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ちょっといい話

データベース

真宗聖典検索 Web site

2020-04-22
東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。
このサイトは、宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業の一つとして聖教編纂室にて取り組み、開設したサイトです。東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。使用方法については、このサイトについてをご覧ください。

このサイトについて | 真宗聖典検索 Web site (higashihonganji.or.jp) 

Facebook 大谷派における学事の潮流

2020-05-05

真宗聖典(S_JIS 版)検索システム--- 生まれた意義と生きる喜びを見つけよう! ---

2020-04-22
真宗聖典(S_JIS 版 msearch)検索エンジン

 

『浄土真宗聖典』オンライン検索 浄土真宗聖典・検索システム | 原典版

2020-04-22

聖典電子研究会

2020-04-22

今、私達に出来る事

【Shows at Home】民衆の歌 / Do You Hear The People Sing ? - Les Miserables -

2020-07-30

民衆の歌 The People's Song 「レ・ミゼラブル」より 


https://www.youtube.com/watch?v=MNIyjmd-LwI

◆ジャン・バルジャン/吉原光夫  
◆ジャベール/伊礼彼方
◆ファンテーヌ/濱田めぐみ    
◆エポニーヌ/昆 夏美
◆マリウス/海宝直人       
◆コゼット/生田絵梨花
◆アンジョルラス/小野田龍之介
◆テナルディエ/駒田 一・斎藤 司 
◆マダム・テナルディエ/森公美子
◆コンブフェール/中井智彦 
◆クールフェラック/持木悠
 ◆フイイ/杉浦奎介

非常事態宣言が解除されました。

2020-06-02

非常事態宣言が解除されました。

2020-06-02

東京五輪「中止検討せざるを得ない」組織委顧問の千玄室氏 現状での開催に危機感

2020-06-01
延期された東京五輪・パラリンピックへの思いを語る千玄室前家元(京都市上京区)

新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期された東京五輪・パラリンピックについて、大会組織委員会の顧問を務める茶道裏千家の千玄室前家元(97)が、京都新聞社の取材に応じた。千氏は「来年までに世界各国で収束しないと準備ができない」と話し、現状での五輪開催に危機感を示した。

 延期が発表された3月24日、安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、中止はないと確認。一方で、組織委員会の森喜朗会長は、再延期は「絶対ない」との見方を示し、バッハ会長も今月、英BBC放送のインタビューで、来年開催されなかった場合、中止となる見通しを示している。



https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/263872?fbclid=IwAR0TSMWXC_ZhLFj9e23wDePy029e2OZhPYp_vf4dE9zdsrDcZ4nhIuDg-HY

関西でも宣言解除

2020-05-23
京都新聞 社説

社説:京都も宣言解除 油断せず冷静に行動を

  京都、大阪、兵庫の近畿3府県に発令されていた新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言が解除された。
  基本的対処方針で定められた解除基準の新規感染者数が抑えられ、医療提供体制やモニタリング体制も十分だと政府が判断した。
  安倍晋三首相が宣言の対象地域を全都道府県に拡大したのは4月16日。それから1カ月余り、京都のまちからもすっかりにぎわいが消えた。
解除は、感染拡大や医療崩壊を防ぐために多くの府民が休業や外出自粛などに真摯(しんし)に取り組んだ結果であり、朗報には違いない。
  だがウイルスが消滅したわけではなく、対策は長期化を覚悟する必要がある。安易に以前の生活に戻るのではなく、第2波、第3波への備えも強固にしなくてはならない。
  踏まえておきたいのは、このウイルスについて不明な点がまだ多いということだ。国内感染者数の実態すらはっきりしない。
  爆発的に感染が広がった欧米などと比べると抑えられているように見えるが、理由は分からない。
  政府が実情把握を急ぐべきなのは言うまでもない。そうした中で私たちに求められるのは過剰な楽観や悲観ではなく、まずは冷静な行動だろう。
  「新しい生活様式」も参考にしながら、密閉・密集・密接の「3密」を避ける取り組みを続ける必要がある。「正しく恐れる」ということを改めて思い起こしたい。     政府の宣言解除を受け、京都府はライブハウスなどの施設を除き、休業要請を解除することを決めた。独自の緩和基準を設けて今月16日から一部解除していた。
   政府は軽症者が療養する民間宿泊施設の借り上げなど医療体制強化に取り組んだ。授業再開に向けた環境整備など大学と学生の支援にも乗り出している。
 ただ観光や雇用といった面で、さまざまな困難が顕在化するのはむしろこれからだ。実情に応じて取り組みを柔軟に見直し、必要な対策を追加することが欠かせない。
 休業要請とともに中小企業に20万円、個人事業主に10万円を給付する支援策を打ち出したが、大阪府や東京都の支援とは金額的に大きな差がある。
 政府に対する緊急提言として、全国知事会は自治体向けの臨時交付金を最低でも総額3兆円とするよう増額を求めている。こうした動きとも歩調を合わせ、財源確保に努めるべきだ。

コロナ情報について

コロナに思う♯14 田中耕一氏 02年ノーベル化学賞 島津製作所

2020-05-11

内田樹の研究室   Facebook 桑門 超さんのシェアより  

2020-05-03
『隣組と攻撃性』 市民たちの相互監視が始まっている。

市民たちの相互監視が始まっている。

 GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
 私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
 私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
 人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。

 嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
 私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
 私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
 最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
 しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
 学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
 私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)

 いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
 これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
 彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
 そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
 この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
 いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
 大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。大阪府知事は、人間が条件次第でどれほどでも攻撃的になり得ること、その機会をつねに窺っているということを知らないか、あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
 ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったからである。
 市民を相互監視させることによって統治コストは劇的に削減される。それは事実である。けれども、その代償として、「大義名分をかかげて隣人を攻撃し、屈辱感を与える」ことに熱中する人々の群れを解き放ってしまう。それがどれほど危険なことなのかについて、人々はあまりに警戒心がないと思う。

内田 樹(うちだ たつる)1950年生まれ。日本の思想家、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。 出典 http://ja.wikipedia.org/wiki/内田樹

