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【大谷派】作法と荘厳

真宗大谷派って?

【公式ホームページ】真宗大谷派(東本願寺)

2021-09-26

御本尊還座式記念講演(2016年3月31日 池田勇諦氏)

2021-04-19
https://youtu.be/1E7iLqQA_RQ

御本尊還座式記念講演では、池田勇諦氏(真宗大谷派講師・同朋大学名誉教授)に「御本尊・阿弥陀仏は音聲仏」の講題でお話いただきまし­た。

 【御本尊還座式】
 2016年3月31日、真宗本廟の阿弥陀堂の御修復にともない、2011年より仮阿弥陀堂(御影堂九字之間)に安置されていた御本尊・阿弥陀如来が阿弥陀堂に還座する「御本尊還座式(ごほんぞんげんざしき)が執り行われました。

『同朋新聞』がWEB上でご覧いただけます

2021-09-05

東本願寺出版ホームページでは、毎月発行している、東本願寺の機関紙『同朋新聞』がWEB上でお読みいただけます。
毎月発行後に更新され、過去1年分が掲載されていますので、ぜひ毎月チェックしてみてください。

『同朋新聞』は、さまざまな方へのインタビューや、仏教・浄土真宗に関する法話の連載など充実の読み物、また東本願寺に関するニュースなどをまとめて掲載しています。

現在、2021年9月号を公開中!

 

真宗本廟収骨のご案内

2021-09-01

真宗本廟(東本願寺)へお骨をおさめる際の、当日の流れを紹介した動画です。 東本願寺の御影堂へお骨をおさめることを「真宗本廟収骨(しんしゅうほんびょうしゅうこつ)」といいます。 この動画では、大切なご遺族のお骨をおさめるにあたり、東本願寺へ参拝する際の持ち物や当日の様子を事前にご覧いただけます。 
なお、真宗本廟収骨は、事前にお申し込みが必要ですので、東本願寺ホームページhttp://www.higashihonganji.or.jp/wors... で手続きの方法をご確認ください。

【ダイジェスト版】門首継承式(2020年11月20日)

2021-04-01

真宗本廟について

【公式ウェブサイト】Facebook 真宗大谷派(東本願寺)

2021-08-18
このたび、ホームページリニューアルに伴い、これまでホームページで掲載していた「写真日記」を、東本願寺公式Facebookアカウントにて更新していきます。

2021.08.17

このたび、ホームページリニューアルに伴い、これまでホームページで掲載していた「写真日記」を、東本願寺公式Facebookアカウントにて更新していきます。

 

真宗本廟(東本願寺)で行われた法要・行事の写真日記を中心に、さまざまな情報を発信していきますので、ぜひチェックしてみてください。フォローもよろしくお願いいたします!

今後も、ホームページを中心に、各種SNSにて情報をお伝えしますので、ぜひご覧ください。

 

Facebookアカウント⇒https://www.facebook.com/shinshuotaniha.higashihonganji

真宗大谷派の本山、真宗本廟(東本願寺)の公式アカウントです東本願寺で行われる、法要・行事の様子を中心にお伝えします

運用は、公式HPの「SNS公式アカウント運用ポリシー」に準じます。

秋は過ごしやすい気候なので、ついウトウト

2021-09-24
Facebook 真宗大谷派(東本願寺)さん曰く

本願寺の見どころ

2021-07-19
真宗大谷派東本願寺【公式】

京都にある、浄土真宗・真宗大谷派の本山「東本願寺」の境内のみどころを紹介する動画です。 
東本願寺は、正式には「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」といい、境内には、重要文化財の御影堂、阿弥陀堂などさまざまな建物があります。
参拝の順路に決まりはなく、どこからでもご自由にご参拝いただけますが、ご参拝ルートの例を紹介しながら、境内のみどころをご紹介します!
 

真宗本廟(東本願寺)造営史

2021-09-15
かつて都富士と称された真宗本廟(東本願寺)の大伽藍は、教如による創建以来、江戸時代を通じて四度の火災に遭いながらも、その都度多くの人びとの志と尽力によって再建され、今日見る偉観につながっている。御影堂・阿弥陀堂をはじめとする壮大な伽藍には、人びとの信仰と、匠たちの技術・知恵の結晶が込められている。日本史上稀に見る大事業がいかに成し遂げられたのか、真宗本廟造営・再建の歴史に建築・美術・文献など諸方面の研究者が迫る。新出の絵図面や、史料も豊富に紹介されている

京都 東本願寺をすっぽりと覆う仮設の大屋根を建設中 | ニュース | 大林組

2021-09-15
御影堂を改修するため、高さ51mの素屋根をスライド工法で架設します

大林組は、京都市下京区の東本願寺で、御影堂を修復するための仮設の大屋根を建設しています。
東本願寺は、1602年(慶長7年)に徳川家康より京都六条に敷地の寄進を受けて建立されたもので、1603年に阿弥陀堂、1604年御影堂が竣工しました。同寺院の御影堂は、宗祖親鸞聖人の御真影を安置する仏堂で、高さ38m、建築面積4,408m²にのぼる世界最大規模の木造建築物です。これまで4度の火災に遭い、現在の建物は、1895(明治28)年に再建(さいこん)されました。
御影堂の修復工事は、2011年に親鸞聖人750回忌を迎えることから、その特別記念事業として実施されるものです。今回の工事は、修復作業を安全かつ効率的に進めるために、御影堂全体を高さ49m(最高高さ51m)の仮設の屋根ですっぽりと覆うものです。
この巨大な素屋根は、「スライド工法」という工法を用いて設置します。この工法は、建物の隣接地で屋根を組み立て、その屋根を建物に沿って敷設したレール上をスライドさせて建物の上に運ぶというものです。屋根は7つのブロックに分け、1ブロックずつ組み立てて、レール上を牽引し、順次スライドさせていきます。
この工法を用いることで、御影堂上空での鉄骨組立工事を無くすことができ、建物を損傷するリスクを回避することができます。また、素屋根の組み立て場所を一ヵ所に集中させることで、一般参拝者への工事の影響を最小限に抑えます。第1回目のスライドは、7月29日に実施し、今回は第3回目のスライドとなります。すべてのブロックが組み上がるのは11月20日頃になる見込みです。
素屋根工事の施工が終った後は、いよいよ御影堂の修復が行われ、2008年末には美しい木造建築がよみがえります。

