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闘いの歴史

データベース

Facebook 闘諍堅固

2021-09-14
とうじょうけんご 【闘諍堅固】 〘名〙 仏語。

五種ある堅固のうちの第五。または、五五百年(ごごひゃくねん)の一つ。仏滅後第五の五百年で、諸僧が互に自説の優位を主張し、争うことが多く、邪見のみにて仏法が姿をかくしてしまう時をいう。

メルケル独首相に別れの拍手 EU首脳総立ち、最後の出席

2021-10-23
© KYODONEWS 22日、EU首脳会議で拍手を受けるドイツのメルケル首相(中央)=ブリュッセル(ゲッティ=共同)
共同通信社 2021/10/23 08:15

 【ブリュッセル、ベルリン共同】ブリュッセルで開かれた22日の欧州連合(EU)首脳会議で、今回が最後の出席と見込まれるドイツのメルケル首相が別れを惜しむ各国の首脳らから総立ちの拍手を受けた。EU当局者が明らかにした。

 在任約16年のメルケル氏は年内にも予想されるドイツ新政権発足に伴い、政界を引退する。EU首脳会議に100回以上参加し、欧州債務危機など数々の課題を安定した手腕でさばき「欧州の顔」として知られてきた。

 EUのミシェル大統領はあいさつで、メルケル氏のいない首脳会議について「バチカンのないローマ、エッフェル塔のないパリのようなものだ」と表現した。

10月12日、アーリントン国立墓地において

2021-10-20
Facebook 陸上自衛隊 Japan Ground Self-Defense Forceさん曰く
【お知らせ】
 陸上自衛隊最先任上級曹長根本准尉は米国に出張し、10月12日、アーリントン国立墓地において在日米陸軍JERRY L.DODSON JR(ジェリーLドッドソンJr)最先任と合同献花を実施し、追悼の意を表しました。
 平和と安定のためにご尽力されたすべての方々に対して敬意を表します。

本当にありがとうございました。

2021-10-05
Facebook 首相官邸さん曰く
国民の皆様。皆様の御協力なしには何一つ実現することができなかったと思います。
この1年、国民のために働く内閣への皆様の御支援、御協力に心から感謝と御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

菅政権1年間の軌跡

2021-09-23
Facebook 首相官邸さん曰く
菅政権1年間の軌跡をまとめました。
最後の一日まで国民のために働く内閣として全力を尽くします。

最期の外遊です。
米国が主催する初めてのクアッド首脳会合に参加します。
ワクチン、新しい技術、気候変動といった地域の重要課題につき、首脳間で率直な議論を行い、「自由で開かれたインド太平洋」の具体化の道を探っていきたいと思います。

闘いの記録 (戦争と人間)

1950年代の沖縄コザの街並み 

2021-10-06
Facebook 初瀬川隆司さん曰く、※カラー写真

出獄です。

2021-10-09

Facebook 石山 裕子さん曰く  

1949年、巣鴨プリズンを出所して、家族との再会を果たした元日本兵。
奥様の屈託の無い笑顔が、印象的です。

グレース・ケリーという人生

2021-09-14
Facebook 永井資久さん曰く
今日はグレース・パトリシア・ケリーの命日らしい。
今日はグレース・パトリシア・ケリーの命日らしい。
(Grace Patricia Kelly、1929年11月12日 - 1982年9月14日)
モナコ大公レーニエ3世妃、アメリカ合衆国の女優。
同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちたそれが「クール・ビューティー」(cool beauty)と賛美された。人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主と結婚し女優業から引退した。1982年9月13日、自らハンドルを握りローバー3500を運転して南仏のロックアジェルの別荘からモナコに戻る途中に脳梗塞を発症。そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突し、道路横の崖を40メートルほど転落して自動車は大破した。事故後すぐに病院へ搬送されたが意識が回復しないまま翌日に死亡(52歳)。。。とある。
グレースほど美しい女優はいないと思っている。まさに「クールビューティー」にふさわしい気品と優雅さを兼ね備えた女性だろう。
溢れんばかりの才能と並みはずれた美貌、シンデレラストーリーを地で行く人生を送った。今宵は美酒とともにグレースとの一時を味わおうかw。
グレースに敬意と感謝を込めて。。。。合掌。
(以下ウィキペディアより抜粋)
生い立ち
1929年、ペンシルベニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの裕福な家に生まれた。父ジョン・ブレンダン・ケリー(John B. Kelly, Sr.)はスラム育ちの煉瓦職人であったが、上流階級の競技であるボート競技で頭角を現し、ボート関係者の嫌がらせにもめげず、オリンピックボート競技において1920年のアントワープオリンピックで2個の金メダルを獲得し一躍国民的英雄になった。そして1924年のパリオリンピックでも金メダルを1個獲得した。その後、彼は煉瓦製造会社を立ち上げ億万長者になった。母マーガレットはドイツ系で元モデルであり大学講師だった。父方の叔父はピューリッツァー賞を受賞した劇作家のジョージ・ケリー。兄は1956年のメルボルンオリンピックのオリンピックボート競技で銅メダルを獲得したジョン・ブレンダン・ケリー・ジュニア。
少女時代はおとなしく、赤い頬の人前に姿を現すのが苦手な子供で、3人姉妹の中でも真ん中のグレースが1番不器用であったという。その一方、ダンスやピアノを学び、やがて演技に興味を示すようになる。
女優時代
ハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志す。ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学び、1949年に舞台『父』でブロードウェイデビューした。グレース自身は舞台女優を目指していたが、その後、舞台の出演中にハリウッドから誘いがかかり、1951年、22歳で映画に出演しデビュー(『Fourteen Hours』)。この作品を見た製作者のスタンリー・クレイマーが『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーの相手役に抜擢した。映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優で『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインをつとめている。
1954年に『モガンボ』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せた『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞。
非常に恋多き女性として有名で、ゲイリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、レイ・ミランド、ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデン、オレグ・カッシーニ、ジャン=ピエール・オーモンなどの、主に自分より年長の男性と浮名を流した。父親が彼女に冷淡な癖に、異性との交際には異常なほどうるさかったことも、背景にある。
結婚・公妃として
カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世(在位1949年 - 2005年)と結婚。公妃となるため女優業を引退、1956年のミュージカル映画『上流社会』が最後の作品となった。なお、1966年の麻薬撲滅キャンペーン映画『悪のシンフォニー』にはグレース妃として特別出演している。挙式は、カトリックの伝統に沿い、グレースの出身地であるアメリカで行われることも検討されたが、最終的にはモナコで行われることになった。
1956年1月5日、婚約を発表。同年4月18日、モナコ大公宮殿にて法的な結婚式が行われた(The Civil Wedding)。翌4月19日、モナコ大聖堂(サン・ニコラ大聖堂)にて、カトリック式の挙式が行われた(The Cathedral Wedding)。これらの模様は、ヨーロッパ諸国で生中継された。
1982年9月13日、自らハンドルを握りローバー3500を運転して南仏のロックアジェルの別荘からモナコに戻る途中に脳梗塞を発症。そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突し、道路横の崖を40メートルほど転落して自動車は大破した。事故後すぐに病院へ搬送されたが意識が回復しないまま翌日に死亡(52歳)。この事故死を受けてモンテ・カルロでは1日全てのカジノの営業を中止して喪に服した。
同乗していた次女のステファニー公女(当時17歳)は軽傷であり、9月26日に退院した。現地報道では、一時情報が錯綜し、ステファニー公女が運転していたとも報道された。真相は不明のままである。
9月18日、モナコ大聖堂にて葬儀が行われ、各国の王族・要人の他、フランク・シナトラらハリウッド俳優も参列した。
逸話
バラ「プランセス・ド・モナコ」(1982年)メイヤン作。彼女に献呈されることになっていたバラ(発表前に他界)。ピンクと白の2色は、モナコの国旗をイメージしている。
1957年に長女の妊娠をマスコミに悟られないよう、カメラを向けられた際、エルメスの鞄「サック・ア・クロワ」で腹を隠した。この事でバッグが有名になり、商品は「ケリーバッグ」と改名された。
ポール・ギャリコの小説『トンデモネズミ大活躍』に献辞があるが、これは、彼女が初めて作った陶製のネズミの置物を題材にした作品の執筆をギャリコに依頼しており、それを受けたもの。
日本文化を愛好し(特に華道をはじめ植物に関するもの)、モナコに日本庭園を造営することを希望していた。死後、レーニエ3世の指示によって、別府保男設計による本格的な日本庭園がつくられた。1994年に開園。庭園内の茶室「雅園」は、フランス語訳すると"Jardin de Grace"すなわち"グレースの庭"の意となる。

