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ちょっといい話

データベース

真宗聖典検索 Web site

2020-04-22
東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。
このサイトは、宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業の一つとして聖教編纂室にて取り組み、開設したサイトです。東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。使用方法については、このサイトについてをご覧ください。

https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/

Facebook 大谷派における学事の潮流

2020-05-05

真宗聖典(S_JIS 版)検索システム--- 生まれた意義と生きる喜びを見つけよう! ---

2020-04-22
真宗聖典(S_JIS 版 msearch)検索エンジン
  • リンクフリーです。真宗聖典各ページへの直接リンクは、
    http://www5.synapse.ne.jp/syoukakuji/seiten/ページ数.htmlでOKです。
    直接、ページを見たい方は、検索エンジンにページ数を入力して下さい。

     http://cgi5.synapse.ne.jp/~syoukakuji/cgi-bin/perlsearch/perlsearch.cgi

 

『浄土真宗聖典』オンライン検索 浄土真宗聖典・検索システム | 原典版

2020-04-22
http://j-soken.jp/kensaku2.html

聖典電子研究会

2020-04-22
http://seiten.icho.gr.jp/

今、私達に出来る事

【Shows at Home】民衆の歌 / Do You Hear The People Sing ? - Les Miserables -

2020-07-30
https://youtu.be/0Eax4cw6QFA

民衆の歌 The People's Song 「レ・ミゼラブル」より 


https://youtu.be/MNIyjmd-LwI?list=RDMNIyjmd-LwI

◆ジャン・バルジャン/吉原光夫  
◆ジャベール/伊礼彼方
◆ファンテーヌ/濱田めぐみ    
◆エポニーヌ/昆 夏美
◆マリウス/海宝直人       
◆コゼット/生田絵梨花
◆アンジョルラス/小野田龍之介
◆テナルディエ/駒田 一・斎藤 司 
◆マダム・テナルディエ/森公美子
◆コンブフェール/中井智彦 
◆クールフェラック/持木悠
◆フイイ/杉浦奎介 

非常事態宣言が解除されました。

2020-06-02

非常事態宣言が解除されました。

2020-06-02

東京五輪「中止検討せざるを得ない」組織委顧問の千玄室氏 現状での開催に危機感

2020-06-01
延期された東京五輪・パラリンピックへの思いを語る千玄室前家元(京都市上京区)

新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期された東京五輪・パラリンピックについて、大会組織委員会の顧問を務める茶道裏千家の千玄室前家元(97)が、京都新聞社の取材に応じた。千氏は「来年までに世界各国で収束しないと準備ができない」と話し、現状での五輪開催に危機感を示した。

 延期が発表された3月24日、安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、中止はないと確認。一方で、組織委員会の森喜朗会長は、再延期は「絶対ない」との見方を示し、バッハ会長も今月、英BBC放送のインタビューで、来年開催されなかった場合、中止となる見通しを示している。



https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/263872?fbclid=IwAR0TSMWXC_ZhLFj9e23wDePy029e2OZhPYp_vf4dE9zdsrDcZ4nhIuDg-HY

関西でも宣言解除

2020-05-23
京都新聞 社説

社説:京都も宣言解除 油断せず冷静に行動を

  京都、大阪、兵庫の近畿3府県に発令されていた新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言が解除された。
  基本的対処方針で定められた解除基準の新規感染者数が抑えられ、医療提供体制やモニタリング体制も十分だと政府が判断した。
  安倍晋三首相が宣言の対象地域を全都道府県に拡大したのは4月16日。それから1カ月余り、京都のまちからもすっかりにぎわいが消えた。
解除は、感染拡大や医療崩壊を防ぐために多くの府民が休業や外出自粛などに真摯(しんし)に取り組んだ結果であり、朗報には違いない。
  だがウイルスが消滅したわけではなく、対策は長期化を覚悟する必要がある。安易に以前の生活に戻るのではなく、第2波、第3波への備えも強固にしなくてはならない。
  踏まえておきたいのは、このウイルスについて不明な点がまだ多いということだ。国内感染者数の実態すらはっきりしない。
  爆発的に感染が広がった欧米などと比べると抑えられているように見えるが、理由は分からない。
  政府が実情把握を急ぐべきなのは言うまでもない。そうした中で私たちに求められるのは過剰な楽観や悲観ではなく、まずは冷静な行動だろう。
  「新しい生活様式」も参考にしながら、密閉・密集・密接の「3密」を避ける取り組みを続ける必要がある。「正しく恐れる」ということを改めて思い起こしたい。     政府の宣言解除を受け、京都府はライブハウスなどの施設を除き、休業要請を解除することを決めた。独自の緩和基準を設けて今月16日から一部解除していた。
   政府は軽症者が療養する民間宿泊施設の借り上げなど医療体制強化に取り組んだ。授業再開に向けた環境整備など大学と学生の支援にも乗り出している。
 ただ観光や雇用といった面で、さまざまな困難が顕在化するのはむしろこれからだ。実情に応じて取り組みを柔軟に見直し、必要な対策を追加することが欠かせない。
 休業要請とともに中小企業に20万円、個人事業主に10万円を給付する支援策を打ち出したが、大阪府や東京都の支援とは金額的に大きな差がある。
 政府に対する緊急提言として、全国知事会は自治体向けの臨時交付金を最低でも総額3兆円とするよう増額を求めている。こうした動きとも歩調を合わせ、財源確保に努めるべきだ。

コロナ情報について

コロナに思う♯14 田中耕一氏 02年ノーベル化学賞 島津製作所

2020-05-11
https://youtu.be/VCoT2RE_IHI

政治学者の御厨貴氏(東京大学名誉教授)に、全国の知事の評価を聞いた。

2020-05-06
北海道鈴木、愛知大村は○、宮城△、石川、千葉、神奈川×、小池都政は? 政治学者・御厨貴「知事たちの通信簿 東日本編」
北海道の鈴木直道知事(39)
5Ixav9OJ5rAJIed2lDKPEjdThzUWyzRCOuCK0cRJhUzHK1huwcw6IFaCoV57io-_5oKpyPR1WeaN-n2R5tCFvQVF3-l1tGyTIWIS7_yAPVtVNw04G95fvYQHkJ-WAOGy5OH_F4bcn750ZFBQFlxwELygvomiQN_0UifQBmshkxur6TzKguaOmUUGS65Z7xmTUdP141iaXdCdCvQyYy82vKS2CIDVmg1DlCnU_Rxbkhvd0NykHgrnObQXX29ZAvisfX92njoPjqe_H76BFxl33-ykNDQF3zTAZ33hySk3N0wECt7wMPT3ovnZSD2Lyeb9_3CzqDkXsR61Enu_-2zYKu_bh3p-kSF4f3o1EzehO1AETCPM3uqWGYVMvTPPslNsKfnHCAZTyy-0RofSMXAvqzR8p0Q