郷士望さんんらのメッセージ

2021-01-07
郷士さんは、「銀座の鐘」のプロデューサーです。

銀座の鐘

2020-04-20
新型コロナ 厳しい勤務続く医療関係者に感謝の鐘 東京 銀座

感染拡大が続く新型コロナウイルスに対応するため、厳しい勤務が続く医療関係者に感謝を示そうと、東京 銀座の交差点では時計塔から鐘の音が流されました。

新型コロナウイルスに感染した人たちの治療に当たっている医師や看護師など、医療現場のスタッフに対して、イギリスでは毎週木曜の午後8時に一斉に拍手や口笛を送ったり、フランスではエッフェル塔に「ありがとう」を意味する「MERCI」のメッセージが映し出されたりするなど、感謝の気持ちを示す動きが世界各地で広がっています。

日本でも、感染のリスクにさらされるなど厳しい勤務状況が続く医療スタッフへの感謝の気持ちや感染拡大を防ぐために家で過ごそうというメッセージを伝えようと、20日から東京 銀座のデパートにある時計塔から「命の鐘」と題して、鐘の音が流されることになりました。

鐘の音は午後7時ちょうどから流され、緊急事態宣言が出され、ふだんより格段に人通りが少ない銀座の町なかに鳴り響きました。

鐘の音は、毎晩7時から流され、「YouTube」などでも配信される予定です。

 企画した郷司望さんは、「一日に一度、一緒に医療関係者に感謝の気持ちを示すきっかけになれたらと思います」と話していました。


ダライラマ14世のメッセージ

2020-04-16
ダライ・ラマ法王からの新型コロナウイルスに関する特別メッセージ 2020年3月30日

親愛なる兄弟姉妹の皆様へ

世界中の多くの方々からの度重なる要請に応えて、私の思いを記したいと思います。新型コロナウイルス(COVID-19)の発生により、今、私たちは大変な苦難の最中にあります。

新型コロナウイルスの問題に加え、人類は、極度の気候変動といったさまざまな問題に直面しています。この場をお借りして、インド政府をはじめ、こうした問題に懸命に取り組んでおられる世界中の政府に称賛と感謝の念を表明したいと思います。

古代インドの伝統は、時間の経過にともなう世界の創造、持続、破壊について説明しています。そのような破壊の原因の中には武器や病気があると書かれており、これは、私たちが今まさに経験していることと一致しているように思われます。しかしながら、どれほど大きな脅威に直面しようとも、人間を含めた生きとし生けるものは、生き抜くために素晴らしい能力を発揮してきました。

いかに困難な状況であろうとも、私たちは科学技術と人智を尽くして決断し、勇気をもって、立ちはだかる問題を乗り越えなければなりません。健康と幸福が脅かされているのですから、不安や恐れを感じるのは当然です。とはいえ、目の前の問題をどのように捉えるべきかについては、私は次の賢明な助言に大きな慰めを得ています。「もし、改善策があるならば、心配せずそれを実行しなさい。しかし、何も改善策がなければ、それ以上心配しても何の役にも立ちません」

現在、新型コロナウイルスの拡大を防ぐためにだれもが最善を尽くしています。私は、ウイルスの脅威を最小限に抑えるために国家間で協調した努力がなされていることを、心より称えたいと思います。とりわけ、インドの主導権のもとに南アジア地域協力連合の国々が緊急基金を設立し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための情報、知識、専門技術を交換するための電子プラットフォームを立ち上げたことは素晴らしい取り組みだと思います。これは、将来、このような危機に対処する際にも良き手本となることでしょう。

私は、世界各地で都市封鎖の必要が生じた結果として、多くの方々が収入を失い、大変な困難に直面しておられることも理解しています。安定した収入のない方々が生きていくには、毎日が闘いです。こうした弱い立場にある方々にできるかぎりの配慮がなされるよう、私はすべての関係者の方々に、切にお願いしたいと思います。

また私は、自らの命を大きな危険に晒しながら、人命救助の最前線で働いておられる医師や看護師、その支援業務に携わるすべての方々に、心より深い感謝の念を捧げます。彼らの奉仕活動は、まさに慈悲の心の実践にほかなりません。

苦難の最中にある世界中の兄弟姉妹の皆様のことを深く心に想い、私は、この世界的な感染症が一刻も早く終息し、平和と幸福が一日も早く戻るよう祈りを捧げたいと思います。

祈りを込めて


ダライ・ラマ

特別メッセージ

仰せを蒙りて

報恩ということ

2020-11-15

藤原正遠先生の揮毫

2021-01-21

親鸞聖人の生涯

2021-01-25
Hp九州教区「よみもの」より

なるほど仏事

2021-01-25
Hp九州教区「よみもの」より

新幹線ではありませんが・・・。

2021-01-21
Facebook西恩寺様より

お釈迦様の話

釈尊の生涯と教え

2020-04-19
https://youtu.be/EvjMcWZGzQg?list=PLERGeJGfknBQ5l6kTs05lLYDa_4FGOlAF
中村元 - ブッダの生涯 【HD】
https://youtu.be/NWZtkxP3eGg
仏教の本質 哲学者「中村元」

ブッダ 最期のことば 1.2.3.4.

2020-06-14
https://youtu.be/Lbw-AnzrjdY

釈尊のお説法

2020-04-07

「成道会(じょうどうえ)」―釈尊が悟りを開かれた日

2020-12-29
hp西蓮寺様より お説法は。住職 中川正法先生です。
法話2020/12/06更新

「成道会(じょうどうえ)」―釈尊が悟りを開かれた日

 

 釈尊の生涯に深く関連する日のひとつが、12月8日です。
 この日は何の日ですかとお尋ねすると、「太平洋戦争開戦の日=真珠湾攻撃の日」「ジョン・レノンが亡くなった日(今年は40年目を迎えます)」、あるいは地方によっては「針供養の日」という答えが返ってきます。「お釈迦様がお悟り(さとり)を開かれた日でしたね」というお答えは、ご門徒の皆さんからもなかなか出てきません。12月を迎えるとともに、街はクリスマス一色となり、ますます「じょうどう」の存在は、かき消されてしまうようです。

 およそ2500年前、東北インドにあった小国「シャカ国」の王子シッダールタは、地位・財産・名誉など私たちが欲するすべてのものに恵まれ、何不自由なく過ごしていました。しかし、老人や病人さらには死人との出遇いをとおして、人として生まれた以上、老・病・死からまぬがれることができないという「わが身の事実」に気づき、思い悩みながら、真の幸せとは何かと深く考えていました。

