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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

「家」という日本の制度

2022-10-27

facebookYasuda Rizinさん曰く


1512
宣長の家は浄土宗です。
浄土宗の寺を大事にしているのです。
浄土宗の寺に宣長の墓もある。
けれども浄土宗を信じたということではないのです。
家の宗旨だというので浄土宗を大事にしている。
信じ方がちがうのです。
宗教的に浄土宗を尊敬しているのではない。
そういう、「家」という日本の制度というもののほうが宣長には大事なのです。
1511
だから本居宣長というのは非常に大事な人です。
いわば頼山陽の『日本外史』は観念で歴史の文献をつづったのです。
つまり本当いえば歴史的文献とは言えない。
創作品です。
しかし本居宣長の『古事記伝』はそうではない。
厳密な学問に耐え得るだけのものが『古事記伝』です。
1510
上にある神は天照大神というものでしょう。
初めは精神というような意味でそういう信仰の対象となるようなものではない。
しかしその時代の言葉はもう発音が消えてしまったのです。
だから日本語というものも面倒なものです。
今ある日本語のもとを探るというと、なかなか大した研究が要るのです。
その端緒をつけたのが本居宣長なのです
1509
今、古代の日本語の元々の「神」の発音はもうなくなっている。
日本語の古代語は消えているのです。
後になると今のカミのような発音になってしまった。
それだから何か――私は学生時代に読んだけれど、何かカビというような、ものにカビが生えたという場合の、元々はそういう発音の言葉でなかったかと思う。
1508
宣長に『古事記伝』というものがある。
これが立派なのです。
驚くべき立派な学者です。
本居宣長というのはつまり、今日で言う文献学、フィロロギーという学問に当たるのです。
それらの研究で、昔の神という字では神も上も分からないですけれども、上にあるものだから神だという。
1507
神(カミ)を「上のほう」と言うと、これは天主というのが本当の字、言葉です。
神を天主というように、日本人が日本流にしたわけです。
使い方が日本的ではないかね。
本来は魂、精神という意味です。
だから聖書も伝わる中で日本的に変わってきているのです。
こういう、昔の字、発音などのことは、三重の松坂に本居宣長という人がいます。
1506
「神」という字は、これは霊にあたるのが本当なのです。
聖霊という。
つまり神というのは精神という字なのです。
精神。
ゼーレSeele これが本当の神の用語なのでしょう。
だから聖霊という。
魂というのは精神のことです。
神という言葉はこういうふうに使うのが本当の使い方ではないかね。

【提言編】九州親鸞フォーラム 「感染症×仏教」 ~不安を生きる智慧~

2022-10-26

第231回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」②

2022-10-26
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki)

 諸仏の国土とは、大乗仏道の歴史が見出した大いなる法界(大乗無上の菩提の内容)に、僧伽を支えてきた無数の求道者が値遇したことを現わそうとしているのであろう。そこには、果徳の平等性と共に、因位の差異を表している様々の名前によって、諸仏それぞれの因位の過程や求道課題の差異が認められているのである。

 『大無量寿経』に説き出される本願の主人公は、法蔵菩薩という名前であるが、その法蔵菩薩の物語は、師である世自在王仏の前で自己の願心を表白し、師仏に証を請うという形をとっている。その願心は、自己の仏国土を建立せんとし、その国土建立のために諸仏の国土の善悪を覩見(とけん)して、その善なるものを選びとり悪なるものを選び捨てて、十方衆生の平等の成仏の方法を五劫に思惟して選択摂取したとされている。

 これによって、諸仏の願心に共通する最善の願として、法蔵願心が成就する条件として、諸仏によって証誠讃嘆されること、もし讃嘆称名されないなら正覚を成就しないことが誓われているのである。その誓いは、親鸞によって「諸仏称名の願」と名づけられた第十七願である。この願によって諸仏の因位の願心に共通する願として、阿弥陀の御名を称讃し称名する願が「選択摂取」されたとされているのである。

 『無量寿経』下巻の始めに、第十一願・第十七願・第十八願の成就が次第を追って表記されてくることに注目してみると、十方衆生の上に無上仏道(大涅槃)を成就するために、法蔵願心が展開するときに、まず「大涅槃に必ず至る位としての正定聚」(つまり第十一願成就)が成り立つことが語り出されていることがわかる。

 そして、そのために、第十七願・第十八願の成就が表記されているのである。この展開に気づいた親鸞は、『無量寿経』の表す衆生救済の道筋を、本願の語る内容に添って、教・行・信・証という展開を見てとったのである。

