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ちょっといい話

仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】

帰依三宝

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
「全戦没者追弔法会2021」で焼香される修如上人

六字名号、金子大栄先生の御染筆です。

2021-08-30
Facebook 阪下大介さん曰く

◎飛鳥の王権と聖徳太子

2021-05-24
Facebook佐々木信雄さん曰く
6th Century Chronicle 581-600年】
6th Century Chronicle 581-600年】
◎飛鳥の王権と聖徳太子
*585/ 敏達天皇が没し、用明天皇が即位する。
*587/ 用明天皇が没し、崇峻天皇が即位する。
*587/ 蘇我馬子が穴穂部皇子を殺害し、さらに物部守屋を滅ぼす。
*592.12.8/ 蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇に代わって、推古天皇が即位する。
*593.4.10/ 聖徳太子(厩戸皇子)が国政に参画する。
 585年、「敏達天皇」崩御を受け「用明天皇」が即位する。蘇我稲目の孫でもある用明天皇は崇仏派であり仏法を重んじたが、在位2年足らずの587年に、用明天皇は崩御した。後継問題で、大連の物部守屋は「穴穂部皇子」を即位させようとはかるが、蘇我馬子は穴穂部皇子を殺害し、さらに物部守屋をも射ころさせ、物部氏を滅亡に追い込む(丁未の乱)。
 蘇我馬子によって「崇峻天皇」が即位するが、実権を馬子が握られている不満から反発しだすと、馬子は計略で暗殺してしまった。その馬子に請われて、先々代敏達天皇の皇后であった額田部皇女が、592年、史上初の女帝として即位、「推古天皇」(39歳)となる。
 593年、用明天皇の子で甥の厩戸皇子(聖徳太子)を、皇太子として国政を補佐させる。推古天皇は、皇太子厩戸皇子と大臣蘇我馬子の勢力の均衡を保ち、馬子が葛城県の支配権を望んだ時も、毅然とこの要求を拒絶したという。
 推古女帝のもと、聖徳太子は蘇我馬子と協調して、冠位十二階(603年)・十七条憲法(604年)を次々に制定し、法令や組織の整備を進めた。また607年には、小野妹子を隋に派遣(遣隋使)し、中国皇帝に日本の独立性を示した。
 594年推古天皇は、三宝(仏・法・僧)を敬うべしという詔勅(三宝興隆の詔)を示し、太子や馬子と共に仏法興隆に努め、斑鳩に法隆寺を建立させるなど仏教を奨励した。620年、聖徳太子と馬子は「天皇記」「国記」を編纂して、国の歴史を記した。
 622年に太子が49歳で薨去し、更に4年後の626年、蘇我馬子も亡くなる。そして628年、推古天皇は75歳で崩御した。推古天皇は継嗣を定めていなかったため、馬子の後を受けた蘇我蝦夷は、後継候補の田村皇子と山背大兄王から、田村皇子を擁立して「舒明天皇」とした。
 こうして政治の実権は、蘇我蝦夷・入鹿父子に握られ、入鹿は聖徳太子の子「山背大兄王」を攻めほろぼしてしまう。これを皇統政治の危機と見た中大兄皇子や中臣鎌足は、入鹿を殺し「大化の改新」を開始する。ここに飛鳥のヤマト政権は、大きな転換期をむかえることになる。
(この時期の出来事)
*598/ 蘇我馬子が飛鳥寺(法興寺)を発願して建立をはじめ、593年塔の心礎に仏舎利を納める。
*593/ 難波に四天王寺が建立される。
*594/ 三宝興隆の詔が出され、諸氏が競って寺を建立する。

『香月院語録』 法蔵館

2020-05-05
大谷派の教学は、学寮での宗学をその源流とします。
香月院深励師似影(永臨寺所蔵)

大学寮歴代講師について

2021-07-13

仰せを蒙りて【音声・映像データ編】

真宗大谷派東本願寺【公式】 - YouTube

2021-04-06
法要をズーム・イン、法話はリプレイができます。

ラジオ放送『東本願寺の時間』

2020-12-08

20210613淨妙寺親鸞教室法話会

2021-09-17
一楽真師「この世の利益きわもなし」鈴木君代師ミニコンサート

2021年6月13日(日)13:3016:00 
真宗大谷派 淨妙寺親鸞教室法話会を
YouTube配信のみで開催しました。
 講題 「この世の利益きわもなし」 
 講師 一楽真師(大谷大学教授) 
◆先生からのメッセージ 
「南無阿弥陀仏をとなうれば この世の利益きわもなし」 親鸞聖人がお作りになった「現世利益和讃」のお言葉です。念仏もうすならば、今生きている現在に限りない利益があると言われます。この親鸞聖人からの呼びかけが実感をともなって受けとめられるでしょうか。念仏してもたよりないとか、念仏に何の意味があるのか、そんな声が聞こえてきそうです。ご一緒に尋ねたいと思います。 
法話後 鈴木君代さんのミニコンサートがあります。

真宗本廟報恩講 報恩講法話(2016年11月27日 沙加戸弘氏)

2021-09-17

2016年11月27日の「真宗本廟報恩講 報恩講法話」では、沙加戸弘氏(擬講・京都教区)にお話いただきました。  
【報恩講法話】 
真宗本廟報恩講では、門徒による感話と僧侶による報恩講法話が行われます。
宗祖親鸞聖人の御真影の前で信を問い、仏法に出遇わせていただくためのものです。

真宗本廟報恩講 祖徳讃嘆(2015年11月28日 小川一乘氏)

2021-09-17

2015年11月28日の「真宗本廟報恩講 祖徳讚嘆」では、小川一乘氏(真宗大谷派講師・大谷大学名誉教授)にお話いただきました。 
【祖徳讃嘆】
 祖徳讃嘆(そとくさんだん)は、念仏の教えを顕らかにされた宗祖親鸞聖人の恩徳を讃嘆し、その教えをいただく場として、毎年、祥月命日である11月28日に行われます。

仰せを蒙りて【文字データ編】

『自己に背くもの』      プログ唯識に学ぶ・誓喚の折々の記より

2020-05-07
八番問答講話  安田理深述

    - 『自己に背くもの』 -

     八番問答講話  安田理深述 (3)

