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ちょっといい話

データベース

真宗聖典検索 Web site

2020-04-22
東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。
このサイトは、宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業の一つとして聖教編纂室にて取り組み、開設したサイトです。東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。使用方法については、このサイトについてをご覧ください。

このサイトについて | 真宗聖典検索 Web site (higashihonganji.or.jp) 

Facebook 大谷派における学事の潮流

2020-05-05

大谷大学

2021-02-14
1949年 - 新制大谷大学を開設。文学部に仏教学科、哲学科、史文学科を設立。
1665年 - 琢如が東本願寺寺内に寺院子弟教育を目的として学寮を創設する。

大谷大学

2021-02-14
新制大谷大学の今
大学報恩講の荘厳

大谷大学の今

2021-02-14
大谷大学尋源館(大谷大学旧本館)
烏丸北大路交差点の一角に校舎を構える大谷大学は東本願寺の学寮に遡る古い歴史を持つ学校です。

烏丸北大路交差点の一角に校舎を構える大谷大学は東本願寺の学寮に遡る古い歴史を持つ学校です。
この大谷大学には大正期に建てられた煉瓦造りの旧本館が今も残り、現役施設として使われています。

コロナ、今、私達に出来る事、最新情報は、"コロナと向き合う”へ!

嵐です。 いっしょにやってみましょう。

2020-04-20
https://youtu.be/jSM0h8VPSZk

星野源です。 うちで踊ろう Dancing On The Inside

2020-04-20
うちで踊ろう Dancing On The Inside

ルンビニーこども園からのプレゼン

2020-04-20
「おうちあそび おすすめサイト集」
おうち遊びは、ネット画像を眺めるだけのものはできるだけ選ばずに、いっしょに身体を動かしたり、描いたり、作ったりして遊べるものを選んでいます。どうぞご活用ください。

「おうち遊び」

 
てぃ先生運動遊び
https://youtu.be/0VyXY7Wr7E8

塗り絵(電車など)
https://www.jrkyushu.co.jp/train/playhome/

塗り絵②
https://www.google.co.jp/…/rocketne…/2020/04/14/1359198/amp/

ペーパークラフト
https://creativepark.canon/jp/index.html

朝日新聞社 たのしーと
https://houkago.asahi.com/genre/kazu.html?iref=gnavi

遊びアイデア集(Hoiclueリンク)
https://www.google.co.jp/…/rd/amp/p/000000023.000004151.html
Hoiclue
https://hoiclue.jp/

おりがみくらぶ
https://www.origami-club.com/

日本レクリエーション協会主催「レクぽ」
https://www.recreation.jp/

谷川俊太郎さん絵本朗読(ルンビニのうたを作詞してくださった谷川さんの絵本の朗読です)
https://www.youtube.com/watch…

いっしょに歌おう 「はじめの一歩」
https://www.youtube.com/watch…

コロナで増大「ゲーム漬けの子」・・・。

2020-04-21
時間を決めるより効果大な7つの対処法

コロナ情報について、最新情報をご覧になりたい方は、"コロナ、そして今"へ! 

コロナに思う♯14 田中耕一氏 02年ノーベル化学賞 島津製作所

2020-05-11

内田樹の研究室   Facebook 桑門 超さんのシェアより  

2020-05-03
『隣組と攻撃性』 市民たちの相互監視が始まっている。

市民たちの相互監視が始まっている。

 GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
 私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
 私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
 人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。

 嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
 私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
 私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
 最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
 しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
 学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
 私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)

 いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
 これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
 彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
 そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
 この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
 いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
 大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。大阪府知事は、人間が条件次第でどれほどでも攻撃的になり得ること、その機会をつねに窺っているということを知らないか、あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
 ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったからである。
 市民を相互監視させることによって統治コストは劇的に削減される。それは事実である。けれども、その代償として、「大義名分をかかげて隣人を攻撃し、屈辱感を与える」ことに熱中する人々の群れを解き放ってしまう。それがどれほど危険なことなのかについて、人々はあまりに警戒心がないと思う。

内田 樹(うちだ たつる)1950年生まれ。日本の思想家、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。 出典 http://ja.wikipedia.org/wiki/内田樹

