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ちょっといい話

仰せを蒙りて

同朋会運動について

2020-04-06
Yasuda Rizin

619

ある意味では大ざっぱでいかなければならない場合もあるでしょう。
こせこせせずに、大ざっぱで大きくいかなければならないこともあるのです。
そういう点も大事です。
念仏の共同体というものが他の共同体と区別される一点はどこにあるのかと。
教学という事実が他の共同体から念仏の共同体を区別する唯一の点なのです。
その教学というものの事業は何かというと、同朋活動(同朋会運動)というものだと。


 

620
同朋活動は一時的な運動ではないのです。
同朋の会を無数に作るということが唯一の事業だと。
だから同朋会というのは末端に在るのです。
どこに同朋会があるか、実績はどうかといえば、会が開かれていることしかないのです。
寺に皆を集めて法事をつとめてもそれは同朋会にはなりません。

 

 

621
そういう意味で大きく分ける点も必要なのです。
一番大きく分けた言葉が自利利他ということでしょう。
思想問題、宗教問題は何かというと自利利他円満ということが最も大きく仏教を摑んだ言葉です。
自利利他です。
自らも救われ他も救われるということです。
自利利他ということのほかに宗教問題はない。
つまり人間が完成することです。


 

622
自利利他で人間が完成するということが仏道だと。
人間をやめることが仏道ではない。
人間が人間として成就するということが自利利他円満です。
それが仏道だと。
これほど大きな掴み方はないでしょう。
ただ問題は、自利利他を考えている時にはなんでも自利利他円満ができると思うのです。
やってみると円満はできない。
だからこれが実践問題です。

親鸞にとっての源信僧都と法然上人

2020-04-03
真向かいになるということ

601
本願は、
初めに「国に地獄、餓鬼、畜生あらば正覚をとらじ」と。
「国」の願です。
これが大事なのです。
国というようなことは、
どこから出てきたのかということです。
これは非常に深い問題ではないかと思うのです。
なにかそこには、
本願というものは人間の祈りを、
人間に先立って、言い当てたと。
国というものは
天から降ってきたものではないでしょう。
人間の祈りなのでしょう。


 

603
人間の深奥の要求というものを、
人間に先立って、却って自己の問題とすると。
自己といっても
別に自己というものがあるわけではない。

宗教心です。
もっと言えば菩提心でしょう。

その菩提心が

人間の祈りを人間に先立って

自己の問題とすると。
こういうものが
本願というものだろうと思うのです。

 

604

観経疏の中に「弥陀の本国四十八願」という言葉があります。
本国の願だから本願なのでしょう。
そういうように、人間に先立って人間の問題を自己の問題とすると。
それが菩提心です。
宗教心です。
したがって、
そこに人間の予想を超えて
それが応えられていると。
人間は、
その人間に先立つような問題を持っているものが、
実は人間なのです。
不思議なことです。
自分の考えで考えた祈りではないのです。

考えよりも先に人間は問題を持っている。
 

605

それは人間の考えで解決できたと言えない。
言えないけれどもあきらめるわけにはいかないと。
そういう問題を菩提心というものが自覚してくるのです。
こういうように、
宗教心というものは人間と無関係にあるものではない。
人間そのものが
人間では出来ないような問題を持っている。
それが人間なのです。
それでないと
国土の本願というようなものが出てくるはずかないでしょう。
本願はどこか天から降ってきたようなものではないのです。


 

606
菩提心が人間の問題を自己の問題としているのが本願です。
だから人間は本願において自己に遇うわけです。
それで答えは南無阿弥陀仏が答えです。
これは思い通りになったのではない。
「予想を超えて」答えられている。


607
国の願は三悪趣が無いというような意味だったのです。
国は非常に低いところから始まっているのです。
それは本願というものは論文ではないので、
非常に低いところから出発しているのです。
三悪趣の無い国を祈ると。
これは源信僧都の言葉というのが非常に深いのです。
私は思いますけれども、
親鸞は初めは法然上人よりも源信僧都を慕われたのだろうと思います。
法然とは性格が正反対みたいなのです。