天皇ご一家と4宮家存続の構想 政府、女性皇族が継ぐ案を想定

2021-09-14
9/6(月) 6:00配信

秋篠宮家の長女眞子さま(29)の年内結婚、皇籍離脱に絡み、皇族数確保策として天皇ご一家と現存の4宮家を存続させる構想が政府内にあることが分かった。女性皇族が結婚後も皇籍を維持するよう求めた有識者会議の案を基に、天皇陛下の長女愛子さま(19)が天皇ご一家に残り、秋篠宮家の次女佳子さま(26)が秋篠宮家を継ぐことを念頭に置く。女性皇族の結婚後の身分、役割に直結するため、本人の意向に最大限配慮する内容とすることを想定している。関係者が5日、明らかにした

 皇室の「現体制」を保ち、秋篠宮家の長男悠仁さま(15)の即位後も皇室全体で支えられるようにする狙いがある

【三面記事】眞子さま「一時金辞退」でも物価高NY生活は心配ご無用?

2021-09-13
秋篠宮さまからの贈与に制限なし © 日刊ゲンダイDIGITAL あれから4年(代表撮影・JMPA)
日刊ゲンダイDIGITAL 2021/09/13 06:30

秋篠宮家の長女眞子さま(29)と小室圭さん(29)が10月にも婚姻届を提出へ、と報じられた。

「皇籍離脱に伴って都内のマンションに移り、渡米の準備を進めるそうです」(宮内庁担当記者)

婚約内定から4年。結婚延期の原因とされる小室さんの母・佳代さんと元婚約者の間の金銭トラブルは未解決のままだ。そのため小室さん親子への批判は、いまだやむことがない。こうした世論を考慮してか、眞子さまは結婚持参金にあたる約1億4000万円の一時金を辞退し、一般の結納にあたる「納采の儀」といった儀式を行わない意向だという。

宮内庁長官は9日の会見で結婚に関するコメントを避けたが、一時金の辞退は、皇室経済法や同施行法を改正しない限り難しいという指摘もある。実際のところどうなのか。一般紙で宮内庁を担当していた皇室ジャーナリストがこう言う。

「一時金は、皇族が独立の際に受け取れる年間の皇族費(支出基準額)の10倍以内を、非課税で受け取るというきまりになっています。そのため、法律を変えなくても倍率を0倍にすれば辞退は可能になります」

■預貯金だって持ち出せる

本来、新婚生活に必要な住居、警備などの費用に充てるために支払われる一時金を辞退して、物価高のニューヨークでの生活は成り立つのか。

「ニューヨークの法律事務所に勤務することになる小室さんの年収は1800万円ほどといわれていますが、生活の基盤づくりに先立つものが必要です。皇族の場合、外部の人との財産授受には制限がありますが、身内への贈与などには制限がありません。ですから、秋篠宮さまから眞子さまに贈与もできますし、眞子さまご自身が自らの蓄えを持ち出すこともできます。一時金がなくても、こうした資金で住宅購入などは可能だと思います」(前出の皇室ジャーナリスト)

眞子さまには皇室経済法に基づき、成人してから現在まで皇族費から毎年900万円ほどが支給されている。そのため、すべて蓄えてあれば1億円近い金額になる。そこまではいかないにしても、預貯金を持ち出せるほか、秋篠宮さまからの資金援助が期待できるとのこと。

さまざまな批判はあるものの、異国で安心して暮らせるだけの資金は十分確保できているはず、というのだが……。

闘いの転機(戦いの前と後)

【佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争】

2021-10-21
Facebook まつたけ しんやさん曰く
【佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争】1968年1月にアメリカ海軍の原子力空母エンタープライズの米軍佐世保基地への入港に対して革新政党・団体・住民を中心とした反対運動、暴動が起こり、エンプラ騒動といわれた。自分は子供だったのでピンとこなかったが、昭和の人々は闘っていたのですね…。

