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闘いの歴史

データベース

Facebook 闘諍堅固

2021-09-14
とうじょうけんご 【闘諍堅固】 〘名〙 仏語。

五種ある堅固のうちの第五。または、五五百年(ごごひゃくねん)の一つ。仏滅後第五の五百年で、諸僧が互に自説の優位を主張し、争うことが多く、邪見のみにて仏法が姿をかくしてしまう時をいう。

メルケル独首相に別れの拍手 EU首脳総立ち、最後の出席

2021-10-23
© KYODONEWS 22日、EU首脳会議で拍手を受けるドイツのメルケル首相(中央)=ブリュッセル(ゲッティ=共同)
共同通信社 2021/10/23 08:15

 【ブリュッセル、ベルリン共同】ブリュッセルで開かれた22日の欧州連合(EU)首脳会議で、今回が最後の出席と見込まれるドイツのメルケル首相が別れを惜しむ各国の首脳らから総立ちの拍手を受けた。EU当局者が明らかにした。

 在任約16年のメルケル氏は年内にも予想されるドイツ新政権発足に伴い、政界を引退する。EU首脳会議に100回以上参加し、欧州債務危機など数々の課題を安定した手腕でさばき「欧州の顔」として知られてきた。

 EUのミシェル大統領はあいさつで、メルケル氏のいない首脳会議について「バチカンのないローマ、エッフェル塔のないパリのようなものだ」と表現した。

10月12日、アーリントン国立墓地において

2021-10-20
Facebook 陸上自衛隊 Japan Ground Self-Defense Forceさん曰く
【お知らせ】
 陸上自衛隊最先任上級曹長根本准尉は米国に出張し、10月12日、アーリントン国立墓地において在日米陸軍JERRY L.DODSON JR(ジェリーLドッドソンJr)最先任と合同献花を実施し、追悼の意を表しました。
 平和と安定のためにご尽力されたすべての方々に対して敬意を表します。

本当にありがとうございました。

2021-10-05
Facebook 首相官邸さん曰く
国民の皆様。皆様の御協力なしには何一つ実現することができなかったと思います。
この1年、国民のために働く内閣への皆様の御支援、御協力に心から感謝と御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

菅政権1年間の軌跡

2021-09-23
Facebook 首相官邸さん曰く
菅政権1年間の軌跡をまとめました。
最後の一日まで国民のために働く内閣として全力を尽くします。

最期の外遊です。
米国が主催する初めてのクアッド首脳会合に参加します。
ワクチン、新しい技術、気候変動といった地域の重要課題につき、首脳間で率直な議論を行い、「自由で開かれたインド太平洋」の具体化の道を探っていきたいと思います。

闘いの記録 (戦争と人間)

【三面記事として】紀子さま 目を合わせないことも…結婚延期後の眞子さまとの微妙な距離感

2021-09-11
© 女性自身 19年6月、琉球舞踊公演を鑑賞される紀子さまと眞子さま /(C)JMPA
© NEWSポストセブン 提供 1989年にご婚約内定(時事通信フォト)
女性自身 2021/09/11 11:00

9月11日、55歳のお誕生日を迎えられた紀子さま。

皇嗣妃となられてからは、毎年記者からの質問に文書で回答されているが、今回は10月にも婚姻届けを提出する見通しだと報じられた眞子さまの結婚について、どのように考えを述べられるかが注目されていた。

今回、紀子さまは眞子さまの結婚について、

《親として娘の思いや考えを受け止められるよう、対話を重ねております。こうした中、共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております。一連の対応についての受け止めや、今後の見通し、話したことの内容などをお伝えすることは控えさせていただきます》

とつづられた。

「“尊重したい”というお気持ちは昨年のお誕生日での文書で初めてつづられ、“事実上の結婚容認”だと大きな注目を集めました。今回も、昨年とほとんど同じ内容となっていますが、“意見が違うこともありますが”と言及されているとおり、昨年に引き続き、未だ母娘で折り合いがついていない部分があるということでしょう」(皇室ジャーナリスト、以下同)

18年2月に結婚延期が発表されてからも、紀子さまは眞子さまとともにご公務や皇室行事に取り組まれてきた。ご公務中にお二人で会話されることもあったが、ときには“距離”が開いたときもあったという。

