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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

「 火垂るの墓 」

2022-07-30
Facebook 稲野徹子さん曰く さん曰く

毎年夏になると思い出す
「 火垂るの墓 」
どの場面が、得に印象的ですか
毎回見ても涙が出ます
兄妹が、毎日辛い思いをして生活するシーンは、悲しくて心が痛みます
戦争を知らない私達は、
本当に幸せなんだとつくづく思います。
本当に優しい大人が、1人でもいたら…と、思いますが、
みんな精一杯だったんだと
改めて感じ、戦争は失う者、無くなる物ばかりで
得る物なんて、何も無いんだと…。

2 沖ノ鳥島の保全

2022-07-29
探訪 日本最東端の領土に〝宝の海〟南鳥島
航空自衛隊入間基地(埼玉県)から輸送機で約4時間、太平洋に浮かぶ三角形の小さな島が見えてきた。日本最東端にある「南鳥島」だ。
東京の南東1860㌔にあり、面積は1・5平方㌔、周囲約6㌔。年平均気温は25度にもなる。
 1896年にヤシ油などを採取するため小笠原の人たちが移住、その後、日本の領土となった。
1935年から日本海軍が駐屯。第2次世界大戦では米軍の攻撃で191人が犠牲になった。 
今、常駐しているのは海上自衛官と気象庁職員約20人。
インターネットは使えず島の外との連絡は衛星電話のみ。
土がなく農作物が育たないため、食料はすべて硫黄島や本土から空輸している。医師もいない。
 今年6月、南鳥島近海にレアアースを高濃度で含む泥が見つかったと発表された。
日本の排他的経済水域(EEZ)では初で、採掘できれば、中国からの輸入に頼る現状から脱却できるとして注目を集めた。 
液晶テレビや携帯電話などに欠かせないレアアースが年間使用量の約230年分、約680万㌧以上も眠るとされる〝宝の海〟。
来年以降、政府は本格的な海洋調査に乗り出す計画で、島では拠点になる護岸工事の準備が始まっている。 
海上自衛隊南鳥島航空派遣隊長の寺島勝彦3佐(52)は「最東端の日本の領土に我々が存在することで、主権を護っていると自負している。
レアアースの件は、詳しく知らされていないが、ただただ毎日ここで日の丸を揚げ続けることが使命です。」と話した。
【防衛】自衛隊配備が進む“国境の島” 中国の海洋進出で…
5月15日に日本に返還されてから50年の節目を迎える沖縄で今、自衛隊の配備が急ピッチで進んでいます。中国の海洋進出で安全保障環境が激変する中、国境の島では危機感が高まっています。    ◇ 沖縄県・石垣島を含む南西諸島はかつて、防衛の空白地帯といわれていました。しかし、海洋進出を進める中国を念頭に、石垣島では自衛隊の駐屯地の建設が進められているほか、宮古島や与那国島にも、2016年以降、部隊が配置されました。 反対の声もあがるなか、急ピッチで進められた防衛力の南西シフト。その南西諸島で、いち早く自衛隊の誘致を進めた自治体があります。日本で最も西にある国境の島、与那国島です。 与那国島は、沖縄本島から南西に約500キロに位置し、展望台からは年に数回、台湾が見える日があるそうです。 島で働く人 「天気がいいと台湾が見える」 島で働く人 「ここの先に、この先に」 島で働く人 「めっちゃ暮らしやすいですよ」    ◇ 天然記念物の馬が放牧されるなど、自然豊かな与那国島。主な産業はサトウキビの栽培や観光、それに漁業です。 与那国町が自衛隊の誘致に踏み切った理由の一つが人口の減少です。太平洋戦争が終わった直後の1950年には、町の人口は6000人を超えていましたが、本土復帰(1972年)する前から減少傾向となり、2015年にはついに1500人を割り込みました。 与那国町の自衛隊誘致には賛成と反対、双方の声があがり、住民投票が行われました。その結果は、誘致賛成が過半数となり、2016年に陸上自衛隊の部隊が配置されました。主な任務は、レーダーなどによる洋上の監視です。    ◇ 自衛隊を誘致したことで何が変わったのか。私たちは島で一番大きい与那国町立与那国小学校を訪ねました。この小学校には、自衛官の子供も通っています。 自衛隊誘致前の児童数は48人でしたが、誘致後には最大で82人まで増えたといいます。複数の学年が同じ教室で授業を受ける“複式学級”をやめて、学年ごとに授業を行うことができるようになりました。 与那国小学校 島袋篤校長 「県外から来ている(自衛官の)子どもたちと、島の子どもたちの間でトラブルが起きることはないです。保護者同士も協力的にやっているからだと思います」 町全体の人口も減少に歯止めがかかり、現在は約1700人です。 与那国町の糸数健一町長は、自衛隊の誘致を「メリットはあるけど、デメリットは全くないと思っているんですけどね」と評価しています。 一方で、本土復帰50年を経ても、安全保障の最前線であることに変わりありません。 農業を営む町民 「ウクライナの。気になってしょうがないですね。やっぱり怖いですよね。中国がそんな感じできたら怖いし」 与那国町の防災担当 「(住民は)シェルターの話を最近するようになっています」 町役場は、台湾有事への備えを始めています。 与那国町 糸数健一町長 「ウクライナみたいな状態になる前に、どうやって住民を避難させるんだということですよ」 広がりつつある不安が解消される日は、いつ訪れるのでしょうか。 (2022年5月12日放送「news every.」より) 