 その時、出家をし、質素な身なりながらも、心身を制御しながら善につとめ心穏やかな境地を求める生き方に励む「沙門しゃもん」と出遇いました。29才のとき、意を決してお城を出て、修行生活に入りました。もちろんお城は大騒ぎ。沙門となった王子を見つけたマガダ国王ビンビサーラは、財や軍隊をあげるから国に戻ってはと申し出ましたが、「私はこの生活を楽しんでいます」といって、その申し出を断っています。

 シッダールタは、師をみつけて瞑想の方法を学びましたが、その境地には満足せず、5人の仲間とともに断食をはじめとする厳しい苦行を続けましたが、求める境地にはいたることができず、修行を放棄します。ほぼ骨と皮だらけの体を河に入って清め、ふらふらと歩いている苦行者を見た村娘スジャーターは、神様に捧げようとして持っていた乳粥を彼に与えました(この娘の名がコーヒーに入れるミルク製品名になっています)。元気を回復したシッダールタは、近くにある大きな樹(ピッパラ樹)の下に座し、深い瞑想に入りました。

 その時、彼の前に悪魔(マーラ)が現れます。武器や雨風で襲いかかり、あるいは美しい女性を登場させて誘惑をしたり、あらゆる手段を用いて邪魔をしました。このマーラの襲来は、内面の様々な欲望との闘いや苦行を棄てたことへのうしろめたさを表しているといわれます。しかし、悪魔の襲来を降伏(降魔ごうま)され12月8日の明け方、明けの明星が輝くなか、悟り(बोधि, bodhi:菩提)を得られ、ブッダ(बुद्ध, Buddha)「目覚めたもの」となられました。この出来事を「降魔成道」といいます。お城を出て6年目、シッダールタ35才の時のことです。以後、ブッダ(仏陀)と呼ばれます。

 瞑想に入られた大きな樹は後に「菩提樹」と呼ばれるようになりました。また、悟りを得られた場所は、ブッダガヤとよばれ仏教聖地の一つとして世界中から仏教徒がお参りに来られます。現在この地には、52メートルの大塔が建っており、世界遺産となっています。

 「さとり」とは何か。どのようなことに「目覚められた」のかは、またいずれ。

ラジオ放送『東本願寺の時間』講話リスト

2020-12-08
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/radio/#list

ちょっといい話

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田畑正久先生より

2021-01-25
【住岡夜晃法語】より
今朝の勤行で読んだ法語です。
仏道成就するかに見えて 名利権力を成就し
仏道修行するかに見えて 衣食のためにし
仏道成就するかに見えて 頭だけが学問を成就し
仏道成就するかに見えて 感情の麻酔に陥(おちい)り
仏道成就するかに見えて 独覚我慢の子となり
仏道成就するかに見えて 一種の趣味となるなど
誠に一道精進の前には煩悩障碍の多いことであります
合掌聞法念仏懺悔して 悪魔のつけ入る余地を与えず
たとい少しの水の流るるがごとくであろうとも
純粋なる精進の一道を永遠に続けたいものであります  

藤田まことさんのことば

2021-01-23
Facebook荒山 淳さんより

今月のことば 平成27年7月のことば

2021-01-23
「深い悲しみ 苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある」(平野恵子)
「深い悲しみ 苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある」(平野恵子)

今月のことばは、平野恵子さんの『子どもたちよ、ありがとう』という書籍の一節です。

平野さんは、岐阜県高山市にある浄土真宗の寺院の坊守(住職の奥様)で3人の子供のお母さんでしたが、41歳という若さで腎臓ガンのため亡くなりました。『子どもたちよ、ありがとう』という本は、39歳で病を発症してから亡くなるまで、2年間の闘病生活の中で書かれた子どもたちへの手紙(遺言)です。
平野さんは、病を患うまでは、いたずらっ子の息子さん、寝たきりの病気を患う重症心身障害児のお嬢さんの子育てに、なぜ我が子だけが、と自分の思い通りにならない憤りや失望を感じておられたそうです。しかし、残された時間がわずかだと悟った時、子供達への途方もない愛情と「ごめんね」、「ありがとう」という胸に溢れる感謝の気持ちに気づき、自分が今できることは何かを必死に考えたのです。以下、平野さんの言葉を引用します。

「実は、お母さんはとてもわがままな人間で、自分の思い通りにならないと腹が立つのです。そして、なんとかしようと頑張ってみるのですが、それでも、やっぱりどうにもならないと、今度はがっかりして、泣きたくなるのです。ずうっと昔からそうでした。特に、結婚して、あなた達が生まれてからは、毎日毎日が、失望と苛立ちの積み重ねでした。―」

「―お母さんの病気が、やがて訪れるだろう死が、あなた達の心に与える悲しみ、苦しみの深さを思う時、申し訳なくて、つらくて、ただ涙があふれます。でも、事実は、どうしようもないのです。こんな病気のお母さんが、あなた達にしてあげられること、それは、死の瞬間まで「お母さん」でいることです。元気でいられる間は、御飯を作り、洗濯をして、できるだけ普通の母親でいること、徐々に動けなくなったら、素直に、動けないからと頼むこと、そして、苦しい時は、ありのままに苦しむこと、それがお母さんにできる精一杯のことなのです。そして、死は、多分、それがお母さんからあなた達への、最後の贈り物になるはずです。―」

「―人生には、無駄なことは、何一つありません。お母さんの病気も、死も、あなた達にとって、何一つ無駄なこと、損なこととはならないはずです。大きな悲しみ、苦しみの中には、必ずそれと同じくらいの、いや、それ以上に大きな喜びと幸福が、隠されているものなのです。素行ちゃん、素浄ちゃん、どうぞ、そのことを忘れないでください。たとえ、その時は、抱えきれないほどの悲しみであっても、いつか、それが人生の喜びに変わる時が、きっと訪れます。深い悲しみ、苦しみを通してのみ、見えてくる世界があることを忘れないでください。そして、悲しむ自分を、苦しむ自分を、そっくりそのまま支えていてくださる大地のあることに気付いて下さい。―」

「―お母さんの子どもに生まれてくれて、ありがとう。本当に本当に、ありがとう。あなた達のお陰で、母親になることができました。親であることの喜び、親の御恩の深さも知ることができました。そして、何よりも、人として育てられる尊さを知りました。あなた達のお陰で、とても、にぎやかで楽しい人生でした。―」

