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闘いの歴史

データベース

Facebook 闘諍堅固

2021-04-09
とうじょう‐けんご 【闘諍堅固】 〘名〙 仏語。
五種ある堅固のうちの第五。または、五五百年(ごごひゃくねん)の一つ。仏滅後第五の五百年で、諸僧が互に自説の優位を主張し、争うことが多く、邪見のみにて仏法が姿をかくしてしまう時をいう。

「全戦没者追弔法会」の和讃

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

闘いの記録

◎大韓航空機爆破事件

2021-04-09
Facebook佐々木信雄さん曰く
*1987.12.8/ ワシントンでレーガンとゴルバチョフの米ソ首脳が会談、INF(中距離核戦力)全廃条約に調印する。
【20th Century Chronicle 1987年(s62)】
◎大韓航空機爆破事件
*1987.11.29/ ビルマ(ミャンマー)沖で、大韓航空機がバンコク空港と交信後、消息を絶つ。12月1日、偽造旅券の男女2人がバーレーンで警察に拘束される。(大韓航空機爆破事件)
 1987年11月29日、バクダット発アブタビ―バンコク経由ソウル行きの大韓航空858便ボーイング707型機(乗員乗客115人)が、ビルマ(ミャンマー)の南方海上で消息を絶った。当初、事故による山中墜落説や海中墜落説など様々な憶測が飛び交ったが、12月1日、バーレーンの空港でローマ行きの飛行機に乗り換えようとしていた2人の男女が、日本人のパスポートを偽造所持していたのが判明、乗り込む直前に取り押さえた。
 取調べ中に男は用意していた毒薬を飲み込み服毒自殺、同様に飲み込んだ女は、すぐに吐き出させたため一命を取り留めた。2人は日本人親子を装った北朝鮮の秘密工作員で、死亡した蜂谷真一名義の男は「金勝一」、生き残った蜂谷真由美は「金賢姫(キムヒョンヒ)」であることが判明した。
 金賢姫の自供によると、爆破目的は翌年開催予定のソウル・オリンピックの妨害・阻止であったこと、命令指示は金正日の親筆であったとされる。韓国の安全性に疑いを抱かせ、ソ連や東欧共産圏諸国のボイコットを狙ったが、当時西側との関係修復過程にあったソ連は北による謀略があったとし、東欧諸国にも卑劣なテロ国家として認識がひろがり、ソウル五輪は無事に行われることになった。
 金賢姫は、韓国で起訴され死刑判決が確定した。しかし盧泰愚大統領は、「事件の生き証人」という政治的な配慮で特赦した。そのあとの記者会見で、自己批判と北朝鮮の体制批判をしたが、この時、日本人拉致被害者とされる「李恩恵」こと田口八重子の話が飛び出し、一躍日本でも、拉致問題の有力な証言者として注目されるようになった。
(この年の出来事)
*1987.5.3/ 西宮市の朝日新聞阪神支局で、覆面の男が侵入し散弾銃を発射、記者1人が死亡、1人が重傷を負う。(朝日新聞阪神支局襲撃事件)
*1987.11.20/ 全日本民間労働組合連合会(連合)が発足する。
*1987.12.8/ ワシントンでレーガンとゴルバチョフの米ソ首脳が会談、INF(中距離核戦力)全廃条約に調印する。

