本文へ移動

ちょっといい話

データベース

真宗聖典検索 Web site

2020-04-22
東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。
このサイトは、宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業の一つとして聖教編纂室にて取り組み、開設したサイトです。東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。使用方法については、このサイトについてをご覧ください。

このサイトについて | 真宗聖典検索 Web site (higashihonganji.or.jp) 

Facebook 大谷派における学事の潮流

2020-05-05

大谷大学

2021-02-14
1949年 - 新制大谷大学を開設。文学部に仏教学科、哲学科、史文学科を設立。
1665年 - 琢如が東本願寺寺内に寺院子弟教育を目的として学寮を創設する。

大谷大学

2021-02-14
新制大谷大学の今
大学報恩講の荘厳

大谷大学の今

2021-02-14
大谷大学尋源館(大谷大学旧本館)
烏丸北大路交差点の一角に校舎を構える大谷大学は東本願寺の学寮に遡る古い歴史を持つ学校です。

烏丸北大路交差点の一角に校舎を構える大谷大学は東本願寺の学寮に遡る古い歴史を持つ学校です。
この大谷大学には大正期に建てられた煉瓦造りの旧本館が今も残り、現役施設として使われています。

コロナ、今、私達に出来る事、最新情報は、"コロナと向き合う”へ!

【Shows at Home】民衆の歌 / Do You Hear The People Sing ? - Les Miserables -

2020-07-30

民衆の歌 The People's Song 「レ・ミゼラブル」より 


https://www.youtube.com/watch?v=MNIyjmd-LwI

◆ジャン・バルジャン/吉原光夫  
◆ジャベール/伊礼彼方
◆ファンテーヌ/濱田めぐみ    
◆エポニーヌ/昆 夏美
◆マリウス/海宝直人       
◆コゼット/生田絵梨花
◆アンジョルラス/小野田龍之介
◆テナルディエ/駒田 一・斎藤 司 
◆マダム・テナルディエ/森公美子
◆コンブフェール/中井智彦 
◆クールフェラック/持木悠
 ◆フイイ/杉浦奎介

非常事態宣言が解除されました。(第一回目)

2020-06-02

非常事態宣言が解除されました。(第一回目)

2020-06-02

東京五輪「中止検討せざるを得ない」組織委顧問の千玄室氏 現状での開催に危機感

2020-06-01
延期された東京五輪・パラリンピックへの思いを語る千玄室前家元(京都市上京区)

新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期された東京五輪・パラリンピックについて、大会組織委員会の顧問を務める茶道裏千家の千玄室前家元(97)が、京都新聞社の取材に応じた。千氏は「来年までに世界各国で収束しないと準備ができない」と話し、現状での五輪開催に危機感を示した。

 延期が発表された3月24日、安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、中止はないと確認。一方で、組織委員会の森喜朗会長は、再延期は「絶対ない」との見方を示し、バッハ会長も今月、英BBC放送のインタビューで、来年開催されなかった場合、中止となる見通しを示している。



https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/263872?fbclid=IwAR0TSMWXC_ZhLFj9e23wDePy029e2OZhPYp_vf4dE9zdsrDcZ4nhIuDg-HY

関西でも宣言解除

2020-05-23
京都新聞 社説

社説:京都も宣言解除 油断せず冷静に行動を

  京都、大阪、兵庫の近畿3府県に発令されていた新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言が解除された。
  基本的対処方針で定められた解除基準の新規感染者数が抑えられ、医療提供体制やモニタリング体制も十分だと政府が判断した。
  安倍晋三首相が宣言の対象地域を全都道府県に拡大したのは4月16日。それから1カ月余り、京都のまちからもすっかりにぎわいが消えた。
解除は、感染拡大や医療崩壊を防ぐために多くの府民が休業や外出自粛などに真摯(しんし)に取り組んだ結果であり、朗報には違いない。
  だがウイルスが消滅したわけではなく、対策は長期化を覚悟する必要がある。安易に以前の生活に戻るのではなく、第2波、第3波への備えも強固にしなくてはならない。
  踏まえておきたいのは、このウイルスについて不明な点がまだ多いということだ。国内感染者数の実態すらはっきりしない。
  爆発的に感染が広がった欧米などと比べると抑えられているように見えるが、理由は分からない。
  政府が実情把握を急ぐべきなのは言うまでもない。そうした中で私たちに求められるのは過剰な楽観や悲観ではなく、まずは冷静な行動だろう。
  「新しい生活様式」も参考にしながら、密閉・密集・密接の「3密」を避ける取り組みを続ける必要がある。「正しく恐れる」ということを改めて思い起こしたい。     政府の宣言解除を受け、京都府はライブハウスなどの施設を除き、休業要請を解除することを決めた。独自の緩和基準を設けて今月16日から一部解除していた。
   政府は軽症者が療養する民間宿泊施設の借り上げなど医療体制強化に取り組んだ。授業再開に向けた環境整備など大学と学生の支援にも乗り出している。
 ただ観光や雇用といった面で、さまざまな困難が顕在化するのはむしろこれからだ。実情に応じて取り組みを柔軟に見直し、必要な対策を追加することが欠かせない。
 休業要請とともに中小企業に20万円、個人事業主に10万円を給付する支援策を打ち出したが、大阪府や東京都の支援とは金額的に大きな差がある。
 政府に対する緊急提言として、全国知事会は自治体向けの臨時交付金を最低でも総額3兆円とするよう増額を求めている。こうした動きとも歩調を合わせ、財源確保に努めるべきだ。

コロナ情報について、最新情報をご覧になりたい方は、"コロナ、そして今"へ! 