【工事概要】
1.工事名称:真宗本廟両堂等御修復 御影堂仮設素屋根工事
2.発 注 者:宗教法人 真宗大谷派(東本願寺)
3.基本設計・実施設計監修・監理:株式会社 日建設計
4.実施設計・施工:株式会社 大林組
5.構造・規模:素屋根/鉄骨造地上3階、延床面積16,989m²、最高高さ51m
6.工  期:平成16年2月~平成16年12月末予定(仮設素屋根工事)

真宗本廟の仏事

法要のご案内

2021-09-04

晨朝じんじょう法要(朝のお勤め)

毎日朝7:00~
会場:阿弥陀堂・御影堂

阿弥陀堂で漢音阿弥陀経を勤めた後、御影堂で正信偈・和讃が勤まります。
どなたでも自由にお参りいただけます。

歴代の命日の法要

親鸞聖人、蓮如上人をはじめとする歴代の祥月命日法要や、修正会、彼岸会などさまざまな法要が勤まります。
各月の日程は下記PDFをご覧ください。
法要は、どなたでも自由にお参りいただけます。

荘厳光院殿現如上人御葬儀の野卓

2021-10-04
Facebook 山口昭彦さん曰く
荘厳光院殿現如上人御葬儀の野卓
大正12(1923)年2月22日執行
「百味の飲食」は、亀屋末富(現、京菓子司末富)と八百喜(廃業)が50台宛、調進しました。
杉盛の華束が巨大なことと、「百味の飲食」の配置が左右非対称であることが注目されます。
野卓が大きいためか、五具足の位置も中心よりで、「百味の飲食」に掛からないように置かれています

◆大正12年「為荘厳光院現如上人御葬儀記念写真帖」80枚

2021-10-04
大谷光瑩葬儀/大谷光寅・光暢/京都 本願寺宗務総長旧蔵品
荘厳光院現如上人御葬式之図

今は昔のお話ですが、北海道・奥羽・三条教区からの上山の方途・・・?

2021-10-03
Facebook 安部 信輔さん曰く、
大阪駅です。
1,000㎞以上走る昼行特急「白鳥」。
今、同じ運行はなかなか出来ないでしょう。「雷鳥」+「北越」+「いなほ」ですかね
青函連絡船に接続して「おおぞら」に接続。
いかにも鉄道の旅、っていう感じですね

【永代経総経が勤まりました】

2021-09-29
Facebook 真宗大谷派(東本願寺)さん曰く、大谷裕新門による登高座
やわらかい風が吹く、秋晴れとなった9月23日、真宗本廟にて秋季永代経総経が勤まりました。
永代経総経とは、亡くなられた方を偲びつつ、聞法の根本道場である真宗本廟において、あらためて宗祖親鸞聖人のみ教えにお遇いしていただくことを願い厳修されるものです。 
毎年、春と秋の2回勤まり、今年の春の永代経総経に引き続き、秋の永代経総経もライブ配信で法要中の様子をお届けしました。
法要の前には、藤政 朋宏氏(大阪教区)よりご法話があり、2023年に「宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤まることにふれ、親鸞聖人に遇わせていただいている今、そして浄土の真宗という仏道に出遇わせていただいている今、どのような私を生きているのかということが問われている。
法要を機縁として、本願念仏の教えを広めてくださった親鸞聖人に出遇えているのかを憶念し、確かめていく1年半が、慶讃法要までの期間であるのではないか、などと、ご自身の体験の紹介や、親鸞聖人の和讃や清沢満之の言葉を紹介しながらお話されました。
法要は、阿弥陀経などが勤められ、また広縁には焼香台も設置され、参拝に訪れた方は、静かに手を合わせる姿もありました。
今年の永代経総経も新型コロナウイルス感染症防止により、ライブ配信によるご参拝のご案内となってしまいましたが、
皆さまのご理解とご協力、
そしてたくさんの方にご視聴をいただき、ありがとうございました。

大谷婦人連盟のページ

真宗大谷派大谷婦人会宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業 

2021-04-21
慶讃法要お待ち受け全国大会 -

真宗大谷派大谷婦人会 宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業として慶讃法要お待ち受け全国大会をインターネットライブ配信にて開催します。

13時

  開 会

   但馬 弘 宗務総長挨拶

 

真宗大谷派大谷婦人会 

    会長就退任セレモニー

   大谷妙子 大谷婦人会前会長挨拶

   大谷サチカ 大谷婦人会会長挨拶

13時45分 

真宗大谷派大谷婦人会 

創立130周年記念法話

  講師:藤原正寿 氏(大谷大学准教授)

 

月輪満子 大谷婦人会委員長挨拶


15時(予定)閉 会

東本願寺親鸞聖人七百回大遠忌法要7(布教使集会・青少年全国大会など)

2020-04-13
・布教使集会(篷茨祖運・仲野良俊) 
・青少年全国大会 青年弁論大会
 (北海道地区仏青代表 宮本国旺)
・大谷派全国合唱のつどい
  (大谷楽苑演奏)  
   「歓喜のカンターター」
   作詞・大谷智子裏方 
   作曲・木下保
 「板敷山」
   作詞・長田恒雄 
   作曲・清瀬保二

 (1961.4.14~27
 
  東本願寺本山本願寺大師堂
      ・高倉会館・大谷ホール)

 

宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃のページ

春の法要 4日目 真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会

2021-04-04
テーマ:無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう

午後からは、2年後にお迎えする宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要のお待ち受け記念講演会・シンポジウムが「人・人間・衆生―人と生まれたことの意味をたずねて―」をテーマに開催されました。
はじめに、京都大学前総長の山極寿一氏より「コロナが教えてくれた人間の生きる意味」と題した基調講演をいただきました。
山極氏は、ゴリラ等類人猿とヒトとの違いを紹介しながら人類の進化史や文明史を振り返り、いま、新型コロナウイルスによってもたらされた危機によって、生活や考え方の転換の必要性を提起されました。

続いてのシンポジウムでは、一楽真氏(大谷大学教授)がコーディネーターを務め、山極氏の提起をもとに小原克博氏(同志社大学神学部長)、楠信生氏(真宗大谷派教学研究所長)により、活発な意見が交わされました。
内容については、アーカイブ配信をご覧ください。
配信は
こちら

サブテーマ:人・人間・衆生―人と生まれたことの意味をたずねて―

 2023年に宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年という大きな節目を迎える今、
 現代社会に生きる私たちが、共に親鸞聖人の教えを聞思し、
 現代の社会にどのような問題があるのかを考える記念講演会・シンポジウムを開催します。