 「本願成就」

  答曰案王舎城所説「無量寿経」。「仏告阿難。十方恒沙諸仏如来。皆共称嘆無量寿仏威神功徳不可思議。諸有衆生其名号信心歓喜乃至一念至心回向願生彼国即得往生住不退転唯除五逆誹謗正法」

 (答えて曰く、王舎城所説の『無量寿経』を案ずるに、「仏阿難に告げたまわく、十方恒沙の諸仏如来、皆共に無量寿仏の威神功徳不可思議なるを称嘆したまう。諸有の衆生、其の名号を聞て、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまえり。彼の国に生ぜんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住せんと、唯五逆と正法を誹謗するをば除くと。)

 と引用してある。これはまあ教行信証をみているとか、法門にいる人にはこの言葉は大無量寿経においていかに重要であるかが判っているけれども、門外にいる人はそうは思わないかもしれないので、どうも面倒なことである。近代人のわれわれは直接経典を見るというようなことはできないのである。歴史を離れてあるものならばとも角、その歴史というものを離れて大無量寿経というものはない。経典は自己の歴史をもっている。歴史を離れて経典というもそれは生命を持たぬ。この語は大経下巻の始めに出る第十八願成就の言葉である。ところが第十八願の言葉は諸有衆生からであるが、その前は第十七願成就の言葉である。これはなかなかやかましいところであるが、ここは第十七願にはさして重要な意義というものはないと思う。そのわけはよく文章を見ると十七願の成就は、句を分ければ十七願成就の文と十八願成就の文と分けれ必要かもしれぬが、生きた文章として見るとき、それと十八願成就の文とははなれたものではない。事実からいってもそうである。因位の本願からは十七・十八願を区別しても、成就するところに即ち信仰体験の上ではばらばらであるわけのものではない。成就は体験であり、体験の上では事実として一つである。

 その因位の本願の上では第十七・第十八の願はそれぞれに独自の原理、意義を持っている。成就では一つ、第二十願をも加えて三願の成就が一つになっている。そういうことは意義の深いことである。しかしここで十七願の成就文が曇鸞の引用中に出ているが、その十七願の意義を始めて明らかにされたのが教行信証である。十八願、二十願、十二願、十三願の大事なことは曇鸞大師を通して見出されていたのであるが、なお十七願の意義は見出されておらぬ。十七願の文章はあってもその意義は見出されておらない。それは頭が悪いというわけではなく時機純熟しないからである。時機が到来しない。その十七願の意義を明かす時機が親鸞において来た。十七願の意義は教行信証の意義の半分を尽くすというも過言ではない。十七願はみたところ、一向に大した願と見えず、何か諸仏がオーケストラをやっているようであり、一向捕らえようのない願である。第十七願は第十八願を讃える補助的願、即ち独自性を持たない願のようである。教行信証に来て始めて十七願は大行の願として、念仏というものを自ら称えしめる原理として、十八願を十方世界に行ぜしめる願という意義を見出して来たのである。かかる実践の行であり、そこに重誓の偈、本願を本願する誓いを十七願の上に見出して来た。本願の念仏は十七願の上に成立する。十七願の意義はどうしても親鸞の教行信証をまたねばならぬ。ここでは十七願の意義ということはいらないと思うのでああるが、ここに諸有衆生聞其名号信心歓喜の「其の」とは前にいってあることを指す代名詞であり、上に出る十七願成就を受けているのである。十七願というものを出さなければ、其のということが判らない。直接には十七願成就文は必要ではないが、必要なのは十八願成就文であるが、それは十七願成就文から不可分に続いている。しかしさしあたりここで必要なのは

 諸有衆生聞其名号信心歓喜乃至一念至 心回向願生彼国即得往生住不退転唯除五 逆誹謗正法

 という本願成就の言葉であるといわれている。

 大無量寿経は四十八願を説かれた経である。そして単に如来の本願を説いた経であるばかりでなく、その本願の成就を説いてある。もしそうでなければ物語を説いているにすぎない。だから大無量寿経のなかに大無量寿経によって救われた体験があわせて述べられてある。大無量寿経は阿弥陀仏の本願に救われた人がその救いの体験を通して、その救われた体験に即して救いたまう本願を説いた。これが大無量寿経というものである。その因願のなかには十方衆生というたある。それは十方衆生、ただ十方衆生といってあるが、それは誰だか判らない。本願はそれだけであるが、主観的なもの、観念で終わってしまう。それが本願成就文のところでは諸有衆生となっている。法は機をまたぬとただ観念的な存在として終わってしまう。やるせない本願としてあるものである。機をまって始めて本願が行となる。生活となる。行というものが生きている証拠である。救われたか救われぬかの証拠は行である。行があるかないか、行がないと安心も成り立たぬ。行が願である。願というところでは非常に深いが微かなもの、願が行というところに力となる。現実のわれわれの上に願というときはわれわれを離れる。それがわれわれの上に成就する。それを行という。本願が空中に成就するということはない。本願がわれわれの上に成就してわれわれを転廻する。本願がわれわれの上に来ってわれわれを招喚し摂取する。変革する。そこに歴史的、運動というものがある。因位の本願では十方衆生といってあり、成就の文では諸有衆生といってある。十方の衆生ではただの衆生ということと同じであるが、それが機というものをおさえてくるところに諸有衆生と具体化されて来たのである。

