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【大谷派】作法と荘厳

真宗本廟の仏事

東本願寺前噴水

2021-04-07
設計は武田五一、蓮華のデザインは、明治から昭和期の日本画家・竹内栖鳳。
高低差を利用した自然な水圧で水が噴き出る仕組みに。

京都駅からすぐ近くにある、東本願寺。
御影堂門が見える、烏丸通りには大きな蓮の噴水があります。
噴水は、大正初めに疏水から本願寺水道が引かれた時に造られたのですが、第2次大戦で損壊したため、戦後に復元されています。
設計は武田五一、蓮華のデザインは、明治から昭和期の日本画家・竹内栖鳳。 

明治二十三年(1890年)4月7日、琵琶湖の水を京都へ引く『琵琶湖疏水』が完成

2021-04-07
同時に日本初・世界で2番目の水力発電所も作られました。
疎水完成後、水力発電の恩恵を受け、新しい工場が生まれ,路面電車も走り出し,京都は活力を取り戻しました。

Facdbook平野 めぐみさん曰く



さて、今日は琵琶湖疏水の完成した日です。明治二十三年(1890年)4月7日、琵琶湖の水を京都へ引く『琵琶湖疏水』が完成し、同時に日本初・世界で2番目の水力発電所も作られました。
明治維新により天皇が東京に移られ、都が京都から東京に移ることになりました。そのため、京都は人口や産業の衰退が見られるようになり、再び京都の活力をと明治十四年(1881年)に第3代目の知事に就任した北垣国道(きたがきくにみち)は、何とかこの事態を打開し、京都の経済の復興を計ろうと起死回生の案を打ち出します。
それが琵琶湖疏水の建設でした。疏水の水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにしようという計画です。それが完成すれば、舟運の発達はもちろんの事、都市部の飲料水も確保、家屋密集地の防火や衛生管理にも役立ち、周辺の田畑も潤います。
 福島県の安積疏水の主任技師南一郎平に琵琶湖疏水計画の調査を依頼し、大津京都間の測量を島田道生に命じ、東京の工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎を土木技師に、嶋田道生測量師らを抜擢し、市民らの協力も得て、明治十八年(1885年)に工事が着工されました。
その工事は非常に困難なもので、明治の最先端の土木技術を駆使して、着工から5年後の明治23(1890)年4月7日、就労者400万人、125万円という膨大な費用をかけて大津の琵琶湖取水地点から鴨川落合まで11.1㎞が完成しました。
琵琶湖疎水での画期的だったのはインクライン(傾斜鉄道)の建設でした。
インクラインとは、難所の高低差のある場所で「滑車を使い、巻き上げるワイヤーロープにつないだ軌道上の台車に舟を乗せて、人や荷物を舟ごと運ぶ」というものでした。
そして、蹴上(けあげ)に水力発電所が作られました。当初は水力利用だけのつもりだったインクライン計画を電力利用にも使えるようにしたのです。
疎水完成後、水力発電の恩恵を受け、新しい工場が生まれ,路面電車も走り出し,京都は活力を取り戻しました。
明治27年(1894年)には、疏水が伏見にまで延長され、琵琶湖と淀川が結ばれることになり、近江から大阪が舟によって直結したのです。
この事は、事実上、北陸から大阪へも直結したと言っても過言ではないでしょう。
それから20年後,更に豊かな水を求めて第2疏水を建設し,同時に水道と市営電車を開業したことで,今日の京都の礎ができました。
しかし大正時代に入って、京津電車や京阪電車が開通し、大正十年には国鉄の山科トンネルの開通とともに現在の山科駅が開設されたため、人の足としての疏水の役目は終わりました。
その後、貨物輸送を担っていましたが、鉄道などの陸上輸送へと移行して行きました。最後の貨物輸送は昭和二十六年(1951年)のことでした。
貨物輸送では、使われなくなった疎水ですが、現在も京都の水道水に供給する水輸送としても使われています。
この琵琶湖疏水事業は、日本の重要な工事を外国人の設計監督に頼っていた明治の初め頃に、日本人のみの手で行われた誇れる一大事業です。
