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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

常識に欠ける防衛費倍増と反撃能力の議論 | | 山崎拓

2022-07-04
山崎拓氏=須藤孝撮影
2022年7月4日

 防衛費を国内総生産(GDP)比2%にまで引き上げる議論がある。しかし、「防衛費を2倍にすれば、抑止力も2倍になる」というような、そんな簡単なものではない。

米国は喜ぶが

 米国は日本に、北大西洋条約機構(NATO)並みに防衛費を引き上げるよう求めている。その要求に応じる国際政治の局面はある。米国を喜ばせる点ではたしかに意味がある。

 しかし現実問題として防衛費を増やしたらどうなるか。日本の防衛費は4割強が人件費だ。その7割を占める陸上兵力を増強して、人件費を増やすことは実際的ではない。つまり防衛費を増やすことは装備費を増やす問題になる。2022年度予算では防衛関係費は5兆4000億円だ。2倍にするならば10兆8000億円だ。

 装備をそこまで増やす現実的な方法はない。米国の軍事産業を喜ばせるかもしれないが、装備をそれだけ買うことは実際上、不可能だ。みな非常に単純に考えているが、防衛力というのは簡単に強化できるものではない。核開発でもするというなら別だが、非核三原則は国是だ。変えるべきではない。

結局は国民負担

 22年度の文教予算は約5兆4000億円、公共事業費は約6兆1000億円だ。それらにほぼ匹敵する額の防衛費を増やすというならば、どうやって増やすか。その財源はどこにあるのか。

 大型予算を投入してコロナ対策はやったと言う人がいるかもしれない。しかしコロナ対策は非常時の支出だ。防衛費は一度増やせば毎年度ずっと負担が続く。財政規律の問題からいっても容易にできることではない。

 大政治家と言われる人が簡単に倍増すると言うが、常識に欠けている。言うはやすく行うは難い問題だ。

本願寺広島別院にて勤修された『安芸教区全戦争死没者追悼法要』

2022-07-02

Facebook 広島雅楽会さんは広島別院にいます


【法要出仕】
本日、本願寺広島別院にて勤修された『安芸教区全戦争死没者追悼法要』に、讃嘆衆として出勤させていただきました。
“全戦争死没者”ということで、特定の戦争に限らず、全ての戦争死没者を追悼する法要のご縁でした。
親鸞聖人のお言葉に『世のなか安穏なれ 佛法ひろまれ』とあります。改めて、そのお心を味わわせていただく法要でありました。
民家が並ぶ被爆前の中島地区
上端中央のT字の橋が相生橋、左右の川に架かる2つの橋は右が元安川・元安橋、左が本川・本川橋。この両橋を通る道は旧西国街道で、街道沿いは江戸時代から栄えていた。
被爆後の中島地区
広島市への原子爆弾投下 - 原爆被爆側の視点

1945年の広島市地図。赤い斜線(濃い赤)の地域が全壊地域、赤い点(薄い赤)の地域が半壊地域である。地図の升目は1,000ヤード(914.4メートル)である。米軍作成。

敵に似てくる・・・。

2022-07-02
『讀賣新聞』2022.07.02朝刊

両陛下、記念式典に出席 フルブライト交流70周年

2022-07-02
© KYODONEWS 「日米フルブライト交流計画」70周年記念式典に出席された天皇、皇后両陛下=1日午後、東京都千代田区の帝国ホテル(代表撮影)
共同通信社 - 昨日 19:35
 天皇、皇后両陛下は1日、東京都千代田区の帝国ホテルを訪れ、交換留学制度の「日米フルブライト交流計画」70周年記念式典に出席された。天皇陛下はあいさつで「今後とも、交流計画を通じて、日米の人々の相互理解が一層深まるとともに、世界の平和と発展に寄与していくことを希望する」と述べた。

 両陛下はいずれも留学経験があり「若い時の海外への留学は、とても貴重な経験となる。留学先の国の社会や文化などについてじかに知る経験ができたのみならず、自分の国を見つめ直す良い機会になった」と振り返った。

 交流計画はフルブライト元米上院議員の提唱で、1946年に発足した。

◎クアラルンプール事件で過激派5人を釈放

2022-06-26

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1975(s50)年】-4
◎クアラルンプール事件で過激派5人を釈放
*1975.8.4/ 日本赤軍がマレーシアのクアラルンプールにある米・スウェーデン両大使館を占拠、赤軍派など7人の釈放を日本大使館に要求する。5日、政府は超法規的措置として出獄を承知した5人を釈放する。
 1975(s50)年8月4日、武装した日本赤軍のメンバー5人が、マレーシアの首都のクアラルンプールにある、アメリカとスウェーデン大使館を襲撃占拠し、館内にいたアメリカの総領事ら52人を人質に取った。犯行に及んだ武装赤軍派は、人質と交換で、拘束されている赤軍派メンバー等の釈放を要求した。当時の三木内閣は「超法規的措置」として、参加意思がある5名を釈放した。
 釈放要求は7人だったが、坂口弘と松浦順一は拒否したため、坂東国男、佐々木規夫ら5人が釈放され海外に逃亡した。この事件で仲間の奪回に成功した赤軍派は、さらに1977年のダッカ日航機ハイジャック事件などをひき起こす。クアラルンプール事件犯行グループの一員だった奥平純三は、後に逮捕されるも、'77年のダッカ事件での人質との交換で釈放され、釈放後さらに海外で何度もテロ事件をひき起こし、現在も国際手配中となっている。
 このような日本政府の弱腰は、かえってテロリストのターゲットにされ易く、批判の対象ともなった。釈放された5人のうち2人は後に逮捕されたが、坂東国男・佐々木規夫・松田久は、実行犯の奥平純三とともに国際手配されている。
(この年の出来事)
*1975.5.19/ 前年来の三菱重工ビルを始めとする連続企業爆破事件で、警視庁は容疑者8人を逮捕する。
*1975.7.17/ 皇太子夫妻が沖縄を訪問し「ひめゆりの塔」の参拝中、過激派から火炎瓶を投げつけられる。
*1975.7.19/ 沖縄国際海洋博覧会が開催される。
*1975.11.15/ フランスのランブイエで、第1回主要先進国首脳会議(サミット)が開催される。
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