内田樹の研究室   Facebook 桑門 超さんのシェアより  

2020-05-03
『隣組と攻撃性』 市民たちの相互監視が始まっている。

市民たちの相互監視が始まっている。

 GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
 私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
 私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
 人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。

 嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
 私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
 私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
 最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
 しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
 学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
 私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)

 いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
 これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
 彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
 そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
 この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
 いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
 大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。大阪府知事は、人間が条件次第でどれほどでも攻撃的になり得ること、その機会をつねに窺っているということを知らないか、あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
 ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったからである。
 市民を相互監視させることによって統治コストは劇的に削減される。それは事実である。けれども、その代償として、「大義名分をかかげて隣人を攻撃し、屈辱感を与える」ことに熱中する人々の群れを解き放ってしまう。それがどれほど危険なことなのかについて、人々はあまりに警戒心がないと思う。

内田 樹(うちだ たつる)1950年生まれ。日本の思想家、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。 出典 http://ja.wikipedia.org/wiki/内田樹

郷士望さんんらのメッセージ

2021-01-07
郷士さんは、「銀座の鐘」のプロデューサーです。

銀座の鐘

2020-04-20
新型コロナ 厳しい勤務続く医療関係者に感謝の鐘 東京 銀座

感染拡大が続く新型コロナウイルスに対応するため、厳しい勤務が続く医療関係者に感謝を示そうと、東京 銀座の交差点では時計塔から鐘の音が流されました。

新型コロナウイルスに感染した人たちの治療に当たっている医師や看護師など、医療現場のスタッフに対して、イギリスでは毎週木曜の午後8時に一斉に拍手や口笛を送ったり、フランスではエッフェル塔に「ありがとう」を意味する「MERCI」のメッセージが映し出されたりするなど、感謝の気持ちを示す動きが世界各地で広がっています。

日本でも、感染のリスクにさらされるなど厳しい勤務状況が続く医療スタッフへの感謝の気持ちや感染拡大を防ぐために家で過ごそうというメッセージを伝えようと、20日から東京 銀座のデパートにある時計塔から「命の鐘」と題して、鐘の音が流されることになりました。

鐘の音は午後7時ちょうどから流され、緊急事態宣言が出され、ふだんより格段に人通りが少ない銀座の町なかに鳴り響きました。

鐘の音は、毎晩7時から流され、「YouTube」などでも配信される予定です。

 企画した郷司望さんは、「一日に一度、一緒に医療関係者に感謝の気持ちを示すきっかけになれたらと思います」と話していました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200420/k10012397281000.html

仰せを蒙りて

報恩ということ

2020-11-15

法蔵菩薩

2021-01-07
895

『大無量寿経』だけで法蔵菩薩を見ると
法蔵菩薩というのは文学的表現です。
神話というわけではないけれども神話的な表現になる。
昔話です。
「仏、阿難に告げたまわく、
乃往過去、久遠無量不可思議無央数劫に、錠光如来、世に興出して、
無量の衆生を教化し度脱して、
みな道を得せしめて乃し滅度を取りたまいき」と。
昔々大昔という意味です。
ただこれは如来の昔話だと。
14



2021-01-04
FacebookYasuda Rizin
892


信ずるという字は
これは信用組合の信用という意味もあり、
また信仰するとか、分からないから信ずるのだとか。
信という概念は非常に広い。
ただ、宗教心という場合の信は、
宗教の本質としての信です。
その場合、その信は二種深信でしょう。
これをはずれると
「習慣としての教団」はあるけれども
「宗教としての教団」はなくなるのです。

893

二種深信を失ったら、宗教でなくなってしまうのです。
ただ寺門の経営ということになる。
だから事業として葬式をすると。
それから安心信心といってもただ「有り難くなりたい」というだけです。
有り難くなるということは眠ることでしょう。
覚めることではない。
つまり信心が欲しいのではないのです。
有り難いのが欲しいのです。

田畑先生から

2021-01-06
聖覚法印のはなし
こういう文章に出会いました。
聖覚法印は法然聖人の43歳まで学仏を次のように書いています。
「ある時聖人、予に語りてのたまわく。法相・三論・天台・華厳・真言・仏心(禅宗)の諸大乗の宗、遍(あまね)く学び、悉(ことごと)く明(あけ)すに、入門は異なると雖(いえど)も、皆仏性の一理を悟り顕(あら)わすことを明(あか)す。所詮は一致なり。
されど、法は深妙なれども、わが機(ちから)すべて及び難し。経典を披覧するに、その智、もっとも愚なり。行法を修習するに、その心ひるがえってくらし。
朝、朝に定めて悪趣に沈まんことを恐怖す。夕、夕に出離の縁の欠けたることを悲歎す。茫(ぼう)々たる恨(うら)みには渡(わた)るに船を失うが如し、朦(もう)々たる憂いには闇に道に迷うが如し。
歎(なげ)きながら如来の教法を習(なら)い、悲しみながら人師の解釈を学ぶ。黒谷の報恩蔵(ぞう)に入りて、一切経を披見することすでに五遍におよびぬ。しかれどもなおいまだ出離の要法を悟り得ず。愁情いよいよ深く、学意ますます盛んなり。
ここに善因たちまち熟し、宿縁とみに顕(あらわ)れ、善導和尚勧化の書を拝見するに、末代造悪の凡夫の出離生死の旨をたやすく定め給えり。ほぼ管見していまだ玄意(げんい)をきわめずといえども、随喜(ずいき)身に余り、身毛(みのけ)もよだって、とりわき見ること八遍。時に観経の散善義の、一心専念弥陀名号……順彼仏願故の文(もん)にいたって、善導の玄意を得たり。
随喜のあまり、あたりに聞く人なかりしかども、予がごときの下機の行法は、阿弥陀仏の法蔵因位の昔、かねて定めおかるるをや、と声高にとなえて、感悦(かんえつ)髄(ずい)にとおり、落涙千行なりき。終(つい)に承安五年の春、齢43歳の時、たちどころに余行をすてて、一向専修念仏門に入りたもう」と、まのあたり眼に見るように描写し出されてあります。
一心専念の文とは「一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥、時節の久近を問わず、念じ念じて捨てざれば、これを正定の業と名く。彼の仏願に順ずる故に」とあるので聖人はこれによって「往生の業、念仏為本」と決定の信を獲られたのであります。

田畑正久先生の投稿

2021-01-05
1月1日の円徳寺修正会での住職さんの法話
古き我れ 崩れ去る音 南無阿弥陀仏
新しき吾れ 生まれ出ずる聲 南無阿弥陀仏  

釈秀道(福岡市中央区天神、光園寺故前住職、円日成道)

お釈迦様の話

釈尊の生涯と教え

2020-04-19
https://youtu.be/EvjMcWZGzQg?list=PLERGeJGfknBQ5l6kTs05lLYDa_4FGOlAF
中村元 - ブッダの生涯 【HD】
https://youtu.be/NWZtkxP3eGg
仏教の本質 哲学者「中村元」

ブッダ 最期のことば 1.2.3.4.

