本文へ移動

【大谷派】作法と荘厳

真宗本廟の仏事

真宗大谷派(東本願寺)

2021-08-18
このたび、ホームページリニューアルに伴い、これまでホームページで掲載していた「写真日記」を、東本願寺公式Facebookアカウントにて更新していきます。

2021.08.17

このたび、ホームページリニューアルに伴い、これまでホームページで掲載していた「写真日記」を、東本願寺公式Facebookアカウントにて更新していきます。

 

真宗本廟(東本願寺)で行われた法要・行事の写真日記を中心に、さまざまな情報を発信していきますので、ぜひチェックしてみてください。フォローもよろしくお願いいたします!

今後も、ホームページを中心に、各種SNSにて情報をお伝えしますので、ぜひご覧ください。

 

Facebookアカウント⇒https://www.facebook.com/shinshuotaniha.higashihonganji

真宗大谷派の本山、真宗本廟(東本願寺)の公式アカウントです東本願寺で行われる、法要・行事の様子を中心にお伝えします

運用は、公式HPの「SNS公式アカウント運用ポリシー」に準じます。

御本尊還座式記念講演(2016年3月31日 池田勇諦氏)

2021-04-19
https://youtu.be/1E7iLqQA_RQ

御本尊還座式記念講演では、池田勇諦氏(真宗大谷派講師・同朋大学名誉教授)に「御本尊・阿弥陀仏は音聲仏」の講題でお話いただきまし­た。

 【御本尊還座式】
 2016年3月31日、真宗本廟の阿弥陀堂の御修復にともない、2011年より仮阿弥陀堂(御影堂九字之間)に安置されていた御本尊・阿弥陀如来が阿弥陀堂に還座する「御本尊還座式(ごほんぞんげんざしき)が執り行われました。

経典の中の差別語問題 真宗大谷派が謝罪 書き換えられない文言、問われる解決のかたち

2021-09-19
東本願寺の境内(京都市下京区)
2021年9月18日 19:20

真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の僧侶、門徒でつくる議決機関・宗会が、約100年前から差別語であると批判されてきた経典の文言「是旃陀羅(ぜせんだら)」について、改善を誓う決議を全会一致で行った。文言を解説する際、日本で差別を受けてきた人たちに例えてきた歴史についても謝罪した。だが釈迦(しゃか)の言葉である経典は書き換えられず、時代とともに人権意識が変わる中、難しい決断を迫られている。

 是旃陀羅は、仏教の経典の一つ「観無量寿経(観経)」にある一節。観無量寿経は浄土真宗などで重要な経典とされてきた。旃陀羅は古代インドの被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本の被差別身分に例えて説明されていたとみられる。1922年の全国水平社結成以来、差別を助長すると指摘され続け、40年には同社幹部から経典の語句訂正も含めた対応を求められた。

教団内でも「是旃陀羅」を差別語と認識して解説書で手厚く説明したり、学習会を重ねたりして対応してきた。だが経典の文言を変えるわけにはいかず、同派によると現在も年忌法要で「是旃陀羅」を含む観経が読経されることがあるという。

 一方で、2013年には部落解放同盟広島県連が改めて問題を提起。教団内でも2022年に水平社創立100年、23年に浄土真宗の立教開宗800年を控え、抜本的に解決すべきとの声が高まっていた。

 そこで僧侶でつくる宗議会と、門徒で構成する参議会(各65人)は今年6月に決議を提案し、それぞれ全会一致で可決した。

 決議文では「その言葉を耐えがたいと感じる人がいることに思いが至らず、読誦(どくじゅ)を繰り返してきた」と謝罪。「人間解放という人類共通の願いに向けた具体的な一歩を踏み出すべきである」とし、差別のない社会に向けて努力し続けることを誓った。

