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コロナ、今、私達に出来る事、最新情報は、"コロナと向き合う”へ!
ルンビニーこども園からのプレゼン
「おうち遊び」
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塗り絵(電車など)
https://www.jrkyushu.co.jp/train/playhome/
塗り絵②
https://www.google.co.jp/…/rocketne…/2020/04/14/1359198/amp/
ペーパークラフト
https://creativepark.canon/jp/index.html
朝日新聞社 たのしーと
遊びアイデア集(Hoiclueリンク)
https://www.google.co.jp/…/rd/amp/p/000000023.000004151.html
Hoiclue
https://hoiclue.jp/
おりがみくらぶ
https://www.origami-club.com/
日本レクリエーション協会主催「レクぽ」
https://www.recreation.jp/
谷川俊太郎さん絵本朗読(ルンビニのうたを作詞してくださった谷川さんの絵本の朗読です)
いっしょに歌おう 「はじめの一歩」
https://www.youtube.com/watch…
コロナで増大「ゲーム漬けの子」・・・。
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コロナに思う♯14 田中耕一氏 02年ノーベル化学賞 島津製作所
内田樹の研究室 Facebook 桑門 超さんのシェアより
市民たちの相互監視が始まっている。
GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。
嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)
いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。大阪府知事は、人間が条件次第でどれほどでも攻撃的になり得ること、その機会をつねに窺っているということを知らないか、あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったからである。
市民を相互監視させることによって統治コストは劇的に削減される。それは事実である。けれども、その代償として、「大義名分をかかげて隣人を攻撃し、屈辱感を与える」ことに熱中する人々の群れを解き放ってしまう。それがどれほど危険なことなのかについて、人々はあまりに警戒心がないと思う。
銀座の鐘
感染拡大が続く新型コロナウイルスに対応するため、厳しい勤務が続く医療関係者に感謝を示そうと、東京 銀座の交差点では時計塔から鐘の音が流されました。
新型コロナウイルスに感染した人たちの治療に当たっている医師や看護師など、医療現場のスタッフに対して、イギリスでは毎週木曜の午後8時に一斉に拍手や口笛を送ったり、フランスではエッフェル塔に「ありがとう」を意味する「MERCI」のメッセージが映し出されたりするなど、感謝の気持ちを示す動きが世界各地で広がっています。
日本でも、感染のリスクにさらされるなど厳しい勤務状況が続く医療スタッフへの感謝の気持ちや感染拡大を防ぐために家で過ごそうというメッセージを伝えようと、20日から東京 銀座のデパートにある時計塔から「命の鐘」と題して、鐘の音が流されることになりました。
鐘の音は午後7時ちょうどから流され、緊急事態宣言が出され、ふだんより格段に人通りが少ない銀座の町なかに鳴り響きました。
鐘の音は、毎晩7時から流され、「YouTube」などでも配信される予定です。
企画した郷司望さんは、「一日に一度、一緒に医療関係者に感謝の気持ちを示すきっかけになれたらと思います」と話していました。
ダライラマ14世のメッセージ