2020-06-14
https://youtu.be/Lbw-AnzrjdY

釈尊のお説法

2020-04-07

「成道会(じょうどうえ)」―釈尊が悟りを開かれた日

2020-12-29
hp西蓮寺様より お説法は。住職 中川正法先生です。
法話2020/12/06更新

「成道会(じょうどうえ)」―釈尊が悟りを開かれた日

 

 釈尊の生涯に深く関連する日のひとつが、12月8日です。
 この日は何の日ですかとお尋ねすると、「太平洋戦争開戦の日=真珠湾攻撃の日」「ジョン・レノンが亡くなった日(今年は40年目を迎えます)」、あるいは地方によっては「針供養の日」という答えが返ってきます。「お釈迦様がお悟り(さとり)を開かれた日でしたね」というお答えは、ご門徒の皆さんからもなかなか出てきません。12月を迎えるとともに、街はクリスマス一色となり、ますます「じょうどう」の存在は、かき消されてしまうようです。

 およそ2500年前、東北インドにあった小国「シャカ国」の王子シッダールタは、地位・財産・名誉など私たちが欲するすべてのものに恵まれ、何不自由なく過ごしていました。しかし、老人や病人さらには死人との出遇いをとおして、人として生まれた以上、老・病・死からまぬがれることができないという「わが身の事実」に気づき、思い悩みながら、真の幸せとは何かと深く考えていました。

 その時、出家をし、質素な身なりながらも、心身を制御しながら善につとめ心穏やかな境地を求める生き方に励む「沙門しゃもん」と出遇いました。29才のとき、意を決してお城を出て、修行生活に入りました。もちろんお城は大騒ぎ。沙門となった王子を見つけたマガダ国王ビンビサーラは、財や軍隊をあげるから国に戻ってはと申し出ましたが、「私はこの生活を楽しんでいます」といって、その申し出を断っています。

 シッダールタは、師をみつけて瞑想の方法を学びましたが、その境地には満足せず、5人の仲間とともに断食をはじめとする厳しい苦行を続けましたが、求める境地にはいたることができず、修行を放棄します。ほぼ骨と皮だらけの体を河に入って清め、ふらふらと歩いている苦行者を見た村娘スジャーターは、神様に捧げようとして持っていた乳粥を彼に与えました(この娘の名がコーヒーに入れるミルク製品名になっています)。元気を回復したシッダールタは、近くにある大きな樹(ピッパラ樹)の下に座し、深い瞑想に入りました。

 その時、彼の前に悪魔(マーラ)が現れます。武器や雨風で襲いかかり、あるいは美しい女性を登場させて誘惑をしたり、あらゆる手段を用いて邪魔をしました。このマーラの襲来は、内面の様々な欲望との闘いや苦行を棄てたことへのうしろめたさを表しているといわれます。しかし、悪魔の襲来を降伏(降魔ごうま)され12月8日の明け方、明けの明星が輝くなか、悟り(बोधि, bodhi:菩提)を得られ、ブッダ(बुद्ध, Buddha)「目覚めたもの」となられました。この出来事を「降魔成道」といいます。お城を出て6年目、シッダールタ35才の時のことです。以後、ブッダ(仏陀)と呼ばれます。

 瞑想に入られた大きな樹は後に「菩提樹」と呼ばれるようになりました。また、悟りを得られた場所は、ブッダガヤとよばれ仏教聖地の一つとして世界中から仏教徒がお参りに来られます。現在この地には、52メートルの大塔が建っており、世界遺産となっています。

 「さとり」とは何か。どのようなことに「目覚められた」のかは、またいずれ。

ラジオ放送『東本願寺の時間』講話リスト

2020-12-08
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/radio/#list

ちょっといい話

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「医師の知性とは何か」

2021-01-13
田畑正久先生のことば
日本医事新報2020年10月03日号No.5032. p.65 掲載
♯医療と仏教 田畑正久(佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)
「医師の知性とは何か」
    「健康で長生き」は医療界の目標であり、多くの国民の願いでもあります。外来診療でも高齢者が健康を目指して受診します。人間関係が出来たころ、対話の中で「長生きして何かしたいことがあるのですか」と聞くと、「別にないのですが」とか「みんなが健康で長生きが良いと言っていますから」という人がいます。しかし、人生において健康で長生きは目的ではなく、手段・方法ではないでしょうか。もし目的であるとする人は老病死に直面した時、悔やみ愚痴を言うことになるでしょう。
    私は医療療養型病棟を担当しています。そこに転院してくる廃用症候群に近い高齢患者に、高血圧症、骨粗鬆症、脂質異常症などの生活習慣病治療薬が投与されていることが多いことに気付きました。この治療の目標をどう考えればよいのでしょうか。当事者は自分の人生を生きる意義をどう受け止めているのでしょうか。
    生命倫理を担当される学者がある講義で、「知性」について以下のような考えを述べていました。「物事は単純に『よい』とか『悪い』とか言えるようなものではありません。物事を多面的に見るということは、ある意味で、そういう『曖昧さ』『複雑さ』に耐えられる力を身につける、ということです。『知性』というのはそういう曖昧さに辛抱強く付き合う力だと思っています。いわゆる『頭がいい』というか、記憶力がいい、計算が速いのは知性ではありません。そういう能力は、答えが決まっているものを短時間に解くことが求められる受験のようなものには有利ですが、単純には答えの出ない問題、人が一生かけて向き合っていかなければいけないような問題に取り組むときには、かえって邪魔になることすらあります。生命倫理の問題というのは、まさにそういう問題だと思います」。
    医学の依ってたつ科学的思考からは、人間に「生まれた意味」「生きることの意義」など出てきそうにありません。医師、教師、看護師など「師」の名称の付く職種の人は、人生の意義などを哲学・宗教的に思考する知性的存在であって欲しいものです。