 ただ、決議について宗会議員の中には「長年の課題解決に向け、ようやくスタート地点につけた」との声がある半面、「具体的な解決策まで示しきれなかった」との指摘もある。

 一部の僧侶からは法要で「是旃陀羅」の文言を読まないことが解決策として提案されている。だが「経典を読み飛ばすことは、書き換えることと変わらない」、「ただ読まないだけでは問題を見えなくするだけで、根本的な解決とはいえない」との意見も根強く、解決に向けた道筋はまだ見えていない。

 執行部にあたる大谷派の内局は、決議を受けて「水平社100周年を迎える来年3月までに一定の見解を示したい」と説明。問題意識を共有するための冊子作りや全国25教区での意見集約を進めつつ、具体的な対応策の検討を進めているという。

▽「是旃陀羅」問題に取り組む部落解放同盟広島県連の岡田英治委員長の話

 初めて決議されたのは大きな前進で、過去をざんげしていることも評価したい。ただ、具体的な対応も決議してほしかった。最低でも不読にし、時間がかかっても教えと整合性がとれるように何らかの変更をするのが大事だと思う。経典には女性差別や障害者差別もある。同じ問題は他宗派にもあり、さらに考えてほしい。

彼岸の頃となりました。

2021-09-18
Facebook 真宗大谷派本廟部さん曰く

大谷大学博物館が企画展「畠中光享 東本願寺御休息所襖絵完成記念 釈尊への憧憬展」を開催

2021-09-15
- 希少な襖絵や掛軸を一般向けに初公開
大谷大学(所在:京都市北区)は6月8日(火)~7月31日(土)まで、大谷大学博物館にて2021年度夏季企画展「畠中光享 東本願寺御休息所襖絵完成記念 釈尊への憧憬展」を開催。日本画家・畠中光享氏が東本願寺に寄進した希少な襖絵や掛軸などを一般向けに初公開する。観覧無料、事前予約制。
 
 このたびの夏季企画展は、同大の卒業生でもある日本画家・畠中光享氏からの展覧会開催の申し出によって実現したもので、畠中氏が2019年12月に真宗大谷派(東本願寺)御休息所に寄進した襖絵および掛軸を一般向けに初めて公開。真宗大谷派(東本願寺)の門首や、門首を補佐する鍵役の使用される部屋でしか見ることのできない希少な絵画などを展示する。



大谷大学 2021年06月01日
門首控えの間に描かれた「霊鷲山西方浄土観想」「祇園精舎香堂趾寂静」は、正依の経典である仏説無量寿経(大経)・仏説観無量寿経(観経)・仏説阿弥陀経(小経)の『浄土三部経』の風景を描いたもの。また、鍵役の使用されるお部屋には、釈尊の降魔成道の姿を描いた掛軸「成道の刻」や「菩提樹」「蓮華」など釈尊ゆかりの植物が描かれ、釈尊が沐浴した「尼蓮禅河」に見立てた畳廊下にはブッダガヤや前正覚山の光景が表現されており、釈尊の御生涯と出あうことのできる作品といえる。

宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃のページ

真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会(2021年4月5日 10時~)

2021-04-05
記念法話 池田勇諦氏(真宗大谷派僧侶・同朋大学名誉教授)  講題「慶喜奉讃に起つ」
池田勇諦氏(真宗大谷派僧侶・同朋大学名誉教授)
真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会(2021年4月5日 10時~)
「慶喜奉讃に起つ」との講題のもと、池田勇諦氏(同朋大学名誉教授)による記念法話がありました。
池田氏は、来たる慶讃法要について、本廟創立の精神に立ち返り、本願念仏の僧伽(サンガ)の伝統に召される慶びとともに、背負う責任を確認する御法要であるという原点を確かめつつ、技術・文明の発展を享受しながら孤独や不安、様々な問題を露呈する現代にあっては、あらゆる存在が南無阿弥陀仏のいのちによってつながる根源的連帯に回帰することこそが課題であると、法要から私たちが願われる歩みを明らかにされました。