608
源信僧都というのは非常に内観的な人だったと思うのです。
それに対して法然上人は頑固者だったのではないかと思うのです。
その頑固というものの意味の深さはあとで分かってきたのです。
頑固ということは今の言葉で言えば
「知識人ではない」ということです。
知識人でないという意味は、ものを横から見ないというのです。


609
何でも第三者の立場に立つのが知識人です。
ものを横から見るのです。
横から見たら往相だの還相だのということはありはしない。
そうでしょう。
横から見れば往相も還相もない。
船に乗って我々は往相でいくのです。
そうすると岸は向こうから来るでしょう。
そうでしょう。
こちらの船に景色がどんどん向こうから近づいてくると。
そうすると自分が流れを遡っていることです。
だから自己が往なら、自己をとりまく景色は還です。
往還と。
そういうように世界が流動しているでしょう。
第三者にそんなことはありはしない。
船から降りてみよと。
何も船が往っているのではないと。
船から降りれば、傍観すれば往も還も無い。
そうでしょう。なにも「行」がない。
それが第三者です。


610

知識人、インテリゲンチャというのはそういうところに居るのです。
だからそういう人はその場その場の答えを出す。
それも多少は意味はある。
けれども、いざという場合は立場をすぐ変えてしまう。
変節する。
その時その時は巧みな答えを出すけれども、出ないようになると「これは私の考えだ」というような具合ですぐやめてしまうのです。
そういうところに知識人の不信任というものがあるのではないかね。あてにならない。

611

あてにすることが出来ない。
インテリゲンチャというのはその時その時で都合のいい答えを出してくれる便利な人です。
それはあてにできないでしょう。
だから法然のその頑固、知識人でないというところに初めて本当の人だと。
その人の言っている言葉には多少矛盾があっても頑固一徹だと。
こういうところに初めて、その人が生きていると、信頼できるのです

信頼ということ

2020-04-03
【試聴】「浄土の教学」安田理深/法話CD「本願に生きた念仏者シリーズ」③|東本願寺出版
1980年真宗本廟同朋会館において行われた「同朋会運動の願いに聞く集い」での音声を収録。生涯、聞法の生活一筋で歩まれた安田理深師の熱のこもった講義。

法然上人という人

612
信頼、これは大事なことです。
教育というようなことは皆、そうなるのではないかね。
しゃべっていないと人が教化できないというのではない。
その人が居ることで人が救われてしまうと。
そういう、沈黙していても、会った者がなにかそこに力を得てくると。
こういうのが本当ではないかと思うのです。

 

613
親鸞は法然に会ってはじめて、
これは知識人ではないと。
本当の人だと。
だからそれを逆に言えば、弁解しない人です。それは
「あなたの間違いではないか」と言われて
「いや、そうでない」と言い返さないのです。弁解しない。
「その通りです」と言うのです。
そういう、自己を弁解しない人というのが、
初めて信頼できる人ではないかと思います。
法然上人はそういう人だったのです。
単に噂を聞いているあいだは分からなかったのです。
親鸞は法然上人の噂は聞いていたのでしょう。その噂を通してみるとあまり法然上人の生き方を親鸞は好まなかったのでしょう。
むしろ好むのは源信僧都です。


 

青木玲先生の文章

2020-04-03
宗祖としての親鸞聖人に遇う

「であい」の大切さ

(青木 玲 教学研究所助手  現職は九州大谷短期大学准教授)