田畑正久先生発

2021-01-13
聖人の なつかしい真剣な批判内省の世界
私の知っている高徳な宗教家を見ても
高い世界に住んで居なさる方は皆
その頭が大変低いのあります
しかるにその教えを受けた方のほうが
かえって頭が高くて
私の住んでいる世界はこうだと一種の嫌みを受ける場合があります
私は何和上(わじょう)の同行(どうぎょう)だ
私は何先生の教えを受けているというので
それが自慢の種となるというのは 道の真実に出た人ではないのであります
親鸞聖人は八宗兼学の大徳法然上人のお弟子になられたけれど
そうした高慢な態度はちっともなくて
あの高い世界にいつつも 頭は愚禿だと大地についていました
静かに教行信証を拝読して信巻に味わいます時に
高い世界を知りつつも自分の本当の姿を見失わなかった聖人の
なつかしい真剣な批判内省の世界を伺うことができます【住岡夜晃法語】

努力の証

2021-01-13
浩宮様の場合
Facebook永井由紀夫さんより
学習院中等科1年生の時の殿下のご様子
学校の宿題に逆立ちが出されました。
最初のうちは苦手だった浩宮さま
なかなかできません。
でも暇を見つけては壁にむかって練習する毎日
ついにはクラスで一番逆立ちが上手になられました。
クラスメイトにコツを聞かれた浩宮さまはこう答えました。
「一に勇気だよ。二から先は練習さ」
侍従によれば「浩宮さまはコツコツ地道に努力を積み重ねられるタイプ」
逆立ちは努力の証です。
(参考文献松崎敏弥著 『浩宮さまのとっておき会話』 光文社)

終点、出発点

2021-01-12

田畑先生のことば

2021-01-12
「人間は死を抱いて生まれ、死をかかえて成長する」信國淳(1904-1980)のことば
大分合同新聞医療欄「今を生きる」第388回
(令和2年10月 5日掲載)医療文化と仏教文化(214)
    今年の仏教関係のカレンダーの標語に信國淳(1904-1980)の「人間は死を抱いて生まれ、死をかかえて成長する」がありました。
    私が大学を卒業した頃、日本人の平均寿命は男、70歳、女、76歳でした。その頃の人生について漠然と、60歳の定年まで働いた後に余生を過ごし、70歳すぎに死ぬというイメージを持っていました。60歳まで仕事に励み、定年後はゆっくり暮らして70歳過ぎに死ぬという人生観です。
    しかし、仏教の学びをしていると、71歳を過ぎた今、目、耳、鼻、体力の衰えなど身体的な加齢現象からは逃れられませんが、意識、心は学びの連続です。定年までには世間的な仕事は十分にこなし、生きる上の知識も学び尽くしているというイメージでしたが、現実には70歳を過ぎても気付き、目覚め、驚きがあり、今でも学び続けています。
    本来なら、これまでの実生活を通して疾(と)うに気づくべきだったという反省の思いもありますが、それとは別の学び続ける楽しみもあるのです。世間的な知識を増やし博学になるというよりは、仏の智慧に照らされて自分の愚かさを深く懺悔(さんげ)させられます。そして「人間とは?、人生とは?」ということを深く、広く考えさせられて、仏教との出遇いを喜び、「人間として生れて良かった、生きてきてよかった」という思いに心が温かくなり、しみじみとした味わいが湧いてくるようです。
    信国先生が言われた「死をかかえて成長する」ということ、「年を取るのは楽しいことですね、今まで見えなかった世界が見えてくるのです」という言葉が身に染みてそう思えるのです。師の言葉に「人生を結論とせず、人生に結論を求めず、人生を往生浄土の縁(人間として成長・成熟する機会)として生きる、これを仏道という」があります。日本人の現在の平均寿命は男81歳、女88歳です。恵まれたる長寿を「死への生」ではなく「仏となる生、浄土への生」に導かれて歩みたいものです。

時機相応について  時代と人

『陰影礼賛』

2021-01-07
谷崎純一郎の世界

一、

[まず、谷崎は、日本の伝統的な生活様式に西洋文明の利器が侵入してくること(近代化)によって生ずる、美的な不調和を嘆きます。それらは実用として便利で退けるわけにはいかず、苦心して折衷しようとしますが、どうも上手くいきません。特に厠(トイレ)のしつらえが問題で、日本の厠と西洋式のトイレについての比較的考察に入ります。]

二、

日本の厠は母屋から離れた廊下の先の庭の蔭にあり、それは薄暗く静寂な空間で、精神的に落ち着き、瞑想にふけるに最適の場所です。
小窓から見える庭の景色や、木の葉から落ちる水滴の音、鳥や虫の声などが聴こえ、四季の情緒をしみじみと感じることができます。
何でも詩化してしまう昔の日本人は、最も不潔であるはずの厠を詩的な場所に変えてしまいます。
[今の人にはさっぱり分からないかもしれませんが、まだ古い静かな寺院にはこういう厠が残っている場所もありますので、探してみると良いかもしれません。]

西洋便所の白く明るい便器やタイルに、ギラギラ光る金属の取っ手や配管は、便利ではあっても、そういう日本の詩的な空間を壊してしまいます。
文明の利器を導入することに異存はないにしても、なぜそのまま取って付けるだけで、日本の習慣や趣味に合わせてそれに改良を加えないのかといぶかります。

三、

西洋式のガラスの覆いを紙に変えた、行燈(あんどん)式の電灯(ライト)が売れるのは、そういう改良(和洋の調和)の良い例ですが、他はあまりありません。
便利であれば、風流などは二の次であり、手っ取り早く既製品で済まそうとするのが人間というものでしょう。

もし、日本が文化を丸ごと西洋から輸入(西洋近代化)せずに、独自の科学的発達を推進していたなら、私たちを取り巻く環境は、日本の国民性に調和したものとなっていたでしょう。

四、

もちろんそれは不可能な願いからくる、空想と愚痴です。
けれど、とにかく日本人が西洋人よりどれだけ損をしているかということは、考えてみてもよいでしょう。

西洋人は自分たちの都合に合わせて機械を発達させてきたので、それが調和的であるのは当然です。
彼らの映画や音楽に接しても、見事にその作品の中に彼らの国民性の個性が発露しています。
しかし、ただそれをそのまま単純に迎合するだけでは、日本の文化や芸術をいたずらに歪めることになります。

例えば、日本人の話術は、声が小さく、言葉が少なく、何よりも間によって表現されるものであるのですが、それをラジオのような機械にかけると、死んでしまいます。

五、

同じ白い紙と言っても、西洋の紙は光線を冷たく跳ね返し曲げると音を立て、反対に和紙や唐紙はふんわりした雪のように光線や音を吸収し、心落ち着ける白さと肌触り、曲げても音を立てない柔らかさが特徴です。