 【日程】 13:30 
 開会 13:40 基調講演 講題「コロナが教えてくれた人間の生きる意味」       
              講師 山極寿一氏(京都大学名誉教授・京都大学前総長) 
    14:40 休憩 
            15:00 シンポジウム 
                              パネリスト 山極寿一氏                         
                                                    小原克博氏(同志社大学神学部教授、神学部長・神学研究科長、良心学研究センター長)                        
                                                    楠 信生氏(真宗大谷派教学研究所長)                        
                                                   一楽 真氏(大谷大学文学部教授・小松教区宗圓寺住職)

「お待ち受け記念講演会・シンポジウム」

2021-04-04
「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう 人・人間・衆生-人と生まれたことの意味をたずねて-」
【ライブ配信】宗祖親鸞聖人御誕生八五十年・立教開宗八百年慶讃法要 記念講演会・シンポジウム(4月4日 13時30分~)

https://youtu.be/IWTh5RFhilE

13時30分より「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう 人・人間・衆生-人と生まれたことの意味をたずねて-」をテーマに、「お待ち受け記念講演会・シンポジウム」の配信を行います。
2023年に宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年という大きな節目を迎える今、私たちが共に親鸞聖人の教えを聞思し、現在の社会にどのような問題があるのかを考える記念講演会・シンポジウムです。ぜひ配信をご覧ください。

「お待ち受け記念講演会・シンポジウム」の詳細・配信はこちら

親鸞聖人お誕生850年慶讃法要記念の薄海松(うすみる)色の袴です。

2021-06-26
柴田法衣店仕様/久留米市 本正寺様
平安法衣店仕様/当山
800と850との対比です。
850は紅色です。
800は茶木蘭色でした。

今年新たに制定された 『薄海松色ハ藤大紋切袴』

2021-09-14
Facebook 真宗大谷派 本正寺様曰く
『紅色地六葉八弁紋金白交入五条袈裟』
宗祖御誕生立教開宗慶讃記念懇志衣体の 『紅色地六葉八弁紋白五条袈裟』 並びに 『緞子地薄栗皮同色有文地陰散雲六葉八弁紋裳附』

誕生記念五条袈裟

2021-09-12
誕八(800年)
誕八五(850年)

聖徳太子1400年忌法要のベージ

◎飛鳥の王権と聖徳太子

2021-05-24
Facebook佐々木信雄さん曰く
6th Century Chronicle 581-600年】
6th Century Chronicle 581-600年】
◎飛鳥の王権と聖徳太子
*585/ 敏達天皇が没し、用明天皇が即位する。
*587/ 用明天皇が没し、崇峻天皇が即位する。
*587/ 蘇我馬子が穴穂部皇子を殺害し、さらに物部守屋を滅ぼす。
*592.12.8/ 蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇に代わって、推古天皇が即位する。
*593.4.10/ 聖徳太子(厩戸皇子)が国政に参画する。
 585年、「敏達天皇」崩御を受け「用明天皇」が即位する。蘇我稲目の孫でもある用明天皇は崇仏派であり仏法を重んじたが、在位2年足らずの587年に、用明天皇は崩御した。後継問題で、大連の物部守屋は「穴穂部皇子」を即位させようとはかるが、蘇我馬子は穴穂部皇子を殺害し、さらに物部守屋をも射ころさせ、物部氏を滅亡に追い込む(丁未の乱)。
 蘇我馬子によって「崇峻天皇」が即位するが、実権を馬子が握られている不満から反発しだすと、馬子は計略で暗殺してしまった。その馬子に請われて、先々代敏達天皇の皇后であった額田部皇女が、592年、史上初の女帝として即位、「推古天皇」(39歳)となる。
 593年、用明天皇の子で甥の厩戸皇子(聖徳太子)を、皇太子として国政を補佐させる。推古天皇は、皇太子厩戸皇子と大臣蘇我馬子の勢力の均衡を保ち、馬子が葛城県の支配権を望んだ時も、毅然とこの要求を拒絶したという。
 推古女帝のもと、聖徳太子は蘇我馬子と協調して、冠位十二階(603年)・十七条憲法(604年)を次々に制定し、法令や組織の整備を進めた。また607年には、小野妹子を隋に派遣(遣隋使)し、中国皇帝に日本の独立性を示した。
 594年推古天皇は、三宝(仏・法・僧)を敬うべしという詔勅(三宝興隆の詔)を示し、太子や馬子と共に仏法興隆に努め、斑鳩に法隆寺を建立させるなど仏教を奨励した。620年、聖徳太子と馬子は「天皇記」「国記」を編纂して、国の歴史を記した。
 622年に太子が49歳で薨去し、更に4年後の626年、蘇我馬子も亡くなる。そして628年、推古天皇は75歳で崩御した。推古天皇は継嗣を定めていなかったため、馬子の後を受けた蘇我蝦夷は、後継候補の田村皇子と山背大兄王から、田村皇子を擁立して「舒明天皇」とした。
 こうして政治の実権は、蘇我蝦夷・入鹿父子に握られ、入鹿は聖徳太子の子「山背大兄王」を攻めほろぼしてしまう。これを皇統政治の危機と見た中大兄皇子や中臣鎌足は、入鹿を殺し「大化の改新」を開始する。ここに飛鳥のヤマト政権は、大きな転換期をむかえることになる。
(この時期の出来事)
*598/ 蘇我馬子が飛鳥寺(法興寺)を発願して建立をはじめ、593年塔の心礎に仏舎利を納める。
*593/ 難波に四天王寺が建立される。
*594/ 三宝興隆の詔が出され、諸氏が競って寺を建立する。

聖徳太子1400年御聖忌 四天王寺で大法会始まる 半年にわたり遺徳偲ぶ

2021-10-20
聖霊院虎ノ門をくぐり太子前殿に向かう加藤管長(中央)
2021年10月20日 13時20分
日本仏法最初の官寺として聖徳太子が創建した和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で18日、聖徳太子1400年御聖忌慶讃大法会が始まり、同日午前に開闢奉告法要が厳修された。
22日に経供養、来年4月22日に結願の聖霊会を執り行うほか、22の教宗派が慶讃法要を営み、半年にわたり太子の遺徳を偲ぶ。(詳細は2021年10月20日号をご覧ください。中外日報購読申し込み

同志社からのプレゼンです!!