◎山一抗争

2021-04-07
Facebook 佐々木信雄さん曰く
*1985.1.26/ 大阪府吹田市で、山口組の竹中正久組長ら最高幹部3人が、一和会系の組員に短銃で撃たれ、死亡する。(山一抗争勃発)
【20th Century Chronicle 1985年(s60)】
◎山一抗争
*1985.1.26/ 大阪府吹田市で、山口組の竹中正久組長ら最高幹部3人が、一和会系の組員に短銃で撃たれ、死亡する。(山一抗争勃発)
 「山口組」三代目田岡組長が亡くなり、後継決定に際して三代目の妻田岡フミ子の意向により、竹中正久が四代目組長に就任する。山口組組長代行を務めていた山本広の山広派は、これに反発して山口組を脱退して「一和会」を結成、いわゆる「山一抗争」へと発展することとなる。
 当初こそ一和会が数的優位と思われたが、武闘派で名を馳せた四代目竹中の怒濤の切り崩しで、一和会は徐々に弱体化し劣勢に立たされてゆく。逆転を狙った一和会は竹中暗殺を計画、少数幹部とともに竹中が愛人のマンションに立ち寄るところを待ち伏せ、竹中組長と若頭というトップ二人を射殺した。かくして2年あまりに及ぶ、日本最大暴力組織の内紛「山一抗争」が勃発する。
 それに対する山口組側からの報復は熾烈をきわめ、一和会は追い詰められる一方で、山本広会長宅に山口組会系組員が大型ダンプカーで突っ込んだりするありさまだった。やがて、稲川会や会津小鉄会の仲裁もあり、山口組側から抗争集結宣言が出されて収束した。抗争を通じて300件を超える大小抗争事件が発生、一和会側に死者19人負傷者49人、山口組側に死者10人負傷者17人、警察官・市民に負傷者4人を出したとされ、抗争の直接の逮捕者は560人に及んだ。
 抗争終結後も一和会への締め付けは厳しく、構成員数200人にまで衰退した結果、山本広会長は引退し一和会の解散を表明した。竹中組長射殺以降、各地の暴力団の武装化が進んだとされるが、山一抗争がのちの暴対法制定の切っ掛けにもなったとされる。
(この年の出来事)
*1985.3.16/ 科学万博「つくば'85」が開催される。(~9.16)
*1985.7.10/ 京都市が古都保存協力税を実施、これに反対する金閣寺などが拝観停止で対抗ストライキ。
*1985.9.22/ 米・英・仏・日・西独の5ヵ国蔵相会議で、ドル高修正のため、為替市場への協調介入強化が合意され(プラザ合意)、円高時代に入る。

◎インデラ・ガンジー首相暗殺

2021-04-06
1984年10月31、インド首相インデラ・ガンジーは、首相官邸での執務に向かう途中、2人のシーク教徒の警護警官により射殺された。
*1984.9.6/ チョン・ドファン(全斗煥)大統領が、韓国の国家元首として初来日する。
Facebook佐々木信雄さん曰く
【20th Century Chronicle 1984年(s59)】
◎インデラ・ガンジー首相暗殺
*1984.10.31/ インドのインデラ・ガンジー首相(66)が暗殺される。
 1984年10月31、インド首相インデラ・ガンジーは、首相官邸での執務に向かう途中、2人のシーク教徒の警護警官により射殺された。シーク教分離主義者への弾圧に対する報復であると言われている。シーク教は我が国ではあまり知られないが、キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・仏教に次いで、信徒数は世界第5位とされる。宗教・言語・民族・文化さらにカーストという、複雑に入り組んだインドの内部事情がひき起こした事件といえる。
 インデラ・ガンジーは、インド独立運動の指導者でインド初代首相となったジャワハルラール・ネルーの実の娘であった。なお独立の父マハトマ・ガンジーとは血縁関係はなく、夫がインデラとの婚姻の都合で、ガンジー家の養子となったため同姓となったという。暗殺の後、インデラの長男のラジーヴ・ガンディーが後任に就いたが、彼も1991年に暗殺され、「ガンジー家の悲劇」とも呼ばれる(マハトマ・ガンジーも暗殺されている)。それとともに、ネルー・インデラ・ラジーヴと三代続いた政権を、「王朝支配」という批判があったことも知っておくべきである。
 インデラ・ガンジーは父ネルーの政策を継承、米ソ対立から距離をおく「非同盟・中立」「第三世界」重視政策をめざすが、宿命のライバル隣国のパキスタンとの関係悪化で、パキスタン支援の米と距離をおくようになり、ソ連側に近付いて社会主義的計画経済政策を進めた。さらに東パキスタンの独立運動に武力介入、「第3次印パ戦争」をひき起こしたが、結果、東パキスタンは「バングラデシュ」として独立した。
 父ネルーは戦後日本との関係も良好に保ち、象が見たいという日本の子供たちの希望にこたえて、1947年、上野動物園に一頭のインド象を贈った。当時上野動物園では、戦時中に「かわいそうなぞう」で描かれた象の花子の結末のように、象は1頭もいなくなっていた。この象は、ネルーの娘と同じ「インデラ」と名付けられた。なお娘インデラ・ガンジーは、1957年、父ネール首相の訪日に随行し、上野動物園で直接、象のインディラと対面している。
(この年の出来事)
*1984.2.12/ 冒険家植村直己さんが世界初のマッキンリー冬季単独登頂に成功するが、帰途で消息を絶つ。
*1984.3.1/ 大阪の泉州銀行難波支店で逮捕された強盗が、現職の兵庫県警警部補と判明する。4.24には、池田市の幸福相互銀行で、また同県警の警官が強盗に入る。
*1984.9.6/ チョン・ドファン(全斗煥)大統領が、韓国の国家元首として初来日する。

