迦陵頻伽カレンダー
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   真宗大谷派日豊教区日田組 平野山 願正寺
真宗大谷派日豊教区日田組 平野山 願正寺の画像
  住所
〒  大分県日田市隈2丁目8番29号
豊後国日高郡熊町
  電話
0973-22-2512
  駐車場
境内に15台程度! 大型車は、亀山町側から、お入りください。 お盆・報恩講等の境内混雑の時は、専念寺様ご門前の願正寺門徒駐車場(15台程度)を、ご利用ください。 
  アクセス
高速大分自動車道日田ICで下り交差点を右折、約1kmより国道386号へ左折、「本庄町」交差点右折、寺町通り(日田祇園山鉾会館の方)へと左折、会館手前が願正寺です。
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 今日のことば(迦陵頻伽)
ちょといい言葉・話をピックアップしました。
  折々のことば/浦山桐郎
2016年06月30日

哀切であることは誰でも撮れる、それが痛切であるかどうかだよ、オグリ。

あとはうんうん唸(うな)っていればなんとかなる。


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  ことば/夏目漱石
2016年06月28日

自分以外のものを 頼るほど はかないものはない


しかし その自分ほど あてにならない ものはない 

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  ビスマルクのことば
2016年06月23日
賢者は、歴史に学び

愚者は、経験に学ぶ。


【本日の座右の銘】

歴史を探ると知恵にたどり着ける、という話を聞いた事があります。
いま悩んでいることのほとんどは、すでに歴史上で誰かが悩み、解決法を編み出しているもの。

個人の経験のみでの判断では物を見誤る。
歴史にまで目をむけることができると物事の理解は広く、深くしていくことができる。
そう教えてくれる本日の言葉です。


歴史から未来につながるヒントを掴む。
なんだかちょっと奥深いです。
自分の経験だけではなく、先人の知恵から学ぶことで一段上のアイディアが生まれるかもしれません。

本日の座右の銘はドイツの政治家、オットー・フォン・ビスマルク でした。
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  書体デザイナー
2016年06月13日

藤田重信

 

Shigenobu Fujita

 
プロフィール
 
  • 書体デザイナー
  •  
  • 筑紫書体をはじめとするフォントワークスLETSの主だった書体のデザインを担当。
  •  
  • 筑紫オールド明朝と筑紫丸ゴシックで、2010東京TDC賞を受賞。
  •  
 
 
略歴
 
1975年
 
株式会社写研 入社(文字部 所属)
 
1998年
 
フォントワークス株式会社 入社(書体開発部 所属)

http://fontworks.co.jp/font/designer/shigenobufujita.html
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  所感 映像です。
2016年06月07日
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  所感 Ⅴ
2016年06月07日

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。

人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。

【追記 2016/5/28 9:40 訳文を修正しました】

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  所感 Ⅳ
2016年06月07日

あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。

アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。

ヨーロッパ各国は、戦場を交易と民主主義の結びつきを深める場に置き換える連合を構築しました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を防ぎ、核兵器の存在を制限し、縮小し、究極的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。

それでもなお、世界中で目にするあらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、私たちのやることに終わりがないことを示しています。

私たちは、人間が邪悪な行いをする能力を根絶することはことはできないかもしれません。だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。

それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。


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  所感 Ⅲ
2016年06月07日

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。

現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。

技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。

だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。

私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。

私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。

私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。

私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。

言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。

いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。


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  所感 Ⅱ
2016年06月07日

数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。

しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。

私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。

物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。

より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。

どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。

国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。


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  所感 Ⅰ
2016年06月07日

■オバマ大統領「広島と長崎が教えてくれたのです」

 

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

 

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?

 

私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。

 

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。

 

彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するようにに求めています。

 

広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。

 

どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。

 

多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。

 

広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。



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  所感
2016年05月27日
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  学長式辞2016 in 京都大学
2016年04月09日
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  Pax intrantibus
2016年04月08日
来る者には平和を、去る者には無事を!

