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【大谷派】作法と荘厳

真宗本廟の仏事

帰敬式 in São Paulo  2019年9月2日 · サンパウロ (ブラジル・サンパウロ州)

2021-02-25
執行は門主後継様です。
Facebook60 Anos Missão Higashi Honganji - 真宗大谷派(東本願寺)南米開教60周年より

石山本願寺について

2021-02-02
蓮如上人と御同行が心血を注いで建立された山科本願寺は、他宗徒と近江の大名六角氏に攻められ、紅蓮の炎に包まれてしまったのです。
蓮如上人の曾孫の證如上人(1516〜1554)
證如上人は大阪石山の坊舎に移り、そこを本願寺と定められました。これが有名な「石山本願寺」です。
Hp浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺より
応仁の乱に端を発した天下の暗雲は日本全土を覆い尽くし、本願寺もそれと無縁ではいられなくなりました。
このころの本願寺は蓮如上人の曾孫の證如上人(1516〜1554)の時代でした。
證如上人はわずか五歳で父圓如上人と死別され、そして祖父實如上人がお亡くなりになり、十歳で本願寺を背負うという大変な御苦労をされました。
しかし御苦労はそれだけではとどまらず、あろうことか蓮如上人と御同行が心血を注いで建立された山科本願寺は、他宗徒と近江の大名六角氏に攻められ、紅蓮の炎に包まれてしまったのです。
證如上人は大阪石山の坊舎に移り、そこを本願寺と定められました。これが有名な「石山本願寺」です。
世の乱れはますます勢いを増し、本願寺の歴史に大きな爪痕を刻み込むこととなるのです。 

東西分立について

2021-02-02
本願寺は二つに分かれ、その位置から准如上人の堀川七条にある本願寺を西本願寺といい、教如上人の烏丸七条にある本願寺を東本願寺と称するようになったのです。
徳川家康は京都七条烏丸に寺基を寄進し本願寺を建て、隠居されていた教如上人を招きました
Hp浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺より
戦国の世も終わりに近づき、顕如上人は長男教如上人と共に京都堀川の本願寺に移られました。
その翌年(1592)顕如上人が御浄土に御還りになり、教如上人が本願寺を継職され、親鸞聖人御一流の御法義はより一層諸国に弘まろうとしていました。
ところがその三年後、急に時の天下人豊臣秀吉が介入、教如上人は突如として隠居させられる事となりました。
代わりに本願寺を継職されたのは三男の准如上人というお方です。
教如上人は時流を読むのに長けた方でしたので、秀吉は、日本最大の教団に教如上人がおられるのを恐れたのです。
さらに時は流れ、いつしか天下の趨勢は徳川家康の手に落ちていました。
家康は京都七条烏丸に寺基を寄進し本願寺を建て、隠居されていた教如上人を招きました。
時の天皇陛下の勅許を賜り、教如上人はこの本願寺に入ることとなりました。
ここに本願寺は二つに分かれ、その位置から准如上人の堀川七条にある本願寺を西本願寺といい、教如上人の烏丸七条にある本願寺を東本願寺と称するようになったのです。
統治能力に優れた家康は、本願寺を東西に分かつことによって、本願寺の力を二分し、幕府の基礎を安泰ならしめたのです。
ここで私たちが覚えていなければならないことは、親鸞聖人御一流の御法義に食い違いが生じて東西に分かれたのではないということです 