『自己に背くもの』安田理深述(19)変革の成就  プログ唯識に学ぶ・誓喚の折々の記より

2020-05-07
八番問答講話 安田理深

政治や経済をいかに改めても自己は同じであって変わらない。ところが夢から覚めれば必堕無間が必得往生になる。絶対的生産的行為である。社会改造ということは、五逆罪は社会的罪であり、謗法は個人的事件にすぎぬと考えているけれども、実はそれは逆で宗教の世界と社会の世界とは違う。一瞬一瞬に驚天動地がある。社会変革は大事件のようであるが、たかがしれている。結局それは人間がやっていることである。人間のすることは限界がしれている。これは非常にありがたいことであるが、信仰認識が他の認識といかに違うか、即ち夢から覚めたというの偉大な特徴である。そこに認識の確実性、真理性、実在性をともなってくる。明覚知証が同時に遠離の変革をともなう変革の認識である。頭は解ったが腹はふくれないということはない。闇と光とはそういう対立である。こういう点譬が大切で親鸞聖人でもそうであるが、インドでは譬はふつう説得術としてあり、論義学の意義をもっている。譬喩を大前提であらわす、たとい・・・・・何々の如し、全て作られたものは滅するというのを作られたるが如し・・・・・という。譬が非常に大事である。譬を大前提であらわす。 「凡ては死す」 ということは直覚的自明な真理である。直覚性が譬喩をとって、そこでは論理は要らない。正信偈に、譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 といってあるが、あれは親鸞聖人の会心の作である。親鸞聖人の得意なところである。これはここの千歳の闇室と連関がある。信仰認識をいかに捉えたかというと日光である。 「譬えば日光の雲霧に覆わるれども雲霧の下明らかにして闇無きが如し」 こういう譬は信仰を外から模索しているような立場では出てこない。ここで大切なことは信仰の光によって 「雖」 「にもかかわらず」 ということが大事な点である。闇はないけれども雲霧はある。闇が晴れたことは夜の明けたことである。夜が明けておれば必ずしも晴天でなくとも、曇天であってもさしつかえない。もし夜が明けたことが晴天ならば、信心を頂いたことは成仏で凡夫ではない。信心が頂けたからといって貪愛瞋憎雲霧即煩悩がなければ仏になったのである。そうなると 「怪しく候いなまし」 となる。もう腹はたたないという人があるか。煩悩があってもさしつかえない。疑惑があっても無明があってもよいというがそれは逆であり、根本的な誤解である。くもっていることが直ちに夜だと思っているが、実は雲が見えたということは実は夜が明けた証拠である。雲が見えることは自分が見えることである。自分が見えることが夜が明けた証拠である。ここに親鸞聖人の譬は他力廻向の信心においては雲の有無は問題でない。夜が明けたか、明けぬかということが問題である。雲があってもいっこう障りではない。 「悪も恐れなし」 という現生不退の譬喩で語っている。これは親鸞聖人の得意なところであろうと思われる。業というものが暗いということは夜がまだ明けていない証拠である。業というものを実体化し運命化しているからである。本当に深い業というものは夜が明けている。そこに煩悩が頂ける。 「悪も恐るべからず」 というのは既に転悪成善している。転じないのは実体化しているからである。それが十念の念仏によって消えるという。煩悩が頂けるという。だからよく 「信仰を頂けば光は光自身を顕すとともに闇をあらわす。光を頂けば益々深い闇が頂けるという。そんなことはないと思う。知ればなくなるのが闇であると思う。そうでなければ暗いのが信仰の状態であると思うことになる。夜が明けるということは自力我執の心が折れたことである。自力我執の心、頭をあげていると悪作であり、頭を下げないのは悪むものがあるからである。頭は実践理性である。実践理性が五逆罪を悪む。頭を下げれば煩悩自身が頭をさげてくる。人に妨げられるのは人を妨げているからである。自力我執の心が砕かれれば煩悩自身が喜んでくる。煩悩自身が随喜してくる。

 

 在縁、妄想に依止しては在心という。虚妄顛倒の見である。 「この十念は無上の信心に依止して阿弥陀如来の方便、荘厳、真実、清浄、無量功徳の名号に依りて生ず」 無上の信心は 「善知識の方便安慰して実相の法を聞かしむるに依りて生ず」 とあるが、その無上の信心は第一の在心をいうのである。 「阿弥陀如来の方便、荘厳、真実、清浄、無量功徳の名号」 を在縁という。在心は信心、在縁は名号である。これは何かといえば、五逆罪は父を殺し、母を殺し・・・・・そういうものは煩悩の虚妄果報、果報であるところの煩悩によって衆生を対象として行われた罪悪というものは父を殺し、母を殺し・・・・・即ち五逆を犯した衆生、煩悩果報の衆生である。衆生を所縁として起こった。罪は誰かを所縁として起こされたものでる。所縁とは対象である。阿闍世が父を殺し、提婆は仏から血を出したというが、仏といっても提婆は仏を見ているのではない。仏というのは身体があったり、いろんなことを行為したりしている。五逆に立てば仏も衆生である。日本人は天皇を神といってきたが、神はご飯を食べないのか、食べなければ天皇も死ぬ。死ぬならば天皇は神でない、というのは愚直である。ああいう飯を食ったりしているものを神といっているのではない。位をいっているのである。人間だけを見ていれば子供もある。煩悩果報の衆生である。しかし仏や天皇は殺されるものではない。だからわれわれの殺すことができるものを衆生というのである。殺すことのできぬ、否定し得ないものを名号という。ここにも譬喩がある。首楞厳経にある名号を聞く功徳を滅除薬の鼓を聞くに譬ている例を出してある。

 

 此の十念は無上の信心に依止し阿弥陀如来方便・・・・・・名号に依りて生ず 譬ば人有りて毒の箭を被って中る所筋を截り 破骨滅除薬の鼓を聞けば即箭出て毒除こるが如し。あに「彼の箭深く毒厲しからん、鼓の音声を聞くとも箭を抜き毒を去ることあたわじ」と言うことを得べけんや。これを「在縁」と名づく。(真聖p275・信巻)

 

 名号を聞くと鼓の音を聞いて毒箭が除かれるように、三毒の箭は自然に除こる。例えば薬で病を癒すというが、それは病の征服に薬というのは人間解釈である。世のなかは直す者もなければ癒すものもない。薬品は意志をもっていない。病気も苦しめようとしていない。素直に病気になっている。そうなるべくして成っている。自然に病気の現象があるばかりである。だから癒るのは別に癒すものなくして癒る。それが根本的事実である。癒すとか癒さないとかということは後から加えた解釈である。念仏を聴聞すれば正しい道理が知らされる。正しい道理でわれわれは救われるのである。仏に救われるというのは間違いである。そういうことをいうと判らぬが道理に助けられる。仏という人に助けられるのではない。自然の道理に救われる。道理は癒す意志があるわけでない。本当の絶対現実に帰ってゆく。そこに決定がある。罪の意識というものは有後心、有間心である。後がある心、間の有る心である。間とは間雑である。外のものが交わってくる。念仏の信心とは違う。信心の無後心、無間心である。人間がいかに頑張っても本質的にまが抜けている。空虚がある。弱い心である。ところが念仏の信心はそれ自身最後の心である。自力の最後の心である。自力の最後のところ、自力の終わるところに念仏の信心がある。こういうところに決定ということがいわれている。兎に角、在心・在縁・在決定と三つを通じて質が違うということをいっている。