命の期限を意識した時、とてつもない苦しみを味わった時、平野さんの生きている世界が、見える景色が変わったのだと思います。今まで不満に思っていた日常が、私が中心だった世界だったことに気づき、本当はなんとありがたい世界であったのかと感じたのでしょう。最後に自らの死を贈り物とし、悲しみ、苦しみを通してのみ見える世界がある、そして、どんなに辛い時もありのままの自分を支えてくれる大地(仏の願い)があると残したメッセージ、それは最後に母が子に伝えたかった真実でした。 (宗教部)

真宗コラム

2021-01-13
https://shinshu-kaikan.jp/samgha/tax_samgha/samgha_people
この世界の片隅にいくつもの出会いが 女優/創作あーちすと・のんさん

親になる、子になる 作家 川上未映子さん

2021-01-23
HOME>仏教を学ぶ>真宗会館コラムより

Category インタビュー

親になる、子になる

作家 川上未映子さん

 自分も含めていつかみんな死ぬ。それが小さい頃からの一大事だった。その不安が、いつも自分のことを後ろから見ているような気がする。振り返るといなくなるが、忘れた頃にまたノックしてくるのである

かわいい=モテという画一化された価値観に反発した。高校のデザイン科へ進学し、金色にした髪には毛糸を編み込み、鉄板入りの安全靴を履いていた。いかに目立つか、より面白いか、そのほうがモテることより断然価値があると思った。

女の子は生まれたときから「女の子らしくしなさい」と言われるんですね。やっぱりお金があったり、地位のある人と結婚できるようにという教育ですよね。ある程度までは自分を出して頑張ってもいいけど、決して男の人より稼がない、学歴もつけないでと言われてきたわけです。だから医科大の、男性に下駄を履かせるということにもなってくる。

 昭和の時代に、スカートめくりが流行ったんです。男の子がスカートをめくるということは、男の子がその女の子を性的な欲望の対象にすることです。そんなの犯罪ですよ、子どもであってもね。でも、それが本当にマヒしていて、欲望されないことが恥ずかしいという逆転の構造が起きる。スカートめくりされると人気があるみたいなね。されない子は自分を惨めに思う。「私には誰も男の子が寄ってこない」ということを、自分をはかる価値の一つとして見てしまう。そんな悲しいことがあったんですね。

 

三十五歳で母親になった。子どもが生まれて、完全に変わったことが二つ。一つは自分と母親との関係、二つ目は夫婦関係である。

 複雑な家庭環境だったので、自分が母を守らなければと思っていたんですね。母が朝から晩まで働いていた。だから、自分が生まれてくる子どもにしてあげられることがあるなら、全部母にしてあげたいと考えていたんです。でも、子どもを産んでみたら、母親というのは子どもが元気で笑っていればそれでいい、生きていてくれればそれでいいんだということが実感できた。親というのは子どもに何も求めていないんだということが分かって、私は初めて母親のことを忘れることができたんです。母のことをもう心配しなくていいと思えた。子どもを産んで親になって、私は初めて母の子になれたんです。

 もう一つは、出産を経験した夫婦は家族になっていく過程と表現する人もいますが、私の場合は違って、夫は完全なる他人になっていきました。恋愛中って頭がふわっとしているし、お互い余裕があるから優しくできる。結婚してもしばらくは恋人同士のまま。本当に地が出るのは生まれてから。夫婦はもう一度出会い直すことになる。お互い、もう同じ人と思ってはいけないんです。

 心の底から幸せだと思っている人でも、やっぱり孤独はあるんです。誰も自分の代わりに死んでくれないし、自分の身体を生きてくれる人はいない。小説を書くとき、その孤独というものが大前提にあるように思います。

 

かわかみ・みえこ 

大阪府生まれ。08年、『乳と卵』で芥川賞を受賞。09年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞。10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞。13年、詩集『水瓶』で高見順賞、短編集『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞。16年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞。19年、『夏物語』で毎日出版文化賞(文学・芸術部門)など受賞歴多数。

時機相応について  時代と人

エイトマンは鉄人28号のようなロボットではなくいわゆるサイボーグですね。 アトムはロボットだが人間のようです。

2021-01-27
福田 晋也 · 幼稚園の頃見ていた。

ヒッチコック監督作 “鳥”

2021-01-27
アストンマーチン1950年代に生産されたスポーツクーペの元祖です。

50年以上前に 今の世界を予見していた 地球だ!地球に戻っていたんだ 

2021-01-27
Facebook永井由紀夫さんより  テイラー 「あぁ・・・何てことをしたんだ!ちくしょう!人間なんかみんな地獄に落ちてしまえ!」

若い頃から美人でした

2021-01-25
Facebook永井由紀夫さんより
東京都知事 小池百合子

「週刊現代」1968(昭和43)年「女子フィギュア三人娘」

2021-01-25
Facebook永井由紀夫さんより 左から 大川久美子さん(21) 山下一美さん(19) 石田治子さん(22) 3女史

ちょっと気になる歌・唄

「春よ、来い」

2021-01-16
https://youtu.be/fxTD_ZIAnH4  真夏の夜の夢
全国40万人を動員した、松任谷由実自身初のコンサートツアーのベスト版「タイムマシーンツアー」の映像作品より、「春よ、来い」を公開。

作詞家 五木寛之

2020-10-10
あれも愛 これも愛・・・・
Facebook永井由紀夫さんの投稿より
作家でつづる流行歌
五木寛之(作詞)作品集

旅の終わりに 冠二郎
青年は荒野を目指す ザフォーク・クルセダーズ
愛の水中花 松坂慶子
二丁目の子守唄 ミルバ
ひとり暮しのワルツ 石黒ケイ
四季・奈津子 チェリッシュ
織江の唄 山崎ハコ
女人高野 田川寿美 
夜明けのメロディー ペギー葉山
東京タワー / ミッツ・マングローブ

はいだしょうこ「にじ」- きっと明日はいい天気

2020-09-05
https://www.youtube.com/watch?v=aKmutxnR944&feature=youtu.be
はじめてこの曲を聴いた時、元気づけられたのと同時に、明るい曲なのになぜか涙が出ました。 そして、私がこの曲を大好きになった時には、もうすでに、幼稚園や保育園では大人気の曲。ということを知りました。 歌ってください! のリクエストも多く、今回歌わせて頂くことにしました。 「きっと明日はいい天気」 私が、この曲で、元気づけられ、また明日も頑張ろう! と思えたように、 皆様にも「にじ」が届きますように。。。

