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今、願正寺では?

秋の頃となりました。

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本日は、仲秋の名月です。

2019-09-13
京うちわ阿以波の秋です。

おぼん2019レホート

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2019-09-05

おぼん2019

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記念写真2019夏

2019-09-05
今年、初盆をお迎えの皆様が、8月17日に、本堂に参集されました。
おぼん2019の記念写真が出来上がりました。

8月のHP巻頭写真

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HP巻頭写真 2019年8月

2019-09-05
熱い熱い夏でした。
エアコンに頼らないと、とてもとてもの酷暑でしたが・・・
こんな風で涼む時代もあったような・・・。

逸品ということ

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いちご 飛鳥ルビーの場合

2019-07-26
「飛鳥ルビー」というイチゴがあります。

ご覧の通りのイチゴです。

初めてであった時には、だだビックリでした。

暫くて、中々お目にかからなくなりました。

 
この品質を維持することは、中々だそうであります。
 

令和の始まりを記念して

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小松酒造の場合

2019-07-26

完売となっていますこと、悪しからずご了承ください。
 

「豊潤 新元号記念酒 令和元年初搾り」¥1,600(税込・720ml)

イベントに合わせて、この日限りの特別なお酒を準備しました!

令和になってから初めて搾った記念酒です。

※数に限りがありますので、売り切れの場合は御了承下さい。

「豊潤」は、宇佐市長洲にある小松酒造が醸し出す清酒です。
小松酒造の女将さんは、当山の婦人会長をおつとめいただた横田翠さんのご長女です。
なかなかのお酒です。
未だの方は、ぜひともご賞味ください。


 

今日の「茶の子」

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「荒城の月」、大分県竹田市の銘菓です。

2019-07-21
でっかいどぉー・・・。

明日から夏休みです。

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HP 巻頭写真 2019年7月19日

2019-07-19

この写真は「Splash!」のタイトルで、1951年にアメリカの雑誌「ポピュラー・フォトグラフィー」の国際写真コンテストのモノクロ部門で5位入賞した。同誌の1951年12月号によると、Takashimaさんは川崎車輛(現在は川崎重工に合併)の社員で、アマチュア・カメラマンとして23年間写真を撮り続けていた。日本の写真雑誌への投稿の常連で、何度もコンテストに入賞していたという。

打ち水の写真に登場する女性はTakashimaさんの奥さん、彼の指示に従ってバケツの水をぶちまけたという。グラフレックス社製の大判カメラを使用。題名「カメラに向かって水しぶきが落下する」

June bride(ジューンブライド) その3

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本荘先生が挙式なさいました。

2019-07-18

6月の結婚式「ジューンブライド」の由来

6月の気候・時季が結婚式に最適な説

ヨーロッパでは、6月は1年間で最も雨が少なく、天気の良い日が多い時季にあたります。
天気にも恵まれ多くの人に祝福してもらえることから、6月に結婚式を挙げると幸せな結婚生活を送ることができるだろうという説が生まれました。

日田組花みずきの会大会が開催されました。

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大会講師は、吉元信行(大谷大学名誉教授)先生でした。

2019-07-18
大会は、夜座での開催でした。

日田組仏教婦人会の総会が開催されました。

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当山での開催は、久しぶりです。

2019-07-18
本堂は、ほぼ満堂です。
ご講師の大谷大学名誉教授の吉元信行先生でする

北海道開拓の足跡

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本願寺街道の建設

2019-07-18
、工事は、ただひたすら開削です。
点と線
東本願寺危急存亡の闘いの記録です。
街道の全貌です。
工事の一行を描いた錦絵です。
工事責任者は、東本願寺法嗣・現如上人です。

中山峠の現如上人

 国道230号線の中山峠に現如上人(げんにょしょうにん)の銅像が建っていて、峠を越える人びとの安全を祈願しているかに見える。これは昭和42年(1967)設けられたもので、「本願寺道路(ほんがんじどうろ)開削中の最大の難所」であったことを物語っている。
 さて、明治2年(1969)新政府によってエゾ地が北海道となり開拓使が置かれ、多難な財政確立を図っていかなければならなかった。特に北方のエゾ地・千島(ちしま)・樺太(からふと)の防備策を急ぐことであった。
 いっぽう内政面では、東本願寺は徳川家に恩顧があり、こうした関係を重く見て東本願寺を排除しようとする形勢が朝廷派(薩長軍)にあって、"東本願寺焼き打ち計画"が宮中会議で決議された時は「全く反意がない」旨の誓書を朝廷派に提出するという事があった。
 結局は、新政府は"誓書"の代償として北海道の防備(道路開削)を東本願寺が出願(明治2年6月5日)新政府が許可(明治2年9月3日)ということで決定した。まさに慈悲の心をもって対した「悲願」であった。
 東本願寺はただちに新道切開・農民移植・教化普及の3重点をかかげ、「勅書・開拓御用本願寺東門主)」の評札を先頭に178人は、新門跡現如(しんもんぜきげんにょ・大谷光榮(おおたに・こうえい))上人(18歳)を先頭に「北海道への悲願の旅」がはじまった。
 明治3年(1870)2月10日比叡(ひえい)おろしの吹く京都を出立、"人をして蝦夷地(えぞち)に行くを楽しましむの歌"を道中歌にして越中(えっちゅう)・越後(えちご)・酒田と北上し、「廃仏思想」の根強い秋田は海浜で青森に上陸ふたたび津軽の海を渡って函館には7月7日到着した。
 本願寺道路として今に残るのは、軍川~砂原・鶉(うずら)~大野・尾去別(おさるべつ)~平岸・山鼻~八垂別の4本あるが、なかでも大工事は尾去別~平岸を結ぶ26里10町(約105km)だった。うっ蒼とした大森林に挑む大工事に先立って、僧侶に加え多くのアイヌを雇い、さらに仙台伊達藩の旧士族移住者50人と他移住者50人を募ることができた。
 明治3年(1870)7月尾去別より工を起し翌4年(1871)10月平岸終点まで1年3ヶ月という短期間で完成した。
 オサルベル~ソウベツ~ニッポキナイ~ヌツキベツ~シリベツ~アンユク~ムイナイ~ケレベツ~定山渓~ニセイオマップ~平岸の経路は、断崖をおそれず毒虫や狼と戦い、樹陰に露をしのぎ、石を枕に雪をしとねに千幸万苦して難工事をすすめたおかげで、うっ蒼とした原始林を伐木刈分け3間(約5.4m)道幅9尺(約2.7m)橋梁113ヶ所・渓合敷板17ヶ所・総工費で18,057両(約2億円)延人夫55,000人当時としては最良の道路が完成した。
 この道路こそ開拓使本府に通ずる第1号で、現国道230号線の前身である。
 現在、中山峠や簾舞二星岱(にせいだい)南麓・平岸天神山南麓に旧道碑があり、ここを訪ねると、東本願寺の円頂(丸坊主頭)に僧衣をまとった僧侶がジュズにかわってオノやモッコで道づくりに参加した悲願の縁が偲ばれる。 