◎「日米修好通商条約」

2021-10-20
Facebook 佐々木信雄さん曰く
【19th Century Chronicle 1856-1860年】
【19th Century Chronicle 1856-1860年】-2
◎「日米修好通商条約」
*1856.8.5/ アメリカ駐日総領事「タウンゼント・ハリス」が、下田玉泉寺を仮領事館とし、アメリカ領事館旗を掲げる。
*1857.5.26/ 米国総領事ハリスが幕府と、9ヵ条の日米約定(下田協約)を締結する。
*1857.10.21/ 米総領事ハリスが、将軍家定に謁見し、アメリカ大統領ピアースの親書を提出する。
*1858.3.20/ 老中堀田正睦が、日米修好通商条約の勅許を得るため入洛するも、朝廷に条約の勅許を拒否される。
*1858.6.19/ 幕府が勅許なしに、「日米修好通商条約」および貿易章程に調印する。
*1859.5.28/ 幕府が、神奈川・長崎・箱館の開港と、露・仏・英・蘭・米との自由貿易を許可する。
 日米和親条約により日本初の総領事として赴任したタウンゼント・ハリスは、安政3(1856)年8月5日、下田に仮領事館を設けアメリカ領事館旗を掲げた。ハリスは翌年の10月に、やっと江戸城に登城がかない、将軍家定に謁見して米大統領ピアースの親書を手渡した。通商条約の締結を指令されて来たハリスは、強硬に自由通商を主張し、幕府内にも止むを得ないという雰囲気が醸成されると、老中首座であった堀田正睦は条約の交渉を開始させた。
 アメリカ側の要望に押しまくられながら、やっと条約の合意が得られるようになると、堀田正睦は孝明天皇の勅許を得るべく自ら上洛したが、朝廷の公家らの強硬な反対などで勅許を得られないまま江戸にもどる。堀田が上洛中に、南紀派の井伊直弼が大老に就任すると、以後、井伊が幕府を主導する。
 井伊大老は、勅許を得てからの条約を締結すべきとの考えだったが、交渉担当との指示の行き違いから、直弼の意向に反して勅許を得ないまま条約締結に至ってしまった。そのすぐ後に堀田正睦は罷免され、直接の条約交渉役らも左遷された。しかし勅許無き条約締結は大きな政争を引き起こし、同時期に井伊直弼が慶福に決めた将軍継嗣問題も絡まり、直弼の処置に反対する声が幕府内外に渦巻いた。
 この抗争鎮定のため、井伊は反対派の幕臣や志士・朝廷の公家衆を大量に処罰し「安政の大獄」が始まった。そして、朝廷を利用して幕府の改革をもとめる水戸斉昭など諸侯を謹慎蟄居などで排除した。これらの武断政治は大きな批判を呼び、政局は不穏となった。そして安政7(1860)年3月3日、水戸藩への処置に憤懣をもつ脱藩浪士たちにより、井伊直弼は桜田門外で襲われ暗殺される(桜田門外の変)。
 この同時期、日米修好通商条約批准書の交換のため、正使新見正興を代表とする「万延元年遣米使節」が、ポーハタン号でアメリカに派遣され、その護衛のため、木村喜毅を副使とする「咸臨丸」も派遣された。咸臨丸には勝海舟が艦長格として乗船しており、木村の従者として福澤諭吉も同行渡米している。
 批准された「日米修好通商条約」では、自由貿易・領事裁判権・低い関税率などが取り決められていた。自由貿易の約束に伴い、のちの横浜・神戸など、重要な貿易拠点となる多くの港が開港され、そこに「居留地」が設けられた。そして、後にまで影響を与える不平等条項とされる「領事裁判権(治外法権)」や「低関税率(関税自主権という概念が日本側になかったため、低い関税率だけが決められた)」などが約定された。
 なかでも、深刻な影響を呼び起こしたものに「金銀等価交換」があった。もともと貿易商であったハリスは、領事就任当初から、銀貨基準の等価交換を主張して押し通した(下田協約)。当時の金と銀の交換比率は、世界的には1:15だったが、日本では1:5であったため、銀を持ち込み金と交換することで大きな利益が得られた。その結果として、急激な金の流出やインフレーションによる経済の混乱を引き起こすこととなった(幕末の通貨問題)。
 さらに、不平等条約に必ず盛り込まれるのが「片務的最恵国待遇」であった。これはすでに日米和親条約に盛り込まれていたが、事後に他国がより有利な条約等を結んだ時には、それと同等の条件を提供することを義務付けたもので、為替変動や関税率など変動要因の大きい経済分野では重要な条項となる。外交に不慣れな当時の幕府には、はたしてそこまでの認識があったかどうかあやしい。
(この時期の出来事)
*1856.9.-/ 長州藩は、蟄居中の吉田松陰に、萩の松下村塾の主宰することを許可する。
*1857.10.16/ 福井藩主松平慶永(春嶽)らが、一橋慶喜を次期将軍に推奨し(一橋派)、紀州藩主徳川慶福を押す井伊直弼ら(南紀派)との対立構図が明かとなる。
*1858.10.26/ 徳川家茂(慶福)が征夷大将軍となり、第14代徳川将軍に就任する。
*1858.11.16/ 西郷隆盛と僧月照が入水、西郷は救助され、のち奄美大島に潜伏させられる。
*1858.12.5/ 長州藩は、藩老中襲撃を企てたとして、吉田松陰を投獄する。
*1860.1.19/ 幕府軍艦奉行木村喜毀・軍艦操練所頭取勝海舟ら90余名が、咸臨丸でアメリカに向けて浦賀を出帆する。
*1860.8.18/ 孝明天皇が、皇女和宮の降嫁勅許を幕府に内達する。
*1860.12.5/ アメリカ通弁官ヒュ−スケンが、薩摩藩士に惨殺される。