 毎年、高校の恩師から年賀状をいただいている。高校を卒業してからであるから、もう十数年になる。今年の年賀状には、「この三月で高校教師を退職します」と記されていた。私には、高校時代にこの先生から言われた、いまだに忘れられない、大事な言葉がある。
 先生は、私が高校二年生の時の担任で、英語を担当される女性の方であった。何事にも非常に厳しく、豪快で、かつ生徒一人ひとりと真向かいになって相談にのってくれる方であった。高校の中で唯一寺院出身であった私に対しては、特に進路について大変心配をし、様々なアドバイスをして下さった。
 はっきりとは記憶していないが、進路を決める三者面談の時であったと思う。進路に悩む私に対して、先生は次のようなことを言われた。「偏差値や就職率で大学を選ぶことは大切なことだ。しかし、本当に大切なのは、大学に進学して、一人の先生、一人の友達にであうことだ」と。当時は、成績の悪い私に対するなぐさめの言葉としか思えなかった。しかし、大学に進学し、少しずつではあるが、親鸞聖人の言葉に触れていくにつれ、先生から言われた言葉の重みを感じるようになった。
 親鸞聖人は、『教行信証』「化身土巻」に、
 愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。(聖典三九九頁)
と記され、また『歎異抄異抄』第二条には、
 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。(聖典六二七頁)
と述べられている。これは、聖人が二十九歳の時、「よきひと」法然上人の「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という教えとのであいを通して、阿弥陀の本願に帰依されたことを表している。さらに、『高僧和讃』には、
 曠劫多生のあいだにも
 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずは
 このたびむなしくすぎなまし(聖典四九八頁)
と記されている。曠劫多生という長い間、生死を離れる強縁である阿弥陀の本願を知らなかった、もし法然上人がおられなかったならば、一生涯をむなしく過ごしていただろう、と。親鸞聖人が生涯をかけて念仏者として生きていくことを決定できたのは、法然上人とのであいによってであった。
 また親鸞聖人は、流罪の地の越後や、その後身を置かれた関東でたくさんの方とであわれ、その方々と共に念仏の教えを聞き、仏道を歩んでいかれた。その意味で、親鸞聖人が歩まれた仏道は、法然上人を始めとするたくさんの方々とのであいを抜きには考えることは出来ないだろう。
 現在、全国各地の方々とであう場に身を置いて仕事をさせていただいている。先生ご自身がどのような意図で「であいが大切だ」と言われたのかは分からないが、ただ、今の私にとって「であい」が元気や勇気を与えてくれていることは間違いない


(『ともしび』2012年6月号掲載)

西恩寺彼岸永代経法要内勤め 2020年3月20日

2020-04-03
池田勇諦15分法話
https://youtu.be/TQXuEtXPrmc


こちらは、西恩寺様のHPです。
http://www.mie-saionji.com/?fbclid=IwAR0bj29r6g5akhCuZsU1MzzzfhDiMv3YFePzNIL1jaSnVl-XNbUA2JjARFg

お釈迦様の話

釈尊の生涯と教え

2020-04-19
仏教の本質 哲学者「中村元」

ブッダ 最期のことば 1.2.3.4.

2020-06-14

釈尊のお説法

2020-04-07

延暦寺の絵解き

2021-04-18
能慈院殿の頃、真宗大谷派門首後継として、延暦寺根本中堂にてお勤めなさいました。

延暦寺の絵解き

2021-04-18

データベース

真宗聖典検索 Web site

2020-04-22
東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。
このサイトは、宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業の一つとして聖教編纂室にて取り組み、開設したサイトです。東本願寺出版発行の『真宗聖典』(初版)に収載されている聖教の本文の検索を行うことができます。使用方法については、このサイトについてをご覧ください。

このサイトについて | 真宗聖典検索 Web site (higashihonganji.or.jp) 

真宗聖典(S_JIS 版)検索システム--- 生まれた意義と生きる喜びを見つけよう! ---

2020-04-22
真宗聖典(S_JIS 版 msearch)検索エンジン

 

『浄土真宗聖典』オンライン検索 浄土真宗聖典・検索システム | 原典版

2020-04-22

聖典電子研究会

2020-04-22

SAT

2020-04-22
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース


   智慧の宝庫、『大正新脩大藏經』
                        の
          第1巻から第85巻までの

      全テキストをデータベース化

 

