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ちょっといい話

仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】

同朋会運動について

2020-04-06
Yasuda Rizin

619

ある意味では大ざっぱでいかなければならない場合もあるでしょう。
こせこせせずに、大ざっぱで大きくいかなければならないこともあるのです。
そういう点も大事です。
念仏の共同体というものが他の共同体と区別される一点はどこにあるのかと。
教学という事実が他の共同体から念仏の共同体を区別する唯一の点なのです。
その教学というものの事業は何かというと、同朋活動(同朋会運動)というものだと。


 

620
同朋活動は一時的な運動ではないのです。
同朋の会を無数に作るということが唯一の事業だと。
だから同朋会というのは末端に在るのです。
どこに同朋会があるか、実績はどうかといえば、会が開かれていることしかないのです。
寺に皆を集めて法事をつとめてもそれは同朋会にはなりません。

 

 

621
そういう意味で大きく分ける点も必要なのです。
一番大きく分けた言葉が自利利他ということでしょう。
思想問題、宗教問題は何かというと自利利他円満ということが最も大きく仏教を摑んだ言葉です。
自利利他です。
自らも救われ他も救われるということです。
自利利他ということのほかに宗教問題はない。
つまり人間が完成することです。


 

622
自利利他で人間が完成するということが仏道だと。
人間をやめることが仏道ではない。
人間が人間として成就するということが自利利他円満です。
それが仏道だと。
これほど大きな掴み方はないでしょう。
ただ問題は、自利利他を考えている時にはなんでも自利利他円満ができると思うのです。
やってみると円満はできない。
だからこれが実践問題です。

親鸞にとっての源信僧都と法然上人

2020-04-03
真向かいになるということ

601
本願は、
初めに「国に地獄、餓鬼、畜生あらば正覚をとらじ」と。
「国」の願です。
これが大事なのです。
国というようなことは、
どこから出てきたのかということです。
これは非常に深い問題ではないかと思うのです。
なにかそこには、
本願というものは人間の祈りを、
人間に先立って、言い当てたと。
国というものは
天から降ってきたものではないでしょう。
人間の祈りなのでしょう。


 

603
人間の深奥の要求というものを、
人間に先立って、却って自己の問題とすると。
自己といっても
別に自己というものがあるわけではない。

宗教心です。
もっと言えば菩提心でしょう。

その菩提心が

人間の祈りを人間に先立って

自己の問題とすると。
こういうものが
本願というものだろうと思うのです。

 

604

観経疏の中に「弥陀の本国四十八願」という言葉があります。
本国の願だから本願なのでしょう。
そういうように、人間に先立って人間の問題を自己の問題とすると。
それが菩提心です。
宗教心です。
したがって、
そこに人間の予想を超えて
それが応えられていると。
人間は、
その人間に先立つような問題を持っているものが、
実は人間なのです。
不思議なことです。
自分の考えで考えた祈りではないのです。

考えよりも先に人間は問題を持っている。
 

605

それは人間の考えで解決できたと言えない。
言えないけれどもあきらめるわけにはいかないと。
そういう問題を菩提心というものが自覚してくるのです。
こういうように、
宗教心というものは人間と無関係にあるものではない。
人間そのものが
人間では出来ないような問題を持っている。
それが人間なのです。
それでないと
国土の本願というようなものが出てくるはずかないでしょう。
本願はどこか天から降ってきたようなものではないのです。


 

606
菩提心が人間の問題を自己の問題としているのが本願です。
だから人間は本願において自己に遇うわけです。
それで答えは南無阿弥陀仏が答えです。
これは思い通りになったのではない。
「予想を超えて」答えられている。


607
国の願は三悪趣が無いというような意味だったのです。
国は非常に低いところから始まっているのです。
それは本願というものは論文ではないので、
非常に低いところから出発しているのです。
三悪趣の無い国を祈ると。
これは源信僧都の言葉というのが非常に深いのです。
私は思いますけれども、
親鸞は初めは法然上人よりも源信僧都を慕われたのだろうと思います。
法然とは性格が正反対みたいなのです。


608
源信僧都というのは非常に内観的な人だったと思うのです。
それに対して法然上人は頑固者だったのではないかと思うのです。
その頑固というものの意味の深さはあとで分かってきたのです。
頑固ということは今の言葉で言えば
「知識人ではない」ということです。
知識人でないという意味は、ものを横から見ないというのです。


609
何でも第三者の立場に立つのが知識人です。
ものを横から見るのです。
横から見たら往相だの還相だのということはありはしない。
そうでしょう。
横から見れば往相も還相もない。
船に乗って我々は往相でいくのです。
そうすると岸は向こうから来るでしょう。
そうでしょう。
こちらの船に景色がどんどん向こうから近づいてくると。
そうすると自分が流れを遡っていることです。
だから自己が往なら、自己をとりまく景色は還です。
往還と。
そういうように世界が流動しているでしょう。
第三者にそんなことはありはしない。
船から降りてみよと。
何も船が往っているのではないと。
船から降りれば、傍観すれば往も還も無い。
そうでしょう。なにも「行」がない。
それが第三者です。


