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今、私達に出来る事
【Shows at Home】民衆の歌 / Do You Hear The People Sing ? - Les Miserables -
民衆の歌 The People's Song 「レ・ミゼラブル」より
https://www.youtube.com/watch?v=MNIyjmd-LwI
◆ジャン・バルジャン/吉原光夫
◆ジャベール/伊礼彼方
◆ファンテーヌ/濱田めぐみ
◆エポニーヌ/昆 夏美
◆マリウス/海宝直人
◆コゼット/生田絵梨花
◆アンジョルラス/小野田龍之介
◆テナルディエ/駒田 一・斎藤 司
◆マダム・テナルディエ/森公美子
◆コンブフェール/中井智彦
◆クールフェラック/持木悠
◆フイイ/杉浦奎介
東京五輪「中止検討せざるを得ない」組織委顧問の千玄室氏 現状での開催に危機感
新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期された東京五輪・パラリンピックについて、大会組織委員会の顧問を務める茶道裏千家の千玄室前家元(97)が、京都新聞社の取材に応じた。千氏は「来年までに世界各国で収束しないと準備ができない」と話し、現状での五輪開催に危機感を示した。
延期が発表された3月24日、安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、中止はないと確認。一方で、組織委員会の森喜朗会長は、再延期は「絶対ない」との見方を示し、バッハ会長も今月、英BBC放送のインタビューで、来年開催されなかった場合、中止となる見通しを示している。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/263872?fbclid=IwAR0TSMWXC_ZhLFj9e23wDePy029e2OZhPYp_vf4dE9zdsrDcZ4nhIuDg-HY
関西でも宣言解除
社説:京都も宣言解除 油断せず冷静に行動を
コロナ情報について
ダライラマ師のことば
時々、「神通力を使って世界の問題を解決してください」と、私に頼んでくる友人がいます。そのような時はいつも、「ダライ・ラマには神通力などありませんよ」と伝えています。もし、そのような力が私にあったなら、私は脚の痛みや喉の渇きなどを感じることはないでしょう。私たちはみな同じ人間であり、同じように恐れ、同じように望み、同じように不安を抱いています。
仏教徒の見地から述べるならば、生きとし生けるものはみな、苦痛、病気、老化、死の苦しみが実際に存在することを知っています。しかし人間としての見地からすれば、私たちは心の持ちかたによって怒りやパニック、欲望を克服することができます。近年、私は「感情面における武装解除」の必要性を強調してきました。感情面における武装解除とは、恐れや怒りから離れて、現実的かつ明確に物事を見る姿勢を意味します。私たちは、改善できる問題ならば改善策を見つけなければなりません。しかし、改善の余地がなければ、思い煩うことに時間を費やす必要はありません。
私たち仏教徒は、すべての世界は相互依存によって成り立っていると考えています。そしてこれが、私がいつも普遍的責任について語る理由です。この恐ろしい新型コロナウイルスは、一人の身に起きたことが、瞬く間に他のすべての人に影響を及ぼすことを明らかにしました。しかし同時に、医療の現場で働くことであれ、ただ人混みを避けることであれ、建設的で思いやりのある行動によって多くの人が救われていることもまた気づかせてくれました。
中国の武漢市で新型コロナウイルスが発生したニュースに接して以来、私は、中国をはじめとする各地の兄弟姉妹の皆さんのために祈りを捧げてきました。今では、このウイルスの免疫を持つ人はいないことをだれもが知っています。だれもが、愛する人たちやこの先のこと、世界経済やそれぞれの家計のことを心配しています。しかし、祈っているだけでは十分ではありません。