◎成田空港管制塔占拠事件

2021-04-05
Facebook佐々木信雄さん曰く
*1978.12.7/ 自民党総裁選で福田赳夫に勝った大平正芳が、第1次大平内閣を組閣する。
【20th Century Chronicle 1978年(s53)】
◎成田空港管制塔占拠事件
*1978.3.26/ 開港反対派ゲリラが成田空港管制塔を破壊。開港が大幅に遅延する。
*1978.5.20/ 新東京国際空港(現「成田国際空港」)の開港式が行われる。
 '62年に新国際空港の建設が閣議決定されてから16年、やっと開港が目前にせまった3月26日、ほぼ完成した成田空港に空港反対派4千人が突入、一部別動隊が管制塔を占拠し準備完了していた管制塔通信機器を破壊した。これにより開港は2ヵ月以上遅れることになり、やっと5月20日に開港式典がとり行われるはこびとなった。
 当初の反対運動は地元農民たちが主であり、それを支援する社会党や共産党などの既成政党は、反対運動を党勢拡張に利用しようとしたりして、反対同盟から追出される形で脱落した。その隙間へ新左翼が参入してきて、反対運動は過激さを増してゆくことになった。
 70年安保問題が自動更新で決着して以降、新左翼運動は大きな活動テーマを見失う形になり、世間の関心の外におかれるようになった。赤軍派のような過激武装路線をとった急進派は、有力幹部らが国外に脱出して海外テロやハイジャックを連発した。日本残留組は、指揮系統の弱体化をともなって、内部分裂や身内リンチ事件をひき起こし、浅間山荘事件などで自滅していった。
 別の新左翼セクトらは、農民大衆との共闘を訴えられる成田の空港反対運動に目をつけた。国家権力側も、赤軍派のような民衆から遊離した跳ね返りなら実力行使で鎮圧できるが、地元農民・住民を巻き込んだ反対運動は、おいそれと鎮圧行動には出られないため、その沈静に多くの時間と犠牲を払うことになった。
 やっとのことで開港にこぎつけた「成田国際空港」であるが、その後の拡張工事など残された問題も多く、いまだ反対運動さえある。当初、東・東南アジアのハブ空港を期待されたが、開港までの長期におよぶ工事遅延の上に、空港自体の機能制限(滑走路・離着陸時間制限・利用料金の高さなど)、さらには首都圏中心部からの遠さ及び移動料金の高さなどの問題をかかえ、シンガポールのチャンギ国際空港や韓国の仁川(インチョン)国際空港などに遅れをとっている。
 さらに、羽田空港(東京国際空港)への国際線乗り入れや、首都圏第3の空港としての茨城空港の開港、さらには関西国際空港との競合により、相対的な地盤沈下さえ心配される。近年増加一方の LCCなど格安航空への対応など、さらに一層の競争にさらされることになるであろう。
(この年の出来事)
*1978.7.16/ 西ドイツのボンで、第4回主要先進国首脳会談(サミット)が開かれ、日本は福田赳夫首相が参加する。
*1978.11.11/ 無限連鎖講(ネズミ講)防止法が公布される。(1979.5.11施行)
*1978.12.7/ 自民党総裁選で福田赳夫に勝った大平正芳が、第1次大平内閣を組閣する。