「19年6月に、紀子さまと眞子さまが横浜能楽堂で琉球舞踊を鑑賞されたときのことです。お二人とも終始笑顔を浮かべられているのですが、カメラが入っている間、一度も視線を合わせることはありませんでした。18年4月に、オランダ絵本の展示会にお出ましになった際には、お二人で絵本を手に語り合われ、フォトブースで写真も撮られていたのですが……」

“緊迫”した時期にも、紀子さまは眞子さまのよき将来を願われ続けていた。

「そのような状況でも、紀子さまはご公務で眞子さまに話しかけられたり、ご一家で医療用防護服を手作りされるボランティアに励まれたりと、関係の修復に努めてこられたのです」

紀子さまが粘り強く向き合われることで、再び母娘で話されるようになった眞子さま。しかし、眞子さまは「一時金辞退の意向」を示され、戦後の皇室で初めてとなる「儀式なしの結婚」を遂行しようとされている。

母娘の対話は、果たしてどう決着がつくのだろうかーー。

挿絵入り新聞で報道された日本二十六聖人列聖式の模様

2021-09-12
Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く
■新しく入手できました資料~
挿絵入り新聞で報道された日本二十六聖人列聖式の模様
 フランスの挿絵入り新聞『イリュ挿絵ストラシオン』"L'Illustration, Journal Universel" 1862年6月21日号では、同月8日に行われた二十六聖人列聖式の模様が表紙で大きく報道されました。
 また中央見開き2ページを使って、参加した人々の衣装紹介と場内の模様もわかりやすく描かれています。
 いかに盛大な列聖式であったかお分かりいただけると思います。
(いまのところ展示のタイミングは未定です。)

■来年の9月10日、長崎の「元和大殉教」四百周年を迎えます。

2021-09-09
Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く
■来年の9月10日、長崎の「元和大殉教」四百周年を迎えます。
 1622年9月10日、大村や長崎の牢につながれていた宣教師や一般信徒55名が西坂の丘で同時に処刑されました。
 ローマのジェズ教会所蔵のこの絵は、長崎のセミナリオで洋画の技法を学んだ日本人により描かれたものと考えらています。
 西坂周辺の山並みや浦上街道、海岸沿いの崖の様子などが詳細に描写され、警護をしている松浦藩の家紋まで正確に書き加えられています。
 来年は長崎の大殉教四百周年の記念の年となります。

「煩悶(はんもん)」心が苦しみなやむ。思いわずらう。

2021-09-06

おなかいっぱいです

2021-09-02

闘いの転機(戦いの前と後)

横須賀米海軍基地に入港するクイーン・エリザベス

2021-09-04
Facebook 小林 直也さん曰く
Facebook 石津 祐介さん曰く

闘い済んで、陽が暮れて・・・。

2021-09-09
Facebook 戦艦ミズーリ記念館

1945年9月2日東京湾

2021-09-03
Facebook 戦艦ミズーリ記念館さん曰く
本日、第二次世界大戦終結76周年式典が戦艦ミズーリの艦尾ファンテイルで行われました。
平和に向けて
“この厳粛な式を転機として流血と虐殺の過去からよりよい世界、信頼と理解の上に立つ世界、人間の尊厳と、人間の最も渇望している自由、寛容、正義の完成をめざす世界が生まれてくることを私は心から希望している”
1945年9月2日東京湾
連合軍最高司令官のダグラスマッカーサー元帥のスピーチ抜粋

東京湾の戦艦ミズーリ

2021-09-04
Facebook 戦艦ミズーリ記念館さん曰く
東京湾で駆逐艦マイルズ・C・フォックスの艦上から撮影された戦艦ミズーリ。写真は駆逐艦マイルズ・C・フォックスのプランクオーナーであり写真係であったWJ (William) Crowell氏が撮影しました。写真は数十年もの間缶の中で保管されて世に出る事はありませんでした。
Photo share from Kimball Shakhrokhi, William Cromwell's grandson.