本願寺街道(道路)です。

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中山峠、北海道です。

2019-07-18
東本願寺・現如上人像です。
北海道開拓は、東本願寺の存亡を賭けた闘いでした。

中山峠の現如上人

 国道230号線の中山峠に現如上人(げんにょしょうにん)の銅像が建っていて、峠を越える人びとの安全を祈願しているかに見える。これは昭和42年(1967)設けられたもので、「本願寺道路(ほんがんじどうろ)開削中の最大の難所」であったことを物語っている。
 さて、明治2年(1969)新政府によってエゾ地が北海道となり開拓使が置かれ、多難な財政確立を図っていかなければならなかった。特に北方のエゾ地・千島(ちしま)・樺太(からふと)の防備策を急ぐことであった。
 いっぽう内政面では、東本願寺は徳川家に恩顧があり、こうした関係を重く見て東本願寺を排除しようとする形勢が朝廷派(薩長軍)にあって、"東本願寺焼き打ち計画"が宮中会議で決議された時は「全く反意がない」旨の誓書を朝廷派に提出するという事があった。
 結局は、新政府は"誓書"の代償として北海道の防備(道路開削)を東本願寺が出願(明治2年6月5日)新政府が許可(明治2年9月3日)ということで決定した。まさに慈悲の心をもって対した「悲願」であった。
 東本願寺はただちに新道切開・農民移植・教化普及の3重点をかかげ、「勅書・開拓御用本願寺東門主)」の評札を先頭に178人は、新門跡現如(しんもんぜきげんにょ・大谷光榮(おおたに・こうえい))上人(18歳)を先頭に「北海道への悲願の旅」がはじまった。
 明治3年(1870)2月10日比叡(ひえい)おろしの吹く京都を出立、"人をして蝦夷地(えぞち)に行くを楽しましむの歌"を道中歌にして越中(えっちゅう)・越後(えちご)・酒田と北上し、「廃仏思想」の根強い秋田は海浜で青森に上陸ふたたび津軽の海を渡って函館には7月7日到着した。
 本願寺道路として今に残るのは、軍川~砂原・鶉(うずら)~大野・尾去別(おさるべつ)~平岸・山鼻~八垂別の4本あるが、なかでも大工事は尾去別~平岸を結ぶ26里10町(約105km)だった。うっ蒼とした大森林に挑む大工事に先立って、僧侶に加え多くのアイヌを雇い、さらに仙台伊達藩の旧士族移住者50人と他移住者50人を募ることができた。
 明治3年(1870)7月尾去別より工を起し翌4年(1871)10月平岸終点まで1年3ヶ月という短期間で完成した。
 オサルベル~ソウベツ~ニッポキナイ~ヌツキベツ~シリベツ~アンユク~ムイナイ~ケレベツ~定山渓~ニセイオマップ~平岸の経路は、断崖をおそれず毒虫や狼と戦い、樹陰に露をしのぎ、石を枕に雪をしとねに千幸万苦して難工事をすすめたおかげで、うっ蒼とした原始林を伐木刈分け3間(約5.4m)道幅9尺(約2.7m)橋梁113ヶ所・渓合敷板17ヶ所・総工費で18,057両(約2億円)延人夫55,000人当時としては最良の道路が完成した。
 この道路こそ開拓使本府に通ずる第1号で、現国道230号線の前身である。
 現在、中山峠や簾舞二星岱(にせいだい)南麓・平岸天神山南麓に旧道碑があり、ここを訪ねると、東本願寺の円頂(丸坊主頭)に僧衣をまとった僧侶がジュズにかわってオノやモッコで道づくりに参加した悲願の縁が偲ばれる。 

従弟寺での年回、北海道です。

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北海道伊達市の光圓寺です。

2019-07-18
うっ蒼とした大森林に挑む大工事に先立って、僧侶に加え多くのアイヌを雇い、さらに仙台伊達藩の旧士族移住者50人と他移住者50人を募ることができた。

本願寺道路
本願寺道路は、明治初年に東本願寺が石狩国の札幌と胆振国の尾去別とを山越えで結ぶ街道として建設した道路で、1871年(明治4年)に開通した。「本願寺街道」、「有珠街道」ともいう。現在の国道230号の基礎となった。後に本願寺道路が作られた経路は、従来からアイヌが通行しており、江戸時代には松浦武四郎らがアイヌの案内で通っていた。1869年(明治2年)に札幌に蝦夷地(同年北海道と改称)の本府を置くことが決まると、札幌と箱館(同年函館と改称)を連絡する道路が必要になった。このとき財政難の明治政府は、東本願寺を動かして道路開削を出願させた。東本願寺はその年内に調査・計画を行い、1870年(明治3年)から1871年(明治4年)にかけて工事を実施し、尾去別(現在の伊達市長和)と平岸(現在の札幌市豊平区平岸)の間に約103kmの道路を開削した。工事の労働には僧侶のほか、士族と平民の移民、アイヌが従事した。しかし、1873年(明治6年)に苫小牧経由で室蘭に至る「札幌本道」が完成すると、山間を通る本願寺道路は敬遠されるようになり荒廃する。1886年(明治19年)から、北海道庁により改修工事が進められ、重要な街道として再生される。1950年(昭和25年)に国道230号となる。
○ルート
「本願寺道路」と呼ばれる道路は、以下の4ルートある。本項では、最も距離が長く開削に難を極めた4.「尾去別 - 中山峠 - 平岸間」について主に説明する。

1.軍川 - 砂原間
2.鶉-大野間
3.銭函道分岐-山鼻-八垂別間 
旧川沿市街地付近は、当初の豊平川の水量も多く、水害にも度々見舞われていたことにより地盤も悪く、現在のルートから推し量る事が可能なのは、軍艦岬付近(但し、現在は先端が掘削され、道路拡張とカーブの緩和化が進んでいる。)など、ほんの一部である。川沿旧道を指すという見解もあるが、そこも当時は同様に水害に遭っていた地域であった為、その西側の、中ノ沢との間の、一段高くなった河岸段丘に沿って作られたとする方が一般的ともいえるが、そうすると、現在では、当時の道筋が正確にはなぞれないという問題もある。唯一残存する当時の絵図も正確なものではないため、現在の区画や路線から完全にルートを再現する事は不可能であり、推測の域を出ない。
4.尾去別-中山峠-平岸間

○開削以前の蝦夷地での調査
1807年(文化)4年)に近藤重蔵が、石狩-虻田(あぶた)間の調査のために札幌から豊平川をさかのぼって調査した。1845年(弘化2年)から5年間、及び、1855年(安政5年)から3年間の二度にわたり、松浦武四郎が実地調査を行った。松浦は、3度蝦夷地に渡り、3度目に前述の近藤の踏査を確認した。松浦のコースは虻田 - 石狩樋平(とひぴら)・津石狩(現在の「対雁」-ついしかり-)ルートで、湿地帯や豊平川支流が積雪や氷結の為に渡り易くなる、冬期間に行われた。これらの踏査は現地のアイヌの案内なしには不可能であった。松浦はその結果、「川に従い虻田、有珠に道を開かばその便(弁)如何ばかりならん(む)」と、江戸幕府に対しそのルートの必要性を説いた。後の明治時代に至って、ロシア南下政策対策と相まって、当道路を開削、開通する根拠ともなったといわれている。