コロナに思う♯14 田中耕一氏 02年ノーベル化学賞 島津製作所

2020-05-11

内田樹の研究室   Facebook 桑門 超さんのシェアより  

2020-05-03
『隣組と攻撃性』 市民たちの相互監視が始まっている。

市民たちの相互監視が始まっている。

 GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
 私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
 私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
 人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。

 嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
 私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
 私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
 最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
 しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
 学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
 私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)

 いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
 これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
 彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
 そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
 この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
 いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
 大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。大阪府知事は、人間が条件次第でどれほどでも攻撃的になり得ること、その機会をつねに窺っているということを知らないか、あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
 ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったからである。
 市民を相互監視させることによって統治コストは劇的に削減される。それは事実である。けれども、その代償として、「大義名分をかかげて隣人を攻撃し、屈辱感を与える」ことに熱中する人々の群れを解き放ってしまう。それがどれほど危険なことなのかについて、人々はあまりに警戒心がないと思う。

内田 樹(うちだ たつる)1950年生まれ。日本の思想家、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。 出典 http://ja.wikipedia.org/wiki/内田樹

郷士望さんんらのメッセージ

2021-01-07
郷士さんは、「銀座の鐘」のプロデューサーです。

銀座の鐘

2020-04-20
新型コロナ 厳しい勤務続く医療関係者に感謝の鐘 東京 銀座

感染拡大が続く新型コロナウイルスに対応するため、厳しい勤務が続く医療関係者に感謝を示そうと、東京 銀座の交差点では時計塔から鐘の音が流されました。

新型コロナウイルスに感染した人たちの治療に当たっている医師や看護師など、医療現場のスタッフに対して、イギリスでは毎週木曜の午後8時に一斉に拍手や口笛を送ったり、フランスではエッフェル塔に「ありがとう」を意味する「MERCI」のメッセージが映し出されたりするなど、感謝の気持ちを示す動きが世界各地で広がっています。

日本でも、感染のリスクにさらされるなど厳しい勤務状況が続く医療スタッフへの感謝の気持ちや感染拡大を防ぐために家で過ごそうというメッセージを伝えようと、20日から東京 銀座のデパートにある時計塔から「命の鐘」と題して、鐘の音が流されることになりました。

鐘の音は午後7時ちょうどから流され、緊急事態宣言が出され、ふだんより格段に人通りが少ない銀座の町なかに鳴り響きました。

鐘の音は、毎晩7時から流され、「YouTube」などでも配信される予定です。

 企画した郷司望さんは、「一日に一度、一緒に医療関係者に感謝の気持ちを示すきっかけになれたらと思います」と話していました。


ダライラマ14世のメッセージ

2020-04-16
ダライ・ラマ法王からの新型コロナウイルスに関する特別メッセージ 2020年3月30日

親愛なる兄弟姉妹の皆様へ

世界中の多くの方々からの度重なる要請に応えて、私の思いを記したいと思います。新型コロナウイルス(COVID-19)の発生により、今、私たちは大変な苦難の最中にあります。

新型コロナウイルスの問題に加え、人類は、極度の気候変動といったさまざまな問題に直面しています。この場をお借りして、インド政府をはじめ、こうした問題に懸命に取り組んでおられる世界中の政府に称賛と感謝の念を表明したいと思います。

古代インドの伝統は、時間の経過にともなう世界の創造、持続、破壊について説明しています。そのような破壊の原因の中には武器や病気があると書かれており、これは、私たちが今まさに経験していることと一致しているように思われます。しかしながら、どれほど大きな脅威に直面しようとも、人間を含めた生きとし生けるものは、生き抜くために素晴らしい能力を発揮してきました。

いかに困難な状況であろうとも、私たちは科学技術と人智を尽くして決断し、勇気をもって、立ちはだかる問題を乗り越えなければなりません。健康と幸福が脅かされているのですから、不安や恐れを感じるのは当然です。とはいえ、目の前の問題をどのように捉えるべきかについては、私は次の賢明な助言に大きな慰めを得ています。「もし、改善策があるならば、心配せずそれを実行しなさい。しかし、何も改善策がなければ、それ以上心配しても何の役にも立ちません」

現在、新型コロナウイルスの拡大を防ぐためにだれもが最善を尽くしています。私は、ウイルスの脅威を最小限に抑えるために国家間で協調した努力がなされていることを、心より称えたいと思います。とりわけ、インドの主導権のもとに南アジア地域協力連合の国々が緊急基金を設立し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための情報、知識、専門技術を交換するための電子プラットフォームを立ち上げたことは素晴らしい取り組みだと思います。これは、将来、このような危機に対処する際にも良き手本となることでしょう。