 

 念仏とか信心とかいっても一念というところにはっきりする。信行という事実に触れてくるのである。この場合時間でない、のみならず意識的時間でない。ふつう考えられる時間は意識的時間である。空間に翻訳した時間である。存在的時間である。それに対してあるものは現在である。過去としてあるものは記憶である。現在において繋留したものである。永遠の今はまだ意識的時間である。一年は行為的時間である。だから時節を問わぬ内容をもっている。なるほどというとき、多刹那にわたって一つの行事成弁という。一つの事実がそれによって完成するのを一念というのである。一刹那をもって完成するとき一念という。信仰のもっている行為的時間である。空前絶後のときであり、無始以来の自己、曠劫来死んでいる自己が新しく生まれるときである。それが本願のできごとである。十念といってあるが、十という数を知れることが既に反省しているでないか。反省していれば一心一向になっていないでないか。一心一向になったら数えられないであろうと。

 

 ひぐらしは夏生まれて夏死んでしまう。ひぐらしは春秋を知らず、従って夏も知らない。夏といっているのは人間である。十念もわれわれは知らない。十念は仏の知っていることである。

 

                                 (完)

信心為本

2021-06-23
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
1054 
念仏の要は信心だということが、
親鸞だけでなく法然教団の共通の課題であった。
それが『歎異抄』をみても分かりますね。
念仏為本という言葉は法然上人の言葉ですが、
念仏為本をやめて、
その代わりに信心為本を立てたのではないでしょう。
それなら、とんでもない間違いになる。
念仏を否定して信心を立てたのではないのです。

田畑先生の投稿

2020-12-31
善知識:細川巌先生のことば
我々は仏法をいただき南無阿弥陀仏に遇わせていただくが決してエリートではない。
何か出来上がった優れた存在になったと思ってはならない。
    群萌に徹して行くということ。
そこに自己を知るという事がある。
そうして与えられた南無阿弥陀仏が最上無上の法であることを、いよいよ深く知ることが釈尊の本願に順じて行く道である。
    極悪最下の自己と目覚めて最上の法を仰ぐ、このようになるのが仏法の中心点である。
群萌と目覚めて最上の法を生きることができる。
それが私の本当の生き方であると教えられているのである。
                 細川巌 著「教行信証教巻講義3」p.288より

人間は何のために生きるのか?

2020-08-02
Facebook 田畑 正久さんより
大分合同新聞医療欄「今を生きる」第380回
(令和2年5月18日掲載)医療文化と仏教文化(206)
臨床の現場では進行癌のため回復が望めなくなり、種々の苦痛に対して緩和ケアを受けている患者さんがいます。その人達から発せられた「私は死ぬために生きているのですか」「良い生活はしてきたけれど、本当に生きたことがない」というような、いわゆる魂の苦悩が「スピリチュアルな痛み」と表現されています。このスピリチュアリティ(spirituality)に相当する適切な日本語がないために、そのまま外来語として使われています。
人間として生れて、病苦の中で生きていく意味を見いだせず、死によって自分の生きてきた過去が無になってしまう虚しさを感じての表白でしょう。
将来の希望に燃えている時には問題にならなくても、現代の医学が準拠する科学的合理思考では、治癒不可能な病状に直面した人が生きる意味を見出すことは困でしょう。腎臓ガンのために49歳で亡くなった従兄弟の「明るい未来が見えない、ということは居たたまれないんだ」という言葉が耳に残っています
唐の時代に中国浄土教を確立した善導大師は、「自らの業識(ごっしき:生まれたいという自分の意志)を内因として、父母の精血を外縁として、因縁(内因と外縁が)和合して私は人間に生まれた」と言っています。自らの愚かさに目覚める者はそれまでの迷いの連鎖を知らされ、その迷いを超えるために人間に生まれ仏教に出遇って、迷いから解脱するために、この世に生を受けたと頷けるのです。それなら、生きる意味というのは迷いを超えて動物的な「ヒト」から人間になり、迷いを超えた仏に成るという意味として受け取れるようになるでしょう。
しかし科学的合理思考では「私の人生は一回だけなので死んだら終わり。だから、生きているうちに、楽しいこと、心地よいことをするしかない。私が幸せになることが、人生の目的である」というように、虚無主義と快楽主義と個人主義が複雑に絡みあった人生観になります。そして「私たちの世界はすべて物質に還元可能で、生命を構成する物質が集積したときに「生」があり、それが分散したときに「死」がある。
ただそれだけのことで、生きていることに意味はありません。生きていること自体に意味がないのに、その質(Q.O.L、quality of life)を問う必要はないという唯物論的な近代科学の見方が追い討ちをかけるのです。

ちょっと気になる言葉(お寺の掲示板等より)

山田文昭先生のことば

2021-09-18
Facebook 阪下大介さん曰く
仏法を聞くということは、
耳に聞くだけでなく、又知り覚えることでもない。
身に得ることである。
正しく自己を生命となって血となり肉とならねばならぬ。
山田  文昭

地獄は・・・。

2021-09-07
Facebook 真宗大谷派 桑名市 西恩寺(住職 池田徹)さん曰く

最期を見たいのです。

2021-09-07
Facebook 真宗大谷派 桑名市 西恩寺(住職 池田徹)さん曰く

本へ持って、街へ出よう・・・。

2021-09-07
Facebook 真宗大谷派 桑名市 西恩寺(住職 池田徹)さん曰く

ものは、はっきり言おう

2021-09-07
Facebook 真宗大谷派 桑名市 西恩寺(住職 池田徹)さん曰く

お釈迦様の話

公益財団法人 中村元東方研究所

2021-09-08
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ごあいさつ

慈しみの心を受け継いで

東方学院長 前田專學

  科学技術の発展を追い求めるあまり、人間の心の問題を軽視する風潮が顕著です。
科学では決して答えの出ない「如何に生きるべきか」を考えるため、東方学院は存在しています。
創立者の中村元先生はインド哲学や仏教学のみならず西洋の思想、哲学にも精通した世界的巨匠でしたが、東西の思想の蘊奥を究め尽くして最後に到達したのが慈しみの心(慈悲)でした。
「真に教えたい一人と、真に学びたい一人が集まれば学院は成り立つ」という中村先生の信念から、東方学院はいわば現代の寺子屋として出発しました。
現在は、報酬の有無を度外視して指導に当たる65名の先生方と、年齢、性別、学歴に関係なく集まった約350名の研究会員(現役大学生から90歳の方まで)が、先生の理想を継承すべく、日夜、研鑚しています。
一人でも多くの方にこの集いに加わっていただけますよう、心からお待ちいたしております。


