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闘いの歴史

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菅政権1年間の軌跡

2021-09-23
Facebook 首相官邸さん曰く
菅政権1年間の軌跡をまとめました。
最後の一日まで国民のために働く内閣として全力を尽くします。

最期の外遊です。
米国が主催する初めてのクアッド首脳会合に参加します。
ワクチン、新しい技術、気候変動といった地域の重要課題につき、首脳間で率直な議論を行い、「自由で開かれたインド太平洋」の具体化の道を探っていきたいと思います。

国民の代表として歩み始めました。

2021-09-23
Facebook 首相官邸さん曰く
立皇嗣宣明の儀 寿詞
首班指名、大命は下りました!
首班指名です。
内閣発足です。

事は、2020年8月28日 の「この会見」から始まりました。

2021-09-23
Facebook 首相官邸さん曰く
「国民の皆様。8年近くにわたり、本当にありがとうございました。」

【本日の安倍総理記者会見における冒頭発言全文】
猛暑が続く中、国民の皆様にはコロナウイルス対策、そして熱中症対策、ダブルの対策に万全を期していただいておりますこと、国や地方自治体から様々な要請に対して、自治体の様々な要請に対して御協力をいただいておりますことに心から感謝申し上げます。
コロナウイルス対策につきましては、今年の1月から正体不明の敵と悪戦苦闘する中、少しでも感染を抑え、極力重症化を防ぎ、そして国民の命を守るため、その時々の知見の中で最善の努力を重ねてきたつもりであります。それでも、残念ながら多くの方々が新型コロナウイルスにより命を落とされました。お亡くなりになられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
今この瞬間も患者の治療に全力を尽くしてくださっている医療従事者の皆様にも、重ねて御礼申し上げます。
本日、夏から秋、そして冬の到来を見据えた今後のコロナ対策を決定いたしました。この半年で多くのことが分かってきました。3密を徹底的に回避するといった予防策により、社会経済活動との両立は十分に可能であります。レムデシビルなど、症状に応じた治療法も進歩し、今、40代以下の若い世代の致死率は0.1%を下回ります。他方、お亡くなりになった方の半分以上は80代以上の世代です。重症化リスクが高いのは高齢者や基礎疾患のある方々であり、一人でも多くの命を守るためには、こうした皆さんへの対策が最大の鍵となります。
冬に向けてはコロナに加え、インフルエンザなどの流行で発熱患者の増加が予想されます。医療の負担軽減のため、重症化リスクの高い方々に重点を置いた対策へ今から転換する必要があります。まずは検査能力を抜本的に拡充することです。冬までにインフルエンザとの同時検査が可能となるよう、1日20万件の検査体制を目指します。特に重症化リスクの高い方がおられる高齢者施設や病院では、地域の感染状況などを考慮し、職員の皆さんに対して定期的に一斉検査を行うようにし、高齢者や基礎疾患のある方々への集団感染を防止します。医療支援も高齢者の方々など、重症化リスクの高い皆さんに重点化する方針です。
新型コロナウイルス感染症については、感染症法上、結核やSARS、MERSといった二類感染症以上の扱いをしてまいりました。これまでの知見を踏まえ、今後は政令改正を含め、運用を見直します。軽症者や無症状者は宿泊施設や自宅での療養を徹底し、保健所や医療機関の負担軽減を図ってまいります。コロナ患者を受け入れている医療機関、大学病院などでは大幅な減収となっており、国民のために日夜御尽力をいただいているにもかかわらず、大変な経営上の御苦労をおかけしております。経営上の懸念を払拭する万全の支援を行います。インフルエンザ流行期にも十分な医療提供体制を必ず確保いたします。以上の対策について順次、予備費によって措置を行い、直ちに実行に移してまいります。
コロナ対策と並んで一時の空白も許されないのが、我が国を取り巻く厳しい安全保障環境への対応であります。北朝鮮は弾道ミサイル能力を大きく向上させています。これに対し、迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことができるのか。一昨日の国家安全保障会議では、現下の厳しい安全保障環境を踏まえ、ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針を協議いたしました。今後速やかに与党調整に入り、その具体化を進めます。
以上、2つのことを国民の皆様に御報告させていただいた上で、私自身の健康上の問題についてお話をさせていただきたいと思います。
13年前、私の持病である潰瘍性大腸炎が悪化をし、わずか1年で突然、総理の職を辞することとなり、国民の皆様には大変な御迷惑をおかけいたしました。その後幸い新しい薬が効いて、体調は万全となり、そして国民の皆様から御支持をいただき、再び総理大臣の重責を担うこととなりました。この8年近くの間、しっかりと持病をコントロールしながら、何ら支障なく総理大臣の仕事に毎日、日々、全力投球することができました。
しかし、本年6月の定期検診で再発の兆候が見られると指摘を受けました。その後も薬を使いながら全力で職務に当たってまいりましたが、先月中頃から体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となりました。そして、8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました。今後の治療として、現在の薬に加えましてさらに新しい薬の投与を行うことといたしました。今週初めの再検診においては、投薬の効果があるということは確認されたものの、この投薬はある程度継続的な処方が必要であり、予断は許しません。
政治においては、最も重要なことは結果を出すことである。私は、政権発足以来、そう申し上げ、この7年8か月、結果を出すために全身全霊を傾けてまいりました。病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました。
総理大臣の職を辞することといたします。
現下の最大の課題であるコロナ対応に障害が生じるようなことはできる限り避けなければならない。この1か月程度、その一心でありました。悩みに悩みましたが、この足元において、7月以降の感染拡大が減少傾向へと転じたこと、そして、冬を見据えて実施すべき対応策を取りまとめることができたことから、新体制に移行するのであればこのタイミングしかないと判断いたしました。
この7年8か月、様々な課題にチャレンジしてまいりました。残された課題も残念ながら多々ありますが、同時に、様々な課題に挑戦する中で、達成できたこと、実現できたこともあります。全ては国政選挙のたびに力強い信任を与えてくださった、背中を押していただいた国民の皆様のおかげであります。本当にありがとうございました。
そうした御支援をいただいたにもかかわらず、任期をあと1年、まだ1年を残し、ほかの様々な政策が実現途上にある中、コロナ禍の中、職を辞することとなったことについて、国民の皆様に心よりお詫びを申し上げます。
拉致問題をこの手で解決できなかったことは痛恨の極みであります。ロシアとの平和条約、また、憲法改正、志半ばで職を去ることは断腸の思いであります。しかし、いずれも自民党として国民の皆様にお約束をした政策であり、新たな強力な体制の下、さらなる政策推進力を得て、実現に向けて進んでいくものと確信しております。もとより、次の総理が任命されるまでの間、最後までしっかりとその責任を果たしてまいります。そして、治療によって何とか体調を万全とし、新体制を一議員として支えてまいりたいと考えております。
国民の皆様、8年近くにわたりまして、本当にありがとうございました。