私は、世界各地で都市封鎖の必要が生じた結果として、多くの方々が収入を失い、大変な困難に直面しておられることも理解しています。安定した収入のない方々が生きていくには、毎日が闘いです。こうした弱い立場にある方々にできるかぎりの配慮がなされるよう、私はすべての関係者の方々に、切にお願いしたいと思います。

また私は、自らの命を大きな危険に晒しながら、人命救助の最前線で働いておられる医師や看護師、その支援業務に携わるすべての方々に、心より深い感謝の念を捧げます。彼らの奉仕活動は、まさに慈悲の心の実践にほかなりません。

苦難の最中にある世界中の兄弟姉妹の皆様のことを深く心に想い、私は、この世界的な感染症が一刻も早く終息し、平和と幸福が一日も早く戻るよう祈りを捧げたいと思います。

祈りを込めて


ダライ・ラマ

特別メッセージ

仰せを蒙りて

報恩ということ

2020-11-15

藤原正遠先生の揮毫

2021-01-21

親鸞聖人の生涯

2021-01-25
Hp九州教区「よみもの」より

なるほど仏事

2021-01-25
Hp九州教区「よみもの」より

安田理深先生

2021-02-12
Facebook澤村博幸さんより

お釈迦様の話

釈尊の生涯と教え

2020-04-19
仏教の本質 哲学者「中村元」

ブッダ 最期のことば 1.2.3.4.

2020-06-14

釈尊のお説法

2020-04-07

漫画『ブッダ』

2021-02-10
原作は、手塚治虫先生

独自の解釈で描かれた、手塚治虫版ブッダ伝です。

シッダルタは、ヒマラヤ山脈のふもとカピラヴァストウで、シャカ族の王・スッドーダナの長男として生まれました。けれども、生後7日目に母マーヤと死にわかれ、叔母のパジャーパティに育てられました。

その後、16歳でヤショダラと結婚し、一子ラーフラをもうけますが、人生の根底にひそむ生老病死の問題について考えるようになり、29歳のとき、すべてをなげうって出家します。

やがてピッパラの樹の下で悟りを開き、以後、ブッダ(サンスクリット語で目ざめた人という意味)と名乗って、インド各地をめぐる説法の旅を続けるのでした。

王子シッダールタに、富も家族もすべてを捨てる決意をさせたものとは

2021-02-10
のちにブッダとなる男・シッダールタと、彼と出会い、心を通わせた人々の、壮大な<いのちのドラマ>
手塚治虫のブッダ - 赤い砂漠よ!美しく

 2500年前、インド。王国間の争いが絶えないこの地に、世界の王になると予言された男の子が誕生する。シャカ国の王子、ゴータマ・シッダールタだ。思春期を迎えたシッダールタは、盗賊の少女ミゲーラら身分の低い人々と心を通わせ、厳しい階級社会に疑問を抱くようになる。

BUDDHA2 手塚治虫のブッダ-終わりなき旅-

 2500年前のインドの地。シャカ国の世継ぎとして誕生した王子シッダールタ——のちのブッダ。人々の苦しみと死に心を痛める青年に成長したシッダールタは、何不自由ない恵まれた身分を捨て、真実を求める旅へ向かう。
 旅先で出会ったのは、未来を予知でき、自分が死ぬ日をも受け止める不思議な少年・アッサジ。彼が自らの命をオオカミの子供たちに捧げるのを目のあたりにしたシッダールタは、死と隣合せの過酷な苦行に身をゆだねる。
 一方、強大な勢力を誇る大国・コーサラ国では、ルリ王子がシャカ国を侵略すべく、動き出していた。自らの出生に端を発して、シャカ一族に憎しみの炎を燃やすルリ王子。未来を求めて出自を忘れようとするブッダと、過去にこだわって出自にとらわれるルリ王子。国を捨てた男と、その国を滅ぼすために戦う男の相反する思いが交錯した時、彼らに関わる人々すべてが、そしてこの世界が、大きく動き出す!

ちょっといい話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

戦後初です。

2020-04-22
日本ニュース 戦後編 第1号
1946年(昭和21年)1月1日

公職追放令<民主革命の旋風> 連合軍最高司令部は、昭和21年1月4日、軍国主義主導者の官公職よりの追放、および右翼団体結社禁止の画期的指令を発し、新春の政界朝野を一大旋風の中に巻き込みました。
閣僚中に該当者を含む政府では、総辞職か改造かの岐路に立ち、4日に引き続き5日も協議を続行しました。
慌ただしい5日の首相官邸。
この指令は、戦時中の翼賛議員270余名の寄り合い所帯である進歩党にとって、まさに壊滅的鉄槌でありました。
5日、同党本部では総選挙直前のこの時期に極度に狼狽


https://youtu.be/Vmr4UCnQLU8

それは、ここから始まった。

2020-04-21
公害の原点
Fb 佐々木 信雄さんの投稿

【19th Century Chronicle 1900年(M33)】-1
 

(足尾鉱毒問題/川俣事件)