○開削までの経緯
東本願寺は徳川家の恩顧があり、そのことにより、大政奉還後まもなくである慶応4年年始に行われた宮中会議において、同寺焼き討ちの案が出された。それはある意味、濡れ衣や誤解でもあった。東本願寺側は、当時、第二十一代法主の嚴如(大谷光勝)[9]であり、その妻は皇族出身の嘉枝宮和子であった。和子の実兄である山階宮晃親王は、その宮中会議の経過を耳に入れ同寺の取り潰しの実現を懸念し、「叛意がない」旨の誓書を寺側より朝廷に提出させることにより事なきを得た。一方、明治政府は北海道の開拓のために開拓使を設け、その本府を札幌に置くことを計画。前述のロシアの南下政策の脅威に対抗するため、またそれに伴い、大量の移民を入植させるためにも、当時すでに北海道の拠点として開けていた箱館から札幌へのルート開拓は急務とされていた。しかしながら、極端な財政難に陥っていた当時の政府には、北海道の道路を含めた開拓にまで手がける事は不可能で、薩長土肥等の勤皇雄藩も同様であった。そんな台所事情の新政府が苦し紛れに目をつけたのが、全国に宗門徒を抱えていた本願寺であった。かといって、東西にかかわらず、両本願寺側も既にいくつかの新政府からの財政援助に応じていた過程、決してさらなる要求に応えられる状態ではなかった。西本願寺は、京都の賀茂川のいくつかの架橋工事、不換紙幣と正貨との多額なる交換などといった、多大なる資金の提供を新政府の為に既に行っていた。そこで、大同小異ではあったのだが、時の太政大臣、三条実美より東本願寺側に道路開削についての密談があった。よって形式上は、「東本願寺から明治政府に出願された」形がとられたのだが、実情は、「政府からの援助協力依頼」であった。「援助協力依頼」とはいっても、前述の経緯より、政府に対して断る事は東本願寺存続の上でも不可能であったため、実質は命令ともいうべき状況であった。また東本願寺が北海道開拓・新道開削に傾いた要因の一つに、松前藩の宗教政策に起因していることも念頭に置かなければならない。松前藩は宗教対立を防ぐために一宗一派より認めていなかった。本願寺系は東本願寺のみを許可し、他派は許可していなかったので、東本願寺のみ北海道に教線があったのである。このことは現在の本願寺系寺院の分布や開基年からも理解できることである。しかし、双方の政治的駆け引き、組織的な思惑ばかりではなく、その事業自体が仏教特有の宗教的思想に基づいて行われ、最終的には、平均的に貧しかった当時の北海道への移民たちなどに対して、大きな雇用を生み出す結果ともなったのは、想像に難くない。

○作業の前段階
明治2年6月5日、明治政府に対して(表向きの)東本願寺側から出願が提出される。
その主旨は
1.新道切開
2.農民移植(移民奨励)
3.教化普及
の三点項目であった。明治2年9月3日太政官より許可が下る。東本願寺側の決定で、当時19歳の新門・現如(大谷光瑩)が事業の責任者となる。同年9月20日、開拓使の許可の下、5名の調査隊を編成し渡道し、翌3年3月2日帰京する。明治3年2月10日、随行した僧侶を合わせて約百数十名が本山表玄関を出発。前年から全国門末に回状を出し、名古屋から北陸、東北日本海側を陸路北上し(但し、秋田藩など「廃仏思想」の強い地域は海路を迂回して)、「勅書」「開拓御用本願寺東新門主」と書かれた表札を掲げ、浄財の寄進を受けながら、蝦夷の地へと向かっていった。道中歌として「トトさんカカさんゆかしゃんせ、うまい肴(さかな)も胆斗(たんと)ある、おいしい酒も旦(たん)とある、エゾ、エゾ、エゾ、エゾ、エイジャナイカ」といったものも歌われた(一説には現如の作)というが、すでに130年以上も前のことであり、節までは伝わってはいない。

明治3年7月7日、津軽藩青森村(現在の青森市)に一度上陸し、津軽海峡を渡って函館に到着。

○作業開始
その後、3日間の函館滞在のうちに開拓使函館出張所にて、「新道開削」及び「蝦夷地に於ける新寺創立」の打ち合わせを東久世長官を交えて行い、人員振り分けを行った。随行した大部分の僧侶達は、新道開削へと回された。明治3年7月24日、現如上人は27名を伴い、小樽経由で札幌入り。東本願寺管刹境内地を検分した。その検分した場所は「山鼻」で、現在の南7条西8丁目にあたり、現在、真宗大谷派札幌別院が建っている場所である。なお、時の政府から下賜されたその地に管刹(寺)が設立されたのは、検分後まもなくで、そこが「札幌別院」と改称されたのは、明治9年のことである。翌25日、希望者29名に対し帰敬式を行う。かくして(他の3つの路線を含め)道路開削が開始されることとなった。

○作業概要
実質作業期間-明治3年9月から翌4年10月
開削工事区間-尾去別から平岸天神山麓付近まで、二十六里十町(約103km余り)、当時は尾去別が起点。
ちなみに、現在それに相当する国道230号(他の国道との重複区間有)は、約108.5kmの長さである。また、札幌本道から発展した国道36号や、白石街道から発展した国道12号の起点でもあるところの、札幌市中心部の起点(中央区北1条西3丁目と西4丁目間の交差点)から大通り西10丁目と西11丁目の境目(現在の「石山通」)を通って、定山渓、中山峠を経て、伊達市よりやや西側の虻田町の方へ延びている。以降は、他の国道との重複区間を経てせたな町へと続く。
道路の規模-伐木幅三間(約5.4m)、道路幅九尺(約2.7m)。橋の架設百十三箇所、谷間の板敷き十七箇所。
作業人員-東本願寺宗門の僧侶多数、伊達氏(仙台藩支藩の亘理藩)の士族移住者約50名、道東の和田村への移民から(地名確定は現在不可能)大工職人をはじめとする約50名、胆振地方のアイヌたち人数不明だが多数が参加。全員が最初から最後まで従事したとは思えないが、記録によると延べ人数、5万5千余人。
日給-笹刈り一人に付、日給一分。伐木、架橋作業については更に割り増し。
所要経費 - 一万八千五十七両余り(諸物価に落差があるが、幕末の一両は約一万円程度といわれているので)現在に換算すると2億円程度かそれ以上。但し、これらは、ほとんど人件費や食費、斧や鎌などの工具類に費やされた。しかし、原始林を伐木した後の木材を、原木のままか板や棒に加工するかは別として、現地調達で、道路自体に使用できたという点である。湿地帯や谷地などは、板敷きや固定した浮橋、桟橋のような状態にしたということである。
比較的安定した土壌の地区では、「竹や笹を横たえる程度」という開削が多かったといわれているが、集落周辺単位では、「藪の中にかろうじて人の足痕のある程度の、道ともいいきれない道を利用した」部分が多かったともいわれ、工事期間が異様に短かったことや、「突貫工事」と呼ばれるに至った所以の一つも、そこにあった。