610

知識人、インテリゲンチャというのはそういうところに居るのです。
だからそういう人はその場その場の答えを出す。
それも多少は意味はある。
けれども、いざという場合は立場をすぐ変えてしまう。
変節する。
その時その時は巧みな答えを出すけれども、出ないようになると「これは私の考えだ」というような具合ですぐやめてしまうのです。
そういうところに知識人の不信任というものがあるのではないかね。あてにならない。

611

あてにすることが出来ない。
インテリゲンチャというのはその時その時で都合のいい答えを出してくれる便利な人です。
それはあてにできないでしょう。
だから法然のその頑固、知識人でないというところに初めて本当の人だと。
その人の言っている言葉には多少矛盾があっても頑固一徹だと。
こういうところに初めて、その人が生きていると、信頼できるのです

信頼ということ

2020-04-03
【試聴】「浄土の教学」安田理深/法話CD「本願に生きた念仏者シリーズ」③|東本願寺出版
1980年真宗本廟同朋会館において行われた「同朋会運動の願いに聞く集い」での音声を収録。生涯、聞法の生活一筋で歩まれた安田理深師の熱のこもった講義。

法然上人という人

612
信頼、これは大事なことです。
教育というようなことは皆、そうなるのではないかね。
しゃべっていないと人が教化できないというのではない。
その人が居ることで人が救われてしまうと。
そういう、沈黙していても、会った者がなにかそこに力を得てくると。
こういうのが本当ではないかと思うのです。

 

613
親鸞は法然に会ってはじめて、
これは知識人ではないと。
本当の人だと。
だからそれを逆に言えば、弁解しない人です。それは
「あなたの間違いではないか」と言われて
「いや、そうでない」と言い返さないのです。弁解しない。
「その通りです」と言うのです。
そういう、自己を弁解しない人というのが、
初めて信頼できる人ではないかと思います。
法然上人はそういう人だったのです。
単に噂を聞いているあいだは分からなかったのです。
親鸞は法然上人の噂は聞いていたのでしょう。その噂を通してみるとあまり法然上人の生き方を親鸞は好まなかったのでしょう。
むしろ好むのは源信僧都です。


 

青木玲先生の文章

2020-04-03
宗祖としての親鸞聖人に遇う

「であい」の大切さ

(青木 玲 教学研究所助手  現職は九州大谷短期大学准教授)

 毎年、高校の恩師から年賀状をいただいている。高校を卒業してからであるから、もう十数年になる。今年の年賀状には、「この三月で高校教師を退職します」と記されていた。私には、高校時代にこの先生から言われた、いまだに忘れられない、大事な言葉がある。
 先生は、私が高校二年生の時の担任で、英語を担当される女性の方であった。何事にも非常に厳しく、豪快で、かつ生徒一人ひとりと真向かいになって相談にのってくれる方であった。高校の中で唯一寺院出身であった私に対しては、特に進路について大変心配をし、様々なアドバイスをして下さった。
 はっきりとは記憶していないが、進路を決める三者面談の時であったと思う。進路に悩む私に対して、先生は次のようなことを言われた。「偏差値や就職率で大学を選ぶことは大切なことだ。しかし、本当に大切なのは、大学に進学して、一人の先生、一人の友達にであうことだ」と。当時は、成績の悪い私に対するなぐさめの言葉としか思えなかった。しかし、大学に進学し、少しずつではあるが、親鸞聖人の言葉に触れていくにつれ、先生から言われた言葉の重みを感じるようになった。
 親鸞聖人は、『教行信証』「化身土巻」に、
 愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。(聖典三九九頁)
と記され、また『歎異抄異抄』第二条には、
 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。(聖典六二七頁)
と述べられている。これは、聖人が二十九歳の時、「よきひと」法然上人の「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という教えとのであいを通して、阿弥陀の本願に帰依されたことを表している。さらに、『高僧和讃』には、
 曠劫多生のあいだにも
 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずは
 このたびむなしくすぎなまし(聖典四九八頁)
と記されている。曠劫多生という長い間、生死を離れる強縁である阿弥陀の本願を知らなかった、もし法然上人がおられなかったならば、一生涯をむなしく過ごしていただろう、と。親鸞聖人が生涯をかけて念仏者として生きていくことを決定できたのは、法然上人とのであいによってであった。
 また親鸞聖人は、流罪の地の越後や、その後身を置かれた関東でたくさんの方とであわれ、その方々と共に念仏の教えを聞き、仏道を歩んでいかれた。その意味で、親鸞聖人が歩まれた仏道は、法然上人を始めとするたくさんの方々とのであいを抜きには考えることは出来ないだろう。
 現在、全国各地の方々とであう場に身を置いて仕事をさせていただいている。先生ご自身がどのような意図で「であいが大切だ」と言われたのかは分からないが、ただ、今の私にとって「であい」が元気や勇気を与えてくれていることは間違いない