◎黒船来航と開国

2021-10-18
Facebook 佐々木信雄さん曰く
【19th Century Chronicle 1851-1855年】-2
◎黒船来航と開国
*1853.6.3/ 米艦隊司令官ペリーが、軍艦4隻を率いて浦賀に来航する。
*1853.6.9/ 浦賀奉行が久里浜でペリーと会見、アメリカの国書を受け取る。
*1854.1.16/ ペリーが軍艦7隻を率いて浦賀に再来、さらに江戸湾内に停泊する。
*1854.3.3/ 幕府が、日米和親条約(神奈川条約)に調印する。
 嘉永6(1853)年6月、米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが率いる艦船4隻が、江戸湾浦賀に接岸した。ペリーは浦賀奉行に、開国を促す米大統領フィルモアの親書を手渡した。幕府側は、将軍が病気であることを理由に、返答に1年の猶予を要求し、ペリーは、1年後に返事を聞くために再来航するとした。
 米国はこの7年前の1846年にも、ビッドルが浦賀に来航して通商を求めた。この時に穏便な交渉方針で臨んで拒否された経験から、ペリーの艦隊は武力で威圧する方針を定めてやって来た。それまでの帆船とは異なり、もうと煙を上げて進む外輪蒸気船の「黒船」は、それだけで威嚇効果は十分だった。さらに、アメリカ独立記念日の祝砲と称して、江戸湾内で数十発の空砲を発射すると、江戸庶民は腰を抜かした。
 ペリーはその後も数日間、威嚇するように江戸湾に入り込んだうえで、退去した。そのわずか10日後に将軍家慶が死去、第13代将軍家定が就任するも、虚弱ゆえに国政を担える状況ではなく、老中首座の阿部は開国要求に頭を悩ませた。この前年、オランダ商館長から、アメリカが日本の開国を求めて艦隊を派遣するという予告を受けていたが、幕府は黙殺していた。
 ペリーが1年後に再来するとなってから、幕府は大慌てで対策にのり出した。江戸湾警備の増強として、品川沖に11箇所の砲撃用の台場造営を命じた。また、大船建造の禁も解除し、各藩に軍艦の建造を奨励、幕府自らも洋式帆船「鳳凰丸」を浦賀造船所で起工した。さらに、オランダへの艦船発注を発注し、アメリカから帰国した漂流民ジョン万次郎を登用し、アメリカの事情等を説明させた。
 いかにも泥縄式の対策を講じている幕府をあざ笑うかのように、1年の猶予だったはずが、わずか半年後の嘉永7(1854)年1月に、ペリーは6隻の艦船を率いて再来した。続いて3艦も到着、江戸湾に計9隻の艦隊が集結し、江戸は大きく動揺した。虚を突かれた幕府は、このさい開国も止む無しと考え、全12ヵ条に及ぶ「日米和親条約」(神奈川条約)を締結する。ここに200年に及ぶ鎖国は解かれた。
 ひき続き、英・露・蘭とも和親条約を結ぶことになる。オランダとは長い付き合いにも関わらず、紳士的な話し合いで対応したため、武力に訴えてきた米英などより最後にまわされてしまい、強く出る者だけに腰砕けになる幕府の弱腰が明かになると、幕府の権威は地に落ちた。これ以降、「幕末」の風が吹き荒れることになる。
 安政5(1858)年6月には、日米和親条約に基づいて赴任したタウンゼント・ハリス総領事により、「日米修好通商条約」が締結される。この不平等条約は、以後の他の列強との条約の基本となり、日本政府は明治期の終わりまで対応に腐心することになる。ただしアメリカでは、1861年からの南北戦争で内乱状態となり、以降の日本への影響力を失い、主として英仏が幕末の日本の動向に介在することになる。

中国、有人宇宙船を発射 独自ステーション連結

2021-10-16
© KYODONEWS 有人宇宙船「神舟13号」を搭載し、打ち上げられる「長征2号F遥13」=16日未明、中国・酒泉衛星発射センター(共同)
共同通信社 2021/10/16 09:24

【酒泉共同】中国は16日午前0時23分(日本時間同午前1時23分)、有人宇宙船「神舟13号」を打ち上げ、約6時間半後に中国が独自に建設中の宇宙ステーションにドッキングした。
宇宙飛行士3人が中核部分の「天和」に乗り移って半年間滞在し、来年の完成に向け作業する。
習近平指導部が目指す「宇宙強国」の実現に向け、着実な前進となった。

 中国北西部の酒泉衛星発射センターから、ロケット「長征2号F遥13」に載せて発射。
赤い炎を噴き、ごう音とともに夜空に向かって上昇した。
新華社電によると、16日午前6時56分にドッキングに成功した。

ルイス・B・プラー級遠征洋上基地「ミゲル・キース(Miguel Keith)」

2021-10-15
Facebook 中山 正寿 さん曰く、今度は岩国に寄港中のようです。

真宗大谷派の取り組みについて

「全戦没者追弔法会」の和讃

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

【4/2全戦没者追弔法会】

2021-04-04
Facebookしんらん交流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

【春の法要ライブ配信】全戦没者追弔法会(4月2日10時10分~)

2021-04-02

全戦没者追弔法会 戦争でいのちを奪われた方々を憶念し、仏が願われた「兵弋無用(軍隊も武器もいらない)」の教えから、私たちの今を問い直す法要です。
 ◆法要 10時20分~ 
【法要次第】
 出仕
 着座楽 
総礼 
伽陀 稽首天人 
登高座 
表白 
伽陀 万行之中
 御経 仏説阿弥陀経 
伽陀 直入弥陀 
下高座 
総礼 
正信偈 草四句目下(同朋唱和) 
念仏讃 淘五 三重念仏 
和讃 無明長夜の燈炬なり 次第三首 
回向 願以此功徳 
総礼 
恩徳讃 
退出楽 退出
全戦没者追弔法会   表 白
謹んで阿弥陀如来、宗祖親鸞聖人 、ならびに
三世十方の諸仏如来に申し上 げます。
 本日ここに、親しく宗祖親鸞聖人のまえに坐 すことを得て、全戦没者追弔法 会を厳修いたします。このときにあたり、一つには過去の 罪障を懴悔し、二つには現在の遇法を慶喜び、三つには将来に同朋社会の顕現を期したいと存じます。 
第一に、過去の罪障を懴悔するとは、われらの宗門が、先の悲惨な侵略戦争 に自ら荷担し、それを「聖戦」と呼び、「まったくおおせにてなきことをも、 おおせとのみもうす」罪を犯したことであります。 実に、五逆謗法の咎逃れがたく、今更あらため 全戦没者の悲しみを 憶念し、ここに真宗大谷派が無批判に戦争に荷担した罪を表明し、過去の罪障を懴悔いた します。
 第二に、現在の遇法を慶喜ぶとは、そのわれらの罪障にも拘らず、如来の本 願はその罪を私たちに知らしめ、罪に向き合い、平和への道を歩ましめるので あります。
 第三に、同朋社会の顕現を期すとは、本願念仏の教法に生きる者は「四海の 内みな兄弟とするなり」という浄土の 荘厳功徳をこの身に受け、死者と生者が 一つに出会い、国家や民族の境を超えた「同朋社会」の顕現に 向 む かって 生 い きる 者 もの となるのであります。 われら 真宗門徒、ここに 非戦平和の誓いを 表 白し、ひとえに、この身とこの世の無明の闇を 照らす仏の教えに随い、ともに生きあえる世界 への道を歩まんことを誓うものであります。 