○開通後の歴史
冬の厳しい寒さや、春から秋にかけての蜂や毒虫の害、ニホンマムシやエゾオオカミとの戦い、ヒグマとの遭遇などのアクシデントに見舞われるが、突貫工事ながらも明治4年(1871年)10月工事完了。徒歩が主な交通手段だった当時に、「馬も通行可能」という道路は画期的であった。また開通以前は、獣道と大差ない程度であった、札幌-定山渓の間も、しっかりとした道がつけられることとなった。札幌に近すぎたために休憩所扱いであった(旧)簾舞通行屋も、現在の簾舞中学校付近、国道230号のちょうど路線上に当たる土地に建てられたという。しかしわずか2年後の、明治6年に現在の国道36号線の基礎となる札幌本道が開通したため、「本願寺街道」を利用する者は激減した。一度廃止された(旧)本願寺道路であったが、明治19年に札幌中央部から徐々に拡張工事が行われた。石切山 - 定山渓間も例外ではなく、結果、簾舞に於いては、現在の旧国道230号が、「新・本願寺街道」として蘇り、道幅も約5.4m、馬車も通れるくらいの、当時としては画期的な道路として出来上がった。それに伴って、通行屋も現在ある位置に移され、中山峠や定山渓にある宿泊所同様、駅逓所としての役割も兼ねるようになった(新街道沿いに移された後の方の「簾舞通行屋」は、現在、「札幌市有形文化財」に指定され、当時の資料館も兼ねている)。今から130年以上も前に突貫工事で作られた、幅3m程度の「旧・本願寺道路」は、その後、崩落したり、獣道化し草木が生い茂り、あるいは、田畑にされ、人家が建ち、国道拡張工事などで99%以上は残っていないが、後述するようにわずか2箇所ほど、ほぼ当時のままで残っている。保存会があり、それらを後世に伝える動きもある。非常に短い区間ながら、徒歩で通行し、当時を偲ぶ程度の事は可能ではあるが、その保存されている区間の両端が、現在、個人所有の土地や簾舞中学校敷地(札幌市教育委員会所轄)に接しているため、図示するなどの方法による詳細は述べない。現在の国道230号が開削開通するまで、地形上、付近には道路も無く、また、拡張も不可能だったため、戦後もしばらくの期間、生活用道路として徒歩で利用されていたという偶然性が、この区間の残存していた大きな理由とされている。

(註)
ここで述べている「旧・本願寺道路」、「新・本願寺道路」といった名称は、便宜上そう記しているだけであり、当時からそう呼ばれていた訳ではない。簾舞に於いて、「本願寺道路の新道」が開通した時点で、それまでの本願寺道路が「旧道」となり、後にその「新道」が拡幅されて、「国道230号」となった。また、新旧の本願寺道路の間に国道230号の新道が開通した時点で、「新・本願寺道路」に基づく、それまでの国道を「旧国道」などと呼ばれるようになったものである。また、そこから後志支庁へ向かって、現在の「豊滝」(旧地名「七曲り」)、さらに、「定山渓から喜茂別に至る区間」などは、現在までに切り替え工事、及び、拡幅工事、トンネル貫通工事等が繰り返され、結果、別項でも触れた通り、現在の国道230号は本来の本願寺道路とは全く別ルートとなっている。 

 
 

June bride(ジューンブライド) その2

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頼み寺様のご祝儀

2019-07-18
親族席です。
新郎新婦・媒酌人の席です。
中尊前・外陣です。
祝杯の設えです。
新郎新婦席です。
媒酌人席です。

6月の結婚式「ジューンブライド」の由来

6月は結婚が解禁になる月だったという説

かつてヨーロッパでは3月、4月、5月の3ヶ月間は農作業が大変忙しくなる時期でした。そのため、3月、4月、5月の3ヶ月間は結婚が禁止されていました。結婚が解禁される月が6月であったため、結婚を待ちわびていた多くのカップルが結婚式を挙げたことをジューンブライドの由来とする説です。6月は農作業が落ち着き、多くの人から祝福されるため幸せになれる、と言われています。しかし、いつ頃のヨーロッパの話か分からず、本当に結婚式が禁止されていたのかも定かではありません。

June bride(ジューンブライド) その1

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従弟寺の祝儀

2019-07-18

6月の結婚式「ジューンブライド」の由来

日本の6月は、梅雨の時期です。暖かい季節ではありますが、雨が多いため結婚式に適した月とは言えません。そのため、戦後にジューンブライドが広まるまで、6月に結婚式を挙げるカップルは少なかったようです。しかし、ジューンブライドが広がった現在の日本では、ジューンブライドに憧れて6月の挙式を希望するカップルが増えています。では、6月に結婚式を挙げる「ジューンブライド」にはどのような意味があるのでしょうか。ヨーロッパが起源であるジューンブライドの由来には3つの説があります。


ローマ神話の女神を由来とする説
6月に結婚式を挙げる由来は、
ローマ神話の主神・ユピテルの妻である女神ユノを由来とする説が最も有力です。
ユノは結婚や出産、育児の象徴とされており、女性や子供、家庭の守護神とも言われています。ローマ神話では1月から6月まで、それぞれの月を守る神がいます。結婚の象徴であるユノが守っている月が6月です。6月は英語でJune、ユノはアルファベットでJunoと書きます。このことからも、ユノが6月の英語名ジューンの由来になっていることが分かるでしょう。「6月に結婚すると幸せな結婚生活を送ることができる」と言われる理由は、結婚の女神ユノが6月を守護していることに由来しています。

HP 巻頭の写真 2019年6月

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2019-06-10

五月の法要2019  

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茶の子

2019-05-25
法事に参詣された方へ、通常、「志」の表書を付けた引き出物と「茶の子」の表書きをつけたお菓子を用意致します。
今回の「茶の子」は、前坊守が好きだった富山の銘菓「月世界」を用意いたしました。

五月の法要2019  

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親族結集いたしました。

2019-05-25
大牟田の草木饅頭
有明の四山漬
北海道は室蘭市の銘菓
千葉県名物といえは落花生
三越広島店から
福岡市の洋菓子舗一柳
八代の銘菓、軍配最中
福岡県小郡市から
北海道といえばロイスのチョコ
福岡県黒木町より
前坊守には七人の兄弟がいました。
今回は、里寺の大牟田市、北海道伊達市、久留米市、八女市、八代市から参詣がありました。
前住職の親族も、千葉県我孫子市、広島市、柳川市、小郡市、うきは市、福岡市、中津市から参詣がありました。
没後13年が経過し、直説の兄弟からその子世代へと顔ぶれが推移し始めました。

 

五月の法要2019  

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13回忌の荘厳

2019-05-25
中尊前
祖師前
北余間
750回御遠忌記念柄
前坊守法名軸
当山永代経法名軸
御代前

五月の法要2019  

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13回忌の法要衣体

2019-05-25
住職は特功教師五条袈裟
若院の衣体
前坊守実父年回記念五条袈裟
衆徒の心はこちら
前坊守長兄年回記念五条袈裟

五月の法要2019  

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法話の講師は、末廣法嵩師(中津市・圓林寺)でした。

2019-05-25

五月の法要2019  

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立花です。

2019-05-25

五月の法要2019  

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はつまいり2019

2019-05-25

「響流の会」、岡山へ

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法然上人の足跡を訪ねて

2019-05-22
倉敷市児島の鷲羽山山麓です
昨年の7月より、隔月で学習を重ねた「響流の会」のメンバーが、5月19日~20日の両日、吉備の国への旅に出ました。
今年は、大谷派では宗祖親鸞聖人のヨキヒト法然上人の800回御忌ということで、上人ご誕生の地、そして上人流罪の地へ身を運んで、その足跡を辿ることといたしました。
一枚目の写真は、岡山県倉敷市児島の鷲羽山での記念撮影です。
その地に立つと、遥かに、上人流罪の地である四国の讃岐が望めます。
今でこそ、瀬戸大橋を渡ると15分程で届く香川県ですが、今から800年前は、京都を遠く離れた流罪地でありました。
瀬戸大橋線で、上人が流罪の路を往復した後、鷲羽山山麓から、改めて、その足跡を偲びました。
吉備の国は、桃太郎伝説の地です。
戦国大名・宇喜多秀家の居城です。