(『ともしび』2012年6月号掲載)

大谷派関係学校等のページ

Facebook 大谷派における学事の潮流

2020-05-05

Facebook 宗門関係学校のページ

2021-09-26
管理人は、当山住職です。
九州大谷短大の音楽劇公演ポスターです。

『明治期の真宗大谷派おける研究教育とその体制』

2021-09-14
三明 智彰著
現キャンパス

1977年の教授陣です。

2021-10-17

谷大120周年の学長焼香の図です。

因みに、管理人在籍(真宗学研究科)の頃の教授陣は次の通りでした。

【真宗学】
稲葉(秀賢)、松原学長、藤原(幸章)、細川(行信)、廣瀬(たかし)、寺川、幡谷、安富、小野、本多、江上

【哲学】
西谷、木場、坂本

【仏教学】
山田(亮賢)横超、佐々木(現順・令信)、三桐、(院生)一色

【史学他】
野上俊静、藤島達朗、五来、(仏教音楽)岩田'

・太字が、当代が受講させていただいたヨキヒト

10月13日は、大谷大学において近代化120年の創立記念式典が行われました。

2021-10-16
Facebook 速水 馨さん曰く
10月13日は、大谷大学において近代化120年の創立記念式典が行われました。
この日は東京巣鴨に真宗大学(現在の大谷大学)が移転開校し、学監(学長)清沢満之が「開校の辞」として宗教的信念の確立が大学の使命であると述べた日。
コロナ対応のため出席者を限定しクローズドで行われましたが、記念講演の姜尚中さんの、ホブズボーム『20世紀の歴史ー極端な時代ー』を引用しながらのお話に引き込まれました。
20世紀はグローバル化による人々の移動がパンデミックを引き起こし、それは同時に移民による憎悪、ファシズムも生み出した時代でありました。世界大戦に始まった20世紀の問題は未だ解決をもたらさず、同じ構造をもったまま今に至っている。
和解と共生を導く役割を担う政治を人々は手放し、これを政治屋が占有するのであるが、メディアはあてにならない世論(せろん)を煽り、政治はこれを無視できずに判断を下していく。民衆主義とポピュリズムなくして大衆の動員は生まれなかった。
自立した個人を求めてきた近代の行き着いた危うさ、強さや速さの呪縛から離れるべきことが世紀の歴史を通して語られました。
その中にあって希望として最後に出されたのが、シューマッハが60年代に提唱した仏教経済学『small is beautiful』であったことは、少しばかり驚きましたが、長期思考で俯瞰的に物事を見る大切さを教えていただきました。

仰せを蒙りて【音声・映像データ編】

真宗大谷派東本願寺【公式】 - YouTube

2021-04-06
法要をズーム・イン、法話はリプレイができます。

ラジオ放送『東本願寺の時間』

2020-12-08

石川県西田幾多郎記念哲学館

2021-10-06
西田幾多郎とは
「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。
黒板に向かって一回転をなしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである」

これは、西田幾多郎が京都大学を退官するときに述べた言葉です。

Twitter大谷派近代真宗教学の言葉さん です。

2021-10-05

20210613淨妙寺親鸞教室法話会

2021-09-17
一楽真師「この世の利益きわもなし」鈴木君代師ミニコンサート

2021年6月13日(日)13:3016:00 
真宗大谷派 淨妙寺親鸞教室法話会を
YouTube配信のみで開催しました。
 講題 「この世の利益きわもなし」 
 講師 一楽真師(大谷大学教授) 
◆先生からのメッセージ 
「南無阿弥陀仏をとなうれば この世の利益きわもなし」 親鸞聖人がお作りになった「現世利益和讃」のお言葉です。念仏もうすならば、今生きている現在に限りない利益があると言われます。この親鸞聖人からの呼びかけが実感をともなって受けとめられるでしょうか。念仏してもたよりないとか、念仏に何の意味があるのか、そんな声が聞こえてきそうです。ご一緒に尋ねたいと思います。 
法話後 鈴木君代さんのミニコンサートがあります。

仰せを蒙りて【文字データ編】

報恩ということ

2020-11-15

因縁の力

2021-10-03
Facebook Yasuda Rizinさん曰く、
1158
皆そうなのです。
憎しみながらも離婚せずにいるのは因縁の力があるからなのです。
夫に感謝する妻なんていうものは一人も居りはしないでしょう。
皆、不平不満をいだいている。
仕方がないと言って続いているのは、因縁の力があるからです。
外国では因縁というものを考えない。
他力ということも分からなかった。
他力の力というのは何を力というのか。
大願業力、増上縁の縁でしょう。

仏教は、人間を大事にするけれども、人間主義ではありません。

2021-10-03
Facebook Yasuda Rizinさん曰く、
1153
釈尊は我々に「仁者(あなた)」と言う。
そこに、教える人と教えを受ける人の区別があるでしょう。
区別はあるけれども、同じ「人」に生まれてきている。
人と人の関係です。
しかし、ただ人と人というだけでは人間主義でしょう。
仏教は人間主義ではない。
仏教は、人間を大事にするけれども、人間主義ではありません。