<演奏曲情報>
作詞:新沢としひこ
作曲:中川ひろたか
歌:はいだしょうこ
 ピアノ演奏:YUKA

音楽プロデュース:赤坂東児

花は咲く 山鉄バージョン

2020-08-21
キャスト・スタッフ 作詞:岩井俊二 作編曲:菅野よう子 歌・出演:六角精児 & 松井玲奈 出演:三陸鉄道職員のみなさん 地元のみなさん 撮影協力:三陸鉄道
岩手県の沿岸部を結ぶ三陸鉄道。
連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台の一つとしても知られています。
2019年3月23日、JR東日本から、復旧工事を終えた宮古と釜石の区間が移管され、全長163キロの三陸鉄道「リアス線」として1本のレールで結ばれました。
番組では、旅情を誘う鉄道と沿線地域の風物を織り交ぜ、震災からのさらなる復興を応援します。

また、本番組の制作に際し「花は咲く」の作曲家・菅野よう子のアレンジによる新たな音源で、鉄道ファンとしても知られる二人のデュエットが実現しました。
BSプレミアム「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」でもおなじみ、俳優の六角精児。
そして連続テレビ小説「まんぷく」でもおなじみ、「時刻表」の表紙にも登場した女優の松井玲奈。番組では二人が三陸鉄道に乗り込みます。

https://www.youtube.com/watch?v=wazwInwECSc&feature=youtu.be

リレハンメルオリンピクです。

2020-08-02
高橋真梨子/ 遥かな人へ 

ちょっと気になる絵

天高く馬肥ゆる秋

2020-10-13
名古屋市TV搭    Facebook阪下大介さんの投稿より

大阪万博太陽の塔 建設中 岡本太郎のデザイン 芸術は爆発だ

2020-10-08
3つの顔を持つコンクリート製の292mの塔

ローマ展です。

2020-09-13

1.ローマ日本美術展

 一九三〇(昭和五)年四月二六日から六月一日の間、ローマ、パラッツオ・ナッツィオナーレ・デッラ・エスポジッツィオーネ(Palazzo nazionale della Esposizione)で開催されたローマ展は、大倉喜七郎(1882-1963)が企画、全費用を負担した大規模な展覧会である。一九二八年、大倉がイタリア首相ムッソリー二に、大観が描いた《立葵》を寄贈したのを機に、ローマでの日本美術展開催が決定した。一九三〇年といえば、大倉が帝国ホテルの創業者である父喜八郎の後を継いでその経営にあたり、川奈ホテル、上高地帝国ホテルを準備中であった時期でもある。東京朝日新聞に掲載された「展覧会は明年三月ごろになるでしょうが、その頃は外人客がローマに殺到する時期で、そうした遊覧客に見てもらうことも一つの目的です(略)」という大倉のことばには、イタリアに日本美術を紹介することだけでなく、ローマを訪れている欧米人に日本美術を紹介し、最終的には美術を通じて海外から日本へひとびとを誘致しようという壮大な理想が秘められていたともいわれている。

 一方で、実際の運営と出品作家の選択は大観に一任された。そして、過去に例がないほど大規模なこの海外展において、大倉と大観は、日本画を展示する展示室の在り方に特にこだわりをみせている。この点については、大観が『伊太利政府主催大倉男爵後援 羅馬開催日本美術展覧会に就て』一九三〇年八月)の中で、緒言に続く第一章で「其の内的動機とも申すべきものは、日本画を日本室らしい曾場に於て西洋人に鑑賞されて見たいといふことにありました、即ち、日本画を玩味するに必須なる條件としての、床の間や青畳等の設備、活け花の趣向さへ添へて、日本画の本領をば欧洲へ遺憾なく西洋人へ伝へたいといふ念願を發せられたのであります。」と真っ先にとりあげていることからも、この展覧会の特色のひとつであったことがうかがえる。大工監督六名、表装師二名などがイタリアに同行して会場設営にあたったことや、日本画をそれに適した環境に展示することの重要性など、かなりの頁を割いて力説しており、同書に掲載された展覧会会場の写真をみても、和の設えに徹している様子がうかがえる。ローマ展において、大観をはじめ日本を代表する画家たちの描いた日本画は、既存の西洋展示室内ではなく日本の伝統的な設えの中で異国のひとびとに紹介されたが、このような大規模な試みはもちろん過去に例のないことであった。

 このように、展示環境にも日本を十二分に意識したローマ展に出品された大観の作品は、《寒牡丹》《暁靄》《雙龍双珠》《蜀葵》《梅花》《隼》《春の夜》《飛泉》《富士山》《山四趣》《夕顔》《百合花》《夜桜》《龍胆》の一五点。この出品点数は、帝国美術院の代表としてローマ展にのぞんだ川合玉堂の一〇点、竹内栖鳳の五点に比しても多い。さらに、イタリア全土の汽車内に掲げられたという「富士山」の描かれた展覧会ポスターも大観自らが手掛けており、これらの事実は、この展覧会に占める大観の存在の大きさのみならず、大観自身の意気込みも感じられ非常に興味深い。

夜桜

2020-09-13

2.《夜桜》

 大観が、熱意をもって臨んだローマ展に出品した作品の中の一点が、一九二九(昭和四)年に制作された《夜桜》である。ローマ展のために描かれた新作で、同年一一月一七日に日本美術院で内覧会をおこなっている。翌月一三日には、出品作の中殻優秀な作品三二点が宮中で展覧に供されたが、その中にはもちろん《夜桜》も含まれていた。

 六曲-双という大画面に描かれた《夜桜》は、数多い大観作品のなかでも、華やかな装飾性と、群青、緑青、朱など濃彩や月に用いられた白金の使用による鮮やかさ、迫力という点において抜きん出ており、記念すべきローマ展の出品作であるだけでなく、大観の画業における代表作のひとつに数え得る。背後に連なる山々は墨で描かれており、篝火にうつしだされた山桜が鮮やかに映える。桜花はすべて観者を向いて開き、画面を-層華やかなものにしている。さらに山々に用いられた墨は、画面上部にわずかにのぞく夜空の群青と相俟って重厚な空気を生みだし、松に使用された緑青は、篝火の朱と大胆な色彩の対比をみせる。篝火からまっすぐにたちのぼる烟は、静かに散る花びらと対照的な動きをみせながらも、まっすぐに地面へと向かう花びら同様、この画面が風の動きのない静かな状況であることを暗示し、色彩の対比や画面構成とともに、大観の周到な計算を感じさせる。