第一回 リカレントカップ

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只今 プレイ中です! Ⅲ

2019-05-12
2019.04.18の日田市陸上競技場は、雲一つない上天気でした。
二十歳を迎える昭和学園看護専攻科5年生55名が、課外活動の一環として、大会に参加してくれました。
選手としてがんばる学生、スコアラーとしてがんばる学生の大部分は、GG初体験者でしたが、チームを組んだ参加門徒の皆様ととってもいい感じで交流し、ゲームを楽しみ、大会を大いに盛り上げてくれました。
参加門徒は29~91歳と幅広い年齢構成ながら、孫世代の学生と和気あいあい、とっても楽しい時間を共有しておられました。
 

第1回 リカレントカップ

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只今プレイ中です。 そのⅡ

2019-05-12

第1回 リカレントカップ

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スタートです。

2019-05-11
真剣な表情でアドレスに、そしてショットは、大会競技委員をおつとめいただいた蒲地保夫さんです。
大会運営に目を配りつつ、プレーヤーとしても奮闘され、総合成績第3位は、流石でございました。

第1回 リカレントカップ

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只今プレイ中です。

2019-05-11

第1回 リカレントカップ

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2019-05-10
住職挨拶
宮崎紀文実行委員長挨拶
競技説明:蒲地保夫実行委員
クラブ等調達は、尾熊昭二実行委員でした!
準備運動は、日田弁ラジオ体操です。
2019年4月18日(木曜日)、午前9時より、日田市陸上競技場フィールドにて、第一回リカレントカップGG大会の開会式が行われました。

第1回 リカレントカップ

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開会式の風景です。

2019-05-10
総礼
真宗宗歌斉唱
仏旗掲揚です!
三帰依文奉賛です。

第1回 リカレントカップ

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初代王座は、この方です。

2019-05-10
見事なフロースルーです。
初代チャンピオンとして、リカレントカップを手にしたのは、ご両親と三人でエントリーし出場を果たされた穐本基稔(西有田平島地区)でした。
 
リカレントカップを掲げて!
カップを掲げる宮崎紀文大会実行委員長
リカレントカップ授与
リカレントカップが王者へ!
カップを抱く王者!
歓喜の図!
記念撮影!!

HP巻頭の写真

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第1回 リカレントカップの集合写真です。

2019-05-10
2019.05.18、日田市陸上競技場のセンターポールに仏旗が掲揚され、GG大会を見守りました。
すべての日程を終えた参加者全員(競技参加者114名他)を、オフィシャルカメラマンの竹藤光一(ふじスタジオ社長)君が、ドローンを上空に飛ばして、記念撮影してくれました。

HP巻頭の写真 5月上旬

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5月の法要は、5月11日にお勤めされます。

2019-05-03

HP巻頭の写真  4月中旬

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いよいよ始まります、グラウンドゴルフ大会

2019-04-11
大会会場です。
2019年4月18日
日田市総合運動場を会場として、
第一回リカレント杯
グラウンドゴルフ大会を開催します。

さくらは散りました

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椿です。

2019-04-10

はな2019

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蘇芳2019

2019-04-10

今年のさくら

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2019年・春

2019-04-10

HP 巻頭の写真 2019年4月中旬 

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花と若葉

2019-04-05

HP巻頭の写真  4月上旬

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蘇芳と書いて「スオウ」と読みます!

2019-04-03

HP巻頭の写真 春の法要の頃

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花の頃

2019-04-02

三月は、移動・交代の頃です。

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本堂前の仏旗が新調されました。

2019-03-23

HP巻頭の写真 春の法要の頃

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菜の花畑に・・・

2019-03-23

春の法要がお勤めされました。

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春の法要2019 本堂の荘厳編

2019-03-22

ピクニック2019

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佐賀の大名雛を楽しみました!

2019-03-22
今回のピクニック2019、お楽しみ企画は、佐賀の殿様・鍋島様のお雛様です。
さすが殿様、お雛様と雛飾り、絶品・逸品のオンパレードでした。
2019年の特別展示はボンボニエール、なかなかお目にできないお品が、所狭しと並んでいました。
当日、最後の来館グループということで、とっても丁寧なおもてなしを賜りました。
 

ビクニック2019

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お心遣い&お土産

2019-03-22

ビクニック2019

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小城にも参りました。

2019-03-22

ビクニック2019

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唐津といえば、曳山と鏡山の展望です。

2019-03-22

ピクニックへ出かけました。

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ピクニック2019

2019-03-22
ピクニックの最初の目的地は、唐津市でした。
唐津の海辺・唐津シーサイドホテルでの会食の一時を楽しみました。

春の法要がお勤めされました。

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第二部 腰痛予防教室

2019-03-22
「春の法要」は、三部構成の次第といたしました。
第一部は、法要でした。
そして、第二部として、「腰痛予防教室」を設定いしました。
今回の教室は、当山門徒の石井聡大(サトヒロ)さんが理事長・院長をおつとめの秋水堂・若宮病院のご協力によって実施されました。
「腰痛」の呼びかけへの関心は高く、当日の本堂は、80名程の参詣者で、満堂となりました。
カリスマ的な人気を誇る若宮病院の理学療法士・山本リハビリテーション課長の軽妙なトークで、教室は進行されました。
和やかな中ではありましたが、山本先生のリハビリ施術を、皆様真剣な表情で見入り、短時間ではありましたが、とても有意義な教室開設となりました。


 

春の法要がお勤めされました。

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法要編

2019-03-22
今年の真宗本廟「春の法要」では、法然上人八百回御忌が厳修されます。
ということで、当山の「春の法要」の第一部法要編では、
法然上人八百回御忌の次第に準じて「願生偈」を、住職、若院、衆徒でお勤めし、参詣の皆様に、焼香をしていただきました。
法然上人は、宗祖親鸞聖人にとって、本願念仏の教えに導いてくださった善知識です。
宗祖は、法然上人を、限りない尊敬の念を込めて「ヨキヒト」とお呼びになりました。
法然上人は、宗祖の著した『正信偈』では、本師源空と表記されています。
因みに、
大谷派では、50年毎に、御忌として、法然上人の法要を厳修しています。
法然上人八百回ご正当は2011年でしたが、宗派では、両堂等再建事業完了した今年4月4日に、
八百回御忌を厳修することといたしました。

法要次第では、『仏説無量寿経』・「願生偈」があがります。
詳しくは、こちらで、ご覧ください。
http://www.higashihonganji.or.jp/houyou/pdf/2019_houyou_all.pdf?fbclid=IwAR3lwWNiZd9iyZLggr42q2-lNqZEFZqLA7wssusyXWDHvYZrIRTFNjpjmDg

