親鸞聖人カレンダー
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   真宗大谷派日豊教区日田組 平野山 願正寺
真宗大谷派日豊教区日田組 平野山 願正寺の画像
  住所
〒  大分県日田市隈2丁目8番29号
豊後国日高郡熊町
  電話
0973-22-2512
  駐車場
境内に15台程度! 大型車は、亀山町側から、お入りください。 お盆・報恩講等の境内混雑の時は、専念寺様ご門前の願正寺門徒駐車場(15台程度)を、ご利用ください。 
  アクセス
高速大分自動車道日田ICで下り交差点を右折、約1kmより国道386号へ左折、「本庄町」交差点右折、寺町通り(日田祇園山鉾会館の方)へと左折、会館手前が願正寺です。
   きょうのお寺(蓮如)
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   きょうの言葉(迦陵頻伽)
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   きょうの言葉(胡蝶)
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 今日のことば(親鸞聖人)
親鸞聖人の言葉・行実等々を、言葉・画像・映像で紹介します。
  RIZIN 5
2017年08月09日
RIZIN 5

何もかもやめだということではないのです。

行が無いのではなく、行が不要という意味です。

無行ではなくて不要です。

行が無いなら全部やめてしまったことです。それでは無政府主義になってしまう。

そうではない。

我々の努力の行を必要としないというのです。

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  RIZIN4
2017年08月09日
RIZIN4

経典は言葉だということが非常に大事です。

迷っている者が迷いを翻して証を得るということには、言葉を聞くということしかないのです。

人間が救われるのは言葉によって救われるしかない。

真理に言葉はないのでしょう

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  RIZIN 94
2017年08月04日
RIZIN 94

大いに切磋琢磨するということがないと教学の根が生えません。

そのために我々はこうして寄るわけです。

この土地に根をおろす。

それが大事です。

人のためでなく自分のために。

そういうことを私は願うわけです。

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  RIZIN 91
2017年08月04日
RIZIN 91

つまり曽我先生も青年時代に議論して、やっつけたりやっつけられたりしたことがあるのでしょう。

そういうことのできるのが学生時代です。

そういう友達をもつことが学生なのです。

学校に行っても友達をもたないのだったら本を買って家で読んでいたらいい。

学校へ行く必要はないのです。

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  RIZIN 92
2017年08月04日
RIZIN 92

学校に行って得をするのは、友達を得ることなのです。

教師ということもあるけれども教師よりも友達です。

それは大いに磨きあう友達です。宝の山に入りて宝を得ずに帰るというのは、議論もせずに友達なしに卒業してしまうことです。

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  Rizin 90
2017年08月01日
Rizin 90

曽我先生は何年も何年も問題をもっておられます。

何年間も腹の中におさめもっている人ではないかと感じられます。

先生は九十六歳まで生きられた人ですけれども、晩年に「自分の話していることは何も新しいことはない、青年時代にいろいろやったことを思い出して話しているのだ」と。

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  Rizin 89
2017年08月01日
Rizin 89

思想なら必要なだけ読むのではないでしょうか。

 
自分に必要なものだけが聞こえてくる。  



だから各人に各人の思考方法があって余計覚えられる人も少なく覚える人もある。

 

それはその人の宿業ですから何も悲観する必要はない。

 

どれだけ長く問題をもっているかということが思想ではないかと私は思う。

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  Rizin 88
2017年07月31日
Rizin 88

沢山読む必要はないのです。

ではどれだけかというと、覚えている範囲を読むのです。

覚えている範囲は執持できる。

それ以上は執持できないのです。

執持できないものを読む必要はないでしょう。

試験を受けなければならないとかいうような野心があるから要らないものまで読むのです。

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  送る言葉
2017年07月30日
送る言葉
ケビン・シーバー司祭による日野原重明さん葬送・告別式説教

http://www.christiantoday.co.jp/articles/24193/20170729/hinohara-shigeaki-funeral-preaching.htm
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  RIZIN 87
2017年07月30日
RIZIN 87