*2.13/群馬 足尾銅山の鉱毒被害民が、政府に陳情のため上京の途中、川俣で警官と衝突し、負傷者および逮捕者が多数出る。「川俣事件」
*2.15/ 田中正造が国会で、足尾鉱毒被害民の請願運動弾圧に抗議の質問をし、足尾鉱毒被害者救済決議案を提出する。田中はこの日、憲政本党を脱党する。
 

 1900年(M33)2月13日、足尾銅山の鉱毒被害を訴える農民らが、政府に陳情のため上京の途中、群馬県の川俣で警官と衝突、流血の惨事となり農民多数が逮捕された。これが、当時は兇徒聚集事件と呼ばれた「川俣事件」である。事件では農民67名が逮捕されたが、1902年12月25日、起訴無効という判決が下り、実質的に全員不起訴という形となった。
 

 「田中正造」はその日、国会で足尾鉱毒問題に関する質問を行っていたが、質問後に初めて事件を知ると、2日後に再度事件について質問を行った。被害陳情(押出し)の決行日は、田中の国会質問日があえて選ばれたものであった。この時の演説が、「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」で、日本の憲政史上に残る大演説と言われる。2日後の演説の途中では、田中は当時所属していた憲政本党を離党した。
 

 足尾銅山は江戸時代から採掘されていたが、幕末にはほぼ廃山となっていた。しかし、明治維新後民間に払い下げられると、古河市兵衛の経営で採鉱事業の近代化を進め、足尾銅山は日本最大の鉱山となった。当時銅は日本の主要輸出品のひとつという重要金属だったが、精錬時の排煙、精製時の鉱毒ガス(主成分は二酸化硫黄)、排水に含まれる鉱毒(主成分は銅イオン)は、栃木県・群馬県など北関東一帯の環境に多大な被害をもたらすこととなった。
 

 足尾鉱毒問題は、わが国最初の公害事件とされ、採掘精錬にともなう鉱毒ガスやそれによる酸性雨により、足尾町近辺の山は禿山となり、木を失い土壌を喪失した山は、次々と崩れていった。崩れた土砂は渡良瀬川を流れ、下流で堆積するため、渡良瀬川は足利市付近で天井川となり、台風などによる洪水の原因となった。
 

 鉱毒による被害はまず、1878年からの渡良瀬川の鮎の大量死として表面化した。やがて、渡良瀬川から取水する田園や洪水で足尾から流れた土砂が堆積した田園などで、稲が立ち枯れるなど農業の被害が出るようになる。この鉱毒被害の範囲は渡良瀬川流域だけにとどまらず、下流の江戸川や利根川にまで及び、その被害範囲は確定しがたいほどである。
 

 明治初期から平成に至るまで一世紀もの長期におよぶ公害であり、河川の水や流された土壌により、関東一帯に及ぶ広範な地域に被害を及ぼした。さらにその原因が、排煙、鉱毒ガスの二酸化硫黄や、排水に含まれる鉱毒(主成分は銅イオン)など多岐にわたる有害物質であり、農業被害・人的被害との因果関係が特定しがたい。のちの水俣病における有機水銀や、イタイイタイ病のカドミニウムのような因果関係が曖昧なため、死亡者や障害者の人数も推定値の域を出ない。
 

 渡良瀬川流域出身の国会議員田中正造は、たびたび国会で質問するも政府は取り合わず、積極的に鉱毒対策を行わず、むしろ鉱毒の記録集を発売禁止にするなど、言論封殺で対応した。田中は衆議院議員として、単独で何度も議会で取り上げ、政府を追及した。
 

 議員を辞職後も、鉱毒被害を訴える活動を続け、明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行おうとした(天皇直訴事件)。途中で取り押さえられて直訴そのものは失敗したが、直訴状の内容は知れわたり、足尾鉱毒の問題は一般にも知られるようになった。政府は裁判で話題が大きくなるのを避け、拘束された田中は即日釈放されたという。
 

 1973年(S48)までに足尾の銅は掘りつくされて閉山、公害は減少した。ただし、精錬所の操業は1980年代まで続き、鉱毒はその後も流されたとされる。その間、治水名目のダム建設など、国によって幾つかの対策がなされ、鉱山運営の古河鉱業側も、明確な責任を示さないまま、和解示談などで部分的に補償するなど、なし崩し的な対策しかなされないまま放置されたが、やっとのことで、1972年(S47)3月31日、被害者団体は、加害者を古河鉱業と断定、加害責任を認めさせる調停を成立させた。
 

〇この年の出来事
*1.25/東京 社会主義研究会が改組して「社会主義協会」となる。会長には安部磯雄、幹事には片山潜が就任。幸徳秋水らも参加する。
*3.10/ 集会及び政社法にかえて、「治安警察法」が公布される。
*4.14/パリ パリ万国博覧会が開幕する。
*4.-/ 与謝野鉄幹が詩歌雑誌「明星」を創刊し、浪漫主義をうたう。
*9.14/東京 津田梅子が麹町に女子英学塾を開く。
*9.15/東京 立憲政友会結成式が帝国ホテルで開かれる。総裁は伊藤博文、所属議員は152人。
*102.2/ 内務省が娼妓取締規則を公布し、娼妓の自由廃業を認める。
 