2021-10-06

【特別講演会のご案内】

2021-10-06
Facebook 同志社大学 宮廷文化研究センターさん曰く
宮廷文化研究センターは文化遺産情報科学調査研究センターと共催で、聖徳太子千四百年御聖忌を記念して、ZOOMによるオンライン特別講演会を開催致します。
11月26日(金)の14時から「聖徳太子信仰と京都-宮廷と真言律宗の視点からの再検討-」と題して、瀨谷貴之氏(神奈川県立金沢文庫・主任学芸員)と藤本貫大氏(真宗大谷派善重寺第27代住職)にお話頂きます。

有名人として・・・。

2021-07-13

大谷祖廟って?

大谷祖廟とは

2021-04-10
真宗門徒である私たちが、宗祖として仰ぐ親鸞聖人の墓所、それが大谷祖廟です。
親鸞聖人が亡くなられて10年後、末娘の覚信尼公が廟堂を建立して、聖人の御影像を安置したのが本願寺のはじまりです。

Facebook 大谷祖廟の儀礼と仏事

2021-09-26
管理人は、当代住職です。

今年も、2日間勤められ、27日は14:00から逮夜法要が、

2021-09-30
Facebook 真宗大谷派(東本願寺)さん曰く、引き続き御俗姓、御伝鈔拝読がありました。
28日は8:15から晨朝法要、10:30から日中法要、引き続き、四衢 亮氏(岐阜高山教区不遠寺住職)による「立教開宗―真宗に遇う」と題した法話がありました。

27日の法要には大谷裕新門が出仕されました。

2021-09-30
Facebook 真宗大谷派(東本願寺)さん曰く
28日は、法要後、出仕をされた大谷暢裕門首、大谷暢顕前門が御廟へも参拝されました。

【大谷祖廟で報恩講が厳修されました】

2021-09-30
Facebook 真宗大谷派(東本願寺)さん曰く
秋の爽やかな気候の中、9月27日・28日、大谷祖廟で報恩講が厳修されました
報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日の11月28日を機縁として勤められる、浄土真宗で最も大切な法要で、真宗門徒にとって、報恩講は新たな1年の始まりとして勤められています
真宗本廟(東本願寺)では、毎年11月21日~28日まで勤められますが、親鸞聖人のお墓所である大谷祖廟でも、毎年9月27・28日勤められています。

全国の別院・教務所では、今・・・。

『別院探訪』

2021-09-15

A5判 244頁
木場明志 監修 川村赳夫 写真
978-4-8341-0449-3
3,080円(税込) 

2000年7月号から2004年12月号まで真宗大谷派機関誌『真宗』で連載された表紙企画を再編集し、単行本化。全国に存在する別院の「これまで」を文字として、「いま」を写真として伝える一冊。地域の教化の中心道場たる別院の設立と変遷の歴史、地域の御同朋の信仰の歩みを記録するとともに、別院参拝時に活用できるようアクセスマップや年中行事等も掲載。
全国の真宗大谷派の別院について、その歴史や沿革を一つの書籍としてまとめたものはこれまで『本願寺誌要』(明治44年4月発行 大谷派本願寺誌要編輯局)しかなく、別院に関する貴重な歴史的資料ともなる書籍。

Facebook 大谷派別院の儀礼と仏事

2021-09-26
管理人は、当山住職です。
Facebook 真宗大谷派教務所のページ

吉崎御坊開創550年 蓮如像前で法要 東西合同でお待ち受け

2021-09-30
2021年9月30日 09時23分
2021年9月30日 09時23分
浄土真宗中興の祖・蓮如上人(1415~99)が北陸地方での布教拠点として1471年に吉崎御坊(福井県あわら市)を建立してから今年で550年。本願寺派と大谷派の若手僧侶らは記念法要実行委員会を結成して記念法要を企画した。新型コロナウイルスの感染拡大で来年に延期せざるを得なくなったが、19日に御坊跡地の吉崎山上(東西両派共有地)で東西合同のお待ち受け法要を修行した。

親鸞聖人の生涯

2021-01-25
Hp九州教区「よみもの」より

なるほど仏事

2021-01-25
Hp九州教区「よみもの」より

作法について

葬儀の『木花』(凶事用の仏花)を立てる

2021-01-21
中尊前
祖師前
御代前
南余間
お内仏

葬儀の『木花』(凶事用の仏花)を立てる

2021-01-21
Facebook土田龍樹さんより



「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。」『安楽集』
最近、世代的なことですが、周囲の皆さんの親が西帰することが多く、毎年のように葬儀の『木花』(凶事用の仏花)を立てるご縁があります。誰かが引き受けなければ葬儀が勤まらない…たまたま自分にその役割が  巡って来る度に、いずれは自分も誰かに『木花』 立ててもらわなくては自分の葬儀がたち行かなくなる…そう思うと、次世代に教えながら木花を立てることの大切さを思い知ります。何せ急なことなので、縁のある人が集まって一気に立て上げなければならない…しかも、今入手できる限られた材料を駆使しての立て上げ。幸いと言っていいかどうかはわかりませんが、昨年来次世代が木花に携わることが多く、良い経験を積ませていただいています。やはりこれも仏祖そして故人の御冥祐御催促と受け止め、ありがたく思いながら、只今木花の下拵えさせていただいています。
 さて、もう一頑張り
 ナンマンダブ

報恩講の仏供

2020-12-01
祖師前の大仏供
この大きさで。6合のお米を使います。

焼香は金香炉で行います。

2020-12-01
金香炉と香盤
七角香盤
報恩講のお荘厳

報恩講の立花

2020-12-01
お内仏の場合
納骨堂の場合

真宗大谷派の衣体(ころも)等について

衣体標準色相見本です。

2021-10-22
Facebook 吉田法衣店さん曰く

大谷派の法衣装束調査 千總文化研究所所長 加藤結理子氏

2021-10-14

葉萌黄八葉牡丹紋五袈裟について

2021-09-19
正銀色地葉萌黄八葉牡丹紋五袈裟(准上座一等以上) 、左の方のそれです。
紫地葉萌黄八葉牡丹紋五袈裟(准上座四等以上)、右の方のそれです。

【2021年交流ギャラリー「糸を紡ぎ 色を織りなす」】

2021-07-09
このたびの展示にあたっては、真宗大谷派大谷婦人会の聞法誌『花すみれ』(2015年5月~2016年3月号)に連載された「のりのころも」をもとに作成し、執筆者の柴田法衣店社長:柴田正次郎氏に協力・監修いただいております。
寺院・僧侶にとって、法衣や織物は儀式を行う上で欠かせないものです。
今回の展示では法衣の歴史をたどるとともに、糸や織の技術を今日まで受け継いでくださった職人の匠の技を感じていただき、ともに学びたいと考えております。
会場では、解説パネルとともに、実際に使用している糸や織物、法衣、打敷(荘厳に使用する織物)、打敷の下絵(墨、カラー)なども展示しています。
是非、ご来館ください。