(T23) 『教行信証』講義

2021-09-08
投稿者: 東方学院 事務局

東方学院設立の経緯と意義

 東方学院は、創立者中村元の東京大学退官とともに、昭和45年11月に文部省より財団設立の認可を受けた財団法人東方研究会(現、公益財団法人中村元東方研究所)を母胎として、昭和48年に設立されました。

 その大きな動機は、当時、大学に吹き荒れた学園紛争にともない、学術的には減退傾向にあり、また精神的な砂漠化のさなかにあって、学術的精神的な拠点となりうる、小さくともしっかりした学院をつくることにありました。そして学問の自由を制約することになる縄張り意識の強いセクショナリズムを廃して、真理探究を目的とする学問本来の姿を回復するためでありました。

大学の外につくることでセクショナリズムを脱し、またカルチャー・センターとも異なる一種の私塾、つまり現代の「寺子屋」として出発しました。真に教えたい一人と真に学びたい一人が集まれば学院は成り立つ―これが創立者・中村元の信念であり、まさに東方学院の原点といえます。
 幸いにも、このような考えに同調し、協力を申し出る人々が集まり、学院は開講されました。狭いビルの一角を間借りし手弁当を持ち寄って、文字どおりの「寺子屋」が始まったのです。

 しかし、財団の基盤を強固にし、学院を発展させていくためには、しっかりとした学問研究の場所を確保する必要がありました。そこで、創立者の私財をもとに、財団設立に協力して下さった篤志家の方々が、昭和57年「財団法人東方研究会強化募金運動」を開始されました。一高時代の同窓生(「昭8文乙クラス会」のメンバー)である中村敏夫弁護士をはじめとして、同じく星埜保雄、宇佐見鉄雄、倉知善一、新井正明氏らが発起人となり、その資金集めから場所の確保にいたるまで実に並々ならぬご尽力を下さいました。そのおかげで、諸方面から多数の賛同者・協力者を得ることができ、現在のこの場所を入手するにいたりました。東方学院は、これらの人々によって築かれた土台の上に、今日成り立っております。

 以来、当学院は、優れた数多くの講師を迎え、多くの方々の善意と学問への熱意によって支えられ発展して参りました。

 今後も創立者の遺志を継承し、初心を忘れることなく、ますます発展していきますことを心より念願しております。

 

公益財団法人中村元東方研究所
故名誉理事長 中村洛子
(1919 ~ 2010)

公益財団法人 中村元東方研究所 東方学院

(T23) 『教行信証』講義

本多 弘之(ほんだ ひろゆき)

親鸞仏教センター所長

レベル 初級
◆第1・3木曜 10:30〜12:00
◆初講2021年4月15日(木) 全14回
◆東京本校 402号室〈オンライン可〉
◆受講料 ¥20,000

親鸞の主著『教行信証』を読みつつ、親鸞の思想信念を明らかにしていく。本年度も、「行巻」をしっかり読みといて行きたい。浄土教はいうまでもなく、大乗の仏教であるが、その浄土のすくいを、煩悩具足の身を生きながら、大悲の本願を聞けば、十分に味得できる道であることを明らかにしたのが、親鸞による革命的な了解であろう。この機会に『教行信証』の言葉を味読してそのことを明らかにしたいと思う。

【テキスト】
・『真宗聖典』東本願寺出版、1978

【参考書】
・講義の中で触れます。


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平澤興

2021-08-31
進むべき 道は一筋

プロフィール


平澤興 ひらさわ・こう
明治33年新潟県生まれ。
京都帝国大学医学部を経て、大正13年京都帝国大学医学部解剖学教室助手。翌年同学部助教授。15年新潟医科大学助教授。昭和3年からスイス・ドイツ等に留学後、5年同大学教授。翌年、日本人腕神経叢の研究により医学博士号を取得。21年京都帝国大学教授。32年から京都大学総長を2期6年間務める。38年同大学名誉教授。
その後、京都市民病院院長、京都芸術短期大学学長などを歴任。45年勲一等瑞宝章受章。平成元年6月17日、心不全のため京都市内で没。

ちょっと気になる言葉(お寺の掲示板等より)

京都市北区 上善寺 2021.10.20

2021-10-20
Facebook 山本 和男さん曰く

充満寺掲示板

2021-10-12
Facebook 野洌寛さん曰く

山田文昭先生のことば

2021-09-18
Facebook 阪下大介さん曰く
仏法を聞くということは、
耳に聞くだけでなく、又知り覚えることでもない。
身に得ることである。
正しく自己を生命となって血となり肉とならねばならぬ。
山田  文昭

地獄は・・・。

2021-09-07
Facebook 真宗大谷派 桑名市 西恩寺(住職 池田徹)さん曰く

最期を見たいのです。

2021-09-07
Facebook 真宗大谷派 桑名市 西恩寺(住職 池田徹)さん曰く

お釈迦様の話

「経は鏡なり」(お経は鏡のようなもの)