現在は、近代の遺産として12箇所が国の史跡に指定されています。
 その史跡の一つに、南禅寺の境内にある水路閣です。
レンガ造りで、琵琶湖疎水と言うよりは、サスペンスドラマのロケによく使われるので、あ〜あそこと思われるかもしれません。
この水路閣は南禅寺の境内のど真ん中を通り、二分するように建設されています。明治の初め、由緒ある南禅寺がよく許可を出されたものです。
この南禅寺の境内に水路閣を通すという決断をされたものだと思います。
南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山の寺院です。山号は瑞龍山、寺号は太平興国南禅禅寺です。本尊は釈迦如来、開基は亀山法皇で、時の天皇や上皇の発願により創建された日本最初の勅願禅寺です。このため京都五山および鎌倉五山の上におかれ、日本の全禅寺のなかで最も高い格式をもつ別格扱いの寺院なのです。
以前、南禅寺の末寺のご住職にこのあたりの南禅寺のお話を伺ったことがあります。新しいものを受け入れるだけの度量、それが当時の管長にはあったとおっしゃっていました。
今では、南禅寺の一部となっている水路閣。歩いてみられてはいかがでしょうか。
3年前から琵琶湖疎水船が運行されています。
大津からと蹴上からです。
なかなか予約が取りづらいようですが、乗船して、先人たちの素晴らしい遺産を味わってみたいものです。
特に桜と紅葉のシーズンは素晴らしい景色です。
琵琶湖疎水船の試行での動画です。
ちょっと桜の中をいく疎水船を味わられてください。
【琵琶湖疎水のトンネルの扁額】
この扁額には明治の偉人たちの文字を見ることができます。
⚫︎第一トンネル東口(大津側)
「氣象萬千」(きしょうばんせん)
揮毫者:伊藤博文
意味 :千変万化する氣象と風景の変化はすばらしい
⚫︎ 第1トンネル内壁
「寶祚無窮」(ほうそむきゅう)
揮毫者:北垣国道
意味 :皇位は永遠である
⚫︎ 第1トンネル西口(藤尾側)
「廓其有容」(かくとしてそれいるることあり)
揮毫者:山縣有朋
意味:悠久の水をたたえ,悠然とした疏水のひろがりは、大きな人間の器量をあらわしている
⚫︎ 第2トンネル東口
「仁似山悦智為水歓」(じんはやまをもってよろこびちはみずのためによろこぶ)
揮毫者:井上馨
意味 :仁者は知識を尊び,知者は水の流れをみて心の糧とする(論語)
⚫︎ 第2トンネル西口
「隨山到水源」(やまにしたがいすいげんにいたる)
揮毫者:西郷従道)
意味 :山にそって行くと水源にたどりつく
⚫︎ 第3トンネル東口
「過雨看松色」(かうしょうしょくをみる)
揮毫者:松方正義
意味:時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる(唐・盧綸の詩)
⚫︎ 第3トンネル西口
「美哉山河」(うるわしきかなさんが)
揮毫者:三条実美
意味 :なんと美しい山河であることよ
くにの宝である美しい山河を守るには、為政者の徳と国民の一致が大切との含意も(史記・呉記列伝)
⚫︎ 疏水合流トンネル北口
「藉水利資人工」(すいりをかりてじんこうをたすく)
揮毫者:田邉朔郎
意味 :自然の水を利用して、人間の仕事に役立てる
⚫︎ ねじりまんぽ
⚪︎ねじりまんぽ西口
「雄觀奇想」(ゆうかんきそう)
揮毫者:北垣国道
意味:見事なながめとすぐれた考えである
⚪︎ねじりまんぽ東口
「陽気発処」(ようきはっするところ)
揮毫者:北垣国道
意味:集中して物事に挑めば何事でも成し遂げられる
「陽気の発する処金石も亦透る。精神一到何事か成らざらん。」(朱子語類)から。
これらの扁額を探してみるのも楽しそうですね。
この項参考京都市上下水道局
琵琶湖疎水については、
琵琶湖疏水記念館(びわこそすいきねんかん)で、より詳しく知ることができます。1989年(平成元年)8月9日開館。琵琶湖と京都を結ぶ運河琵琶湖疏水の完成100周年を記念して京都市が開設したました。
水温む春、疎水沿いを歩きたくなります。来年は是非疎水船に乗ってのお花見を計画されてはいかがでしょうか?