講演の中で、先生は、11月20日に行われた
門首継承式」での次の門首挨拶の言葉を引用されて、ここに、今回の慶讃法要の意、願いが、すでに明らかにされていると述べられました。
門首継承式 での門首挨拶】
700人の参拝者を前に大谷暢裕門首の挨拶がありました。門首は、はじめに20日に門首継承式を無事に終えたことを報告し、「本日の御正忌報恩講を新たなる出発点として、2023年にお迎えする慶讃法要、そして慶讃法要後の宗門の更なる興隆発展に向け、大谷暢顯前門の果たされた大切なお役目を引き継ぎ、世界中の人々に「南無阿弥陀仏」を届け、「四海の内みな兄弟とするなり」の同朋の輪の広がりに微力を尽くしてまいりたい」と述べました。

2023年に宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要をお迎えするにあたり開催される「真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会」をライブ配信します。

 【日程】
       開会/宗務総長挨拶/勤行/記念法話/門首挨拶/閉会 
      記念法話 池田勇諦氏(真宗大谷派僧侶・同朋大学名誉教授)      講題「慶喜奉讃に起つ」
  Messages /Saudações ⇒ https://bit.ly/31JX94x

親鸞聖人お誕生850年慶讃法要記念の薄海松(うすみる)色の袴です。

2021-06-26
柴田法衣店仕様/久留米市 本正寺様
平安法衣店仕様/当山
800と850との対比です。
850は紅色です。
800は茶木蘭色でした。

今年新たに制定された 『薄海松色ハ藤大紋切袴』

2021-09-14
Facebook 真宗大谷派 本正寺様曰く
『紅色地六葉八弁紋金白交入五条袈裟』
宗祖御誕生立教開宗慶讃記念懇志衣体の 『紅色地六葉八弁紋白五条袈裟』 並びに 『緞子地薄栗皮同色有文地陰散雲六葉八弁紋裳附』

誕生記念五条袈裟

2021-09-12
誕八(800年)
誕八五(850年)
2021-09-10
Facebook Masanori Honjoさん曰く
本日、教務所より今回の宗祖御誕生と立教開宗慶讃記念懇志の許可状と五条袈裟が届いたとの連絡が有り取りに行きました。
あと一つは、「薄栗皮色緞子同色有紋地陰散雲六葉八弁牡丹紋裳附」と言います。
模様が綺麗で薄栗皮色とのバランスが良いですね。
今回も先日尊い永代伺堂経を上げて頂きましたのでそれを懇志にまわさせてもらって、袈裟裏に寄進者の法名ネームを入れました。
本当に有り難い事です。
これから大切に相続させて頂きます。

全国の別院・教務所では、今・・・。

『別院探訪』

2021-09-15

A5判 244頁
木場明志 監修 川村赳夫 写真
978-4-8341-0449-3
3,080円(税込) 

2000年7月号から2004年12月号まで真宗大谷派機関誌『真宗』で連載された表紙企画を再編集し、単行本化。全国に存在する別院の「これまで」を文字として、「いま」を写真として伝える一冊。地域の教化の中心道場たる別院の設立と変遷の歴史、地域の御同朋の信仰の歩みを記録するとともに、別院参拝時に活用できるようアクセスマップや年中行事等も掲載。
全国の真宗大谷派の別院について、その歴史や沿革を一つの書籍としてまとめたものはこれまで『本願寺誌要』(明治44年4月発行 大谷派本願寺誌要編輯局)しかなく、別院に関する貴重な歴史的資料ともなる書籍。