親愛なる兄弟姉妹の皆様へ
世界中の多くの方々からの度重なる要請に応えて、私の思いを記したいと思います。新型コロナウイルス(COVID-19)の発生により、今、私たちは大変な苦難の最中にあります。
古代インドの伝統は、時間の経過にともなう世界の創造、持続、破壊について説明しています。そのような破壊の原因の中には武器や病気があると書かれており、これは、私たちが今まさに経験していることと一致しているように思われます。しかしながら、どれほど大きな脅威に直面しようとも、人間を含めた生きとし生けるものは、生き抜くために素晴らしい能力を発揮してきました。
いかに困難な状況であろうとも、私たちは科学技術と人智を尽くして決断し、勇気をもって、立ちはだかる問題を乗り越えなければなりません。健康と幸福が脅かされているのですから、不安や恐れを感じるのは当然です。とはいえ、目の前の問題をどのように捉えるべきかについては、私は次の賢明な助言に大きな慰めを得ています。「もし、改善策があるならば、心配せずそれを実行しなさい。しかし、何も改善策がなければ、それ以上心配しても何の役にも立ちません」
現在、新型コロナウイルスの拡大を防ぐためにだれもが最善を尽くしています。私は、ウイルスの脅威を最小限に抑えるために国家間で協調した努力がなされていることを、心より称えたいと思います。とりわけ、インドの主導権のもとに南アジア地域協力連合の国々が緊急基金を設立し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための情報、知識、専門技術を交換するための電子プラットフォームを立ち上げたことは素晴らしい取り組みだと思います。これは、将来、このような危機に対処する際にも良き手本となることでしょう。
私は、世界各地で都市封鎖の必要が生じた結果として、多くの方々が収入を失い、大変な困難に直面しておられることも理解しています。安定した収入のない方々が生きていくには、毎日が闘いです。こうした弱い立場にある方々にできるかぎりの配慮がなされるよう、私はすべての関係者の方々に、切にお願いしたいと思います。
また私は、自らの命を大きな危険に晒しながら、人命救助の最前線で働いておられる医師や看護師、その支援業務に携わるすべての方々に、心より深い感謝の念を捧げます。彼らの奉仕活動は、まさに慈悲の心の実践にほかなりません。
苦難の最中にある世界中の兄弟姉妹の皆様のことを深く心に想い、私は、この世界的な感染症が一刻も早く終息し、平和と幸福が一日も早く戻るよう祈りを捧げたいと思います。
祈りを込めて
ダライ・ラマ
仰せを蒙りて
お釈迦様の話
釈尊の生涯と教え
釈尊のお説法
漫画『ブッダ』
王子シッダールタに、富も家族もすべてを捨てる決意をさせたものとは
2500年前、インド。王国間の争いが絶えないこの地に、世界の王になると予言された男の子が誕生する。シャカ国の王子、ゴータマ・シッダールタだ。思春期を迎えたシッダールタは、盗賊の少女ミゲーラら身分の低い人々と心を通わせ、厳しい階級社会に疑問を抱くようになる。
旅先で出会ったのは、未来を予知でき、自分が死ぬ日をも受け止める不思議な少年・アッサジ。彼が自らの命をオオカミの子供たちに捧げるのを目のあたりにしたシッダールタは、死と隣合せの過酷な苦行に身をゆだねる。
一方、強大な勢力を誇る大国・コーサラ国では、ルリ王子がシャカ国を侵略すべく、動き出していた。自らの出生に端を発して、シャカ一族に憎しみの炎を燃やすルリ王子。未来を求めて出自を忘れようとするブッダと、過去にこだわって出自にとらわれるルリ王子。国を捨てた男と、その国を滅ぼすために戦う男の相反する思いが交錯した時、彼らに関わる人々すべてが、そしてこの世界が、大きく動き出す!
ちょっといい話
【LIVE】アマンダ・ゴーマンさん バイデン大統領就任式で注目の22歳女性詩人とは?
アメリカではトランプ大統領が退任し、バイデン新大統領が誕生しました。
その就任式で注目を浴びたアマンダ・ゴーマンさんとは?TBS報道局の久保田智子とNY支局宮本晴代が解説します!