 ところで、この《夜桜》は、富田溪仙筆《祇園夜桜》(横山大観記念館蔵)から影響を受けているとしばしば指摘される。《祇園夜桜》は、一九二二(大正一一)年にクリーブランド美術館の要請で開催され、米国を巡回した日本美術院米国展覧会(以下、米国展)の出品作であり、京都祇園の枝垂れ桜が篝火の中から幻想的に浮かび上がる様子を描いている。縦四八.三センチメートル、横七一.〇センチメートルの絹地に、闇に包まれた山々、そして夜桜を取り囲む松が墨の微妙な調子をいかして描かれ、趣ある空間を生み出している。その閣の中に、《祇園夜桜》の主役でもある枝垂れ桜が朱色の篝火によりその優美な姿を浮かび上がらせている。この作品は、キャサリン・M・ボールが、「この展覧会で最も人気を呼んでいる作品の一つは富田溪仙の《祇園夜桜》であるが、画趣に富んだ詩的な作風に鑑みればもっともなことである。下方からの火明かりで陰影を帯びた淡紅色の桜が夜の闇に神秘的に浮き上がるのである(注2)。」と述べているとおり、当時も人気があった作品のひとつと考えていいだろう。そして、大観は、この《祇園夜桜》を非常に気に入り、のちに譲り受けている。長尾政憲氏「富田溪仙と大観-溪仙にあてた手紙からみて-」(『財団法人横山大観記念館館報No.1』)で紹介された大正一五年五月一九日付の溪仙に宛てた大観からの手紙には、《祇園夜桜》に触れた箇所があるので、以下に引用しておきたい。

「此度は御無理願上候処、早速御作品集御恵贈被下難有拝受仕候
 曽て米国御出品の夜桜昨年入手仕居、先般より床間に懸け拝見致候処、恰も御作品集到来、彼是較べ一段の興味を覚え申候」(文中の作品集は溪仙の『近畿柳桜』を指す。)

挿図4. 富田溪仙筆《祇園夜桜》

(註2)『日本美術院百年史 第五巻』(一九九五年 日本美術院百年史編集委員会)p.881/同p.1026に掲載されている原文は次の通り。

One of the most popular paintings of the exhibition is "The cherry of Gion at Night" by Keisen,Tomita,and deservedly so,for its appeal is both picturesque and poetic. The pink blossoms,tinted from beneath by the fire light,glow mysteriously in the darkness of the night.

By KATHERINE M. BALL(JAPAN,MAY 1922.4.1)

 画題の桜については後に詳述するが、二人の画家がともに海外展において同様に夜桜をモティーフとしている事実は興味深い。しかし、同主題を扱っているとはいえ、溪仙の《祇園夜桜》と大観の《夜桜》には大きな逢いもある。

 差違としてあげるまでもないことではあるが、まず第一に、画面形式の違いがある。《祇園夜桜》は、前述のとおり現在は軸装である。米国展出品当時は額装であったが、しかしこれは展覧会の規定であり、基本的には溪仙に画面形式を選択する余地はなかった(註3)。一方、大観の《夜桜》は六曲一双屏風である。《祇園夜桜》に刺激をうけながらも、画面形式において、大観は《祇園夜桜》を踏襲せず、六曲一双屏風という、力強さをより強調することのできる大きな画面を選んでいる。

 続いて、溪仙と大観の夜桜は、その色彩においても大きな違いをみせる。《祇園夜桜》は、墨の濃淡を生かして夜の山々が表現されており、篝火や、その炎に照らされて仄かにうかびあがる桜により、幻想的な京の夜の情景が描き出されている。一方、大観の《夜桜》では、先にも触れたように、群青、緑青、朱など濃彩がもちいられており、溪仙のつくりだした幻想的な世界とは対照的に、鮮麗かつ重厚な世界をつくりだしている。

 続いて、溪仙と大観の夜桜は、その色彩においても大きな違いをみせる。《祇園夜桜》は、墨の濃淡を生かして夜の山々が表現されており、篝火や、その炎に照らされて仄かにうかびあがる桜により、幻想的な京の夜の情景が描き出されている。一方、大観の《夜桜》では、先にも触れたように、群青、緑青、朱など濃彩がもちいられており、溪仙のつくりだした幻想的な世界とは対照的に、鮮麗かつ重厚な世界をつくりだしている。

 最後に、もうひとつ特筆しておくべき差違は、桜の種類である。《祇園夜桜》に枝垂れ桜が描かれていることは既に述べた。溪仙のこの作品に限らず、祇園の桜といえば円山公園の「祇園枝垂れ」が有名である。祇園の初代枝垂れ桜は、江戸時代に八坂神社の境内から移植されており、その後、昭和24年に二代目枝垂れ桜が植えられているため、溪仙が《祇園夜桜》で描いた祇園枝垂れは初代の枝垂れ桜ということになろう。一方、大観の《夜桜》に描かれている桜は枝垂れ桜ではない。大観は《夜桜》を描くにあたって、頻繁に上野に通っている(註4)。たしかに上野の桜は染井吉野や里桜、山桜などが主であり、大観の描いた桜の種類が枝垂れ桜でないことと上野の桜とは無関係でないかもしれないが、「概して實感本位に立脚して視覚対照の効果に重きを置く洋画としては、行詰るのが当然の歸結ではなかろうかとも感じました。然るに日本画は、東洋精神の伝統に根ぎして時代とともに研鑽を進め、高く主観的理想から出發するものでありますから、描寫の根本が洋画と相反し、客観界を寫實的に説明するとちがひ、作者胸憶の世界を不可言的に如實に吐露するものでありますから、日本画の道たるや、實に窮まる所なき永遠の大道なのであります。」とも述べている大観のこと、やはり、意図的に枝垂れ桜から山桜へと変更しているとみるべきであろう(註5)。月夜に浮かぶ背後の山々や、《祇園夜桜》の影響力を考えてみても、大観が祇園の夜桜を意親していた可能性は非常に高い。それゆえに、「祇園=祇園枝垂れ」という-般的な常識を覆してまで山桜を描いたことの持つ意味は大きい。大観は、この作品において、上品ではかなげな美しさをもつ枝垂れ桜ではなく、力強さを感じさせる山桜を選択したのではないだろうか。画面の大きさ、配色のみならず、モティーフの選択においても、大観がある種の迫力を追求した可能性は決して低くないように思われる。