「話題ドラマの仏事指導を担当して」近松 誉

2021-08-31

東西本願寺、初の合同法要  

2021-08-29
両派の僧侶で実行委 9月19日に「お待ち受け」御開創550年記念 福井・吉崎御坊跡地 
初の東西合同法要が営まれる吉崎御坊跡地(中央は高村光雲作の蓮如上人銅像)
中外日報 2021年8月27日 11時36分
浄土真宗中興の祖・蓮如上人(1415~99)が北陸での布教拠点とした吉崎御坊跡地の吉崎山上(福井県あわら市)で9月19日、御開創550年記念法要お待ち受け法要が本願寺派、大谷派の僧侶合同で営まれる。関ケ原の合戦後に本願寺が東西に分かれて以降、吉崎山上の所有を巡る両派の争いを経て山上は両派共有地となった。両派の僧侶有志から成る記念法要実行委員会によると、山上で両派の僧侶が出仕しての合同法要は初めてという。

<加賀一向一揆>

2021-08-02
Facebook 佐々木信雄さん曰く
【15th Century Chronicle 1481-1500年】
<加賀一向一揆>
 本願寺中興の祖と呼ばれる真宗大谷派第8代門首蓮如は、1471(文明3)年、比叡山延暦寺などの迫害を受けて京から逃れて、越前吉崎に吉崎御坊を設け、ここを北陸における布教拠点とした。文明6(1474)年から文明7(1475)年の間、蓮如は吉崎御坊(福井県あわら市)に滞在し、親鸞以来の血脈相承を根拠として、北陸の浄土系諸門を次々と統合していった。
 文明5(1473)年には、富樫政親の要請を受けて守護家の内紛に介入し、翌年には弟の富樫幸千代を倒した。しかし、政親は本願寺門徒の団結の強さに不安を感じ、逆に弾圧を始めた。蓮如は吉崎御坊を退去し、加賀の門徒は追われて越中に逃れた。
 ところが今度は越中の門徒宗が、政親と結んだ石黒光義を打ち破る越中一向一揆が起こり、元気づいた一向宗は加賀に集って国人層とも合流、長享2(1488)年、政親を高尾城に攻めて討ち取った(長享の一揆)。
 蓮如は消息を送って一揆を諌めるが、加賀の門徒宗は、宗主代理の一門衆(松岡寺住持蓮綱・光教寺住持蓮誓・本泉寺住持蓮悟)のもとで自治を始め、次第に国人層から本願寺門徒宗による支配に移行していった。
 その後、周辺諸国への進撃に失敗し、内部の動揺が広がったり、本願寺中央による抑圧があったり、勢力の弱まる時期もあったが、天文15(1546)年に尾山御坊(金沢御堂)が建設されると、それを拠点として北陸全体に一向一揆を拡大させたりした。
 さらに、朝倉義景・上杉謙信・織田信長など、本格的な戦国大名とも対立し、一時は一揆勢が上杉軍を各地で破るなど猛威を振るった。しかし謙信率いる上杉本隊により大敗を喫すると、さしもの一揆の勢いにも陰りが見え始める。
 天正8(1580)年、織田信長軍により石山本願寺が陥落、天正10(1582)年、加賀鳥越城の陥落により、100年近く続いた加賀一向一揆も終焉を迎える。
(この時期の出来事)
*1482.11.27/ 足利義政が古川公方足利成氏と和睦する。(都鄙の合体)
*1483.6.27/ 足利義政が創設した東山山荘の常御所(のちの慈照寺)が完成する。
*1485.6.15/ 足利義政が出家する。
*1487.9.12/ 将軍義尚が、六角高頼討伐のため近江坂本に出陣するも、戦果が上がらず2年後に陣中で死去する。
*1489.2.23/ 東山山荘の観音堂(銀閣)の上棟が行われる。
*1489.3.26/ 将軍義尚(義照/25)が、近江の陣中で病死する。
*1490.1.7/ 足利義政(56)没。
*1490.7.5/ 足利義稙(義材)が10代将軍となる。
*1491.1.7/ 足利義視(53)没。
*1493.4.22/ 細川政元が将軍足利義稙(義材)に背き、足利義澄(義高/14)を擁立して挙兵する。(明応の政変)
*1493.閏4.25/ 細川政元の軍勢が正覚寺を攻め、畠山政長は自刃、将軍義稙は龍安寺に幽閉される。
*1494.12.27/ 足利義澄(義高)が、11代将軍に任命される。
*1496.5.20/ 日野富子(57)没。
*1500.6.7/ 応仁の乱により中断していた祇園会(祇園祭)が、30年ぶりに復興する。