郷士望さんんらのメッセージ

2021-01-07
郷士さんは、「銀座の鐘」のプロデューサーです。

銀座の鐘

2020-04-20
新型コロナ 厳しい勤務続く医療関係者に感謝の鐘 東京 銀座

感染拡大が続く新型コロナウイルスに対応するため、厳しい勤務が続く医療関係者に感謝を示そうと、東京 銀座の交差点では時計塔から鐘の音が流されました。

新型コロナウイルスに感染した人たちの治療に当たっている医師や看護師など、医療現場のスタッフに対して、イギリスでは毎週木曜の午後8時に一斉に拍手や口笛を送ったり、フランスではエッフェル塔に「ありがとう」を意味する「MERCI」のメッセージが映し出されたりするなど、感謝の気持ちを示す動きが世界各地で広がっています。

日本でも、感染のリスクにさらされるなど厳しい勤務状況が続く医療スタッフへの感謝の気持ちや感染拡大を防ぐために家で過ごそうというメッセージを伝えようと、20日から東京 銀座のデパートにある時計塔から「命の鐘」と題して、鐘の音が流されることになりました。

鐘の音は午後7時ちょうどから流され、緊急事態宣言が出され、ふだんより格段に人通りが少ない銀座の町なかに鳴り響きました。

鐘の音は、毎晩7時から流され、「YouTube」などでも配信される予定です。

 企画した郷司望さんは、「一日に一度、一緒に医療関係者に感謝の気持ちを示すきっかけになれたらと思います」と話していました。


ダライラマ14世のメッセージ

2020-04-16
ダライ・ラマ法王からの新型コロナウイルスに関する特別メッセージ 2020年3月30日

親愛なる兄弟姉妹の皆様へ

世界中の多くの方々からの度重なる要請に応えて、私の思いを記したいと思います。新型コロナウイルス(COVID-19)の発生により、今、私たちは大変な苦難の最中にあります。

新型コロナウイルスの問題に加え、人類は、極度の気候変動といったさまざまな問題に直面しています。この場をお借りして、インド政府をはじめ、こうした問題に懸命に取り組んでおられる世界中の政府に称賛と感謝の念を表明したいと思います。

古代インドの伝統は、時間の経過にともなう世界の創造、持続、破壊について説明しています。そのような破壊の原因の中には武器や病気があると書かれており、これは、私たちが今まさに経験していることと一致しているように思われます。しかしながら、どれほど大きな脅威に直面しようとも、人間を含めた生きとし生けるものは、生き抜くために素晴らしい能力を発揮してきました。

いかに困難な状況であろうとも、私たちは科学技術と人智を尽くして決断し、勇気をもって、立ちはだかる問題を乗り越えなければなりません。健康と幸福が脅かされているのですから、不安や恐れを感じるのは当然です。とはいえ、目の前の問題をどのように捉えるべきかについては、私は次の賢明な助言に大きな慰めを得ています。「もし、改善策があるならば、心配せずそれを実行しなさい。しかし、何も改善策がなければ、それ以上心配しても何の役にも立ちません」

現在、新型コロナウイルスの拡大を防ぐためにだれもが最善を尽くしています。私は、ウイルスの脅威を最小限に抑えるために国家間で協調した努力がなされていることを、心より称えたいと思います。とりわけ、インドの主導権のもとに南アジア地域協力連合の国々が緊急基金を設立し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための情報、知識、専門技術を交換するための電子プラットフォームを立ち上げたことは素晴らしい取り組みだと思います。これは、将来、このような危機に対処する際にも良き手本となることでしょう。

私は、世界各地で都市封鎖の必要が生じた結果として、多くの方々が収入を失い、大変な困難に直面しておられることも理解しています。安定した収入のない方々が生きていくには、毎日が闘いです。こうした弱い立場にある方々にできるかぎりの配慮がなされるよう、私はすべての関係者の方々に、切にお願いしたいと思います。

また私は、自らの命を大きな危険に晒しながら、人命救助の最前線で働いておられる医師や看護師、その支援業務に携わるすべての方々に、心より深い感謝の念を捧げます。彼らの奉仕活動は、まさに慈悲の心の実践にほかなりません。