この危機は、私たちのだれもが、自分がいるその場所で責任ある行動を取る必要があることを教えてくれています。私たちは、医師や看護師のみなさんが示している勇気を経験に裏付けされた科学と結びつけることによってこの状況を立て直し、私たちの未来をさらなる脅威から守らなければなりません。
このような大きな恐怖の中にあるときには、地球全体としての長期的課題と可能性について考えることが大切です。宇宙から地球を撮影した写真を見るならば、この青い地球には境界線などないことがわかります。私たちのだれもが地球を大切にして、気候変動と環境破壊の抑制に取り組んでいかなければなりません。私は、この新型コロナウイルスは、私たちが直面している未曾有の問題を乗り越えるには世界規模の協調した歩み寄りが唯一の解決策である、ということの警告でもあると考えています。
苦しみのない人などだれひとりいません。これを肝に銘じて、身を護るための家や資金、家族がいない人たちに救いの手を差し延べなければなりません。たとえ離れていても、私たちを隔てるものはないということを、この危機は教えてくれています。つまり私たち全員に、思いやりと助け合いを実行する責任があるのです。
仏教徒として、私は、万物は無常であると考えています。私がかつて目にした戦争や極度の脅威が今は過去のことであるように、新型コロナウイルスもやがて過去のこととなり、これまで何度も繰り返されてきたように、地球という共同体を立て直す時が来るはずです。私は心から、だれもが安全で、落ち着ける場所があることを願っています。このような不安な時世においては、きわめて多くの人々による建設的な努力に対して、希望や信頼を失わないことが何よりも大切です。
米誌『タイム』ウェブサイト2020年4月14日付からの転載
https://time.com
呑んじゃだめです!
山中伸弥教授の発言
釋林遊さんの意見
仏教における善は「十善」のようにするなかれといふ否定的な表現をとる。
その意味で「仏系防疫」といふ視点は面白いと思ふ。仏はフランスの意味ではない。
>>引用
仏系防疫とは「仏様のようなおおらかな態度で、楽観的に新型コロナウイルスの対策をすること」を意味し、当初は無為無策な体制を皮肉る言葉だった。中国では、都市封鎖も行わず、渡航や入国制限、隔離措置を積極的に行おうとしなかった日本の対応を“仏系防疫”と批判する声が多く上がっていた。
国民の自由を奪う強権的な防疫体制を敷いてきた中国に住む人々からすれば、日本の対応は不十分に感じたことだろう。
しかし同コラムでは、日本政府の仏系防疫にもかかわらず、日本では感染者や死亡者の爆発的増加が見られていない事実を指摘。その理由を、次のように分析している。
「日本は衛生観念の高い国で、国民の多くは普段から花粉症や風邪の影響からマスクの着用に慣れている。それに加え、手洗いやうがいの習慣も身についている。道端に唾や痰を吐く人も少なく、電車など公共の場にて大声で騒ぐような人もいない。日本の商店では、キッチン除菌・トイレ除菌・衣類除菌など数多くの除菌剤が販売されており、こうしたことからも衛生観念が高い国民であることがわかるだろう。日本では幼い頃から人に迷惑をかけてはいけないと教育されており、3.11の震災の際には、各地で静かに混乱することなく列に並ぶ日本人の姿があった。日本人は病気を他人に感染させることで迷惑をかけてしまうという気持ちから、自主的にマスクを着用しているのだ」
つまり、国民一人一人の衛生観念が高ければ、中国が今回敷いたような強権的な感染拡大策は不必要であると指摘したのだ。
>>引用終り
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
https://gunosy.com/articles/RQtqn?fbclid=IwAR3aR4-0h5ZO4MiFCPl0jenydW54402NUzXEAnpQEEC3GkQwJztCrIOj3HU