HP 巻頭の写真 2019年3月中旬 

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初節句の設え/京刺繍・長艸(ナガクサ) 繍巧房作

2019-03-09

HP 巻頭の写真 2019年3月 

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折紙協会筑後支部 関根千鶴子先生グループ

2019-03-02

いよいよ始まります。

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グラウンドゴルフ大会は、このページで速報いたします。

2019-02-24
Facebook 願正寺門徒会グラウンドゴルフ大会

https://www.facebook.com/groups/1883029385339233/

HP 巻頭の写真 2019年2月後半 

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さくらのタベストリー 蒲地澄子作品

2019-02-24

新しいページが開設されました。

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Facebook 願正寺婦人会

2019-02-24

https://www.facebook.com/願正寺婦人会-239757676900912/?modal=admin_todo_tour

各地からの便り

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暖冬です、

2019-02-24

【世話人/平島地区】
菅田敏幸さんの投稿です。

例年であれば、3月上旬から採り始める高菜採りが、今年は記録的な暖冬の影響でしょう、高菜が大きくなっている。
2月13日から採り始め、毎日畑に行って三池高菜とコブ高菜各60本持って帰って水洗い。一日天干しして大きい桶に漬けている。高菜に適量の塩を振って、揉んで桶の中に並べていく作業が続いている。桶に一杯なったら重しの石60㌔ぐらい載せて3日間ぐらいすると、水が上がって来る。

その後、今度は切ったコショウ(唐辛子)を適量に入れながら上の部分を下にして、また並べながら漬けていく作業が続く。22日までに畑に8回行って高菜を軽トラに積んで帰っています。
その内2回は知人にそのままやる。漬ける作業も大変であるので分けてやる。
23日は朝から最初に漬けたコブ高菜を配って回る。約30人の方に配布。まだまだ続く高菜採りも少し飽いた気分になっている。
なお、高菜を商売にすることはしていません。殆どお世話になっている方々に贈呈しています。

新しいページを開設いたしました。

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Facebook 願正寺門徒会

2019-02-24

https://www.facebook.com/願正寺門徒会-2416386458637615/?ref=br_rs

葬儀鏧役の衣体

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御誕生八百年記念の茶木蘭色地六葉八弁牡丹紋白五條袈裟

2019-01-25
世話人御尊父の葬儀にて着用/若院

HP 巻頭の写真 2019年1月後半 

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2019-01-25
2019.01.22、阿弥陀堂の軒です。

今年の年賀状

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有縁の皆様へ、2019年のお正月

2019-01-10

今年の年賀状

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新年の法語2019

2019-01-10

HP巻頭の写真

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2019年1月

2019-01-10
内陣荘厳(お正月)です。

HP巻頭の写真

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2019年1月正月

2019-01-10
睦月の花と言えば、こちらです。

HP巻頭の写真

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2018年11月後半~12月

2019-01-10
山門幕が新調されました。

HP巻頭の写真

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2018年11月後半

2019-01-10
七條袈裟、当山の至宝です。

HP巻頭の写真

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2018年11月

2019-01-10
須弥盛2018

HP巻頭の写真

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2018月10月後半

2019-01-10
南御堂(大阪市)、750回御遠忌のお荘厳です。

HP巻頭の写真

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2018年10月

2019-01-10
「秋の法要」の内陣荘厳

HP巻頭の写真

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2018年9月

2019-01-10

「訪ねる」ということ

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『安楽集』に曰く

2018-12-03
掲載いたしました言葉は、真宗の教えを、現代を生きる私達へお伝えくださった七高僧と呼ばれる先達の一人である、中国の道綽禅師が、『安楽集』に著された言葉です。
宗祖親鸞聖人は、この言葉を、主著『教行信証』の最後に引用されています。
 

四日市別院への参詣

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おとりこし2018

2018-12-26
 宇佐市四日市には、真宗大谷派の別院があります。
九州御坊と呼ばれ、11間四面の巨大な本堂を有する別院では、11月の真宗本廟での報恩講に続き、12月の中旬に、報恩講(宇佐市周辺では、「おとりこし」の呼ばれています)が厳修され、日豊教区の各地より、門徒達が、団体参拝いたます。
今年の日田組からの参詣日は、12月14日でした。
当寺よりも、坊守・衆徒の心を引率者として、団体参拝を行ないました。
 また、当山の若院は、13日と15日に、運営スタッフとして、お加勢に加わりました。
そうした中で、15日の逮夜では、講師としてお話をさせていただきました。
当日は、広い本堂で、加えて、想定外の参詣者の多さということで、やや緊張中でのお説法となりましたが、先輩からも「よし!!」とのお言葉をかけていただき、ホッと安堵(本人談)いたしました。

 

大臣になりました。

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挨拶いたしました。

2018-11-29
防衛大臣 衆議院議員 岩屋たけし事務所
11月22日(木)日本武道館において開催された「平成30年度自衛隊音楽まつり」に出席しました。

大臣公務の様子が、Facebookで紹介されましたので紹介方々、彼との因縁を紹介いたします。

ちょっと手間取りましたが、今回の組閣で、念願の大臣を拝命いたしました。

当代とは、大學時代に、出遇いました。
当代は、早稲田大学仏教青年会に入部していました。
彼は、二年後輩で、早稲田大学雄弁会へ入部してきました。
当時、それぞれが所属する二つの部は、早稲田大学本部キャンパス内にあった第一学生会館29号室で、同居していました。
初対面の彼は、ギョロリとした眼が印象的でした。
爾来、時は流れ、彼は、県議・代議士となり、自民党のお国替え政策で、当地・日田市を選挙区にすることとなり、私は彼と久しぶりの懈逅を果たし、今日に到っています。
当時の秘書山口君は、彼を大臣にすることを命題に、山梨からやって来て、東奔西走していました。
何時かはと願いつつも、その時はなかなかやってきません。
果たして、今回の組閣で、永年待ち続けた名前がコールされました。

おとりこし2018

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11月28日です。

2018-11-28
京都の真宗本廟では、結願の日を迎えてた今日(11/28)、当山では、「おとりこし」の後半戦が始まりました。

報恩講2018

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新聞記事となりました。

2018-11-28
西日本新聞社さんが、記事掲載してくださいました。
今回の取材は、日田支局へ赴任してきた笠原記者さんが担当してくださいました。

報恩講2018

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御礼言上2018

2018-11-28
御礼言上の走行距離は、約80kmです。
二台の伝道車で、約5時間です。

報恩講2018

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御礼言上2018

2018-11-28

報恩講2018

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御礼言上2018

2018-11-28
法要円成の翌27日に、各地へ、御礼言上へ向かいました。

報恩講2018

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来年にむけて

2018-11-28

報恩講2018

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御礼言上の準備

2018-11-28
翌日の御礼言上に向けて、お華束の小分け作業が行われました。

報恩講2018

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結願日中の荘厳

2018-11-26

報恩講2018

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結願の日

2018-11-26

報恩講2018

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お加勢2018

2018-11-26

報恩講

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法座です。

2018-11-26

報恩講2018

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第二日目

2018-11-26

報恩講2018

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本堂のお荘厳です。

2018-11-24
報恩講2018は、赤仕立てといたしました。
上卓は、アクセントとして、緑仕立てといたしました。
北余間には、本願寺歴代の皆様にも、お出ましいただきました。

報恩講2018

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一日目の昼餉

2018-11-24
晴天の元、大勢の皆様が参詣なさいました。
11時30分からの日中というこで、僧分の昼餉は、すべての仏事の終った後となり、16時を回っていました。
心地よい空腹の中での昼餉となりました。