川端康成

2021-04-04
川端康成 | NHK人物録 | NHKアーカイブス

川端康成未公開カラー映像!雪国でノーベル文学賞をとった川端康成が生前CMにでたときの写真!?貴重コマーシャル

【朗読】太宰治『川端康成へ』

闘いの転機

◎「STAP細胞」疑惑

2021-04-15
Facebok 佐々木信雄さん曰く STAP論文はほぼ全て否定されたと結論づけた。
【21th Century Chronicle 2014(h26)年】
◎「STAP細胞」疑惑
*2014.4.1/ 理研が「STAP細胞の論文でデータのねつ造と改竄」とする調査結果を発表する。
 2014(h26)年1月、「STAP細胞」を、小保方晴子(理化学研究所)と笹井芳樹(理化学研究所)らが、チャールズ・バカンティ(ハーバード・メディカルスクール)や若山照彦(山梨大学)と共同で発見したとして、論文2本を学術雑誌ネイチャーに発表した。発表当初、画期的な成果として注目を集め、小保方が若い女性研究者であることもあって、科学界以外の一般世間でも大きな話題となった。
 しかし、論文発表直後から様々な疑義や不正があるとの指摘が相次ぎ、理研などで調査を進めていた。2014(h26)年4月1日、理化学研究所は研究論文の疑義に関する調査最終報告を公表し、論文に掲載された実験画像の2項目について不正があると認定した。4月9日には、小保方が記者会見「STAP細胞はあります」と主張したが、画像や解析結果の疑義には反駁できず、7月2日にネイチャーに投稿された論文は撤回に追い込まれた。
 さらに、8月6日には論文の著者の1人で、小保方をサポートした理研の笹井芳樹副センター長が自殺し、社会的な騒動にまで発展していった。その後も検証実験を続けていた理化学研究所は、同年12月19日に「STAP現象の確認に至らなかった」と報告し、実験打ち切りを発表する。同25日に調査委員会によって提出された調査報告書では、STAP細胞とされるサンプルは、すべて「ES細胞」の混入によって説明できるとし、STAP論文はほぼ全て否定されたと結論づけた。
 「STAP細胞」とは、「刺激惹起性多能性獲得 "Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency" 細胞」のことで、その英語の頭文字から取った略称である。動物の分化した細胞に、弱酸性溶液に浸すなどの外的刺激を与えて、再び分化する能力を獲得(リプログラミング)させたとして発表された細胞である。
 ヒトなど高等生物の細胞は、たった一つの受精卵から、様々な機能の細胞に分化していく。しかしその逆に、分化した細胞組織が、未分化な「多能性細胞(万能細胞)」にもどることはない。もしこのような多能性細胞に戻すこと(リプログラミング)ができれば、それから体のさまざまな細胞に分化誘導できるため、再生医療の可能性が飛躍的に拡大される。
 この "万能細胞"と呼称される代表的なものには、細胞分裂を始めた受精卵から生じた胚盤から得られる「ES細胞(胚性幹細胞)」がある。しかしES細胞を得るためには、受精卵から発生が進んだ「胚盤胞」を取り出す必要があり、これは生命の萌芽として、ヒトの細胞の場合、倫理問題の対象となるとともに、移植する場合の拒絶反応の問題もある。
 2007(h19)年11月、京都大学の山中伸弥らは、ヒトの大人の体細胞に4種類の遺伝子を導入することで、ES細胞に似た人工多能性幹細胞(iPS細胞)の作製に成功した。この「iPS細胞」は、ES細胞の作製時における倫理的問題や拒絶反応の問題を一挙に解決できるため、ES細胞に代わる細胞として大きな注目と期待を集めている。
 ただ、iPS細胞は、その作成段階で一部癌遺伝子の注入が行われるので、その腫瘍化の危険をクリアする必要があるのと、その作成にかかわる多くの時間と費用という問題が残されている。だが、これらは多くの研究者が分担して関わることで、順次解消され、着々と実用化に向けて進められている。
 そこへSTAP細胞が発表され、遺伝子の導入などによらず、簡単な外的刺激(細胞を弱酸性溶液に短時間浸す、など)を与えることのみで実現できると話題を呼んだ。従来、動物細胞の分化した状態を無効にして初期化(リプログラミング)し、万能細胞にすることはできないとされていたため、STAP細胞の発見は生命科学の常識を覆す大発見とされた。
 しかし、論文の不正引用など様々な疑惑が指摘され、各方面で徹底検証や再現実験が為された結果、STAP細胞は再現されないと結論付けられた。小保方は今でもそれを認めていないようだが、STAP細胞の存在は全否定され、理化学研究所は事実上の懲戒解雇となり、早稲田大学における博士号は、学位論文の形式上の不正などを理由に学位取り消しとされ、事実上の研究者生命は絶たれた。
 しかしながら、何がこのような騒動を引き起こしたかは、解明されないまま幕引きされた。学生時代のエピソードなどから、小保方氏の虚言癖が指摘されているが、実験結果を意図的に捏造したのか、氏自身は実現したと思い込んでいるのかは不明である。また、STAP細胞の発表を大々的にプロデュースしたあと、トカゲの尻尾切りをした理研や、その研究と論文に関わった研究者の責任は問われないままに終わった。
(この年の出来事)
*2014.3.18/ ロシアが、ウクライナ領だったクリミアを併合する。
*2014.6.29/ イスラム過激派組織ISが、国家樹立を宣言する。
*2014.7.27/ 長崎佐世保で、高1女子生徒が同級生を殺害する。