2021-10-13
Facebook 田畑正久さん曰く
 仏教の智慧には転悪成善(悪を転じて善と成す)という働きがあります。智慧は全ての事象の中に無限の意味を見いだすのです。
 私の仏教の師は科学者でもありました。河川の水質調査に関する環境問題の研究に足跡を残されています。師の講義の中で、パルププラントは多くの産業廃棄物が出るという問題に触れたことがあります。パルプから有用な化学物質を抽出した後、恐ろしいほどの量の不要な廃棄物が出るというのです。多くの人が時間をかけて廃棄物の処理について研究したのですが、なかなか良い方法を見つけられなかったようです。
 そんな中で、ある人が思いがけない提案をしたそうです。それは廃棄物の中にミミズを大量に入れるということでした。ミミズを入れてみると廃棄物を食べて消化したのです。そしてその排泄物は有機肥料になったというのです。
 仏教の師は、これを転悪成善の一例として講義の中で紹介されたのですが、仏の智慧というのは、分別で思考すると不都合なものを有益なものに転じる働きがあります。そのためには迷っている自我意識が仏智で翻されるということが求められます。そのために仏教の学びをするのです。
 私たちは、学びとは学校で勉強して知識を増やし生きるために役立てると思っています。仏教の智慧の学びは、それとは方向が違うのです。
 法話を聞いて知識として覚えることを私有化ということができます。私有化して「その教えを私は知っている」となると、自分の身を照らす働きが鈍(にぶ)るのです。「私は知っている」と誇るような傾向がでると、教えによって身が照らされて、照らし破られて「驚く」ということがすくない傾向になります。
 知識的に学ぶのではなく、「経は鏡なり」(お経は鏡のようなもの)というように自分の姿が照らし出される鏡として受け取ることが大切です。そのためには本を読むだけでなく人を通して聞くということが要るでしょう。禅宗の道元禅師が「仏道を習うとは自己を習うなり」と言われているように、教えによって、鏡を見るように自分の相(すがた)を表面的、深層的に知らされることが大切です。「自分のことは自分が一番よく知っている」と考えるのは傲慢(ごうまん)だと仏教は教えてくれます。

公益財団法人 中村元東方研究所

2021-09-08
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ごあいさつ

慈しみの心を受け継いで

東方学院長 前田專學

  科学技術の発展を追い求めるあまり、人間の心の問題を軽視する風潮が顕著です。
科学では決して答えの出ない「如何に生きるべきか」を考えるため、東方学院は存在しています。
創立者の中村元先生はインド哲学や仏教学のみならず西洋の思想、哲学にも精通した世界的巨匠でしたが、東西の思想の蘊奥を究め尽くして最後に到達したのが慈しみの心(慈悲)でした。
「真に教えたい一人と、真に学びたい一人が集まれば学院は成り立つ」という中村先生の信念から、東方学院はいわば現代の寺子屋として出発しました。
現在は、報酬の有無を度外視して指導に当たる65名の先生方と、年齢、性別、学歴に関係なく集まった約350名の研究会員(現役大学生から90歳の方まで)が、先生の理想を継承すべく、日夜、研鑚しています。
一人でも多くの方にこの集いに加わっていただけますよう、心からお待ちいたしております。


東方学院長 前田專學

東京大学名誉教授
史跡足利学校庠主
日本学士院賞受賞
勲三等旭日中綬章受勲
パドマ・シュリー勲章受章

 http://www.toho.or.jp/

公益財団法人中村元東方研究所・東方学院
◇ 設立 1973年
◇ 創立者 中村 元
◇ 理事長・学院長 前田 專學
◇ 講師約 65名
◇ 研究会員 延べ約350名
◇ 教室 東京、関西、中部


中村前庠主は、インド哲学仏教学・比較思想の領域における国際的に著名な巨匠でした。 昭和48(1973)年東大名誉教授、文化勲章受章、海外からも数々の栄誉を得られました。2011/12/06

公益財団法人 中村元東方研究所 東方学院

2021-09-08

理念

1〈人間〉の回復をめざし
公益財団法人中村元東方研究所を母胎としてここに『東方学院』を開設しました。
『東方学院』は本学院の理想に賛同する学者個人とそのもとで学ぼうとする学徒とによって構成される共同体としてのグループの連合です。
〈個人指導の場の共同体〉とでもいうべきものをめざしています。

 

The Toho Gakuin (The Eastern Academy) was established with the hope of contributing to the restoration of human integrity.
This Academy is a cooperative body of various academic communities of scholars and students wishing to learn, in which scholars provide personal guidance to the students.
Above all, our aim is to have this Academy be the rallying point for students and scholars.