東京湾への途上です。

2021-09-05
Facebook 戦艦ミズーリ記念館さん曰く

真宗大谷派の取り組みについて

「全戦没者追弔法会」の和讃

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

【4/2全戦没者追弔法会】

2021-04-04
Facebookしんらん交流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

【春の法要ライブ配信】全戦没者追弔法会(4月2日10時10分~)

2021-04-02

全戦没者追弔法会 戦争でいのちを奪われた方々を憶念し、仏が願われた「兵弋無用(軍隊も武器もいらない)」の教えから、私たちの今を問い直す法要です。
 ◆法要 10時20分~ 
【法要次第】
 出仕
 着座楽 
総礼 
伽陀 稽首天人 
登高座 
表白 
伽陀 万行之中
 御経 仏説阿弥陀経 
伽陀 直入弥陀 
下高座 
総礼 
正信偈 草四句目下(同朋唱和) 
念仏讃 淘五 三重念仏 
和讃 無明長夜の燈炬なり 次第三首 
回向 願以此功徳 
総礼 
恩徳讃 
退出楽 退出
全戦没者追弔法会   表 白
謹んで阿弥陀如来、宗祖親鸞聖人 、ならびに
三世十方の諸仏如来に申し上 げます。
 本日ここに、親しく宗祖親鸞聖人のまえに坐 すことを得て、全戦没者追弔法 会を厳修いたします。このときにあたり、一つには過去の 罪障を懴悔し、二つには現在の遇法を慶喜び、三つには将来に同朋社会の顕現を期したいと存じます。 
第一に、過去の罪障を懴悔するとは、われらの宗門が、先の悲惨な侵略戦争 に自ら荷担し、それを「聖戦」と呼び、「まったくおおせにてなきことをも、 おおせとのみもうす」罪を犯したことであります。 実に、五逆謗法の咎逃れがたく、今更あらため 全戦没者の悲しみを 憶念し、ここに真宗大谷派が無批判に戦争に荷担した罪を表明し、過去の罪障を懴悔いた します。
 第二に、現在の遇法を慶喜ぶとは、そのわれらの罪障にも拘らず、如来の本 願はその罪を私たちに知らしめ、罪に向き合い、平和への道を歩ましめるので あります。
 第三に、同朋社会の顕現を期すとは、本願念仏の教法に生きる者は「四海の 内みな兄弟とするなり」という浄土の 荘厳功徳をこの身に受け、死者と生者が 一つに出会い、国家や民族の境を超えた「同朋社会」の顕現に 向 む かって 生 い きる 者 もの となるのであります。 われら 真宗門徒、ここに 非戦平和の誓いを 表 白し、ひとえに、この身とこの世の無明の闇を 照らす仏の教えに随い、ともに生きあえる世界 への道を歩まんことを誓うものであります。 