たとえ夜通し本を読んでも執持できません。

執持できないのは忘れてしまうからです。

読んだという記憶だけが残るのです。

何を読んだかという「何」はもう消えてしまいます。

読んで苦労したという経験だけが残るのです。

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  RIZIN 86
2017年07月30日
RIZIN 86

人の頭で旅行してるようなものでは、どれだけ本を読んでも人の話で自分のものにならないのです。

だから寺役が忙しくて本を読む暇がないとか、学問する暇がないとか言うけれども、そういうことはいい加減なことであって、一週間でも二週間でも頭の執持しておれる範囲を読んだらいいのです。

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  RIZININ 85
2017年07月29日
RIZININ 85

自分に与えられた問題を執持する。

汽車に乗っていても執持する。

本を読む場合でも自分の問題を執持しながら読む。

そうでないと学問にならないのです。

あちこち行ったり来たりしてうろついていることになる。

本を読むのでなく本に読まれてしまう。

ただくたびれるだけで自分の力にならないのです。

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  RIZIN 82
2017年07月28日
RIZIN 82

問題というのは大抵二十代にもつものです。

でもそれは深い理解というものではない。

何か細やかなひとつの理解があり頷くものがある。

頷くとともに、分からないものが少しついている。

頷けたけれどもそこに疑問がある。

それを育てるということが大事なのです。

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  HP7月 巻頭言 弐
2017年07月27日
HP7月 巻頭言 弐
梅雨真っただ中のはずですが、まとまった雨は降りません・・・。
7月のHP巻頭言です。
それから5日後の豪雨は、前回の北部豪雨の1.8倍の降雨量によって、当地に、甚大な被害を齎しました。
あれから二週間が経ちました。
直接の被害からの復旧作業の中で、思わぬ二次被害が発生する等々、出口が見えない状態・思いが、当地全体を覆っています。
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  RIZIN 77
2017年07月25日
RIZIN 77

ただ、どんな人間であっても老少善悪と選ばずと。

人間を根底として、人間をたすけるために念仏が選ばれている。

人間存在というものは、人間が考えるよりも深い根底をもっている。

その根底を自覚して初めて尊い人というような尊厳性が出てくるのです。

偉い人ではない。宿業の凡夫が偉いのです

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  RIZIN 76
2017年07月24日
RIZIN  76

宿業の違いに過ぎない。

人間だけが偉くて魚をとって食う権利があるというようなことは人間の勝手です。

魚は食物ではない、生き物です。

人間が勝手に付けた理屈です。

魚に聞いてみたことはないけれども魚は承知しないだろうと思うのです。

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  RIZIN 75
2017年07月24日
RIZIN 75

つまり人は「人」という意味で道具ではない。

尊重されるべきものです。

万物の霊長というようなことを言っているのは自惚れです。

人間はなにも偉いことはない。

魚も何もみな同じことだと。

地獄・餓鬼・畜生みな共通なのです。

ただ業が違っているだけです。

宿業の違いに過ぎないのです。

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  RIZIN 74
2017年07月24日
RIZIN 74

生活者ということが大事です。


念仏往生の行者です。


これを親鸞は御同朋御同行と、一番尊敬したのです。


それが教団の生命だと。


人をつくるという意味です。


偉い人ではない。


尊い人をつくるという意味です。


尊い人です。


尊厳、あるいは尊重と。


尊重されるべき存在というのが人なのです。

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  RIZIN 71
2017年07月22日
RIZIN 71

行のないところには仏教学はないのです。

行者。

行者というのは念仏行者です。

行者とは生活者という意味です。

生活者ということが大事なのです。

金がないというようなことは教団の問題ではない。

ただ人間がいないといけないのです。

人間がなければそれは教団がなくなったのと同じことです。

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  RIZIN 66
2017年07月19日
RIZIN  66

特別な場合にだけ出るわけではない。

つまり前後を裁断するのです。

念仏が出てくるような前提はないのです。

散乱した心が統一されてきて念仏が

出るようになるのではない。

いろいろ研究した結果として念仏が

出はしないのです。

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・5月12日に、「五月の法要」を、お勤めいたします。 ・記念講演に、仙台市の海楽寺住職 大友雄一郎さんを迎えます。 震災から7年、どんなことを語ってくれるのでしょうか?
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