2019年11月22日の「真宗本廟報恩講 報恩講法話」

2021-04-07
一楽 真先生(大谷派擬講・小松教区)
【真宗本廟報恩講 報恩講法話(2012年11月27日)】一楽真氏

2012年11月27日の「真宗本廟報恩講」にて行われた一楽真氏(擬講・小松教区)による報恩講法話をお届けします。 
【報恩講法話】 
真宗本廟報恩講の改悔批判では、門徒による感話と僧侶による報恩講法話が行われます。宗祖親鸞聖人の御真影の前で信を問い、仏法に出遇わせていただくためのものです。

 しんらん交流館HP https://jodo-shinshu.info/ 
真宗大谷派(東本願寺)HP http://www.higashihonganji.or.jp/

真宗大谷派 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌 御正当報恩講 結願日中

2021-04-07
平成23年11月28日 真宗大谷派 真宗本廟(東本願寺)御影堂

平成23年11月28日 
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌
御正当報恩講 結願日中(楽)[坂東曲] 
真宗大谷派 真宗本廟(東本願寺)御影堂

真宗大谷派東本願寺【公式】 - YouTube

2021-04-06
法要をズーム・イン、法話はリプレイができます。

真宗大谷派の衣体(ころも)等について

職分の衣体

2021-04-07
堂衆列参詣席側の二方が参衆です。
左奥から堂衆、准堂衆と楽僧です。
本病報恩講、門首着座前です。

職分の衣体

2021-04-07
門首後継後奥は参務、手前は定衆です。 延暦寺での源信僧都年回法要お勤めの図です。
信明院殿鍵役の先導をする本廟堂衆です。

ご門首を付き従う准堂衆

2021-04-14
准堂衆はこんな袴を着けます。

鍵役の衣体

2021-04-07
能慈院殿、ボーイスカウト世界ジャンボリーでの焼香です。
信明院殿、四日市別院での750回御遠忌庭儀の図です。

門首後継の衣体

2021-04-07
能慈院殿、真宗本廟本尊動座式での図です。
延暦寺根本中堂でのお勤めの図です。

作法について

焼香は金香炉で行います。

2021-04-04
春の法要2021での修如上人による焼香です。
真宗本廟御影堂の御真影尊前です。

真宗大谷派お焼香作法

2021-05-29
真宗大谷派東本願寺【公式】より

御文拝読 

2020-12-05
御正忌です。真宗大谷派 九州教区 日田玖珠組 浄満寺 渡邊弘宣師(真宗本廟准堂衆)
渡邉先生の足跡
御自坊での750回御遠忌with御後継and信梧院殿
四日市別院での750回御遠忌with信明院殿
四日市別院750回御遠忌での御伝鈔拝読

· 21世紀初頭に私が式事をさせていただいたお寺さんの野卓の写真です。

2021-04-14
Facebook 吉峯 教範さん曰く  2020年4月15日

本勝手が銀、逆勝手が金。陰陽からいうとそうなります。

2021-04-14
Facebook 土田龍樹さん曰く  本勝手逆勝手が本願寺の口伝と逆ですね…
Facebook 土田龍樹さん→ 吉峯教範さん
Facebook 吉峯教範さん→土田龍樹さん
逆になっていた理由を思い出しました。
当寺の本堂と庫裡の配置が一般とは逆になっている関係で、本堂を縦長に使って葬場を設置する為には内陣に向かって右側(つまりは北餘間側)に野卓を設置する必要があったのですが、この場合通例通りにしようとすると、巻障子を閉めてあるとは言いながら現実の本堂の御本尊に足を向けた形での荘厳になってしまうという問題を当時の式掛が留意されまして、最終的に(やはり本堂の本尊に足を向けるのはやめようということで)通常とは逆に野卓の向かって右側に遺体の頭を向けたのに合わせて、金銀の紙花も逆にしたという経緯があった様に思います。
ちなみに野卓の奥には御遺体だけで本尊の安置はしてありません。
所謂、そもそもの荼毘の形態です。
巻障子を閉めてあるとは言いながらも、長年本堂の御給仕をしてきた住職の葬儀に最後に阿弥陀さんに足を向けさせるわけにはいかないという配慮でした。

日常生活で出来ること

真宗大谷派お焼香作法

2021-05-29
真宗大谷派東本願寺【公式】より

お内仏のお荘厳・お給仕

2021-05-11
報恩講・年忌法要等のお荘厳

小威儀の結び方 (肩衣・畳袈裟)

2021-04-01

春の法要2021、北余間に奉懸した御影軸です。

2021-03-25
新門の時代に、お隣の浮羽までは足を運ばれましたが、当地へのご下向は叶いませんでした。
教如様です。
当山の開基住職、釋澤月です。
宣如様へ祖師聖人御影下賜をお願いいたしました。