「糸を紡ぎ 色を織りなす展」

2021-07-09
【しんらん交流館交流ギャラリー企画展】
「糸を紡ぎ 色を織りなすー職人の技と伝承ー」の取材で、株式会社 京都錦襴さんに御協力いただきました。
【しんらん交流館交流ギャラリー企画展】
 2021年7月7日(水)より公開予定の「糸を紡ぎ 色を織りなすー職人の技と伝承ー」の取材で、株式会社 京都錦襴さんに御協力いただきました。
 動画はジャカード織機で打敷を織っている様子になります。
 今回の展示では、法衣と法衣に関わる職人にクローズアップし、その技を紹介します。
 〈展示概要〉
 ●期 間 2021年7月7日(水)から8月23日(月)
      ※観覧時間は平日9時から18月まで、土日祝は17時まで
 ●会 場 しんらん交流館1階交流ギャラリー
 ●内 容 法衣の歴史のパネル展示、染色された絹や織られた裂地などの展示
 ●監 修 株式会社 柴田法衣店 代表取締役社長 柴田正次郎氏
 ●協 力 京法衣事業協同組合

【しんらん交流館交流ギャラリー企画展】
「糸を紡ぎ 色を織りなす―職人の技と伝承―」
記2021年1月10日(日)から2月15日(月)まで開催の「糸を紡ぎ 色を織りなす展」の第2弾として、法衣と法衣に関わる職人にクローズアップし、その技を紹介します。
〈展示概要〉 
●期 間 2021年7月7日(水)から8月23日(月)
        ※観覧時間は平日9時から18時まで、土日祝は17時まで
休館日は毎週火曜日及び8月13日(金)から8月16日(月)
●会 場 しんらん交流館1階交流ギャラリー
●内 容 法衣の歴史のパネル展示、染色された絹や織られた裂地などの展示
●監 修 柴田法衣店代表取締役社長 柴田正次郎氏
●協 力 京法衣事業協同組合

大谷派のお荘厳について

ギャラリー展「東本願寺の打敷」

2021-07-07

「持蓮華」と言います。

2021-10-09
Facebook 松井 聰さん曰く
「持蓮華」と言います。
法要で登高座するときは、金属の柄香炉を置きますが、晨朝など登高座が無い時はこの持蓮華を脇机に置いておきます。
2021-07-07

4月27日から6月14日まで、真宗本廟(東本願寺)参拝接待所ギャラリーにおいて、「東本願寺の打敷(うちしき)」展を開催しています。
 今回は、普段は近くで見ることのできない打敷の写真と実物を展示しています。
 特に、地下1階の展示ケース内には近年ご門徒の方々よりご寄進いただいた打敷を展示し、とても迫力のある内容となっています。
 今回の展示を企画した本廟部担当者は、「御影堂や阿弥陀堂で見る打敷は内陣で使用されているため、近くで見ることがありません。本山で使用される打敷の中には、1つの刺しゅうに3年余りかかり、全体の完成にはもっと多くの時間を要すると聞いています。今回、近くで見ていただくことで、大きさもさることながら、刺しゅうや細工の細かさをぜひご覧いただきたいです。そして、また様々な機会に真宗本廟に足を運んでいただく際に、打敷をはじめとする荘厳にも注目いただければと思います。」と語りました。
 ぜひ、一度足をお運びください。

「東本願寺の打敷」
○ 会  場 東本願寺参拝接待所ギャラリー1F・B1F
○ 開催期間 2016年4月27(水)から6月14日(火)まで
○ 時  間 9時から16時まで
○ 観覧無料
○ お問合先 東本願寺 参拝接待所(京都市下京区烏丸七条上る)
  Tel:075-371-9210

石山合戦配陣図

2021-04-04
和歌山県立博物館

和歌山市
昭和17年/1942年
一幅
和歌山市湊本町3丁目2番地
和歌山市立博物館

石山合戦における本願寺と織田信長との軍勢の配置図。大阪定専坊所蔵の合戦図を昭和17年に写したもの。
画面には「鈴木孫市」など紀州勢の名称も見える。


錦絵 石山本願寺合戦

2021-04-04
和歌山県立博物館
和歌山市
明治16年/1883年
大判三枚続
和歌山市湊本町3丁目2番地
和歌山市立博物館

織田信長と大坂本願寺が戦った石山合戦を描いた錦絵。
合戦は元亀元年(1570)から天正8年(1580)まで続き、紀州の雑賀衆も参戦した。
画面には「鈴木孫一」など紀州勢の名称も見える。
太閤記 石山大合戦之図
楊洲周延 (1838~1912)
ようしゅうちかのぶ
和歌山市
明治時代
大判三枚続
和歌山市湊本町3-2
和歌山市立博物館

織田信長と大坂本願寺が戦った石山合戦を描いた錦絵。合戦は元亀元年(1570)から天正8年(1580)まで続き、紀州の雑賀衆も参戦した。

日常生活で出来ること

立体感のある仏花の立て方【坊守さん方の仏花学習会からコツをご紹介(岡崎別院)】

2021-09-26

報恩講の立花

2021-10-19
Facebook ちいちの華さん曰く
【自坊心願寺報恩講の仏華②/5】
祖師前。
今回中尊以外はちいちのメンバーに手伝って貰いました。
松の真、赤目柳の見越し、蘇鉄の副え、石化柳の請け、胴に大納言その他色花、控えに松、流枝に伊吹、前置きにキャラ。(桑田作/松井文)