苦難の最中にある世界中の兄弟姉妹の皆様のことを深く心に想い、私は、この世界的な感染症が一刻も早く終息し、平和と幸福が一日も早く戻るよう祈りを捧げたいと思います。

祈りを込めて


ダライ・ラマ

特別メッセージ

仰せを蒙りて

報恩ということ

2020-11-15

藤原正遠先生の揮毫

2021-01-21

親鸞聖人の生涯

2021-01-25
Hp九州教区「よみもの」より

なるほど仏事

2021-01-25
Hp九州教区「よみもの」より

安田理深先生

2021-02-12
Facebook澤村博幸さんより

お釈迦様の話

釈尊の生涯と教え

2020-04-19
仏教の本質 哲学者「中村元」

ブッダ 最期のことば 1.2.3.4.

2020-06-14

釈尊のお説法

2020-04-07

漫画『ブッダ』

2021-02-10
原作は、手塚治虫先生

独自の解釈で描かれた、手塚治虫版ブッダ伝です。

シッダルタは、ヒマラヤ山脈のふもとカピラヴァストウで、シャカ族の王・スッドーダナの長男として生まれました。けれども、生後7日目に母マーヤと死にわかれ、叔母のパジャーパティに育てられました。

その後、16歳でヤショダラと結婚し、一子ラーフラをもうけますが、人生の根底にひそむ生老病死の問題について考えるようになり、29歳のとき、すべてをなげうって出家します。

やがてピッパラの樹の下で悟りを開き、以後、ブッダ(サンスクリット語で目ざめた人という意味)と名乗って、インド各地をめぐる説法の旅を続けるのでした。

王子シッダールタに、富も家族もすべてを捨てる決意をさせたものとは

2021-02-10
のちにブッダとなる男・シッダールタと、彼と出会い、心を通わせた人々の、壮大な<いのちのドラマ>
手塚治虫のブッダ - 赤い砂漠よ!美しく

 2500年前、インド。王国間の争いが絶えないこの地に、世界の王になると予言された男の子が誕生する。シャカ国の王子、ゴータマ・シッダールタだ。思春期を迎えたシッダールタは、盗賊の少女ミゲーラら身分の低い人々と心を通わせ、厳しい階級社会に疑問を抱くようになる。

BUDDHA2 手塚治虫のブッダ-終わりなき旅-

 2500年前のインドの地。シャカ国の世継ぎとして誕生した王子シッダールタ——のちのブッダ。人々の苦しみと死に心を痛める青年に成長したシッダールタは、何不自由ない恵まれた身分を捨て、真実を求める旅へ向かう。
 旅先で出会ったのは、未来を予知でき、自分が死ぬ日をも受け止める不思議な少年・アッサジ。彼が自らの命をオオカミの子供たちに捧げるのを目のあたりにしたシッダールタは、死と隣合せの過酷な苦行に身をゆだねる。
 一方、強大な勢力を誇る大国・コーサラ国では、ルリ王子がシャカ国を侵略すべく、動き出していた。自らの出生に端を発して、シャカ一族に憎しみの炎を燃やすルリ王子。未来を求めて出自を忘れようとするブッダと、過去にこだわって出自にとらわれるルリ王子。国を捨てた男と、その国を滅ぼすために戦う男の相反する思いが交錯した時、彼らに関わる人々すべてが、そしてこの世界が、大きく動き出す!

ちょっといい話

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自分を知るということ

2020-12-18

「人の悪口を言ったり、自分が過去に犯した過ちを反省せず

自分がすべて正しいとする考え方は国の中でも外でも通用しない。」

1982年、いわゆる「教科書問題」が起き、中国・韓国と日本の間で外交トラブルに発展した事件があった。そのとき、角栄は「教育に政治を持ち込み混同させていることが間違いだ。一定の思想を混同させ、教育を混乱に追い込んでいる。政治から教育を切り離すことが急務だ」と語った。歴史記述をめぐって議論が交わされる今、私たちは角栄の言葉に何を思うだろう。