東方学院長 前田專學

東京大学名誉教授
史跡足利学校庠主
日本学士院賞受賞
勲三等旭日中綬章受勲
パドマ・シュリー勲章受章

 http://www.toho.or.jp/

公益財団法人中村元東方研究所・東方学院
◇ 設立 1973年
◇ 創立者 中村 元
◇ 理事長・学院長 前田 專學
◇ 講師約 65名
◇ 研究会員 延べ約350名
◇ 教室 東京、関西、中部


中村前庠主は、インド哲学仏教学・比較思想の領域における国際的に著名な巨匠でした。 昭和48(1973)年東大名誉教授、文化勲章受章、海外からも数々の栄誉を得られました。2011/12/06

公益財団法人 中村元東方研究所 東方学院

2021-09-08

理念

1〈人間〉の回復をめざし
公益財団法人中村元東方研究所を母胎としてここに『東方学院』を開設しました。
『東方学院』は本学院の理想に賛同する学者個人とそのもとで学ぼうとする学徒とによって構成される共同体としてのグループの連合です。
〈個人指導の場の共同体〉とでもいうべきものをめざしています。

 

The Toho Gakuin (The Eastern Academy) was established with the hope of contributing to the restoration of human integrity.
This Academy is a cooperative body of various academic communities of scholars and students wishing to learn, in which scholars provide personal guidance to the students.
Above all, our aim is to have this Academy be the rallying point for students and scholars.


創立者 中村 元
(1912-1999)

東京大学名誉教授
日本学士院会員
文化勲章受章
勲一等瑞宝章受勲

東方学院は1973 年、インド哲学・仏教学者の中村元によって、真理追究を目的とする学問本来の姿に立ち帰り、「人間の回復」をめざして設立されました。
それから40 年余。この理念に賛同する諸方面からの支援者、協力者、また多数の優れた講師陣を迎え、多くの方々の善意と学問への熱意により支えられ発展して参りました。

東方学院設立の経緯と意義

 東方学院は、創立者中村元の東京大学退官とともに、昭和45年11月に文部省より財団設立の認可を受けた財団法人東方研究会(現、公益財団法人中村元東方研究所)を母胎として、昭和48年に設立されました。

 その大きな動機は、当時、大学に吹き荒れた学園紛争にともない、学術的には減退傾向にあり、また精神的な砂漠化のさなかにあって、学術的精神的な拠点となりうる、小さくともしっかりした学院をつくることにありました。そして学問の自由を制約することになる縄張り意識の強いセクショナリズムを廃して、真理探究を目的とする学問本来の姿を回復するためでありました。

大学の外につくることでセクショナリズムを脱し、またカルチャー・センターとも異なる一種の私塾、つまり現代の「寺子屋」として出発しました。真に教えたい一人と真に学びたい一人が集まれば学院は成り立つ―これが創立者・中村元の信念であり、まさに東方学院の原点といえます。
 幸いにも、このような考えに同調し、協力を申し出る人々が集まり、学院は開講されました。狭いビルの一角を間借りし手弁当を持ち寄って、文字どおりの「寺子屋」が始まったのです。

 しかし、財団の基盤を強固にし、学院を発展させていくためには、しっかりとした学問研究の場所を確保する必要がありました。そこで、創立者の私財をもとに、財団設立に協力して下さった篤志家の方々が、昭和57年「財団法人東方研究会強化募金運動」を開始されました。一高時代の同窓生(「昭8文乙クラス会」のメンバー)である中村敏夫弁護士をはじめとして、同じく星埜保雄、宇佐見鉄雄、倉知善一、新井正明氏らが発起人となり、その資金集めから場所の確保にいたるまで実に並々ならぬご尽力を下さいました。そのおかげで、諸方面から多数の賛同者・協力者を得ることができ、現在のこの場所を入手するにいたりました。東方学院は、これらの人々によって築かれた土台の上に、今日成り立っております。

 以来、当学院は、優れた数多くの講師を迎え、多くの方々の善意と学問への熱意によって支えられ発展して参りました。

 今後も創立者の遺志を継承し、初心を忘れることなく、ますます発展していきますことを心より念願しております。

 

公益財団法人中村元東方研究所
故名誉理事長 中村洛子
(1919 ~ 2010)

仏教の本質 哲学者「中村元」

2020-04-13
中村元は、仏教・インド哲学の巨匠。
 漢文からの翻訳が中心だった仏教研究を インドの古代思想にまでさかのぼり 初めて原始仏典を現代語に翻訳しました。


https://youtu.be/NWZtkxP3eGg

釈尊の生涯と教え

2020-04-19

涅槃交響曲

2021-06-08
黛敏郎追悼コンサート:涅槃交響曲
https://youtu.be/IUnAHyZD_d4

作曲:黛敏郎 
指揮:岩城宏之 
演奏:東京交響楽団 東京混声合唱団 
1998年7月2日 サントリーホールにて
https://youtu.be/3NwHcUJNgsU
黛敏郎作曲「スポーツ・ニュースのための音楽」 
「題名のない音楽会」 
特集「スポーツの秋」 
秋山和慶指揮東京交響楽団 
黛敏郎氏のかわいい姿です

黛敏郎 創作の世界


データベース

真宗聖典検索 Web site

2020-04-22
東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。
このサイトは、宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業の一つとして聖教編纂室にて取り組み、開設したサイトです。東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。使用方法については、このサイトについてをご覧ください。

このサイトについて | 真宗聖典検索 Web site (higashihonganji.or.jp) 

真宗聖典(S_JIS 版)検索システム--- 生まれた意義と生きる喜びを見つけよう! ---

2020-04-22
真宗聖典(S_JIS 版 msearch)検索エンジン

 