お盆のお荘厳です。

2021-06-27
切子灯籠、スタンド仕様です。
本堂仕様は、こちらです。

「寺と家族と“私” 800年を繋(つな)ぐ」

2021-06-27

京都市下京区にある浄土真宗の寺、宝蓮寺。一歩足を踏み入れると、そこは多言語が飛び交い、さまざまな文化的背景を持つ人たちが集うにぎやかな空間だ。日本の多くの寺が檀家減少や後継者不足に直面する中、宝蓮寺では今後のお寺のあり方について、家族の間で活発な議論が繰り返されていた。未来を託されたのは、長男で次期住職の師恩(30歳)。婚約者の晴香と長女の阿梨耶らとともに、寺に新風を吹き込もうと模索する日々を追う

真宗大谷派お焼香作法

2021-05-29
真宗大谷派東本願寺【公式】より

真宗大谷派の動きについて

宗務総長に木越渉氏 行財政改革、内局案具現化に意欲 真宗大谷派

2021-10-20
記者会見で改革のキーワードを「シンプルだが効果的に」と語る木越氏
2021年10月20日 13時20分 「キーワードは『simple but effective』(シンプルだが効果的に)

真宗大谷派は14、15日の宗会臨時会で新宗務総長に石川県かほく市・光專寺住職の木越渉氏(64)を選出した。

木越氏は15日夕の記者会見で、但馬前総長の遺志を継いで内局案を実施計画に仕上げることが自身の役目と語り、改革の内容について「キーワードは『simple but effective』(シンプルだが効果的に)。シンプルでないと公平性や透明性は生まれないと思う。そういう改革をスピード感を持って目指したい」と説明した。(詳細は2021年10月20日号をご覧ください。中外日報購読申し込み

宗務総長に木越渉氏 真宗大谷派

2021-10-15
宗務総長に就任する木越渉氏
京都新聞 2021年10月15日 17:23

真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の事務トップとなる宗務総長に15日、元参務の木越渉氏(64)が就任した。

 木越氏は大谷大院修了。自坊は石川県かほく市の光専寺。2006年から宗議会議員を務め、現在5期目。閣僚に当たる参務も2012~17年に3度務めた。

 15日に宗会が開かれ、僧侶で構成する宗議会と、門徒で組織する参議会で投票を行った。両議会で木越氏が指名され、大谷暢裕門首が認証した。宗会では9月23日に急逝した但馬弘・前宗務総長の追悼演説も行われた。

 木越氏は会見で、行財政改革など但馬前内局の方針を引き継ぐ考えを示し「みんなの声を大切に聞き、まとめ、仕事をする内局を編成したい。シンプルだけど効果的な改革を進めていきたい」と抱負を語った。

真宗大谷派真宗興法議員団 新代表に木越渉氏選出

2021-09-30
2021年9月30日 10時23分

真宗大谷派宗議会の与党会派・真宗興法議員団は29日の代表選挙で新代表に木越渉議員(64)を選出した。同議員は10月中旬招集の宗会臨時会で宗務総長に指名される見通しだ。

木越氏は議員歴5期。里雄前内局と但馬内局で計5年間参務を務め、現在は興法議員団の政策調査会会長として会派内の政策議論の取りまとめに当たっている。自坊は石川県かほく市の光專寺。

今でこそホームページを開設されるご住職は珍しくありませんが、

2021-09-24
Facebook 柳衛 悠平さん曰く、ごく早い時期に手掛けられたお一人が但馬さんでありました。
今でこそホームページを開設されるご住職は珍しくありませんが、ごく早い時期に手掛けられたお一人が但馬さんでありました。
趣味の写真のことなど含めて、色々とお話を伺う機会もあればと思っておりましたが、残念です。
南無阿弥陀仏

石川)愚者の気付きで尊びを 真宗大谷派宗務総長に聞く

2021-09-25

真宗大谷派(本山・東本願寺京都市下京区)の宗務総長に昨年12月、小松市月津町の興宗寺(こうしゅうじ)住職、但馬弘さん(57)が就任した。全国に8700近くの宗教法人を抱える宗派の実務トップは、今の世の中をどう見るのか。

但馬宗務総長の指名挨拶(宗会・臨時会)


2016年12月の臨時会(宗会)にて、但馬弘議員が宗務総長に指名されました。
臨時会において、新宗務総長の挨拶がありました。

宗務総長指名挨拶(宗会)2016/12/16


 この度、宗務総長の指名をいただきました但馬でございます。
 宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌の特別記念事業として、足かけ13年の歳月に及びました真宗本廟両堂等御修復事業が、全国の門徒同朋の深きご懇念によりまして恙なく円成したことを受け、「これを節目として、2023年にお迎えする宗祖親鸞聖人御誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年慶讃法要に向けて、人心を一新して宗門の新たな展望を開くべき」との里雄宗務総長の固いご意志を継承し、この度、宗務総長の任に就かせていただくこととなりました。正直に申しまして、今はただ、たまわった役目の重責に身の震える思いであります。
 さて、現代という、人が真に人として生きることがますます困難となる時代に存在する真宗大谷派なる我が宗門の現況は、様々な面において危急存亡の色を深めているように思えてなりません。急速に進行する寺離れ、宗教離れという現象は、単に一般市民社会のみならず、宗門にご縁を結んでいる門徒同朋にも顕著に表れ、我が宗門の教勢は下降線を辿っていると言わざるを得ません。
 しかし、このような危機的状況は、けっして外的な要因に依ってのみもたらされたものではありません。果たして私たち宗門人は、門徒同朋の心の奥深くに秘められた宗教に対する根源的な欲求、お寺に託された切実な願いに真向かうことをして来たのでしょうか。私たち宗門人すべてが、現在の危機的状況を自らの課題として受け止めることなくしては、今の世に「真宗ここにあり」との宗門のあるべき姿を回復することはけっしてあり得ないと思うのであります。
 私どもは里雄内局の発足以来、里雄宗務総長が掲げられた「一人の人、一つの寺を大切にする宗門」という精神を基底として、「人の誕生と場の創造」を図るべく歩みを進めてまいりました。
 人の誕生とは申すまでもなく、本願念仏の信に死して、如来の願心にもよおされて生きんとする一人の誕生であります。「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なき」一人の誕生であります。そしてその一人の誕生は、報恩としての自信教人信の誠を尽くさんと生きる一人の誕生であります。
 如来の願心にもよおされて生きんとする人の生き方に触れる時、不可思議にも私どももまた本願念仏の一道に立たんというご縁をいただくのでありましょう。
 「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す」と『教行信証』の末尾を締めくくられた宗祖聖人の立教開宗のご精神は、本願念仏の信に立たんとする人の共同体、すなわち念仏の僧伽を希求するご精神であり、それこそが真宗大谷派なる精神であると受け止めるものであります
 混迷を深める現代という社会に存在し、危急存亡の秋を迎えつつある宗門であるからこそ、あらためて「一人の人、一つの寺を大切にする宗門」、すなわち念仏の僧伽の再興が私たちに求められているのであります
 私はあらゆる施策が、この念仏の僧伽の再興に繋がる施策として実施されるよう宗務に取り組んでまいりたいと思います。そして、宗門にご縁を結んでくださるお一人お一人がみな、念仏の僧伽たる宗門のために何ができるかをお考えいただき、それぞれの場でその歩みに参画いただくことを心より念願するものであります。
 もとより浅学非才の身でございますが、これまで宗門各位よりたまわってまいりましたお育ての一端にもお応えする覚悟で宗務に取り組んでまいりたいと思い定めております。この上は、議員各位におかれましても、宗門の危機的状況についての認識と僧伽再興への願いを共有していただきますとともに、これまで以上のご指導・ご鞭撻をお願い申し上げ、就任に当たってのご挨拶といたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2016年12月19日月曜日