京都市 東本願寺岡崎別院 の塀について

2021-07-07
京都市左京区の宗史蹟親鸞聖人岡崎草庵跡

作法について

焼香は金香炉で行います。

2021-04-04
春の法要2021での修如上人による焼香です。
真宗本廟御影堂の御真影尊前です。

面授口訣」は必須

2021-09-18
Facebook 藤波 蓮凰さん曰く
……閑話休題……
僧分の端くれながら僧分らしからぬ日常と現実、こと文字だけが飛び交うSNSには、いつの間にか性根が剥き出しになり、醜態を晒すばかりである。人様に《説法》などできたギリではない。《名字の比丘》とばかり、放下僧の体である。ただ、儀式を通じてしか、仏祖に対峙することが敵わぬ愚昧たらしめる我が身かな。
魚山には天台宗の方々はじめ、今は様々な宗派の方々が集っている。それは聲明が、宗派を超えた仏教徒の《共通言語》たらんと嬉しく思う。
かれこれ2年ばかり前からと記憶するが、はるばる関東から日蓮宗の若い僧侶が魚山へ学びに来られるようになった。志篤く、魚山での学びを通して、かの宗門の聲明道を牽引して行かれることを、他宗派の者ながら大いに期待するばかりである。
そんな彼から、私如きには畏れ多い相談があった。それは自身が途中から学びに合流したので、魚山のどのように基礎的な音曲を学べばよいか、といった事柄だった。以て、私とて年季だけ稼いでいるに過ぎず、まだまだ手探りな状況である。老師僧が生前、「10年学んで幼稚園、20年学んで小学生レベルや」と仰せだったこととも重なる。
江戸時代後期の西本願寺御堂衆・光隆寺知影が記した『魚山余響』には、「先ず、法華懺法と例時作法を学び、それから六巻帖を学んだ」とある。順当なステップであるのはいうまでもないが、私もいうなれば《途中》から合流したので、いきなり『胎蔵界曼荼羅供』から始まり、続いて『聲明懺法』と御指南を受けた。いずれも、ビギナーには難解な法儀である。『聲明懺法』には悪戦苦闘したものだ。もう一度学び直したいくらいである。
ところで「聲明は耳で唱える」といわれる。今やICレコーダーや動画撮影など、いろいろ音源を残す方法はあるが、結局、師匠が唱えられる旋律の姿に耳を澄ませて、その唱えようを繰り返し「まねぶ」他はないようだ。あるいは、鎌倉時代の『聲明口伝集』には、旋律の動きに意を注ぎ、博士を充分に理解すべきであるといったことが記されている。従って聲明本を時間が許す限り眺めるだけでも、決して無意味ではないと思う。
思えば魚山に上がるようになって15年以上が経つが、聲明を最初に学ぶべく我が本山の勤式指導所に入ったのが27歳の時だったが、それから良き師匠との邂逅を果たすまで10年の歳月を要した。魚山に入門を許されたのはそれから更に数年を待たねばならなかったが、我が人生「まあ、さてあらん」である。なので若くして魚山と縁が持てた彼とは、さまざまに学び得たことを共有できたらと願うのである。
以て、ことSNSでは思うところ全てを語り尽くすことなど到底できない。そしてここに駄文をしたためている、我が心の揺らぎまで表現できない所以でもある。ただ、思考の一端を書き記すのみである。やはり万事につけて、「面授口訣」は必須なのだと思う。彼とは会った時に、またゆっくりと語り合いたいと思う。
秋の夜長に書き記しおわんぬ。

近世初頭における本願寺定衆の役割と位置

2021-09-14

定衆の役割

2021-09-14
釋氏昭彦師
報徳会(2011年11月11日~13日)期間中
http://mikawabetsuin.blogspot.com/2011/11/2011111113_13.html