   二〇二一年四月二日  釋修如

仏が願われた「兵弋無用(軍隊も武器もいらない)」の教え

2021-08-15
Facebook 阪下 大介さん曰く

2020 年度全戦没者追弔法会 記念講演

2021-04-02
2020 年度全戦没者追弔法会

・趣旨 日常に潜む戦争 ―不安と恐怖の中で―

 私たちの宗門は、かつて侵略戦争を「聖戦」と呼び、仏法の名のもとに多くの人々を戦 場へと送り出しました。戦争で命奪われたすべての人々、遺族のみならず、アジア諸国、 とりわけ中国、朝鮮半島の人々に、計り知れない苦痛と悲しみを強いてきました。戦争の 歴史が明らかにされる中で、私たちは被害者であると同時に、加害者としての歴史も問わ れてきたのです。だからこそ、なぜ戦争が起きるのか、社会はなぜ戦争に向かったのかと いうことを、全戦没者の悲しみの歴史に学び、戦争をくり返してきた人間の過ちを見つめ、 未来に伝えていくことを大切にしています。 この法会において、私たちは、戦争で命奪われたすべての人々の願いに耳を澄まし、日 常に潜む戦争の影を見つめ、戦争の無残さ、それを生み出す人間の深い闇を、心に刻みた いと思います。そのことにより、「国 こく 豊 ぶ ⺠安 みんあん 兵戈 ひょうが 無用 む よ う (国豊 ゆた かに⺠安 やす し。兵戈 ひょうが 用 もち いるこ となし。)」(『仏説無量寿経』)という、仏の大悲によって真実の豊かさと安らぎが与えら れるところに、兵士も武器も必要がないという教えが、具体的な現実の課題をとおして知 らされます。 いま世界は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に震撼しています。国内においても 感染終息の目途が立たず、命を守るために感染を防ぐ努力は大切です。しかしながら、看 過してはならないのは、感染することにより世間から冷たい眼を向けられるのではないか と恐れる私たちの心や世間の風潮です。その恐れやメディアの報道などによって、私たち の心は追いつめられ、増大した不安から大衆の動向に身をゆだねることで、かりそめの安 心を得ているのではないでしょうか。 国家による戦争と、ウイルスという公衆衛生の問題は、本来、質が異なります。しかし、 不安の高まりからくる過剰な同調圧力は、戦時下と似通ったものを感じずにはいられませ ん。私たちは、不安から逃れるために、その場の空気や力関係に従うことで自分の身を守 ろうとします。そのような意識が、家族のため、みんなのため、やがては国のためにと、 「自発的に」命令に従い、「正義」の名のもとに凄惨な戦争へと向かっていったのです。 私たちは、厳しい状況の中で、⼾惑い揺れ動く心や、追いつめられて呻 うめ きをあげる一人 ひとりの小さな悲しみこそ大切にしていきたいと思います。それにより、「一切 いっさい 恐懼 く く 爲作 い さ 大安 だいあん (一切の恐懼 く く に、ために大安 だいあん を作 な さん。)」(『仏説無量寿経』)という仏の願いに応え てまいります。 このたびの法会が、非戦・平和への歩みを共につなぐ場となることを心より願います。
講師:真城 義麿氏(真宗大谷学園専務理事・元大谷高校校⻑)

政局について

森喜朗氏の失言で注目された女性秘書 永田町に捧げた89年の生涯に幕

2021-09-07
© NEWSポストセブン 提供 葬儀場には安倍前首相から贈られた供花も(写真提供/河村建夫事務所)
2021/09/07 11:05

永田町で「議員より偉い」と謳われた伝説的な大物秘書・中内節子さんが8月21日、肺炎のため逝去した。享年89。節分生まれの節子さんは、故・田中龍夫元文部大臣、後継の河村建夫元官房長官と二代、58年にわたって秘書を務めた。

 中内さんは最近、森喜朗元首相のこの発言で一躍“時の人”となった。

「河村さんの部屋に大変なおばちゃんがいる。女性というにはあまりにもお年だ」

 女性蔑視発言で五輪組織委会長を辞任した直後とあって世間からは猛批判を浴びたが、当の中内さんは意に介していなかった。

 中内さんが秘書人生をスタートした1963年、森元首相も岸信介側近の衆議院議員・今松治郎氏の秘書をしており、二人は秘書仲間だった。「角福戦争」と呼ばれた熾烈な政治闘争では、ともに福田赳夫陣営の同志として参戦。酸いも甘いも噛み分けた「戦友」だったのである。

 その後、田中龍夫氏が引退し、旧・山口1区で後継となった河村氏が田中氏の事務所も秘書の中内さんもそのまま引き継いだ。中内さんはすでに秘書歴30年近い大ベテランで、河村氏に対して「早く中内さんから独り立ちしないとな」と皮肉交じりにからかう人もいた。

 だが、河村氏は公設秘書の定年である65歳を超えても中内さんを私設秘書として雇い続けた。それだけ中内さんの存在が大きかったということだ。

 首相になったばかりの頃の小泉純一郎氏に「あら純ちゃん、あなた偉くなったわねえ」と声をかけ、同じ山口県選出の安倍晋三前首相については「子どもの頃、夜行列車で騒いでいたから注意したのよ」とピシャリ。大物政治家との逸話には事欠かない。