他者を動かすということ

2020-12-18
『田中角栄 100の言葉』より https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000252.000005069.html
「できることはやる。できないことはやらない。
しかし、すべての責任はこのワシが負う。以上!」

 
1962年、蔵相に就任した角栄が、大蔵官僚を前に就任演説で語った伝説の言葉。エリート官僚たちは、肌合いの違う新大臣の言葉に興味を持ち、いつか心酔するようになった。
大切なこと

必ず返事は出せ。たとえ結果が相手の思い通りでなかったとしても

 『聞いてくれたんだ』となる。これは大切なことなんだ。」

悪評を恐れ、何も返事をしないことが最悪の対応であり、それはどんな仕事の場面でも当てはまる。返事は人間関係の基本。小さな信頼の積み重ねが大きな人脈となり、自分を助けてくれる。それが角栄の日常だった。時代がわっても、どんな場面でも、変わらず大切な心がけだ。

グレーゾーンということ

2020-12-18
真理は常に『中間』にある。

「世の中は白と黒ばかりではない。
敵と味方ばかりでもない。

その間にある中間地帯、グレーゾーンが一番広い。
真理は常に『中間』にある。」


 角栄は自分と対立する人間の考えをよく聞き、ときにはそうした人間に理解と協力を求めることがあった。物事は単純な「賛成」「反対」の二元論で片付けられない。ひいては、人の心も相反する2つの気持ちが混在している。角栄は、トップに立つ人間だからこそ常に一番広い「白と黒の中間地帯」に思いをめぐらせることが必要だと説いていた。
情熱について

「農林省の役人はコメ問題の権威かもしれない。

しかし、情熱がない。
田んぼのなかに入ったこともないような者が、
コメのことを分かるわけがない。」


人間は体験したことを信じるとあって、地元のあぜ道に入り、農作業中に集まった支援者の前で辻説法を行った角栄。それは20代で初当選してから30年以上も続けられた。今、TPPを論じる為政者の何人が田んぼに入ったことがあるだろうか。

