親鸞聖人カレンダー
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   真宗大谷派日豊教区日田組 平野山 願正寺
真宗大谷派日豊教区日田組 平野山 願正寺の画像
  住所
〒  大分県日田市隈2丁目8番29号
豊後国日高郡熊町
  電話
0973-22-2512
  駐車場
境内に15台程度!
大型車は、亀山町側から、お入りください。
お盆・報恩講等の境内混雑の時は、専念寺様ご門前の願正寺門徒駐車場(15台程度)を、ご利用ください。 
  アクセス
高速大分自動車道日田ICで下り交差点を右折、約1kmより国道386号へ左折、「本庄町」交差点右折、寺町通り(日田祇園山鉾会館の方)へと左折、会館手前が願正寺です。
   きょうのお寺(蓮如)
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   きょうの言葉(迦陵頻伽)
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   きょうの言葉(胡蝶)
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 今日のことば(親鸞聖人)
親鸞聖人の言葉・行実等々を、言葉・画像・映像で紹介します。
  RIZIN 70
2017年09月07日
RIZIN 70

どうせ凡夫だから求道しない、というのは逆です。

仏教では聞法し学問するのは駄目だからするのです。

偉いからするのではない。

だから今世の中に凡夫はいないのです。

親鸞の教えは悪人正機とか凡夫とか言うけれども、それは凡夫を尊敬してあるのです。

凡夫を尊敬することが非常に大事なことです。

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  RIJZIN 68
2017年09月07日
RIJZIN 68

仏は何かというと、善悪から人間を解放するということです。

人間が本来の人間に帰るのです。

遠慮もいらないし威張る必要もない。
凡夫という言葉は本来の人間という意味を象徴していると思うのです。

ただ駄目なものだというのではない。

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  HP9月の巻頭言
2017年09月02日
HP9月の巻頭言
こんなに青い空を見たのは、何時以来だったでしょうか・・・。
季節感が無くなったねえ・・・、そんな話をすることの多い昨今ですが、9月の空、特に朝方の空の色は、秋の到来を強く感じさせます。
「秋の法要」のご案内の頃となりました。
皆様のご参詣をお持ち申し上げます。
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  RIZIN 33
2017年08月23日
RIZIN 33

魂の救いというのは、物をえることでない。

逆なんだ。

物を脱いでいくことなんだ。

人間は物がなくて流転しているのじゃない。

いらんものをもっているから流転している。

あることによって流転する。

ないということによって流転するのではない。

そういう意味から全くの方向転換でしょう。

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  一枚の写真
2017年08月12日
一枚の写真
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  HP8月 巻頭言
2017年08月12日
HP8月 巻頭言
九州北部豪雨から一か月余り、被害状況の深刻さが明らかになる中で、今年も、おぼんがやってきました。
続く酷暑に加えての雨、心配な状況が続きます。
皆様、くれぐれもご自愛ください。
絵は、本堂に懸った切籠灯篭です。
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  RIZIN 9
2017年08月11日
RIZIN 9

僧伽の問題は教団論といってもいいのですけれども、教団というものの意義をはっきりさせるのに、単純化するということがあります。

思想が厳密であり深められていくと、結論は単純になる。

単純簡明。教学がはっきりしないと複雑になるのです。

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  RIZIN 8
2017年08月10日
RIZIN 8

仏弟子の資格があって仏弟子にされているのではないのです。

全く資格がないにもかかわらず仏弟子とされると。

だから帰命するのです。

帰命するような僧伽に値せずして加えられたのです。

それが勿体ないという意味です。

だから全身を賭して恩にこたえよと。

こういう意味で報恩という字がついたのです

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  RIZIN 5
2017年08月09日
RIZIN 5