できるかな?

2021-09-15
Facebook 首相官邸さん曰く
<カーボンニュートラル>
昨年10月、2050年カーボンニュートラルを宣言しました。
温暖化への対応は経済の制約ではありません。
従来の発想を転換し、積極的に温暖化対策を行うことで、産業構造や社会経済の変革をもたらし、大きな成長につなげていきます。

米国務長官、下院公聴会でアフガン撤収正当化=共和党から非難噴出

2021-09-14
2021/09/14 10:49
© 時事通信 提供 13日、ワシントンで行われた米下院外交委員会の公聴会で、モニター画面越しに発言するブリンケン国務長官(AFP時事)
アフガン撤退の判断を擁護 米ブリンケン国務長官

アフガン撤退の判断を擁護 米ブリンケン国務長官 (msn.com) 

【ワシントン時事】ブリンケン米国務長官は13日、下院外交委員会の公聴会で、「米国の最も長い戦争を終わらせる時だった」と述べ、バイデン政権が断行したアフガニスタン駐留米軍撤収を正当化した。一方、野党共和党からは、米軍撤収に乗じたイスラム主義組織タリバン復権などを非難する声が噴出。アフガン撤収の政権へのダメージ回復は容易でないことが浮き彫りになった。

 共和党のマッコール下院議員は「私の人生で、タリバンへの無条件降伏を見ることになるとは思わなかった」と政権の対応を指弾。同党のシャビット議員も「不手際な撤収は米国史で最悪の外交惨事」と断じた。

 これに対しブリンケン氏は「最も悲観的な分析でも、米軍がとどまっている間にアフガン政府軍が崩壊すると予測していなかった」と述べ、早期の首都カブール陥落を予測できなかったと弁明。ただ、「われわれは幅広い緊急事態について計画し、訓練していた」と強調し、カブール陥落後の迅速な退避活動を可能にしたと主張した。 

闘いの記録 (戦争と人間)

別府良孝さん 「反戦僧侶」の掘り起こしに取り組む

2021-11-09
Facebook Yoshihito Hashimotoさん曰く
別府良孝さん 「反戦僧侶」の掘り起こしに取り組む
戦争は釈尊(しゃくそん)の教えにあらず。昭和初期、こう訴え投獄された僧侶がいた。俳優植木等さんの父、植木徹誠(てつじょう)らが知られるが、そんな仏教者を「反戦僧侶」と名づけ、宗教専門紙で情報提供を呼びかけるなど、無名の僧侶の掘り起こしに取り組んでいる。
 知らぬ間に戦争はやってくる、という先人の戒めを重く受け止めている。戦争一色の時代、仏教界も積極的に国策に協力した。背景には、明治時代に入って寺院や仏像が破壊された「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の強烈な恐怖があった。第1次世界大戦後には「戦争は菩薩行(ぼさつぎょう)だ」などと戦意をあおる仏教指導者が目立って増えていった。
 「突然、戦争協力に転じたのではない。好戦、反戦に分かれるメカニズムを解明しないことにはあの時代に戻りかねません」
 名古屋市の曹洞宗寺院で住職を務める。科学者でもある。名古屋大大学院の物理学教室で学び「目の中にあるタンパク質の計算」で理学博士号をとった。後のノーベル賞受賞者も生んだ教室では、科学者運動のリーダーでもあった素粒子研究の坂田昌一教授らの薫陶が息づいていた。「平和の創造に寄与する研究者たれ」と。
 名大本体も後年、戦争目的の学問研究と教育には従わず、と謳(うた)う「平和憲章」を定めた。仏教者、科学者としてのキャリアが今日の活動に色濃く反映されている。(文・写真 藤生明)
 べっぷよしたか(73歳)