◎金正男殺害

2021-04-15
Facebook 佐々木信雄さん曰く 2017年2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、北朝鮮の第2代最高指導者故金正日の長男金正男が暗殺された。
*2017.9.3/ 秋篠宮ご夫妻の長女 眞子さまと小室圭さんの婚約が内定する。
【21th Century Chronicle 2017(h29)年】
◎金正男殺害
*2017.2.13/ 金正日の長男 金正男(キム・ジョンナム)が殺害される。
 2017年2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、北朝鮮の第2代最高指導者故金正日の長男金正男が暗殺された。金正男は当時、中国のマカオに滞在して活動しており、この時はマカオ行きのエアアジア便(午前10時50分発)に搭乗するため、クアラルンプール国際空港にやって来たところだった。
 2月13日午前9時00分頃、自動チェックイン機の前に立っていた金正男は、突然2人の女性から襲撃され、猛毒の神経剤「VX」を顔に塗られたとされる。金正男は攻撃を受けた後、空港の受付スタッフに状況を説明し、その後、自ら歩いてメディカル・クリニックに向かい、治療を受けた。金正男はクリニックに入って間も無く、痙攣を起こして意識を失い、その後救急車で専門病院に運ばれる途中で、心肺停止となり死亡が確認された。
 2017年2月15日、マレーシア警察は実行犯として、ベトナム人の28歳女性を逮捕し、翌日にはインドネシア人の25歳女性が逮捕された。2人の供述によると、他の4人の男と共に旅行中で、「いたずら」の撮影だとして、金正男とは知らされず、4人の男たちから液体をかけるように指示されたという。2月19日、マレーシア警察は暗殺事件の容疑者として、4人の北朝鮮人男性を指名手配したが、彼らはすでに北朝鮮の平壌に帰還したもようであった。
 ベトナム国籍とインドネシア国籍の2人の女性は殺人罪で起訴されたが、弁護団によると、2人は北朝鮮の工作員にだまされて、テレビ番組の企画のいたずらだと思い込まされて実行に及んだと主張し、その後のマレーシアでの裁判では、2人は殺人罪には処せられず、後日帰国した。
 北朝鮮当局は事件への関与を一切否定しているが、マレーシア当局は事件当日にマレーシアを出国した北朝鮮国籍の男4人が事件に関与したと発表し、北朝鮮側の工作員による組織的な犯行であり、金正男は異母弟の金正恩の指示により暗殺されたといわれている。
 「金正男」は金正日の長男であり、後継者候補であるとされてきたが、金正男は、父親金正日の略奪愛である成蕙琳が産んだ子であり、祖父金日成にはその存在自体も秘されていたた存在で、後継に選ばれることはなかった。一方、後継者となった「金正恩」は、在日朝鮮人二世の高容姫の子であるため正統性は無いが、金正日が最も寵愛した愛人の子として、母親が在日だったことを秘匿して、生前の金正日が後継者に選んだ。
 金正男はマカオなど北朝鮮の外に拠点を置いて、政治にも後継にも興味はないと語り、父正日が正恩を寵愛しているから、その決断に従うとの意思を示していた。それでも正恩による暗殺を恐れ、北には帰らず中国政府に身辺擁護を依頼するぐらいで、金正恩が後継に就任してからも、絶対恭順の意思を通知していた。
 そうとはいえ長男の金正男の存在は、金正恩にとって潜在的脅威であるし、海外を自由に行き来し、自由主義国にも理解を示す正男は目の上の瘤のような存在だっただろう。さらには、正日の義弟でナンバーツーと言われた張成沢が、正男を担ごうとしたという噂もあり、それが張成沢を粛正した理由だとも言われる。また、この後継者問題が正男の暗殺につながったという見方もある。
 事件の現場となったマレーシアは、北朝鮮と国交を維持し、北朝鮮人のビザなし渡航を許可している数少ない友好国だった。その分、北の工作員も簡単に出入りできたわけで、正男にとっては身の危険を注意しなければならない国でもあった。事件後、マレーシア当局は、ビザなし渡航制度の廃止や、駐マレーシア北朝鮮大使をペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)指定し、平壌のマレーシア大使館を閉鎖するといった対抗措置をとった。
(この年の出来事)
*2017.4.14/ 千葉の小3女児殺害事件で、保護者会会長を務めていた男が逮捕される。
*2017.9.3/ 秋篠宮ご夫妻の長女 眞子さまと小室圭さんの婚約が内定する。
*2017.10.31/ 神奈川 座間のアパートで切断9遺体が発見され、アパート住民の男が逮捕される。