   ttps://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

ちょっといい話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

Facebook 小笠原 喜一さん曰く

2021-04-19
電話で自分の名前を説明するとき、「ヒロシは水原弘の弘ではなく、玉置宏の宏です」と説明するヒロシさんも、それでわかる私も昭和人。

第4回ともいきフォーラム 山折哲雄さん「日本人の宗教心」

2021-04-19
https://youtu.be/xl6W7QkwGMw
第4回ともいきフォーラム

「日本人の危機―心が壊れる日本人」 
浄土宗ともいき財団では、
2018年12月8日(土)に「第4回ともいきフォーラム」を大正大学(東京・西巣鴨)を会場に開催しました。 
テーマは「日本人の危機」です。 
宗教学者の山折哲雄氏、
宗教社会学者の稲場圭信氏、
読売新聞グループ本社取締役最高顧問の老川祥一氏、佛教大学名誉教授の藤本淨彦師らを迎え、日本人の道徳、倫理、そして宗教心についてお話いただきました。  
1部 講演 
●講演「日本人の宗教心」 
 山折哲雄氏(宗教学者) 
●講演「思いやりを育む」 
 稲場圭信氏(宗教社会学者、大阪大学大学院教授(人間科学研究科)) 
2部 パネルトーク 
 「これでいいのか日本人!?」 
●パネリスト 
 山折哲雄氏 稲場圭信氏 老川祥一氏(読売新聞グループ本社取締役最高顧問・主筆代理・国際担当) 藤本淨彦師(佛教大学名誉教授、浄土宗総合研究所所長) 戸松義晴師(浄土宗総合研究所主任研究員) 
公益財団法人 浄土宗ともいき財団HP https://tomoiki.jp

第3回ともいきフォーラム 山折哲雄さん「死を想えば、生が見える」

第3回ともいきフォーラム
「死を想えば、生が見える」 
浄土宗ともいき財団では、3月3日(土)に「第3回ともいきフォーラム」を東海学園大学名古屋キャンパス(愛知・名古屋市)を会場に開催しました。 
テーマは「死を想えば、生が見える」です。
 宗教学者の山折哲雄氏、エッセイストの岸本葉子氏らを迎え、いきいきと生きるために、「死」という視点から「生きること」の本質を探ります。  
1部 講演 
●講演「死を想えば、生が見える」 山折哲雄氏(宗教学者)
 ●講演「死をみつめて」 岸本葉子氏(エッセイスト) 
2部 パネルトーク 
「死を想えば、生が見える」 
●パネリスト 山折哲雄氏 岸本葉子氏 松原武久氏(東海学園大学学長) 戸松義晴氏(浄土宗総合研究所主任研究員) 
公益財団法人 浄土宗ともいき財団HP 

山中伸弥 × 世耕弘成 「学生よ挫折を怖がるな~次世代を担う研究者への提言~」

2021-04-19

平成28年3月26日の卒業式の後、iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授と、内閣官房副長官で近畿大学校友会名誉会長の世耕弘成氏による特別セッション。 挫折を乗り越えて素晴らしい研究成果を出したご自身の経験を踏まえ、次世代を担う研究者の卵たちに対する激励をいただいた。

iPS細胞研究所 山中伸弥教授 卒業スピーチ

2021-04-19
「塞翁が馬…だから人生は楽しい」平成27年度近畿大学卒業式
第26回京都賞 高校生特別授業「人間万事塞翁が馬」京都大学iPS細胞研究所所長 山中 伸弥 教授 2010年11月16日

第26回京都賞ウイーク 教育イベント
高校生特別授業「京都賞 高校フォーラム」
 ー 人間万事塞翁が馬 ー
 第26回京都賞 先端技術部門受賞 
iPS細胞研究所所長 山中 伸弥 教授 
日時:2010年11月16日(火)
場所:京都大学百周年時計台記念館 
    百周年記念ホール 
主催:財団法人稲盛財団、京都大学 
後援:京都府教育委員会、京都市教育委員会

河合隼雄

2021-04-19

ちょっと気になる絵

二人の世界 Original Song by あおい輝彦

2021-04-19
・木下恵介アワー

抜粋・竹脇無我 & 小坂一也・おやじ太鼓より・木下恵介アワー

2021-04-19

おやじ太鼓35木下恵介アワー



おやじ太鼓36木下恵介アワー

;\レザービーム

2021-04-18

井上尚弥】初防衛戦

2021-04-18

· 浩宮さま(天皇陛下) スイッチヒッター

2021-04-18
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