   二〇二一年四月二日  釋修如

仏が願われた「兵弋無用(軍隊も武器もいらない)」の教え

2021-08-15
Facebook 阪下 大介さん曰く

2020 年度全戦没者追弔法会 記念講演

2021-04-02
2020 年度全戦没者追弔法会

・趣旨 日常に潜む戦争 ―不安と恐怖の中で―

 私たちの宗門は、かつて侵略戦争を「聖戦」と呼び、仏法の名のもとに多くの人々を戦 場へと送り出しました。戦争で命奪われたすべての人々、遺族のみならず、アジア諸国、 とりわけ中国、朝鮮半島の人々に、計り知れない苦痛と悲しみを強いてきました。戦争の 歴史が明らかにされる中で、私たちは被害者であると同時に、加害者としての歴史も問わ れてきたのです。だからこそ、なぜ戦争が起きるのか、社会はなぜ戦争に向かったのかと いうことを、全戦没者の悲しみの歴史に学び、戦争をくり返してきた人間の過ちを見つめ、 未来に伝えていくことを大切にしています。 この法会において、私たちは、戦争で命奪われたすべての人々の願いに耳を澄まし、日 常に潜む戦争の影を見つめ、戦争の無残さ、それを生み出す人間の深い闇を、心に刻みた いと思います。そのことにより、「国 こく 豊 ぶ ⺠安 みんあん 兵戈 ひょうが 無用 む よ う (国豊 ゆた かに⺠安 やす し。兵戈 ひょうが 用 もち いるこ となし。)」(『仏説無量寿経』)という、仏の大悲によって真実の豊かさと安らぎが与えら れるところに、兵士も武器も必要がないという教えが、具体的な現実の課題をとおして知 らされます。 いま世界は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に震撼しています。国内においても 感染終息の目途が立たず、命を守るために感染を防ぐ努力は大切です。しかしながら、看 過してはならないのは、感染することにより世間から冷たい眼を向けられるのではないか と恐れる私たちの心や世間の風潮です。その恐れやメディアの報道などによって、私たち の心は追いつめられ、増大した不安から大衆の動向に身をゆだねることで、かりそめの安 心を得ているのではないでしょうか。 国家による戦争と、ウイルスという公衆衛生の問題は、本来、質が異なります。しかし、 不安の高まりからくる過剰な同調圧力は、戦時下と似通ったものを感じずにはいられませ ん。私たちは、不安から逃れるために、その場の空気や力関係に従うことで自分の身を守 ろうとします。そのような意識が、家族のため、みんなのため、やがては国のためにと、 「自発的に」命令に従い、「正義」の名のもとに凄惨な戦争へと向かっていったのです。 私たちは、厳しい状況の中で、⼾惑い揺れ動く心や、追いつめられて呻 うめ きをあげる一人 ひとりの小さな悲しみこそ大切にしていきたいと思います。それにより、「一切 いっさい 恐懼 く く 爲作 い さ 大安 だいあん (一切の恐懼 く く に、ために大安 だいあん を作 な さん。)」(『仏説無量寿経』)という仏の願いに応え てまいります。 このたびの法会が、非戦・平和への歩みを共につなぐ場となることを心より願います。
講師:真城 義麿氏(真宗大谷学園専務理事・元大谷高校校⻑)

政局について

NHK 選挙WEB

2021-10-19

安倍政権に反省促す所感、なぜ出した…政界引退する大島衆院議長が語る民主主義の根幹

2021-10-20
 8年9カ月続いた「安倍・菅政権」。国会の議論の前提となる資料の隠蔽や改ざんが相次ぎ、異論に耳を傾けない姿勢も相まって、少数意見を尊重しながら熟議する民主主義の根幹が揺らいだ。憲法で国権の最高機関と定められた国会の責任者は、議会や政治のありようをどう見ていたのか。次の衆院選に立候補せず、政界を引退する衆院の大島理森議長(75)に聞いた。

安倍政権に反省促す所感、なぜ出した…政界引退する大島衆院議長が語る民主主義の根幹:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

おおしま・ただもり 1946年、青森県八戸市生まれ。毎日新聞社員、青森県議を経て、1983年衆院選に自民党から立候補して初当選。12期目。青森2区。文相や農相、自民党幹事長などを歴任。2015年4月から衆院議長を務め、通算在職日数は歴代最長の2335日(13日時点)。

総選挙が公示されました。

2021-10-20
『読売新聞』2021/10/20朝刊です。

安倍、麻生を裏切り総理を操る甘利明・幹事長という「狡猾の人」

2021-10-18
© NEWSポストセブン 提供 容赦ない(時事通信フォト)
2021/10/18 07:05

岸田内閣の「影の総理」と呼ばれ始めているのが、甘利明・自民党幹事長だ。これまでキングメーカーの安倍晋三・元首相と麻生太郎・副総裁に忠実に付き従う「3Aトリオの末席」と見られていたが、総裁選と新政権の人事で一気に権力の中枢に駆け上がった。

 にわかに権勢を得た甘利氏の政界での軌跡を辿ると、仕えた“主家”から離れては敵対関係になってきたことが分かる。

 最初に世話になったのは河野家だった。甘利氏の父・正氏は河野一郎・元副総理の子分で、神奈川県議から代議士になり、河野家2代目の洋平氏が自民党を離党して新自由クラブを旗揚げすると行動を共にした。父の地盤を継いだ甘利氏も初当選は新自由クラブだった。甘利氏の先輩議員だった山口敏夫・元労相が振り返る。