「戦争」問うBC級戦犯の遺書など保存 福岡・嘉麻市

2021-11-08

便箋(びんせん)で際立つ「戦争絶対反対」「世界永遠の平和」の大きな文字-。福岡県嘉麻市出身の旧日本海軍1等兵曹、藤中松雄さんの遺書だ。先の大戦中、沖縄県・石垣島で米軍捕虜3人が処刑された「石垣島事件」でBC級戦犯に問われ、巣鴨プリズン(東京拘置所)で最後に死刑執行された一人。終戦から76年。同市碓井平和祈念館で保存される遺書は先の大戦とは何だったかを今も問い続ける。

28歳のBC級戦犯が死刑囚に…家族に宛てた7千字の遺書https://www.nishinippon.co.jp/item/n/609843/

最期の闘いの場は、蝦夷地でした。

2021-11-03
Facebook 佐々木信雄さん曰く
"ラストサムライ"の戦の地となりました。
【19th Century Chronicle 1868(m1)年】-6
◎函館五稜郭の戦い
*1868.8.19/ 旧幕府海軍副総裁榎本武揚が、艦船8隻を率いて、品川より奥州に向けて脱走出帆する。
*1868.10.25/ 榎本武揚が、函館五稜郭を占領する。
*1868.12.25/ 榎本武揚が蝦夷地全域を占領し、旧幕府軍の総裁に選出される。 
 慶応4(1868)年4月、江戸城無血開城の条件に、新政府への旧幕府軍艦の引渡しが含まれていたが、海軍副総裁の榎本武揚は、軍艦の引渡しに応じず開陽など主力艦の温存に成功した。8月19日、奥羽越列藩同盟からの支援要請に応じて、榎本率いる8隻の旧幕府艦隊は、品川沖を脱走し仙台に向った。この榎本艦隊には、旧幕閣や彰義隊に旧幕府軍事顧問団のフランス軍人など、総勢2,000余名が乗船していた。
 榎本艦隊は、悪天候で2隻を失いながらも、9月中頃までに仙台東名浜沖に集結した。しかしその頃には奥羽越列藩同盟は崩壊しており、最後まで戦った会津藩や庄内藩も降伏し、東北戦争は終結してしまった。榎本艦隊は、仙台藩に貸与していた運送船を加え、桑名藩主松平定敬、備中松山藩主板倉勝静、歩兵奉行大鳥圭介、旧新選組副長土方歳三ほか、旧幕臣など東北戦の残党などを収容し、東北沿岸を北上した。
 新政府が決定した徳川家への処置は、駿河、遠江70万石への減封というもので、約8万人の旧幕臣を養うことは不可能であり、榎本武揚は、蝦夷地に旧幕臣を移住させ北方の防備と開拓にあたらせようと画策していた。榎本は、新政府軍に追われながら、新政府軍平潟口総督宛てに、旧幕臣の救済のため蝦夷地を開拓するという内容の嘆願書を提出する。
 蝦夷地に到達した榎本艦隊は、10月21日、箱館を迂回して、北方の内浦湾鷲ノ木に約3,000名が上陸した。箱館には、旧箱館奉行に代わり新政府の箱館府が置かれていたが、東北戦争に兵員を割かれ手薄となっていた。旧幕府軍は、大鳥圭介率いる部隊と土方歳三率いる部隊の二手に分かれて箱館へ向けて進軍する。明治1(1868)年10月22日夜、無用な戦闘を避けるべく新政府への嘆願書をたずさえた先行隊が宿営中、箱館府軍の奇襲を受け、戦端が開かれた。
 明治1(1868)年10月24日、大鳥軍と土方軍は箱館府軍を撃破し、新政府軍箱館府知事は「五稜郭」の放棄を決め青森へ退却、旧幕府軍は10月25日に五稜郭へ無血入城し、榎本は艦隊を箱館へ入港させ、旧幕府軍は箱館を占領することに成功した。さらに、松前藩の松前城や館城も攻略して、蝦夷地の平定を達成する。ただし、江差方面攻略の支援に来ていた主艦船開陽などが、悪天候のため座礁沈没し、支援新政府軍の上陸阻止が出来なくなるという痛手を負った。
 12月15日、蝦夷地を平定した旧幕府軍は、箱館政権を樹立。総裁は入れ札(選挙)によって決められ、榎本武揚が総裁となった。榎本は、蝦夷地開拓を求める嘆願書を新政府に送るが、右大臣岩倉具視に却下され、来たる新政府軍の攻勢に備えることになった。
 旧幕府軍による箱館占拠の通報が東京に届くと、11月19日旧幕府軍追討令が出されたが、冬季作戦は無理として、箱館征討は翌年の雪解けを待って開始するとし、新政府軍は青森周辺に冬営した。一方、海軍は、アメリカの局外中立撤廃を受けて、品川に係留されていた最新鋭の装甲軍艦甲鉄をアメリカから購入し、甲鉄を旗艦とした新政府軍艦隊は、翌 明治2(1869)年3月9日品川沖を青森に向けて出帆した。
 新政府軍艦隊が東北の宮古湾に入るとの情報を受けると、榎本軍は甲鉄を奪取する作戦を実行するも、暴風雨等で難航し、貴重な3艦船を失い敗退する。宮古湾海戦に勝利した新政府艦隊は、青森に到着すると、4月初には渡海準備が完了した。そして、青森を出発した新政府軍は、明治2(1869)年4月9日早朝、江差北方の乙部に上陸した。
 江差を奪還した新政府軍は、4月半ばには陸軍参謀黒田清隆率いる2,800名など増援軍が到着、松前口・木古内口・二股口・安野呂口の四方面から箱館へ向けて進軍を開始する。物量で圧倒する新政府軍に対して、旧幕府軍は各方面とも後退を余儀なくされ、唯一、土方歳三の指揮する二股口の戦いでは、激闘の末、新政府軍を退却させるが、背後から挟撃される危険が生じたため、土方軍も五稜郭への撤退を余儀なくされた。
 明治2(1869)年5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始され、海陸両面から箱館に迫まった。箱館湾海戦では、箱館湾に侵入した新政府軍艦に、榎本軍は残された軍船により抵抗するも、砲弾を打ち尽くすなどして、意図的に座礁させて浮き砲台とするしかなかった。同日、五稜郭北方の急造堡塁の四稜郭方面の戦闘でも、敗退し五稜郭に退却する。
 一方、同日未明、陸軍参謀黒田清隆率いる新政府軍が箱館山の裏側に上陸し、函館湾拠点の弁天台場の背後を襲った。結果的に、弁天台場の旧幕府部隊は、五稜郭本隊と分断され孤立する。新政府部隊は箱館市街をほぼ制圧し一本木関門付近にまで進出、旧幕府部隊は五稜郭まで退いた。このとき、土方歳三は孤立した弁天台場の救出に向かうが、一本木関門付近で指揮中に狙撃され戦死した。
 翌5月12日、唯一残された五稜郭本隊に対して新政府軍が降伏勧告をするも、榎本総裁はいったん拒否する。この時、榎本が所有していた貴重な「海律全書」を、新政府軍参謀黒田清隆に託し、黒田は返礼として酒樽・鮪を五稜郭に送り届ける。榎本はこの厚意を拝受し、旧幕府軍首脳側が合議の上、降伏・五稜郭開城を決定した。
 5月18日、五稜郭は開城し、榎本ら幹部とともに郭内将兵も投降、ここに箱館戦争は終結した。降伏した旧幕府軍の将兵は弘前藩ほかに預けられたが、ほとんどが翌年に釈放。榎本武揚はじめ幹部7名は、東京で投獄された(明治5年釈放)。
 新政府軍黒田清隆と旧幕府軍榎本武揚が、五稜郭開城にあたって意を通じ合ったことが、この緩和な処置に寄与したと想像される。その後、榎本は、新政府重鎮となった黒田に助命されたうえ明治政府に出仕し、北海道開拓使として北海道の開拓に尽力するなど、新政府の官吏として有能な仕事を為した。