創立者 中村 元
(1912-1999)

東京大学名誉教授
日本学士院会員
文化勲章受章
勲一等瑞宝章受勲

東方学院は1973 年、インド哲学・仏教学者の中村元によって、真理追究を目的とする学問本来の姿に立ち帰り、「人間の回復」をめざして設立されました。
それから40 年余。この理念に賛同する諸方面からの支援者、協力者、また多数の優れた講師陣を迎え、多くの方々の善意と学問への熱意により支えられ発展して参りました。

東方学院設立の経緯と意義

 東方学院は、創立者中村元の東京大学退官とともに、昭和45年11月に文部省より財団設立の認可を受けた財団法人東方研究会(現、公益財団法人中村元東方研究所)を母胎として、昭和48年に設立されました。

 その大きな動機は、当時、大学に吹き荒れた学園紛争にともない、学術的には減退傾向にあり、また精神的な砂漠化のさなかにあって、学術的精神的な拠点となりうる、小さくともしっかりした学院をつくることにありました。そして学問の自由を制約することになる縄張り意識の強いセクショナリズムを廃して、真理探究を目的とする学問本来の姿を回復するためでありました。

大学の外につくることでセクショナリズムを脱し、またカルチャー・センターとも異なる一種の私塾、つまり現代の「寺子屋」として出発しました。真に教えたい一人と真に学びたい一人が集まれば学院は成り立つ―これが創立者・中村元の信念であり、まさに東方学院の原点といえます。
 幸いにも、このような考えに同調し、協力を申し出る人々が集まり、学院は開講されました。狭いビルの一角を間借りし手弁当を持ち寄って、文字どおりの「寺子屋」が始まったのです。

 しかし、財団の基盤を強固にし、学院を発展させていくためには、しっかりとした学問研究の場所を確保する必要がありました。そこで、創立者の私財をもとに、財団設立に協力して下さった篤志家の方々が、昭和57年「財団法人東方研究会強化募金運動」を開始されました。一高時代の同窓生(「昭8文乙クラス会」のメンバー)である中村敏夫弁護士をはじめとして、同じく星埜保雄、宇佐見鉄雄、倉知善一、新井正明氏らが発起人となり、その資金集めから場所の確保にいたるまで実に並々ならぬご尽力を下さいました。そのおかげで、諸方面から多数の賛同者・協力者を得ることができ、現在のこの場所を入手するにいたりました。東方学院は、これらの人々によって築かれた土台の上に、今日成り立っております。

 以来、当学院は、優れた数多くの講師を迎え、多くの方々の善意と学問への熱意によって支えられ発展して参りました。

 今後も創立者の遺志を継承し、初心を忘れることなく、ますます発展していきますことを心より念願しております。

 

公益財団法人中村元東方研究所
故名誉理事長 中村洛子
(1919 ~ 2010)

仏教の本質 哲学者「中村元」

2020-04-13
中村元は、仏教・インド哲学の巨匠。
 漢文からの翻訳が中心だった仏教研究を インドの古代思想にまでさかのぼり 初めて原始仏典を現代語に翻訳しました。


https://youtu.be/NWZtkxP3eGg

釈尊の生涯と教え

2020-04-19

データベース

真宗聖典検索 Web site

2020-04-22
東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。
このサイトは、宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業の一つとして聖教編纂室にて取り組み、開設したサイトです。東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。使用方法については、このサイトについてをご覧ください。

このサイトについて | 真宗聖典検索 Web site (higashihonganji.or.jp) 

真宗聖典(S_JIS 版)検索システム--- 生まれた意義と生きる喜びを見つけよう! ---

2020-04-22
真宗聖典(S_JIS 版 msearch)検索エンジン

 

『浄土真宗聖典』オンライン検索 浄土真宗聖典・検索システム | 原典版

2020-04-22

聖典電子研究会

2020-04-22

SAT

2020-04-22
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース


   智慧の宝庫、『大正新脩大藏經』
                        の
          第1巻から第85巻までの

      全テキストをデータベース化

 

   ttps://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

ちょっといい話

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死を恐れぬ不屈の戦闘員でありながら、常に命というものを大切にした坂井三郎。