三河別院では、11月11日(金)~13日(日)まで報徳会法要を厳修いたしました。
本日(13日)は、本山・東本願寺より、定衆の釋氏昭彦師がお越しになり、日中法要をお勤めいたしました。
この報徳会期間中、多くのご門徒のご参詣、ご奉仕をいただきましたこと、御礼申し上げます。

本廟部定衆ということ

2021-09-14
本廟部定衆(出仕) 清澤 悟 師

日常生活で出来ること

彼岸の頃となりました。

2021-09-17
玉日姫伝説の軸装です。
Facebook 阪下 大介さん曰く
仏壇のちりほこりは 胸のけたいより起る 香樹院徳龍

図画は、常陸国(茨城県)稲田の草庵にはるばると都から親鸞聖人を訪ねられた玉日姫を描く。玉日姫とは、鎌倉初期に朝廷の最高権力者であった関白・九条兼実の末娘といわれ、親鸞聖人の内室と信じられてきた伝説の女性。現在、親鸞聖人の内室と言えば、恵信尼(えしんに)文書を残された恵信尼公をさすが、古くは玉日姫こそ聖人の内室であると信じられてきた。現在も、それを物語るように、稲田の草庵(今の西念寺)跡から800メール近く離れて玉日姫の廟があるし、結城市にも立派な玉日姫の廟等がある。
玉日姫と聖人のご結婚については、次のようなエピソードが伝えられている。法然上人(親鸞聖人の先生)の最大の支援者であった上記の九条兼実は、ある日法然上人に次のように話をした。「私は、最近思う事があります。それは、出家の清らかな清僧(戒律をまもり女性を知らぬ僧侶)の称える念仏と俗にまみれた私達のような者が称える念仏とは、その功徳が違うのではないのでしょうか」。これを聞かれた法然上人は「これは九条兼実殿何を言われるか。出家の称える念仏も弥陀回向。在家の称える念仏も弥陀回向。回向の念仏に変わりなし。我賢くて称える念仏ではない。阿弥陀様の本願は、悪人・女人が目当てであります。この法然も愚かな法然になって念仏を称えています」と答えられました。これを聞かれた九条兼実は大変喜ばれました。そして「私は、疑いが晴れましたが、すえの世の人々が私のように迷わぬように、お弟子の一人と私の娘と結婚させていただけないでしょうか」と問いかけられました。これを聞かれた法然上人は「ごもっともなお話」と返事をされましたが、誰をと迷われて、ついに親鸞聖人(当時は、綽空と呼ばれていた)をお招きになり、「綽空よ。貴方は仏を求めるこころが強く、大いなるうつわなり。九条兼実公のムコとなり、弥陀の本願が時期相応の教えであり、在家の人々の先達になれ」とお話になりました。そして、「あなたが今妻帯の身となってくれなけば、すえの人々疑いを晴らすことはできぬ。どうか法然の願いを聞いてくれ」と話され、親鸞聖人は玉日姫と結婚されたという伝説である。ご結婚は、建仁3年(1203年)10月5日。聖人は、31歳。玉日姫は18歳でありましたと伝えられています。 

お盆のお荘厳です。

2021-06-27
切子灯籠、スタンド仕様です。
本堂仕様は、こちらです。

「寺と家族と“私” 800年を繋(つな)ぐ」

2021-06-27

京都市下京区にある浄土真宗の寺、宝蓮寺。一歩足を踏み入れると、そこは多言語が飛び交い、さまざまな文化的背景を持つ人たちが集うにぎやかな空間だ。日本の多くの寺が檀家減少や後継者不足に直面する中、宝蓮寺では今後のお寺のあり方について、家族の間で活発な議論が繰り返されていた。未来を託されたのは、長男で次期住職の師恩(30歳)。婚約者の晴香と長女の阿梨耶らとともに、寺に新風を吹き込もうと模索する日々を追う