"錦の御旗"は、掲げられましたけれど・・・。

2021-11-03
Facebook 佐々木信雄さん曰く
*1868.3.14/ 明治天皇が「五箇条の御誓文」を天地神明に誓約。実質的には、維新政府による基本方針の宣言となる。
【19th Century Chronicle 1868(m1)年】-3
◎五箇条の御誓文
*1868.3.14/ 明治天皇が「五箇条の御誓文」を天地神明に誓約。実質的には、維新政府による基本方針の宣言となる。
*1868.3.15/ 新政府は、徒党・強訴・逃散・キリスト教などを禁じた「五榜の掲示」を立て、対庶民には旧幕時代の政策を継承する意図を示す。
*1868.3.28/ 新政府が神仏分離令を出し、以後、「廃仏毀釈」の運動が荒れ狂う。
*1868.閏4.27/ 新政府が「政体書」を出し、政治組織などを具体的に定める。
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
 「五箇条の御誓文」は、慶応4(1868)年3月14日、明治天皇が天地神明に誓約するという形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針であり、正式名称は「御誓文」とされる。鳥羽伏見の戦いの決着がつき、新政府の東征軍が江戸に迫るなか、京都では明治天皇の裁可を受け、「五箇条の御誓文」が公示された。西郷と勝の会談で「江戸城無血開城」が決まるのと同日であった。
 翌日、京都御所の紫宸殿に設えられた祭壇の前で、「天神地祇御誓祭」と称する儀式が執り行われた。明治天皇出御のもと、副総裁三条実美が天皇に代わって神前で「御誓文」を奉読する形で示された。
 御誓文は太政官日誌(官報の前身)をもって一般に布告された。「御誓文」は、あくまで公卿や諸侯など旧政権周辺に対して、朝廷の威光と天皇親政の国是を知らしめすのが主眼であり、太政官日誌は庶民一般の目に行き渡るのもではなかった。一方で一般国民に対しては、旧来の儒教道徳を強調した「五榜の掲示」が示され、徒党・強訴の禁止やキリスト教の厳禁など、旧幕府の政策を継承した訓示が示された。
 明治新政府は、大政奉還後の発足当初から「公議」を標榜し、その具体的方策としての国是を模索していた。慶応4年1月、福井藩出身参与 由利公正が、「議事之体大意」五箇条を起案し、次いで土佐藩出身参与福岡孝弟が修正したが、封建的な残滓を残し、王政復古の理念にも反するという批判もあり、そのままになっていた。
 そこで、参与で総裁局顧問木戸孝允は、天皇が、神前で公卿諸侯を率いて誓いの文言を述べ、その場で全員が署名するという形式を提案し、天皇親政を広く知らしめすとして、これが採用されることとなった。木戸は、福岡案の封建的残滓を取り払い、大幅に変更を加えることで、より普遍的な内容にした。この木戸による五箇条が、「御誓文」が明治天皇の裁可を受け、最終案とされた。
 慶応4(1868)年閏4月21日には、御誓文をより具体化した「政体書」が公布され、明治新政府の政治体制が定められた。さらに、明治8(1875)年の立憲政体の詔書では、「誓文の意を拡充して…漸次に国家立憲の政体を立て」と宣言され、御誓文は立憲政治の実現に向けての出発点として位置付けられた。
 その後の「自由民権運動」でも、「御誓文は立憲政治の実現を公約したもの」とされ、議会政治実現の根拠とされた。また、敗戦後の昭和天皇の、いわゆる人間宣言においては、御誓文の全文が引用され、日本的な民主主義の萌芽として位置づける試みも見られた。

お上は東京へお下りになったのですが・・・。

2021-11-03
Facebook 佐々木信雄さん曰く
【19th Century Chronicle 1868(m1)年】-5
◎戊辰戦争・新政府東征軍と旧幕軍の戦い
*1868.2.23/ 旧幕臣が彰義隊を組織し、上野を占拠する。
*1868.3.3/ 赤報隊の相良総三らが、偽官軍として捕らえられ、長野の下諏訪で斬罪とされる。
*1868.5.3/ 東北・北陸 奥羽25藩の同盟についで、長岡・会津など8藩も加盟、「奥羽越列藩同盟」が成立する。