西洋の食器はピカピカ光るよう磨き上げられますが、日本人はむしろ鋭利な輝きを嫌い、時代が付き、さびが乗るのを好みます。
軽薄な輝きの銀色より、深みある沈んだいぶし銀に雅味を感じるのです。

東洋でも早くからガラス製造の技術は知られていた訳ですが、それが西洋のように発達しなかったのは、日本人が浅い光よりも沈んだ陰りを好んだことが一因として考えられます。
西洋人は手垢や汚れを根こそぎにしようとしますが、日本人は手垢や汚れをそのままにし、それを愛し、美化します。

長い年月が生み出した汚れた色合いの家屋にいると、心が和らぎ落ち着きます。
病院や歯医者などに行くと、落ちつがず緊張するのは、白衣や白壁、ガラスや金属や機械などのピカピカするものが、あまりにも多すぎることです。
だから、田舎などにある、古い日本家屋に治療室を設けた時代遅れの病院などへ行くと、不思議と落ち着くのです。

六、

電灯ではなく古風な燭台を使う和食料理屋に行って感じたのは、日本の漆器の深みや美しさというものは、弱い明かりの中ではじめて発揮されるのではないかということです。
昨今は膳と汁椀以外はほとんど陶器で、漆器を野暮で雅味のないものとして退けるのは、近代の採光や照明がもたらした「明るさ」のせいではないでしょうか。
幾重もの闇が堆積したように塗り重ねられた漆器の深みは、周囲を囲む暗さから生じたように思えます。

蒔絵(金銀の豪華な絵模様)を施された漆の台も棚も、普通に見てしまえばケバケバしく悪趣味に見えますが、燭台の暗がりで見ると、闇から浮かび上がる底光りするような黄金色や、燈火をちらちら反映する具合が、非常に美しく見えます。
豪華な蒔絵の大半は闇に隠れており、言い知れない餘情があります。
昔の工芸家は、当然、電灯などない薄暗い部屋に置かれることを計算して作っているはずであり、それらは意図的な工夫であるように思えます。

七、

[和菓子、味噌汁、醤油、白飯などについて語られます。主旨は六と同じです。]

八、

西洋のゴシック様式の寺院は、天にも届くような高く尖った屋根が特徴ですが、日本の伽藍は大きな広い屋根とその庇(ひさし)が特徴です。
庇は深く広い陰を生み、日中でも軒から下は洞窟のような闇になります。
建物よりも屋根の方が重く広く、大きな傘を広げてその陰の中に家を作っている様です。
それに対し西洋のそれは鳥打帽のように、ツバを可能な限り小さくし採光をえようとします。

勿論、それは日本の気候風土や建材などの都合で生じたものであるにしても、その余儀なく住まわざるをえない暗い部屋を詩化し、陰影の中に美を見出し、今度はその美に沿うように陰影を使用するようになります。
日本座敷の美は、まったくその陰影の濃淡に依るのであり、庭からの反射(間接)光と障子を透かしたほのかな光線による繊細な濃淡の調子がその主役となります。
床の間は、陰影を作るための空間であり、花や掛け軸を飾るのは、むしろその陰影に深みを与えるためのものになっています。

九、

日本座敷は一枚の墨絵のようで、障子は墨色の最も明るい部分であり、床の間は最も濃い部分です。
数寄屋建築の座敷を見ると、日本人がいかに陰影の秘密を理解し、光と陰を巧みに使いこなしたかがよく分かります。
そこに生じる静寂の闇は、西洋人が「東洋の神秘」と言うものに通じ、それは結局、陰影の魔法であって、強い光によって陰を取り去れば、ただの虚しい空白に帰するのです。
日本人は、虚無の空間を意図的に遮蔽することにより、そこに陰影の世界を生み出す魔法をかけるのです。

十、

そういう建物の奥の暗がりにある、金屏風や金の襖(ふすま)や仏像は、夕暮れの地平線のような沈痛な美しい黄金色を投げかけています。
私の動きに従って、それは夢のようにゆらゆらと静かに照り返し、時にぱっと燃え上がり輝きます。
暗い家に住んでいた昔の日本人にとってその黄金は、暗い部屋を補うための反射板(レフ板)としての実用性と、その美しい色の詩的価値を同時に実現していたものだったのでしょう(美と実用の統合、八を参照)。

また、能楽の美しさは、その暗さの中にぽうっと内部から明かりが射したように浮かぶ、日本人の肌色のなめらかな色つやにあり、近代的な照明の明るさは、その色の調和を散らしてしまいます。

十一、

近代の歌舞伎において、昔のような女らしい女形が現れないと言われるのは、俳優の問題と言うより、近代的な明るい照明によるものとも思えます。
今と違い、昔の蝋燭やカンテラによって照らされた女形は、適度な暗さで男性的な強い線を覆い隠されていたはずだからです。
文楽の人形浄瑠璃は、明治になっても長らくランプを使っていたわけですが、それにより、人形特有の固い線や質感は柔らかくぼかされ、その女の実感は、むしろ今の女形よりも優っていたのではないかと想像します。

十二、

文楽の人形は、顔と手の先しかなく、あとは長い衣装に隠れています。
実のところ、昔の女というものも、襟から上と袖口から先だけで、残りは闇に隠れていたのだと思います。
中流階級以上の女は、めったに外出せず、昼も夜も家の奥の闇に五体を埋め、顔と手だけで存在を示していました。
当時の女の地味な衣装は、闇と顔をつなぐ闇の一部にすぎず、もしかしたらお歯黒というものは、口の中まで闇を詰めて、顔以外のすべてを闇に沈めようとしたものではないでしょうか。

極端に言って彼女たちには肉体がなかったとも言えます。
着物を着せるためだけの人形の棒状の胴体のように、凹凸のない平べったい身体が特徴であり、そういう人が今でも古いしきたりが残る家の老夫人や芸者などの中に時々います。

近代(西洋)は明朗で凹凸のはっきりした女性の肉体美を謳歌し、そういう幽鬼じみた女性の美しさを理解することはできないでしょう。
明朗にそれ自体として見れば、確かに彼女たちの身体は西洋的な身体に比べ醜いのかもしれません。
しかし、先にも述べたように、東洋人は何もない所に、陰影をかけることにより、美を創造するのです。
東洋人にとって、美は物体(実体)としてあるのではなく、物と物との関係性が生み出す陰影のあや、明暗(トーン)によるのです。
もし、それを明朗な光によって照らせば、その魔法は解け、白日の下の夜光珠のように、宝石としての魅力を失います。