石山本願寺と顕如上人

2021-02-02
顕如上人(1543〜1592)
長男教如上人(1558〜1614)
『石山合戦』

顕如上人(1543〜1592)の時代はまさに戦国時代。
織田信長が猛威を振るい各地で戦が絶えませんでした。
本願寺とていつ信長に襲われるか分からない緊迫した中で、顕如上人は布教活動をなさっておられました。
ついに本願寺にまでも信長の魔の手が伸びてきました。
信長は本願寺を見て、一方的に「ここに城を築くので本願寺を移転せよ」と顕如上人に伝えてきたのです。
当然のことながら顕如上人はこれを頑なに拒否されました。
蓮如上人が築かれた法城を再度失うことは思いもよらぬことです。
これに激怒した信長は本願寺を武力で攻めてきましたが、顕如上人は御門徒にこの事態を説明し、よくこれを防がれました。
これが歴史の教科書などでお馴染みの、十一年間の長きにわたり繰り広げられた『石山合戦』なのです。
あまりの長期にわたる戦に、時の天皇陛下が和議に立たれたので、長引けば犠牲者が多くでるばかりであると考えられた顕如上人は、信長に石山本願寺を明け渡し、紀州鷺森に移られる御決心をなさいました。
しかし、当時新門であられた長男教如上人(1558〜1614)は、信長の過去の行為から講和後の奇襲も予想されるとお考えになられて、徹底抗戦の構えを崩されませんでした。
が、再度朝廷より和議の命を受け鷺森に退かれました。
ついに蓮如上人御苦心の石山本願寺は信長の手に渡ってしまったのです。
顕如上人が鷺森を本願寺とし再興なさろうとしていた矢先、教如上人の予見通り、信長は家臣の丹羽長秀に鷺森襲撃を命じました。
しかし命運が尽きたのは、信長の方だったのです。
そのときちょうど本能寺の変が起こり、顕如上人も鷺森本願寺も難を逃れました。
その後、顕如上人は貝塚、天満と移られ、その都度本願寺の寺基も移り変わりました。
そして豊臣秀吉から京都七条堀川の地に十万余坪の土地を寄進され、顕如上人はそこに移られ、本願寺の寺基もまたその地に移されたのでした。
戦国の世も終わりに近づき天下太平の槌音が聞こえて参りましたが、この直後に思いもよらぬ出来事が起こるのです。

NHK大河ドラマ2020年度作品は、明智光秀を主人公にした『麒麟が来る』です。

2021-01-16
初めての年越し展開も、あと3回です。 
VS信長の舞台は、摂津の国・石山本願寺です。
石山合戦の戦陣配置図
真宗大谷派灘波別院所蔵のジオラマ
大阪城所蔵のジオラマ

真宗大谷派の衣体(ころも)等について

職分の衣体

2021-04-07
堂衆列参詣席側の二方が参衆です。
左奥から堂衆、准堂衆と楽僧です。
本病報恩講、門首着座前です。

職分の衣体

2021-04-07
門首後継後奥は参務、手前は定衆です。 延暦寺での源信僧都年回法要お勤めの図です。
信明院殿鍵役の先導をする本廟堂衆です。

ご門首を付き従う准堂衆

2021-04-14
准堂衆はこんな袴を着けます。

鍵役の衣体

2021-04-07
能慈院殿、ボーイスカウト世界ジャンボリーでの焼香です。
信明院殿、四日市別院での750回御遠忌庭儀の図です。

門首後継の衣体

2021-04-07
能慈院殿、真宗本廟本尊動座式での図です。
延暦寺根本中堂でのお勤めの図です。

作法について

2月21日と22日に真宗本廟・阿弥陀堂では聖徳太子千四百回忌御正当法要が勤まりました

2021-02-25
春の法要期間中の4月3日と4日には、聖徳太子千四百回御忌法要をお勤めいたします。
21日は16時から逮夜法要を勤め、22日は7時からの晨朝法要、10時から日中法要を勤めました。

聖徳太子祥月命日のお荘厳について

2021-02-21
今日は聖徳太子千四百回御忌御正当御祥月の逮夜ですが、『年中諸法要行事』で太子御祥月の荘厳を確認したら、中尊祖師両尊前には打敷は要らないみたい。初めて知りました。