詩人 アマンダ・ゴーマンさん バイデン大統領就任式で「The Hill We Climb」(私たちがのぼる丘)を朗読。
ハーバード大学を卒業した22歳。
https://www.businessinsider.jp/post-228317
ゴーマンが朗読した詩「The Hill We Climb(私たちが登る丘)」
ゴーマンが朗読した詩「The Hill We Climb(私たちが登る丘)」
(文法、構成、言葉遣いは、ゴーマンが朗読したものとは厳密には一致しない場合がある)
バイデン大統領、バイデン博士、ハリス副大統領、エムホフ氏、アメリカのみなさん、そして世界のみなさんへ。
日が登ると、我々は自問する、この終わりのない陰のどこに光を見つけることができるのだろうかと。
我々は損失を背負いつつ、海を渡らなければならない。我々は獣に勇敢に立ち向かい、静けさが必ずしも平和だとは限らないことを学んだ。規範や概念が必ずしも正義とは限らないことも。
そして、夜明けは我々のものになっていた。我々は、国が壊れているのではなく、単に未完成であるのを知り、乗り越えてきた。
国の後継者である我々は、奴隷の子孫でシングルマザーに育てられた痩せっぽちの黒人の少女が、大統領になることを夢見ることができ、その夢を朗読をすることができると知ったのだ。
そう、確かに我々は洗練されていないし、清廉潔白でもなく、完璧な団結を作ろうと努力しているわけでもない。
しかし我々は、目的に向かって団結し、すべての人の文化、色、性格、条件にコミットする国を作り上げようと努めている。
だから我々は、我々の間にあるものではなく、我々の前にあるものに目を向ける。我々は自分たちの未来が最も大切だと知っているので、分裂を終わらせ、我々の違いを脇に置く必要があるのだ。
我々はお互いに手を差し伸べることができるように上げた腕を下ろす。誰にも危害を加えず、すべての人に調和を求めるために。
世界には、何はともあれ、これが真実だと言いたい。我々は悲しみ、成長した。我々は傷つき、希望を得た。たとえ疲れても、努力した。
我々は永遠の団結を得て、勝利した。二度と敗北しないからではなく、二度と分裂の種をまくことがないからだ。
聖書は、誰もが自分のブドウの木とイチジクの木の下に座ることで恐れることはなくなると教えている。
もし我々が自分たちの時代に生きるのであれば、勝利は刃にあるのではなく、我々が作ったすべての橋にある。それが約束の地、それが我々が勇気を持って登る丘だ。アメリカ人であることは、我々が受け継ぐべき誇り以上のものであり、過去に踏み込んで修復する手段でもある。
我々は、この国でともに生きるのではなく、この国を粉々にする力を見てきた。民主主義を後退させ、国を破壊することになる力を。それはもう少しで成功するところだった。しかし、民主主義は時として遅れを取ることがあるが、永久に打ち負かされることは決してない。
この真実を、信仰を、我々は信頼している。我々が未来を見ている間に、歴史は我々を見ているからだ。
今はまさに贖罪の時だ。我々はその始まりを恐れ、恐ろしい時代の後継者になる準備ができていなかったが、その中で自分自身に希望と笑顔をもたらすための新たな物語を書く力を見出した。
かつては「どうしたら悲惨な出来事に打ち勝つことができるだろうか 」と考えていたが、今では我々は 「破局はどのようにして勝つことができるだろうか」と考える。
我々は過去に戻るのではなく、未来に向かうのだ。この国は傷ついている。しかし全体としては、慈愛にあふれていて、大胆で、力強く、自由だ。
我々は、不作為や怠惰が次の世代に受け継がれることを知っているので、もう恐怖に振り回されたり、邪魔されたりはしない。
我々の過ちは子どもたちの重荷になるが、一つ確かなのは、慈悲と力、そして権利と力を結びつければ、愛が我々の遺産となり、子どもたちは生まれながらにして恩恵を得ることになるだろう。
だから我々は、自分がいた頃の国よりもよい国になるようにしよう。私のブロンズの胸が呼吸するたびに、我々はこの傷ついた世界を驚異的な世界に育てていくのだ。