*ブログで読む>https://naniuji.hatenablog.com/entry/20180205

田中正造という生き方
足尾銅山
渡良瀬川流域
田中正造

高田純次という生き方

2020-04-21
よく心がない、心がないって言われるけど人の話はちゃんと聞いてるよ。          理解する気がないだけなんだ

「自由と息苦しさ」について

2020-04-18
清宮監督時代の話は、中々であります。
 
 
清宮さんについてもっと知りたい方は、こちらを!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%AE%AE%E5%85%8B%E5%B9%B8
清宮 克幸(きよみや かつゆき、1967年7月17日 - )は、大阪市福島区出身の元ラグビー選手、日本ラグビーフットボール協会副会長。早稲田大学ラグビー蹴球部の元監督。
選手時代の清宮さんは、ナンバーエイト・フランカー。 絵は早慶戦での前へ!
2001年早大ラグビー蹴球部の監督に就任し、関東大学対抗戦全勝優勝に導いた。
当時のチームで主将を務めていた山下大悟は後のインタビューで清宮の指導について「清宮さんはその時のラグビーのトレンドをふまえた上で、ワセダの強みを作っていました。ターゲットである関東学院に勝つために最終的になりたい姿を描いて、そこから逆算して必要なスキルを身に着けるための練習をやっていた。特に接点のこだわり、セットプレーのこだわりは強烈でしたね。フィットネスに関してもそれまでやっていたヘッドダッシュを廃止して、走行距離やスピード、強度を数値化した。実体が見えにくかったものをデータ化し、それを元に一人ひとりをしっかり見ていました」と話している。

時機相応について  時代と人

坂口安吾

2020-09-02
剛健な身体も、戦後カストリ文化の象徴でもあるヒロポンやアドルムといった過激な覚醒剤・睡眠薬で蝕まれおり、1955年(昭和30年)脳出血で突然死、享年48。
 紙屑に囲まれた仕事場の座卓で、下着姿のままでペンをとる坂口安吾の光景もまた、林忠彦の名を世に知らしめた一枚である。上記の織田作や太宰の姿や安吾の仕事風景は、「無頼派」とされる文士たちの文学作品を知らなくても、その作品世界を髣髴とさせる写真だった。

太宰治

2020-09-02
林が「ルパン」で知り合った小田作之助のスナップを撮っていると、「俺も撮れよ」とからんできた酔っ払いが、次の写真に納まった太宰だったという。
1948年(昭和22年)、38歳で三鷹の玉川上水に入水して没する。
織田作之助
1947年(昭和22年)肺結核のため33歳で没。

林忠彦

2020-09-02
【写真家林忠彦と無頼派作家】
 これは「紫煙と文士たち」と題した写真展の 展示作品集である。林忠彦という戦後間もない時期から活躍した写真家で、日本の風俗や文士・風景など多岐にわたる写真を撮影した。
 兵隊靴を履いた足でスツールにあぐらをかいて、めずらしく快活そうに酒を飲んで談笑する太宰治を写した有名な一枚の写真、この写真を撮った写真家として林忠彦の名前を知った。
 まだ戦後闇市が多く残る銀座にあったショットバー「ルパン」には、戦争を生き抜いた文士たちが集まった。なかでも「無頼派」と呼ばれる作家が談笑する場として有名になったのは、やはり林忠彦の作品の印象が圧倒的である。