*1868.5.15/ 上野の彰義隊が、政府軍の攻撃で敗走する。(上野戦争)
*1868.8.23/ 会津若松城が新政府軍に包囲され、9月22日、会津藩は開城降伏する。(会津戦争)
<上野戦争>
 鳥羽・伏見の戦いに決着がつき、幕府追討の詔勅が発せられると、西日本の多くの諸藩は命に服し、大きな混乱は起きなかった。新政府は、有栖川宮熾仁親王を大総督宮とした東征軍をつくり、東海道軍・東山道軍・北陸道軍の3軍に別れ江戸へ向けて進軍する。
 進軍する東征軍と旧幕府残党の最初の戦闘は、東山道軍(中山道)の進軍先の、甲州甲府や武州熊谷で発生した。近藤勇の率いる旧新撰組は甲陽鎮撫隊を組織して戦ったが、甲府盆地で板垣退助ら率いる東山道鎮撫先鋒部隊(土佐藩主力)に敗れ、近藤は捕縛され処刑される(甲州勝沼の戦い)。また、東山道軍の本隊は、武州熊谷梁田宿(現足利市)で旧幕府歩兵隊の脱走部隊(衝鋒隊)に奇襲攻撃をしかけ、幕府軍の敗北に終わった(梁田戦争)。
 東海道軍は、御三家筆頭の尾張藩が、いちはやく勤皇に転換したこともあって、小田原以西の全ての藩が恭順を誓い、大きな衝突もなく駿府にまで東進した。そして江戸城開城が決まるとこれに不満な抗戦派の幕臣らは、江戸の治安組織の「彰義隊」のもとに結集し上野にたて籠ったが、慶応4(1868)年5月1日、西郷に代わって司令官に任じられた長州藩士大村益次郎(村田蔵六)によって、一日で壊滅させられる(上野戦争)。
<奥羽越列藩同盟>
 京都守護職だった会津藩主松平容保・京都所司代の桑名藩主松平定敬は、ともに京都の治安を担当し、京都見廻組及び新撰組を用い尊王攘夷派の弾圧を行った。また鳥羽・伏見の戦いでは、両藩は旧幕府軍の主力として新政府軍と戦ったため、新政府の反感は強く、戦いの敗北とともに朝敵と認定されていた。また江戸薩摩藩邸の焼討事件での討伐を担当した庄内藩は、新政府によって会津藩と同様の処置がなされることを予期し、両藩は以後連携し新政府に対抗することとなった(会庄同盟)。
 慶応4(1868)年3月22日、新政府への敵対姿勢を続ける会津藩及び庄内藩を討伐する目的で、奥羽鎮撫総督及び新政府軍が仙台に到着した。そして3月29日、仙台藩・米沢藩をはじめとする東北地方の諸藩に会津藩及び庄内藩への追討が命令された。しかし、追討軍を庄内藩が反撃し天童城を攻め落としたり、関東でも旧幕府軍が宇都宮城を占拠するなど、新政府への対抗気運が漂い出した。
 慶応4(1868)年閏4月4日、仙台藩主導で奥羽14藩は会議を開き、会津藩・庄内藩への赦免の嘆願書を提出するが、新政府はこれを却下した。当初は、新政府の会庄追討に従っていた奥羽14藩は征討軍を解散し、逆に新政府軍と戦闘状態に入った。赦免の嘆願書は新政府によって拒絶されたため、天皇へ直接建白を行う方針に変更され、奥羽列藩盟約書を調印し、会津・庄内両藩への寛典を要望した太政官建白書が作成された。
 さらに、北越6藩が加わり、計31藩によって「奥羽越列藩同盟」が成立した。当初は嘆願を求める盟約であったものが、途中から軍事同盟に転嫁されたため、必ずしも加盟諸藩の統一された戦略があったわけではない。なお、会津・庄内両藩は列藩同盟には加盟せず会庄同盟として列藩同盟に協力することになった。
 新政府軍と奥羽越列藩同盟との戦いは、仙台藩が盟主的存在であったが、戦闘は奥州・北越の各地で並行的に行われたので、関ケ原の戦いのように双方が全軍で対峙するような場面はなかった。輪王寺宮公現法親王をかついで仙台に奥州政府を樹立する動きもあったとされるが、それは形にならなかった。ただ、京都新政府・江戸幕府のいずれでもない第三の勢力として、東北諸藩の利害共同体的な性格の同盟であったと思われる。
 庄内戦争・秋田戦争・白河戦線・北越戦争・平潟戦線など、各地で激戦が行われたが、新政府軍に敗れた同盟軍や旧幕軍の敗残兵が、未陥落の地に集まるなどして、次々と戦闘地は移っていった。そして最も激戦となったのが、松平容保の会津での戦いであった。奥羽越列藩が次々と陥落し奥羽越同盟が崩壊する中、最後まで若松城に籠城して戦った会津藩も、ついに1868(明1)年9月22日、落城し、その2日後に庄内藩も降伏した。