西部の黄金の丘から立ち上がろう。風の強い北東部から立ち上がろう。そこは我々の祖先が最初に革命を実現した場所だ。中西部の湖畔の町から立ち上がるのだ。日焼けした南部から立ち上がるのだ。我々は再建し、和解し、回復するだろう。我々の国の隅々で、我々の国のあらゆる場所で、多様で美しい我々国民は、打ちのめされながも、美しくなっていくだろう。
日が登れば、我々は恐れることなく、炎の陰から出ていく。恐れを解き放てば、新しい夜明けが来る。我々がそれを見る勇気があれば、我々がそれをする勇気があれば、そこにはいつも光があるのだ
(翻訳、編集:Toshihiko Inoue)
田畑正久先生より
今月のことば 平成27年7月のことば
今月のことばは、平野恵子さんの『子どもたちよ、ありがとう』という書籍の一節です。
平野さんは、岐阜県高山市にある浄土真宗の寺院の坊守(住職の奥様)で3人の子供のお母さんでしたが、41歳という若さで腎臓ガンのため亡くなりました。『子どもたちよ、ありがとう』という本は、39歳で病を発症してから亡くなるまで、2年間の闘病生活の中で書かれた子どもたちへの手紙(遺言)です。
平野さんは、病を患うまでは、いたずらっ子の息子さん、寝たきりの病気を患う重症心身障害児のお嬢さんの子育てに、なぜ我が子だけが、と自分の思い通りにならない憤りや失望を感じておられたそうです。しかし、残された時間がわずかだと悟った時、子供達への途方もない愛情と「ごめんね」、「ありがとう」という胸に溢れる感謝の気持ちに気づき、自分が今できることは何かを必死に考えたのです。以下、平野さんの言葉を引用します。
「実は、お母さんはとてもわがままな人間で、自分の思い通りにならないと腹が立つのです。そして、なんとかしようと頑張ってみるのですが、それでも、やっぱりどうにもならないと、今度はがっかりして、泣きたくなるのです。ずうっと昔からそうでした。特に、結婚して、あなた達が生まれてからは、毎日毎日が、失望と苛立ちの積み重ねでした。―」
「―お母さんの病気が、やがて訪れるだろう死が、あなた達の心に与える悲しみ、苦しみの深さを思う時、申し訳なくて、つらくて、ただ涙があふれます。でも、事実は、どうしようもないのです。こんな病気のお母さんが、あなた達にしてあげられること、それは、死の瞬間まで「お母さん」でいることです。元気でいられる間は、御飯を作り、洗濯をして、できるだけ普通の母親でいること、徐々に動けなくなったら、素直に、動けないからと頼むこと、そして、苦しい時は、ありのままに苦しむこと、それがお母さんにできる精一杯のことなのです。そして、死は、多分、それがお母さんからあなた達への、最後の贈り物になるはずです。―」
「―人生には、無駄なことは、何一つありません。お母さんの病気も、死も、あなた達にとって、何一つ無駄なこと、損なこととはならないはずです。大きな悲しみ、苦しみの中には、必ずそれと同じくらいの、いや、それ以上に大きな喜びと幸福が、隠されているものなのです。素行ちゃん、素浄ちゃん、どうぞ、そのことを忘れないでください。たとえ、その時は、抱えきれないほどの悲しみであっても、いつか、それが人生の喜びに変わる時が、きっと訪れます。深い悲しみ、苦しみを通してのみ、見えてくる世界があることを忘れないでください。そして、悲しむ自分を、苦しむ自分を、そっくりそのまま支えていてくださる大地のあることに気付いて下さい。―」
「―お母さんの子どもに生まれてくれて、ありがとう。本当に本当に、ありがとう。あなた達のお陰で、母親になることができました。親であることの喜び、親の御恩の深さも知ることができました。そして、何よりも、人として育てられる尊さを知りました。あなた達のお陰で、とても、にぎやかで楽しい人生でした。―」