春の法要2021、北余間のお荘厳です。

2021-03-25
左から、教如聖人御影、連煮様御染筆六字名号、開基名号、教如上人御染筆の六字名号、開基住職似影
当山に伝わる、三つの六字名号です。
開基名号です。
蓮如様の御染筆です。
教如様の御染筆です。

大谷派のお荘厳について

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上卓

2018-07-30
上卓

 ご本尊の前、須弥壇上にのせるお机を「上卓」といいます。
 普通の卓は、文机の名残で、机の両端にそりを付けて、筆が転がり落ちるのを防ぐ役目をする筆返しという形を部分的に残した形式を踏襲していますが、上卓は護摩壇の系統を引くため、常に筆返しがありません

前卓

2018-07-30
前卓

 前卓は、尊前を飾るもっとも大切なお仏具である燭台香炉花瓶を置くための机で、須弥壇の前におきます。大きな法要や行事の時には、打敷を掛けて荘厳します。
 在家用前卓には、正式な阿弥陀堂型前卓および御影堂型前卓の形をしたものから、わらび卓と呼ばれる簡易な卓まで種々の形の机があります。

打敷(うちしき)

2018-07-30
打敷

 金襴(きんらん)などで美しく作られた三角形の敷物で、上卓前卓に掛けます。平常は掛けません。お内仏の引出しの中などに軽く畳んでしまっておいてください。打敷を掛けるときは、①祥月命日(しょうつきめいにち)以上の年忌法要 ②中陰法要(ちゅういんほうよう) ③正月 ④春秋彼岸 ⑤お盆 ⑥報恩講(ほうおんこう) ⑦結婚式などです。②の中陰法要には、白地の打敷を掛けますが、ご用意の無い場合には便宜上、通常の打敷を裏返して使用することも可能です。
 上卓前卓には、おつくえ本体と下水板(げすいた)と呼ばれる薄い板とで出来ており、打敷は本体と下水板との間に挟んで敷き込みます。

 

 

打敷の関連知識

 打敷は、釈尊説法の座をおかざりしたことに由来し、仏前の三具足をならべるときの敷物として発達してきたものです。質素な須彌壇や前机には打敷による荘厳が必要ですが、彫刻や豪華な彩色をほどこした荘厳具にはその必要があまりありません。したがって現今は通常はほとんど使用せず、重要な法要のみに使うことが多くなっています。打敷本来の形は、方形の裂地を角を前にして前後左右とも相似に覆い掛けるので、卓の寸法より少し大きく調整して左右及び前後に角の垂れたのが正式とされています。法要によって打敷の規定はありませんが、なるべくその法要にふさわしい図柄・色目のものを用いるのが望ましいです。
 掛けた打敷を押さえる板を「下水板」(建水板・水板ともいう)と言います。下水板は打敷を押さえるだけでなく、花瓶の水が打敷に垂れるのを防ぐ意味もあります。
 打敷は、打布、内布とも呼ばれ、打敷の「打」には「張る」という意味があり、卓上に張り敷くことを意味しています。

木蝋(もくろう)

2018-07-30

木で出来た朱塗りの飾り蝋燭(ろうそく)です。

蝋燭を灯さないときは必ず、木蝋をたてておきます。

 


木蝋の関連知識

 輪灯や菊灯で灯明を点ずることは、その起源は大変古いといわれていますが、蝋燭の場合は比較的新しく、その使用は室町以後であると考えられています。
どちらも照明の効果とともに浄火を燃ずるという意味がこめられているといわれます。
ご本尊は光明本尊ともいい、光りを放たれる姿が描かれていますが、蝋燭の光りは、如来の智恵の光りを象徴するものです。この蝋燭の光りは、「浄火をもやす」との意味から、電気で間にあわせることのできないものです。
 蝋燭は、大谷派では「いかり形」と呼ばれる上部の肩の張ったものを使用するのが正式ですが、その用途によって、白蝋・朱蝋・金蝋・銀蝋があり、一般法要には白、年忌・報恩講には朱色、慶事法要(落慶法要・仏前結婚)には金蝋(朱蝋でもかまいません)、葬式・中陰などには銀蝋(なければ白蝋でも可)をそれぞれ使います。
立燭する場合、通常その尊前では焼香します。
また一尊つまり中尊前・祖師前のみの立燭はありえず、両尊前立燭焼香が一応の原則ですが、年中行事などの場合、立燭ばかりもあります。
 蝋燭の規格は、元々重さで表わされ、「匁」で表示されますが、それがそのまま号数になっている場合もあります(例:五十匁型=五十号)。この蝋燭は「ローソク」というように現在読みますが、昔は「ラツソク」という風に発音していました。