闘いの転機(戦いの前と後)

空母化というより、もはや空母そのものです。

2021-10-05
護衛艦「いずも」でF35Bステルス機が離着陸訓練へ(2021年7月31日)
着艦です。

護衛艦「いずも」でF35Bステルス機が離着陸訓練へ(2021年7月31日)

空母化進む「いずも」でF-35B発着試験(2021年10月5日)
発艦です。

空母化進む「いずも」でF-35B発着試験(2021年10月5日)

空母化、着々です。

2021-09-30
Facebook Shinya Kojima さん曰く
「いずも」へのF-35B発着艦検証、10月3日から実施へ
「いずも」へのF-35B発着艦検証、10月3日から実施へ
防衛省は9月30日、海上自衛隊の護衛艦「いずも」へのF-35B戦闘機の発着艦検証作業を10月3日から7日の間、太平洋上で実施すると発表した。
 検証は米海兵隊岩国基地所属のF-35Bの協力を得るかたちで行うとしている。
(航空新聞社の記事より)

日米英蘭加共同訓練(#PACIFICCROWN21)

2021-09-30
Facebook 防衛省 海上自衛隊さん曰く
令和3年8月25日(水)~令和3年9月9日(木)に行われた、日米英蘭加共同訓練(#PACIFICCROWN21)の新たな動画をYouTubeに公開しました!
ぜひご覧ください!
URL⇒https://youtu.be/F-cR35rhn5M

Messerschmitt Bf 109 E-3

2021-09-20

Original Fw-190A-5 - BMW-801

2021-09-20

真宗大谷派の取り組みについて

「全戦没者追弔法会」の和讃

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

【4/2全戦没者追弔法会】

2021-04-04
Facebookしんらん交流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

【春の法要ライブ配信】全戦没者追弔法会(4月2日10時10分~)