報恩講2018

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初日を迎えました。

2018-11-24
報恩講2018の世話方は、三池町・池辺町・西有田平島地区の皆様です。
人手不足を心配いたしましたが、一致団結され智慧を出されて、問題解決してくださいました。
出勤時刻の30分前には、皆様お揃いになり、終日よく励まれました。
皆様、ご苦労様でした。

報恩講2018

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初日です。

2018-11-24
報恩講2018の初日は、晴天に恵まれましたが、朝は霜月の寒さとなりました。
本堂内の朝は、気温5℃!
2台のストーブでは、パワー不足ということで、もう一台投入いたしました。
 
 

報恩講への道

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本堂のお荘厳中です。

2018-11-24

報恩講への道

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幔幕等が張られました。

2018-11-24
幔幕が張られると、報恩講がいよいよという気持ちが湧いてきます。

報恩講への道

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幔幕張り

2018-11-24
山門の幕が新調されて、初めての報恩講を迎えました。

報恩講への道

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お華束上げです。

2018-11-24

報恩講への道

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お華束盛りです。

2018-11-24

報恩講への歩み

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お華束つきが終わりました。

2018-11-24
お華束用の餅つきが行われました。

皆様、ご苦労様でした。

坊守の手料理での“おもてなし”です。

今日は、鯖のヌタ、鶏肉のお汁がよそわれましたが、

報恩講中は、お精進となります。

報恩講への歩み

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お華束つき

2018-11-24

始まりました!!

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報恩講のお加勢

2018-11-05
今年の報恩講の加勢地区は、

西有田の三池・平島と

東有田の池辺の三地区が当番です。

初めての試みですが、

三地区の世話人が集まり、

加勢についてのミーティングを

行いました。

皆様、よろしくお願い申し上げます。

 

おめでとうございます!

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おめでとうございます!

2018-11-05
有田地区平島の世話人・菅田敏幸さんです。

永年の議員活動に対するご褒美です。

因みに、菅田さんの地区は、今年の報恩講世話方です。

只今、それに向けての準備真っ最中です。

菅田 敏幸さんのfb投稿です。
11月3日に大分県功労者表彰を受けた。

部門は地方自治関係で。

スーパーボランテァ日出町の尾畠春夫氏も受賞しました。

記念に一緒に写真撮影させてもらいました

勤行

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真宗大谷派勤行集

2018-10-19
報恩講、おとりこしの頃です。

「正信偈」のお勤めのお稽古をしてみませんか?


https://youtu.be/faPI8i41xwo
 
 
 
 
 

報恩講のお華束

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須弥盛(しゅみもり)

2018-10-15
報恩講が始まる前に、
村部より運ばれた「もち米」は、
お華束となって、
尊前に供えられます。
報恩講のお華束は、
「須弥盛」と呼ばれます。
 
お手本です。

願正寺門徒会グラウンドゴルフ大会

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大会開催にむけて

2018-10-15
2019年春の開催にむけての準備を始めています。

初回ということで、まずは願正寺門徒の皆様での開催と思っています。

11月の報恩講ご案内から事を始めようと思っています。

 
皆様のご参加を、心よりお待ち申し上げます。
 

婦人会通信 2018年10月号

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追弔会2018

2018-10-02
2018.10.02、婦人会の追弔会2018が、お勤めされました。
今年のプログラムは、
例年の次第に加えて、
講話の時間を設定いたしました。
講話のテーマを、「健康な生活って?」として、
ゲストスピーカーに、
赤星秀子さんを、お迎えいたしました。
赤星さん、当山門徒ですが、
済生会日田病院師長等のキャリアを積まれた、
スーパー看護師さんです。
穏やかな語り口での50分間のでしたが、
飽きさせない赤星ワールドを醸し出してくださいました。
会場は本堂です。
会務報告する穴井副会長
会場風景です。
ゲストは、赤星秀子さんです。
始まりました。
揉むこと!
柔軟な股関節
クールダウンです。
最後のテーマは、誤嚥です。
昼食&懇親会です。

追弔会

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今年は、10月2日です。

2018-10-02
毎年の10月に、婦人会では、追弔会(ついちょうえ)を開催しています。

レポート

秋の法要 2018/09/23執行

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「秋の法要」のお荘厳です。

2018-09-23
門徒会館お内仏です。
京刺繍の打敷です。
水引は慶応元年の作です。
掛屋・山京からの御懇念です。

「秋の法要」・健康教室開講中です。

2018-09-23
開講のご挨拶です。
プレゼン開始です。
日田弁ラジオ体操

「秋の法要」のお荘厳です。

2018-09-23
本堂外陣

ご命終

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またお一方・・・

2018-09-16

お浄土で

 
9月14日の夕方、四時半を過ぎていました。

隣市での用事が終わり帰宅する前に、母が入っている施設を訪ねました。

三女と一緒に部屋へ行ったのですが、不在。

夕食のため食堂に集まっていました。

母を見つけ声をかけました。

大きな目を開け、こちらを見続けます。

そこに拙寺ご門徒の介護士さんがやってこられました。

「あら。部屋へお連れしましょうか?」と。

「いえいえ、ちょっと寄っただけです。もう帰らねばなりませんから」


娘に「おばあちゃん、元気になっただろう」と声をかけ、「又来るね」と母の頬をなで自宅に戻りました。


「元気になってたぞ。百歳まで行くかも」と話しながら着替えを済ませた頃でした。

兄嫁から電話が。「おばあちゃんの具合が良くないと連絡が、、、」

「そんなことないですよ!三十分ほど前に会ってきましたよ」

施設に向かっているとのことなので、私も再度、車を走らせました。


向かってる途中に電話が。「間に合わなかった。着いたときには、、、」

信じられない思いで施設に。母はひとりベッドに。

一時間半ほど前は、目を開け、私を見つめてくれた母。もう声をかけても、頬をなでても目を開けてくれません。


20分ほど、二人きりになりました。いろんな思い出がよみがえってきました。

父が48歳で往生。その倍以上生きてくれた母。しかし、大変な苦労があっただろうし、私は末っ子であったので、大変迷惑をかけたと思います。

四人の息子の「母子手帳」を大事に持ち続けてくれていた母。


「ごめんね。でも、長くそばに居てくれてありがとう。」

「長い施設での生活、疲れたかな。。。ゆっくりしてね」

「また、お浄土でね」


佐々木春子 満98歳

9月17日(月) 午後七時  通夜

9月18日(火) 午後一時  葬儀

夏の思い出

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おぼん2018

2018-08-25
皆様、ご苦労様でした。

お盆の終りに

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初盆2018

2018-08-18
お焚き上げも滞りなく終わり、
初盆2018の仏事は、すべて終了いたしました。
皆様、ご苦労様でした。
因みに、今年の初盆会のお勤めの始まりは、7月1日でした。

 

お盆の終りに

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忘勿の鐘

2018-08-18
初盆2018では、
お焚き上げの最中に、
参詣の皆様に、
忘勿の鐘として、
梵鐘一打していただいています。

お盆の終りに

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お焚き上げです。

2018-08-18
初盆2018では、
例年、お焚き上げが行われます。
今年も、
日蓮宗・妙栄寺の掛橋泰定お聖人が来山され、
お焚き上げを執行してくださいました。

お盆の終り

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初盆2018

2018-08-18
2018.08.18、10:00より、
初盆2018が執行され、
今年に初盆をお迎えの皆様が、
本堂に参詣なさいました。

お盆です。

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お盆の夜です。

2018-08-15

お盆です。

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お盆の夜です。

2018-08-15

お盆です。

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お盆のお荘厳

2018-08-15

お盆参り

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お気をつけください!