新内局が発足いたしました。


第63回宗議会(臨時会)、第62回参議会(臨時会)において宗務総長の指名を受けた但馬弘氏が、12月19日、門首の認証を受け、正式に宗務総長に就任しました。
また、同日付で5名の参務が任命され新内局が発足しました。

新内局は以下のとおりです。



宗務総長  但馬 弘(たじま ひろし)
【大聖寺教区 第1組 興宗寺寺住職/宗議会議員】
参  務  林  治(はやし おさむ)
【大阪教区 第19組 玅善寺住職/宗議会議員】
参  務  木越  渉(きごし わたる)
【金沢教区 第11組 光專寺住職/宗議会議員】
参  務  望月 慶子(もちづき けいこ)
【山陽教区 第6組 浄泉寺衆徒/宗議会議員】
参  務  八島 昭雄(やしま あきお)
【北海道教区 第4組 徳生寺住職/宗議会議員】
参  務  藤井 宣行(ふじい のぶゆき)
【岡崎教区 第4組 淨圓寺住職/宗議会議員】

京都、今昔物語

【今昔物語、時は半世紀前、1969年9月】

2021-08-18
大谷大学にも、嵐が・・・。

【学生の街 京都】

2021-05-20
京都には学生が多いと言われています。 これを大学生について統計からみていきましょう。
学校基本調査によると、令和2年5月1日現在 の京都府の大学の数は 34校です。大学数だけみると、全国7位ですが、人口 10 万人当た りの大学の数は
京都府は 1.22 校で全国1位となっています。 (表1)
学生の数は学校基本調査によると京都府の学生・院生 は 162,601人です。総人口に対する割合でも、京都府は 6.4%とな 
り、全国1位となっています。 (表2)
出典 令和2年学校基本調査(文部科学省) 人口推計(総務省) 
データで見ても、京都の学生さんの数は多いということがわかります。
道を歩いていて、50人に3人が学生だということになります。とはいえ、京都では観光客の方が多いですが。
この京都で一番古い大学はどこかご存知でしょうか?
この場合、旧制大学になった年、学校として創立した年という見極め方がありますが、ここでは、学校として創立した年で見ていきたいと思います。
種智院大学です。京都でと いうよりも、日本で一番古い創立の大学と言っていいと思います。大学としては、昭和24年(1949年)に新制大学としてスタートしていますが、その創立は天長 5年 (828)、弘法大師 空海 が綜藝種智院として 創設しました。
その他、龍谷大学も1639年 京都西本願寺境内に学寮として創立しています。
大谷大学も1665年の創立です。
これらの大学は最初は仏教の学問所としての創立でした。
今日は1900年に 京都法政学校(現 立命館大学)が設立された日です。
立命館大学の創立年は、実は二つあります。
これは、1869年、 西園寺公望が私塾立命館を創設しました。しかし、京都府庁の差留命令により1年弱で閉鎖されました。西園寺の秘書官であった中川小十郎が西園寺の意志を継ぎ、1900年に向学心を持つ勤労青年のために勉学の機会を与えるとともに、京都帝国大学教員の経済支援を兼ねた夜間学校として京都法政学校を設立。京都市上京区東三本木丸太町にあった料亭「清輝楼」(「吉田屋」の近隣にあった)を仮の校舎としました。
他方、1889年に、京都法学校(きょうとほうがっこう)が、京都市下京区寺町通四条下ル大雲院内に設立されました。その後入学希望者の増加に対応しきれなくなり、京都法政学校に事実上引き継がれることになりました。
現在の立命館大学では、京都法政学校が設立された1900年を創立と、私塾立命館が開設された1869年を立命館の創始としています。
○「立命館」の由来
『孟子』盡心章句(じんしんしょうく)にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である)から採られました。
現在の立命館大学は、衣笠、朱雀、滋賀県の草津、大阪の茨木、サテライトとして東京と大阪梅田にキャンパスがあります。今回知らなかったことが、大学の本部が朱雀だったことです。てっきり、衣笠だと思い込んでいました。
【広小路キャンパス】
立命館大学は衣笠キャンパスがほとんどと思われる方が多いと思います。広小路キャンパスがあったことをご存知の方は、少なくなったかもしれません。
私が中学生の頃には、まだ広小路キャンパスもあって、一部衣笠キャンパスに移っていました。
私にとっては、この広小路キャンパスは、『二十歳の原点』高野悦子著でのイメージでした。学生運動華やかりし頃の広小路キャンパス。かなり後に、『二十歳の原点』で描かれた場所を歩いたことがありましたが、喫茶店の「しあんくれーる」もなくなっていました。そして、彼女がアルバイトをしていた京都国際ホテルも数年前に廃業されています。
いま、この広小路キャンパスの跡を辿ろうと思っても、残っているのは記念碑だけです。現在は、京都府立医科大学の図書館や京都府立文化芸術会館になっています。
【衣笠キャンパスへ】
1965年(昭和40年)から広小路キャンパスからの移転が始まり、1981年(昭和56年)に完全に移転が完了しました。
この衣笠キャンパスは、大清国第12代にして最後の皇帝愛新覚羅溥儀の寄付により作られたものです。
この衣笠キャンパスはきぬかけの道沿いにあり、バス停の向かいには堂本印象美術館、金閣寺、龍安寺、キャンパスの南には等持院もあります。そういえば、2020年3月に嵐電北野線の「等持院」を「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に変更になりました。そのため、この駅名が日本一長い駅名となりました。
きぬかけの道周辺にいらっしゃったら、立命館大学のキャンパスをご覧になってみてください。