『浄土真宗聖典』オンライン検索 浄土真宗聖典・検索システム | 原典版

2020-04-22

聖典電子研究会

2020-04-22

SAT

2020-04-22
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース


   智慧の宝庫、『大正新脩大藏經』
                        の
          第1巻から第85巻までの

      全テキストをデータベース化

 

   ttps://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

ちょっといい話

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“体験し触れあう”天皇陛下とパラスポーツ

2021-09-20
8月24日 東京パラリンピック開会式 写真:ロイター/アフロ
NNN24 2021/09/20 08:59

天皇陛下は8月24日、東京パラリンピックの開会式を前にパーソンズ会長らIPC関係者10人を皇居に招き、面会されました。陛下は、コロナ禍での選手や支える人たちの努力に敬意を示し、パラリンピックの意義などを「この大会を機に、わたしたちが、障害がある人もない人も、お互いを尊重し思いやることをこれまで以上に大切にしながら共に生きていく社会づくりが進んでいくことを願います」と、英語で述べられました。陛下はこの夜、国立競技場で開会式に臨み、開会を宣言されました。

――陛下のお言葉をどのように聞かれましたか 

陛下のお言葉には、力こぶを入れて訴えるような「力み」がないと感じました。平成の30年間、両陛下は障害者スポーツ大会に足を運んでアスリートを見守り、時には愛子さまも交えて、車いすバスケを観戦して選手たちと触れ合ってこられました。こうした経験が生きていると思います。

――実際にパラスポーツの体験もされているそうですね

2018年には、今回、東京パラリンピックで金メダルに輝いた視覚障害マラソンの道下美里選手の「伴走」を赤坂御用地内でされました。これは園遊会で、道下選手から「ご一緒する機会があれば」と言われ、陛下が応じられたものです。陛下は「2メートル先にマンホールがあります」などと声をかけながら伴走したそうですが、事前に書物を読んだり映像を見たりして研究されたそうです。後に会見で「伴走の方がどのように選手をリードされているかわかり、大変いい経験になったと思います」と振り返られています。

――園遊会での言葉がきっかけでこのように実行されたんですね

こういう1回1回の触れあいを大切になさるんだと思います。 

――一緒に走られた経験があるからこそ今回の道下選手の活躍にも喜びもひとしおだったでしょうね

陛下のお言葉は、こうした日ごろのパラアスリートとの交流や経験があって、ごく自然な願いとして述べられたと思います。関係者や選手だけでなく、広く一般の人にも響いたのではないでしょうか。 

【井上茂男(いのうえ・しげお)】

日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。 

だれもが「わかる政治」を

2021-09-14
Facebook 野田聖子さん曰く
人財発の個性・多様性の発揮について
個性・多様性の源泉である女性、高齢者、障害者、LGBTQなど、全ての国民が力を発揮できる「フェア」な制度に向け、改革を推進します。
個々の生き方を尊重し、選択的夫婦別姓の実現を
目指します。
女性の活躍を支えるフェムテック(FemaleTechnology)を推進し、健康の悩みにも
対応を強化します。
野田聖子

博多大吉 有働由美子アナの「今のあさイチ好きだよ」心遣いの言葉明かす

2021-09-15
[2021年9月15日8時40分]

NHK朝の情報番組「あさイチ」(月~金曜午前8時15分)のMC陣がフリーアナウンサー有働由美子(52)に感謝した。

15日、同番組の朝ドラ受けの際、有働アナが14日に古巣のNHK「あさイチ」に“こっそり”生出演し、出演者や視聴者を驚かせたことに触れた。有働アナは料理コーナーで、マスクと眼鏡で顔を隠したエプロン姿の“助手”を務めた。MCの博多大吉は料理が運ばれた際に「今のあさイチ好きだよ」とささやかれたことを明かした。

朝ドラ「おかえりモネ」で莉子(今田美桜)が気象キャスターに抜てきされた時に、前任者の朝岡(西島秀俊)と比較されて苦しんだシーンがあったが、大吉らも有働アナら人気出演者から「あさイチ」を引き継いだ。大吉は「あらためてありがとうございました」と有働アナの心遣いに感謝していた。

有働アナ 「古巣」あさイチにサプライズ生出演 なぜ…? 華丸・大吉、鈴木アナ仰天
元NHKのフリーアナウンサー、有働由美子(52)が14日のNHK総合「あさイチ」(月~金曜前8・15)にサプライズで“生出演”した。  18年までMCを務めていた「古巣」の料理コーナーに突然登場。コーナーを担当するタイ料理の先生の助手として試食をスタジオに運び、エプロン、マスク、三角巾の格好でチラリと姿を見せた。  MCの博多大吉が「見慣れないスタッフの人がいると思ったら、有働さんじゃない?映していいのかわかんないけど」と仰天。先生の料理教室に有働アナが通っており「食べる専門と、あと飲み仲間」と紹介された。先生は突然現れた有働アナを「夏休みで、うちのアルバイトをしてるんです」と苦笑。大吉は「アルバイトの割には、うちの鈴木アナがめちゃくちゃお辞儀している」と指摘して笑わせた。  大吉は「有働さんの登場で味がしない!」と苦笑しながらも「付き添いで来られるかもとは聞いていたが、まさか本当に来るとは」と驚きを隠せない様子。番組終盤には現在のMC鈴木奈穂子アナが「大先輩がいらして緊張しました」と言っているところに、再び有働アナが登場。名乗らなかったものの、カメラに向かって両手を振ってエンディングとなった。
配信 

だれもが「わかる政治」を

2021-09-14
Facebook 野田聖子さん曰く
こどもまんなか政治の創造について
こどものための政策のあり方を、こどもの視点こどもの目線で抜本的に見直し、常にこどもを真ん中に据えた、こどもまんなか社会を目指します。
社会全体で、こどもの誕生や成長を支えるとともに、虐待や貧困などに対応する、持続可能で誰一人取り残すことがない育成環境を整備するため、こどもまんなか基本法を制定し、こどもまんなか支援事業を今年度から始めます。
こどもまんなか政治の創造は、世界で初めてのことになりますが、是非挑戦させてください。
野田聖子