 しかし決して偉ぶらず気さくな人柄で、30年前、山口県でNHKの新米記者をしていた筆者にも親しげに話しかけてくれた。

「あなた、いい人いるの?」

「いいえ、いません」

「それなら紹介してあげるわ。素敵な方を紹介するから写真を撮らせて」

 事務所の壁際に立たされ、使い捨てカメラで写真を撮られた。ところが間もなく私に「いい人」ができて、「すみません。あのお話はなかったことに」とお詫びした。

 中内さんの葬儀は親族のみで行なわれたが、それでも安倍晋三氏からは供花が届いていた。

 来る9月16日に都内でお別れの会が催される予定だという。そこはさながら“弔問外交”の場となるだろう。

 なにせ河村氏の地元・山口3区には、参議院議員で将来の総理総裁候補と目される林芳正氏が鞍替え立候補を表明したからだ。総裁選を巡る政局が混迷を極めるなか、それぞれが所属する二階派、岸田派の「代理戦争」の様相を呈してきた。

 角福戦争はじめ数々の政争を目の当たりにしてきた中内さんは、“後輩たち”の党内政局を天国からどう見るのだろうか。

●相澤冬樹(ジャーナリスト)

※週刊ポスト2021年9月17・24日号

高市早苗氏まさかの自民新総裁“爆誕”も タカ派人気とアベ・ファーストで現実味

2021-09-07
© 日刊ゲンダイDIGITAL タカ派思想の持主(C)日刊ゲンダイ

突然の菅首相の不出馬により、候補者乱立の様相を呈する自民党総裁選。大混戦が予想される中、エラソーにキングメーカーを気取る安倍前首相が、子飼いの高市早苗前総務相のバックアップに動いた。初の女性宰相“爆誕”の可能性が高まっているが、高市氏といえば危ういタカ派思想の持ち主。このままだと、トンデモないことになりかねない。

◇ ◇ ◇

安倍前首相の支援を得た高市氏は5日、推薦人20人の確保にメドが立ったとして出馬の意向を固めた。既に岸田文雄前政調会長が出馬を表明したほか、世論調査で人気が高い河野太郎大臣が意欲を示し、石破茂元幹事長も出馬を模索。高市氏に勝機ナシかと思いきや、そうでもないのが、今の自民党の恐ろしさだ。

「高鳥修一衆院議員が代表世話人を務める『保守団結の会』や、青山繁晴参院議員が代表の『日本の尊厳と国益を護る会』など、保守系グループがサポートし、既に50人前後の議員からの支持を期待できる状況だ。決して“泡沫”ではない」(自民党関係者)

自民支持のタカ派から根強い人気のある安倍前首相が後ろ盾になったことも党員票獲得にプラスだ。「次の自民党総裁としてふさわしい人」を聞いた日経新聞の世論調査(8月27~29日)でも自民支持層に限れば、「安倍氏」と答えた人は今なお10%。高市氏の4%と合算すると、石破氏の12%を抜き、岸田氏の14%に並ぶ。「高市さんは予想される顔ぶれの中で唯一、『嫌中』を強く打ち出している。右寄りの党員の支持が集まる可能性が高い」(同)という。

候補者乱立で票分散だと…

現在、野田聖子幹事長代行、下村博文政調会長も出馬を検討。竹下派からは、会長代行の茂木敏充外相の待望論も持ち上がっている。候補者乱立で票が分散すれば、高市氏の当選確率はさらに上昇する。

「議員票、党員票計766票のうち誰も過半数を得なければ、上位2人による決選投票が実施される。仮に7人も立てば票が割れ、決選投票にもつれ込むのは必至。党員票の比重が軽くなる決選投票は、議員票を取れる候補が有利だ。麻生財務相からの支持も得るとみられる高市氏が決選投票に残れば、当選する可能性もゼロではない」(官邸事情通)

■過去は「飲みィのやりィのやりまくり」

しかし、タカ派思想の高市氏が一国のトップとしてふさわしいのか。早速、BSフジの番組で防衛費増額や敵基地先制攻撃能力の必要性に言及。2014年にはネオナチ団体代表とツーショット写真を撮っていたことが発覚した。16年の総務相時代には、政治的公平性を欠く放送をテレビ局が繰り返したと判断した場合、放送法違反を理由に「電波停止」を命じる可能性にも触れた。政治評論家の本澤二郎氏はこう言う。

「高市氏はもともとウルトラ右翼的な思想の持ち主ですが、それ以上に『アベ・ファースト』です。安倍前首相にすり寄ることで、のし上がってきた人物と言えます。早速、経済政策として『ニュー・アベノミクス』を掲げ、安倍路線の継承をアピールしている。彼女が総理になれば、8年以上にわたり失策を連発してきたアベスガ政治が続いてしまう。極めて危険だと思います」

高市氏といえば、1992年の参院選に初出馬する1カ月前に刊行したエッセーで、過去の男性遍歴を赤裸々に告白していた。「お酒の思い出」として〈(知人男性と)飲みィのやりィのやりまくりだった〉などと回想。個人的な“思い出”はともかく、アベスガ政治の「やりまくり」がまだ続くなんて悪夢そのものだ。

© 日刊ゲンダイDIGITAL タカ派思想の持主(C)日刊ゲンダイ

橋下徹氏、政局報道一色「情けない」発言に猛反論「国家権力を作り上げるプロセスっていうのは一番重要」

2021-09-07
報知新聞社 2021/09/06 14:18

6日放送の日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」(月~金曜・午後1時55分)では、菅義偉首相が不出馬を表明もこれから「日本の顔」を決める戦いが始まる自民党総裁選(17日告示、29日投開票)を特集した。

 コメンテーターで出演の元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏は「すごいですね、政治の世界って。1、2週間前だったら、菅さんで100%決まりだろうと言っていたコメンテーターもたくさんいたんですよ。それがあっという間にこういう流れになってくる」と、まずコメント。

 その上で「国会議員はみんな次の衆院総選挙を見すえて、民意を誰がくみ取れるんだって、みんな自分アンテナ、センサーを研ぎ澄まして、それをつかんでいく。それこそが民主主義の姿だと思います」と続け、「ある番組で政局報道一色になるのは情けないって言った人がいるんですけど、とんでもないですよ。国家権力を作り上げるプロセスっていうのは一番重要で、今日はギニアでクーデターがあったし、アフガニスタンを見て下さいよ。血みどろの権力争いですよ。でも、この平和な民主国家では投票で権力を作り上げる。ここをちゃんと報道することはね、中身は重要ですけど、ものすごい重要なことだと思いますよ」と話した。