ご面灯

2018-07-30
金灯籠

 朝早く(晨朝)や夜(初夜:夕方から夜半迄)にお経のあがる時、御影などお顔やお姿が良く拝めるように御面灯として用いるものです。
(したがって、大谷派においては平常は片付けておくべきものです。)
大谷派の金灯籠の脚は真っ直ぐにのびた蝶足と呼ばれるものを用います。


金灯籠の関連知識

 中尊・祖師前に吊るされた金属製の灯籠で、内に油皿があり火を点じます。
上部から吊輪・笠・火袋・受台・脚からなり、東西両派ともほぼ形は同じですが、お東は脚部が真っ直ぐにのびた蝶足です。
 東本願寺では、以前は使われなかった仏具で、「御厨子ノ内、菊灯台ニテ灯明ヲ上ラル。然ニ油煙厨子ノ天井ニタマリ、掃除ノトキ落ニクク候トテ、其時ヨリ金灯籠ヲ掛ラル」とあるように、親鸞聖人の四百五十回忌御遠忌(一七一一年)以後使われた比較的新しい仏具です。
分派前の本願寺では、戦国時代の大永年間(一五二〇年頃)には「朝夕六角トボス」という記述がみえますので、金灯籠の存在が確認されます。
大谷派末寺では、中尊前・祖師前共に金灯籠を掛けることが常態化していますが、もともとは上に述べた様に、親鸞聖人のお姿を見えるようにと必要に応じて菊灯を置いていたものが金灯籠に変化したもので、本山では阿弥陀堂の御宮殿前には吊り下げません。

大谷派関係学校のページ

Facebook 大谷派における学事の潮流

2020-05-05

大谷大学

2021-02-14
1949年 - 新制大谷大学を開設。文学部に仏教学科、哲学科、史文学科を設立。
1665年 - 琢如が東本願寺寺内に寺院子弟教育を目的として学寮を創設する。