現在も世界で猛威を振るう新型コロナウイルスだが、最初に感染が拡大した中国では、3月に入り感染が鈍化、日ごとの新たな感染者数は2桁台に抑えられているという。中国メディアは都市封鎖や強制隔離、突貫工事による病院建設など、大規模な防疫体制が功を奏したと自画自賛している。
しかし、一部では異論の声も上がっているようだ。
今月14日、中国のQ&Aサイト大手「知乎(zhihu)」に「日本の仏系防疫の真実」というタイトルのコラムが掲載された。
密集回避、お願いするばかりではいけませんので・・・。
「密集」回避、出席議員を半減
時事通信 4/14(火) 17:25配信
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて衆院(定員465、欠員2)では14日の本会議で、議員同士の密集を防ぐため、質疑中は出席議員を約半分に減らす取り組みが行われた=同日午後、国会内
仰せを蒙りて
お釈迦様の話
釈尊の生涯と教え
釈尊のお説法
「成道会(じょうどうえ)」―釈尊が悟りを開かれた日
「成道会(じょうどうえ)」―釈尊が悟りを開かれた日
釈尊の生涯に深く関連する日のひとつが、12月8日です。
この日は何の日ですかとお尋ねすると、「太平洋戦争開戦の日=真珠湾攻撃の日」「ジョン・レノンが亡くなった日(今年は40年目を迎えます)」、あるいは地方によっては「針供養の日」という答えが返ってきます。「お釈迦様がお悟り(さとり)を開かれた日でしたね」というお答えは、ご門徒の皆さんからもなかなか出てきません。12月を迎えるとともに、街はクリスマス一色となり、ますます「成道会」の存在は、かき消されてしまうようです。
およそ2500年前、東北インドにあった小国「シャカ国」の王子シッダールタは、地位・財産・名誉など私たちが欲するすべてのものに恵まれ、何不自由なく過ごしていました。しかし、老人や病人さらには死人との出遇いをとおして、人として生まれた以上、老・病・死からまぬがれることができないという「わが身の事実」に気づき、思い悩みながら、真の幸せとは何かと深く考えていました。
その時、出家をし、質素な身なりながらも、心身を制御しながら善につとめ心穏やかな境地を求める生き方に励む「沙門」と出遇いました。29才のとき、意を決してお城を出て、修行生活に入りました。もちろんお城は大騒ぎ。沙門となった王子を見つけたマガダ国王ビンビサーラは、財や軍隊をあげるから国に戻ってはと申し出ましたが、「私はこの生活を楽しんでいます」といって、その申し出を断っています。
シッダールタは、師をみつけて瞑想の方法を学びましたが、その境地には満足せず、5人の仲間とともに断食をはじめとする厳しい苦行を続けましたが、求める境地にはいたることができず、修行を放棄します。ほぼ骨と皮だらけの体を河に入って清め、ふらふらと歩いている苦行者を見た村娘スジャーターは、神様に捧げようとして持っていた乳粥を彼に与えました(この娘の名がコーヒーに入れるミルク製品名になっています)。元気を回復したシッダールタは、近くにある大きな樹(ピッパラ樹)の下に座し、深い瞑想に入りました。
その時、彼の前に悪魔(マーラ)が現れます。武器や雨風で襲いかかり、あるいは美しい女性を登場させて誘惑をしたり、あらゆる手段を用いて邪魔をしました。このマーラの襲来は、内面の様々な欲望との闘いや苦行を棄てたことへのうしろめたさを表しているといわれます。しかし、悪魔の襲来を降伏(降魔)され12月8日の明け方、明けの明星が輝くなか、悟り(बोधि, bodhi:菩提)を得られ、ブッダ(बुद्ध, Buddha)「目覚めたもの」となられました。この出来事を「降魔成道」といいます。お城を出て6年目、シッダールタ35才の時のことです。以後、ブッダ(仏陀)と呼ばれます。
瞑想に入られた大きな樹は後に「菩提樹」と呼ばれるようになりました。また、悟りを得られた場所は、ブッダガヤとよばれ仏教聖地の一つとして世界中から仏教徒がお参りに来られます。現在この地には、52メートルの大塔が建っており、世界遺産となっています。