重光葵(シゲミツ マモル) 外務大臣

2020-09-02
東京湾に停泊中の米国戦艦ミズーリー甲板上です。
相手は、D.マッカーサーでした。

仁科芳雄

2020-08-23

Facebook佐々木 信雄

 
『Get Back! 30's / 1939年(s14)』-2
(理研のサイクロトロン)
○2.23 [東京] 理化学研究所の仁科芳雄研究室に世界最大級のサイクロトロンが設置される。
 1931年理化学研究所で仁科研究室を立ち上げた仁科芳雄博士は、当時国内で例を見ない量子論、原子核、X線などの研究を行なっていた。当時未解明であった原子核の構造などを研究するためには、高性能の粒子加速器が必須であり、1937年、仁科研究室では世界で二番目の小型サイクロトロン(核粒子加速装置)を完成させた。そしてさらに1939年2月には、200トンもの巨大電磁石を備えた大型サイクロトロン本体を完成させ、1944年1月から実験を始めた。
 仁科は、米国の科学技術の進歩を熟知し日米開戦(太平洋戦争)には反対していたが、やがて1941年末に日米間で太平洋戦争が開始される。一方、1938年には原子核分裂の現象が発見され、理論上膨大なエネルギーを得られることが知られていた。核分裂反応を起こすには、ウラニウムのような大きな原子核に、高速に加速された高エネルギーの粒子をぶつける必要があり、その加速装置としてサイクロトロンが必須であった。
 1941年日米開戦が迫るなか、陸軍は秘密裏に理研に研究を依頼し、仁科研究所で原子爆弾の理論的可能性の検討に入った。当時、原子核研究は理研の仁科芳雄グループと大阪大学の長岡半太郎グループが双璧であった。海軍では長岡グループに検討を依頼するが、こちらは早々に実現不可能との結論を受けて断念している。
 1942年12月日米が開戦すると、仁科は各分野の有能な研究者を集め、アメリカで原子爆弾開発「マンハッタン計画」が始まった翌年の1943年頃に、ウランの濃縮分離によって原子爆弾が作れる可能性を報告書によって軍に提示した。ここから本格的に、仁科研究室を中心に原子爆弾の開発研究がおこなわれることになった。
 この開発は、仁科の「に」から「ニ号研究」と呼ばれたが、1945年、戦局悪化のもと米軍の空襲によって設備が焼失し、日本の原爆開発は潰えることになる。そして期待された巨大サイクロトロンは、資材不足などで満足な利用も出来ず、戦艦大和と同じような不運な終局をむかえる。占領政策で戦前日本の軍事技術を壊滅させるべく、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)指令により、サイクロトロンは解体され東京湾に投棄された。この処置には、米国の科学者たちからも批判が寄せられたという。
 米軍によって広島・長崎に「新型爆弾」が投下されると、仁科博士は調査団の一員として現地を調査し、これが原子爆弾であると断定した。放射線を計測する満足な装備もなく、レントゲンのフィルムが放射線に感光したことから判定したという。長年の放射線研究や、この広島長崎原爆調査時の被爆などが原因となったのか、1951年60歳、肝臓癌で亡くなる。
 「理化学研究所」は1917年(大正6年)に創設された物理学、化学、工学、生物学、医科学など基礎研究から応用研究まで行う国内唯一の自然科学系総合研究所である。海外では"RIKEN"の名称で知られ、鈴木梅太郎、寺田寅彦、中谷宇吉郎、長岡半太郎、湯川秀樹、朝永振一郎、仁科芳雄など多くの科学者を輩出した。戦前は理研コンツェルンと呼ばれる企業グループを形成したが、太平洋戦争の終結と共にGHQに解体された。
 1958年(昭和33年)に特殊法人「理化学研究所」として再出発し、現在は「国立研究開発法人理化学研究所」に名称変更されている。理研は大学の研究室のような制約を受けず、潤沢な研究資金でかなり自由な研究を行えた。戦後になると、大学では産業界との癒着が批判され産学共同研究が難しかったが、理研ではそのような制約もなくさまざまな産業製品の開発にも寄与した。
 「理研ヴィタミン」に始まり、合成酒「利久」、理研ゴム(オカモト)、陽画感光紙(リコー)、リケンのふえるわかめちゃん、リケンのノンオイルドレッシングなどなど、身近にある様々な製品を商品化している。あの「小保方さん」も理研の所属だったし、二重国籍じゃ駄目なんだけど、「二位じゃだめなんですか?」の発言で話題となった純粋日本国籍スーパーコンピュータ「京」も理研のプロジェクトだったわけ(笑)
 なお、理化学研究所の森田浩介グループディレクターらが発見し、2015年12月に命名権を得ていた113番の新元素の名称が「ニホニウム」とされた。欧米以外の国で元素を命名するのは初めてであり、今後、教科書などに載る周期表113番目にはニホニウム(Nh)の名前が書き加えられる。
(付記)
 戦前のサイクロトロン開発は、理研仁科研究室と同時的に、阪大菊池正士研究室、京大荒勝文策研究室でも進められていた。
*この年
闇取引が横行、摘発された違反は20万918件/男性はカーキ色の国民服、女性はモンペ着用が推奨される
【事物】集団就職/白紙召集令状/警防団
【流行語】複雑怪奇/日の丸弁当/勤労奉仕/産めよ殖やせよ国のため
【歌】上海ブルース(ディック・ミネ)/父よあなたは強かった(伊藤久男・二葉あき子・霧島昇・松原操)/上海の花売り娘(岡晴夫)
【映画】兄とその妹(島津保次郎)/土と兵隊(田坂具隆)/残菊物語(溝口健二)/望郷(仏)/格子なき牢獄(仏)
【本】高見順「如何なる星の下に」(文芸)/天野貞祐「学生に与ふる書」/羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」
 
 
 
 
 
 
 
 

ちょっと気になる歌・唄・音

スピッツ、デヒュー30周年

2021-02-25
11th single 「ロビンソン」 オリジナル発売日:1995年4月5日

スーダラ伝説 植木等

2021-02-24
スーダラ節/無責任一代男/ドント節/だまって俺について来い/ハイ それまでよ/スーダラ節
https://youtu.be/4ZnSzleli54

・スーダラ節 0:00 
・無責任一代男 0:49
・ドント節 1:26 
・だまって俺について来い 2:00
・ハイ それまでよ 2:28 
・スーダラ節 3:34 
スーダラ節 小松政夫