2018-08-06
お車での参詣の皆様へ
寺町通りへ入る目印となっていた熊谷家具店の店舗が取り壊されました。
お車でお越しの場合、通り過ぎ等に、お気をつけください。

 

寺町通り

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お気をつけください!

2018-07-31
お盆の参詣の際には、
お気をつけください。
亀山町側から寺町通りへお入りになる方の目印となっていた
「くまがえ家具店」さんの店舗が取り壊されました。
左折の際の見晴しはよくなりましたが、
思わず通過の可能性がありますので、
お気をつけください。

 

お盆

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境内の剪定が行われました。

2018-07-31
お盆の前にということで、境内の剪定が行われました。
西日本ふるさと造園さんの施工でした。

広報です!

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佐賀枝先生、来訪です。

2018-07-27

出張

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福岡市で葬儀を執行いたしました。

2018-07-24
7月20日~21日の両日、
福岡市にて、葬儀を執行いたしました。
21日は、満中陰、初盆会の先約がありましたので、
こちらは、若院がお勤めいたしました。
最近、
ご遺族がお住まいの地域で法務執行のご依頼がございます。
当山の法務予定の調整ができる範囲となりますが、
住職(若院or衆徒が助音)によるお勤めが執行されております。
最近では、
長崎県長与町、
福岡県福岡市/篠栗町/中間市/宗像市/久留米市、
大分県大分市/日出町/杵築市等々です。

 
 

予告

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藤原千佳子先生

2018-07-24
今年度の日田組仏教講演会で、当地にご出講なさいます。

10月26日、パトリア日田です。
絵は、真宗大谷派金沢別院の暁天講座です。
 
【追伸】

一二三 智生
さんのfb投稿です。

しかし、早朝より多くの方のお参りでした。

お盆

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おもてなし

2018-07-22

永代経

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山門幕です。

2018-07-17
四間ものです。
八葉牡丹紋です。
紐です。
真中を絞って、房を垂らします。

お盆

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申経の設え

2018-07-16

お盆

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切子燈籠です。

2018-07-16
今年、初盆をお迎えのお宅に、
京仏具・小堀の切子燈籠をご紹介いたしましたところ、
「お願いいたします。」というお返事を頂き、
7月10日に、小堀・福岡店のスタッフが、設営にやってきました。
4寸角極上のお品が、
今年も、当山ご門徒宅に、お荘厳されました。

水引

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緑地に極楽鳥

2018-07-14
水引と呼ばれる横長幕です。
卓に打敷を掛ける際に、
卓の脚部分が露出しないように
覆うためとも言われます。
そんな縁の下の方ですので、
皆様からは、
その全景を見ることはなかなか難しいものです。

散華

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蓮華の花弁、三題です。

2018-07-14
「赤い打敷」の両脇を飾るお役を勤めています。

参詣席からは見えない位置にありますが、

なかなかの設えです。
 
裏面に、昭和2年の作と記されています。

当山の打敷

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ラシャ地の設え

2018-07-14
「ラシャ」という生地をご存じですか?
江戸期末から明治期に、人気を博した生地といわれます。
当山には、赤と緑のラシャ地の打敷がございました。
赤地は傷みが酷くなり、正絹地へとリメイクいたしましが、
緑地は、まだまだ現役を続けています。

迦陵頻伽

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もう二人・・・

2018-07-14
「浄土三部経」の一巻となる『仏説阿弥陀経』には、
西方浄土である極楽の様子が説かれています。
その極楽に棲む迦陵頻伽は、
当山の広報キャラクターを勤めてくれています。
当山のそれは、
浄土真宗本願寺派安芸教区の若院さんの作画です。
当山には、
このキャラクターとは別に、
もう二人の迦陵頻伽がいらっしゃいます。

【注記】
「迦陵頻伽」と書いて、「カリョウビンガ」と読みます。

同朋の会

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「響流の会」が発足いたしました!

2018-07-13
聖典
講義ノート
お内仏の間
茶菓
2018.05.14
上山旗
聞法会「響流の会」が、第一回目の例会を行いました。

当山の婦人聞法会としては、

第四世代となる例会が稼働し始めました。

願メンバーは、

全員が帰敬式受式者、上山経験者ですが・・・。

改めて「学びます!」の旗印が掲げられました!

同朋の会

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上山旗

2018-07-13
五環紋
上山旗
2018.5.14
5月に、記念上山を果たした婦人会役員会のメンバーは、
「同朋の会」の上山旗を掲げての上山でした。
顧みると、
当山の組織としての婦人会発足は、
宗祖700回御遠忌法要の頃でした。
また、
定例会としての「同朋の会」発足は、
昭和48年、当代が大学に入学した年でした。
初代の指導は、柳川の十時舜吾先生でした。
そして、このご縁を切り開いていただいたヨキヒトは、
北海道下川・明願寺の名畑以文先生でした。
爾来、
瀬高の梯先生、犀川の村上耕二先生、
九州大谷短大の平野修先生、
星野村の樋口不可思先生がご指導くださいました。
聖教は、
観経序分義→正信偈→歎異抄→御文→蓮如上人聞書と読み進み、
毎回、講師のご頷解を道標として、読み込んでまいりました。
さらに、
婦人の活動として、
昭和36年頃に、
「願正寺婦人会」と並列して「若婦人会」(呼称は「みのり会」)が発足して、
若婦人会の活動が始まりました。
昭和54年に第二世代による「萩の会」が発足し、
当時の副住職と坊守と共に活動いたしました。
そして、
平成18年からは、今回発足の「響流の会」の母体となった
「婦人会役員会」が活動を始め、
当代・坊守・若院・衆徒と共に歩みを重ねてまいりました。
その間、
昭和42年の14世継職を機会に婦人聞法会「なかよし会」が発足し、
永年に渡り寺門を支えてくださいました。
因みに、
今回歩みを始めた「響流の会」は、
この「なかよし会」メンバーのお子さん・嫁さん世代によって
構成されています。
 
 

年賀状

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2018年度

2018-01-01
2018年も7月に入り、下半期が始まりました。

お寺(真宗大谷派)の年度は、

6月が年度末、7月が年度初めとなります。
2018年(平成30年度)の幕が上がりました。
平成29年度の寺務事項等で未完了等のございます方は、

今月中に、お済ませください。

頼母子講

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当山では、追恩講と申します。

2018-07-11
追恩講のルーツは、明治39年の現本堂建設の資金調達でした。

爾来、今期で112期を重ねています。

毎月11日の18時30分からの例会です。

掛金は、20,000円です。

入会を希望される方は、住職へご連絡ください。

お盆

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お焚きあげ

2018-07-11
今年も、初盆会の頃となりました。
 
7月から始まる当山の初盆会は、

今年は、

盆明けの土曜日(8/18)に勤まる「おぼん2018」で円成いたします。

写真は、「おぼん2017」での「お焚きあげ」の様子です。

執行は、日蓮宗・妙栄寺の掛橋泰定お上人様です。

宗祖誕生800回御遠忌

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京刺繍(極楽鳥柄)

2018-07-09