その典拠は・・・。

2022-07-28
国葬の内容を克明に記した「故吉田茂国葬儀記録」=国立公文書館所蔵
安倍氏の前例、吉田茂氏国葬も根拠法なく 「ある葬儀」を参考に 毎日新聞 2022/7/26 11:00(最終更新 7/26 11:31

Facebook 毎日新聞 さん曰く


55年前の吉田茂元首相以来で、戦後2例目となる安倍晋三元首相の国葬。国葬令は戦後、現行憲法の施行で政教分離の観点から廃止されました。
吉田氏の国葬に関する公文書を読み解くと、当時から「法的根拠」への問題意識があったことが分かりました。


政府は、安倍晋三元首相の国葬を9月27日に行うことを閣議決定した。首相経験者の国葬は戦後2例目で、55年前の吉田茂元首相以来となる。吉田氏の国葬は今回の重要な前例となる。公文書をひもとくと、根拠法がない中で急いで開催にこぎつけた様子がうかがえる。葬儀当日は午後に仕事や学校を休み、「弔意」を表すよう国民に求めていた。そして、実は過去のある葬儀を参考にしていた。

日本武道館です。

2022-07-27

Facebook 時事通信社さん曰く


参院選の遊説中に銃撃され、亡くなった故安倍晋三元首相の国葬まで27日であと2カ月となりました。
銃撃事件は警備体制に問題があったとされ、警察当局による検証・見直しが進みます。国葬には内外の大勢の要人参列が見込まれており、総力を挙げて警備に臨む警視庁の幹部は「注目度も高い。失敗は許されない」と気を引き締めます。

統一教会の“広告塔”となったが… 家族の説得で脱会を果たした芸能人たち

2022-07-24

 容疑者が明かした犯行動機は統一教会への「恨み」、そして安倍晋三元首相と教団の「つながり」だった。銃撃事件を機に政治家と宗教団体の不適切な関係が問題視されているが、芸能界では30年以上前から芸能人が“広告塔”に利用されることが社会問題化していた。

 連日のように続報が伝えられる安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件。殺人容疑で送検された山上徹也容疑者(41才)の供述が明らかになるにつれ、ある宗教団体との関連に注目が集まった。統一教会(2015年に世界平和統一家庭連合に改称。本稿では統一教会と記述する)である。

 統一教会の名が広く一般に知られるようになったのは1992年頃。有名女優やスポーツ選手が相次いで入信を表明し、ワイドショーや週刊誌がこぞって教会の問題を取り上げた。とりわけ日本中を驚かせたのは、女優として一線で活躍していた桜田淳子(64才)の告白だ。韓国で行われる“合同結婚式”への参加を会見で表明し、見ず知らずの男性と結婚することも『価値観が一緒で人生の目的が同じ人が集まるのだから、不安はありません』と言い切った。桜田桜田は現在も脱会しておらず、夫婦仲も変わっていないという。

 桜田と同じく1992年の合同結婚式に参加したのが元新体操選手の山崎浩子(62才)。鹿児島県出身の山崎は高校時代に新体操を始め1984年にロス五輪に出場。個人総合8位に入賞し、選手引退後は指導者、タレントとして活動していた。

「1988年のソウル五輪ではリポーターとしても活躍していましたが翌年、友人のすすめで教会のビデオ学習を受けたのを機に入信。交際相手と別れ、たびたび韓国を訪れるようになり、1992年に合同結婚式が行われることを知ると自ら参加を望んだといいます」(前出・芸能関係者)

 心配した姉や、キリスト教の牧師による説得は46日間にもおよび、山崎は脱会を決意した。2004年から指導者として現場に復帰して、昨年の東京五輪でも新体操チームを率いた。現在は東京とモスクワを拠点に指導を続ける山崎の心の支えは“推し活”だという。

「アイドルが好きで特にKis-My-Ft2の大ファン。ツイッターでも頻繁に“推し活”について、楽しそうに綴っています」(新体操関係者)

 山崎が代表を務める会社を訪ねたが、マネジャーらしき女性が「ここには来ません」、「(統一教会の)取材は受けません」と繰り返すばかりだった。

広告塔芸能人には被害の実態が見えない

 キャスターとしても活動するタレントの飯星景子(59才)は、脱会を巡って父で作家の故・飯干晃一さんと壮絶なバトルを繰り広げたことで知られる。入信のきっかけは、統一教会のイベントで司会を務めたこと。友人のすすめで統一教会の勉強会に参加した飯星は、教義より信者の人間関係に魅力を感じたといい、後にワイドショーでこう語っている。

「神様を通じてわかり合えるような、普通の友人関係とは違う、強烈で独特なものがあった」

 霊感商法に関する悪い噂も耳にしたが、「見たくないと思って目をつぶっていた」という飯星。その目を必死に開かせたのが父だった。もともと統一教会に疑念を抱いていた飯干氏は娘が教会のスタッフと共にニューヨークに渡ったことを知ると「絶対に取り戻す」と宣言。統一教会に“宣戦布告”した。

「教会側から『お父さんをなんとかしてほしい』と言われた飯星さんは、新約・旧約聖書を読んで理論武装した父との対話に臨んだそうです。当初は頑なな姿勢を崩さなかった飯星さんですが、いままで見たことのない父親の『弱々しい姿』に心を動かされ、深入りする前に立ち止まることができたといいます」(ワイドショー関係者)

 以来、統一教会とは縁を切り、当時のことを振り返る機会もほとんどなくなった。


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