真宗大谷派お焼香作法

2021-05-29
真宗大谷派東本願寺【公式】より

お内仏のお荘厳・お給仕

2021-05-11
報恩講・年忌法要等のお荘厳

大谷派のお荘厳について

RSS(別ウィンドウで開きます) 

ギャラリー展「東本願寺の打敷」

2021-07-07
2021-07-07

4月27日から6月14日まで、真宗本廟(東本願寺)参拝接待所ギャラリーにおいて、「東本願寺の打敷(うちしき)」展を開催しています。
 今回は、普段は近くで見ることのできない打敷の写真と実物を展示しています。
 特に、地下1階の展示ケース内には近年ご門徒の方々よりご寄進いただいた打敷を展示し、とても迫力のある内容となっています。
 今回の展示を企画した本廟部担当者は、「御影堂や阿弥陀堂で見る打敷は内陣で使用されているため、近くで見ることがありません。本山で使用される打敷の中には、1つの刺しゅうに3年余りかかり、全体の完成にはもっと多くの時間を要すると聞いています。今回、近くで見ていただくことで、大きさもさることながら、刺しゅうや細工の細かさをぜひご覧いただきたいです。そして、また様々な機会に真宗本廟に足を運んでいただく際に、打敷をはじめとする荘厳にも注目いただければと思います。」と語りました。
 ぜひ、一度足をお運びください。

「東本願寺の打敷」
○ 会  場 東本願寺参拝接待所ギャラリー1F・B1F
○ 開催期間 2016年4月27(水)から6月14日(火)まで
○ 時  間 9時から16時まで
○ 観覧無料
○ お問合先 東本願寺 参拝接待所(京都市下京区烏丸七条上る)
  Tel:075-371-9210

石山合戦配陣図

2021-04-04
和歌山県立博物館

和歌山市
昭和17年/1942年
一幅
和歌山市湊本町3丁目2番地
和歌山市立博物館

石山合戦における本願寺と織田信長との軍勢の配置図。大阪定専坊所蔵の合戦図を昭和17年に写したもの。
画面には「鈴木孫市」など紀州勢の名称も見える。


錦絵 石山本願寺合戦

2021-04-04
和歌山県立博物館
和歌山市
明治16年/1883年
大判三枚続
和歌山市湊本町3丁目2番地
和歌山市立博物館

織田信長と大坂本願寺が戦った石山合戦を描いた錦絵。
合戦は元亀元年(1570)から天正8年(1580)まで続き、紀州の雑賀衆も参戦した。
画面には「鈴木孫一」など紀州勢の名称も見える。
太閤記 石山大合戦之図
楊洲周延 (1838~1912)
ようしゅうちかのぶ
和歌山市
明治時代
大判三枚続
和歌山市湊本町3-2
和歌山市立博物館

織田信長と大坂本願寺が戦った石山合戦を描いた錦絵。合戦は元亀元年(1570)から天正8年(1580)まで続き、紀州の雑賀衆も参戦した。

蓮如像

2021-04-04
和歌山県立博物館

江戸時代後期/1823
紙本著色
縦70.0cm,横48.0cm
1幅

 浄土真宗本願寺第8世の蓮如(1415~99)は門弟に、親鸞と蓮如の連座像や自身の寿像を与え、勢力の拡大を図っているが、連座像としては京都・西法寺本や西本願寺本など、単独像としては、大阪・光善寺本や慈願寺本などが知られる。
当館所蔵のこの資料は単独の肖像で、裏書によると、文政6年(1823)に西本願寺第19世・本如(1778~1826)が、真宗興正寺派の末寺であった長門国阿武郡萩(現・萩市)の清光寺に与えたものである。
面容や左手のみに数珠を持つ点など、上述した事例とはやや異なる点がみられる。
教如像
江戸時代前期
紙本墨書
縦95.4cm,横39.5cm
1幅