十三、

当然、西洋にも電気やガスのない時代があったわけですが、彼らは私たちのような陰への傾向をあまり持ちません。
西洋人は闇を嫌い、陰を払い除け、明るくしようとする進歩的な気質があるのに対し、東洋人は己のおかれた境遇に満足し、現状に甘んじようとし、それに不満を言わず、仕方ないと諦め、かえってその状況なりの美を発見しようとします。
昔の白人による有色人種の排斥(差別)は徹底しており、どれほど薄まった混血児の肌の曇りも見逃しませんでした。
彼らは何でもピカピカに研き、部屋の中も出来るだけ明るく陰を作らないようにし、天井やの壁も白く塗り、庭は平けた芝生を好みます。
色に対してのそれぞれ感覚が、自然と嗜好の差異を生んだのだとしか思えません。

十四、

私たちの先祖は、明るい大地に仕切りを作って陰影の世界を創造し、その闇の奥に女人を籠らせ、黄色い顔を世界で一番白い顔に仕立て上げました。
闇の中の燈火にゆれて浮かぶ、剃り落とした眉と螺鈿の青の口紅とお歯黒で微笑む白い顔は、どんな白人の女の白さよりも白く見えます。
それはありふれた白ではなく、実在ではない白、光と闇の戯れが生じさせるその場限りのイリュージョンです。

十五、

[今を生きる私たちは、電灯に麻痺して、明るさの過剰が生み出す不便に対して無関心になっている様が語られます。]

十六、

私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐のきを深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。(谷崎潤一郎著『陰翳礼讃』最終項より)

 

まとめ

タイトルにあるように、本書は陰の美しさを讃えることが目的です。
ここで言う陰とは、谷崎の考える日本の美の本質を指しています。
西洋の美意識を日と光、東洋(日本)の美意識を陰と闇と定義付けた上で、西洋近代化によって失われていく日本(陰)の美に対し、自覚的であろうと訴えるのです。
ニーチェの、太陽の神アポロン(理性、合理、明晰さの化身)的芸術と、酩酊の神ディオニソス(激情、不合理、混沌、陶酔)的芸術の対立に似ていますが、異なります(ちなみにディオニソスは西アジアから西欧に入った神です)。

谷崎の打ち出す対立軸は、だいたいこうなります。

「西洋」
明るさと明晰さを好み、努力によって汚れや闇を徹底的に排除しようとする進歩的な価値観を持ちます。
その明るさに照らされた、それぞれの存在は明確な輪郭と自立した価値を持ち、美も即物的になります。

「東洋(日本)」
陰と曖昧さを好み、環境をあるがままに受け入れる諦めの姿勢が特徴的で、汚れや闇はそのままに美的なものとして受容します。
暗く境界のはっきりしない曖昧さは存在の輪郭をぼかし、周囲との関係性の中にその価値を見出します。

勿論、これは近代化によって日本に侵入してきた「西洋」であり、谷崎がここで言う西洋とは、ギリシャ的な明るく合理的な美に限定されています。
例えば、ドイツのような陰鬱で魔術的な美(例、ゲーテのファウスト)などについては、まったく言及されません。

また、このステレオタイプ化された西洋と対決させるために持ち上げられる日本も、仏教的な暗く禅味ある渋いものに限定されており、明るさの中にある日本の美(例えば晴天に映える神社の極彩色の美)については無視されます。
三島由紀夫は世界で一番美しいものとして、神輿の下から見上げる空の青を挙げますが、そういう、明るく、ど派手で、躍動的な日本の美しさもあるはずなのですが(明るさの中にも美的陶酔はある)、西洋との対決姿勢と自分の芸術的立場を明確にするために、そういう可能性は排除されます。

 

おわり

 

<読書案内>

著作権が切れているので、青空文庫やamazonのkindleなどで無料で読めます(kindleは旧字にふり仮名がついていないので、やや読みにくいです)。
電子書籍が苦手な方は、中公文庫の『陰翳礼讃』をお読みください。

【吉行淳之介的世界】

2021-01-04
昭和33年3月31日前後
Facebook佐々木信雄さんの投稿
吉行淳之介的世界】
 永井荷風の『墨東綺譚』で有名な玉の井は、東京大空襲で街のほとんどが焼失した。戦後、焼け残った「玉の井」の一部地域と、1キロほど離れた「鳩の街」とに移転して、赤線指定地域として営業を続けた。
 『寺島町奇譚』の滝田ゆうは玉の井で生まれ育ったため、旧玉の井の記憶をベースに描かれている。
 吉行淳之介は『原色の街』で鳩の街を舞台にしたが、この時点での赤線などの登楼経験はまったくなかった。その後になってから、新玉の井や新宿二丁目など戦後の赤線地域を主な舞台とした作品を多く書くようになる。
 吉行淳之介は、永井荷風や滝田ゆうのように「街の情緒」を描き出さない。ひたすら、男女の微妙な心の位相関係をのみ描こうとする。つまり、作家吉行淳之介にとって、娼婦の街は男女の愛を描く、真っ白なキャンバスだった。そのせいか、戦前の情緒あふれる遊郭よりも、戦後のガサツな赤線地域が気に入っていた模様である。
 その赤線も、昭和33年4月1日に売春防止法が完全施行され、営業最終日の3月31日夜には「蛍の光」が流され、娼婦と登楼客の大合唱が夜空に響いた、などという出来すぎた話も伝えられた。
 「線後(赤線廃止後)」になると、吉行は銀座クラブなどの酒場にベースを移した。描く対象も、そのような酒場の女性が多くなったが、基本的に玄人女性を相手にするという点では変化はなかった。
 若くして入籍した女性との経緯などから、吉行には素人女性との恋愛を避けたいという傾向が強く刻印された。プロスティチュートを相手にすることで、「恋愛・結婚」などという厄介な関係を避けようとしたわけである。
 にもかかわらず、吉行の作品には、そのような女性と恋愛関係に陥ってしまうというプロットが多く登場する。結婚だの家庭だのといった、いわば「ノイズ」を取り除いたところに、「恋愛の構造」というものが浮き上がってくるのではないか、そのような視点が吉行にはある。
 もちろん、「純愛」だの「無私の愛」などというものを認めるわけもなく、「恋愛」の背後には必ずエゴイズムが絡んでいるのを吉行淳之介は凝視し続ける。にもかかわらず、そのようなエゴの絡み合いが、当事者には見えなくなる瞬間がある、それを「恋愛」と呼ぶのではないか。それが「恋は盲目」ということの意味である。