やきいも

2020-12-12
FacebookTetsuzo Mukaiの投稿より

食について

2020-12-09
辰巳芳子さんの場合
辰巳芳子さん。
〈2018年の食糧自給率はカロリーベースで37%、今年はさらに落ちています〉
折々のことば:2018 鷲田清一
この国はものすごく貧しいよ。とっても貧しいんだよ。
低い食料自給率、とくにたんぱく源が十分に調達できないこの国の食の基盤の弱さを、戦時中より今日までずっと骨身にしみて感じてきたと、96歳の料理家は言う。一つ事が起きれば供給が断たれるような脆(もろ)い構造をそのまま次世代に手渡すことはできないと、大豆を育てる運動を始め、調理法の基本を今も伝授する。朝日新聞デジタルでのインタビュー(10月12日配信)から。
(朝日新聞12月9日)
95歳の料理家、辰巳芳子の警告「日本はすごく貧しい」
 料理家の辰巳芳子さん(95)は、日本の食文化を豊かにするために提言を続けてきた。戦前から「日本の食料がいかに弱いかというのをずっと体験してきた。骨身にしみて知っているんだ」という辰巳さんが、現代の食の危うさを語った。
 ――戦争のあとから比べると、食卓は豊かになりました。私たちは今、何を食べたらいいでしょうか。
 そうね、自分も食べ物も、自然の一環であるというのを忘れてはいけない。自然とかけ離れて食べれば、体の養いにはならないのよ。
 自然の中にいて、季節ごとにできるものをみれば、何を食べればいいかは、自然に分かってしまう。それを食べるよりほかないんだから。
 そして、地球の在り方とあわせて食べていくこと。地球を宇宙の中にすえて考えていかないと、私たちは食べ損なっちゃうと思う。
 ――宇宙との関係というのは、具体的にはどういうことですか。
 太陽とか水、空気とか。そういうね、とっても原点的なことを謙虚に考えて生きなければならないと思うんだ。それを汚さないように。一番汚して、取り返しがつかないのは原子力だろうね。そういうもので根本的なところをいじめないようにしないといけないと思います。
 ――辰巳さんは社会意識がとても高い料理家だと感じます。
 私は社会意識が強くて、並の強さじゃないと思う。それは多くの若者が国のために死んだからです。
 あの若者たちの死を無駄なものにしたくないんだ。それが私の意識の中にはっきりある。
 75歳の頃にフィリピンまでいきました。どんなところで日本の若者が戦ったのか、見てこようと思って行ったんです。小さな南洋の島だったけれど、日本の兵隊は草の葉っぱの露をなめながら戦っていた。
 見たらテニスコートがある。あそこでテニスをやったんですかってきいたら、そこの下は米軍の兵隊が使うプールだったそうです。
 米軍の兵隊はプールに水をもっていた。日本の兵隊は水がなくて草の裏の露をなめていた。その差をもって、日本の兵隊が戦っていた。
 だから私は、自給率を高めるために、大豆を育てる「大豆100粒運動を支える会」を起こしました。コメはどうかこうか、国が維持していくでしょう。でもこの国の政府は、大豆まではできない。
 この国はたんぱく質が皆無だよ。魚も昔の何分の一かしかとれない。家畜はっていうと、もっと持ってない。豆よりほかしょうがないんだ。豆がなければ、私たちの子孫は生きていられませんよ。せめて、大豆ぐらい持ってないと、どうしようもないんだ。あれは最低の線なんだ。
 この国はものすごく貧しいよ。とっても貧しいんだよ。
 ――今の日本では、貧しいというのはなかなか実感できません。
 食料自給率は40%を割っているし、国産大豆は7%しかない。和牛といっても、エサも輸入に頼っています。
 私はね、昭和16(1941)年ぐらいから、日本の食料がいかに弱いかというのをずっと体験してきた。いかに危ない国かっていうのを骨身にしみて知っているんだ。
この国は本当に持たざる国ですよ。何か起きれば、すぐ手のひらを返したように食べられなくなります。
 ――若い世代は自給率の低さは頭で分かっても、実際に感じることは難しいと思います。関心を持つきっかけはありますか。
 いまの日本を、次の時代に渡していくことは、本当はしてはいけないと思う。こういう日本をもらっても困るだけです。何か言ってあげられることといったら……。
 まずね、炊飯器を使わないでご飯をたける人になってごらんなさい。
 それからね、煮干しでダシをひいてごらん。それがどこまでやれるか、自分を試してみることだ。そして煮干しをから煎りしてかじるんだ。煮干しをかじれる人になれるかどうか。そう思わない?
 ――思います。
 とっても皮肉な提案だと思うけれど、自分を試してご覧なさい。私たちの持っているものは、煮干し以外ないんです。その煮干しを扱えなかったら、命は危ないな。
 ――料理をするときに、どうしても食材を信じ切れずに手を掛けすぎてしまうことがあります。
 やっぱり、食材そのものをよく観察することよりしょうがない。ものの本質を理解しようとすることです。我を押さえて、本質に自分を従わせないといけないですね。
辰巳さん「シイタケスープ」のレシピ
《シイタケのスープ=作りやすい分量》 日本産原木干しシイタケ30~40グラム、昆布5センチ角3、4枚、梅干しの種2、3個、水6カップ(1)シイタケと昆布を分量の水に浸し1時間戻す。(2)シイタケ、昆布、梅干しの種を別の容器に入れる。戻し汁は鍋に移し火にかける。(3)蒸気の上がった蒸し器に(2)の容器を入れる。熱した戻し汁を容器に注ぐ。蒸し器のふたをして、40分ほど蒸す。(4)蒸し上がったら、すぐに昆布、シイタケ、梅干しの種を取り出す。スープを器に注ぐ。
 『お肴春秋』にはシイタケのステーキを書いてあるけれど、何も難しいことはない。自然にシイタケを作っている人がいたら、それを買って、あんまり水を飲まさないように清潔に洗って、汁気を取って厚手の焼き鍋に多くも少なくもなく油を入れ、シイタケを皮のほうから寝かせて置いて、あんまり強くない火で焼いてみるんだね。
 ――辰巳さんは本を書かれるときに、どういう風に相手を思っていらっしゃるのですか。
 そうね、具体的に、どういう人ってことはないです。当たり前の、誰でも持つはずの、悩みとか疑問とかを想像して書いています。
 ――一人暮らしの方が増えています。自分で自分に料理を作るということを、どう考えていますか。
 私も一人暮らしですよ。
 でもね、人間は、幸いに愛さずにはいられないのよ。愛されることも、愛することもなく生きることなんて、できませんよ。それは詭弁(きべん)だ。その状況に置かれたら、耐えがたいことになっていくよ。
 人間はそのようにできていません。自分の命に逆らうようにすることはないよ。もっと素直に生きていかないと。食べ損なっちゃうよ。(構成・高津祐典)
インタビューした食に携わる2人
 インタビューは、食に携わる2人が担当しました。略歴は以下の通り。
     ◇
 篠原祐太(しのはら・ゆうた) 1994年、東京都生まれ。昆虫食歴22年。コオロギラーメンやコオロギビール、タガメジンなどを発売。今年6月、東京・日本橋馬喰町に昆虫食レストラン「ANTCICADA(アントシカダ)」をオープンした。
 山口祐加(やまぐち・ゆか) 1992年、東京都生まれ。自炊料理家。慶応大卒業後、出版社などを経て独立。料理教室などで自炊の楽しみを伝える活動をしている。著書に、週3日の自炊で食材を使い切る『週3レシピ』(実業之日本社)。
(朝日新聞10 月12日)

