。しかし、八月十四日の特別御前会議で、天皇は終戦を決意され、ここに正式にポツダム宣言受諾が決ったのであった。この間、終戦反対派の陸軍青年将校はクーデター計画を練っていたが、阿南陸相は御聖断が下った上は、それに従うべきであると悟した。一方、終戦処理のために十四日午後一時、閣議が開かれ、陛下の終戦詔書を宮内省で録音し八月十五日正午、全国にラジオ放送することが決った。午後十一時五十分、天皇陛下の録音は宮内省二階の御政務室で行われた。同じ頃、クーデター計画を押し進めている畑中少佐は近衛師団長森中将を説得していた。一方厚木三〇二航空隊の司令小薗海軍大佐は徹底抗戦を部下に命令し、また東京警備軍横浜警備隊長佐々木大尉も一個大隊を動かして首相や重臣を襲って降伏を阻止しようと計画していた。降伏に反対するグループは、バラバラに動いていた。そんな騒ぎの中で八月十五日午前零時、房総沖の敵機動部隊に攻撃を加えた中野少将は、少しも終戦を知らなかった。その頃、畑中少佐は蹶起に反対した森師団長を殺害、玉音放送を中止すべく、その録音盤を奪おうと捜索を開始し、宮城の占領と東京放送の占拠を企てたのである。しかし東部軍司令官田中大将は、このクーデターの鎮圧にあたり、畑中の意図を挫いたのであった。玉音放送の録音盤は徳川侍従の手によって皇后官事務官の軽金庫に納められていた。午前四時半、佐々木大尉の率いる一隊は首相官邸、平沼枢密院議長邸を襲って放火し、五時半には阿南陸相が遺書を残して壮烈な自刃を遂げるなど、終戦を迎えた日本は、歴史の転換に伴う数々の出来事の渦中にあったのである。そして、日本の敗戦を告げる玉音放送の予告が電波に乗ったのは、八月十五日午前七時二十一分のことであった。
(※MOVIE WALKER PRESSより抜粋)

1945年(昭和20年)8月6日(月曜日)午前8時15分

2021-08-02
Facebook 永井由紀夫さん曰く
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