本文へ移動

今、願正寺では?

今、願正寺では・・・?

飛龍、ミッドウェーの闘いにおいて沈没!

2021-09-21
前部飛行甲板が大破し、前部エレベーターは艦橋前まで吹き飛んでいる。
脱出後救助された機関科兵 USSバラードにて
作戦参加搭乗員765名の8割が終戦までに戦死
という私の問いかけに
「実は、父は、ミッドウェー出撃の前に、飛龍を降りたんです。」
出撃を前にして、上官から次のようなお訪ねがあったそうです。
「君の家は、母一人、子一人らしいなあ・・・。」


実は、同様の話を、当代は母から聞いたことがありました。
当代の伯父の話です。
満州の関東軍にいた伯父の部隊は、硫黄島へ転進が決したそうです。
転進部隊への志願の点呼があり、伯父は上官に、志願を申し出たそうです。
その伯父に対して、上官は、次のように伝えたそうです。
「君の家は、母一人、子一人らしいなあ・・・。
 君の志願はうれしいが、今回の転進に、君を連れてゆくことはできない・・・。」 


今、中陰中の方のおとうさんは、この作戦に参加していました。

2021-09-21
お父さんは、航空母艦 飛龍に乗っていました。
荒天の海を真珠湾に急ぐ南雲艦隊の空母=1941年12月撮影
真珠湾攻撃のため航空母艦の飛行甲板上で整備を受ける零戦(ゼロ戦・零式艦上戦闘機)の写真

Tora! Tora! Tora! : Simulation Training


Tora! Tora! Tora! : Japanese Air Force Takes Off To Pearl Harbor


飛龍

 1934(昭和9)年、蒼龍型空母の2番艦として計画され、36(昭和11)年7月8日に横須賀海軍工廠で起工した。当初、1番艦蒼龍の起工から1年後の35(昭和10)年には建造を始める予定だったが、このころに近代化改装を受けた加賀の運用実績などから設計を大きく変更することになり、その分、日程が遅れることになった。

 飛龍は39(昭和14)年7月4日に竣工(しゅんこう)、基準排水量1万7300トン、全長227.4メートル、飛行甲板の長さ216.9メートル、最大幅27メートルの大きさだった。蒼龍と全長はほぼ同じだが、排水量は1400トン上回った。最も大きな違いは、飛行甲板上の艦橋の位置で、蒼龍が右舷前方だったのに対し、飛龍は左舷のほぼ中央部に設けられた。このため、艦容は大きく異なり、同型艦というのは計画上のことだけになった。


 写真は、竣工前の39(昭和14)年4月28日、千葉県の館山沖で公試中の姿で、機関をフル回転させた全速航行の様子を鮮明に捉えている。飛龍は出力15万馬力の蒸気タービンで駆動し、最大速力は34.3ノット(時速63.5キロ)、航続距離は巡航速度18ノット(同33.3キロ)で7670カイリ(1万4200キロ)だった 【時事通信社】

【ウェブサイトのHome Page】 9月下旬

2021-09-21
こちらかも、捨てがたいので、再掲いたします。

今日は「中秋の名月」&「十五夜/満月」です。

2021-09-21
十三夜の頃です。

十三夜です。

2021-09-19

当代と家族が歩んだ時代

【慶早戦特設サイト公開!】

2021-10-25
Facebook 慶應義塾大学應援指導部さん曰く
【慶早戦特設サイト公開!】
塾生注目!
この度、慶早戦を皆様にもっと楽しんでいただくために、慶早戦特設サイトを作成いたしました!
慶早戦の詳細から各種企画、応援方法紹介まで慶早戦のあれこれをぎゅっとまとめたので、ぜひ皆様ご覧ください!

https://2021automn-keisosen.com/page

「飛鳥鍋」の思い出

2021-10-23
奈良ホテルに聖徳太子1400 年御遠忌で飛鳥鍋・・・。
Facebook 平野山 願正寺より
2021.10.23、W大時代の親友、吉川君は、奈良の神職の惣領です。
学生時代に、厚かましくも彼の神社を訪れ、投宿させていただきました。 上げ膳、据え膳のおもてなしを受け、感謝感激の極みでございました。 「飛鳥鍋」、お母様の極上のおもてなしでございました。
大変な美味でございました。

奈良ホテルに聖徳太子1400 年御遠忌で飛鳥鍋 奈良を旅するきっかけに(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース 

139回目にあたる「創立記念日」

2021-10-21
Facebook Waseda Universityさん曰く
本日10月21日は早稲田大学の前身である「東京専門学校」が1882年に開校されてから139回目にあたる「創立記念日」です。 
今日は 改めて #早稲田大学 の長い歴史と伝統をぜひご覧ください。

早稲田大学の前身は、1882(明治15)年10月21日に創設された「東京専門学校」です。

創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村にあり、また校舎が同郡戸塚村にあったことから「早稲田学校」「戸塚学校」とも呼ばれていましたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられました。

1892年頃には、専門学校の別名として「早稲田学校」と呼ばれるようになりました。専門学校から大学への昇格を機に、1902年9月2日付で「早稲田大学」と改称しました。

10月20日 は 、 #早稲田の記念日 です。

2021-10-20
Facebook Waseda Universityさん曰く、1927年の本日10月20日 は #早稲田大学 を象徴する #大隈記念講堂 が竣工した。
1927年の本日10月20日 は #早稲田大学 を象徴する #大隈記念講堂 が竣工した #早稲田の記念日 です。#大隈重信 の志を継いで建設が行われ、関東大震災での中断や資金難等の困難を経て完成したのち2007年に国の重要文化財に指定されました。優しく荘厳な佇まいは今も健在です。

時代のなかの大隈講堂―講堂の歩みと早稲田の歴史

2021-10-20
高田早苗短歌(「高田早苗他書画帳」1927年)
卒業証書授与式(大テント内・大隈重信総長の訓辞)1919年 早稲田大学大学史資料センター所蔵(以下、掲載資料の所蔵は全て同じ)

建設資金については募金の目標額への見通しがつき、1926年2月に工事が着工され、1年半後の1927年10月に無事竣工を迎えた。そして同月20日、創立45周年記念式典とともに大隈講堂開館式が行われ、多くの人が講堂に集まり、亡き大隈重信を偲んだ。高田早苗は開館式に際し、「天にます みたまよしかと みそなはせ もろ人つとひ きみしのふなり」(天上にいらっしゃいます大隈老侯の御霊よ、しかとご覧ください。完成した講堂に多くの人がつどい、あなたのことを偲んでおります)と歌を詠んだ。ここに、積年の宿願が果たされたのである。

今日の朝刊

上(じょう)は安全?

2021-10-22
読売新聞の朝刊 2021.10.22

師匠のオオム

2021-10-21
読売新聞の朝刊 2021.10.21

衆議院議員選挙、きょう公示です。

2021-10-19
読売新聞の朝刊 2021.10.19

色彩

2021-10-17
読売新聞の朝刊 2021.10.17

川柳

2021-10-16
読売新聞の朝刊 2021.10.16
TOPへ戻る