シュピタール門の一番外側のアーチ部分にラテン語でとある言葉が刻まれている。“Pax intrantibus, Salus exeuntibus”「来る者には平和を、去る者には無事を」。一見とても素晴らしい言葉に見えますが、シュピタール門ができた中世は争いや侵略が耐えず、公開処刑が頻繁に行われた時代をだったことからもわかるように、実はこれは見せかけなんです!! 実際はそれぞれ反語を入れて「来る者とは戦争を、去る者には不運を」という意味だと言われています。

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  当たり前の日常
2016年04月06日

当たり前にある毎日のそれは、とっても大切な一瞬の積み重ねだと思っています。

それは、何時失うかもしれないのです。

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  日常ということ
2016年04月06日
当り前の日常は、かけがえのないものです。
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  - ジョンレノン -
2016年03月20日
人生は短い
 
だから友達と争ったり...

 
戦ったりする暇なんて
 
ないんだよ...
 

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  【 一番好きな人だから... 】
2016年03月20日
一番好きな人...
 
一番大切な人
 
一番会いたい人
 
一番ドキドキする人
 
一番嫌われたくない人
 
一番落ち着く人
 
一番失いたくない人
 
一緒にいて一番楽しい人
 
思い浮かべてみたら
 
みんなあなただった....
 
 
 
一番好きな人の前では
 
一番素直でいたいし
 
 
 
一番好きな人だから
 
一番近くにいたいし
 
 
 
一番好きな人だから
 
一番大切だし
 
 
 
一番好きな人だから
 
一番一緒にいたいし
 
 
 
一番好きな人だから
 
一番幸せでいてほしいし
 
 
 
一番好きな人だから
 
一番困らせるかもしれないけど
 
一番感謝してる...
 
 
 
いつもいつも幸せが
 
あるわけじゃないから
 
あなたとの大切な時間は
 
一秒でも大切にしたい
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  因果
2016年03月18日
性格は顔に出る
 
生活は体型に出る...

 
本音は仕草に出る
 
感情は声に出る
 
センスは服に出る
 
美意識は爪に出る
 
清潔感は髪に出る
 
落ち着きのなさは足に出る

 
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  - 渡辺 和子 -
2016年03月18日
人生は、いつもいつも
 
第一志望ばかり...

  
歩けるものでない。
 
 
 
そして必ずしも、
 
第一志望の道を歩くことだけが、
 
自分にとって最良と言えない
 
ことだってあるのだ。
 


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  『真宗の生活 2007年(2月)』 大悲のはたらき
2016年02月23日
如来は()むことなしに、(そむ)きづめ、(たが)いづめの私に向かって照らし出してくださる。
何が照らし出すのか、というと、「大悲(だいひ)」の心です。如来大悲とか大悲の本願などとよく聞きますが、どういう心か。
金子大榮(かねこだいえい)先生からお聞きしたんですが、「悲」()とは(あら)ずの心と書いて「悲」。
非ずとは否定、「そうでないんだよ」という、首を横に振られるお心。
私たちに「お前たちのしていることは、それで正しいと思っているかしらぬが、まちがっているんだよ。
そうでないんだよ」と、目に涙をいっぱい浮かべながら、私たちに呼びかけられるのが、如来の大悲心。
「大」の字がつくのは、一部分、局所だけの修正でない。
根本から、全部まちがいだという大否定。

 こんなふうに聞かされて、私はなるほどとうなずかされました。
「何がまちがいなのだ。これで当たり前でないか。自分が正しいのだ」と、どこまでも突っ張りつづける私を、最後まで見放さず、見限らず、辛抱強く呼びかけ、照らしつづけてくださる。
これが大悲の本願です。
大悲のはたらきは、私に極重悪人(ごくじゅうあくにん)の自覚を照射(しょうしゃ)します。この否定心をはずしたら、いくら言葉ばかりをそれらしげに飾り立てても、真実報土(しんじつほうど)にはつながらず、化土(けど)にとどまります。「極重悪人の我」と自覚されれば、(なげ)き痛む心がわが内にこみあげます。
「あいすまぬ、おはずかしい」と、歎異痛惜(たんにつうしゃく)せずにおられません。
それが「南無」です。ここが信心の必須起点です。金子大榮先生はこうもおっしゃいます。
「南無阿弥陀仏は自我崩壊の響きです」と。


『真宗の生活 2007年(2月)』「大悲のはたらき」

日暮らし正信偈 』(東本願寺出版部)から
亀井鑛(名古屋教区珉

光院門徒

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・5月12日に、「五月の法要」を、お勤めいたします。 ・記念講演に、仙台市の海楽寺住職 大友雄一郎さんを迎えます。 震災から7年、どんなことを語ってくれるのでしょうか?
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