命の期限を意識した時、とてつもない苦しみを味わった時、平野さんの生きている世界が、見える景色が変わったのだと思います。今まで不満に思っていた日常が、私が中心だった世界だったことに気づき、本当はなんとありがたい世界であったのかと感じたのでしょう。最後に自らの死を贈り物とし、悲しみ、苦しみを通してのみ見える世界がある、そして、どんなに辛い時もありのままの自分を支えてくれる大地(仏の願い)があると残したメッセージ、それは最後に母が子に伝えたかった真実でした。 (宗教部)
時機相応について 時代と人
本日2月24日は「月光仮面登場の日」! 当時の七五三の画像。 月光仮面の人気が伺えます
ちょっと気になる歌・唄・音
〚いぬのおまわりさん〛
スピッツ、デヒュー30周年
スーダラ伝説 植木等
わが人生に悔いなし 加藤登紀子
1987年に死去した昭和の大スター・石原裕次郎さん(享年52)の命日にあたる17日、神奈川県横浜市の總持寺で三十三回忌の法要が営まれた。約500人のファンが見守る中、裕次郎さんの妻で石原プロモーション会長・まき子夫人(85)、おいの石原伸晃氏(62)、俳優・舘ひろし(69)、神田正輝(68)、徳重聡(40)らが参列。法要後に会見が行われ、まき子夫人は、今年をもって弔い上げとすることを明らかにした。
https://youtu.be/NO-D0mXjFTI
裕次郎さんから「人生の歌を歌いたい」と直接電話が掛かってきた
なかにし礼 わが人生に悔いなし なかにし礼さんはシャンソンの訳詞をされている時に 石原裕次郎さんから「歌謡曲を書いて俺の歌を作ってくれ」と ある所で声をかけられたそうです、それ以後、歌謡曲に転向して 人生が変わったとおっしゃっていました。
https://youtu.be/Bb10tI-vZfk
ちょっと気になる絵
蒲郡の河津桜
花見の伝統について
両陛下、茨城へ お召し列車が令和初「特別車両」連結で常磐線を走る E655系電車「和」
https://trafficnews.jp/post/89983
お召し列車に使われた車両は、JR東日本のE655系電車「和(なごみ)」。普段はグリーン車だけの5両編成で、団体列車などに使われていますが、今回のお召し列車では、編成の中央に両陛下がご乗車になる「特別車両(TR車)」を連結。「日章旗」と「菊の御紋」を掲出し、6両編成で運転されました。
【Face bookのページ】 味覚嗜好について
味覚嗜好のページ
日田は山紫水明の地です。 それは『原酒をはぐくむ酒の杜』。
【オリジナルはこちら】
ビリー・バンバン / また君に恋してる(ビリー・バンバン ヴァージョン) - YouTube
2010年の話題の大ヒット曲、オリジナル楽曲!
1988年から続く、ビリー・バンバンの三和酒類株式会社"いいちこ"CMソング。
#30_渡辺雄一郎(Nabeno-Ism)
レストラン・ナベノイズムの渡辺雄一郎だ。
彼はかつて、フレンチの神様ジョエル・ロブションの店を、9年連続でミシュラン三ツ星に導いた。 2016年に独立後も、2年連続で二ツ星を獲得。 世界の名店を渡り歩き、王道のフレンチと日本の風土を融合させる男・渡辺雄一郎が今回挑戦した未来に遺すべき作品とは?
ドンペリと隈研吾の融合
〈ドン ペリニヨン〉の5代目醸造最高責任者だったリシャール・ジョフロワが生み出した日本酒ブランド〈IWA〉。その初のリリースである《IWA 5》を注目すべき理由は、ブレンドという画期的な手法だけでなく、ボトルデザインをマーク・ニューソンが手掛け、〈IWA〉が生まれる酒蔵〈白岩〉を建築家・隈研吾が設計するなど、日本酒の世界に新しい風を吹き込んでいるからだ。
・隈研吾が酒蔵を設計、ボトルデザインはマーク・ニューソン。
WAKAZE
パリ近郊で醸造したSAKE「ザ・クラシック」は、フランスワインのビオ酵母とイル・ド・フランスエリアの硬水を使用して醸造されています。ミネラルをたっぷり含んだこの水は、通常のSAKEとは一線を画した複雑な味わいを生み出します。ミネラルを豊富に含んだこの水は、発酵工程をより複雑にするため、造り手の腕が試され、非常に精密な酒造りが求められます。