 このように、山桜を選択した大観であるが、この桜というモティーフが、日本人にとって非常に思い入れの深いものであることは、ここで改めて繰り返すまでもないだろう。日本においては、桜花が描かれる絵画、工芸作品は極めて数が多い。しかし、それに反して万葉集で詠まれた歌は、梅が一一八首、桜が四三首、椿が九首と圧倒的に梅が多いのである。桜について、すでに「平安、鎌倉期に国粋主義の発展とともに多く描かれている(註6)」との指摘があるように、中国から伝わった梅の愛玩は、平安時代に入り、日本的な美意識が生まれるにしたがい桜へと移行し、次第に桜をモティーフとした作品が増えていく。

(註3)『日本美術院百年史 第五巻』(一九九五年 日本美術院百年史編集委員会)p.863 「大きさは尺四方物、尺八、尺二、ニ尺五寸の四種でみな額」

(註4)竹越真三夫「″夜桜″″紅葉″両屏風ご製作時のこと」(「財団法人 横山大観紀念館館報No.2 一九八四年 横山大観記念館)p.6「昭和四年の花どき、上野公園へ、夜桜の情趣観察に幾晩も出掛けられ、最初と中間の二回私も供をいたしました。五重の塔を囲んで咲いた山桜が、美しい印象を深く残しました。」

(註5)加藤類子「日本画と桜」においても、大観の《夜桜》について、「紅枝垂の優美さを、躊躇することなく山桜に変えている」と指摘されている。(『日本美術全集二二』 一九九二年 講談社 p.234)

(註6)北村四郎『花鳥画の世界』の植物『花鳥画の世界 花鳥画資料集成』第一一巻 p.130 一九八三年 学習研究社

 このように、桜というモティーフのもつ歴史的な意味を充分に意識し、大観は、ローマ展出品作のモティーフとして、伝統的、日本的な桜を選んだと考えられる。また、大観がこの論説を目にしていたかどうかはわからないが、「櫻花の画」(『繪画叢誌』一三五 明治三一年四月発行)と題した論文の中で、野口勝一が、已に櫻「本邦人花を以て天下第一の花となし之を誇り又本邦画を以て世界の希有の技となして之を貴ふ乃ち希有の技に因りて天下第一の花を画き而して其眞趣を得るに至らさるは是れ大なる?点といはさるへからす盖し其花に誇り其技を貴ふことを知て其花と技とを併せて宇内に誇揚する所以を思はさるに於ては二者分離して花の薦めに技の足らさるを嘆き技の薦めに花を顯はすを得去る惜しますんはあらす故に他の卉木禽獣等の如く櫻花を専修して形意兼ね盡くし櫻花の薦めに一法門を開くあらは畫史の薦めに好模範を垂るるのみならす之に因て名花の光彩を世界に耀かすを得へきならん乃之を勉むるは畫道の一進歩にあらすや」と述べている点も興味深い。

森本草介です。

2020-09-13

【Face bookのページ】 味覚嗜好について

味覚嗜好のページ

食時の形

2021-01-16
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35014150V00C18A9AA2P00
Facebook平野めぐみさんより