「さとり」とは何か。どのようなことに「目覚められた」のかは、またいずれ。
ちょっといい話
田畑正久先生より
今月のことば 平成27年7月のことば
今月のことばは、平野恵子さんの『子どもたちよ、ありがとう』という書籍の一節です。
平野さんは、岐阜県高山市にある浄土真宗の寺院の坊守(住職の奥様)で3人の子供のお母さんでしたが、41歳という若さで腎臓ガンのため亡くなりました。『子どもたちよ、ありがとう』という本は、39歳で病を発症してから亡くなるまで、2年間の闘病生活の中で書かれた子どもたちへの手紙(遺言)です。
平野さんは、病を患うまでは、いたずらっ子の息子さん、寝たきりの病気を患う重症心身障害児のお嬢さんの子育てに、なぜ我が子だけが、と自分の思い通りにならない憤りや失望を感じておられたそうです。しかし、残された時間がわずかだと悟った時、子供達への途方もない愛情と「ごめんね」、「ありがとう」という胸に溢れる感謝の気持ちに気づき、自分が今できることは何かを必死に考えたのです。以下、平野さんの言葉を引用します。
「実は、お母さんはとてもわがままな人間で、自分の思い通りにならないと腹が立つのです。そして、なんとかしようと頑張ってみるのですが、それでも、やっぱりどうにもならないと、今度はがっかりして、泣きたくなるのです。ずうっと昔からそうでした。特に、結婚して、あなた達が生まれてからは、毎日毎日が、失望と苛立ちの積み重ねでした。―」
「―お母さんの病気が、やがて訪れるだろう死が、あなた達の心に与える悲しみ、苦しみの深さを思う時、申し訳なくて、つらくて、ただ涙があふれます。でも、事実は、どうしようもないのです。こんな病気のお母さんが、あなた達にしてあげられること、それは、死の瞬間まで「お母さん」でいることです。元気でいられる間は、御飯を作り、洗濯をして、できるだけ普通の母親でいること、徐々に動けなくなったら、素直に、動けないからと頼むこと、そして、苦しい時は、ありのままに苦しむこと、それがお母さんにできる精一杯のことなのです。そして、死は、多分、それがお母さんからあなた達への、最後の贈り物になるはずです。―」
「―人生には、無駄なことは、何一つありません。お母さんの病気も、死も、あなた達にとって、何一つ無駄なこと、損なこととはならないはずです。大きな悲しみ、苦しみの中には、必ずそれと同じくらいの、いや、それ以上に大きな喜びと幸福が、隠されているものなのです。素行ちゃん、素浄ちゃん、どうぞ、そのことを忘れないでください。たとえ、その時は、抱えきれないほどの悲しみであっても、いつか、それが人生の喜びに変わる時が、きっと訪れます。深い悲しみ、苦しみを通してのみ、見えてくる世界があることを忘れないでください。そして、悲しむ自分を、苦しむ自分を、そっくりそのまま支えていてくださる大地のあることに気付いて下さい。―」
「―お母さんの子どもに生まれてくれて、ありがとう。本当に本当に、ありがとう。あなた達のお陰で、母親になることができました。親であることの喜び、親の御恩の深さも知ることができました。そして、何よりも、人として育てられる尊さを知りました。あなた達のお陰で、とても、にぎやかで楽しい人生でした。―」
命の期限を意識した時、とてつもない苦しみを味わった時、平野さんの生きている世界が、見える景色が変わったのだと思います。今まで不満に思っていた日常が、私が中心だった世界だったことに気づき、本当はなんとありがたい世界であったのかと感じたのでしょう。最後に自らの死を贈り物とし、悲しみ、苦しみを通してのみ見える世界がある、そして、どんなに辛い時もありのままの自分を支えてくれる大地(仏の願い)があると残したメッセージ、それは最後に母が子に伝えたかった真実でした。 (宗教部)
真宗コラム
親になる、子になる 作家 川上未映子さん
かわいい=モテという画一化された価値観に反発した。高校のデザイン科へ進学し、金色にした髪には毛糸を編み込み、鉄板入りの安全靴を履いていた。いかに目立つか、より面白いか、そのほうがモテることより断然価値があると思った。