 浄土真宗大谷派本願寺第12世教如(1558~1614)は、本願寺第11世顕如(1543~92)の長子として生まれた。
天正8年(1580)、石山本願寺と織田信長が戦った石山合戦の和議が成立した際に、顕如が紀州・鷺森(現・和歌山市)に退去したのに対して、教如は石山に籠城して抗戦を続けた。
5か月のちに教如も紀州に退くが、この行動の違いが後の本願寺分裂の遠因となった。
教如の画像としては、大阪・延徳寺本などが知られるが、本図もそれに続く時期のものと思われる。

真宗大谷派の衣体(ころも)等について

法衣装束の共同研究 - 千總文化研究所

2021-06-30
《法服(紅鈍色緞子牡丹唐草地模様)への紋(丸ニ三ツ葵)仕様書》

千總文化研究所は、中世日本研究所、京都府京都文化博物館と共に法衣装束の調査を進めています。千總が「御装束師千切屋惣左衛門」として真宗大谷派宗務所(東本願寺)をはじめとする寺院の御用を務めていた歴史とともに、寺院の豊かな装束文化を研究するためです。

千總には、図案や雛形、見本裂は遺されていますが、実際にどのような法衣装束を制作していたのかはほとんど分かっていませんでした。

 最初の手がかりは、2010年に同朋大学安藤弥教授の研究チームが調査をし、千切屋惣左衛門が手がけた装束が残されていることが知られていた真宗大谷派姫路船場別院本徳寺でした。
 

 附裳、袍裳、道服、小道服、七條袈裟、五條袈裟、前五條袈裟、修多羅、畳袈裟、輪袈裟など多種多様な装束から、千總が手がけたと思われるもの13点が確認されました。(参照:『千總文化研究所 年報』第2号「京都の装束文化を再発見プロジェクト」)

 調査は2019年10月から2020年11月まで延べ5回にわたりました。法衣装束の他に打敷を含め155点の染織品の全体、織文様、織組織の撮影、墨書などの記録を終えました。また一方で千切屋惣左衛門以外にも御用を務めた京都の装束師の名前がいくつも確認され、寺院の装束文化をとりまく御用商人の様相も今後の研究課題となりそうです。

本徳寺の調査に続き、2020年12月から京都の真宗大谷派に伝わる装束の調査を実施しています。

京都の真宗大谷派に伝わる鮮やかな紅色地に金糸で唐草八藤の文様が織り込まれた前五条袈裟

2021-06-30
《京都の真宗大谷派に伝わる鮮やかな紅色地に金糸で唐草八藤の文様が織り込まれた前五条袈裟。当時どのような製織技術が装束に用いられていたのかを明らかにするため、約40倍の画像が撮影できる顕微鏡機能を持つカメラで織組織を調査。》

薄海松色緯白地八藤紋切袴マチ付(正絹)

2021-06-26
850慶讃法要記念仕様
薄海松色緯白地八藤紋

職分の衣体

2021-04-07
堂衆列参詣席側の二方が参衆です。
左奥から堂衆、准堂衆と楽僧です。
本病報恩講、門首着座前です。

職分の衣体

2021-04-07
門首後継後奥は参務、手前は定衆です。 延暦寺での源信僧都年回法要お勤めの図です。
信明院殿鍵役の先導をする本廟堂衆です。

大谷派関係学校のページ

Facebook 大谷派における学事の潮流

2020-05-05

大谷大学歴代学長

2021-07-13
現キャンパス

大谷大学

2021-02-14
1949年 - 新制大谷大学を開設。文学部に仏教学科、哲学科、史文学科を設立。
1665年 - 琢如が東本願寺寺内に寺院子弟教育を目的として学寮を創設する。

『明治期の真宗大谷派おける研究教育とその体制』

2021-09-14

【今昔物語、時は半世紀前、1969年9月】

2021-08-18
大谷大学にも、嵐が・・・。
TOPへ戻る