わが人生に悔いなし 加藤登紀子 

2021-02-24
ピアノ 羽田健太郎(1999 OA)
石原裕次郎 三十三回忌 2019 7 17日 BGM 我が人生に悔いなし 唄 石原裕次郎
Web ニュースより引用 
1987年に死去した昭和の大スター・石原裕次郎さん(享年52)の命日にあたる17日、神奈川県横浜市の總持寺で三十三回忌の法要が営まれた。約500人のファンが見守る中、裕次郎さんの妻で石原プロモーション会長・まき子夫人(85)、おいの石原伸晃氏(62)、俳優・舘ひろし(69)、神田正輝(68)、徳重聡(40)らが参列。法要後に会見が行われ、まき子夫人は、今年をもって弔い上げとすることを明らかにした。

https://youtu.be/NO-D0mXjFTI

裕次郎さんから「人生の歌を歌いたい」と直接電話が掛かってきた

2021-02-24
「初めて好きなことを言って、好きなように書いた」という作品
石原裕次郎夫妻(中央)と一緒にハワイでゴルフをした時の記念写真。「出会いはまったくの偶然でした」=本人提供

「初めて好きなことを言って、好きなように書いた」という作品が、裕次郎さんの最後の楽曲「わが人生に悔いなし」(87年)だ。

 晩年、裕次郎さんから「人生の歌を歌いたい」と直接電話が掛かってきた際、「『マイウェイ』のような自分の人生を自慢するような歌じゃなくて、スターのオーラを外した一人の男としての歌にしましょうよ」と提案したのが「わが人生-」といい、「僕が初めて自己主張を通して書いたもので、裕さんは『従ってよかった』と言ってくれました」とほほえんだ。

石原裕次郎 わが人生に悔いなし
不世出の俳優にして歌手の石原裕次郎が52才の若さで惜しくも逝ったのは昭和62年7月17日のこと、この夏、34回忌を迎える。
石原裕次郎は永遠に我が青春のアイドルであり、我が心に永遠に生き続ける。
https://youtu.be/YnhIDLdxzAE

なかにし礼 わが人生に悔いなし なかにし礼さんはシャンソンの訳詞をされている時に 石原裕次郎さんから「歌謡曲を書いて俺の歌を作ってくれ」と ある所で声をかけられたそうです、それ以後、歌謡曲に転向して 人生が変わったとおっしゃっていました 
https://youtu.be/Bb10tI-vZfk

〚さくらのうた〛

2021-02-24
『さくらの唄』は、美空ひばりさんのシングルとして、1976年7月1日に発売された。
『さくらの唄』は、美空ひばりさんのシングルとして、1976年7月1日に発売された。
 作詞家・なかにし礼氏が実兄の借金を背負い込んだ後に歌詞を書き、作曲家・三木たかし氏が詞の内容を気に入り、曲をつけたもので、三木氏自身が歌い、1970年にシングルレコードとして発表された。
 残念ながらヒットとはならずに埋もれていたが、その存在を知った当時のTBSドラマプロデューサーの久世光彦氏が楽曲に惚れこみ、ドラマ化を企画し、その主題歌としてひばりさんにオファー
なかにし礼氏が感じた、美空ひばりと石原裕次郎への壁

ちょっと気になる絵

(色鉛筆描写) *国鉄鹿児島本線・戸畑駅 1976年(昭和51年)頃

2021-02-26
Facebook山元山元剛さんより  現在の制作状況です。

蒲郡の河津桜

2021-02-24
Facebook蒲郡クラシックホテルより



本館裏の駐車場に植えられた数本の河津桜
開花だいぶ進みました 。
先に開花の始まった。
旧 常磐館宴会場跡の河津桜は満開です!
常磐館宴会場跡の河津桜

花見の伝統について

2021-02-24
Facebook畠山 紘さんより

奈良時代の花見は「梅」でした。
桜より梅が人気
現代では、花見で愛でる花といえばもちろん桜のことですよね。桜は日本人に古くから愛されてきた花であり、春を象徴する花です。
それは梅です。奈良時代の花鑑賞といえば、梅をさしていました。貴族たちの間では造園する際、梅を入れることが定番となったようです。
当時、日本は遣唐使を介した中国との交易が盛んでした。中国文化、物品も多く日本に伝わり、その中の1つに梅があったのです。香立つその花は珍重され、桜よりも人気がありました。
その人気ぶりをうかがえるのが、『万葉集』に詠まれた梅の数です。桜を詠んだ歌は43首に対し、梅を詠んだ歌は110首。梅は桜の倍以上詠まれているのです。
花見の始まりは奈良時代にあり
こうして貴族を中心に好まれ、愛されてきた梅。当時の貴族の優雅な風習といえば、「歌を詠む事」でした。中国からやってきた梅を見ながら、歌を詠む会を開きました。これが現在の花見の原型になったといわれています。