2021-10-22
Facebook 中村信一さん曰く
太平洋戦争が始まってすぐの頃、坂井はオランダ軍の輸送機が飛行しているのを偶然発見したことがあった。
輸送機といえど、敵の重要人物が搭乗しているかもしれず、拿捕、もしくは撃墜せよという命令が出ていた。
坂井はオランダ軍の輸送機に近づいていった。  
「護衛はいないようだな・・・」
坂井は周囲に目をくばりながらつぶやいた。 撃墜すべきか警告射撃をすべきか、思案しながら近寄ることにする。
用心のため太陽の方角から接近した。近寄ると、機体は陽光にギラギラ輝いている。窓があって多くの顔が自分に向けられているようだ。   
坂井はさらに零戦を接近させた。
陽光がさしこみ暗い飛行機の内部を照らし出す。
窓を通して飛行機の内部がすみずみまで見渡せた。     
なんと機内は負傷者ばかりで、彼らは恐怖でひきつった表情でこちらを凝視しているではないか。  
彼らは鬼のような日本軍の戦闘機に飛行機もろとも撃ち落とされるかもしれないと恐怖におののいていたのだ。  
窓越しに看護婦らしき女性と5才ほどの少女が抱き合ったままおびえた表情で見つめているのも見えた。   
このとき坂井は心の中で自問自答した。
「坂井三郎。そうだ、お前は大日本帝国海軍の栄えある戦闘機乗りだ。相手が敵機なら存分に戦いもしよう。しかし負傷者と女子供の乗っている飛行機は敵ではない。お前は敵を見なかった」
坂井は自分のこの言葉に一人うなづくと、女の子と女性そして多くの負傷者たちに軽く手を振り、翼をひるがえして輸送機から離れ、大空の彼方に消えていった。 
これは軍紀からすると命令違反であったが、坂井は基地に帰ってからも飛行中に何ら敵らしきものは発見せずと報告しただけであった。
この出来事は誰にも知られることもなくこのまま過去の闇に忘れ去られるはずであった。   
ところが戦後50年もたってから、この話は多くの人々に知られることとなる。
当時その輸送機に乗っていた看護婦だった女性の一人が、偶然、坂井の著書を見て、零戦に描かれたマークから彼がそのときのパイロットだと探しあてたのである。  
「私があのとき見た飛行機の胴体にもこれと同じマークがあったわ。私たちの輸送機に近づいたのはこのパイロットにまちがいない」
彼女はそう確信すると、国際赤十字を通じて照会を依頼した。
するとまもなく事実確認がなされ、坂井だったことが判明した。
こうして運命的な出会いは実現することになった。
女性は坂井に言ったそうだ。  
「あのとき輸送機に乗っていた人々は、ほとんどが負傷者、病人、老人、女性や子供でした。みんなあなたの飛行機を見て悪魔が来たと思いました。でもあなたは笑って手を振って遠ざかっていきました。みんなは歓声をあげてそれこそ抱き合って喜びました。そして全員あなたに心から感謝したのです。あそこにいた人々は、その後、多くの家族を持ちました。あなたは多くの人々の命を救ってくれたんです。かけがえのない命の恩人なのです」
そう言って、女性はあらためて50年前のシーンを思い出すと涙を流して坂井の手をとったという。
死を恐れぬ不屈の戦闘員でありながら、常に命というものを大切にした坂井三郎。
彼のとった行為こそ、まさにサムライの真意ではなかったろうか。

人間国宝・柳家小三治のまくらの一部分をお楽しみください。

2021-10-19
2021NBC新春寄席 福岡公演
公演日:2021年1月21日(木)
2021NBC新春寄席 長崎公演  公演日:2021年1月24日(日)

矢吹丈、最後の試合 世界タイトルマッチ vs ホセ・メンドーサ戦

2021-10-15
Facebook 三浦 諭 さん曰く
矢吹丈、最後の試合 世界タイトルマッチ vs ホセ・メンドーサ戦
「あなたが、この世界一強い男と、どこまで立派に闘い抜くか、このリングの下でしっかりと見届けるわ!!」
愛するパンチドランカーの丈の命を守ろうと、試合を必死になって中止させようとしていた白木葉子、しかし、最後は丈に、この言葉を投げかけるのであった

岸田新総裁の河野太郎氏の処遇は? 田原総一朗氏「安倍さんに頭を下げられるか次第」

2021-09-30
© AERA dot. 提供 岸田文雄新総裁(左)と河野太郎氏(C)朝日新聞社
2021/09/30 07:00

 29日、自民党総裁選の投開票が都内ホテルで行われ、岸田文雄前政調会長が選出された。
一回目の投票では当初、河野太郎行政改革相が最多になるとみられていたが、結果は岸田氏が河野氏よりも一票多い256票でトップ。
決選投票では岸田氏が257票を集め、河野氏の170票を圧倒した。
この結果をジャーナリストの田原総一朗氏はどう見たのか。
河野氏や高市早苗氏の処遇、次期衆院選での勝算なども含めて聞いた。

早稲田OB首相は短命?新総裁・岸田氏は「永田町のジンクス」を覆せるか

2021-09-30
© ダイヤモンド・オンライン 提供 Photo:Pool/gettyimages

新リーダーを覆う、永田町と早稲田の「ジンクス」とは

 テレビや新聞では「昔から真面目でひたむきだった」「熱烈な広島カープファン」なんて感じで、岸田文雄新総裁の素顔を報じるなど、お祭り騒ぎをスタートさせているが、永田町では早くも「首相のジンクス」を心配する声が聞こえている。

 まず、よく言われているのが、「長期期政権後は短命」というものだ。これは昨年、菅義偉首相が総裁選を制した時にも真っ先に言われていたが、実は今回にも当てはまってしまう。長期政権後は短命政権が最低2度は繰り返す、というのがこれまでの傾向だからだ。

ちょっと気になる絵

別府からBEPPUへ・・・・

2021-10-21

『ひょっこりひょうたん島』

2021-10-20
Facebook 高村雪子・Syokoさん曰く、ドン・ガバチョさんしか名前覚えてなかったけど、釘付けになって観てました!