昭和という時代

2021-01-02
Facebook佐々木信雄さんの投稿

【全文掲載】天皇陛下 新年ビデオメッセージ

2021-01-02
2021年1月1日 午前5時31分配信

(天皇陛下)
皆さん新年おめでとうございます。

(皇后さま)
おめでとうございます。

(天皇陛下)
今年の正月は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、残念ながら一般参賀の場で皆さんに直接お話をすることができなくなりました。そこで、今回は、ビデオで新年の御挨拶をしようと思います。

振り返りますと、昨年7月に、豪雨により多くの尊い命が失われたことは痛ましいことでした。御家族を亡くされた方々や、住む家を無くし、仮設住宅などで御苦労の多い生活をされている方々の身を案じています。

この1年、私たちは、新型コロナウイルスという、今の時代を生きる私たちのほとんどが経験したことのない規模での未知のウイルスの感染拡大による様々な困難と試練に直面してきました。世界各国で、そして日本でも多くの方が亡くなり、大切な方を失われた御家族の皆さんのお悲しみもいかばかりかと思います。

そのような中で、医師・看護師を始めとした医療に携わる皆さんが、大勢の患者さんの命を救うために、日夜献身的に医療活動に力を尽くしてこられていることに深い敬意と感謝の意を表します。同時に、感染の拡大に伴い、医療の現場がひっ迫し、医療従事者の皆さんの負担が一層厳しさを増している昨今の状況が案じられます。

また、感染拡大の防止のために尽力されている感染症対策の専門家や保健業務に携わる皆さん、様々な面で協力をされている多くの施設や、国民の皆さんの努力や御苦労も大変大きいものと思います。

この感染症により、私たちの日常は大きく変わりました。特に、感染拡大の影響を受けて、仕事や住まいを失うなど困窮し、あるいは、孤独に陥るなど、様々な理由により困難な状況に置かれている人々の身の上を案じています。感染症の感染拡大防止と社会経済活動の両立の難しさを感じます。また、感染された方や医療に従事される方、更にはその御家族に対する差別や偏見といった問題などが起きていることも案じられます。その一方で、困難に直面している人々に寄り添い、支えようと活動されている方々の御努力、献身に勇気付けられる思いがいたします。

私たち人類は、これまで幾度も恐ろしい疫病や大きな自然災害に見舞われてきました。しかし、その度に、団結力と忍耐をもって、それらの試練を乗り越えてきたものと思います。今、この難局にあって、人々が将来への確固たる希望を胸に、安心して暮らせる日が必ずや遠くない将来に来ることを信じ、皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています。

即位以来、私たちは、皆さんと広く接することを願ってきました。新型コロナウイルス感染症が収まり、再び皆さんと直接お会いできる日を心待ちにしています。

そして、今年が、皆さんにとって、希望を持って歩んでいくことのできる年になることを心から願います。ここに、我が国と世界の人々の安寧と幸せ、そして平和を祈ります。

(皇后さま)
この1年、多くの方が本当に大変な思いをされてきたことと思います。今年が、皆様にとって少しでも穏やかな年となるよう心からお祈りいたします。

また、この冬は、早くから各地で厳しい寒さや大雪に見舞われています。どうぞ皆様くれぐれもお体を大切にお過ごしいただきますように。

長崎県軍艦島(端島)のX階段

2021-01-02
Facebook須賀 裕之さんの投稿

ちょっと気になる歌・唄

Face book 時代 唄

2020-04-22
https://www.facebook.com/groups/426829040985103/
今のカバー写真 レ・ガールズです。

作詞家 五木寛之

2020-10-10
あれも愛 これも愛・・・・
Facebook永井由紀夫さんの投稿より
作家でつづる流行歌
五木寛之(作詞)作品集

旅の終わりに 冠二郎
青年は荒野を目指す ザフォーク・クルセダーズ
愛の水中花 松坂慶子
二丁目の子守唄 ミルバ
ひとり暮しのワルツ 石黒ケイ
四季・奈津子 チェリッシュ
織江の唄 山崎ハコ
女人高野 田川寿美 
夜明けのメロディー ペギー葉山
東京タワー / ミッツ・マングローブ

はいだしょうこ「にじ」- きっと明日はいい天気

2020-09-05
https://youtu.be/aKmutxnR944
はじめてこの曲を聴いた時、元気づけられたのと同時に、明るい曲なのになぜか涙が出ました。 そして、私がこの曲を大好きになった時には、もうすでに、幼稚園や保育園では大人気の曲。ということを知りました。 歌ってください! のリクエストも多く、今回歌わせて頂くことにしました。 「きっと明日はいい天気」 私が、この曲で、元気づけられ、また明日も頑張ろう! と思えたように、 皆様にも「にじ」が届きますように。。。

<演奏曲情報>
作詞:新沢としひこ
作曲:中川ひろたか
歌:はいだしょうこ
ピアノ演奏:YUKA

音楽プロデュース:赤坂東児

花は咲く 山鉄バージョン https://youtu.be/wazwInwECSc

2020-08-21
キャスト・スタッフ 作詞:岩井俊二 作編曲:菅野よう子 歌・出演:六角精児 & 松井玲奈 出演:三陸鉄道職員のみなさん 地元のみなさん 撮影協力:三陸鉄道
岩手県の沿岸部を結ぶ三陸鉄道。
連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台の一つとしても知られています。
2019年3月23日、JR東日本から、復旧工事を終えた宮古と釜石の区間が移管され、全長163キロの三陸鉄道「リアス線」として1本のレールで結ばれました。
番組では、旅情を誘う鉄道と沿線地域の風物を織り交ぜ、震災からのさらなる復興を応援します。

また、本番組の制作に際し「花は咲く」の作曲家・菅野よう子のアレンジによる新たな音源で、鉄道ファンとしても知られる二人のデュエットが実現しました。
BSプレミアム「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」でもおなじみ、俳優の六角精児。
そして連続テレビ小説「まんぷく」でもおなじみ、「時刻表」の表紙にも登場した女優の松井玲奈。番組では二人が三陸鉄道に乗り込みます。

https://youtu.be/wazwInwECSc

リレハンメルオリンピクです。

2020-08-02
高橋真梨子/ 遥かな人へ 
高橋真梨子40周年記念コンサート~
https://youtu.be/cbBXlGMsKw0

https://youtu.be/GECFcOM6Gwo

ちょっと気になる絵

日本武道館は、東京の九段にあります。

2021-01-15
屋根が葺き替えられました。
Facebookダイヤモンドホテル/DIAMOND HOTELさんより



「大きなタマネギ」こと武道館では、日本の伝統武道を中心にコンサートやイベントが行われます。当ホテルからは電車で1駅、徒歩でも20分以内と混雑知らずのアクセスです。
近くには北の丸公園、科学技術館、東京国立近代美術館、昭和館も隣接し散策にもぴったりです。

国宝

2021-01-06
現存する楽器としての国宝においては最大の大きさのものです。
雅楽に使用される巨大な太鼓、だ太鼓(だだいこ)。奈良の春日大社が所蔵するだ太鼓は、現存するだ太鼓でも特に歴史が古く、全長6.45mと、あまりの巨大さに見る者を圧倒。

春日大社では、だ太鼓が所蔵されていた宝物殿を平成28年に改修。工事に合わせ、だ太鼓自身の修復も並行で作業。2019年3月、4年に及ぶ修理が完了。だ太鼓が宝物殿に戻り広く一般に公開されるようになりました! 