郷土史散策【05.東西の高低差と京都の街】

2021-09-23
Facebook 佐々木信雄さん曰く
郷土史散策【05.東西の高低差と京都の街】
 地図上の赤線、つまり京見峠から杉坂口、鷹峯から舟岡山を経由し、そこから千本通りを南下するところに一本の稜線があると考える。そしてそれはまさに、平安京の朱雀大路に重なる。つまりその部分が高くて、左側の右京は桂川水系、右側の左京は賀茂川水系とする。
 千束坂の下、鏡石通りに沿って金閣寺、衣笠方面に流れる紙屋川は天神川となって桂川に流れ込むのに、千束坂の上から逆側の釈迦谷、尺八池から流れ出る川が堀川や賀茂川側に流れ込む。古地図を眺めていて、この不思議に気付いたのが、朱雀大路稜線説である。
 右京の桂川流域は比較的ゆるやかな傾斜で、池、沼など湿地帯になりやすく、平安京の早期から右京部分が寂れたと考えられる。左京は賀茂川中心に勾配があって水はけが良いので栄えた。こういう理論が考えられる。京都の南北の高低差はよく言われるが、京の街の形成に大きな影響を及ぼしたと考えられる、東西の傾斜関係にはあまり注目されていないのでは。
 二枚目は明治22年の地図だが、このころまで、千本通りから西の右京がすっぽり田畑になってしまっていたことがうかがえる。これからも、右京一帯が低湿地化して廃れていたのが分かる。秀吉が紙屋川東側に御土居を築いたのも、それより西の旧右京を洛外とみなしたからであろう。

郷土史散策【04.平安京と洛中洛外】

2021-09-22
Facebook 佐々木信雄さん曰く
郷土史散策【04.平安京と洛中洛外】
≪図1≫
 西暦794年に都とされた「平安京」は、南北5.2km、東西4.5kmの長方形に区画された都城であった。北は一条通から南の九条通、東は東京極大路から西の西京極大路で区切られ、京内は東西南北に走る大路・小路によって碁盤の目のように条坊に分けられた。
 東西の中央部北端に内裏が設けられ、真南に向けて朱雀大路が通された。朱雀大路で分けられた東半分は「左京(東の京)」、西半分が「右京(西の京)」と呼ばれた(内裏から南方向を見ての左右だから、地図上では逆になる)。
≪図2≫
 平安京は、隋・唐の長安城に倣って造営されたが、右京は桂川流域の低湿地帯が多くをしめ、早くから廃れたという。鎌倉時代の文献には、左京を漢帝国の都「洛陽」に擬え、右京を隋・唐の都「長安」と呼んだと記されている。
 右京が廃れたことから、左京が実質的な市街地として残り、市内のことを洛陽の「洛中(らくちゅう)」と呼ぶようになった。その外側は辺土であり、後には「洛外(らくがい)」と呼ばれたとされる。
 したがって、京以外の土地から、天皇の住まう京の都に向うことは「上洛」と呼ばれた。たとえ江戸時代においても、将軍が江戸から京に行く場合は「上洛」と言ったのである。
 豊臣秀吉の時代には、すでに左京が実質的な京の町となっており、秀吉が「御土居」で囲った地域は、ほぼ左京に重なる。ゆえに「洛中」という言葉が、名実ともに京都の市街地を指すことになった。
≪図3≫
 御土居の周囲には、京から各地に向かう街道への出入口があり、「京の七口」などと呼ばれる。最も有名なのが東海道の出口で、三条大橋から東に蹴上(けあげ)方面に向かうあたりの「粟田口」。北方面には、丹波から山陰に向かう「長坂口」、鞍馬街道への「鞍馬口」、大原から鯖街道などを経て若狭・北陸方面に向かう「大原口」。
 南には、かつて羅城門があり平安京の南の出口であった「東寺口」があり、今は大阪へ向かう国道一号線の出口になっている。ほかにも、鳥羽伏見の戦いでせめぎ合いとなった「鳥羽口」「伏見口」「竹田口」、今も地名として残っている「荒神口」「丹波口」など、実際には七つを超える。
 江戸時代半ばごろから、京の町は鴨川を越えて東に発展し、やがて東山にせき止められる。明治になるとやっと、東には広がれないので、かつて寂れた右京方面に向った。それまでは、京の町は東へ東へと移動していった。たとえば、今の京都の中心街には、寺町通りや新京極通りという南北に走る商店街がある。新京極自体は明治の初めに京都振興のために作られたものであるが、その名前は京の極まり、すなわち京の端を意味し、かつての平安京の東の端を区画する「東京極大路」の通っていたあたりなのである。
 一方、「西京極大路」は、JR花園駅と阪急西京極駅を南北に結ぶあたりにあった。西京極は、野球場や総合球技場などが集まった京都市のスポーツ公園となっている。つまり、かつてはそれだけのスペースのあった僻地だったということを示す。
≪図4≫
 京の町が東へ移動していったように、京都人は歳を経るにしたがって東へ移ってゆくという笑話がある。私たちは、中学高校生のとき、繁華街に出る時には「寺町・新京極」より東へ行くなと言われたものだ。京都に来た修学旅行生にも、そのような指示があるともいう。そのせいで新京極商店街は、修学旅行生向けのちゃちな土産物を売る店ばかりが増えて、京都人があまり行かなくなった時期もあったようだ。
 京都の街は、東へ向かうに従って「大人の街」になってゆく。中高生はこの辺りで、遊んでいろと言うことで、それ以上の若者は、京都のメインストリート「河原町通り」でショッピングやファッション・外食を楽しむ。そして二十歳を過ぎて成人すると、「木屋町通り」辺りを徘徊して、グループコンパなどアルコールを含む飲食で楽しむ。
 年配となってゆとりができると、鴨川を越えて「祇園町」方面に向かう。この辺り一帯には、高級クラブやスナックなどの高級飲食店がびっしりと並び、もちろん芸妓・舞妓はんにお出ましいただいて「お茶屋遊び」もできるわけだ。そしていよいよ寿命ががきわまりあの世に逝くことになると、「東山」の寺院の墓地の世話になるのである(笑)
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