「甘利君は勉強家で新人議員時代から官僚を集めて熱心に政策づくりをしていた。ただ、河野洋平はリベラル派の理想主義者だったが、甘利君の父は保守派だったし、若い頃から父の秘書をしてきた甘利君は政治理念より政策に重きを置くタイプで、洋平の政治姿勢に共鳴していたわけではなかった。だから新自由クラブが解党して自民党に復党するとき、洋平は宏池会(現岸田派)に入ったが、私は甘利君を誘って中曽根派に合流した。そのとき政治路線を違えることになった」

 だが、今回の総裁選で甘利氏は政治路線を違えたはずのリベラル派の岸田氏につき、世話になった河野家の3代目の太郎氏の敵に回った。

「河野太郎は新自由クラブ解党のときに洋平について行かなかった甘利君に思うところがあるのかもしれないし、当選回数が上の甘利君にすれば、河野太郎はまだまだ信用が足りないと考えたのではないか」(同前)

 その後、甘利氏は中曽根派から分かれた山崎派に所属し、「政策通」として頭角を現わしていくが、派内で人望があるとは言えなかった。同派議員の元秘書が語る。

「関西の山崎派議員のパーティーで挨拶に立った甘利さんが『私はね、関東より先には行かないんです。遠くのパーティーには参加しないんですよ』としゃべり出した。その自分がわざわざ来たと言いたかったのかもしれないが、高飛車な言い方を関西人は有り難がらない。会場はシーンとして気まずい空気が流れたが、気分を悪くしたのか、甘利さんは挨拶の最後に『本当に来ないんだよ、私は』と捨て台詞を吐き、出席した同僚議員や秘書たちも唖然としていた」

 それでも山崎派ではナンバー2の会長代行に就任し、派閥を継げると考えていた。だが、会長の山崎拓氏は甘利氏ではなく、途中から派閥に入会した石原伸晃・幹事長(当時)に派閥を継がせ、後継者争いに敗れた甘利氏は2011年に側近議員を連れて派閥を割った。このとき旗揚げしたのが甘利グループ「さいこう日本」だ。

 その石原氏が翌2012年の総裁選に最有力候補として出馬すると、甘利氏は再登板を目指す安倍氏の選挙責任者となって石原追い落としに動く。今回の総裁選で河野阻止に動いたのと同じやり方だ。

 総裁選は安倍氏が逆転勝利し、甘利氏は安倍政権で経済再生相を連続4期務めるなど重用され、安倍氏、麻生氏と並んで「3A」と呼ばれるようになった。もっとも、党内には「3Aという呼び方を一番吹聴していたのは甘利本人。総理、副総理と同格であるかのように印象づける自己宣伝が巧みだった」(閣僚経験者)との冷ややかな見方もある。

転んでもただでは起きない

 出世を重ねて絶頂にあった甘利氏だが、2014年のUR都市機構をめぐる口利き疑惑で転落する。

「秘書のせいにはしたくない」という“涙の会見”で大臣を辞任すると、「睡眠障害」を理由に半年近く国会を欠席、姿をくらませた。

 追い打ちを掛けたのが、甘利氏をかばっていた当時の安倍首相が、後任の経済再生相に甘利氏が追い落とした石原氏を起用したことだ。甘利氏が失脚し、代わって石原氏を復権させたのである。

「石原さんに勝ったつもりだった甘利さんにすれば、この人事は屈辱だったはずです。権力者の非情さを思い知らされたのではないか」

 甘利氏に近い議員からは同情する声が上がった。

 しかし、転んでもただでは起きなかった。復権を目指す甘利氏は、今度は甘利グループの子分4人を連れて派閥拡大をはかる麻生派に入会する。「安倍側近」から「麻生側近」へと主を代えた。

 それを機に、麻生氏の後押しで党行革推進本部長、選対委員長、党税調会長と再び出世の階段に戻ることができた。

 そしていま、岸田政権で幹事長として権力を握るやいなや、安倍氏の力を削ぐことで過去の“屈辱”を晴らし、恩人で盟友でもあった麻生氏の棚上げをはかって麻生派の跡目に手をかけるところまできた。

 甘利明という政治家には、裏切り、寝返り何でもありの権力闘争の修羅場をくぐり抜けたしたたかさ、狡猾さをいかんなく見せつけられる。

※週刊ポスト2021年10月29日号

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