女の子は生まれたときから「女の子らしくしなさい」と言われるんですね。やっぱりお金があったり、地位のある人と結婚できるようにという教育ですよね。ある程度までは自分を出して頑張ってもいいけど、決して男の人より稼がない、学歴もつけないでと言われてきたわけです。だから医科大の、男性に下駄を履かせるということにもなってくる。
昭和の時代に、スカートめくりが流行ったんです。男の子がスカートをめくるということは、男の子がその女の子を性的な欲望の対象にすることです。そんなの犯罪ですよ、子どもであってもね。でも、それが本当にマヒしていて、欲望されないことが恥ずかしいという逆転の構造が起きる。スカートめくりされると人気があるみたいなね。されない子は自分を惨めに思う。「私には誰も男の子が寄ってこない」ということを、自分をはかる価値の一つとして見てしまう。そんな悲しいことがあったんですね。
三十五歳で母親になった。子どもが生まれて、完全に変わったことが二つ。一つは自分と母親との関係、二つ目は夫婦関係である。
複雑な家庭環境だったので、自分が母を守らなければと思っていたんですね。母が朝から晩まで働いていた。だから、自分が生まれてくる子どもにしてあげられることがあるなら、全部母にしてあげたいと考えていたんです。でも、子どもを産んでみたら、母親というのは子どもが元気で笑っていればそれでいい、生きていてくれればそれでいいんだということが実感できた。親というのは子どもに何も求めていないんだということが分かって、私は初めて母親のことを忘れることができたんです。母のことをもう心配しなくていいと思えた。子どもを産んで親になって、私は初めて母の子になれたんです。
もう一つは、出産を経験した夫婦は家族になっていく過程と表現する人もいますが、私の場合は違って、夫は完全なる他人になっていきました。恋愛中って頭がふわっとしているし、お互い余裕があるから優しくできる。結婚してもしばらくは恋人同士のまま。本当に地が出るのは生まれてから。夫婦はもう一度出会い直すことになる。お互い、もう同じ人と思ってはいけないんです。
心の底から幸せだと思っている人でも、やっぱり孤独はあるんです。誰も自分の代わりに死んでくれないし、自分の身体を生きてくれる人はいない。小説を書くとき、その孤独というものが大前提にあるように思います。
かわかみ・みえこ
大阪府生まれ。08年、『乳と卵』で芥川賞を受賞。09年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞。10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞。13年、詩集『水瓶』で高見順賞、短編集『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞。16年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞。19年、『夏物語』で毎日出版文化賞(文学・芸術部門)など受賞歴多数。
時機相応について 時代と人
50年以上前に 今の世界を予見していた 地球だ!地球に戻っていたんだ
ちょっと気になる歌・唄
「春よ、来い」
作詞家 五木寛之
五木寛之(作詞)作品集
旅の終わりに 冠二郎
青年は荒野を目指す ザフォーク・クルセダーズ
愛の水中花 松坂慶子
二丁目の子守唄 ミルバ
ひとり暮しのワルツ 石黒ケイ
四季・奈津子 チェリッシュ
織江の唄 山崎ハコ
女人高野 田川寿美
夜明けのメロディー ペギー葉山
東京タワー / ミッツ・マングローブ
はいだしょうこ「にじ」- きっと明日はいい天気