2021-04-02

全戦没者追弔法会 戦争でいのちを奪われた方々を憶念し、仏が願われた「兵弋無用(軍隊も武器もいらない)」の教えから、私たちの今を問い直す法要です。
 ◆法要 10時20分~ 
【法要次第】
 出仕
 着座楽 
総礼 
伽陀 稽首天人 
登高座 
表白 
伽陀 万行之中
 御経 仏説阿弥陀経 
伽陀 直入弥陀 
下高座 
総礼 
正信偈 草四句目下(同朋唱和) 
念仏讃 淘五 三重念仏 
和讃 無明長夜の燈炬なり 次第三首 
回向 願以此功徳 
総礼 
恩徳讃 
退出楽 退出
全戦没者追弔法会   表 白
謹んで阿弥陀如来、宗祖親鸞聖人 、ならびに
三世十方の諸仏如来に申し上 げます。
 本日ここに、親しく宗祖親鸞聖人のまえに坐 すことを得て、全戦没者追弔法 会を厳修いたします。このときにあたり、一つには過去の 罪障を懴悔し、二つには現在の遇法を慶喜び、三つには将来に同朋社会の顕現を期したいと存じます。 
第一に、過去の罪障を懴悔するとは、われらの宗門が、先の悲惨な侵略戦争 に自ら荷担し、それを「聖戦」と呼び、「まったくおおせにてなきことをも、 おおせとのみもうす」罪を犯したことであります。 実に、五逆謗法の咎逃れがたく、今更あらため 全戦没者の悲しみを 憶念し、ここに真宗大谷派が無批判に戦争に荷担した罪を表明し、過去の罪障を懴悔いた します。
 第二に、現在の遇法を慶喜ぶとは、そのわれらの罪障にも拘らず、如来の本 願はその罪を私たちに知らしめ、罪に向き合い、平和への道を歩ましめるので あります。
 第三に、同朋社会の顕現を期すとは、本願念仏の教法に生きる者は「四海の 内みな兄弟とするなり」という浄土の 荘厳功徳をこの身に受け、死者と生者が 一つに出会い、国家や民族の境を超えた「同朋社会」の顕現に 向 む かって 生 い きる 者 もの となるのであります。 われら 真宗門徒、ここに 非戦平和の誓いを 表 白し、ひとえに、この身とこの世の無明の闇を 照らす仏の教えに随い、ともに生きあえる世界 への道を歩まんことを誓うものであります。 

   二〇二一年四月二日  釋修如

仏が願われた「兵弋無用(軍隊も武器もいらない)」の教え

2021-08-15
Facebook 阪下 大介さん曰く

2020 年度全戦没者追弔法会 記念講演

2021-04-02
2020 年度全戦没者追弔法会

・趣旨 日常に潜む戦争 ―不安と恐怖の中で―

 私たちの宗門は、かつて侵略戦争を「聖戦」と呼び、仏法の名のもとに多くの人々を戦 場へと送り出しました。戦争で命奪われたすべての人々、遺族のみならず、アジア諸国、 とりわけ中国、朝鮮半島の人々に、計り知れない苦痛と悲しみを強いてきました。戦争の 歴史が明らかにされる中で、私たちは被害者であると同時に、加害者としての歴史も問わ れてきたのです。だからこそ、なぜ戦争が起きるのか、社会はなぜ戦争に向かったのかと いうことを、全戦没者の悲しみの歴史に学び、戦争をくり返してきた人間の過ちを見つめ、 未来に伝えていくことを大切にしています。 この法会において、私たちは、戦争で命奪われたすべての人々の願いに耳を澄まし、日 常に潜む戦争の影を見つめ、戦争の無残さ、それを生み出す人間の深い闇を、心に刻みた いと思います。そのことにより、「国 こく 豊 ぶ ⺠安 みんあん 兵戈 ひょうが 無用 む よ う (国豊 ゆた かに⺠安 やす し。兵戈 ひょうが 用 もち いるこ となし。)」(『仏説無量寿経』)という、仏の大悲によって真実の豊かさと安らぎが与えら れるところに、兵士も武器も必要がないという教えが、具体的な現実の課題をとおして知 らされます。 いま世界は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に震撼しています。国内においても 感染終息の目途が立たず、命を守るために感染を防ぐ努力は大切です。しかしながら、看 過してはならないのは、感染することにより世間から冷たい眼を向けられるのではないか と恐れる私たちの心や世間の風潮です。その恐れやメディアの報道などによって、私たち の心は追いつめられ、増大した不安から大衆の動向に身をゆだねることで、かりそめの安 心を得ているのではないでしょうか。 国家による戦争と、ウイルスという公衆衛生の問題は、本来、質が異なります。しかし、 不安の高まりからくる過剰な同調圧力は、戦時下と似通ったものを感じずにはいられませ ん。私たちは、不安から逃れるために、その場の空気や力関係に従うことで自分の身を守 ろうとします。そのような意識が、家族のため、みんなのため、やがては国のためにと、 「自発的に」命令に従い、「正義」の名のもとに凄惨な戦争へと向かっていったのです。 私たちは、厳しい状況の中で、⼾惑い揺れ動く心や、追いつめられて呻 うめ きをあげる一人 ひとりの小さな悲しみこそ大切にしていきたいと思います。それにより、「一切 いっさい 恐懼 く く 爲作 い さ 大安 だいあん (一切の恐懼 く く に、ために大安 だいあん を作 な さん。)」(『仏説無量寿経』)という仏の願いに応え てまいります。 このたびの法会が、非戦・平和への歩みを共につなぐ場となることを心より願います。
講師:真城 義麿氏(真宗大谷学園専務理事・元大谷高校校⻑)