おはようございます。
今日、明日と大学入学共通テストが行われます。
また、私立中学校の入試の真っ只中です。お子さん、お孫さんの入試でハラハラドキドキなさっていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。受験生のみなさん、コロナで大変ですが、今までの頑張りを発揮していただきたいです。頑張れ受験生!
さて、私立中学校の入試は、時として奇をてらった問題が出題されることがあります。
我が家の息子が受けた学校の入試で、馬の顔を正面から見た絵を描きなさいという出題がありました。
さて、2016年の慶應義塾中等部の入試問題に、和食の配膳やマナーなどについての出題がありました。
(問7)
和食の配膳で正しいものを選びなさい。
下の写真をご覧になってください。
問8 
和食のマナーとして正しくないものを選びなさい。
1 汁ものから口をつける
2 茶わんやおわんを手に持って食べる
3 料理を一品ずつ食べきってから次の料理を食べる
問9
おせち料理には、「昆布巻き=よろこぶ」、「数の子=子どもがたくさん生まれるように」などのように、おめでたいこと・願いごとと結びつけられている品目がたくさん含まれています。そこで、あなたがおせち料理に新たに加えたい一品を挙げ、それと結びつけられるおめでたいこと・願いごとを20字以内で答えなさい。
問10 
フランス料理が出されるときの⑦決められた順序で正しいものを選びなさい。
1 前 菜 → 肉料理 → スープ → 魚料理 → デザート
2 前 菜 → スープ → 魚料理 → 肉料理 → デザート
3 スープ → 前 菜 → 肉料理 → 魚料理 → デザート
問11
フランス料理のマナーとして正しくないものを選びなさい。
1 皿を手に持って食べる
2 食事の合問に一息つくときは、フォークとナイフを「ハの字」にして皿の上に置く
3 食べ終わったら、フォークとナイフをそろえて皿の上に置く
これら、お答えになれましたでしょうか?
これを解答するのは、小学6年生、12歳の子どもたちです。
解答
問7 1 
問8 3 
問10 2 
問11 1
問題出典
この和食の配膳では、1が正解です。
なぜ、このように配膳がされるのか、調べてみました。
【和食の配膳】
和食は基本的に『一汁三菜』(いちじゅうさんさい)です。
一汁三菜とは「ご飯に汁もの、主菜、副菜、副々菜」からなる、和食の定番の構成のことです。
和食の基本の献立
* 主食(ご飯)
* 汁物(お味噌汁・お吸い物など)
* 主菜(焼き魚・刺身など)
* 副菜(煮物、卵焼きなど)
* 副々菜(野菜の胡麻和え、お浸しなど)
それぞれ置く位置が決まっていて、この『一汁三菜』の置き方が和食の並べ方の基本となります。
【和食の配膳の2つのポイント】
①左手前にご飯、右手前に汁物を置きます。
② おかずは奥に置き、左から副菜・副々菜・主菜の順番で並べるのが正しい配膳です。
左にご飯を置くのは、日本は右利き文化なので、右手でお箸を持った時に食べやすい並べ方になっています。それと共に日本は左側に重要なものを配置する「左上位」の伝統があるので、左側に主食のご飯を配置すると言われています。
また、副菜や副々菜が左側に置かれているのは、器が小さく手に持ちやすいからです。
そして、主菜は大皿に盛り付けられており、食べる時に置いたままになるので、右側に置かれています。
これらは全て右利きの人にとっての利にかなった配膳で左利きの人には食べにくい配膳とも言えます。
【配膳の歴史】
平安時代の貴族の公式の宴会では、大きな卓を囲んで大勢で食事をしていたと伝えられています。卓の上には数多くの料理が並べられ、個別に配膳はされていませんでした。
それが、鎌倉時代になり、武士が中心の時代になったことで、食事の様式も変化していきました。鎌倉時代から室町時代にかけて、ひとりずつの「お膳」に料理が載せられる「銘々膳(めいめいぜん)」と呼ばれる形式が広まりました。
それと共に、右利き文化が反映していったと考えられます。武士は有事の際、すぐに刀や弓を使えるように、刀など自分の右側に置いていたものです。そういえば、先週の、NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」で、明智光秀と織田信長を裏切る松永 久秀が酒を酌み交わす場面で、松永 久秀が刀を刀を自分の右側に置いていたことから、明智光秀は松永 久秀が自分を切るつもりがないと判断していました。武士にとって、右利きが有利だと考えられ、そのため左利きは矯正されてきたようです。
右利きだとお箸を持つ手が当然、右に。ごはんの器を頻繁に持ち上げるのは、左手に。このため、ごはんは左手前になりました。
お皿を置いたままお頭つきのお魚を食べる場合、左の指で頭を押さえながらそして右の箸で食べることになります。ですから、お魚は右にということになってなります。
これは、あくまでも右利きの人の場合であり、このような配置では、左利きの人はとても食べづらい状況ではあります。
【和食の配膳 関東と関西の違い】
この和食の配膳、関東と関西で少し違っているのです。
情報サイト「Jタウンネット」は2018年1~2月に都道府県別に味噌汁の位置についてアンケートを実施しました。大阪府、京都府、兵庫県の3府県では「左奥」が70%以上にのぼり、関西から中国地方にかけて左奥派が多数を占めました。
一方、東京都は「右手前」が38.5%、埼玉県も41.9%と多数派は右手前でした。右手前派が85.7%と高水準の群馬県は北部で大豆が多く栽培されています。味噌を好む県民性といい、味噌汁の格が高いため手前に置く人が多いようです。
関東(東京)では、お味噌汁は右手前、ご飯の右隣に置くことが多いのです。これは、関東では味噌汁を好んで飲む人が多いためのようです。
また、関西では、大阪では左奥(ご飯の上)に味噌汁を配膳するようです。関西人の感性としては、手前にお味噌汁があったら奥のおかずを食べる時に邪魔ということもあるのかもしれません。
また、商人気質が影響して、主菜は手前に置くと見栄えが良いし、おいしく見せようという考えを反映しているのではないでしょうか。
また、大阪は味噌の消費量が少ないのです。総務省の家計調査(2人以上世帯)によると15~17年の味噌の消費量の平均は大阪市が3217グラムと全国52都市の中で最少でした。全国平均の5317グラムと比べても4割も少なくなっています。また、大阪や京都では商業の発達に伴い食べやすい茶漬けなどが好まれ、熱くて飲みにくい汁物を避ける傾向があり、これが現代に受け継がれているとも言われています。
これらは全て憶測で明確な理由はわかりません。
都道府県別味噌汁の位置
出典https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35014150V00C18A9AA2P00
和食というと、なんだか堅苦しく感じられますが、毎日の食事ということで考えていくと当たり前のこととして捉えられると思います。日本の文化では、「型」というのが、とても大切にされます。それが基本になります。
アレンジは、そこからです。毎日の食卓、改めて眺めてみられたらいかがでしょうか。!

稲取のキンメダイです。

2021-01-14
Facebook鈴木 弘康 より

稲取のキンメダイです。

2021-01-14
Facebook鈴木弘康さんより
Facebook鈴木弘康さんより

初釜の主菓子(おもがし)

2021-01-14
Facebook平野むめぐみさんより
毎年、この時期は、お茶の世界では初釜が行われます。
初釜とは、新年最初に行うお茶会の事をいいます。新年最初の茶会では、茶室の飾りつけも華やかなものですし、使われる茶道具も縁起の良いものを用意をします。 
初釜の主菓子(おもがし)は、新年最初の行事にふさわしく、新春を感じさせるような鮮やかな色合いと正月の華やかさを表すお菓子が使われます。
流派によって主菓子もそれぞれ違っています。
【三千家の初釜の主菓子】
○表千家
⚫︎常盤饅頭(ときわまんじゅう)
千年かわらないという松の翠から、白い薯蕷饅頭に緑色に染めた白小豆を包んだもの。二つに割ると、あたかも雪をかむった松を思わせ、正月の瑞雪にも似た気品のあるお菓子です。
○裏千家
⚫︎御菱葩(おんひしはなびら)
丸く平らにした白餅に、赤い小豆汁で染めた菱形の餅を薄く作って上に重ね、柔らかくしたふくさ牛蒡を二本置いて、押し鮎に見立てたもの。餡は京の雑煮にみたてて、白味噌餡を使用します。
○武者小路千家
⚫︎都の春(みやこのはる)
「柳は緑・花は紅」という言のように、京の春を、緑色と紅色で染め分けて表し、小豆餡を芯に使ったきんとん仕上げの菓子です。武者小路千家では、初釜に用いるのが恒例になっています。干支煎餅・千代結びの組合わせは、薄茶の席に用います。

すべては、ここから始まりました。 私の初体験は、この11年後の事でした。

2021-01-07
回転ずしを生んだ元禄寿司の道頓堀店。当時は4、5貫載った皿も回っていた=1962年、大阪市
Facebook永井由紀夫さんの投稿
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