© スポーツ報知/報知新聞社 橋下徹氏
「ある番組で政局報道一色になるのは情けないって言った人がいるんですけど、とんでもないですよ。国家権力を作り上げるプロセスっていうのは一番重要で、今日はギニアでクーデターがあったし、アフガニスタンを見て下さいよ。血みどろの権力争いですよ。でも、この平和な民主国家では投票で権力を作り上げる。ここをちゃんと報道することはね、中身は重要ですけど、ものすごい重要なことだと思いますよ」と話した。

菅退陣に見る下克上ストーリーの限界、自民党が総裁選で生き返るには

2021-09-07
上久保誠人 2021/09/07 06:00

菅義偉首相が、自民党総裁選に立候補しないと表明した。「延命」のために、直前まで必死に「権力」を振るっていたが、党内から不満が噴出し、ついに「退任」に追い込まれてしまった。これまでの安倍・菅「一強」体制は、逆に自民党を弱体化させてしまっている。ここから自民党は奮起できるだろうか。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)

権力行使をしてきた菅氏になかった「数の力」

 菅氏が首相就任前に、対立する官僚や政治家を解雇したり干したりできたのは、彼のバックに党内の多数派を掌握し確固たる党内基盤を持った権力者がいたからだ。

 官僚や政治家にとっては、権力者に「忖度」することが重要だった。そうすれば選挙に負けないし、ポストも得られる。だから、菅氏の冷徹な「政治手法」に不満を持つ者はいても、誰も表立って菅氏に楯突こうとしなかった。

 一方、最高権力者である首相になれば、バックには誰もいない。菅首相自身の支持率が下がり、「選挙に勝てない」ことが明らかになれば、誰も言うことを聞かなくなる。首相の最強の権力である「衆議院解散権」を行使しようとしても、止められてしまった。「人事権」を使って脅しても相手にされなくなったのだ。

 要するに、菅首相が官房長官として振るってきた「権力」を、首相として振るえなくなったのは、菅首相自身が、党内に確固たる「数の力」という基盤を持っていなかったからだ。

 そこで、菅義偉という政治家が、「強引な権力行使」という政治手法を取り続けたことを考察してみたい。それは、世襲議員ではなく、裸一貫から首相に上り詰めた経歴からきている。

「仲間」を作らなかった菅氏、「下克上ストーリー」の限界

 菅氏は、政界入りした時、自分が将来首相になると思っていなかったはずだ。

 日本の政界は「逆学歴社会」だ。世襲のお坊ちゃま・お嬢さまを、一生懸命勉強して東大・早稲田・慶応などを卒業した非世襲の政治家や官僚が支える構図である(第233回)。

 菅氏も、自分は世襲議員を支える側とわきまえていただろう。政治改革法案をつぶしたことで有名な小此木彦三郎氏や「大乱世の梶山」と呼ばれた梶山静六氏という「武闘派」を政治の師匠とし、菅氏は「汚れ役」となって成り上がる道を選んだ。

 菅氏は、小泉純一郎元首相、安倍晋三前首相という権力者の下で、人事権を行使して改革に抵抗する官僚を容赦なく切り捨てる役割を担い、政界で存在感を示していくようになった。

 その一方で、菅氏は「無派閥」で通していた。仲間を作っていくことは、権力の座に上り詰めるために絶対に必要だ。だが、菅氏はその労力を割かなかった。

 菅氏からすれば、そんな時間があれば、権力者から任された、抵抗する者をつぶす仕事に専念したかったのだろう。むしろ、仲間の存在は邪魔だとさえ考えていたかもしれない。自分が首相になる日が来るはずがないと思っていたので、これは合理的な行動だった。

 菅氏は、「汚れ役」としての役割を全うし、官房長官在任期間は歴代最長となった。毎年約10億~15億円計上される官房機密費や報償費を扱い、内閣人事局を通じて審議官級以上の幹部約500人の人事権を使い、官邸記者クラブを抑えてメディアをコントロールし、官邸に集まるありとあらゆる情報を管理した。官邸に集まるヒト、カネ、情報を一手に握った(第256回)。

 絶大な権力を掌握した菅氏だが、首相就任時、意外なまでの人脈の幅の狭さが明らかになった。最初の組閣・党役員人事で、主要閣僚・役員が安倍政権から留任し、安倍氏の側近、菅氏の初当選同期組、そして小此木・梶山の「2人の師匠」の息子たちが起用された。実に退屈で新味のない布陣となったからだ(第253回)。

 菅氏が「非世襲」「無派閥」であることの限界を示すと同時に、首相になる準備を本当にしていなかったことがはっきりした。そして、これが菅政権の延命を阻む「致命傷」となった。

 何があろうと菅氏を支える「派閥」のような集団があれば、支持率が下がろうとも、むちゃな権力行使は必要なかっただろう。現職の首相が、総裁選立候補断念という異常事態には、至らなかったはずだ。

 要するに、菅氏は「汚れ役」に徹することで、一代で首相にまで成り上がる「下克上ストーリー」を成し遂げたが、最後にはその限界を露呈してしまったということだ。「逆学歴社会」である日本の政界で、非世襲の人材が出世し、首相になって能力を発揮するのは、やはり非常に困難だという厳しい現実を突き付けたといえる。

「安倍一強」を守り、作り上げた菅氏

 菅義偉という政治家が日本政治にもたらしたものを考えたい。なによりも、2012年に誕生した第2次安倍政権で、菅官房長官が果たした役割の大きさは言うまでもない。

 安倍政権は、国政選挙に6連勝して史上最長の長期政権を築いた。また、安倍首相は自民党総裁選でも3連勝している。選挙に圧倒的に強かったのが、安倍政権の特徴だ。一方、その弊害も指摘されてきた。

 安倍政権での菅官房長官の役割は、主に「ダメージコントロール」。情報と資金を自らに集中させて、政敵が台頭するのを未然に防ぐ役割だったといえる。菅官房長官は、安倍首相を支持する党内の「主流派」を党役員・内閣人事や公認権・資金配分において徹底的に優遇する一方で、「非主流派」を徹底的に干した。