政局について

総括いたします。

2021-11-08
Facebook 伊吹文明さん曰く
総選挙が終り、自公政権継続の民意が定まりました。
後継者である勝目やすし君が京都一区で無事当選し、肩の荷がおりました。
彼に伝えたことは、「当選者一人の小選挙区選出議員は、自分に投票頂いた有権者だけでなく、他に投票した有権者の主権も代表していることを忘れないように」ということです。
従って異なる意見にも耳を傾ける姿勢、しかし最後は自分の価値観、自民党公認という筋を通す姿勢が大切になります。
勝目君が謙虚に研鑽を積み、多くの人に支持され、人間として、政治家として大成してくれることを願っています。
 私も自民党所属代議士の立場を離れ、今後は一国民・ひとりの有権者として意見を述べたいと思います。
とはいえ、私の政治理念や価値観が変るものでもなく、政策や政局、社会事象への評価は従来と大きく違わないので、異なる立場、価値観でのご意見もご遠慮なくお寄せ下さい。
 さて総選挙の総括です。
自民党は選挙前の予測をくつがえし、議席数は減ったものの単独過半数を大きく上回り、自公合計の議席数は絶対過半数(衆議院の各委員会の委員長を自公で独占しても、なお各委員会の過半数を制する)を超えました。
一方立憲民主党は、選挙前の議席数大幅増の予測に反し、選挙前議席を10以上減らしました。
自民・立憲とも選挙前議席を減らした分、維新は大阪を中心に小選挙区を制し、他都府県でも比例票を大幅に伸ばし、選挙前から30議席増の第三党に躍り出ました。
 この背景を自民、立憲両党は検証し、党勢を立てなおさないと、来年の参議院選挙は両党にとって厳しいものとなるでしょう。
議席大幅減の予測をくつがえした自民党に勝利感は希薄です。
勝った小選挙区の多くで前回の得票率を下回り、甘利幹事長、石原元幹事長、現元大臣等が小選挙区で苦杯を嘗める等手放しで喜べる状況ではありません。
これまでのコロナ対策を私は評価していますが、その良さの説明がうまくなく、国民の不満やいらだちを抑えられなかった印象です。
森友案件や政治とカネについても、国民への誠実な説明姿勢が問われたようです。
聞く力」に加え、「説明する力」、「実行する力」が期待されます。
 立憲民主党は、共産党に選挙協力に引き込まれたのが失敗だったと思います。安全保障や経済成長戦略、天皇制等、共産党綱領や主張は非現実的と国民は見ています。
選挙の票の数合せを狙ったのが逆に、自公政権には不満でも、理念の違う共産党と選挙協力する立憲民主党にも投票したくないとの民意を生み、政権批判の受皿として維新の伸張を許したと思います。
日本政治の為、立憲民主党が健全なリベラル政党としての成長することを願っています。

茂木新幹事長のあだ名は「モテキング」、政官とも恐れる王様起用3つの理由

2021-11-06
© ダイヤモンド・オンライン 提供 自民党幹事長への就任の記者会見をする茂木敏充氏(11月4日) Photo:JIJI
小倉健一 2021/11/06 06:00

自民党幹事長に茂木敏充前外相が就いた。
トランプ前大統領に「タフネゴシエーター」と言わせしめた高い実務能力を持つ一方で、「とにかく怒りっぽい」と毀誉褒貶が激しい。
永田町・霞が関では期待と不安が交錯するが、岸田文雄首相の茂木氏起用には、三つの深謀遠慮が透けて見える。(イトモス研究所所長 小倉健一)

攻めてるつもりでしたが・・・。

2021-11-01
『読売新聞』の朝刊、2021.11.1です。

NHK 選挙WEB

2021-10-19

甘利幹事長が小選挙区敗北で辞任へ

2021-11-01
自民党本部の開票センターで、当確者の名前にバラを付ける総裁の岸田首相(右)と小選挙区で敗北した甘利幹事長(中央)。甘利氏は幹事長を辞任する意向を党幹部に伝えた
31日午後9時56分、東京・永田町
11/1(月) 0:05配信 「安倍」「小石河連合」の”逆襲”が始まる

岸田文雄首相(自民党総裁)は11月1日未明、政権の要である甘利明幹事長が小選挙区敗北により辞意を固めたことを受け、今後の政権運営への懸念を強めた。甘利氏の後任が焦点となるが、政権への打撃は必至だ。自民、公明両党は1日に党首会談を開き、連立政権の継続を確認。新型コロナウイルス対応や、格差是正を含む経済対策の裏付けとなる2021年度補正予算案の編成に取り組む。立憲民主党など野党は来年夏の参院選をにらみ、甘利氏敗北は「政治とカネ」問題が主要因とみて、追及を強める。

 首相は党本部で、甘利氏の進退を巡り「本人の話を聞いた上で、私が判断する」と語った。

闘いすんで 陽が暮れて・・・

昭和天皇の御巡幸 戦後全国を御巡幸された陛下。

2021-11-25
Facebook 上野不二子 さん曰く、親しみやすい笑顔が印象的ですね。

勝新太郎さんと田宮二郎さんというより、「悪名」の二人・・・。

2021-11-22
Facebook 石山 裕子さん曰く、勝さんお若いです。田宮さんカッコいいです。

ジョニーという生き方

2021-11-25
Facebook Nostalgia&Rock'n’ Roll ノスタルジア・ロックンロールさん曰く

日曜日も 終わりそうね

2021-11-11
Facebook Nostalgia&Rock'n’ Roll ノスタルジア・ロックンロールさん曰く
日本です。新婚旅行です。ディマジオがいっしょでした。
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