何もかもやめだということではないのです。

行が無いのではなく、行が不要という意味です。

無行ではなくて不要です。

行が無いなら全部やめてしまったことです。それでは無政府主義になってしまう。

そうではない。

我々の努力の行を必要としないというのです。

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  RIZIN4
2017年08月09日
RIZIN4

経典は言葉だということが非常に大事です。

迷っている者が迷いを翻して証を得るということには、言葉を聞くということしかないのです。

人間が救われるのは言葉によって救われるしかない。

真理に言葉はないのでしょう

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  RIZIN 94
2017年08月04日
RIZIN 94

大いに切磋琢磨するということがないと教学の根が生えません。

そのために我々はこうして寄るわけです。

この土地に根をおろす。

それが大事です。

人のためでなく自分のために。

そういうことを私は願うわけです。

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  RIZIN 91
2017年08月04日
RIZIN 91

つまり曽我先生も青年時代に議論して、やっつけたりやっつけられたりしたことがあるのでしょう。

そういうことのできるのが学生時代です。

そういう友達をもつことが学生なのです。

学校に行っても友達をもたないのだったら本を買って家で読んでいたらいい。

学校へ行く必要はないのです。

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  RIZIN 92
2017年08月04日
RIZIN 92

学校に行って得をするのは、友達を得ることなのです。

教師ということもあるけれども教師よりも友達です。

それは大いに磨きあう友達です。宝の山に入りて宝を得ずに帰るというのは、議論もせずに友達なしに卒業してしまうことです。

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  Rizin 90
2017年08月01日
Rizin 90

曽我先生は何年も何年も問題をもっておられます。

何年間も腹の中におさめもっている人ではないかと感じられます。

先生は九十六歳まで生きられた人ですけれども、晩年に「自分の話していることは何も新しいことはない、青年時代にいろいろやったことを思い出して話しているのだ」と。

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  Rizin 89
2017年08月01日
Rizin 89

思想なら必要なだけ読むのではないでしょうか。

 
自分に必要なものだけが聞こえてくる。  



だから各人に各人の思考方法があって余計覚えられる人も少なく覚える人もある。

 

それはその人の宿業ですから何も悲観する必要はない。

 

どれだけ長く問題をもっているかということが思想ではないかと私は思う。

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  Rizin 88
2017年07月31日
Rizin 88

沢山読む必要はないのです。

ではどれだけかというと、覚えている範囲を読むのです。

覚えている範囲は執持できる。

それ以上は執持できないのです。

執持できないものを読む必要はないでしょう。

試験を受けなければならないとかいうような野心があるから要らないものまで読むのです。

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  送る言葉
2017年07月30日
送る言葉
ケビン・シーバー司祭による日野原重明さん葬送・告別式説教

http://www.christiantoday.co.jp/articles/24193/20170729/hinohara-shigeaki-funeral-preaching.htm
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  RIZIN 87
2017年07月30日
RIZIN 87

たとえ夜通し本を読んでも執持できません。

執持できないのは忘れてしまうからです。

読んだという記憶だけが残るのです。

何を読んだかという「何」はもう消えてしまいます。

読んで苦労したという経験だけが残るのです。

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  RIZIN 86
2017年07月30日
RIZIN 86

人の頭で旅行してるようなものでは、どれだけ本を読んでも人の話で自分のものにならないのです。

だから寺役が忙しくて本を読む暇がないとか、学問する暇がないとか言うけれども、そういうことはいい加減なことであって、一週間でも二週間でも頭の執持しておれる範囲を読んだらいいのです。

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  RIZININ 85
2017年07月29日
RIZININ 85

自分に与えられた問題を執持する。

汽車に乗っていても執持する。

本を読む場合でも自分の問題を執持しながら読む。

そうでないと学問にならないのです。

あちこち行ったり来たりしてうろついていることになる。

本を読むのでなく本に読まれてしまう。

ただくたびれるだけで自分の力にならないのです。

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・10月23日 14時より パトリア日田小ホール
 第32回仏教講演会が開催されます。
 入場券(500円)が必要です。
 お寺にて、お求めください。 











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