  • 鼉太鼓(左方・龍)重文 写真:春日大社



鼉太鼓は屋外の舞楽演奏に用いる左右一対の太鼓です。春日大社のものは源頼朝寄進との伝承がある鎌倉時代の作で、総高6m58cm。日本最大級の大きさを誇り、また鎌倉仏師の手による最高峰の彫刻で飾られています。
本特別展は、4年におよぶ本格修理によって見事復活を果たし本来の伸びやかで繊細かつ荘厳な姿を取り戻した鼉太鼓が4年ぶりに春日大社に戻り、国宝殿にて二基一対で初めて公開されることを記念するものです。
本展示では、鼉太鼓を中心に楽人たちが歴代大切に守り続けてきた重要文化財の舞楽面や国宝の楽器などを合わせて展示します。
この春は春日大社国宝殿で鼉太鼓が生み出す超迫力と春日舞楽が醸し出す優雅な雰囲気とに魅了されましょう。

龍と鳳凰と巴の話

2021-01-06

龍と鳳凰と巴の話

太鼓の装飾には、吉祥を暗示するとされるさまざまな文様や数、色彩などが意匠化されている。中でも代表的なのが、巴と龍、鳳凰である。
[巴]
中国の太極の思想をうけた宇宙観、すなわち虚無が二つの宇宙から構成されており、陰と陽とから成り立っているという見方のもとに構図され、たとえば男女、明暗、肯定と否定など、極限の対立と調和を表す。
中国や朝鮮では二つ巴が用いられるが、日本では平安時代に奇数による日本的統制の和を示した三つ巴が完成した。

[龍]
森や草原、川などに住むさまざまな動物を複合して創造した想像上の霊獣で、水を司るといわれる。
龍が飛龍を生み、その飛龍が鳳凰を生んだことになっている。
中国では古くから龍のモデルの一つとなった蛇への信仰が篤く、脱皮に象徴される『死と再生』のシンボルであり、雨をよび、地下水を招く『水の循環』の象徴とされてきた。
一説によれば龍王には九子がおり、中の一子が啼いたり音を好む性質があるため、音色が良くなるよう梵鐘の竜頭や太鼓などの楽器に龍を配することがあるという。

[鳳凰]
さまざまな鳥類を複合して創造した想像上の霊獣。
体は美しい五彩に輝き、声はこのうえなく音楽的かつ高貴で、龍と同様楽器に縁がある。
四方のうち南を守る神といわれる『朱雀』を雌雄の対としたものといわれる。奈良時代に中国から日本に伝えられた鳳凰は、さらに日本の風土文物に調和する美しい姿に洗練された。

鼉太鼓(だだいこ)

2021-01-06

鼉太鼓

雅楽に用いられる楽太鼓のうち最大のもので、太鼓の周囲を宝珠形の五色の雲形板で囲み、さらにその外側をおびただしい朱色の火焔が取り巻いていることから、火焔太鼓ともよばれます。
太鼓の革は、赤、白、黒の絹を撚りあわせた調緒で鼓のように締め、革面には漆で金箔を貼りつけます。
朱の胴の太鼓の革面に三つ巴を描き、雲形板の頂上に日輪の飾りを掲げる左方太鼓と、胴を緑に彩色して革面に二つ巴を描き、頂上に月輪の飾りを掲げる右方太鼓があり、左方太鼓は太鼓の左右に金色の二頭の龍、右方太鼓には二羽の鳳凰が刻まれています。
つねに左方・右方一対で用います。

政府専用機の運用について

2020-12-26
運用は、常に副機と共にです。
ベースは、北海道の新千歳空港にあります。

【Face bookのページ】 味覚嗜好について

味覚嗜好のページ

稲取のキンメダイです。

2021-01-14
Facebook鈴木 弘康 より

稲取のキンメダイです。

2021-01-14
Facebook鈴木弘康さんより
Facebook鈴木弘康さんより

初釜の主菓子(おもがし)

2021-01-14
Facebook平野むめぐみさんより
毎年、この時期は、お茶の世界では初釜が行われます。
初釜とは、新年最初に行うお茶会の事をいいます。新年最初の茶会では、茶室の飾りつけも華やかなものですし、使われる茶道具も縁起の良いものを用意をします。 
初釜の主菓子(おもがし)は、新年最初の行事にふさわしく、新春を感じさせるような鮮やかな色合いと正月の華やかさを表すお菓子が使われます。
流派によって主菓子もそれぞれ違っています。
【三千家の初釜の主菓子】
○表千家
⚫︎常盤饅頭(ときわまんじゅう)
千年かわらないという松の翠から、白い薯蕷饅頭に緑色に染めた白小豆を包んだもの。二つに割ると、あたかも雪をかむった松を思わせ、正月の瑞雪にも似た気品のあるお菓子です。
○裏千家
⚫︎御菱葩(おんひしはなびら)
丸く平らにした白餅に、赤い小豆汁で染めた菱形の餅を薄く作って上に重ね、柔らかくしたふくさ牛蒡を二本置いて、押し鮎に見立てたもの。餡は京の雑煮にみたてて、白味噌餡を使用します。
○武者小路千家
⚫︎都の春(みやこのはる)
「柳は緑・花は紅」という言のように、京の春を、緑色と紅色で染め分けて表し、小豆餡を芯に使ったきんとん仕上げの菓子です。武者小路千家では、初釜に用いるのが恒例になっています。干支煎餅・千代結びの組合わせは、薄茶の席に用います。

すべては、ここから始まりました。 私の初体験は、この11年後の事でした。

2021-01-07
回転ずしを生んだ元禄寿司の道頓堀店。当時は4、5貫載った皿も回っていた=1962年、大阪市
Facebook永井由紀夫さんの投稿

2021(平成3)年の干支は、丑です。

2021-01-05
羊羹のとらやの干支パッケージです。
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