“サナエノミクス”って何なんだ? 安倍前首相が高市早苗を支持する理由

2021-09-15
© AERA dot. 提供 思想、政策では共通項が多い高市氏と安倍前首相 (c)朝日新聞社
2021/09/15 08:00

「日本経済強靱化計画、いわゆるサナエノミクスの3本の矢は金融緩和、緊急時の機動的な財政出動、大胆な危機管理投資・成長投資でございます」

 総裁選への出馬を正式に表明した高市早苗前総務相。9月8日の出馬会見では、自信満々の表情で政策を語るなど、ここにきて存在感を見せている。

 菅義偉首相が不出馬を突如表明したことで、一気に動きが加速した自民党総裁選。国民の人気が高い河野太郎ワクチン担当相や、すでに8月末に出馬を表明していた岸田文雄前政調会長らが本命候補としてあげられているが、高市氏の立候補が、様々な議論を呼んでいることは間違いない。

 まず、女性議員が総裁選に出馬するのは13年ぶりだ。前回の候補者は小池百合子東京都知事だった。野田聖子氏も2015年、18年に名乗りを上げたが、20人の推薦人を集められず断念した。

「野田さんはもちろん、小池さんも推薦人を集めるのに苦労した。多くの女性政治家が男性と同じように、自民党の派閥構造の中で鍛えられたり、育てられたりという体制になっていない」

 そう指摘するのは三重大学の岩本美砂子教授(政治学)だ。

 今回、高市氏が出馬できそうな背景には安倍晋三前首相の支持を取り付けられたことがあるが、岩本教授は「(安倍氏の出身母体の)細田派はこぞって『高市さんで団結しよう』とはなっていない」と話す。

「小池さんもそうだったが、派閥が団結して戦う形ではないでしょう。党のピンチに選挙の顔になりうると祭り上げられ、実力が発揮できないままに使い捨てられる。リクルート事件で政治不信を呼んだときの海部俊樹元首相がその例で、クリーンなイメージだけで持ち上げられた。高市さんもそうなる危険性は大きいと思う。世論的に女性を推したほうがいいだろうという安倍氏の考えが透けて見える」

ロールモデルが見当たらない

 そして、安倍氏が高市氏を支持するもう一つの背景には、「菅内閣の1年で『安倍的』なタカ派の元気が雲散霧消したので、自民党の中で一番“右”のところをもう一度集めるシンボルとして高市氏が持ち上げられている」と分析する。

 安倍政治を色濃く継承しようとする姿勢は、「サナエノミクス」からも見て取れる。名称もさることながら、その内容は安倍氏が掲げた「アベノミクス」路線を引き継ぐものだからだ。グローバル・エコノミストの斎藤満さんは「『アベノミクス』の焼き直しにすぎない」と批判する。

「日銀が20年間も緩和策を続けてきたのに物価が一向に上向かないことをみてもわかるように、緩和策頼みの経済対策に限界があるのは明らかです。財政出動は、今のような危機的状況では必要なのは確かです。だけど、その使い道に問題がある。大規模な予算が一部の大企業や利権に還流するような使われ方をしている現状では、安倍前政権の延長線上にあるような政府に任せていいのか不安です。そもそも、失敗とも言えるアベノミクスを引き継ぐことに反発しか覚えません」

 一方、国のトップ候補として女性が出てきたという点においては歓迎する向きもある。18年に「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が施行され、安倍氏自身が第2次内閣時に「女性活躍」をうたってアピールするなど、かねて政界も男性中心社会からの脱却を求められているからだ。

 超党派の「政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟」会長の中川正春元文部科学相はこう話す。

「高市さんが総裁選に挑戦できることは喜ばしい。これまでは女性首相という選択肢すらなかった。選挙の現場を見ると、特に地方議会ではここ10年ほどで、女性に期待するという機運が高まっていると感じる。これまでは選挙に携わる者や有権者からあまりにも否定的に見られていたのが、肯定的に変わってきた。そうした機運が中央にも波及してきたのが今回の高市さん出馬の背景にあるのでは」

(本誌・秦正理、池田正史)

※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

ちょっと気になる絵

聖火を運んだ戦後日本復興の象徴、初の国産3ナンバー量産車・初代日産 セドリック

2021-09-21

日産車の現行モデルの中ではフーガが残ってはいるものの、日本で高級サルーンを生産・販売しているというイメージが薄い日産。
しかし、かつてはセドリック / グロリア、通称『セドグロ』という両雄が、ライバルであるトヨタ クラウンに食い下がっていました。
合併前のプリンス出身だったグロリアに対し、日産生え抜き、戦後初の高級セダンとして登場したのが初代日産 セドリックです。

about Mina Urasawa | 浦沢美奈(プーゼ 代表 フローリスト)

2021-09-19

京都、西陣の生れ。1991年「テーブルに花を飾ると幸せが集まってくる」の言葉を胸に花店「プーゼ 」オープン。フローリストとして出版・広告等で広く活躍中。2019年よりアトリエでの活動に専念。作品制作とともにフラワーアレンジメント教室を主宰。パリスタイルに、京都で育まれたシックながらも華やかな色合いを施す花束は、あしらうリボンを目印に「プーゼスタイル」と呼ばれ全国にファンを持つ。 花を活け自ら撮影する著書に「パリ・京都 花のある暮らし12ヶ月 小さな花のナチュラルアレンジ」(佐伯美奈共著 主婦と生活社)、「お花屋さんの花ノート」(文化出版局)、「お花屋さんの花レシピ」(文化出版局)、「花の楽しみ方ブック」(光村推古書院)、「HARMONIE」(マリア書房)、「はなのいろ」(光村推古書院) 、「FLEURS a Kyoto 」(光村推古書院)、「ばらの本」(光村推古書院)、「京都の花屋プーゼの花日誌」(文化出版局)がある。

2019年 G20大阪サミット首脳会談の花を担当。髙島屋様『2019年・2020年タカシマヤばらのカレンダー』花・写真を担当。2019年 NHK番組『美の壺』出演。2020年著書『京都の花屋プーゼの花日誌』の翻訳版『京都24节气花艺日志』(机械工业出版社)中国で発売。NHK文化センター京都教室講師。

NHKテレビ番組「美の壺」

磯野家でかっ!!!