両陛下、茨城へ お召し列車が令和初「特別車両」連結で常磐線を走る E655系電車「和」

2021-02-24
天皇皇后両陛下の茨城国体開会式ご出席にあたり、東京から常磐線経由の「お召し列車」が運転されました。使用された車両は、「特別車両」を連結したJR東日本のE655系電車「和」。特別車両を連結したお召し列車の運転は、令和初です

https://trafficnews.jp/post/89983

 お召し列車に使われた車両は、JR東日本のE655系電車「和(なごみ)」。普段はグリーン車だけの5両編成で、団体列車などに使われていますが、今回のお召し列車では、編成の中央に両陛下がご乗車になる「特別車両(TR車)」を連結。「日章旗」と「菊の御紋」を掲出し、6両編成で運転されました。

両陛下、茨城へ お召し列車が令和初「特別車両」連結で常磐線を走る E655系電車「和」

2021-02-24
「日章旗」「菊の御紋」を掲出し、特別車両を組み込んで常磐線を走るお召し列車
今回のお召し列車では、編成の中央に両陛下がご乗車になる「特別車両(TR車)」を連結。「日章旗」と「菊の御紋」を掲出し、6両編成で運転されました。
「特別車両(TR車)」を連結。
特別車両を組み込んで走ったE655系のお召し列車(2019年9月28日、伊藤真悟撮影)。

【Face bookのページ】 味覚嗜好について

味覚嗜好のページ

日田は山紫水明の地です。 それは『原酒をはぐくむ酒の杜』。

2021-02-20
深い自然がもたらす澄んだ空気と清らかな 水の恵みを受けて、ここに新たな考えに基づく 「いいちこ日田蒸留所」を設けました。
また君に恋してる 坂本冬美
https://youtu.be/j4tKh0SAedc

【オリジナルはこちら】
ビリー・バンバン / また君に恋してる(ビリー・バンバン ヴァージョン) - YouTube
2010年の話題の大ヒット曲、オリジナル楽曲!
1988年から続く、ビリー・バンバンの三和酒類株式会社"いいちこ"CMソング。 

#30_渡辺雄一郎​(Nabeno-Ism)

2021-02-16


(OA:2019/12/28,2020/01/18) 
今回、三石寛太(髙嶋政宏)が訪れたのは、江戸の食文化が色濃く残る街・浅草。 日本風情漂うこの街に、フレンチの巨匠たちから薫陶を受け、王道を歩んできた一人のシェフがいる。
レストラン・ナベノイズムの渡辺雄一郎だ。
彼はかつて、フレンチの神様ジョエル・ロブションの店を、9年連続でミシュラン三ツ星に導いた。 2016年に独立後も、2年連続で二ツ星を獲得。 世界の名店を渡り歩き、王道のフレンチと日本の風土を融合させる男・渡辺雄一郎が今回挑戦した未来に遺すべき作品とは? 


2016年 7月7日 東京浅草駒形 隅田川ほとりにて レストラン Nabeno-Ismナベノ-イズムを開業






大きな影響を与えた母、辻静雄氏、ジョエル・ロブション氏

ドンペリと隈研吾の融合

2021-02-06

〈ドン ペリニヨン〉の5代目醸造最高責任者だったリシャール・ジョフロワが生み出した日本酒ブランド〈IWA〉。その初のリリースである《IWA 5》を注目すべき理由は、ブレンドという画期的な手法だけでなく、ボトルデザインをマーク・ニューソンが手掛け、〈IWA〉が生まれる酒蔵〈白岩〉を建築家・隈研吾が設計するなど、日本酒の世界に新しい風を吹き込んでいるからだ。

・隈研吾が酒蔵を設計、ボトルデザインはマーク・ニューソン。 

〈IWA〉が生まれる酒蔵〈白岩〉を建築家・隈研吾が設計

WAKAZE

2021-02-06
https://www.wakaze-sake.com/ja/products/classic?gclid=CjwKCAiA9vOABhBfEiwATCi7GNZQSzljISrctuOEXZSRb5dh_gLqXHCVTg_7M3Ftuo-zPZQ9_IM_ERoCgA8QAvD_BwE


パリ近郊で醸造したSAKE「ザ・クラシック」は、フランスワインのビオ酵母とイル・ド・フランスエリアの硬水を使用して醸造されています。ミネラルをたっぷり含んだこの水は、通常のSAKEとは一線を画した複雑な味わいを生み出します。ミネラルを豊富に含んだこの水は、発酵工程をより複雑にするため、造り手の腕が試され、非常に精密な酒造りが求められます。

パリのSUSHI

2021-02-06
1982年福岡県生まれ。憧れがあり、小学生の時点ですでに料理の世界に入ることを決意。高校卒業後すぐに福岡の鮨屋で修業を始め、技術よりも大切な人間力を磨くため、10年間同店に勤務。途中、日本の外では和食がどのように思われているのかという探究心に駆られ、アムステルダムに一時的に場所を移す。そのときにできた縁を辿り、最終的にはフランス・パリに拠点を置き、ときにはフランス料理店での修業も経験し、海外という制約があるからこその鮨を自ら開発し、ミシュラン・ガイドの一つ星を得るに至る。消費者が成長し、いよいよ海外で「本物」の和食が求められる時代に突入した今、第一線の現場で伝道師としての役割を担っている花田氏に、海外で日本の鮨職人が戦うことの意味をうかがった。
TOPへ戻る