 その「非主流派」の代表が、石破茂元幹事長だ。安倍氏が首相に復帰した2012年の総裁選で次点だった石破氏は、最初は党幹事長に就任した。だが、その後「地域創生大臣」に回された後、役職に就くことがなくなった。憲法や安全保障の専門家を自認する石破氏は、現実的な案で実現を目指した安倍首相を容赦なく批判することが多かった。それを煙たがった安倍首相は石破氏を排除するようになったというわけだ(第190回)。

 安倍氏は、主流派とされる派閥にも容赦がなかった。2018年の参院選で、岸田文雄氏の側近・溝手顕正氏が公認されていた広島選挙区に、安倍首相・菅官房長官の「強い意向」で河井案里氏が追加公認された。これには、過去に安倍批判を行っていた溝手氏をつぶすことを狙ったという見方が存在する。そして、後に河井夫妻が実刑判決を受ける大スキャンダルに発展した。

 岸田氏は、安倍政権で外相を務め、「ポスト安倍」の有力候補とみられてきた。だが、2018年の総裁選は、安倍首相の総裁任期満了後の「禅譲」を期待して立候補しなかった(第193回)。

 安倍首相が退任した後の2020年の総裁選には立候補したが、期待した安倍氏の支持を得られず、菅氏に敗れてしまった(第253回・p2)。

 このように、安倍首相・菅官房長官は人事権、公認権、資金配分権を容赦なく使って、非主流派のみならず、主流派までも容赦なく抑えつけて、「一強」と呼ばれる圧倒的な党内権力を築いた。

 だが、見方を変えれば、安倍・菅「一強」体制は、実は自民党を弱体化させてきたことがわかってくる。安倍・菅「一強」体制で起きた、自民党の変化を検証したい。

一強の弊害、自民党内の「多様性」を失わせた

 2012年の自民党総裁選では安倍氏を含め5人が立候補した。それ以前も、自民党総裁選では平均3~4人が立候補してきた。だが、安倍政権下では、2015年は無投票再選、2018年は石破氏1人と、立候補自体がほとんどなくなった。野田聖子元総務相など、総裁選への立候補を模索する人を容赦なく妨害して立候補できなくするようなこともあった。

 政策についても、党内から異論が消えた。特に、安倍首相の名前を冠した経済政策「アベノミクス」への批判は難しくなった(第193回・p2)。

 自民党が、自由民主主義国では世界最長の長期政権を築いてきた大きな理由の一つは、時に野党の主張する政策を奪って自分のものにしてしまう「包括政党(キャッチ・オール・パーティー)」としての政策的な幅広さと多様性だった(第218回)。

 三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘のいわゆる「三角大福中」の派閥が血で血を争う権力闘争を繰り広げた時代もあり、政策も派閥ごとに多様性があった。例えば、吉田茂・池田勇人元首相を源流とする「軽武装経済至上主義」、田中角栄を源流とする「利益誘導政治」、鳩山一郎や岸信介の系譜の保守派である。

 派閥が首相の座を争うことは、「疑似政権交代」と呼ばれた。政策志向も、首相によって明確に変わった。政策が失敗し、党が危機に陥った際には、「プランB」を掲げる首相が登場して、党の危機を救ってきたのだ。

「疑似政権交代」は、自民党内の権力闘争と政策論争に国民の関心を向かわせた。野党は「蚊帳の外」となり、「自民党一党支配」の長期政権が実現したのだ。

 安倍・菅「一強」体制は、その自民党の強さを失わせたのではないか。人材・政策の「多様性」が失われた。「プランB」を持つ党内野党が存在しなくなり、党内での「疑似政権交代」がなくなった。自民党のオルタナティブは野党ということになってきた。

 現に、菅政権は、補選や横浜市長選で野党に連敗した。これは、「一強」体制の自民党が、野党に政権を奪われる可能性が出てきたということだ。明らかに、安倍・菅「一強」体制が自民党を弱体化させて、「政権交代」の可能性を高めてしまったのだ。

 あえて皮肉を込めて言えば、安倍・菅「一強」体制が、「政権交代のある民主主義」の実現に、大きな貢献を果たしたと後世が評価することになるのかもしれない。

「プランB」を提言できる政治家が出てくるか

 菅首相の総裁選不出馬表明で、岸田文雄氏、石破茂氏、河野太郎氏、高市早苗氏、野田聖子氏など次々と立候補が取り沙汰されている。しかし、誰が次の首相になろうと、政策の「プランB」がなく、菅政権の政策を国民の不興を買わない形で遂行し、「選挙の顔」になるだけであれば意味がない。短期的には、次期衆院選で過半数を維持できようとも、長期的には自民党の衰退が続くことになるからだ。

 しかし、岸田氏は新型コロナウイルス対策に関する政策を発表した。感染症対応を一元的に担う「健康危機管理庁」(仮称)を設置するほか、国主導で「野戦病院」のような臨時の医療施設開設を進め、「医療難民ゼロ」を実現することを掲げている。

 これは、私が提言してきた「オールジャパンの専門家会議」(第265回)や「自衛隊大規模野戦病院」による医療体制の構築(第283回)に近い考え方で、コロナ対策の「プランB」となり得るものである。

 その他の候補者も、次々と「プランB」を出せば面白い。「一強」体制が終焉し、多様な人材が、多様な政策を訴えて競い合う総裁選になるならば、自民党が本来の強さを取り戻すきっかけとなるかもしれない。

© ダイヤモンド・オンライン 提供 Photo:Pool/gettyimages

神奈川割れました。

2021-09-07
甘利氏、岸田氏を支持する意向「シンパシー感じる」 自民総裁選  毎日新聞 2021/09/07 00:15

 自民党の甘利明税調会長(麻生派)は6日、BS日テレの番組で、党総裁選では岸田文雄前政調会長を支持する意向を示した。甘利氏は「岸田氏にシンパシーを感じている。事情が許せば応援してあげたい。能力があり人柄がよい人だ」と述べた。

 また、同じ麻生派で総裁選に出馬する意向の河野太郎行政改革担当相と6日に会ったことを明らかにした。河野氏については「思い込んだら突進という感じの発信力と突破力はなかなかだ」と評価した。しかし、河野氏が新型コロナウイルスワクチンの担当をしていることから「ワクチンがけしからんと言って、河野氏は評価されているのだから、菅義偉首相がたたかれるのは気の毒だ」と指摘した。【田中裕之】

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