畳の構造 『畳縁(たたみべり)』とは

2021-01-31

葬儀の『木花』(凶事用の仏花)を立てる

2021-01-21
中尊前
祖師前
御代前
南余間
お内仏

葬儀の『木花』(凶事用の仏花)を立てる

2021-01-21
Facebook土田龍樹さんより



「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。」『安楽集』
最近、世代的なことですが、周囲の皆さんの親が西帰することが多く、毎年のように葬儀の『木花』(凶事用の仏花)を立てるご縁があります。誰かが引き受けなければ葬儀が勤まらない…たまたま自分にその役割が  巡って来る度に、いずれは自分も誰かに『木花』 立ててもらわなくては自分の葬儀がたち行かなくなる…そう思うと、次世代に教えながら木花を立てることの大切さを思い知ります。何せ急なことなので、縁のある人が集まって一気に立て上げなければならない…しかも、今入手できる限られた材料を駆使しての立て上げ。幸いと言っていいかどうかはわかりませんが、昨年来次世代が木花に携わることが多く、良い経験を積ませていただいています。やはりこれも仏祖そして故人の御冥祐御催促と受け止め、ありがたく思いながら、只今木花の下拵えさせていただいています。
 さて、もう一頑張り
 ナンマンダブ

日常生活で出来ること

小威儀の結び方 (肩衣・畳袈裟)

2021-04-01

春の法要2021、北余間に奉懸した御影軸です。

2021-03-25
新門の時代に、お隣の浮羽までは足を運ばれましたが、当地へのご下向は叶いませんでした。
教如様です。
当山の開基住職、釋澤月です。
宣如様へ祖師聖人御影下賜をお願いいたしました。

春の法要2021、北余間のお荘厳です。

2021-03-25
左から、教如聖人御影と御染筆六字名号、開基名号、蓮如上人御染筆の六字名号、開基住職似影
当山に伝わる、三つの六字名号です。
開基名号です。
教如様の御染筆です。
蓮如様の御染筆です。

春の法要2021

2021-03-25
聖徳太子1400回忌のお勤めをいたしました。
3月25日は、蓮如様の祥月命日です。

春の法要2021

2021-03-25
三尊前のお荘厳です。
祖師前と御代前です。

大谷派のお荘厳について

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宗祖750回御遠忌仕様

2018-09-23
仮御堂仕様
御真影お帰えりです。
平成の両堂改修工事中の真宗本廟です。
一枚目の絵は、阿弥陀堂改修中に御本尊が安置された御影堂南余間に設置された仮御堂の荘厳です。
二枚目は、改修工事が完成した御影堂のお厨子に、御真影がお帰りの絵です。
そして、三~六枚目は、大修理の最終工程となった御影堂門の改修の絵です。
工事着工を前に、ご影堂門楼内に安置されていた釈迦如来像・勢至菩薩像・阿難尊者造の三体が、楼上から阿弥陀堂内へ移されました。
七枚目は、改修工事がなった御影堂門上に掲げられた扁額の絵です。

宗祖750回御遠忌仕様

2018-09-23
御影堂前卓
阿弥陀堂前卓
宗祖親鸞聖人750回御遠忌記念品です。
一枚目が、今回の法要記念に誂えられた御真影前卓の打敷がかけられた御影堂内陣です。
今回の打敷図柄は、二人天女でした。
二枚目は、阿弥陀堂工事完成、御本尊遷座法要の阿弥陀堂内陣です。
三~四枚目は、今回の750回御遠忌法要の結願となった報恩講結願日のご門首着用の七條袈裟です。
五枚目は、750回忌ご出仕のご門首の衣体です。
尚、絵は、ご隣山御影堂でのお焼香のお姿です。

 

宗祖750回御遠忌仕様

2018-09-23
南御堂内陣
中尊前
中尊前
真宗本廟での法要結願を受けて、各教区での宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要がお勤めされています。
大阪教区、難波別院の内陣荘厳の絵です。
今回の御遠忌記念柄の松・竹・菊柄の打敷がかけられています。

 
中尊前の設えは、松に竹です。
秋の設えです。

輪灯(りんとう)

2018-08-02
輪灯(りんとう)

お仏壇の中を明るくする照明用の真鍮製の灯火具です。
真宗大谷派においては、
真鍮の棒を丸くまげた模様の無いシンプルな丸蔓のものを使用します。
輪灯の栓は内側に向けてさすのが作法となっています。
また、輪灯を吊る高さは、
輪灯の底が花瓶の上部と同じ高さになるように吊り下げます。