時機相応について  時代と人

本日2月24日は「月光仮面登場の日」! 当時の七五三の画像。 月光仮面の人気が伺えます

2021-02-24
Facebook永井由紀夫さんより
けれども、これはやり過ぎです。 月よりの使者に千歳飴は似合いません。

【おまけ】キハ185の思い出

2021-02-25
お召し編成です。
松浦鉄道たびら平戸口駅
キハ185系 - お召し列車-唐津線

クロ157の思い出

2021-02-25

まもなく引退です。

2021-02-25
185系です。

昭和36年頃 東京タワーと増上寺

2021-02-22
Facebook永井由紀夫さんより

ちょっと気になる歌・唄・音

〚いぬのおまわりさん〛

2021-02-26
村方乃々佳
寛仁親王牌 第35回童謡こどもの歌コンクールで銀賞
チキ・チキ・バン・バン/第34回童謡こどもの歌コンクール こども部門銀賞
https://youtu.be/CtCvDGldgKE
出場者:実山隼大(小学5年) 小島和織(小学4年)

スピッツ、デヒュー30周年

2021-02-25
11th single 「ロビンソン」 オリジナル発売日:1995年4月5日

スーダラ伝説 植木等

2021-02-24
スーダラ節/無責任一代男/ドント節/だまって俺について来い/ハイ それまでよ/スーダラ節
https://youtu.be/4ZnSzleli54

・スーダラ節 0:00 
・無責任一代男 0:49
・ドント節 1:26 
・だまって俺について来い 2:00
・ハイ それまでよ 2:28 
・スーダラ節 3:34 
スーダラ節 小松政夫

わが人生に悔いなし 加藤登紀子 

2021-02-24
ピアノ 羽田健太郎(1999 OA)
石原裕次郎 三十三回忌 2019 7 17日 BGM 我が人生に悔いなし 唄 石原裕次郎
Web ニュースより引用 
1987年に死去した昭和の大スター・石原裕次郎さん(享年52)の命日にあたる17日、神奈川県横浜市の總持寺で三十三回忌の法要が営まれた。約500人のファンが見守る中、裕次郎さんの妻で石原プロモーション会長・まき子夫人(85)、おいの石原伸晃氏(62)、俳優・舘ひろし(69)、神田正輝(68)、徳重聡(40)らが参列。法要後に会見が行われ、まき子夫人は、今年をもって弔い上げとすることを明らかにした。

https://youtu.be/NO-D0mXjFTI

裕次郎さんから「人生の歌を歌いたい」と直接電話が掛かってきた

2021-02-24
「初めて好きなことを言って、好きなように書いた」という作品
石原裕次郎夫妻(中央)と一緒にハワイでゴルフをした時の記念写真。「出会いはまったくの偶然でした」=本人提供