【学生の街 京都】

2021-05-20
京都には学生が多いと言われています。 これを大学生について統計からみていきましょう。
学校基本調査によると、令和2年5月1日現在 の京都府の大学の数は 34校です。大学数だけみると、全国7位ですが、人口 10 万人当た りの大学の数は
京都府は 1.22 校で全国1位となっています。 (表1)
学生の数は学校基本調査によると京都府の学生・院生 は 162,601人です。総人口に対する割合でも、京都府は 6.4%とな 
り、全国1位となっています。 (表2)
出典 令和2年学校基本調査(文部科学省) 人口推計(総務省) 
データで見ても、京都の学生さんの数は多いということがわかります。
道を歩いていて、50人に3人が学生だということになります。とはいえ、京都では観光客の方が多いですが。
この京都で一番古い大学はどこかご存知でしょうか?
この場合、旧制大学になった年、学校として創立した年という見極め方がありますが、ここでは、学校として創立した年で見ていきたいと思います。
種智院大学です。京都でと いうよりも、日本で一番古い創立の大学と言っていいと思います。大学としては、昭和24年(1949年)に新制大学としてスタートしていますが、その創立は天長 5年 (828)、弘法大師 空海 が綜藝種智院として 創設しました。
その他、龍谷大学も1639年 京都西本願寺境内に学寮として創立しています。
大谷大学も1665年の創立です。
これらの大学は最初は仏教の学問所としての創立でした。
今日は1900年に 京都法政学校(現 立命館大学)が設立された日です。
立命館大学の創立年は、実は二つあります。
これは、1869年、 西園寺公望が私塾立命館を創設しました。しかし、京都府庁の差留命令により1年弱で閉鎖されました。西園寺の秘書官であった中川小十郎が西園寺の意志を継ぎ、1900年に向学心を持つ勤労青年のために勉学の機会を与えるとともに、京都帝国大学教員の経済支援を兼ねた夜間学校として京都法政学校を設立。京都市上京区東三本木丸太町にあった料亭「清輝楼」(「吉田屋」の近隣にあった)を仮の校舎としました。
他方、1889年に、京都法学校(きょうとほうがっこう)が、京都市下京区寺町通四条下ル大雲院内に設立されました。その後入学希望者の増加に対応しきれなくなり、京都法政学校に事実上引き継がれることになりました。
現在の立命館大学では、京都法政学校が設立された1900年を創立と、私塾立命館が開設された1869年を立命館の創始としています。
○「立命館」の由来
『孟子』盡心章句(じんしんしょうく)にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である)から採られました。
現在の立命館大学は、衣笠、朱雀、滋賀県の草津、大阪の茨木、サテライトとして東京と大阪梅田にキャンパスがあります。今回知らなかったことが、大学の本部が朱雀だったことです。てっきり、衣笠だと思い込んでいました。
【広小路キャンパス】
立命館大学は衣笠キャンパスがほとんどと思われる方が多いと思います。広小路キャンパスがあったことをご存知の方は、少なくなったかもしれません。
私が中学生の頃には、まだ広小路キャンパスもあって、一部衣笠キャンパスに移っていました。
私にとっては、この広小路キャンパスは、『二十歳の原点』高野悦子著でのイメージでした。学生運動華やかりし頃の広小路キャンパス。かなり後に、『二十歳の原点』で描かれた場所を歩いたことがありましたが、喫茶店の「しあんくれーる」もなくなっていました。そして、彼女がアルバイトをしていた京都国際ホテルも数年前に廃業されています。
いま、この広小路キャンパスの跡を辿ろうと思っても、残っているのは記念碑だけです。現在は、京都府立医科大学の図書館や京都府立文化芸術会館になっています。
【衣笠キャンパスへ】
1965年(昭和40年)から広小路キャンパスからの移転が始まり、1981年(昭和56年)に完全に移転が完了しました。
この衣笠キャンパスは、大清国第12代にして最後の皇帝愛新覚羅溥儀の寄付により作られたものです。
この衣笠キャンパスはきぬかけの道沿いにあり、バス停の向かいには堂本印象美術館、金閣寺、龍安寺、キャンパスの南には等持院もあります。そういえば、2020年3月に嵐電北野線の「等持院」を「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に変更になりました。そのため、この駅名が日本一長い駅名となりました。
きぬかけの道周辺にいらっしゃったら、立命館大学のキャンパスをご覧になってみてください。

2021年度「入学宣誓式」挙行

2021-04-07
新入生/第4部入学宣誓式【15:45~16:25@講堂】
2021-04-07
2021年度「入学宣誓式」挙行

2021年度「入学宣誓式」挙行

4月1日(木)本学講堂にて、2021年度入学者を対象として「2021年度入学宣誓式」を挙行しました。
式場となった講堂では混声合唱団の仏教讃歌により開式され、「三帰依文」と「三誓偈」を木越康学長の調声のもと唱和しました。

その後、木越学長による告示では、「大谷大学を象徴するメッセージ「Be Real」には、「現実」という意味、もう一つは仏教でいう「真実」という意味が含まれています。現実というものをしっかりとみつめるその中で、あるべき姿、あるべき方向性を考えていく、こういう態度を示しています。専門の勉強を充分にしてもらいたいと思いますが、それよりも何のために勉強をするのか、どういう自分になっていくのか、どういう社会を築いていくのかということを大事にしてもらいたい。また、どうすれば、異なるもの同士が争うことなく生きていくことができるのか、このことを考える態度を皆さん一人一人の中で養っていただきたい」と述べました。

引き続き、学校法人真宗大谷学園の但馬弘理事長より「新入生のみなさん、今日から新しい環境での学生生活が始まります。コロナ禍という不安の中ではありますが、どうかその不安から逃げ出したり、誤魔化してしまったりするのではなく、本学の学びと学生生活の中で、それぞれの持ち味を存分に光り輝かせていってください」と祝辞が送られました。

新型コロナウイルスによる感染状況に鑑み、式場への入場を入学生と教職員に限定し、また従来の3部制を4部制で実施するなど、感染防止対策を講じて執り行いました。
また、出席を控えていただいた保護者及び在学生に対して、式の様子を大学ホームページでライブ配信いたしました。

ご協力頂きました関係の皆様のおかげで、大きな混乱もなく無事に式を終えることができましたことを、心よりお礼申しあげます。

【総務課】

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