はじめてこの曲を聴いた時、元気づけられたのと同時に、明るい曲なのになぜか涙が出ました。 そして、私がこの曲を大好きになった時には、もうすでに、幼稚園や保育園では大人気の曲。ということを知りました。 歌ってください! のリクエストも多く、今回歌わせて頂くことにしました。 「きっと明日はいい天気」 私が、この曲で、元気づけられ、また明日も頑張ろう! と思えたように、 皆様にも「にじ」が届きますように。。。
<演奏曲情報>
作詞:新沢としひこ
作曲:中川ひろたか
歌:はいだしょうこ
ピアノ演奏:YUKA
音楽プロデュース:赤坂東児
花は咲く 山鉄バージョン
連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台の一つとしても知られています。
2019年3月23日、JR東日本から、復旧工事を終えた宮古と釜石の区間が移管され、全長163キロの三陸鉄道「リアス線」として1本のレールで結ばれました。
番組では、旅情を誘う鉄道と沿線地域の風物を織り交ぜ、震災からのさらなる復興を応援します。
また、本番組の制作に際し「花は咲く」の作曲家・菅野よう子のアレンジによる新たな音源で、鉄道ファンとしても知られる二人のデュエットが実現しました。
BSプレミアム「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」でもおなじみ、俳優の六角精児。
そして連続テレビ小説「まんぷく」でもおなじみ、「時刻表」の表紙にも登場した女優の松井玲奈。番組では二人が三陸鉄道に乗り込みます。
https://www.youtube.com/watch?v=wazwInwECSc&feature=youtu.be
リレハンメルオリンピクです。
ちょっと気になる絵
秋篠寺の伎芸天
日本橋三越本店 Nihombashi Mitsukoshiと言えば・・・。
日本武道館は、東京の九段にあります。
国宝
春日大社では、だ太鼓が所蔵されていた宝物殿を平成28年に改修。工事に合わせ、だ太鼓自身の修復も並行で作業。2019年3月、4年に及ぶ修理が完了。だ太鼓が宝物殿に戻り広く一般に公開されるようになりました!
鼉太鼓は屋外の舞楽演奏に用いる左右一対の太鼓です。春日大社のものは源頼朝寄進との伝承がある鎌倉時代の作で、総高6m58cm。日本最大級の大きさを誇り、また鎌倉仏師の手による最高峰の彫刻で飾られています。
本特別展は、4年におよぶ本格修理によって見事復活を果たし本来の伸びやかで繊細かつ荘厳な姿を取り戻した鼉太鼓が4年ぶりに春日大社に戻り、国宝殿にて二基一対で初めて公開されることを記念するものです。
本展示では、鼉太鼓を中心に楽人たちが歴代大切に守り続けてきた重要文化財の舞楽面や国宝の楽器などを合わせて展示します。
この春は春日大社国宝殿で鼉太鼓が生み出す超迫力と春日舞楽が醸し出す優雅な雰囲気とに魅了されましょう。
龍と鳳凰と巴の話
龍と鳳凰と巴の話
[巴]
中国の太極の思想をうけた宇宙観、すなわち虚無が二つの宇宙から構成されており、陰と陽とから成り立っているという見方のもとに構図され、たとえば男女、明暗、肯定と否定など、極限の対立と調和を表す。
中国や朝鮮では二つ巴が用いられるが、日本では平安時代に奇数による日本的統制の和を示した三つ巴が完成した。
[龍]
森や草原、川などに住むさまざまな動物を複合して創造した想像上の霊獣で、水を司るといわれる。
龍が飛龍を生み、その飛龍が鳳凰を生んだことになっている。
中国では古くから龍のモデルの一つとなった蛇への信仰が篤く、脱皮に象徴される『死と再生』のシンボルであり、雨をよび、地下水を招く『水の循環』の象徴とされてきた。
一説によれば龍王には九子がおり、中の一子が啼いたり音を好む性質があるため、音色が良くなるよう梵鐘の竜頭や太鼓などの楽器に龍を配することがあるという。
[鳳凰]
さまざまな鳥類を複合して創造した想像上の霊獣。
体は美しい五彩に輝き、声はこのうえなく音楽的かつ高貴で、龍と同様楽器に縁がある。
四方のうち南を守る神といわれる『朱雀』を雌雄の対としたものといわれる。奈良時代に中国から日本に伝えられた鳳凰は、さらに日本の風土文物に調和する美しい姿に洗練された。