「初めて好きなことを言って、好きなように書いた」という作品が、裕次郎さんの最後の楽曲「わが人生に悔いなし」(87年)だ。

 晩年、裕次郎さんから「人生の歌を歌いたい」と直接電話が掛かってきた際、「『マイウェイ』のような自分の人生を自慢するような歌じゃなくて、スターのオーラを外した一人の男としての歌にしましょうよ」と提案したのが「わが人生-」といい、「僕が初めて自己主張を通して書いたもので、裕さんは『従ってよかった』と言ってくれました」とほほえんだ。

石原裕次郎 わが人生に悔いなし
不世出の俳優にして歌手の石原裕次郎が52才の若さで惜しくも逝ったのは昭和62年7月17日のこと、この夏、34回忌を迎える。
石原裕次郎は永遠に我が青春のアイドルであり、我が心に永遠に生き続ける。
https://youtu.be/YnhIDLdxzAE

なかにし礼 わが人生に悔いなし なかにし礼さんはシャンソンの訳詞をされている時に 石原裕次郎さんから「歌謡曲を書いて俺の歌を作ってくれ」と ある所で声をかけられたそうです、それ以後、歌謡曲に転向して 人生が変わったとおっしゃっていました 
https://youtu.be/Bb10tI-vZfk

ちょっと気になる絵

(色鉛筆描写) *国鉄鹿児島本線・戸畑駅 1976年(昭和51年)頃

2021-02-26
Facebook山元山元剛さんより  現在の制作状況です。

蒲郡の河津桜

2021-02-24
Facebook蒲郡クラシックホテルより



本館裏の駐車場に植えられた数本の河津桜
開花だいぶ進みました 。
先に開花の始まった。
旧 常磐館宴会場跡の河津桜は満開です!
常磐館宴会場跡の河津桜

花見の伝統について

2021-02-24
Facebook畠山 紘さんより

奈良時代の花見は「梅」でした。
桜より梅が人気
現代では、花見で愛でる花といえばもちろん桜のことですよね。桜は日本人に古くから愛されてきた花であり、春を象徴する花です。
それは梅です。奈良時代の花鑑賞といえば、梅をさしていました。貴族たちの間では造園する際、梅を入れることが定番となったようです。
当時、日本は遣唐使を介した中国との交易が盛んでした。中国文化、物品も多く日本に伝わり、その中の1つに梅があったのです。香立つその花は珍重され、桜よりも人気がありました。
その人気ぶりをうかがえるのが、『万葉集』に詠まれた梅の数です。桜を詠んだ歌は43首に対し、梅を詠んだ歌は110首。梅は桜の倍以上詠まれているのです。
花見の始まりは奈良時代にあり
こうして貴族を中心に好まれ、愛されてきた梅。当時の貴族の優雅な風習といえば、「歌を詠む事」でした。中国からやってきた梅を見ながら、歌を詠む会を開きました。これが現在の花見の原型になったといわれています。

両陛下、茨城へ お召し列車が令和初「特別車両」連結で常磐線を走る E655系電車「和」

2021-02-24
天皇皇后両陛下の茨城国体開会式ご出席にあたり、東京から常磐線経由の「お召し列車」が運転されました。使用された車両は、「特別車両」を連結したJR東日本のE655系電車「和」。特別車両を連結したお召し列車の運転は、令和初です

https://trafficnews.jp/post/89983

 お召し列車に使われた車両は、JR東日本のE655系電車「和(なごみ)」。普段はグリーン車だけの5両編成で、団体列車などに使われていますが、今回のお召し列車では、編成の中央に両陛下がご乗車になる「特別車両(TR車)」を連結。「日章旗」と「菊の御紋」を掲出し、6両編成で運転されました。

両陛下、茨城へ お召し列車が令和初「特別車両」連結で常磐線を走る E655系電車「和」

2021-02-24
「日章旗」「菊の御紋」を掲出し、特別車両を組み込んで常磐線を走るお召し列車
今回のお召し列車では、編成の中央に両陛下がご乗車になる「特別車両(TR車)」を連結。「日章旗」と「菊の御紋」を掲出し、6両編成で運転されました。
「特別車両(TR車)」を連結。
特別車両を組み込んで走ったE655系のお召し列車(2019年9月28日、伊藤真悟撮影)。