花押

2021-10-20
Facebook SignatureJapanサイン普及協会さん曰く
花押は名前を一つの文字として図案化したもの、自らの風格、意志などを込める古来のサイン。芸術的で美しい、和の心を体現する大切な日本文化の一つ。

「2021世界体操・新体操選手権北九州大会」のメダルリボンに起用されました小倉織

2021-10-08
Facebook 小倉織「縞縞SHIMA-SHIMA」さん曰く、小倉織の生地をご紹介いただきます。

Facebook 新作能「沖宮」公演実行委員会

2021-10-02

ちょっといい音

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The Three Tenors in Concert 1994: Brindisi

2021-07-19
("Libiamo ne' lieti calici") from La Traviata

The 3 Tenors O Sole Mio 1994

2021-07-19
Bryan Adams & Luciano Pavarotti - 'O Sole Mio

Louis Armstrong - What A Wonderful World

2021-07-19

Sarah Brightman & Andrea Bocelli - Time to Say Goodbye (1997) [720p]

2021-07-19
サラ・ブライトマン & アンドレア・ボチェッリ - さよならを言う時間 (1997) [720p]
In November 1996, Andrea and Sarah Brightman were invited to perform the duet 'Time To Say Goodbye (Con Te Partirò)' at the farewell contest of the German World Light-Heavyweight boxing champion, Henry Maske. A national hero held in unrivaled esteem, he is known for his love of selecting entrance themes to his bouts. Sarah Brightman, the internationally renowned soprano and friend of Henry Maske heard 'Con Te Partirò' in a restaurant while dining with her friends. Entranced by the singer and the song, Brightman made contact with Andrea. Andrea and Brightman re-recorded 'Con Te Partirò' as the duet 'Time To Say Goodbye' with members of the London Symphony Orchestra.  This live version is from Brightman's first full concert recording, "Sarah Brightman: In Concert", from London's Royal Albert Hall with the London Symphony Orchestra under the direction of Paul Bateman. Guest artists include Andrew Lloyd Webber, Adam Clark and Andrea Bocelli. The concert was released to video in 1998. The concert was directed by David Mallet.

世界と日本

2021-07-14
兼高かおる世界の旅 OP

Victor Young 映画「80日間世界一周」 Around the world

新日本紀行「葛飾 ~東京~」1968年

ちょっと気になる逸品の世界

“明治/大正/昭和/平成/令和に連なる余部橋梁”

2021-10-21
Facebook Discover Doboku 日本の土木再発見さん曰く
-鋼トレッスル橋はエクストラドーズド橋に代替わりした-

日本民藝館

2021-10-21
1936年竣工、柳宗悦設計の日本民藝館。外観と展示室は和風意匠を基調としながらも随所に洋風が見られます。本館の前には柳が没するまで暮らした西館も

京都市京セラ美術館(京都市美術館)

2021-10-21
撮影:来田猛

10月20日 は 、 #早稲田の記念日 です。

2021-10-20
Facebook Waseda Universityさん曰く、1927年の本日10月20日 は #早稲田大学 を象徴する #大隈記念講堂 が竣工した。
1927年の本日10月20日 は #早稲田大学 を象徴する #大隈記念講堂 が竣工した #早稲田の記念日 です。#大隈重信 の志を継いで建設が行われ、関東大震災での中断や資金難等の困難を経て完成したのち2007年に国の重要文化財に指定されました。優しく荘厳な佇まいは今も健在です。

\太平洋を越えた初めての機体/ 「DC-6B型機」

2021-10-18
Facebook JAPAN AIRLINES (JAL)さん曰く
\太平洋を越えた初めての機体/
「DC-6B型機」
JALの歴史と共に時代を彩った飛行機を振り返るシリーズ、
第3回はプロペラ機として頂点を極め、傑作機といわれた「DC-6B型機」。当時機材としての信頼性はもとより機内を与圧することで快適性が増し、特に国際線において初期のJALを支えた存在です。
1954年2月にDC-6B型機「City of Tokyo号」が戦後の国際線定期便の第一便として、東京羽田空港からサンフランシスコへ飛び立ちました。
当時はまだ飛行機の性能上、太平洋を直行することはできませんでした。ではどのように渡ったのかというと、給油のため途中でウェーキ島という島に寄り、さらにホノルルを経由して目的地へ向かっていました。
ウェーキ島寄港の目的は「給油」でしたが、朝方に到着することから、搭乗されたお客さまはその束の間の寄港で朝食を楽しまれていました。給油の合間に朝食をとるというのは、今ではあまり想像できないかもしれませんね
運航した飛行機一機一機にさまざまなエピソードや人々の想いがあります。
本シリーズをきっかけに、皆さまと一緒にJALの歴史に想いを馳せることができましたら幸いです

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2021-06-06
大分県日田市の願正寺のホームページ (ganshoji.com)
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