2021-09-19
Facebook 阪下大介さん曰く

第73代横綱 照ノ富士 三つ揃え化粧まわし「一富士二鷹三茄子」

2021-09-19
左より太刀持ち用、横綱 照ノ富士用、露払い用 (寄贈:株式会社永谷園ホールディングス) ※画像の無断使用・転載等は禁止します。
7月に行われた大相撲名古屋場所で好成績を収め、第73代横綱に昇進した照ノ富士関の化粧まわしを製作しました。

ちょっといい音

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東京パラリンピック閉会式、開催国国旗入場曲

2021-09-07
作曲は、この方です。
<東京パラリンピック:閉会式>
◇9月5日◇東京・国立競技場 東京パラリンピックが5日、閉幕し、東京・国立競技場で閉会式が開かれた。 
日本国旗入場の際に、バイオリニストの高嶋ちさ子(53)が作曲した「ブライト・フューチャー」が流れた。 
閉会式を放送したNHK総合に出演した同局和久田麻由子アナウンサー(32)は「音楽は、高嶋ちさ子さんです」と紹介した。
 美しい旋律のバイオリン曲に、ツイッター上では、「優しいすてきな曲 心温まります」「すてきな音色でした」といったつぶやきがみられた。
 式典は、「Harmonious Cacophony(ハーモニアス カコフォニー)」というコンセプトで展開された。

高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト 10/30サントリーホールコンサート

2021-07-21

【ライブ配信】早稲田大学マンドリン楽部 サマーコンサート2021

2021-08-22

【第一部】
 ≪白鳥の湖≫より 
「パ・ド・トロワ」 
「ワルツ」 
「白鳥たちの踊り」 
「情景」 
「チャルダッシュ;ハンガリーの踊り」  
 /P.チャイコフスキー/赤城淳 編曲 
【第二部】 
歌劇≪シチリア島の夕べの祈り≫より序曲
 /G.ヴェルディ/久松祥三 編曲 
歌劇≪マノン・レスコー≫より間奏曲
 /G.プッチーニ/伊藤敏明 編曲 
歌劇≪ウィリアム・テル≫より序曲
 /G.ロッシーニ/久松祥三 編曲

ラヴェル ボレロ バレンボイム指揮ベルリン・フィル

2021-08-20
ラヴェル ボレロ バレンボイム指揮ベルリン・フィル
バレンボイム指揮による
  ラヴェル《ボレロ》。
ヴァルトビューネ・コンサート1998
「ラテンアメリカ・ナイト」からの演奏です。

The Three Tenors in Concert 1994: Brindisi

2021-07-19
("Libiamo ne' lieti calici") from La Traviata

ちょっと気になる逸品の世界

バックナンバー

2021-09-19

『旧 河井寬次郎邸』×近藤サト…その人、その暮らし

2021-09-19

京都・五条坂鐘鋳町の路地裏に建つ『旧 河井寬次郎邸』(河井寬次郎記念館)。大正から昭和にかけてその名を轟かせた天才陶芸家・河井寬次郎が、自ら設計、理想の暮らしと仕事の空間を作り上げた家屋です。外観はがっしりとした骨組みと土壁が築84年の風合いを醸しています。
中は古民家のような木の温もりと重厚感のある佇まい。家の中心には囲炉裏が置かれています。そんな空間に潜む寬次郎が愛した用の美、美しい暮らしとは?
ステイホームの達人の美しい生活をひも解く「その人、その暮らし」。今回は近藤サトさんが、稀代の陶工が暮らした家屋から、家の中で楽しむ秘訣を学びます。

<Art Traveler>近藤サト
<ナレーター>奥貫薫

◆◆秋季特別展「尾張姫君ものがたり」◆◆

2021-09-18
Facebook 徳川美術館さん曰く
◆◆秋季特別展「尾張姫君ものがたり」◆◆
2021年9月18日(土)より、「尾張姫君ものがたり」展が始まりました。
今回は尾張徳川家を陰で支えた正室や側室・息女にスポットライトを当て、これまであまり紹介されていないゆかりの品々やエピソードも数多く紹介します。
徳川家康の 側室であり、尾張家初代義直の生母であるお亀、義直の正室春姫、2代光友の正室千代姫を筆頭に、当時の「奥」の様子やそこに生きた女性たちの実像に迫ります。

特別展「波濤を越こえて-鑑真和上と美濃の僧・栄叡-」

2021-09-17
会場 岐阜市歴史博物館 1階(特別展示室)

中国・唐時代の高僧・鑑真は、5度の渡海の失敗と失明という困難を乗り越え、天平勝宝5年(753)、ようやく日本にたどり着きました。のちに唐招提寺とうしょうだいじを開山したことでも知られています。
 鑑真に直接来日を招請したのは日本人僧の栄叡と普照ふしょうでした。なかでも栄叡は美濃出身と伝えられています。栄叡自身はこころざし半ばに唐で亡くなりますが、その志は受け継がれ、鑑真はついに来日を果たしました。そして、僧が守るべき規範である戒律を伝え、日本仏教に大きな功績を残し、また、広く日本文化に大きな影響を与えたのです。
 本展では、鑑真和上と栄叡の果たした偉業とともに、鑑真招請に至った背景、栄叡が目にした唐文化、さらに、美濃国を中心として、遣唐使による交流を通じてもたらされた日本文化への影響についても紹介します。

百貨店美術部 京都画壇の高島屋 美術が商売になった時代

2021-09-14
© 産経新聞 1912(明治45)年、100人の画家に桜をテーマに制作を依頼した作品が並ぶ「百桜画会」の会場風景。写っているのは高島屋美術部の人々(高島屋提供)
© 産経新聞 高島屋が開催した大正時代ごろの展覧会の風景(高島屋提供)
2021/09/14 08:30
百貨店の成り立ちは大きくふたつに分けられる。ひとつは呉服店をルーツにするもの。三越や高島屋がこれに当たる。もうひとつが駅舎に電鉄会社が建てた電鉄系のデパートで、関西なら阪急、阪神や近鉄など。それらの百貨店で、美術品はいつごろから扱われるようになったのだろうか。

ちょっといい話(既存ページ)

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ちょっといい話(既存ページ)

2021-06-06
大分県日田市の願正寺のホームページ (ganshoji.com)
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