本題は、伊勢志摩サミットですが・・・。

2021-04-15
Facebook佐々木信雄さん曰く バラク・オバマ 合衆国大統領がキャロライン・ケネディ駐日大使などを伴い、広島平和記念公園を訪問
広島平和記念資料館を視察後、慰霊碑に献花し、「核兵器のない世界」に向けた所感を述べた。
G7の行事以外では、会議終了後の2016(h28)年5月27日、バラク・オバマ 合衆国大統領がキャロライン・ケネディ駐日大使などを伴い、広島平和記念公園を訪問し、広島平和記念資料館を視察後、慰霊碑に献花し、「核兵器のない世界」に向けた所感を述べた。原爆投下のアメリカ大統領が原爆慰霊碑を訪れるのは初めてであるが、この年で政権を降りるオバマだからこそ可能になったのだろう。

帝国海軍最後の観艦式 紀元2600年特別観艦式

2021-04-15

紀元二千六百年特別観艦式

https://youtu.be/NJE8JoOnPXw
東亜の天地に雄渾(ゆうこん)極まりなく、金鵄(きんし)の栄光、燦(さん)として輝く紀元2600年記念観兵式は、秋冷澄み渡る10月21日、かしこくも大元帥陛下の親臨を仰ぎ奉り、代々木練兵場において、いと厳かに挙行され、諸兵指揮官朝香大将宮殿下、御指揮の5万の精鋭、林のごとく整列。大元帥陛下には、御愛馬白雪に召され、燦然(さんぜん)と輝く天皇旗を御先頭に、粛々と皇軍精鋭の威容を見そなわせ賜いました。 
御閲兵を終えさせ賜いし大元帥陛下には、御馬上の御英姿も神々しく、玉座に立たせ賜えば、諸兵指揮官浅香大将宮殿下の御指揮刀一閃。ここに豪快なる分列式は開始。
参加諸部隊は力強く大地を蹴立て、御馬前を進みに進む。
このとき空には菅原部隊長総指揮の陸の荒鷲500余機。青空を切って式場に飛来。隊形整然、空中分列を行い、空陸呼応して立体戦の威容を展開しました。
 さらに地軸を揺るがす戦車・砲車、各種機械化部隊、野砲騎兵輜重各部隊の分列と、厳として揺るがぬ皇軍の雄姿は続く。
 かくて分列式を終わって11時34分。浅香大将宮殿下をはじめ奉り、東條、杉山、山田3長官ら、玉座の御前、所定の位置に進めば、かしこくも陛下には、玉音朗々と優渥(ゆうあく)なる勅語を賜い、全将兵の感激はここに極まり、聖旨に沿い奉らんことを固く固く誓いました。 
たくましき鉄(くろがね)の轟音(ごうおん)、都大路を圧し、我等(われら)が機械化部隊は進む。観兵式終了後、岩仲少将指揮のもとに、式場の感激をそのままに堂々、帝都大行進を開始。
豪壮にしてまた絢爛(けんらん)なる軍国絵巻を繰り広げました。


https://youtu.be/4Lhm_-7joNM

1940年に行われた観艦式は日本国史上最大の規模であり、艦艇数は100隻を超える。
しかし、太平洋戦争により数年にして参加艦艇のほとんどが失われた。

硫黄島総指揮官 栗林忠道・陸軍大将 (新藤義孝元総務大臣の祖父)

2021-04-12
Facebook 内田 忠行さん曰く
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