【Face bookのページ】 味覚嗜好について

味覚嗜好のページ

日田は山紫水明の地です。 それは『原酒をはぐくむ酒の杜』。

2021-02-20
深い自然がもたらす澄んだ空気と清らかな 水の恵みを受けて、ここに新たな考えに基づく 「いいちこ日田蒸留所」を設けました。
また君に恋してる 坂本冬美
https://youtu.be/j4tKh0SAedc

【オリジナルはこちら】
ビリー・バンバン / また君に恋してる(ビリー・バンバン ヴァージョン) - YouTube
2010年の話題の大ヒット曲、オリジナル楽曲!
1988年から続く、ビリー・バンバンの三和酒類株式会社"いいちこ"CMソング。 

#30_渡辺雄一郎​(Nabeno-Ism)

2021-02-16


(OA:2019/12/28,2020/01/18) 
今回、三石寛太(髙嶋政宏)が訪れたのは、江戸の食文化が色濃く残る街・浅草。 日本風情漂うこの街に、フレンチの巨匠たちから薫陶を受け、王道を歩んできた一人のシェフがいる。
レストラン・ナベノイズムの渡辺雄一郎だ。
彼はかつて、フレンチの神様ジョエル・ロブションの店を、9年連続でミシュラン三ツ星に導いた。 2016年に独立後も、2年連続で二ツ星を獲得。 世界の名店を渡り歩き、王道のフレンチと日本の風土を融合させる男・渡辺雄一郎が今回挑戦した未来に遺すべき作品とは? 


2016年 7月7日 東京浅草駒形 隅田川ほとりにて レストラン Nabeno-Ismナベノ-イズムを開業






大きな影響を与えた母、辻静雄氏、ジョエル・ロブション氏

ドンペリと隈研吾の融合

2021-02-06

〈ドン ペリニヨン〉の5代目醸造最高責任者だったリシャール・ジョフロワが生み出した日本酒ブランド〈IWA〉。その初のリリースである《IWA 5》を注目すべき理由は、ブレンドという画期的な手法だけでなく、ボトルデザインをマーク・ニューソンが手掛け、〈IWA〉が生まれる酒蔵〈白岩〉を建築家・隈研吾が設計するなど、日本酒の世界に新しい風を吹き込んでいるからだ。

・隈研吾が酒蔵を設計、ボトルデザインはマーク・ニューソン。 

〈IWA〉が生まれる酒蔵〈白岩〉を建築家・隈研吾が設計

WAKAZE

2021-02-06
https://www.wakaze-sake.com/ja/products/classic?gclid=CjwKCAiA9vOABhBfEiwATCi7GNZQSzljISrctuOEXZSRb5dh_gLqXHCVTg_7M3Ftuo-zPZQ9_IM_ERoCgA8QAvD_BwE


パリ近郊で醸造したSAKE「ザ・クラシック」は、フランスワインのビオ酵母とイル・ド・フランスエリアの硬水を使用して醸造されています。ミネラルをたっぷり含んだこの水は、通常のSAKEとは一線を画した複雑な味わいを生み出します。ミネラルを豊富に含んだこの水は、発酵工程をより複雑にするため、造り手の腕が試され、非常に精密な酒造りが求められます。

パリのSUSHI

2021-02-06
1982年福岡県生まれ。憧れがあり、小学生の時点ですでに料理の世界に入ることを決意。高校卒業後すぐに福岡の鮨屋で修業を始め、技術よりも大切な人間力を磨くため、10年間同店に勤務。途中、日本の外では和食がどのように思われているのかという探究心に駆られ、アムステルダムに一時的に場所を移す。そのときにできた縁を辿り、最終的にはフランス・パリに拠点を置き、ときにはフランス料理店での修業も経験し、海外という制約があるからこその鮨を自ら開発し、ミシュラン・ガイドの一つ星を得るに至る。消費者が成長し、いよいよ海外で「本物」の和食が求められる時代に突入した今、第一線の現場で伝道師としての役割を担っている花田氏に、海外で日本の鮨職人が戦うことの意味をうかがった。
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