瓔珞(ようらく)

2018-08-02
瓔珞(ようらく)

重い法要の時のみ、輪灯の笠の上に吊し荘厳されます。
大谷派においては平常荘厳ではありませんので、
普段は片付けておくべきものです。


瓔珞の関連知識

 江戸時代の初期に京都の因幡薬師に独特の輪灯があり、これを西本願寺が模倣して導入したのち、そのままに東本願寺が真似をしたので、西本願寺がこれを防ぐため現在の様な豪華な彫りを施したといいます。その対抗上、東本願寺は笠の上に豪華な瓔珞を吊ったといわれています。

大谷派関係学校のページ

Facebook 大谷派における学事の潮流

2020-05-05

大谷大学

2021-02-14
1949年 - 新制大谷大学を開設。文学部に仏教学科、哲学科、史文学科を設立。
1665年 - 琢如が東本願寺寺内に寺院子弟教育を目的として学寮を創設する。

2021年度「入学宣誓式」挙行

2021-04-07
新入生/第4部入学宣誓式【15:45~16:25@講堂】
2021-04-07
2021年度「入学宣誓式」挙行

2021年度「入学宣誓式」挙行

4月1日(木)本学講堂にて、2021年度入学者を対象として「2021年度入学宣誓式」を挙行しました。
式場となった講堂では混声合唱団の仏教讃歌により開式され、「三帰依文」と「三誓偈」を木越康学長の調声のもと唱和しました。

その後、木越学長による告示では、「大谷大学を象徴するメッセージ「Be Real」には、「現実」という意味、もう一つは仏教でいう「真実」という意味が含まれています。現実というものをしっかりとみつめるその中で、あるべき姿、あるべき方向性を考えていく、こういう態度を示しています。専門の勉強を充分にしてもらいたいと思いますが、それよりも何のために勉強をするのか、どういう自分になっていくのか、どういう社会を築いていくのかということを大事にしてもらいたい。また、どうすれば、異なるもの同士が争うことなく生きていくことができるのか、このことを考える態度を皆さん一人一人の中で養っていただきたい」と述べました。

引き続き、学校法人真宗大谷学園の但馬弘理事長より「新入生のみなさん、今日から新しい環境での学生生活が始まります。コロナ禍という不安の中ではありますが、どうかその不安から逃げ出したり、誤魔化してしまったりするのではなく、本学の学びと学生生活の中で、それぞれの持ち味を存分に光り輝かせていってください」と祝辞が送られました。

新型コロナウイルスによる感染状況に鑑み、式場への入場を入学生と教職員に限定し、また従来の3部制を4部制で実施するなど、感染防止対策を講じて執り行いました。
また、出席を控えていただいた保護者及び在学生に対して、式の様子を大学ホームページでライブ配信いたしました。

ご協力頂きました関係の皆様のおかげで、大きな混乱もなく無事に式を終えることができましたことを、心よりお礼申しあげます。

【総務課】

大谷大学のあゆみ 歴代学長の肖像—明治・大正・昭和

2021-04-07

2021年度春季企画展
大谷大学のあゆみ 歴代学長の肖像—明治・大正・昭和—  開催にあたって

 大谷大学は明治34年(1901)に東京巣鴨で開学した真宗大学にはじまり、大正2年(1913)には京都市小山の地に移転し、現在に至ります。
 本展覧会では、明治・大正・昭和の歴代学長の肖像とその遺品を紹介します。
 学長は、初代学監(学長)清沢満之から現在まで28代を数えます。その肖像は、学恩を受けた人びとの感謝の意と師を懐かしみ顕彰する思いから制作されたものです。いずれも当時交流のあった画家によって描かれており、往時は旧講堂に掛けられていました。
 これらの肖像を通じて、大谷大学の歴史と大学の発展のために力を尽くした方々の思いに触れていただければ幸いです。

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