 この本願の道筋に触れた龍樹菩薩や天親菩薩の表現を、その後の求道者たちは、仏説に随順し、自己の問題意識によって仏説を受け止め直しながら歩んだ方々の指標として見ているのである。この受け止めにおいて、阿弥陀の諸仏称名の願を見るならば、阿弥陀が自分が正覚を成就するには、諸仏に称名し証明してもらいたいという願いに賛同することにおいて諸仏も自己を成就するのだと言うことができよう。これは阿弥陀仏の成り立ちが、諸仏の成り立ちに重なっているということでもある。言い方を変えれば、本願の真実は諸仏が生まれてこそ真実たり得るし、真実は諸仏に依って証明されてこそ歴史の事実となるのだとも言えよう。

(2022年10月1日)

第231回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」①

2022-10-26
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki)

 親鸞聖人のお言葉には、人間存在のもつ実相への深い洞察とそこから染み出てくるような懺悔の心が感じられる。このことには、その背後に『大無量寿経』にまで煮詰められた大乗仏道の菩提心の歴史があるのであろう。総願から別願を開示して、この大乗の菩提心を掘り下げるべく歩みを進めるところに、「法蔵菩薩」なる人間像が生み出されてきている。

 私たちは、決して自見の覚悟に陥ることなく、この菩提心の歴史を担った法蔵菩薩の精神に随順して聞思していきたいと思うのである。この精神の根本には、大乗の「涅槃」、すなわち「無上大涅槃」ということがある。この事柄を人間存在の究極の課題であると押さえることが、大乗仏道に生きようとするものにとって、常に憶念されるべき大切な方向性なのであろう。

 このことが出発点であると共に、到達点でもある。仏道の極致である無為法としての大涅槃が、「法性・一如・真如」などとも表現され、そこから法蔵菩薩が立ち上がったという親鸞の「法蔵菩薩」の了解が出されてきているのである。物語としての『大無量寿経』は、究極的目的や出発点となる無為法などという概念そのものではなく、一切の衆生を視野に入れた救済物語として語り出されている。人間像としての「法蔵」なる菩薩のもとに、自利利他の菩提心の吟味が説き出され、その時に大乗仏道の歴史的な背景が「久遠無量」という超時間的な言葉で表明されてくる。大乗の菩提を求める要求は、人類の存在と共に古い要求であり、その目的たる大涅槃は、人間存在にとっての故郷とも表現されるような根源的意味があるとされているのである。

 法蔵菩薩の菩提心は、別願であるという。菩薩の総願は、四弘誓願に総括されているが、その中から、ことさらに「生きる」ことの根本にある環境的課題を解明するべく、仏土を建立するということが提示され、その仏土のあり方への要請が弘誓として展開されているのである。

 その国土の建立に当たり、諸仏国土の覩見(とけん)ということが出されている。仏陀の自内証とは、大乗の仏道においては諸仏平等であるとされる。正覚とも言われる「菩提」の内実は、諸仏においてすべて差異や上下が見出されず、平等なのだという。それは「無我」とか「空」といわれる根本の智慧が、みな同等であるということである。

 それに対して、諸仏国土の善悪を覩見するとは、いかなる事態を言い当てようとするのか。果位の諸仏の自内証が平等の智慧であるのに対して、諸仏国土の違いとは、因位の願心の差異であろうと教えられている。法蔵菩薩は諸仏の願心の差を見通して、国土の因の問題を考察することに、「五劫思惟」という超時間的時間を掛けていくのである。

(2022年9月9日)

「祈らない祈り、仕事は祈り~祖父・陶工河井寬次郎のこと~」

2022-10-18
河井寛次郎記念館・鷺珠江さんの講演会

facebookしんらん交流館さん曰く


河井寛次郎記念館・鷺珠江さんの講演会
【第72回しんらん交流館公開講演会  2022/10/19(水)18:00~19:30】
【講題】「祈らない祈り、仕事は祈り~祖父・陶工河井寬次郎のこと~」
生老病死の問いを様々な現場で考え、表現している方を講師に迎え、「老病死」を抱える身として生まれた私たちの存在とはどういうものなのか、そのことをともに考える「しんらん交流館公開講演会」
鷺珠江さんは、陶芸家、河井寛次郎さんのお孫さん。
河井寛次郎さをは柳宗悦さんとともに民藝運動を提唱しました。
講演会では、おじいちゃんとしての河井寛次郎さん、鷺さんが受け取った民藝についてお話しいただきます。
ぜひ、ご参加ください。
開催日時:2022年10月19日(水)18時から19時30分
会  場:しんらん交流館2階大谷ホール
参  加  費:500円(予約不要)
しんらん交流館では、ギャラリー展「柳宗悦がであった土徳~人と自然がはぐくんだ越中富山の美~」展を12月15日まで開催中。
ことばと写真で南砺の土徳を紹介します。
しんらん交流館ホームページ
河井寛次郎記念館ホームページ
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